自分自身を評価するのは難しい。
子供の頃は、周囲に迎合しない自分を自覚していた。本を読むのが好きだったのは、それが一人で出来る作業だからだと、今にして分かる。
だが、成長するに従って、ある種の集団に属していることの安心感を知る。それは家族とは異なり、その場、その時かぎりの集団であるのだが、これに属しているかどうかで、まるで人生が違ってみえる。
それは既に小学生の頃にはあったと思うが、自分勝手な私は敢えて無視していた。たまに私のようなヒネクレ者のガキ同士でつるむことはあっても、基本は一人であった。
しかし、高学年になるに従って、趣味とか遊びの部分で付き合いやすい相手と集団を組むようになっていた。だが、これが一筋縄ではいかない集団であった。いつも誰かがイジメの対象となる可能性があり、気が抜けない集団でもあった。
私もいつのまにか、イジメの対象とされたこともある。理由?正直分からない、分かるはずもない。後でイジメる側に回ってみて分かったのだが、理由がある場合もあれば、なんとなく雰囲気で「今日からあいつ、村八な」なんて軽い気持ちで始まるイジメもあった。
ちなみに村八とは、村八分のことであり、決まった瞬間から誰も口をきいてくれなくなる。これは精神的に堪える。あの絶望感は、やられたものでないと分からないと思う。
今から思えば、実にくだらないことなのだが、当時の私にとっては大事件であり、相当に苦しんだ覚えがある。興味深いことに、中学でも高校でもあったよう
に思うが、私はその頃には集団のなかの主要なメンバーの地位に就くコツを掴んでいたので、まともにイジメられることはなかった。
多分、その頃から私は、自分の役目、あるいは集団の中における立ち位置を確保し、そのなかに身を置くことを一種の処世術としていたように思う。それがほぼ確信になったのは大学の時だ。
私は、高校生ぐらいの頃からだと思うが、周囲から堅い人間だと見做されることが多く、また折衝役に向いていると思われていた。つまり幹事役を任されることが多く、必然的にお金を集めたり、管理したりすることが増えた。
率直に言って私自身はかなり戸惑っていたのだが、やってみることが私の集団での立ち位置を決めると覚悟を決めて、その役割をこなすことに傾唐オた。文化祭の後の2次会の会場の飲み屋で予算交渉をし、みんなから金を集めて場所を連絡する。あるいは集めたお金の使途を報告する。
気が付いたら、遊び仲間では幹事役であったし、クラブでは会計係をやることが増えた。それは大学に入ってからも変わらず、むしろ役割は重くなり、こなす業務も増えていった。
どうやら、私は集団の中での一定の役割を担うことで、自分の才能が活きるものであるらしいと悟った。つまり会社組織の中で、重要な歯車たらんと志した。それが当時の私の自己分析の結果であり、そのことを意識したうえでの就職活動であった。
今だから分かるが、その自己分析は間違いであったようだ。なにせ、新人研修の結果のSE配置が気に食わず、休日に勝手に営業活動をして、全国展開している登山店の代理店契約の話を取ってきて、それと引き換えに営業への配置転換を交渉した問題児であった。
数年後、人事部の方に聞いたら、そんな新人は前代未聞であったらしい。ちなみに新人として赴任した東京近郊のK支店でも、初日から支店長に逆らっている。どうやら、私は組織人としては向いていないらしい。
そういえば、大学の同期から「ヌマンタは下級生に優しく、上級生には引かず、同期に一番厳しい」と評されたことがある。私としては、なにが悪いのか分からないが、変わり者と思われていたのは確からしい。
今では銀座の裏通りの小さな事務所の所長様なのだが、一番年下であるせいか、スタッフたちに言いたいこと言われている、肩身の狭い所長である。
ところで、表題の作品は一昨年、TVドラマ「半沢直樹」として放送されて、大ヒットしたものの原作である。倍返しが話題になったが、銀行って、こんな反骨心のある行員を容認するほど、ぬるい組織なのかしらと私は疑問に思っている。
ただし、勧善懲悪のドラマとしては面白い。TVと異なり、じっくりと楽しめるので未読でしたら是非どうぞ。