80年代に驚異的な人気を誇ったプロレス。
その人気に陰りが見えたのは、猪木と馬場という二大スターの失墜であった。今日に至るまで、この二人に代わり得る存在はいない。
だが、人気が落ちた原因はそれだけではない。敢えて書くが、80年代のプロレスブームは、新日本プロレス主導であり、それに挑発される形で全日本も盛り上がったに過ぎない。
新日本には、タイガーマスクがいて大いに人気を博したが、やはり猪木あっての新日本プロレスだ。その猪木の「プロレス最強宣言」こそが、プロレスに手痛い失点となるとは、あの時点では誰も予想し得なかった。
猪木自身は決して弱い訳ではない。しかし、本来は格闘演劇の主演者であって、格闘技の達人ではない。相手を倒すことのみに集中した格闘技に対して、相手の技を受けて、観客を沸かせることを主目的としたプロレスラーは圧倒的に不利であった。
だが、当時プロレスと並んで人気を得ていたK1とならば、プロレスはまだ堂々と最強宣言を謳うことが出来た。当時、K1には佐竹やアンディ・フグといった人気選手がいて、その蹴り技で一発KOする場面はプロレス以上に盛り上がった。
しかし、立ち技最強を謳うK1に対して寝技の優位さを主張できたが故に、プロレスはまだまだ最強だと言い張ることが出来た。実際、UWFやパンクラスなどは、真剣な格闘技としてのプロレスを志向して、その優位性を主張できた。
ところが思わぬところから伏兵が現れた。それがブラジルで生まれ、アメリカなどで話題になったヴァリー・トードという試合形式である。金的と目潰し以外は何をやってもいいという原始的で、しかも苛烈な格闘技の登場であった。
もっともヴァリー・トード自体は、アメリカの幾つかの州で、あまりに残虐に過ぎるということで失墜した。しかし、総合格闘技という形で残り、発展し新たな人気を得るようになった。
日本では総合格闘技は、PRIDEなどの団体主催で試合が行われ、ミルコ・クロコップやヒョードル、ノゲイラ、シルバといった選手たちが総合格闘家として人気を博すようになった。
対する日本のプロレス側の対応は、あまり芳しいものではなかった。なかでも致命的だったのはUWFインターの安生が、当時ヴァリー・トード最強と言われたヒクソン・グレイシーのいるアメリカの道場に、道場破りとして乱入し、そこでヒクソンに返り討ちにあったことが、プロレス最強神話に大きな影を投げかけた。
もちろんプロレス側からの反撃もあった。ダン・スバーンや桜庭和志などが総合格闘技のリングに上がり、そこで勝利を得たこともある。だが、スバーンも桜庭も、プロレスラー専業とは言いかねる。プロレスもやっている総合格闘家というほうが相応しいと思うが、プロレス・メディアは盛んにプロレスの勝利を書き立てた。
でも、断言するけど総合格闘技とプロレスは別物だ。どちらが強い、弱いの問題ではなく、そもそも趣旨が異なる。実際、アメリカではエンターテイメントに徹したプロレスが、ケーブルTVを通じて興行に成功している。これはこれで十分面白い。
しかし、日本では猪木の「プロレス最強宣言」が呪縛となって、エンターテイメントに徹することも出来ず、さりとて総合格闘技に転身することも出来ずに、中途半端なポジションを強要された。
幸か不幸か、総合格闘技が進化して、高難易度の試合が増えるに従って、ミーハーなファンは離れた。レベルが高すぎて、観客がついていけなかったからだ。そのかわり、その難易度の高い試合を楽しめるレベルの高い観客は増え、必然的にプロレスとは距離を置くようになった。
格闘技の素人の私は典型的な前者だが、それでも総合格闘技には時折関心をもっている。だからこそ、表題の本は楽しかった。長年、総合格闘技の取材を重ねていた布施氏ならではのインタビューは、読み応えがあり面白かった。
総合格闘技の両横綱といえるブラジルとロシアに出向いての取材だからこそ、出来たインタビューなのだろう。強いて不満を挙げればヨーロッパ、とりわけオランダへの取材(実際に布施氏はやっている)が割愛されていたことだ。
それにしても、つくづく思うが猪木って罪作り。プロレスはエンターテイメントなのに、無理に最強宣言を冠したことで、却ってプロレスは苦境に陥った。幸い、現在の日本のプロレスは、少しずつではあるが人気を取り戻しつつある。アメリカほど娯楽よりではないが、格闘技的要素も含めて迫力ある試合を続けていれば、もっと人気が出ると思うな。