ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

サンシャイン60の展望室閉鎖に思うこと

2015-05-15 13:49:00 | 日記

あまりの空虚さに驚いた。

今を去ること30年ほど前だが、私は池袋のサンシャイン60に本店を置いた某信販会社に新卒で入社した。しばらくは、この本店でSEとして研修を受け、私は東京近郊のK支店に赴任した。ただし営業としてであったが、そのあたりの事情は以前書いたので割愛します。

その赴任前だが、あの頃のサンシャイン60は活気があふれ、元気がある企業が多く入居しており、私も経済の最前戦で働いている感覚を味わっていた。JR池袋駅からの地下通路は、いつも人混みであふれ、時間を惜しむ私は地上の抜け道を探し出して通っていたものだ。

つい先日のことだが、そのサンシャイン60に所要があり、いざ上階のオフィス棟に足を踏み入れて驚嘆した。なんと空き室ばかりであった。私が働いていた頃は、オフィスはほぼ満室で、サラリーマンやOLがいたるところに居た。

だが、私が見たのは閑散とした通路と、空室ばかりのオフィスであった。それほど思い入れのあるビルではないのだが、あまりの荒涼とした風景に、寂しい気持ちになったほどだ。実を云えば、サンシャイン60は、池袋駅から若干離れている。地下道は入り組んでおり、地上の繁華街を上手く抜けても、駅から歩かされる気持ちは否めない。

とりあえず要件を済ませて、改めて地上階にて冷静に観察していると、細かいところで老朽化が目立つことに気が付いた。よくよく考えてみれば、サンシャイン60が日本一の高層ビルとして建設されたのは、1985年のことだ。既に30年が経過している。

しかも、ここ数年新築のオフィスビルが多数建築されており、しかも賃料は以前より安くなっている。これでは移転が相次ぐのも無理はない。サンシャイン側にも危機感はあったのだろう。事実、アリクイが脱走するので有名なここの水族館は、大幅にリニューアルして観客増員を狙っていた。

そして遂に、サンシャイン60の最上階の展望室がリニューアルのために閉鎖されるという。内定を取った後で、当時の彼女を連れて、ここの高速エレベーターに乗り、夕暮れの展望室で将来の夢を語り合ったのが幻のようだ。

別に今さら思い出を辿るために、閉鎖前に訪れるつもりもなかったが、それでも寂しい気持ちになるのは避けられなかった。街は変わり、人も変わる。変わらねば生き残れない現実は分かっているが、どこかに変わらずにいて欲しいと願う気持ちもある。

既に閉鎖され、来年以降リニューアルされて、再び公開されるそうだが、果たして再訪するかどうかは疑問だ。高齢化と少子化を迎え、かつての高度成長から低成長、もっといえば衰退へと向かう日本において、高層オフィスビルの需要がどれほど伸びるかは大いに疑問だからだ。

むしろ、中層でいいから使い勝手がイイ、広いフロアとアクセスが良好なオフィスビルが今後伸びると思われる。いささか寂しい予測だが、サンシャイン60が、かつての盛況を迎えることはないと思う。

時代は変わる、人も変わる。それに合わせて変化していかねば、立派な建物も廃墟になりかねない。かつて巣鴨プリズンと呼ばれた刑務所が取り壊されて、今のサンシャイン60に生まれ変わった時、誰がこの高層ビルが墓標のように虚ろになることを予測しただろうか。

かつて、私が最も夢と希望に溢れた第一歩を刻んだ地であるだけに、いささかの感傷にぶれるのも止む無しではある。しかし、断固たる覚悟をもって臨まねば、新たな時代に取り残されてしまう。

そうならぬよう、自らを戒めて私は振り向かずに、サンシャイン60を後にした。もしかしたら手遅れかもしないとの不安を押し隠し、それでも前に進む。自転車と同じでペダルを漕ぐ限り、自転車は唐黷ネい。

唐黷ネいためにも、ひたすら前に進むしかない。別に悲壮感に酔い痴れている訳でもない。ただ、現実を冷徹に見つめる一方で、揺れ動く心持を自覚しているだけだ。

解答が必ずあった学生時代の勉強と異なり、生きていくための模範解答なんてない。手探りで、ふらふらしつつも前に向かって進む、それしかないし、それしか出来ない。

久々に訪れたサンシャイン60は、私の心に複雑な不協和音を残したみたいだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする