のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ボストン美術館展』1

2013-04-19 | 展覧会
大阪市立美術館で開催中の特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝へ行ってまいりました。

狩野派も曾我蕭白もさして好きではないワタクシにとっては、見どころが前半に集中した展覧会でございました。
しかしその傑作密度の濃いことといったら。

まずのっけから、本展の目玉のひとつである『馬頭観音菩薩像』が三面六臂に憤怒の形相でお出迎えくださるわけです。仏画のよさがあんまりわからないのろさんにしても、これはもうBOSSの名作CMのごとく「ガツンと!」来るものがございましたとも。



描かれたのは平安時代末期とのこと。貴族社会の趣味を反映してか、真っ赤な身体に恐ろしい風貌でも、荒々しい印象はございません。
菩薩の顔や身体をふちどる強靭な輪郭線に対して、光背や蓮台や衣の装飾はなんとも繊細優美で、剛柔併せ持つ荘厳さを醸し出しております。強いシンメトリーを手や足の表情でわずかに崩しつつ、菩薩の胸部を中心として何重もの円を描くよう配慮されたポーズや、赤・金・緑を効果的に配した色彩のバランス、どこを切り取っても画工のセンスと力量の高さがほとばしる傑作でございます。

そのちょうど向かいに展示されていた、平安~鎌倉時代作の『毘沙門天像』もたいへん結構なものでございました。
炎をなびかせ衣をひるがえし邪鬼を踏んづけて颯爽と立つ、いわゆるドヤ顔の毘沙門さんも、一人一人個性的な顔立ちをした取り巻きの夜叉たちも、表情豊かで面白い。向かって左下の吉祥天はまあ普通の、無個性な美人さんでございますが、夜叉たちは身近な人をモデルに描いたのではないかと想像されるほど個性豊かで、愛嬌がございます。
絵本『かいじゅうたちのいるところ』でモーリス・センダックがしたのと同様に、約700年前にこの作品を手がけた絵師もまた、何食わぬ顔で親戚のおじさんやおばさん、あるいは同僚の顔を化け物風にアレンジして描いたのかもしれないと思うと、祇園精舎の鐘がごんごん波の下にも都がございますぼちゃんぼちゃんでいいくにつくろうの時代もぐっと近しく感じられるのでございました。
腰紐が蛇だったり、居眠りしている奴がいたり、踏んづけられた邪鬼が困り顔をしていたりといったディテールも楽しい。装束や持ち物にはそれぞれ象徴的な意味があるのかもしれませんけれども、そうした仏像ウォッチングの知識がなくても、充分楽しめる作品でございました。

さて仏教美術が続きます。
狩野さんたちの良さが分からないのと同じくらい、金ぴか大耳しもぶくれな仏さんのありがたさもいまいち分からない、ばちあたりのろではございます。しかし、なんだなんだこれはやけにイイじゃんかと遠目にも惹き付けられ、寄ってみたらば快慶の作でございました。

Miroku, the Bodhisattva of the Future -Kaikei, Japanese, active 1189?1223 | Museum of Fine Arts, Boston

衣の表現の流麗なことといったら。少し身体から浮かせてあるあたりがニクイではございませんか。また肩から腕にかけての写実性がものすごく、特に右腕は今にも動き出しそうでございました。
ほんの少し反らした指先、ほんの少し踏み出した右足、緩やかなS字を描く体躯、いやもう気品の極みでございます。色々な角度からじっくり見られるよう、独立した展示ケースに収められているのも嬉しい。
「現存作品中で最初期の作品」なのだそうで。最初期というのが何歳ぐらいのことなのか分かりませんが、こういうのを見ますと、やっぱり天才ってはじめから天才なんじゃろうなあと思わずにはいられません。


次回に続きます。