のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『交差する表現』展2

2013-04-09 | 展覧会
何故だかよく解りませんが、急に他HPへのリンクが貼りづらくなりました。
とりあえず、リンクできないものはアドレスを本文中にそのまま記載することといたします。

というわけで
4/4の続きでございます。

4階は京都近美のコレクションのみで構成されておりまして、よくここでお目にかかるおなじみの面々から-----他の作品とのバランスがとりにくいためかはたまた収蔵庫から出すのが大変だからか-----、普段あんまりお見かけしない作品まで、おのおの個性的な顔を並べておりました。

通常は写真と版画が並んでいる中央の展示室では、中央の分厚い仕切り壁は取り払われ、もともと白一色の壁は暗めのグレーに塗り直され、薄暗い室内で、個々の作品がスポットライトで照らし出されており、いつもとかなり違う雰囲気の中でジュエリーやガラス作品を鑑賞することができます。ト音記号のように優美な曲線を描くブローチを、分厚いアクリルの台に置いて、下に映るシルエットまで鑑賞できるようにしてあるなど、まことに心憎い演出でございます。

ペーパーウェイトのコレクションが展示されていなかったのはちと残念でしたが、ワタクシが近美収蔵のガラス作品の中でもとりわけ好きなマリアン・カレル(http://www.mariankarel.cz)の『立方体』(アーティストのHP左端の項目”SKILO”→左から3列目・上から3番目の画像)と『ピラミッド』(同ページ『立方体』のすぐ下)を普段とは違う光の中で見られたのは嬉しいことでございました。いつもならばかたちそのものストイックさとは裏腹に、周囲の光を惜しみなく受け入れては虹色の豊かな表情を見せてくれるこの二作品、今回の展示ではダークグレーの壁や展示台に光を吸収されて、輝きは最小限に抑えられ、神殿のような荘厳さを醸し出しておりました。
逆に今回の展示で印象深かった作品が、この次、明るい光のもとであった時に、どんな表情を見せてくれるかも楽しみな所でございます。

さて70年代以降の作品になりますと、鞄や革ジャンを型取りしてそのまま焼いたらしい陶芸作品に、『唇のある靴』やら『色ぐすりをかけたハムつきの選りぬき肖像写真』やらと、ユニークで人を食ったような作品が多くなり、時代の推移というものを感じさせる所でございました。そして上記の作品などと比べると「八木一夫とか堀内正和のユーモアって粋だよなあ」と改めて思ったことでもございました。堀内正和は残念ながら本展では見られませんでしたけれどね。

ピエール・ドゥガン作『木製のカヌー型手袋』あたりまではるばるやって来ますと、もはや工芸とは美術とは何ぞや、という問いかけも、しゃちこばりすぎてあほらしいような心地がしてまいります。
友禅の掛け軸や七宝の煙草入れから始まって、振り返ってみれば随分遠くへ来たもんだ、としみじみいたします。
ならばこれからはどこへ向かうのか、という点はとりわけ示されないまま、鑑賞者は放り出される恰好になりますが、これはこれでよかろうとワタクシは思います。「これから」の方向性を示すのは必ずしも美術館の役割ではなく(もちろんは示してくだすっても結構ですが)、むしろ期待や反発や構想というかたちで、鑑賞者おのおのに委ねられているものではないかと。

最後にもうひとつ、本展で面白かったことを。3階から4階へ向かう階段前のスペースに、過去の展覧会のポスターがずらりと展示してあるんでございますよ。
おやまあココシュカ展なんてやったのか、モランディ展はもう1回やってくれよう、『COLORS ファッションと色彩』は楽しかったなあ、『痕跡』展は刺激的だったっけ、中でも一番の衝撃はちっちゃいパネル展示の榎忠さんだったけど、おおお何でヨハネス・イッテン展に行かなかったんだのろさんのばかばかばか、カンディンスキー展は2002年だったかあ、石澤アナの『日曜美術館』に池辺さんの『N響アワー』、思えばいい時代だった...いようモホイ=ナジ!...
とまあ、ワタクシがこちらに来る前に開催されたらしい数々の展覧会に思いを致し、また行ったもの、行かなかったもの、行きそびれたものなどなどを振り返り、しみじみとしたわけです。
ポスターを見ただけでも、会場の様子や印象深かった作品のことがさあっと脳裏に浮かんでまいりまして、かくも多くの出会いを提供してくれた近美に感謝しつつ、これからも長く思い出に刻まれるような展覧会を開催していただきたいものだと、期待を新たにしたことでございました。