のろや

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『007 スカイフォール』

2013-01-11 | 映画
「歴史の汚点」というものの形成過程に日々立ち会っているような気がいたします。
後世の歴史家から見れば研究対象としてたいへん面白い時代なのかもしれません。
そうとでも思わなければやって行かれません。
もうやって行かれなくてもいいけれど。

それはさておき

この年末年始はスパイ小説の傑作「スマイリー三部作」のうち、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』に続く『スクールボーイ閣下』と『スマイリーと仲間たち』を読み、ウォルシンガム本の残りを読み、『スカイフォール』を観に行きと、期せずして英国諜報部に入り浸ることとあいなりました。

というわけで『スカイフォール』でございます。

面白かったですよ。
いわゆるボンドらしいケレン味や超人ぶりが見られないということで、長年のボンドファンの間では賛否が大きく分かれているようですが、007に特に思い入れのないワタクシは普通のアクション映画として楽しめました。むしろ50年も同じ設定で引っ張って来て、制約も色々あろうに、よくぞこれだけ楽しめる作品を作れるものだと感心いたしました。エキゾチズムや荒唐無稽さのさじ加減もちょうどよい感じであり、絵もおねえさんがたも大変きれいで眼福眼福でございました。

ただ、中盤までは見どころ満載でいたってテンポよく進んだだけに、スコットランドの片田舎に舞台を移した終盤、舞台の小ささを爆発の派手さで補うような展開になってしまったのは残念でございました。そしてこの終盤の展開にもからむことでございますが、「娯楽映画は悪役が命」が信条のワタクシから見ますと、本作の悪役はいささか薄味と申しましょうか、期待に反して描写が浅く、元諜報部員というせっかくのおいしい設定を生かしきれていないように思われました。
ボンドおよびMI6の裏をかき、先回りし、嘲笑しまくるのは大いに結構。しかし、Mも認める非常に優秀な元諜報部員、という華々しい肩書きの持ち主で、いわばボンドの「兄弟」的な立ち位置の敵であるにもかかわらず、ボンドがそのことについて思いを巡らしたり動揺したりする様子が全くない、というのはどうなんでしょう。また、ハッキングだの何だの色々と頭脳戦をやっておきながら結局最後は火力で勝負かよ!と、心中で突っ込まずにはいられませんでした。

個々のアクションや絵づくりにはたいへん結構である一方、全体としては「組織に捨てられたスパイ」というテーマをもっと掘り下げて描いてくれればよかったのに、とも思いました。もともと地味だの暗いのと評されるクレイグ・ボンドですから、スパイの悲哀なんぞを描いてさらに話が暗くなるのを避けたのかもしれません。でも、せっかくの悪役設定、せっかくのドラマチックかつもの悲しいテーマ曲、そしてせっかくのサム・メンデスですのに。



そのサム・メンデス監督、制作にあたって『ダークナイト』を意識されたということですが、悪役シルヴァの造形にはしばしば、ジョーカーさんを撮りたかったのよ、という監督の意向が明白に見えすぎる所があり、いささか鼻白みます。
ジョーカーもどきのことをどんなに楽しげにやった所で、ジョーカーもどき以上のものにはなれないのであって、本家本元のジョーカーさんには魅力も迫力も遥かに及びません。その上、中途半端に愉快犯的な振る舞いをすることによって、もと凄腕諜報部員にしてMI6に強い恨みを抱く復讐者、というシルヴァの個性が曖昧なものになってしまったように思います。

おまけに、演じているのが『ノーカントリー』の”純粋な悪”アントン・シガーことハビエル・バルデムでございましょう。シルヴァはシガーと正反対に雄弁だったり派手好みだったりと、造形にあたってなるべくキャラがかぶらないように気をつけたということは分かります。それでも、バルデムさんが魅力的な悪役を”怪演”しようと頑張るたびに、脳裏に浮かぶのは「これよかシガーの方がだんぜん怖かったよな~」という感想でございました。

いえ、バルデムさんが悪いというんじゃございません。ただ、どんなに頭がきれて用意周到でとっても怖い奴として描かれたとしても、ジョーカーさん及びシガーという悪役界のスーパースターが比較対象として控えているのでは、シルヴァというキャラクターには甚だ分が悪いのではございませんか。それにボンドとの類似と相違を際立たせるためにも、今回の悪役にはバルデムさんよりも、歴代ボンドの向こうを張るような、華やかでヒーロー然としたイメージの俳優をあてた方がよかったのではないかしらん。

それでは地味なクレイグボンドが食われちゃうだろうって。悪役ってのは、主役を食うぐらいでちょうどいいんです。
どうせシリーズ物の主人公なんて、放っといても一番おいしい所をかっさらって生き延びることに決まっているんですから。悪役こそ、制作者の創意と愛情がふんだんに注がれてしかるべきなのです。

そんなわけで
あと一歩二歩の所で名作になり損ねた感のある作品であることは否めませんが、ワタクシは去年観たばかりなのにほとんど内容が思い出せない『ユア・アイズ・オンリー』や、あらゆる点で煮え切らなかった『ワールド・イズ・ノット・イナフ』よりもよっぽど楽しめました。
冒頭申しましたように、たまたまエリザベス1世の時代や冷戦まっただ中の英国諜報部にも入り浸っておりましたので、Tジョイ京都のゆったりした座席に身を預けながらも「こんなに派手にやらかして、スマイリーが何と言うだろう」だの「Intelligence is never too dear だぜ大臣!」だの、色々といらんことも考えましたけれど。