のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『川端康成と東山魁夷』展2

2008-02-17 | 展覧会
2/6の続きでございます。

東山魁夷については、前の記事でほんの少しだけ触れさせていただきましたけれども
それ以上の事は何も語らないことにいたします。
と申しますのも本展には、東山作品とともに、その作品について書いた川端康成による文章も掲げられておりますので
それらを読んだ後で、ワタクシなどが駄弁を弄する気にはとうていなれないからでございます。

というわけで、その他の展示品についてほんの少しだけ語らせていただきます。
時には画廊や骨董屋から品物を届けさせたまま、代金は払わずじまいで自分のコレクションにしてしまったという
美術品や骨董品の数々。(この逸話はワタクシに、氏の『片腕』*という作品を思い出させずにはいないんでございますが)
これらは言ってみれば、文豪の審美眼と美への貪欲さの証でございます。

子供の姿ながらきりっと凛々しい、鎌倉時代の聖徳太子立像も大変よろしうございましたし
古墳時代の埴輪の頭部などはいくら見ていても見飽きない、いい知れぬ味わいのあるものでございました。
また清代に描かれた墨梅図も、たいそう印象深いものでございました。



ぐんぐん上に伸びて行くたくましい枝は先へ行くほど細くなり、はらはらと空に遊んでおります。
可憐な花をその細枝いっぱいに身にまとった梅の木は
自らの美しさを喜び、誇り、歌っているかのようでございます。
枝の動き、さまざまな花の向き、パッパッと花火のようにアクセントをそえるしべ。
画面全体に、生き生きとしたリズム感が沸き立っております。

決してよく練られた構図というわけではございませんし
筆の向くままどんどん描いちゃった的な雰囲気も、大いにございます。
しかし梅の花の、今を盛りに「咲いている!」ということの喜びが描き込まれているようで
その花々が発する馥郁とした香りがこちらまで漂って来るようで
見ているとうっとりと喜ばしい思いがわいて来る作品でございました。


さて
前回申しましたように、本展は通常の絵画展などとは少々違った雰囲気でございまして
ジャンルを異にする二人の芸術家の、美をなかだちとした交友関係そのものを見るような心地もいたしました。
と申しますのも、川端康成と東山魁夷の間に交わされた書簡もたくさん展示されていたからでございます。

中には微笑ましいものもございましたよ。
鎌倉の川端さんから、千葉県は市川の東山さんに宛てた手紙でございますがね。

拝啓 藝術院でお話申し上げました、ほのぼのとやさしい少女(のろ注:埴輪の頭部のこと)、昨日の朝拙宅に参りました。お越し下さいましたら御覧いただけるもの一つ出来ましたので、とりあへずお知らせいたしまして御光来を楽しみにお待ちいたします。 匆々

他の用事があるわけではなく、ただこれだけを知らせるために筆をとったようでございます。
かたわらの封筒を見ると「速達」の赤いハンコが押してございます。
美意識を同じうするあの人に、この美しいものを一刻も早く見せたい、という
文豪のわくわくとはやる気持ちが、伝わって来るではございませんか。


こんな手紙を読みますとねえ、やはり思わずにはいられないんでございますよ。
なんでまたこの人は
自ら死んでしまったのかなあと。

あのように美しい姿でいて
あのように美しいものと共に暮らしていて
美意識を共有する友人もいたというのに。
あのようにきびしい眼をしていて
あのような文章を生み出して
怖いような迫力のある書を書いたというのに。

まあ他人の自殺というものは、いつでも納得の行かないものではございますけれども。


本展の図録ということになっております単行本、『川端康成と東山魁夷―響きあう美の世界』を買って帰宅し
とりあえずぱらぱらとめくっておりましたら、文豪の死をうけて出た雑誌の臨時増刊号に
画家が寄せた追悼文が、眼に飛び込んでまいりました。

私は、いま、先生について纏まったことは、何一つ書けないような気がする。

こう言いながらも、生前の交流や訃報の知らせを受けた時の衝撃を、痛む心のままに辿っていく
東山魁夷らしい、誠実な文でございます。
つい今しがた見て来た喜ばしい交流の軌跡と、その突然の断絶が画家にもたらした心痛を思うと
目鼻のあたりに熱いものがこみあげてまいりました。





*『片腕』は
「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」と娘は言った。そして右腕を肩からはづすと、それを左手にもって私の膝においた。
という文で始まる、美しくも変態的な短編でございます。
一晩だけの約束で美しい娘の片腕を借りた男は、夜、すやすやと寝入ったその腕を舐めるように見たあげく
我知らず自分の片腕と付け替えてしまうのでございます。

私は両方の手をその腕のつけ根と指にかけて真直ぐにのばした。五燭の弱い光りが、娘の片腕のその円みと光りのかげとの波をやはらかくした。つけ根の円み、そこから細まって二の腕のふくらみ、また細まって肘のきれいな円み、肘の内がはのほのかなくぼみ、そして手首へ細まってゆく円いふくらみ、手の裏と表から指、私は娘の片腕を静かに廻しながら、それらにゆらめく光りとかげの移りをながめつづけていた。「これはもうもらっておかう。」とつぶやいたのにも気がつかなかった。

目の前の美しいもの、しかし本来はただの借り物であるものを、執拗な視線で見つめ
「これはもうもらっておかう。」とつぶやくこの男は
まさに美術品を前にした川端康成本人の姿でなくて何ございましょう?