のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ボストン美術館展』2

2013-04-22 | 展覧会
BBC World Service でボストン爆破事件の続報を聞いておりましたら、ウォータータウン在住の記者が「これは普通の発砲(ordinary gun shooting)ではないと思って外に飛び出し...」と言っておりまして、ああ、アメリカには「普通の発砲」と「普通じゃない発砲」というのがあるんだなあと、ぼんやり思ったことでございました。


それはさておき
4/19 『ボストン美術館展』1の続きでございます。

大阪市立美術館は、ワタクシがあまり足しげく通う美術館ではございません。
ロケーションにも建物にもいまいち馴染めず、地下鉄の空気も苦手なため、行き帰りだけでなんだか疲れてしまうからでございます。
そんなわけで、大規模な展覧会があっても、よほど魅力的なものが出ていないかぎりは足が向きません。
本展におけるよほど魅力的なものとは何だったかと申しますと、『吉備大臣入唐絵巻』と『平治物語絵巻 三条殿夜討巻』でございます。
冒頭の仏教美術セクションが終わった所で、満を持してのご登場。

小さい画像ですが、展覧会の公式HP↓で絵巻の一部(解説付き)をスクロールで見ることができます。
第二章 海を渡った二大絵巻|特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝

いやっ
もう、
すごかったですよ。
何がすごいって、7世紀以上の時を経ても色あせない娯楽性と芸術性がでございますよ。
娯楽要素が強いのは『吉備大臣入唐絵巻』の方でございまして、登場人物のユーモラスで生き生きとした表情や動作は、まるっきり漫画でございます。ご老体がエッチラオッチラ階段を上がるのを手伝っている人物には「さあ爺さん、上がった上がった」、口を開けて眠りこけている従者には「ムニャムニャもう食えません」てな感じで、思わず吹き出しをつけたくなります。

楼閣の上に閉じ込められた吉備真備の前に表れる幽鬼(どう見ても赤鬼)が実は先輩遣唐使である阿倍仲麻呂の亡霊でした、という展開は、ちょっと仲麻呂さんが可哀想すぎるような気がいたします。でもまあ、その後は吉備大臣を助けて超能力ばんばんの大活躍をなさいますから、まず当の仲麻呂さんも絵師たちをたたったりはなさらず、草葉の陰で苦笑いするくらいで許してくだすったことでしょう。
いつの時代であろうとも、主人公のサポート役というのはなかなかおいしいポジションでございますもの。

笑いどころ満載のこの絵巻において、ワタクシにとって一番ツボであったのは、唐の偉いさんたちから与えられた難題を吉備大臣が楽々とクリアしたために「帰り道で驚きのあまり自ら傘を持ってしまう使者」でございました。
キャプションがなければ気づかない所ではございましたが、確かに少し前の、吉備大臣のもとを訪れた場面の絵ではこの使者殿、大きな日傘を従者に持たせているんでございます。それが帰り道では使者自らが傘をさし、呆然のていでぽくぽく馬を進めております。

ちなみにこんな絵。



いえ、もちろん吹き出しはありませんでしたが。
おそらくは傘持ち係だった従者の「えっ俺どうしたらいいの?」と言いたげな表情もナイスでございました。

さて”吉備大臣の大冒険 ☆ in China”の絵は内容に即してわりとユルめであるのに対し、『平治物語絵巻』の方はそりゃもう文句なしのうまさでございます。黒をたくみに配する引き締まった色彩センス、場面の緩急、自然な群像表現、当時の風俗を伝える精緻な描写、まさに国宝級というやつでございます。国宝なるものがどういう基準で選ばれているのかは存じませんけれども。

とりわけ燃え上がる三条殿の表現は圧巻でございました。
国立国会図書館のサイト↓で全巻見ることができます。かなり拡大できます。

国立国会図書館デジタル化資料 - 平治物語〔絵巻〕. 第1軸 三条殿焼討巻

絵巻物なので場面は右から左へと展開してまいります。
事件を聞きつけて、左へ左へと馳せ参じる牛車や検非違使や野次馬たち。実際の事件が起きてから絵巻が描かれるまでに、約100年の隔たりがあるのでございますが、不安げな視線を交わす人々や、飛ばされないように烏帽子を抑えて走る人物など細部の描写には、報道写真のような迫真性がございます。
激しい動きを伴って右から押し寄せて来た群衆は、画面左端に表れた規則的な縦のラインと涼やかな緑色の御簾によっておだやかにせき止められ、事態は一旦落ち着くかに見えます。


© 2012 Museum of Fine Arts, Boston

...と、画面の左上に、かすかな白い煙と火の粉が。
続いて炎の先端がちろちろと桧皮ぶきの黒い屋根の上を這い回ると見るや、その黒色はたちまちもうもうと吹き上げる煙の黒と混ざり合い、気づけば画面はもう半分以上が炎と煙とに覆われております。さらにその炎煙の下では武者たちが火の粉をかぶりながら、馬上で矢をつがえたり、逃げ遅れた官人の首を切ったり、隠れている者はないかと床下を覗き込んだりと、生々しい襲撃シーンが繰り広げられております。

さらに左へ進みますと、火の粉まじりの赤黒い煙と爆発のような激しい炎が建物を舐め尽くして地獄絵図のような様相を呈してまいりまして、おいおいこれどう収拾つけるのよ、と不安になって来た頃合いにふと炎がとぎれ、漂う黒煙の中からダダっと駈け出て来た二人の騎馬武者が左方向への推進力を引き取った所で、火事の場面は終わり。
炎や煙の向きから、風が左から右へと吹いていることが分かるので、ここで炎が急に途切れることには何の違和感もございません。
クライマックスで吹き荒れる炎の激しさは、武者たちや逃げ惑う女房たちの騒然とした動きに引き取られつつ次第にフェイドアウトして行き、拉致された上皇の牛車をかこむ群像によって今一度、やや穏やかな盛り上がりを見せた後、黒馬に乗った一人の武者(源義朝?)へと自然に集約して終幕を迎えます。
なんと見事に構築されたスペクタクルではございませんか。
引いて見ても寄って見てもすごいの一言。まさに至宝というべきでございましょう。

また保存状態が素晴らしく、つい最近描いたかのような鮮やかさは驚くばかりでございます。大正12年(1923年)に売りに出されるまでは、どこの誰が所蔵していたのか確実には分かっていないようですが、昭和7年(1932年)にボストン美術館に購入されてからは、同館で適切に大切に保存していただいているようです。しかしこの大傑作に9年も買い手がつかなかったとは。その間に変な所へ流れて行ったり、「死んだら一緒に棺桶に入れてくれ」なんてことを言う個人の蔵に収まってしまわなくて、本当によかった。
ブログ等を見ますと「日本に返してほしい」というご感想をしばしば見かけますけれども、別に強奪されたわけではないのですから、「返して」というのはちょっと違うのではないかしらん。


次回に続きます。


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