ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

秋の連ドラ1

2020-10-31 22:45:00 | 日記
甲斐さんのお誕生日に緊急事態宣言が発令されて、春の連ドラの撮影が休止になり
撮影再開後、がっつり完走するドラマもあったとはいえ、数話短縮となった作品も少なくなく
また、番宣のための特番もない中、慌ただしく始まった夏の連ドラも
「えっ!?もう最終回?」っていうくらい、あっという間に終わってしまい

気がつけば、甲斐バンドのビルボードツアーが開幕し
いつの間にか、わらわらと秋の連ドラもスタートしていて
今年も残すところ2ヶ月だし、ついでに、このブログも開設から3千日を超え
だだだだ、月日の流れの早さに呆然としております(苦笑)

…ということで、ドラマネタもサクサク進めて参りましょう(笑)
まずは、すでに終了した「DIVER~特殊潜入班」から…
以前に少し触れました通り、オール関西ロケとのことで、我が家は面白く観ていたんだけど
評判も視聴率も今イチだったみたいで、ちょっと意外でした(苦笑)

福士蒼汰さん演じる黒澤兵悟は、窃盗や暴力事件の常習犯だった男で
天才ハッカーや闇医者らと共に、兵庫県警に密かに設けられた捜査チーム
「D班」のメンバーとなり、反社会的組織などに潜入し、事件解決に貢献
…と、ここまでは、よくある警察モノなんですが

その後、釈放になった主犯の男を闇組織の手で始末させるように仕組んだり
被害者遺族が直接、犯人に復讐できるように段取りしたりと
これまでの福士さんの爽やかなイメージとは真逆のダークヒーローぶりが
「ハードボイルドだど!」って感じで、なかなかの良作だったんじゃないかと…?

観光名所ばかりではなく、神戸の高架下や夜の旧居留地、路地裏や倉庫街など
ひと味違う街の風景も新鮮だったんだけど
奥さんは、ホテル内の中華料理店のシーンで「えっ!?」と一瞬、甲斐さん御用達のお店かと食いついたものの
すぐに「あ、ほな違うか…」とガッカリ…(笑)

ちなみに…蒼井優さん、高橋一生さん主演の「スパイの妻」も
黒沢清監督がお生まれになった神戸でロケが行われたそうで
地元紙では、北野武監督以来、17年ぶりの日本人監督の銀獅子賞受賞で盛り上がっておりました

続いては、江口洋介さん主演の「天使にリクエストを」
元マル暴刑事の探偵が、余命いくばくもない依頼人の「最後の願い」を叶えるために活躍
…って、簡単に言うと、そういう内容なんですが
かつて捨てた我が子に会って謝りたいという初回の依頼人(梶芽衣子さん)は
以前に別の探偵に依頼し、確認していた所在に出向きたいと頼むものの
病院からの外出許可も簡単には下りなかったくらい衰弱している状態…(汗)

同行する訪問看護師(志尊淳さん)からも度々ストップがかかり
時間も手がかりも少ない中、ようやく対面を果たした息子は
反社会勢力に属し、そこそこの地位を確立していて
そのことにも責任を感じ、心から謝罪したあと、ナンと!人違いだと判明(苦笑)

以前の調査で、名前が挙がっていたもう1人の息子候補の元へ向かう際にも
依頼人の容態を巡ってケンケンガクガクがあり
ナンとかたどり着いたところ、そのもう1人の息子候補は
医師として出版した本がきっかけで、すでに実の母親と再会しており
探偵さんは、依頼人のために息子の振りをしてくれと頼んで、嘘のハッピーエンドを演出 

…が、依頼人が亡くなったあと、反社会勢力の息子候補から
金はいくらかかっても構わないから、手厚く葬ってやってくれとの連絡があり
また、依頼人も最初に会ったのが実の息子だと察していたことが判り…
といった展開にグッと来まして、毎回楽しみにしていたんだけど
録画していた最終回をうっかり消去してしまい、ただいま再放送待ち(苦笑)

でも、この探偵さん自身が、かつて非番の日に息子と外出した際に発砲事件に遭遇し
犯人と揉み合う内に、その流れ弾で息子が亡くなるというヘビィな過去を持っており
自暴自棄というか、生きる屍のごとく酒浸りの毎日を送っている内に
この「最後の願い」を叶える仕事に携わるようになったんですが

刑事としての夫の仕事だと理解しつつも、その巻き添えで息子を失ったことに耐え切れず
離婚を切り出した妻の実父から、その「最後の願い」を依頼され
元妻と一緒に義父の旅に付き添うことになり
ついに、自分自身で認めることを拒んでいた真実…

犯人と格闘したのは「刑事として当然」との理由からだけではなく
息子の前でいいトコ見せたかったという気持ちがあったこと…を認め
悔やんでも悔やみ切れない辛さは、より一層増したとはいえ
再び、生きて行くことに向かい合う気持ちになった…
というラス前のストーリーで、すっかり完結した感じもありました(笑)

その江口洋介さんもご出演の新ドラマ「七人の秘書」は、現代版「必殺仕事人」…
って、まあ、人をアヤめたりはしませんけど(苦笑)…
表向きは要人に仕える名もなき秘書たちが「影の軍団」として暗躍し
金や権力にまみれた支配者たちに鉄槌を下すという、弱きを助け、強きをくじく辺りが痛快で

しかも、同じ中園ミホさん脚本の「失敗しない女医」や「スーパー派遣」みたいに
自信に満ち溢れ、肩で風切るスーパーウーマンではなく
「名乗るほどの者ではごさいません」とあくまで裏方に徹する姿勢が
「さもありなん」という感じで、かなり楽しみな1本です♪

「タリオ~復讐代行の2人」も、被害者の代わりに
悪人に復讐することを「裏稼業」にしているという点では「秘書」たちと似てるんだけど
こちらは、元弁護士の女性と詐欺師の男性のバディもので
脚本が「トリック」でお馴染みの蒔田光治さんとあって、コメディ色が強めです(笑)

特に、伊藤歩さん演じる宗教団体の教祖に復讐する第2回は
宗教の名前が「火出教(ヒデキょう)」で、本拠地は「冠華喜村(カンゲキむら)」にあり(笑)
信者に売りつけるのは「炎のお札」や「愛の十字架」「正直者の壺」(笑)
教祖の部屋は「ギャラン堂」、教祖の専用風呂は「ローラの泉」と呼ばれ(笑)
教祖は、夜な夜な「炎」を振り付きで熱唱(笑)

代行の2人が泊まる宿は「新御山家(しんぎょさんけ)」で(笑)
どんだけ「ヒデキ」好きなんだ!?(笑)と思っていたら
依頼人(竹原ピストルさん)の和紙職人が使用している原材料が「ムラシタコウゾ」だとか(笑)
取引先の「ウィンク商事」は「相田倉庫」にムラシタコウゾを保管しているだとか(笑)
前もって知らずに観たのに「トリック」を思い浮かべたくらいテイストが似てます(笑)

そうそう!「失敗しない女医」さんのスピンオフドラマ
「ドクターY~外科医・加地秀樹(笑)」の第5弾も絶好調(笑)
相変わらず「金と権威」に滅法弱く、すぐに人から受けた恩を忘れ
何でも自分の手柄にしようとする(笑)加地先生は、とっても人間臭くて憎めません(笑)
まあ、もし同じ職場にいたら、なるべく近づかないようにはしますが…(笑)

スペシャルドラマで言えば、水野美紀さん主演の「3つの取調室」は
1984年に埼玉県で起きた、男女3人の失踪事件に関して
ペットショップ経営者と、その元妻、ブリーダー仲間の男が、それぞれ食い違う供述をする
…といった「藪の中」みたいな展開のドラマでしたけど
この「ブリーダー仲間の男」を主役にしたのが
奥さんご贔屓の吹越満さん主演「冷たい熱帯魚」ですよね?

もっとも、ボクは甲斐さんと同じで、あの「ボディを消す」シーンが、ちょっと苦手…(汗)
それでも、あの映画のでんでんさんと、このドラマの鶴見辰吾さんの演技は
そのシーンを上回る不気味さで、ホントに素晴らしいと思います

余談ですが…ちょうど、この時期に「TVer」で
「大川端探偵社」と「熱海の捜査官」という
オダギリジョーさん主演のドラマが立て続けに流されていたんだけど
前者は、同じテレ東でスタートした「共演NG」の大根仁監督繋がり?として
後者は、テレ朝の「時効警察」と同じチームだし
オダジョーさんは、今クールのドラマには登場なさってないし…?
まあ、久しぶりに「和製ツイン・ピークス」が観れて楽しかったなあと…(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

筒美京平さんと甲斐さん3

2020-10-30 18:05:00 | 日記
甲斐さんは「メロディー(を作ること)はパズル的な要素がある
最初のとっかかりだけフワッとつかめれば、あとはパズルみたいにはめていける
その意味では理工系的な頭なんです」と話されてましたが

高校時代から筒美さんをご存知の作詞家・橋本淳さんによると…
筒美さんは、時代に合う和音の流れを見つけ、その配列を色んな曲に多用されているそうで
「和音は数列の組合せのようなもの
筒美さんのスゴさは、数学的な構造力、配置力にある」とおっしゃっていて

筒美さんの特徴とされている、洋楽の要素を歌謡曲に取り入れ、日本風に昇華させる手法は
ご自身が影響を受けられたという、バート・バカラックやポール・マッカートニーを始め
海外でヒットしている曲を構成するコード(和音)進行を分析なさって編み出されたものらしい

「ポップミュージックを作るには、街とかメディアにアンテナを張って
自分の音楽と人の音楽が戦ってるみたいな緊張感を持っていないとダメ」とおっしゃる筒美さんと

「時代をいつもチャンと見極めていることが、歌を歌う奴の務めだと思う
だから、映画も観るし、当たり前なんだけどCDも買う
でもそれって、ガキの頃からずっとレコード聴いて、集め出して…と何も変わらない」という甲斐さん

その時代に則した曲を書こうとなさる姿勢には共通するところがあるものの
筒美さんは、ご自身が会心の出来と思われた作品でも
レコーディングの際に、急きょ歌詞が変更になったり、歌手の方が歌いこなせなかったり
…といった突発的な事態が起こると、迷うことなく作り直されたそうで

それは「シンガーファースト」という主義に基づかれたものというか
作品を手直しすることも仕事の一環だとする「職業作曲家」としての矜持というか
もちろん、ご自身の作品に自信もプライドもおありだったでしょうけど
それよりも「ヒット曲を生み出す」ことを一番に考えていらしたんじゃないかと…?

一方、甲斐さんは…博多の夜の歓楽街で垣間見たキャバレーやスナックのドアから漏れる光…
「明るい闇」を原点に、ジャズもポップスも歌謡曲も…という、あらゆる音楽が流れる環境で
ディープ・パープルやキンクス、ザ・ピーナッツや日活の映画音楽などを好んだ少年が
その後、ボブ・ディランやビートルズ、ストーンズらに衝撃を受け

「洋楽で泣けるのは、切なくなるのは、そのビートとかアンサンブルじゃないですか
だけど、歌謡曲で泣けるのは、日本語の歌詞で泣けるんですよね」と
やがて「日本人の言葉と洋楽のサウンドをミックスしたい」と考えるようになり

「好きで好きでしょうがない人っていうのは、どこまでも行く訳ですよ
だって、自分の嗅覚が捉えたものだから、勘が働くものは行かざるを得ない
無駄なことの方が多いけど、その無駄が生きて来る…膨大な無駄が生きて来るんですよ
僕もどんどん自分の中に取り込んで来た訳じゃないですか、無駄も含めて…
そうすると結局、自分が良い表現をやって行きたいっていうのしか残らな」くて

その結果、自分の琴線に触れた映画や音楽、スポーツ、ニュースなど
ありとあらゆるものから刺激を受けて出来た曲には
ムード歌謡っぽい要素(笑)やGSの名残が、そこはかとなく漂ったり
夏休みを過ごされた田舎での青い空や真夜中の汽笛を彷彿させるメロディがあったり…
それには、意識的に使われたフレーズもあれば
どうにも抗い難いほど、お好きなメロディや
自然と湧き上がるリズムもおありなんだと思われますが

亀和田武さんは、あらゆる現代音楽のルーツについて…
「誰が何の影響を受け、何をベースにして自分の音楽を作り上げて来たか
つまり、いったい何がオリジナルなのか
何がその人のルーツなのか、非常に見えにくくなってしまった

例えば、ある特定の人の音楽の原点はここにあると分析してみても
その人は原点となるべき音楽を知らなかったり
ということは、その時点で、既にルーツ探しは無意味になっていて
たとえ探し当ててみたところで、それは枝葉末節な分析でしかないし
逆に、ありとあらゆるものが今や影響を与え得るんだってことの証明になる

…にも関わらず、あるいはそれ故にと言うべきか、邦楽のヒット曲が生み出されるたびに
音楽業界関係者やマニアから得意気に発せられるパクリ談義の横行という事態を招いた
注目すべきなのは、単にパクリの事実を指摘するだけでなく
コピーの仕方の優劣を論ずるような、新しく高度な接し方が生まれて来たことだ
筒美京平に対する『パクリの天才』という、一種の好意的評価など、その好例と言える

相倉久人によれば『音楽をコピーするってのは人間的作業であるし
同一パターンのコピーが出て来る訳がない
コピーをとる段階…つまりマネをして、あるいは影響されて何かを作っていく段階で
様々なノイズがまぎれ込む、それを個性と呼んでいいのだ』ということになる」と分析され
「それぞれのコピーの仕方、すなわち個性の違いに注目し
作品として表れて来た時のその差異を楽しむという、聴き手のスタイルを生み出すのだ」

…と記されてるんだけど、亀和田さん同様、甲斐さんのお友達でいらっしゃる町山智浩さんは
筒美さんの訃報が流れた際に「もう日本のラジオは、朝から晩まで筒美京平を流すべきですよ」とか
「『真夏の出来事』素晴らし過ぎて言葉を失う…」といったツイートをアップされたあと

「ヒデとロザンナの『愛のひととき』は、フランシス・レイ」や
「いしだあゆみの『ひとりにしてね』は、バート・バカラック」に始まり
「マッチの『情熱・熱風せれな~で』はナンだっけ?」とか
「野口五郎の『グッドラック』は、アル・ジャロウだと思うんですけど
具体的な元ネタは何じゃろう?」といった、元ネタ探しのツイートを連発(笑)

それにしても、町山さんが「筒美京平」というお名前を耳になさって
アレもコレもと次々に曲名が…それも、どちらかと言えば、メジャーな大ヒット曲ではなく
スマッシュヒット的な曲ばかり、挙げておられたのが印象的でしたが
それくらい広く深く、色んな世代の方々の思い出の曲として浸透しているということなんでしょうね?

余談ですが…「はっきり言って美声ではないが、実にユニークな響きのある声
ちょっと甘えっぽく少年的でもある松本伊代さんの声が、私は大好きです」と筒美さん
「『真夏の出来事』を歌った平山三紀のブツブツ切れるような声
少年時代の郷ひろみの妙に鼻に抜ける声と共に
私の好きな3大ヴォイスのひとつです」とおっしゃっているんだけど

橋本淳さんは「良い曲が出来ると、三紀ちゃん用に残しておくんです」と明かされていて
筒美さんの作曲家としてのターニングポイントと言われている
「真夏の出来事」を歌われた平山さんは、やはり特別でいらしたようです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

筒美京平さんと甲斐さん2

2020-10-29 20:10:00 | 日記
さて、筒美さんが数多のヒット曲を量産されていた1970年代
甲斐さんは…「あのね、例えば『裏切りの街角』リリースした時に…すごいんだよ!
だって結局、日本のヒットパレードで争ってく訳ですよ?どんなのと争ってると思う?

ちあきなおみの『喝采』がある
ペドロ&カプリシャスの『五番街のマリーへ』がある
そんなのの中に『裏切りの街角』75万枚売れてる
しかも、それ(他の方の曲を作られたのは)職業作家じゃないですか
職業作家の人が…超一流のクリエイターが書いてるのを超一流の歌い手が歌ってる訳ですよ
そこに食い込んでいく…今考えたら恐ろしいよね(笑)若いから、怖いもの知らずで良いけどさ

今考えたらさ、今言った『喝采』とか、超名作じゃないですか
もちろん、超くだらない曲もいっぱいありましたよ、ハッキリ言っときますけど…
これだったら、俺たちの方がイイじゃん!って微かなプライドをくすぐらせながら書く訳だよね」…と話されていて
歌謡曲全盛期のヒットチャートに、まだ市民権がなかったロックで殴り込みをかけるというのは
まさに「手斧ひとつで山に分け入って行く」って感じだったんじゃないかと…?

当時のレコード会社や事務所にしても、その歌謡界のしきたりに従っていた訳で
甲斐バンドがデビューした当時…「3ヶ月に1枚シングルを出さないと存在が証明できない」
…と言われていた頃に「バス通り」を発売してから
「裏切りの街角」をリリースするまでに、7ヶ月もかかったというのは
新人バンドにあるまじき異例中の異例だったらしい(笑)

レコード会社や業界関係者の方々から「甲斐バンドはもう死んだのか!?」と言われ
甲斐さんは「プロなんだから、レコードが売れなければ仕方がないけれど
売るつもりで作って売れるものではないし(笑)
バンドのカラーを明確にしようと格闘した結果
曲が出来るまでに時間がかかってしまった」と話されてます

その後も、甲斐さんのアマチュア時代のオリジナル「ポップコーンをほおばって」を
甲斐バンドのシングル用にとアレンジを変えられ、歌詞も短くなさったのに
A面になったのは「かりそめのスウィング」だったようだけど(笑)
全10曲のアルバム「英雄と悪漢」がリリースされるまでに
2枚のシングル(計4曲)が先行発売された訳で
これが「普通」だったというのが異常ですよね(笑)

当然、業界では、ようやく認識され始めた「フォーク」や「フォークロック」より
「歌謡曲」として扱う傾向がまだ根強かったようで
「歌謡曲とか、フォークとか、ロックとか
そんなジャンル分けは、もう必要ないと思う」と甲斐さん

「僕にとって大事なことは、いかにその曲に作った者の血が通ってるか?で
例えば『歌謡曲っぽい』と言われたところで
『歌謡曲っぽい』という言葉が『わかりやすい』という言葉の代名詞なら
『歌謡曲?結構!』ということになって来る」
…と、少々?うんざりなさいながらも、現状を冷静に把握されていたみたいです

一方、筒美さんは「歌謡曲と名のつくものは大嫌いだった」そうだけど(笑)
「職業作曲家」となられたからには
「自分の好きな音楽を作るのではなく、ヒット曲を作るのが使命だから
心に沁みる歌を書きたいと思ったことはない
あくまでヒット曲にこだわって行く」と考えていらしたらしい

同時期にしのぎを削っておられた作曲家・都倉俊一さんは…
「筒美さんは、歌手の歌唱力や音域の広さに合わせて自在に歌を作った
岩崎宏美なら、非常に透き通った彼女の高音が映えるようなメロディーを
太田裕美なら、彼女のロングトーン、ハイトーンを見事に生かすように
尾崎紀世彦に至っては、声量があればあるほど生きるようなメロディーを仕立てて
彼の歌唱力を100%使い切る歌にしたし

浅田美代子に書いた『赤い風船』なんかは、1オクターブくらいの音域の中に
彼女のたどたどしさが逆に魅力になるようなメロディーを詰め込んで
彼女の魅力を引き出し、ヒットさせちゃった
ジュディ・オングの『魅せられて』は、サビにファルセットを使うメロディーに
パフォーマンスとアレンジも含めて『これはやられたな』という感じ

古今東西、色んな作品がありますけど『このジャンルはこの1曲で終わり』
真似は出来ないっていう曲がたまにある
この曲も、もう同じような路線で作ってみようとは思えないくらい完成されている」と絶賛

更に「京平さん自身は、歌があまり上手くなかった
でも、それが懐の深さ、引き出しの多さに繋がっていた
作曲家には色んなタイプがいるけど、自分で歌える人たちは
自分の世界に入って、自分が歌って気持ち良い歌を作る
でも、自分で歌わない京平さんは
完全に提供する相手の身になって歌を作るから、とにかく幅が広かった

京平さんとコンビを組んだ阿久悠さんも、実体験を歌にすることはほとんどなかった
京平さんと阿久さんは『自分を主人公・主役にしない』という点で共通していたと思う
そして、時代を嗅ぎ分けて、合ったものを投げて行く
『大衆とのキャッチボール』が2人とも抜群に上手かった」と分析なさっていて

「自分が主役」でないと意味がない(笑)ソングライターとは
明らかに一線を画していた点だと言えますし
それは、どなたかに提供なさった曲を後にセルフカバーされる方が多いことからも
やはり「自分の血肉を削って作った曲」…
いわば「分身」という意識が働いていることが窺えます

また、筒美さんは「曲先」の都倉さんとは逆に「詞先」派で
「良い詞が欲しい」が口癖でいらしたらしく
出来上がった歌詞からイメージを膨らませておられたんじゃないかと…?
その筒美さんが、一番お好きなご自身の曲は「木綿のハンカチーフ」だそうで

東京芸大の大角教授によると…
前半の「都会に出た男性」の言葉の部分はメジャーコードで
「地方に残った女性」の気持ちの部分はマイナーコードでそれぞれ表現され
特に、サビの最後「染まらないで帰って」は
ワーグナーやショパンが多用していた手法を使い
哀愁やロマンチックなムードを高めているんだとか…

また、この曲の発表は1975年…高度経済成長期が終わり
物質的な豊かさと引き換えに、精神的な豊かさを失ったと言われた頃のことで
時代の気分をうまくコードに落とし込めた曲だと評されてます

ちなみに、この曲の歌詞を書かれたのは松本隆さんですが
奥さんは、この1つの曲の中で、男女のパートを書き分けるという手法が
そのまま「東京の一夜」に生かされていることや
「また逢う日まで」の「二人でドアを閉めて 二人で灯り消して」という阿久悠さんの歌詞を
「ダニーボーイに耳をふさいで」に採り込まれていること

更に、この2曲が共に甲斐バンドのサードアルバム「ガラスの動物園」に収録されているのは
甲斐さんが、当時のヒットチャートの中で戦っておられた
「職業作家」の方々からも刺激を受けておられたためじゃないか?と思っているらしい(笑)

もっとも、甲斐さんは、阿久さんとは逆に実体験に基づいた歌詞を書かれる方ですし
その「自分を全てさらけ出して」書かれるにあたり
「私的表現と普遍性のバランスというのは、表現の上で一番難しい部分ですよね
ものすごく私的なことを書いたとしたら、それがキチンと普遍性を帯びているかを
表現者はどこかで客観的に見ることが出来ないといけない

ただ、さらけ出すといっても、生のままの感情をそのままぶつけているんじゃないんです
自分の感情の料理の仕方みたいなものを、ちゃんと判ってないといけない
それに詩人じゃなくて、歌詞を書いてる訳ですからね
純粋な詩と、ロックの歌詞では、やっぱり違います」とおっしゃっていて
そこには、ある意味「職業作家」の部分も必要なんじゃないかと…?

甲斐さんは「街の一角でうごめく人間の哀切を鋭く切り取った歌詞と
シンプルでビート感に満ちたメロディで構成される楽曲」を「明るい陰」と表現されていて
「銭湯の行き帰りに見た博多の歓楽街のキャバレーやスナックのドアから漏れる光には
にぎやかさと共に、どこか哀惜も漂っていた
それが『明るい陰』の原点」であり「聴いて来た音楽は洋楽ばかりだったんで
日本人の言葉と洋楽のサウンドをミックスしたかった」と話されてますし

また「田舎のおばあちゃんの家で聴いた夜汽車の汽笛が好き」で
「今思えば、その田舎での時間があったから
僕の歌詞には、街育ち特有のビート感覚と
カーンと突き抜けた青空のような牧歌的な気配が入り交じり
形づくられているようなところがあると思う」とも、おっしゃっていて

つまり、歌詞とメロディー両方をお作りになる方と、メロディーだけを書かれる方とでは
そのためにお使いになっている脳の場所が違うというか
もちろん、歌詞にインスパイアされて出来る曲もあれば
曲のイメージから紡がれる歌詞もあるんでしょうけど

甲斐さんを始め、歌詞と曲の両方をお書きになる方々が、よくおっしゃっている
「歌詞とメロディーが一緒に降りて来る」といった感覚を
メロディーメーカーの方々は、体験なさっていないのかなあと…?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

筒美京平さんと甲斐さん1

2020-10-28 19:35:00 | 日記
以前「ヒット曲の歌詞や楽曲構成には法則がある」という
マキタスポーツさんの記事に触れた際に、作曲家・筒美京平さんについて書かせて頂いたんですが
筒美さんがお亡くなりになって、大々的にニュース等で取り上げられたのを見て
改めて筒美さんのお仕事ぶりや人となりについて、ご紹介したいと思った次第です

筒美さんが作曲なさったシングル曲の総売り上げは
日本の歴代作曲家の中でダントツ1位の7,560万枚!
50年を超えるキャリアで手掛けられた楽曲は約3千曲!

ひと月に45曲を生み出されたこともおありだという希代のメロディーメーカーは
ご自身のことを「職業作曲家」「黒子」と評され、メディアに登場なさることが極端に少なく
また、実際にお忙し過ぎて外出される機会がおありにならなかったせいか
「本当は存在していないんじゃないか?」という都市伝説まで生み出されたらしい(笑)

もっとも、数少ない筒美さんご自身の言葉によれば…
「レストランは流行っていないとダメ。材料(の質)が落ちる
職業作曲家も同じ。注文が来れば来るほど、良い仕事が出来る」…ということだったみたいです

ともあれ、甲斐さん縁の筒美さんの曲といえば…
「セイヤング」のパーソナリティ起用の決め手となったという
岩崎宏美さんの「ロマンス」を歌われたことや
「サウンドストリート」のカラオケ大会でお歌いになった、野口五郎さんの「甘い生活」
同じく、近藤真彦さんの「ブルージーンズ・メモリー」

ジャガーズの「マドモアゼル・ブルース」や
野口五郎さんの「青いリンゴ」をカバーなさったり
そうそう!小泉今日子さんの「ヤマトナデシコ七変化」は
「ナゼかは判らないけど大好き(笑)」と話されてましたよね?(笑)

「サンスト」で流された、オックスの「スワンの涙」や、平山三紀さんの「真夏の出来事」
庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」や、中原理恵さんの「東京ららばい」
「『ブルーレター』は、本当は、こういう風に書きたかった」と少し悔しげに話されたという
稲垣潤一さんの「夏のクラクション」

そういえば、甲斐バンドの仙台でのライブ後に、甲斐さんがお寄りになったお店で
アマチュア時代の稲垣さんが歌っておられ「良い声してると思って、席に呼んで話した」
…というエピソードと共に「ドラマティック・レイン」もおかけになったんですよね?
今や、その稲垣さんと甲斐バンドは、同じベーシストの方とツアーなさってますけど…(笑)

それはともかく…1960年代の、いしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」や
「サザエさん」のテーマソングに始まり
1970年代には、南沙織さんの「17才」、尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」
堺正章さんの「さらば恋人」、麻丘めぐみさんの「わたしの彼は左きき」

郷ひろみさんの「男の子女の子」「よろしく哀愁」
浅田美代子さんの「赤い風船」、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」
ジュディ・オングさんの「魅せられて」、桑名正博さんの「セクシャルバイオレットNo.1」
…等々、レコード大賞受賞曲2曲を含むビッグヒットを連発され

1980年代には、近藤真彦さんの「スニーカーぶる~す」から
松本伊代さんの「センチメンタル・ジャーニー」、小泉今日子さんの「なんてったってアイドル」
斉藤由貴さんの「卒業」、C-C-Bさんの「Romanticが止まらない」
中山美穂さんの「WAKUWAKUさせて」、本田美奈子さんの「1986年のマリリン」

少年隊の「仮面舞踏会」、田原俊彦さんの「抱きしめてTONIGHT」まで
当時の人気アイドルの曲を一手に引き受けられていたようですし
90年代には、小沢健二さんの「強い気持ち・強い愛」
2000年代には、TOKIOの「AMBITIOUS JAPAN」と

各年代でオリコン1位獲得という金字塔を打ち立てられた筒美さんのことを
富澤一誠さんは「時代のサーファー」と評され
甲斐バンドともご縁のある小倉エージさんは
「洋楽ポップスの取り入れ方は、その後の日本の歌謡曲のスタンダードになった
J-POP、歌謡曲の世界で一番革新的なことをやった人」と話されてますが

これは、筒美さんが「職業作曲家」になられた当時
あるプロデューサーの方から「君はメロディーが弱い」と言われたことがきっかけで
ロックやボサノバ、ジャズ、ソウルなど、様々な洋楽を研究され
それらをどうやって日本でヒットさせるかを考え続けられた結果だそうです

「大衆の半歩先を行くには、常に先端のものに触れていないとダメ」との思いから
足繁く通われたという行きつけのレコード店には
「筒美専用棚」と呼ばれる(笑)洋楽コーナーが設置されるほど
海外の最新流行曲は全てお聴きになっていたんだとか…

「常に先端のものに触れていないとダメ」というのは、甲斐さんの持論でもある訳ですが
甲斐さんは音楽に限らず、書籍、映画や舞台
雑誌の対談、ラジオ番組のゲストなど
あらゆる方法で刺激を受けていらしたようだし

「ロックとお笑いは『今を切り取る』という点がよく似ている」とか
「ロックって、やっぱり『NEWS PAPER』みたいな要素がないとマズイよね」
…といったご発言からも、ロック・ミュージシャンとして
時代の空気や社会状況を掴んでおくことは当然と考えておられることが窺えます

また「いくら高度な曲でも、売れなければ失敗作」
…とおっしゃる「職業作曲家」としての立場とは違い
「シングルは売れるために切るけど、売るためには作らない
魂無しに売れ線だと思って作って、それでコケたら本当に自分がダメになるよ

『HERO』もシングル用として作ったんじゃない
アルバムに収録するつもりの多くの曲の中から、シングルに向いてる曲を選ぶんだよ」と
「ヒットチャートに入るロック」を目指されながらも
それはあくまでも、いわゆる「時代と寝る」ことによってではなく

「マイ・ジェネレーション」を作られた後の
「辛辣な歌詞をチャンと言ってる、このアルバムが売れる
ホント、やって来て良かったと思うよ
今までひたむきにやって来たことが、この中に出てると思うから」との言葉通り
ご自身の中から滲み出た本心みたいなものが時代にマッチする
…という形じゃないと納得なさらなかったでしょうね?

もっとも…「色んな人の心に残る流行り歌ね
それはやっぱり、その時の時代のタイミングと
リアリティのある・なしで決まるんだろうね
信じさせたり、信じ込ませたりするリアリティなんだよね

ただ、そういう歌を作ってる本人は、半端じゃなくキツイよね
その時代を取り巻いてる色んな感覚を吸収してさ
最大公約数の無意識っていうもんをね
てめえの血と肉を使って表現する訳だからね」と話されたり

甲斐バンド再結成時には…「今、最大公約数と最小公倍数と
どちらも携えて球を放つ人は、そんなに多くないと思うんですよ
やっぱり、表現というのは、いつも最大公約数と最小公倍数を頭に入れて
どれだけバックスウィングを大きく取って投げ下ろすか?な訳だから

僕の中では、最大公約数というのは『時代の流行り』と捉えていて
最小公倍数は、僕が本来持っている自分のサムシングエルスというか…
甲斐バンドっていうのは、流行りものの中で
どう立ち向かうか?ということも大事なんだけど

それ以上に大事なのは、メンバーが10年ぶりに集まってやるというのがひとつ
もうひとつは、それが時代の中で全くそぐわないというなら
単なるマスターベーションだからダメなんだけど
甲斐バンドの表現というのは、非常に普遍的なところがあると思う

普遍的なものを、ここに来てもう一度ぶつけても
全然問題ないというか、びくともしないという感じがする
それが、どれだけ迎え入れられるか?というようなことは、次の展開で、次の心配な訳だから…
結局、落ち着く先というのは、それが成功しようと転ぼうと全部、僕に跳ね返って来る訳です」

…とおっしゃっていて、筒美さんの「陽水さんや拓郎さんが現れたフォークブームは脅威でした
でも、ヒット曲を作る自信はあったし、その通りになって来ましたね
シンガーソングライターは芸術家、僕は職業作曲家だから」との言葉が象徴的というか
「芸術家」にスタンスを確保しつつ、一方で「職業作曲家」的な部分も持たなければならない
といったジレンマを常に抱えておられるんだなあと…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甲斐バンド ベストセレクション(ネタバレあり)

2020-10-27 21:12:00 | メディア
「ビルボードライブ2015」に続き、甲斐さんがかつては「死んでもヤダね!」
…と思っていらしたという(笑)配信第2弾が、24日20時よりスタート♪

コロナ禍により、甲斐バンド45周年アニバーサリーイヤーの一環である
今回のビルボードツアーと横浜赤レンガ倉庫ライブが延期となり
ツアーに参戦出来なくなった方を始め、鬱屈とした日常生活を余儀なくされた皆さんのために
「元気の素」を提供したいとお考えになってのことかと思われますが

その甲斐バンド初のビルボードツアーの振替公演開幕前に
プロモーションという形ではなく、大阪公演終了直後に配信スタートというのは
PLEASURE・PLEASUREのライブ映像の編集に手間取られたからなんでしょうか?(笑)
ともあれ、その大阪公演後の諸々おさらいと
東京公演へのウォーミングアップを兼ねて、ご紹介したいと思います

大阪公演中に、石田伸也さんが「無合唱だって無咆哮だっていいじゃないか
甲斐バンドだもの そういうご時世だもの
ビルボードという音が素晴らしい会場だし
そういう楽しみが一度くらいあってもいいのかも」とツイートなさってましたけど
東京で実際にライブをご覧になったら、どうお感じになるのか興味津々です(笑)
だだ「一度くらい」で終わるのか?それとも、来年のビルボードツアーも…?
こればかりは神のみぞ知る…かなあと…?(苦笑)

大阪公演終了翌日…配信スタートの日に、木村将之さんは…
「甲斐バンド 大阪ビルボード3日間6ステージを終え
今日からミュージカル『beautiful』リハ
大阪オフ日 特にすることないから楽器屋でも行くかなぁとぼんやり思っていたら
ついお持ち帰りすることに…自分のせいだけど荷物が多い」…と
「アメ村探訪」で出会われたエレベと共にお帰りになられたあと

「『ベストセレクション』懐かしく見てます
俺めっちゃ歌ってんなー!ベースまで良い音で聴くにはぜひイヤホンヘッドホンで!
2016はlow B弦を多用する病気に罹っていたことをお詫びする所存
お客さんの密集歓声大合唱も今や懐かしいですね」と呟かれてましたが
今回のスピロコアはバッチリだったみたいですね?(笑)

奥さんは、前回と同じく仕事終わりに途中から視聴開始するしかなくて
通勤電車の中では当然イヤホンを使い、また、リアタイのツイートに悩まされないように(汗)
画面をクリアにして、ガッツリ堪能(笑)
木村さんがコーラスなさっているご様子を拝見して
この2016年のツアーのあと、コーラスに目覚められた?(笑)木村さんが
「歌もの」のお仕事を募集なさっていたことを思い出していたんだとか…(笑)

鈴木健太さんは「甲斐バンド 大阪3Daysありがとうございました
甲斐さん、松藤さん、一郎さんの音楽愛に溢れるレジェンド御三方
そして頼れる木村くんとのツアー
とにかく真摯に音楽を追求していく喜びに溢れています ありがとうございます」とツイートされ

「大阪グッドバイ 大阪が更に好きになった6日間だった
ラッキーな買い物もできたし、さあ掛川へ 大荷物」
…と、こちらも何やら買い込まれ(笑)ニコルズの延期公演へ向かわれたみたいだけど
毎年毎年、ホームチームを離脱されてまで甲斐さんのサポートをして下さっていたことを
心苦しく思っていた…って、そりゃ甲斐バンドのライブに行ったら、大森さんがいなかった
…っていうのと同じことですもんね(苦笑)
なので、今回のツアー日程には胸を撫で下ろしたようです(笑)

もっとも、ツアーリハーサルのために1度インスタライブがお休みになり
ライブ当日も、終演後に穴埋めなさったみたいで
ニコルズファンの皆さんに「甲斐さんが恨まれてなきゃいいけど…」と心配しておりました(苦笑)

その鈴木さんが、掛川でのニコルズライブのあとに…
「ライブがあるから生きていけるんだなとしみじみ思う
でも、まだまだ来られない人もいる
それも理解しているし、誰も置いてきぼりにはしたくない、絶対に」
…と呟かれているのを拝見して「ああ、ここにもライブバンドマンがいるなあ」と奥さん
以前に「ツアーは暮らし」とおっしゃっていた某バンドマンの方を重ねていたんだとか…(笑)

さて、その某バンドマンの方は、ご家族に「551の豚まん」をお送りになったみたいですが(笑)
少し前に「半沢」関係のバラエティ番組に
香川照之さんと市川猿之助さんが出演なさった時
クイズに正解すると、ご指定の品がプレゼントされるというコーナーで
猿之助さんの「欲しい物」が、ナンと!甲斐さんが
お嬢さんのお誕生日に贈られたのと同じスピーカーで「見たことある!」と奥さん(笑)
香川さんが見事に正解され、猿之助さんは大喜びでいらっしゃいました(笑)

それはともかく…「ベストセレクション」は
「ビルボードツアー2015」と同様、冒頭に大森さん縁の曲が流れたあと
まずは「PLEASURE・PLEASURE」での甲斐バンドライブからスタート♪
甲斐さんがステージに登場され、ストゥールに掛けてギターを構えられるまで
「かりそめのスウィング」が流れていて…って
これは、もしかしたら照和ライブのSEになったという「マイナー・スウィング」?(笑)

そして始まったのは、甲斐さん弾き語りバージョンの「東京の一夜」
照和ライブで「東京のことを歌っているようだけど
実は、博多に向けて歌っていたことに気づいた」
…と、おっしゃったというエピソードを思い出し、奥さん遠い目…(笑)

そうそう!その「照和」ライブのチケット争奪戦もスゴかったみたいですが
その照和ライブのテイストを再現された「PLEASURE・PLEASURE」もナカナカの激戦(汗)
奥さんは、甲斐友さん達と手分けして、全6本中5本に参戦(笑)
終演後に、お隣のシアターで映画「照和」のレイトショーを観たり、出待ちをしたり…(笑)
この時のライブが、その後のビルボードツアーに繋がったのかなあ?

続いては、大方の予想通り?(笑)「野生の馬」
だだ、奥さんにはもう「♪やすえのウマさ♪」にしか聞こえない模様…(笑)
甲斐さんが話されていたように、甲斐バンドのライブ映像はこの2曲で終わり(苦笑)
ビルボードライブの映像へ…って、いつか円盤出ますよねぇ?
せっかく「ヒーヒー言いながら」リミックスなさったんだし…?(笑)

ともあれ、ビルボードライブ映像は、2017年のツアーの「二色の灯」から始まり
奥さんの苦手な(笑)「レッドシューター」…って、何度も触れてますけど
「曲は決してキライじゃない、歌詞がイヤなだけ!(笑)
この曲がインストだったら、大好きかも知れない(笑)」と奥さん(笑)
2回目以降の視聴では、この曲を早送りしているらしい(苦笑)

続く「サルビアの花」では、久々に「おてんばジプシーガール(笑)」
ベチコさんのフィドルと甲斐さんの歌の競演を拝見して
当時の奥さんがライブの話をする時に、必ず「今日のベチコさん」に触れていたなあと…(笑)

そして、ここで2015年版「500マイル」
ビルボードツアー初年度の代表曲といったところでしょうか?
初代メンバーの石田ジュンさんと岸本一遥さんのお顔も映り
なるほど「ベストセレクション」かとナットクしたトコで
今度は、2016年の「ブラッディ・マリー」

このビルボードツアー2年目の円盤は、すでにリリースされてますが
奥さんによれば、この年からツアーに加わった名古屋ブルーノートで
初めてこの曲を披露なさったあと、甲斐さんは
かつてオリジナルをレコーディングなさった時に、目指しておられた形がようやく完成した
…といった意味のことをおっしゃって、ひどくご満悦でいらしたそうで
最後には「このメンバーで、1本のマイクで歌いたい」…って、今はちょっと危険ですね(苦笑)

次も同じく2016年版から「夕なぎ」
「めっちゃ歌ってんなー!」の木村さん(笑)も
ベチコさんもホントに楽しそうだなあと拝見していたら
客席に、もっと楽しそうな奥さん発見!(笑)
この時は、少し離れた席の甲斐友さん達から
開演前に「この曲で一緒に立とう!」と言われていたので
勢いよく立ち上がったら、当の甲斐友さん達は座ったままで
「ナンじゃあ、そりゃ!(笑)」とツッコミながら暴れていたらしい(笑)
まあ、そのおかげで?ステージ上を歩いて来られた甲斐さんが目の前で立ち止まられ
奥さんの顔をご覧になった(…と主張(笑))んだとか…(笑)

続いては、2018年の「港からやってきた女」
3代目フィドラーに山田拓斗さんをお迎えになり、更に進化した感が半端ない!
まあ、前年度までのメンバーは「冷血」で、ひとつの区切りがついた感じがナキニシモアラズ…?
編集が終わった音源を、ご自宅でお聴きになることはないという甲斐さんが
「毎日聴いてる」とおっしゃったくらいの完成度だったんでしょうし…

そして再び、2016年版の「円舞曲」を挟んで「汽笛の響き」2018年バージョン
奥さんは大コーフンで、導入部…鈴木さんと山田さんの掛け合いから手拍子足拍子(笑)
だだ、大阪公演はともかく、東京では間奏まで手拍子なさる方がいらっしゃらなくて
心の中でブーイング(苦笑)…って、まあ2019年には、ずいぶん同志が増えたみたいだけど…(笑)

そうしたストレスもあってか?「ヒット曲しかやっちゃいけない」という「JAPAN DAY」で
甲斐さんが、この「甲斐よしひろバンド」と共に、この曲を披露された時は
「この1曲のためだけでも来て良かった~!」というくらい嬉しかったらしい(笑)
もっとも、この曲に限らず、傘やカメラで皆さんの手が塞がっていて
手拍子はもちろん、拍手もままならなかったようですが…(笑)

更にお次は、2017年の「破れたハートを売り物に」
コロナ禍の真っ只中だからこそ、ぜひ歌って頂きたい曲である一方で
真っ只中だからこそ、大声でみんな一緒には歌えないという悩ましい曲ですよねぇ…(苦笑)
そしてラストは「ラン・フリー」で締めくくられ、あっという間の1時間…

各年度の「イイトコ取り」だけあって、見応え充分でしたけど
出来れば、ホントに「孤独のグルメ」よろしく(笑)
各年度別ライブのノーカット円盤をBOXセットでリリースして頂きたいです♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする