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ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

「コッキーポップ」ゲスト甲斐バンド2

2025-01-31 18:25:00 | メディア
さて、メンバーの皆さんの自己紹介と「ポプコン」にまつわるエピソード披露のあと
「…で、とにかくですね、ゴキゲンな迫力あるステージのフィルムが撮ってあるというんでですね
それをまず、僕も観たいんで、甲斐バンドと一緒に観てみましょうか?」と大石さん

「えー、甲斐バンドのゴキゲンな、そのステージ、ハイ、観ましょう」との振りで流れ始めたのは
「'77 Circus & Circus IN SUMMER」のタイトル文字と、大きな手拍子の音…
その途端に、奥さんは「あっ!これって…」と遠い目になったらしいんですが(笑)

それは、かつて、地方のとあるレコード店で、甲斐バンドのLP…
たぶん「誘惑」?…を予約した際に「よかったら、こちらもどうですか?」と差し出されたのは
「甲斐バンド・フィルムコンサート観賞申込書」

1年に数回、神戸や大阪でのコンサートに行く以外は、雑誌に掲載された写真を眺めるだけで
「動いてる甲斐さん」を拝見する機会などなかった頃のこと

一も二もなく数百円の参加費を支払って申し込み
当日は、レコード店の奥に通され、会議室みたいな部屋で、10人ほどの女性たちと一緒に
渋谷公会堂で撮影されたとおぼしき映像を観た…という記憶が甦ったためだそうです(笑)

もっとも、その「観賞会」では、1986年の甲斐バンド解散後に
各地のホールで「Here We Come The 4 Sounds」が上映された時のように
観客が立ち上がり、スクリーンに向かって拳を突き上げる…といったことはなかったみたいだけど(笑)

それでも、当時は、家庭用のビデオデッキが普及していなかったし
そもそも、コンサートを俯瞰で観ること自体が初めてだったこともあり
「もう1度、参加費を払うから、もう1回観せて欲しい♪」と奥さん(笑)
残念ながら、このフィルム上映は、1回限りだったんだとか…(苦笑)

それはともかく…「ゴキゲンなステージのフィルム」のバックで
大石さんが「これは、アレですか?(コンサートが)始まる前のお客さんの手拍子かな?」と質問され
甲斐さんは「あ、そう…ですね」とお答えになってましたが
奥さんによれば…「アンコール待ちの手拍子」みたいです(笑)

「これ、いつ頃(の映像)ですか?」という大石さんのお訊ねに
甲斐さんが「これ…は、そうですね、去年の夏頃ですね」と返された辺りで
映像の中の甲斐さんが、白いジャケットをお脱ぎになり「8日目の朝」とクレジットが出たトコで

「あのー、客席にいるお客さんってのは、ほとんど女の子なんですか?」と大石さん
甲斐さんが「そうですね…だんだん男も…」と、おっしゃるのへ
「そうですか、それは結構うれしいことなんですか?」と質問なさると

甲斐さんは「そうですね」と、短くお答えになっていたけど
ほぼ100%と言っていいくらい、女性ファンが占めていた…って
会場によっては、男性用トイレが「女性用」に変更されていたらしく

そんな状況の中で、会場に足を運んでくれた男性客の皆さんに
甲斐さんが、MCで「お礼の言葉(笑)」的な発言をなさっていたみたいだし
「女子供の甲斐バンド」というレッテルをどうにかしたいと思っていらしたんでしょうね?

ともあれ…甲斐さんが「8日目の朝」を歌い出されたトコで、画面はスタジオに戻り
大石さんが「ねぇ、なかなか迫力のある雰囲気なんですけどもね
これは…この先は、会場で観て頂きたいなと…」と締められ(苦笑)

「さて、今年はですね、甲斐バンドとしては、ステージングなどは
どのような方向に進めて行きたいと思ってますか?」とお訊ねになると

甲斐さんは「そうですね、やっぱり、なにがしかのお金をね、払って来てくれるお客さんだから
やっぱり…みんな、やっぱり、それぞれ楽しんで帰って欲しいし
あのー、ホントに喜んでね、コンサート観に来て欲しいと思ってるんでね」と返されてましたが

当時の甲斐バンドファンは、中高生を含めた学生が多かったらしく
甲斐さんは、ご自身の学生時代を鑑みられて
「バイトしたり、小遣いをやり繰りして来てくれる」ファンや
「ふと、俺たちのコンサートに『行ってみたいな』と思った人が
気軽に足を運んでくれるような値段じゃないと…」

…とのお考えで、チケット料金を抑えていらしたそうで
確かに、当時のLP1枚の価格と変わらない…
ナンなら、それよりも安い席種も用意されていたんだとか…
ちなみに…当時、高校生だった甲斐友さんは、この渋谷公会堂の自由席を買って
2階の階段通路で「踊りまくってた」らしい(笑)

それはさておき…大石さんは、甲斐さんのお答えを受けて
「そうですね、そういった方々の…ファンに応えられるようなステージ
またどんどん、今年も期待してますからね…(『そうですね』と甲斐さん)」と、おっしゃったあと

「さあ、それではですね、甲斐バンドのステキな歌声、演奏を引き続いて聴いて行きたいと思います
『そばかすの天使』そして『氷のくちびる』…2曲続けてどうぞ!」とQ出し♪

「そばかすの天使」では、甲斐さんがアコギを手にされていて…って
メンバー4人+キーボードの豊島さんという、当時の編成事情もあってか?
甲斐さんも「プレイヤー」として、ご活躍だったみたいですね?

もっとも「ギターを弾く甲斐さん」が好きなはずの我が家の住人は
この曲や先ほどの「きんぽうげ」が収録されたアルバム
「この夜にさよなら」を聴きながら寝ようとすると「逆に目が冴えて眠れなくなった(笑)」ほど

この当時の甲斐さんの声の「悩ましさ」にヤられていたらしく(笑)
ギターを演奏なさるお姿よりも「♪くーらいほど・う~♪」という
「卑怯な(笑)」甲斐さんの歌い方に身悶えしたようです(笑)

ちなみに…アルバムでは、甲斐さんご自身が「♪ダッダッディダ~♪」とコーラスなさっていて
「ナンて『不埒な声』を出すんだ!?(笑)」と、顔を紅くしていたんだとか…(笑)

そうそう!この映像を初めて観た時、奥さんが「長岡さんと小芝風花ちゃんに見せたい!(笑)」
…と思ったのは、長岡さんが、このところ甲斐バンドの「お宝音源」を流されていること
…って、長岡さんは既にご覧になったみたいで
「若い25歳の頃の甲斐バンドです」とポストなさってましたよね?

小芝さんに関しては…「きんぽうげ」や「そばかすの天使」を歌っておられる甲斐さんを
「ものすごくセクシー」とおっしゃっていたので
ぜひ、声だけじゃなく、当時のビジュアルでも
その「セクシーさ」を味わって欲しいと思ったかららしい(笑)

ともあれ…その長岡さんが「きんぽうげ」を演奏なさった時とは打って変わって
ステージ奥に立たれているのを観た甲斐友さんが「横や後ろばかり見てる」のは
「キーチェックミスを心配してるのかな?恥ずかしいだけ?」と言ってたそうだけど

奥さんは、この当時はまだ、松藤さんとの「カラミ」を密になさっていた頃で
リハーサルや演奏後のミーティングでは、特に「槍玉」に挙げられがちでいらした(汗)
松藤さんを気にかけておられたんじゃないか?と申しておりました

この日3曲目の「氷のくちびる」では、甲斐さんがエレキギター演奏をなさるというスタイルで
…って、それは今も続けていらっしゃる訳ですが
後追いで甲斐バンドのライブ映像を拝見したボクには

「氷のくちびる」→「ポップコーンをほおばって」という、ライブ後半の王道のラインナップが完成するまでに
数年のタイムラグがあることが信じられないというか
「氷のくちびる」がリリースされる以前のセットリストに、逆に興味が湧いてしまいます(笑)

この映像の中で、長岡さんが、チラッとキーボードをお弾きになっているのを拝見して
そういえば、かつては甲斐さんが「吟遊詩人の唄」のイントロで、キーボードを演奏なさるので
マイクスタンドの前に立たれるまでの「時間調整(笑)」がおありだったという話を思い出したり

コーラスの声も初々しい(誉めてます)松藤さんが
2番の冒頭で吹いておられたリコーダーは「娘のヤツ(笑)」って、おっしゃっていたけど
この当時はまだ独身でいらしたんでしょうし
この初代の?リコーダーは、お買い求めになったものかな?(笑)と思ったりしていたんだけど

奥さんは、甲斐さんと大森さんが、ステージ中央に並んで立たれ
ギターを弾いておられるお姿に「これ!これ!やっぱ、こうでなきゃ!」と、大きく頷き(笑)
間奏が終わって、そっと後ろへ下がられる大森さんにうるうる…(苦笑)

エンディングのギター演奏では、腰を沈めて前屈の姿勢でプレイなさる大森さんと
激しく弦を掻き鳴らしながら、時折、左腕を高く掲げられたり
ギターを体の正面に構えてお弾きになったりと「煽り」全開の甲斐さん(笑)
「静」と「動」…対照的な感じが印象に残りました

演奏が終わると…大石さんの1ショット画面になり
「上手い!スゴイ!迫力!えー、そんな感じの甲斐バンドですけどもね
僕も1度、ステージを観たいなって気になって来たんですが…

えー、甲斐バンドについてでもいいし、コッキーについてでもいいですから
ご意見、ご希望があったら、どんどんハガキ送って下さい
送ってくれた方の中から、今週は、このステキなですね、甲斐バンドの『この夜にさよなら』
このLPを10名の方にプレゼントしたいと思います」

…と、現物を手に、ハガキ募集の告知をなさっていたんだけど
その宛先がクレジットされた途端「ん?ナンか見たことある…」と奥さん
当時のマネージャーでいらした武石さんが「裏切りの街角」発売に際して
「200人前後のミニコンサート」を企画されたのが
この「コッキーポップ」の本拠地「渋谷エピキュラス」だったと判明

まあ、当時、ランドセルを背負っていた(笑)地方在住のファンには
もちろん、手が届かないコンサートであったみたいですが…(笑)
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「コッキーポップ」ゲスト甲斐バンド1

2025-01-30 14:05:00 | メディア
今、とある界隈(笑)で、センセーションを巻き起こしている、1本の動画
大石吾朗さんがMCを務めておられた、懐かしの30分音楽番組に
若き日の甲斐バンドの皆さんが出演なさった模様が、アップされているんですが

この映像の収録が行われたのは、田家秀樹さんの著書「ポップコーンをほおばって」の
巻末に掲載されていた、甲斐バンドの活動年表?によれば、1978年の2月5日
甲斐バンドが、その活動の場を「ステージ」に絞られてから約3年…?

「HERO」のヒットを受けた「ザ・ベストテン」からの出演依頼をお断りになると
「テレビ拒否だ!」と叩かれた…甲斐さんのおっしゃるところの「魔女狩り」に遭われた
その1年前のことと知って、まずビックリ!

次に…「コッキーポップ」という番組自体が、ヤマハの「ポプコン」と連動した番組だったので
ポプコン出身のアーティストしか出演しないものと思っていたため、またビックリ!

当時の歌番組としては当たり前だった、1組の出演者の持ち時間は2~3分…
曲にすると1コーラス半というシステムが、甲斐バンドがテレビの歌番組から撤退された理由で
って、いくら「お茶の間」への認知度が上がるとはいえ

スタンバイにかける時間はわずか30秒、演奏は1コーラス余りといった、せわしなさの割りに
朝早くから、カメラテストやリハーサルなどで、長時間拘束されるなら
自分たちの演奏を聴きに来てくれる人を増やすために
ライブ活動を中心にしたいとの思いがおありだったそうだけど

この番組は、フルコーラスでの演奏を基本とし
出演者の意向に大きく沿った番組作りをコンセプトとしていたらしく
1曲ごとに、違う楽器を使ったり、編成を変えたりすることも可能とのことで
いわば「ミニコンサート」的な形だったという点が、甲斐さんのお気に召したのかなあと…?(笑)

もっとも、今の「SONGS」みたいな収録方法を採用していたということで
やはり、その収録時間は長くなりがちだったんだとか…(苦笑)
ちなみに…「Cocky」とは「気取った」とか「生意気な」という意味だそうですが
番組側としては「時代を先取りした」との趣旨で名付けられたらしい

それはともかく…
その映像は、当時の甲斐バンドライブ定番のオープニング曲だった「きんぽうげ」から始まり
ロン毛でグラサンなしの、御年25歳の甲斐さんが
まだ青さの残る甘いハスキーボイスで歌い出されるなり、息を飲み、声にならない声を発した奥さん(笑)

それもそのはず、甲斐さんのバックで演奏なさっていたのが
奥さんにとって唯一無二の「オリジナル甲斐バンド」の皆さん…
1979年に脱退なさったベースの長岡さん、今は亡きリードギターの大森さん
そして、少年のようにあどけないドラムの松藤さん…だったことはもちろん

マイクとマイクスタンドを固定するためのビニールテープが
当時のライブ会場で見た時よりも、少し「お上品に(笑)」巻いてあったものの
マイクスタンドを抱き寄せるような甲斐さんの仕草は当時のままだったらしく
「この頃の甲斐さんの声」にヤられまくり(笑)
夜も日も明けない毎日を送っていたことが、一気に甦り「少女」に戻ってしまったみたいです(笑)

そうそう!顎を上げて、下目使いにカメラをご覧になりながら歌っていらした甲斐さんが
「♪おまえの心は逃げてく♪」の「おまえ」のトコで
カメラに向かって指を突き出された時には、黄色い歓声ならぬ、呻き声のような悲鳴を上げたらしい(笑)

まあ、かつて、ジュリーが「♪君だけに~君だけに~♪」と歌われる際に
突き出された人差し指を「ゴールドフィンガー」と呼んだ時代もありましたもんね?(笑)

ボクは、この曲のラストで、長岡さんが大森さんのそばに進み出て来られ
時折、右隣に立っておられる甲斐さんと視線を交わされ
にこやかにプレイなさっているのが印象的でした♪

「きんぽうげ」の演奏が終わると、MCの大石吾朗さんが、拍手をしながら登場され
「どうも、皆さん、ご苦労様!どうぞ、こちらへ来て下さい」とメンバーの皆さんに声をかけられ
カメラに向かっては「えー、とにかくですね、彼らのステージを1度観たらばですね
その席でもって、黙っていられなくなるという
そういう女の子も沢山いるんではないかなと思うんですけど…」

…と、この当時のDJ風というか、芸能ニュースのナレーター風の喋り方(笑)で、コメントなさったあと
メンバー全員が揃われたのを確認なさって「えー、初登場という訳で…
それでは、皆さんに自己紹介をして頂きたいと思います、どうぞ!」と振られると

まず、大石さんのすぐお隣にいらした長岡さんが「ベースギターの長岡です」と名乗られ
続いて、そのお隣の甲斐さんが「えー、リーダーをやってます甲斐です…甲斐よしひろです(笑)」
次に「それから、ギターの大森です」…最後に「ドラムの松藤です」と自己紹介なさったトコで
「それから、約1名…(メンバー4人の)後ろに…」と大石さん

甲斐さんが「あのー、キーボードをやってもらってる、セッションの豊島(修一)くんです」
…と紹介なさると、メンバーの皆さんが拍手され
甲斐さんは「いいですね、1人だけ拍手もらって…(笑)」と、おっしゃったのを拝見して
久しぶりのテレビ出演とは思えないくらい、結構リラックスなさってるんじゃないかと…?(笑)

ともあれ…大石さんが「えー、とにかくですね
(甲斐バンドのステージは)迫力のあるステージっていうんで
かなり、皆さんの間でも、ご覧になっている方、沢山いると思うんですけどね
ところで、あのー、ポプコンに出たことのある人が、かなりいるっていう話で…」

…と、この番組に出演するにあたっての「許可証」的に話を振られ(笑)
甲斐さんはもちろん、メンバーの皆さんも「全員」「全員出てる」と頷きながら返されると
大石さんが「あっ、そうなんですか?じゃあ、合歓(の郷)とかつま恋(本選)まで…?」と質問なさったんだけど

甲斐さんファンの皆さまは、ご存知の通り、甲斐さんは、ポプコンで演奏した曲の版権が
主催者のヤマハに渡るという条件をヨシとなさらず、本選出場を辞退された
…という経緯がおありだったため、ちょっと答えにくい?(笑)この質問の際には
松藤さんの方にお顔を向けられてました(笑)

その松藤さんが「イヤ、つま恋は…合歓に行きまして…(『あっ、合歓の郷に?おや~』と大石さん)
見事に落ちました(笑)」とお答えになると
大石さんは、松藤さんを指差されながら「…で、彼が出た時の曲を
あなたが(…と大森さんを指差され)書いたんですって?」とお訊ねになり

大森さんが「ええ、そうです」と頷かれると「あっ、そうなんですか!」とおっしゃってましたが
メンバーの皆さんから、予めお聴きになっていたのであろうエピソードのやり取りに
ちょっとムズムズする感じを受けた(苦笑)のは、さておき

ある人を指し示される場合には、指差しではなく、手のひらを上に向けて欲しいなあと…(苦笑)
ナンか「犯人はお前だ!」と弾劾してるみたいな感じがして
話の内容が入って来にくい、ものすごい違和感がありました(苦笑)

それはともかく…続いて、大石さんは「甲斐くんね、このメンバー、どういった感じで…
どんな風に集まって来たんですか?」と質問
奥さんは「甲斐くんね」と呼びかけられた時から
その大石さんのお顔をじっとご覧になっていらした甲斐さんを拝見して

「目が悪いせいもあるかも知れないけど、ホントに真正面から人の目を見るよね」…って
自分は、甲斐さんから、そんな視線を向けられたら「絶対、目を逸らしてしまう(笑)」んだとか…(笑)
あっ!でも、甲斐さんがステージ上にいらっしゃる時は
「仕事なんだし、見られてナンボでしょ?(笑)」とガン見できるらしい(笑)

ともあれ…甲斐さんが「あのー、僕が1人で(『照和』で)やってて…で、弾き語りでやってたんですね
…で、結局、プロになるのも1人で決めちゃったみたいなところがあって…だけども、こう…
1人で歌うよりも、これからはバンドの方がいいんじゃないかっていう打算的なところで…(笑)

イヤー、あのー、技術が上手いっていうよりもね、あのー…」と説明の途中で言葉を探されていると
大石さんが「気心が知れた方がいい?」と助け船を出され
甲斐さんも「気心が知れた方がいいなと…」と、おっしゃった途端
「そうすると、下手なんですか?みんな?(笑)」と大石さん(笑)

まあ、甲斐さんを始め、メンバーの皆さんも大笑いなさってましたが(笑)
甲斐さんは、甲斐バンドを解散なさる際に
「アマチュア時代から、ずっと一緒にやって来た仲間で組んだバンドというのは、1つしかない
この先、もしバンドを作ることがあっても、それは全く違うものだから…」と話されていたし

当時はまだまだ遠かった東京で「一旗揚げるまでは帰れないという
覚悟を持ったメンバーじゃないとダメだ」との思いで、お選びになったんですよね?

そして、その直後に大石さんが「そんなことはないでしょうけどね…それで集まって来た…
しかし、かなりワンマンだって話を聞きましたよ
彼は(…と松藤さんを指差され)ホントはギターやってたのに、ドラムにしちゃった
その辺の矛盾は感じなかったんですか?」とツッコまれ(笑)

甲斐さんは、大石さんが松藤さんを指差されている腕を降ろすように抑えつつ
「バラしちゃダメ(笑)」と笑っておられたけど
我が家は、その件に関する「首謀者(笑)」でいらっしゃる大森さんの笑顔にクスクス(笑)

松藤さんは「若かったですからね(笑)」と返されたものの
大石さんから「今、納得いってやってます?(笑)」と訊ねられ「ちょっと後悔…」と苦笑い(笑)

甲斐さん達とプロになるとお決めになった直後に
もっと気心が知れたイチローさんが、松藤さんを東京へお呼びになるつもりで電話をおかけになった
…というタイミングのズレがなかったら「ドラムス、松藤英男!」のコールはなかったでしょうし
そもそも、この「甲斐バンド」は誕生しなかったんですもんね?
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HAPPY GO LUCKY!(12/12)その2

2025-01-27 17:56:00 | メディア
1978年の大村市民会館での甲斐バンドライブの音源から「そばかすの天使」を流されたあと
「今年の6月に、このね、1978年の市民会館での音源をお聴かせしたことがあるんですけど
これ、46年前ですもんね…音質はイマイチですけど(笑)コンサート会場にあるラインの卓でね

あそこから、あのー、直接カセットテープに録ってあって、だから、拍手とか遠いですよね
あのー、歌ってる声とか、その…録れてるんですけどね
27才でしたよ…(『おおーっ!』と、しおねんさん)…そう、27…

今夜はね、その甲斐バンド特集でお届けしてますけど、大学時代の話をしましょうかね
福岡の天神にある『照和』っていうライブハウス…有名ですけど、そこで甲斐くんと出会いました
『いい作品を作って歌ってるヤツがいる』と
同じ下宿に住んでいて、一緒にバンドやってた、ギタリストの大森くんに声をかけてね
3人でライブ演奏するようになったんですよ

…で、甲斐くんのバッキングを、ギターの大森くんと、私がベースを弾いてやってて…
…で、天神でライブが終わると、最終バスに乗って、私の下宿に来て
ほいで、音楽の話ばかりしてました」…と話されてましたが

甲斐さんは、デビュー後のインタビューで…「音楽の話がしたい時は、大森信和の部屋へ行って
バカ話をしたい時は、長岡和弘の部屋へ行ってた(笑)」…と、おっしゃってます(笑)

それはともかく…「彼(甲斐さんは)、視力が悪かったので
バス停から、田んぼの中を、こう…横切って、こう…(下宿へ)行くんですけども
真っ暗な田んぼの中に、こう…私がね『ここに、幅にして2メートルくらいの溝があるから
落ちないように…大きい(溝だから)…あの…走って来て跳ばなくちゃダメだよ』って言って…

電信柱の影みたいなの、映ってんですけどね
そこね、思い切ってね、気合い入れて、ジャンプさせてたんですよ(笑)それ見てて、可笑しくて…
最初、僕が跳ぶんですよ、何もない所をピョンと…『結構、幅あるからね』って言うと
『どこ?どこ?…そこ?よし!じゃあジャンプする!』って、彼が跳ぶんですけどね

そういうウソついて、よくね、手探りで必死になってジャンプする
甲斐くんの姿に大爆笑してた」と話されてるのを拝聴して
奥さんは「長岡さん、ヒドイよねぇ(笑)」と言いながら
呼吸を整え、慎重に助走の距離を取って、真剣にジャンプなさっている
若き日の甲斐さんの姿を想像したらしくクスクス(笑)

ともあれ…「翌日、バスに乗って帰る時に…
『長岡、溝があるって言ってたけど、どこにもないじゃん?』ってね
『アレ、わざとだよ』って言ったらね」と長岡さん
種明かしをされた甲斐さんが、どんな反応をなさったのか?(笑)…と
興味津々で耳を傾けていたんですが、いきなり話が変わってしまい(苦笑)

仕方なく我が家では…「ナンだよ!それ!」と怒ってスネた(笑)とか
「イヤ、意外に、必死にジャンプした自分の姿を思い返して大笑いしたかも知れない(笑)」とか
「お兄さん達にからかわれることに慣れっこだったみたいだから
年上の長岡さんのイタズラも『ああ、またか』くらいで流したんじゃない?(笑)」

…などと、勝手に妄想を膨らませていたんだけど
結局、当時の甲斐さんは、年長の方が、ちょっと「かまってみたくなる」ような
マスコット的な可愛いさを持った青年でいらしたんだろう?…ということで落ち着きました(笑)

さて、その変わってしまった話というのは…
「ほいで、よくね、甲斐くんのお家にも、たびたび深夜にお邪魔しました
男ばっかりの3人兄弟で、2階の部屋にね、並んで寝てました
お兄さんが2人いて…そいで、ナンか、夜遅くに帰る訳ですよ、(お兄さん達が)寝てるところに…」

…と、おっしゃってましたが、甲斐さんは、4人兄弟の末っ子でいらっしゃるので
長岡さんが、甲斐家を訪問されていた頃には
二番目のお兄様が、独立なさっていたのかなあと…?

ともあれ…「おうちは、床屋をやってらっしゃったから、もう…
一番上のお兄さんは、もう、床屋をやってたんで、朝早いから、寝てんのに
俺たちが帰って来て、レコードかけたりして
ガサゴソ、ガサゴソする訳ですよ…よく怒られた(笑)

それで、あのー、夕ごはんの残りのすき焼きを食べたのが
それはそれは、美味しかったのを覚えてます
なあんか、鉄鍋に入って来てて…『長岡、すき焼き、冷たいけど食べる?』とかつって
食べて、旨かったなあ!アレは、うん

その(笑)…それに、寝てるところに…夜中にね、ガバッと起きて…
レコードかけたりして…泉谷しげるをかけて『これ、いいよね』とか、やってると
もう、お兄さん達が『お前たち、うるさい!』とか言って、起こしてしまう訳ね

怒られてもさ、もう、お兄さん達からは、いつもからかわれて
とても楽しかった思い出があります…と懐かしそうに話されてましたが
甲斐さんからは、メンバーの皆さんをご自宅に招かれた話を聴いたことがなかった奥さん

妙安寺ファミリーバンドの皆さんの「合宿所」に、プチ家出をなさって
木下聖雅さん達とご一緒に、福岡大学の学食で、ごはんを召し上がったり
たまに、教室にまぎれこんで、講義を受けられたり
門田一郎さんに誘われて「フォークソング愛好会」の野外コンサートに出演なさった…といったことや

前述のように、長岡さんと大森さんの住んでいらしたアパートへ遊びに行かれた話は
何度も耳にしたことがあったものの、この長岡さんのエピソードは初耳だったらしく
福岡でのライブの際に、長岡さんが、甲斐さんのお兄様方と親しげにお喋りなさっていたのは
「アマチュア時代から、そんな風につき合いがあったからなんだ!?」と納得しておりました(笑)

それはさておき…「先月のね、23日の(Zepp FUKUOKAでの)ライブの時も
『そばかすの天使』が…これ、ベースが完全コピーでした!私が弾いたのと…
ちゃんと弾いてましたね」と長岡さん

そう言えば、ライブハウスツアー中のMCで…甲斐さんが、ベースの岡沢さんに
「長岡は、かなり自由に弾いてたけど、どうする?どうやって弾く?」とお訊ねになったら
岡沢さんは「そんなもん、完コピですよ!完コピ!(笑)」と返された(笑)
…っていう話があったんですよね?(笑)

「(ライブが)終わってからは、甲斐くん、松藤くん、お兄さん達も一緒にね
あのー、楽しいひとときでした、うん」と振り返られたあと
「さて、今夜最後の曲になりますけども…12月の甲斐バンドと言えば、この曲ですね
お聴きください…『安奈』です」…を流され

この番組が始まった当初に戻ったかの如く、30分で5曲という大量放出でしたが(笑)
この最後の「安奈」だけは、フルではなく「♪虹のように消えたけど~♪」のトコで
しおねんさんが「お聴き頂いた曲は、甲斐バンドで『安奈』でした」とカットインなさってました(苦笑)

長岡さんは「これは冬の曲ですけどね、録音は夏だったような気がしてます
ジャケット写真もね、夏に撮ったような記憶があります」と、おっしゃってましたが

「安奈」のレコーディングは、「HERO」がオリコンチャートで1位を獲得すると判った際に
甲斐さんが、マスコミが殺到するのを避けるため
福岡のスタジオを押さえて、レコーディングなさったものの、あまりお気に召さなくて?
その後、東京のスタジオで、浜田省吾さんを巻き込んで(笑)録り直されたんですよね?

あと、甲斐さんが「ジャケット写真を撮影する時に
メンバー4人全員が、バッチリ写ることはないんで、絶対、誰か1人が犠牲になる(笑)
僕が犠牲になったのは『安奈』のジャケットです(笑)」と話されていた
そのジャケットは、確かに、皆さん「夏の装い」でいらっしゃいます(笑)

そして…「私の姪っ子の友人が、甲斐バンドのファンで
娘の名前に『安奈』と付けたそうです」と長岡さん
しおねんさんは「うーん、ステキ!」とおっしゃってましたけど
甲斐さんは「俺は責任とれないから…」と、嬉しさ半分、戸惑い半分っていう感じでいらしたような気が…?(笑)

最後に…「ね?今夜はね、甲斐バンドの特集で、5曲お聴かせしましたけども…
あまり、皆さんが知らない作品、そしてエピソードでした。楽しめましたかね?
現在、甲斐バンドは50周年記念ツアーですね、大村にも呼びたいですけど…

(『私のお母さん、好きなので…』と、しおねんさん)
あっ、そうか?(笑)…お声がけはしてるんですけどね、ハーイ」…と、さらっとブッ込まれ(笑)
しおねんさんが「さて、また来週ですね」とメッセージ募集の告知をなさって
お二人で「それでは、また来週~!」と告げられたトコで、バックに流れ続けていた「安奈」も終了…

その30分後、長岡さんが、オンエアー曲の紹介と共に…
「今夜は、お待ちかねの甲斐バンド特集をお届けしました
懐かしい、皆さんが知らないお話でしたが、話せばキリがないほど
まだまだ語りたかった今夜の特集…楽しめましたか?」とポストなさっていたんですが

アルバムでは「マイ・ジェネレーション」まで
ライブは、1979年の春のツアーまでの甲斐バンド活動でいらしたとはいえ
アマチュア時代から始まって、デビュー直後の共同生活
そして何より、年間100本以上のツアーを経て来られた方のお話は、とても貴重ですし
ご本人もおっしゃる通り、語り尽くせないほどのエピソードが、まだまだ沢山おありでしょうし
是非とも、甲斐バンド特集第2弾を企画して頂きたいです♪
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HAPPY GO LUCKY!(12/12)その1

2025-01-25 19:10:00 | メディア
「いつの話だよ?」って感じですけど(苦笑)甲斐さんが、ライブハウスツアーのMCで…
「長岡が一番アウトローだ」とおっしゃったという、問題のラジオ放送です(笑)

「今夜はね、先週お知らせした、甲斐バンドの特集をお届けします!
全部、甲斐バンドで行きますからね」と長岡さん
「まず、1曲目に…アマチュア時代のデモテープが音源なんですね
アナログテープをカセットにダビングしたものなので、音質は良くないです

プロがレコーディングした訳じゃなくて…ご勘弁ください
甲斐バンドになる前の甲斐バンドが歌ったものです
お聴きください。可愛い曲です。『アップルパイ』です」と
早速、件の「デモテープ」から流されてました(笑)

曲が明けると…「若いでしょ?声が…(笑)
(『イヤー、可愛い曲!可愛い~!(笑)』と、しおねんさん(笑))
歌ってんのが、今は亡き大森くんなんですよね…(大学時代の)下宿で一緒だったんですよ
ベースは、私が弾いてんですよね。ステージではね、よくこの曲を演奏してました

この前、あの…23日…先月の23日、福岡で(甲斐バンドの)コンサートがあったんで
会って、またワイワイ話をして来ましたけど…」
…って、その際に、この「デモテープ」に収録されている曲…
「KAIBAND STORY BOX」のボーナストラックに入らなかった曲も
「すべてラジオでかける」とおっしゃったら
甲斐さんから「ヤメろ!」と止められたんですよね?(笑)

ただ、甲斐さんは、この放送をお聴きになってなくて
「甲斐バンド特集」がオンエアーされたことだけ、お知りになったらしく
「止めたのに、もう流したんでしょ?」ということで、長岡さん「アウトロー」説が浮上したようです(笑)

それはともかく…「ナンかね、甲斐バンドって、強面のイメージが、いつの間にか付いてたんですけど
1曲だけですね、こんな可愛い曲も歌ってたんです
まっ、フォーク調のね、曲が、このアマチュア時代には多かったんですよ
ギターばっかりでね、ドラムがいなかったせいもありますね

エレキギターにはアンプが必要で…ギター演奏するのにね
私たち学生には、経済的に買えなかったんで、ギター1本で、こう…弾いてたんだけど、それはね、なお多かったんですね
ナンか、ギターとアンプ、買える時代じゃなかったんですよ

高かったですもんね、二十何万とか、あん時…大学卒業の初任給が6万の頃ですよ
二十何万なんて買えないでしょ?…(『そうですね』)…ギターもね、30万とかするから
『そんなの買えないよね』みたいな感じでね…
高くて5~6万のヤマハのギターとか買って、ステージで、これ、弾いて…
だから、ギブソンとかフェンダー『欲しいよね』なんつってね

まあ、他にもね、このアマチュア時代に『京都』って曲があってね
私はもう、甲斐くんがもう『京都』って歌ってるの好きで、一緒にステージに立つようになって
そこへ、同じ下宿に住んでる…(先ほど流した『アップルパイ』を)歌ってた大森くんに声をかけて
そして、甲斐バンドの母体が出来上がったんですね…(『へえ~!』)」

…と話されてましたが、甲斐さんは「照和」でウエイターとして働きながら
一番集客数が低かった月曜日のステージを務めていらした頃に
客席の一番後ろで、ステージをご覧になっていた長岡さんのことを
「変な関係者がいるな」と思っておられたんですよね?(笑)

ともあれ…「続いてね、今日はね、曲ガンガン行きますからね
これもね、アマチュア時代にステージで演奏していた作品で
この音源はね、プロデビューした時の…1977年の、どっかの会場でのライブ録音みたいです
お聴きください…『恋時雨』です」…と、これもBOX SETのレアトラックから流され

曲が明けるなり…
「イヤー、恥ずかしいですねぇ(笑)でも、いっしょけんめい弾いてますねぇ、演奏して…」と長岡さん
「こん時、私、25才…しおねんは今いくつ?…(『今24です、一緒くらい』)…ああ、一緒か、ねぇ?

プロデビューしてから、持ち曲の中で、唯一のアップテンポの曲で
この8分の音符のベースが、ずっと『トントントントン、トントントントン』と
これ、ずーーっとね、ピックで弾くんですけど、ダウンストロークつってね

返しを使わないで、下にトントントントンと
これ、ずーっとやってると疲れるんですよ!たまに、ツルんですよ、たまに…
今、聴いてて、3番くらいでね、ミストーンしてますもんね(笑)抜けたりしてるんですよ、音が…

アマチュア時代の曲で(ライブで)演奏してる曲は、この他にね『ポップコーンをほおばって』って曲があって…
(『ああ!ハイハイハイハイ、知ってます!』)
この…ステージ最後の曲になることが多くてね、この『ポップコーン』…
すごい苦手な曲でした(笑)むずかし~!懐かし恥ずかしの作品です」
…って、以前にも「苦手」とおっしゃっていたので、ホントにそうだったんですね(笑)

「あっ!続けて行きますよ!この曲をね、好きなファンが多かったので選曲しました
ライブの定番曲でした。聴いてください。『テレフォン・ノイローゼ』です」
…と、シングルバージョンを流されてましたが
奥さんによれば、この当時の女性ファンは皆さん
甲斐さんが、この曲を歌われる時の声に悩ましさを感じていらしたんだとか…(笑)

曲が明けると…「ナンか、とってもね、歌詞がカッコいいんですよね
当時、22~23才くらいの彼がね…甲斐くんが『作詞のセンスが素晴らしいな』と思ったんですよねぇ
この『テレフォン・ノイローゼ』は、シングルで発売されたんですけど
一番売れなかったと思いますね…(『ええーっ!?』)…レコードはね

でもね、コンサートは、どこの会場も8割以上のお客さんで
コンサートのたびに、お客の数が増えて行くのを実感してましたね
この頃…『コンサート、いっぱい来てるのに、レコード売れないねぇ」みたいな感じ
(『へえ~、そうなんですね?』)…うん

年間100本以上のコンサートをやってたんですよ!最近ないよね?
最近のアーティストは、九州に来て、九州で6ヵ所とか
東北・北陸で何ヵ所って、クルクル回るでしょ?
当時は、そういう風になってなかった…(『ええっ!?』)…そう

今日は宇都宮、明日は鹿児島、そして仙台に行って、翌日、東京に戻って
その翌々日は名古屋、そして静岡…みたいな
もう、あっち行ったり、こっち行ったりするんですよ…(『へえ~!そうなんですねぇ』)
『3日前に、このへん来たよね?』みたいなね

それはね、その…日本全国のコンサートを呼ぶ、イベンターっていう会社がね、なかったんですよ、昔…
あの…プロレスやる所とか、演歌の(歌手の興行師)…そういう人たちが、呼んでたの…(『ええーっ!?』)
ちょこっとコワイ人たち(笑)…(『ちょこっと?(笑)』)…うん

…で、今のようにね、東北はこのイベンター、北海道はココみたいなの、なかったんですけど
…で、地区別に、そういうツアーが出来るように、あのー、イベンターが出来上がって
そういう風になったのは、新幹線が福岡まで延長されたこととか

それとか、チューリップとか甲斐バンドが、コンサートツアーをやってたっていうのがあって
それで、イベンターが一緒に成長して行ったっていう…そうなんですよね
アリスとチューリップと私たちでしたね
だから、北陸ツアー、北海道ツアーとか、そのうち決まるようになって…(『ふーん』)

そう!この頃、ナンかね、レコードとしては、あまり売れなかったけど、ライブは熱かったですね
名古屋が、ある日突然、めちゃくちゃ興奮した、お客さんが…
そっから、ライブがすごく、お客が増えるようになったのを覚えてますねぇ…」

…と、ボクは、これまで、中島みゆきさんから「プロレスの巡業か!(笑)」ってツッコまれた(笑)という
甲斐バンドの年間100本以上のツアーは「移動日も含めたら、半年以上、旅に出ておられたんだなあ…
そりゃ、甲斐さんが『ツアーは暮らし』とおっしゃる訳だ」…と思っていたんですが
こんな効率の悪い回り方をなさっていたとは…(汗)
若さと情熱があってこそ、為せる生活ですねぇ…
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雑感もろもろ

2025-01-24 15:04:00 | 日記
年末から年始にかけて、何かと取り込んでいた間にオンエアーされた番組を
後追いでチェックした感想などを幾つかご紹介しようと思いますが
まずは、甲斐さんの事務所から届いた最新?情報から…

「kainatsuさんとの対談掲載の書籍予約受付中!
静岡ラジオ局『K-MIX』の番組スタート10周年を記念した書籍に
甲斐の対談インタビューが掲載・発売されることになりました。
書籍は予約販売のみ。2025年1月31日までの予約受付です」とのお知らせが届き
奥さんは、すぐに予約しておりましたけど(笑)

この本については、昨年11月8日に、Kainatsuさんが、D.W.ニコルズのわたなべだいすけさんと
パーソナリティーを務めておられる
静岡のラジオ番組「LIFE!LIFE!LIFE!」…通称「ラララ」の10周年記念本
「ラララBOOK」に関するK-MIXの公式X…

「ラララBOOK スペシャル対談決定!
特別版と通常版にだけ収録されるスペシャル対談 気になるお相手大発表
わたなべだいすけ × 芦沢ムネト・Kainatsu × 甲斐よしひろ」…を引用なさって
「です。対談はこれからやります。どうなることやら」と投稿され

11月25日には「ラララ10周年記念本の企画で
父と『ラジオ』について対談してきました 面白かったーー!!!
父の話題の豊富さと切り込み方は相変わらずですし、とにかく色々話してわかったことは
『DNAってすごいな』と(笑)ぜひ読んでほしいです」とポストなさっていて

奥さんは、どちらのXを拝見した時も「ここだけでしか読めないスペシャル対談も収録される
特別版の予約購入はコチラから」という案内に従ったものの
「ナンか、種類がいっぱいあって、どれを選べば、この対談が読めるのか?判んない」と撤退(苦笑)
今回、ようやく予約が出来てホッとしたようです(笑)

まあ、我が家は熱心なリスナーではないんだけど
甲斐さんご自身も、この番組にゲスト出演されたことがおありだし
Kainatsuさんが、時々「父」のエピソード(笑)を披露なさったりもするし
何より「ラジオ」というテーマで「DNA」をお感じになったという
Kainatsuさんの言葉に、とても心惹かれますねぇ(笑)

続いては、前々回の「LEGENDS」だったか?番組の最後に甲斐さんが話されていた
「伊集院光&佐久間宣行の勝手にテレ東批評」に甲斐さんの話題が登場した件(笑)
イヤ、その前に、甲斐さんが、やはりご自身のラジオ番組で
この「テレ東批評」がお好きだとおっしゃっていたのが、お耳に入ったらしく?

11月16日の放送の冒頭、いきなり伊集院さんが
「テレビの収録とかで、色々タレントさんに会うじゃないですか?
特に『格の高い』とか『有名な』とか、大先輩みたいな人が
『伊集院さん、アレ観てますよ』って言う時って
たいてい、NHKの『100分 de 名著』…アレなんですよ
アレ、名取裕子さんとかが『観てますよ』とか言って下さるんですよ

…で、今回、甲斐バンドの甲斐よしひろさんが、絶対に欠かさない番組で、コレが!」と話されると
佐久間さんも「番宣番組なのに!?(笑)」とビックリなさってました(笑)
ちなみに…この時、画面の左下には甲斐さんのアー写が出ていたので
甲斐さん側には、予めお断りがあったんじゃないかと…?

ともあれ…「番宣番組なのに、見逃した日は、配信まで観てて…
どういうことなんだろ?意味が判んない(笑)
判んないけど、もし居合わせたら『ヤメた方がいいですよ』って…(笑)
(『すごいアーティストだよ!ね?』と佐久間さん)

(甲斐さんが)この番組、観てますんで、心して…
(『甲斐さんが観てて、甲斐さんにハマろうと思ったら、絶対失敗しますよ(笑)』)
甲斐さんのハマり方も判らない(笑)」とおっしゃって、お二人で笑っておられましたが

我が家も時々、この番宣番組をTVerで拝見して
実際に、番組内で紹介された番組を観てみたら面白かったし
「やっぱ、テレ東はイイな、自由で…(笑)」と思っていたので(笑)
この放送回をリアタイした時は「さすが!情報が早いわ(笑)」とクスクス(笑)

それにしても、出演者の方から「ヤメた方がいいですよ」と言われる甲斐さんって…(笑)
でも、もし、この先、甲斐さんがテレ東の番組に出演なさる機会があって
この番宣番組のゲストとして、オファーされたら、喜んでお請けになるような気が…?(笑)
ナンなら、その出演番組以上にノリノリでいらしたりして…?(笑)

それはさておき、気がかりなのは…「ダウンタウンDX」で、毎年恒例の「最強運ランキング」
星座と血液型の組合せ48通りを、強運の順にランキングするという企画で
第1位と最下位を除いた、第47位から発表が始まった途端
いきなり「おひつじ座O型」がランクイン…(汗)

当たるも八卦、当たらぬも八卦と思いつつも
「先行き不安で大混乱。強引に動けば失敗の可能性大」との占い結果が表示され
ボクが「新年早々、ヤな感じ…」と言ったら
奥さんは「ええーっ!?松藤さん、大丈夫かなあ?」…って、そっちっすか?(苦笑)

そして、その後も「おひつじ座AB型」が45位「射手座B型」が43位
「おひつじ座A型」が42位「射手座O型」が40位
「射手座AB型」が37位「射手座A型」が34位…で
「おひつじ座」「射手座(イチローさん)」は壊滅状態となり(汗)
最後に、第1位と最下位が発表される頃には
「おひつじ座B型」が最下位だと確信しておりました(苦笑)

その確信が事実と判り「おひつじ座B型」の甲斐さんは…
「短気な性格が災いし、すべて失う。邪魔者が多く、前に進めない1年」…と表示されると
「今年の甲斐バンド、ヤバくね?(苦笑)」と奥さん(苦笑)

もっとも「HERO」がリリースされた1978年は、甲斐さんが後厄、松藤さんは本厄の年でしたし
ご本人たちよりも、周りの近しい方々が、代わりを引き受けられるパターンかも知れませんね?
ご家族や親しい皆さんに、注意して頂いた方がいいんじゃないかと…(汗)

一方で…「ホンマでっか!?TV」の「自力で運勢を上げる方法」では
「『自分は運が良い』と思っている人の身の回り」を
30年間、1万2千人を対象に調査しているハーバード大学によると
「運が良い」と思っている人の友達も、幸福度が15%アップし

更に、その友達の友達…「運が良いと思っている人」とは面識がなくても…も、10%アップするらしく
「幸福度は3人まで伝染する」という結果が出ているそうで
「麻雀の引きが強い」とおっしゃる(笑)甲斐さんの周りの皆さんも大丈夫かなあと…?(笑)

あと…「運を掴むためには事前の準備で8割が決まる」とのことなので
そういう意味でも、甲斐さんはバッチリでいらっしゃるし
「ミスをしたり、ツイテないなと感じることがあっても、それを引きずることなく
『それだけのこと』と断ち切って、切り替えが出来る人は運が良い」みたいで
「悩みがあっても、とりあえず寝る!」という甲斐さんは、やはり運が良い方かなあと…?(笑)

更に…「携帯電話の通知をオフにしている人は、運を掴みやすくなる」…って
これは「(携帯電話の通知などで)いったん集中力が切れると、その回復に23分かかる」ことから
肝心な時に、集中力が落ちていて、大事なことを見逃してしまうためらしいんだけど
携帯電話を車に置いていらっしゃる甲斐さんに「通知」は無縁ですよね?(笑)
ちなみに…オフにしている通知を、定期的に自ら確認するぶんには、集中力が落ちないんだとか…

それはさておき…
我らがテレ東(笑)の「3秒聴けば誰でもわかる名曲ベスト100」に「HERO」が登場し
「昭和53年の曲」というくくりの場面で、1996年の武道館ライブの「HERO」の映像が流れ
甲斐さんが歌っておられるカットに「甲斐よしひろ(当時43歳)」というクレジットが出たんですが

画面の左端に、縦書きで「昭和53年の曲」というテロップが出たまんまになっていたので
「昭和53年に43歳」と勘違いされたらしい方が
「計算したら、甲斐よしひろって、今90歳!?ビックリした!」とポストなさってました(笑)

ボクが「イヤイヤ、いくら甲斐さんが健康に気を使っておられると言っても
90歳でライブハウスツアーはムリでしょ?(笑)」と言ったら
奥さんは「イヤ、もしかしたら、私たちファンが、杖を突きながら
ヨロヨロでスタンディングしてる前で、マイクスタンド蹴り上げてるかも知れない(笑)」とクスクス(笑)
「そう言われれば…」と思わせてしまう甲斐さん、恐るべし!ですね?(笑)
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