ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK45

2016-04-30 10:26:02 | 日記
さて、甲斐さんの「サンスト・シーズン1」も残すところ、あと5回…
カラオケ大会の後、番組は2週お休みだったみたいだけど
その間には「甲斐バンド in 箱根」があったんですよね

離婚発表後のインタビュー記事によると…
「箱根の時なんか、もうガマンの限界だったね、正直言って」と甲斐さん

「でも、言っちゃうと、どうしてもコンサートが湿っぽくなるじゃない
湿っぽいコンサートっていうのは、これはいけませんよ
お客は金払って来るんだから
泣いても笑っても、やっぱり最後は楽しめなきゃね」

「俺たちはツアーを4トン車3台に2トン車1台使って動いてる訳よ
スタッフも20人くらいいて…
ハッキリ言って、かなりのセン行ってる訳よ
でも、離婚の時は、そういうモンでまぎらすことは出来ない
愛ってのは別の次元のものだって、つくづく思ったね」と話されてますが

「ちょっと女にこりごりって気持ちもあってさ
そうなると戦うしかないんだよな
せめて自分たちの志を高い所へ持って行きたい
この10ヶ月、俺たちを求めてくれる人たちのことしか考えてないよ」

…との言葉通り、破格の3枚組ライブアルバム「流民の唄」は
「俺たちのホントのファンのために作ろうと決めたのね

ツアーやってて、会場に押しかけて来てくれたファン
彼らのためにLP作るんだって、マネージャーにも言った
今度のLPは40万枚売れなくていい
20万枚でもホントのファンに感謝する意味で作ろうよってね」と
レコード会社とのセメギアイにねばり勝った動機について説明され

「そういうメゲてる部分も全部赤裸々に出し切って
その上で、メゲながらもザッツ・エンターテイメントなんだよって
わりとマジに思ってるね、俺
誰かが、俺のステージは裸の甲斐よしひろそのままだって言ったことがあるけど
ホントすべて出し尽くしたプロレスよね」とおっしゃってます

その夏休み明け、1980年8月20日の放送では
大瀧詠一さんの【サイダー'73、'74、'75】(笑)
【ビューティフル・エネルギー】
六文銭【夏ふたりで】チューリップ【箱入り娘】
斉藤哲夫さん【グッド・タイム・ミュージック】愛奴【ふたりの夏】

翌週は、ブレッド&バター【ジャパニーズ・ウーマン】
八神純子さん【パープルタウン】吉田拓郎さん【いつか夜の雨が】
佐藤隆さん【アジャンタ】松任谷由実さん【星のルージュリアン】【漂泊者】

9月3日の第83回放送では、佐野元春さん【ガラスのジェネレーション】
そして、あのビジネスの【痛いマイハート】

後にこの曲をカバーされた烏丸せつこさんのヌード・グラビアを
ご覧になった甲斐さんが「こういうのもイイもんだな」と作られたという
【一世紀前のセックスシンボル】

ご本人は「頭カラッポって、ひどい(笑)」とおっしゃってましたが(笑)
「ソフィア・ローレン、ラクウェル・ウェルチ」
後には「シャロン・ストーン、シンディ・クロフォード」にも
「負けやしない」んですよね(笑)

坂本龍一さん【ウォーヘッド】と最後に【LADY】
この「選曲リスト再現」のページに記された
「甲斐よしひろの好みが見えそうだ」というキャプションには
「その時時の甲斐よしひろの心境による好み」との意味も
含まれているんじゃないかと…?

ラス前の放送には中島みゆきさんがゲストでご出演♪
1曲目の【聖夜】を除き
湊剛さんが予め始末書を用意なさっていた(笑)【狼になりたい】

「英国貴族のお遊びか?」vs「毛皮のちゃんちゃんこに火縄銃か?」という
甲斐さんの「確認」から盛り上がった(笑)【キツネ狩りのうた】
それに【舟を出すのなら九月】とすべて中島さんの曲…
って、4曲?少なくね?(笑)

「みゆき」「よっちゃん」と親しみを込めてお呼びになったり
プライベートでも、よく飲み屋で遭遇されたり
お互いの番組で曲を流され、エピソードを話されたり…と
一時は「結婚」&「結婚しない」報道で
世間を賑わせたお二人ですもんね(笑)

そして、最終回は「甲斐バンド」特集…かな?
レコーディングのかたわら、秋のツアーが始まっていらした頃
「ツアー」を歌われた【熱狂】に始まり

アルバム発売前に出来立てホヤホヤの収録曲…
【地下室のメロディ】【ダイヤル4を廻せ】【街灯】…を披露され
約2年間担当なさった番組の最後に
【翼あるもの】を選ばれたのも甲斐さんらしいなあと…

コメント欄には「あまりにもあっさりと明るかった最終回
信じられなかった次の水曜日
烏丸せつこの声に頭を打ち砕かれた」と記されてますけど

奥さんも同じような気持ちだったらしく
甲斐さんの言葉を神のお告げの如く(笑)聴いて来たために
しばらくは「これからどうしよう…」と悩んだんだとか…(苦笑)

もっとも、その後も「甲斐さんならどうするだろう?」を基準に
考えて行動することになったみたいだけど…(笑)

今のセイヤングとは違って、甲斐さんも奥さんも若かった(笑)頃のこと
ゲラゲラ笑って楽しむのはもちろん
その中に「ヒリヒリするような」言葉や
また「心を揺さぶられるような」話が盛り込まれていて

放送が終わってから、次の水曜日までの1週間は
自分なりにその内容を咀嚼したり
流された曲を聴き込んだりするための時間だったようです
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機関紙BEATNIK44

2016-04-29 11:20:00 | 日記
1980年7月23日のオンエア曲は、もんた&ブラザーズ【どん底】
矢野顕子さん【ごはんができたよ】
サウストゥサウス【トライ・ア・リトル・テンダネス】
柳ジョージ&レイニーウッド【青い瞳のステラ…1962年夏】と【漂泊者】

甲斐さんが、甲斐バンドのラストライブでカバーされた
あの【ステラ】はこの頃からお好きだったんですね

【漂泊者】は当初、発売予定がなく
「ナナハン・ドラマ」の視聴者プレゼント用に
A面のみのシングルが作られただけだったそうだけど
問合せが殺到し、応募ハガキが激増したことを受けて
めでたく7月20日に臨時発売♪

この日は、そのリリース直後の放送日にあたる訳ですが
ドラマやこのサンストで繰り返し聴き込み(笑)
1ヶ月前の大阪ライブで、いきなり甲斐さんが歌い始められたこともあって
奥さんの中では「発売されてなかったんだ?」という気分だったらしい(笑)

ちなみに、その大阪ライブは
発売が正式に決定した4日後だったみたいです(笑)
その時の一番新しい曲が、イチバンのお気に入り…というより
ご自身の気持ちに一番合った曲…を歌いたいと思われるのは
今も変わっておられませんね(笑)

ただ、この発売が決定した頃
3月にリリースされていた【ビューティフル・エネルギー】が
ヒットチャートの10位にランクインしていたそうで
時期的に「ハチ合わせ」することを
タイアップの某化粧品会社にお詫びなさったんだとか…(苦笑)

翌週の第80回放送は、お馴染みの「カラオケ大会パート3」
いつものように(笑)水割りを召し上がりながら【想い出】からスタート

2曲目の【花の首飾り】は、松藤さんとのデュオ
アコギライブの原点でしょうか?(笑)

甲斐さんお気に入りの【モンローウォーク】の後
前回の【よせばいいのに】の流れを汲む(笑)【別れても好きな人】

パート4では【3年目の浮気】に繋がる(笑)このムード歌謡枠(笑)
流しのギタリスト・オイカワさんが、女性のパートを歌われたので

その後、カラオケ大会パート5を企画された際
最初にオイカワさんを探して来られたスタッフの方がいらっしゃらず
甲斐さんは「彼じゃないとオカマのナンとかちゃん(笑)は見つからない」と
説明なさってました(笑)

そうそう!パート4といえば、湊剛さんから
「前回の【砂山】みたいな童謡を何かやってくれ」と言われたと甲斐さん

「そんなにいっぱいある訳じゃないから(笑)」とおっしゃいつつ
口ずさまれたのが【ヨット】
以前にご紹介した通り、奥さんが子供の頃
初めて人前でエレクトーンを弾く際に選んで
誰からも共感されなかった曲です(笑)

甲斐さんご自身も「こういうマイナー調の曲を好きな子供って
どうなんだろうね…(苦笑)」と話されてましたけど
少なくとも奥さんは、やっぱりそういう大人になってます(笑)

それはさておき…続いては【月の法善寺横丁】(笑)
甲斐さんが歌いたいというより
松藤さんに「セリフ」を言わせたい一心で(笑)選ばれたような気が…(笑)
その期待に違わず?ノリノリで口になさってました(笑)

そして、次が【戦国自衛隊のテーマ】
「似てる」「そっくり」「甲斐さんが歌ってる」と話題になった曲を
ホントに甲斐さんが歌われたのを聴いて
奥さんは「だから、似てないって言ったでしょ(笑)」と…

【ああ青春】は、中村雅俊さんと松田優作さんW主演のドラマ
「俺たちの勲章」のテーマ曲で「俺たちの…」シリーズの
サントラを手がけておられたトランザムがオリジナルでしたが

甲斐さんは、作曲なさった吉田拓郎さんのカバーの方が
お好きだったみたいです(笑)

ちなみに…トランザムのリーダーはチト河内さん、ベースは後藤次利さん
後藤さん脱退後には、浅川マキバンドのベーシストで
甲斐さんのツアーにも参加されていた
富倉安生さんがいらっしゃいました

最後の曲は【そっとおやすみ】
かつての「夜の業界版【蛍の光】」ですが(笑)
この曲を歌い終えられた後に
甲斐さんが「おやすみなさい」と番組恒例の締めの言葉を口にされ
「とてもじゃないけど眠れなかった(笑)」と奥さん(笑)
…って、そうでなくても寝る時間じゃなかったんじゃ?(笑)

余談ですが、その後のカラオケ大会について少し…
パート4は、当時の甲斐さんのお気に入り【シルエット・ロマンス】で
しっとりと始まったかと思いきや
まさかの【ブルージーンズ・メモリー】(笑)

「ムッシュ(かまやつさん)より、こっちの方が好きだった」と
サリー&シローの岸部兄弟版【どうにかなるさ】を松藤さんと♪

でも【三年目の浮気】を歌われる際に
「どうにかなるさなんて、ホントにどうにかなるさってカンジで…(笑)」と
こちらの方が緊張されていたご様子(笑)

アカペラで【ヨット】から【大きな栗の木の下で】
後年、奥さんは「こんな風に子守唄を歌ってるのかな?(笑)」と思ったんだとか…

「弦アレ、バッチリね!(坂本)教授」と大絶賛だった【雪列車】
でも、奥さんは甲斐さんが「モノマネが出来る」とおっしゃっていた
【噂の女】が聴きたかったらしい(笑)

リクエストが多数寄せられた【悲しい色やね】は
以前のカラオケ大会で歌われた
【大阪で生まれた女】や【酒と泪と男と女】に続く
「関西テイスト」の曲と「思ったのかも知れないけど…」と話され
あまり乗り気ではなかったみたいです(苦笑)

ラストは【別離の黄昏】
この曲を作られた当時を振り返られた甲斐さんが
ご自身ではとても歌えなくて「研ナオコさんに提供した」という曲だけど
【別れても好きな人】も歌われたことですしね(笑)

パート5は、その研さん(小椋佳さん)の【泣かせて】
「サンクス」と書いて「サンクス」と読ませない(笑)
歌詞がイイとおっしゃっていた【モニカ】
歌われてる最中に勢い余って「マイクに突っ込みそうになった」そうだ(笑)

「こじんまりとした楽団(笑)」の演奏で【ワインレッドの心】の後に
「童謡枠(笑)」【アップルパイ】
ソロツアーでは「理性」をかなぐり捨てて(笑)歌われたみたいですが
奥さんはこの当時「甲斐さんがアップルパイを!?」との衝撃が強すぎて(笑)
まともに聴けなかったんだとか…(笑)

続いて【祭ばやしがきこえる】
…で、拍子木一発の(笑)【夢芝居】
最後は【ウィークエンド・ララバイ】と
かなり振り幅の大きな選曲ですね(笑)
あらゆるジャンルの曲を歌いこなされることもスゴイけど

「読むものがなければ、折り込みチラシでも読んでしまう」という
「活字中毒」にも似た「音楽中毒」の体質でいらっしゃるのかも知れません(笑)
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機関紙BEATNIK43

2016-04-28 07:48:19 | 日記
1980年7月2日の放送は、佐野元春さんの【アンジェリーナ】に始まり
松野こうきさん【クィーンはまぶしい】アナーキー【シティ・サーファー】
井上陽水さん【答えはアンダースタンド】吉田拓郎さん【あの娘といい気分】
最後にハウンドドッグ【嵐の金曜日】と、甲斐さん推しますねぇ(笑)

もちろん奥さんは、佐野さんやハウンドドッグのアルバムを買って
友達に薦めまくり(笑)ライブに誘ったりした訳ですが
その内の数人の方は、今も佐野さんのライブに通っておられるらしく(笑)
奥さんに感謝して下さってるそうだけど
何より佐野さんがずっと歌い続けていらっしゃることが素晴らしいですね♪

翌週から2週に渡って「懐かしのGS特集」が組まれ
パート1では、テンプターズ【エメラルドの伝説】
カーナビッツ【好きさ好きさ好きさ】
パープルシャドウズ【小さなスナック】
ハプニングスフォー【あなたが欲しい】オックス【スワンの涙】

フォーナインワン【ウォーキング・ザ・バルコニー】
ゴールデンカップス【長い髪の少女】と【本牧ブルース】
ランチャーズ【真冬の帰り道】モップス【朝まで待てない】タイガース【都会】

パート2では、アダムス【旧約聖書】
ビレッジシンガーズ【亜麻色の髪の乙女】ダイナマイツ【トンネル天国】
アウトキャスト【愛なき夜明け】ズーニーブー【白い珊瑚礁】

ワイルドワンズ【青空のある限り】タイガース【青い鳥】
レオビーツ【霧の中のマリアンヌ】加賀テツヤさん【ギター子守唄】
ジャガーズ【星空の二人】サベージ【いつまでもいつまでも】

…と、それぞれ11曲が流されてるんだけど
フルコーラスではなかったにしろ?
やはり、当時の曲は2~3分を目安に作られていたんでしょうね

この機関紙のコメント欄にも
「さすがサウンドストリートという感じ
他所ではかからない名曲がたくさん」と書かれてますが

「GSといえばコレ!」っていうメジャーな曲だけでなく
「あった!あった!」と思い出すような隠れた名曲も選ばれていて
坂崎さんから「高見沢に匹敵するGSマニア(笑)」と
呼ばれるだけのことはありますね(笑)

夏木マリさんの番組でも【ウォーキング…】について
夏木さんもご存知なかったエピソードを披露され
かなり盛り上がっていらしたけど(笑)
当時は買えなかったGSのレコードを
その後「大人買い」なさるほど、お好きだったんですよね?

我が家の何でも取っておく人(笑)の資料に
FM番組で放送される「GS特集」についての紹介ページがあって
その記事によると…60年代の高度経済成長の中で、文化の主導権を握ったのが
第一次、第二次ベビーブーム生まれの青年達であり、GSブームの主役だった

なぜ主役たり得たかといえば、同じ年令の人間が
程遠いはずのブラウン管の中で自由に泳ぎ回っているということが
歌謡界のスター達より新鮮に映ったからだろうし
何よりGSにはパワーがあった

少なくとも現在のロックコンサートのように
定例化されたアンコールが、1曲終われば「また会いましょう」などという
物わかりのいい客もいなかった(笑)
ステージの上も下も、数時間のコンサートに全力投球し
燃え尽きることを潔しとしていた

甲斐よしひろの言う「俺は遅れて来たと思った」という
60年代末の熱い政治の季節へのジェラシーは
GSのステージにも投げられるべきなのだ…と記されてます(笑)

ナンで突然ココに甲斐さんの名前が?ってことはさておき(笑)
このライターの方は、甲斐バンドのステージを
ご覧になったことがないんじゃないかと…(笑)
当然、甲斐さんが子供の頃からハードリスナーでいらしたことも
GSに造詣が深くていらっしゃることもご存知なかったんでしょう(笑)

五業昌晶(佐藤剛)さんの「甲斐よしひろ紹介」によると…
物心つくかつかない内から、戦後の舶来音楽の代名詞だったジャズを耳にし
同時に歌謡曲を歌うことを覚えた

60年代に入って、アメリカン・ポップの洗礼を受け
家中で毎週ヒット曲のベストテンを作成していた小学生の時
ビートルズを筆頭とするリバプールサウンドの台頭に出くわした

もっとも彼は、ビートルズ一辺倒だった訳ではなく
ブリティッシュ・ミュージック全体に傾倒していたようで
デイブ・クラーク・ファイブのファンクラブ会員だった時期もあり

また、ストーンズこそ彼の音楽性を語る上でポイントとなるのだが
今日の甲斐バンドに見られるブリティッシュ・ミュージックの影響は
この当時に培われたものだろう

日本の音楽では、やはりGSからの影響が強いが
音楽的なものよりは、そのブームの発生から終焉を見続けることによって
精神的なものを掴んだようだ

GSのほとんどのグループは、与えられた曲を演奏し
色んな意味で未熟であった
しかし、そんな未熟さをものともしない激しいアピールが魅力だったはずだ
カッコ良さに憧れ、それに酔った無数の若者の情熱が
ほんの一時期にしろ、膨大なパワーとなった

何しろ当時は、GSに対する大人の反発が強く
何らかの反逆精神を持たないことには
ブームの渦中に入って行けなかったのである
当然、渦中の若者は少なからず「不良」のレッテルを頂戴した

そんな大人の冷たい目なんかには
お構いなしにみんな熱狂した
彼は「熱狂する」とはそういうことだと知ったはずである…そうです

甲斐さんご自身も「人の作った曲ばかりで
オリジナルを歌うグループが少なかった」ことに触れられ
「音楽の一つとして根づく前にブームが終わってしまった」と話されてますが
その時代の日本の文化やファッションには
「かなり影響を受けた」とおっしゃってました

「翼あるもの」でカバーされた曲もありますけど
そのリリースに際して「昔のヒット曲を
今の時代にも通用するように斬新なアレンジをして
原曲を知らない人達にもその良さを判って貰いたい」

「流行した時期を過ぎると、どんな良い曲も懐メロとしてしか評価されない
スタンダードが生まれにくい日本の音楽状況に対して
本当はそうじゃないよ!という思いが込められてる」と甲斐さん

奥さんによると…GSのことだけではなく
海外では、往年のヒット曲やその歌手に対して敬意を持っているのに
ナンで日本人は「一発屋」みたいな扱いしか出来ないんだろう?と
嘆いておられたらしい(苦笑)

「誰も俺が聴きたい音楽を作ってくれない」とミュージシャンになられ
「人生最後の日に何を聴きたいか?」という話では
「誰も本気で音楽のことを心配していない」とおっしゃったり

「30歳を過ぎるとCDショップに行かなくなる」リスナーのために
ラジオ番組で自腹で買われた曲を放送なさったり
確かに「いちミュージシャン」というより
「音楽愛好家」とお呼びした方が良いのかも知れませんね(笑)

余談ですが、前述のライターの方は記事の続きに…
GSに音楽的な意味なんかつけちゃいけないよ
「彼らの存在が、後のニューロック
ニューミュージックを生んだ」なんて言っちゃいけない

演奏はヘタだし、歌も上手くないし
ファッションだってダサイに決まってる
ちょっとマスクの良いのが、エレキギター持って
女のコにキャーキャー騒がれて、PTAに睨まれたり

朝7時20分から「ヤング720」を見て
始業ベルすれすれに学校に飛び込み(笑)
ホーキをギター代わりに持って、センコーに怒られてただけなんだ

GSなんて、GSなんかどうってことないよ
でも、GSは過ぎ去った時間じゃない
俺たちの青春の断面そのものなのだ
…と、記されてます(笑)
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機関紙BEATNIK42

2016-04-27 10:50:00 | 日記
1980年6月11日の放送では、南佳孝さん【憧れのラジオガール】
キングトーンズ【イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト】
【ブラッディ・マリー】仁井まさおさん【夢の行方】
長渕剛さん【順子】大上留利子さん【きいててや】が流されてますが

仁井さんと長渕さん、それに西田恭平さんは
同時期に照和に出演されていたそうで
当時の照和のマネージャー・門田一郎さんは
密かに(笑)「照和の3N」と呼んでおられたらしい

「それぞれ個性は違っていたが、共通するものがあり、仲もよかった」と門田さん
「その共通するもの…【女好き】である」とおっしゃってるんだけど(笑)

西田さんご自身も長渕さんと親友になられたのは
「お互い恋愛体質だったから」と話されてます(笑)

1976年のポプコンで、西田さんの【鐘】がグランプリを獲得
長渕さんは、ビクターレコード賞を受賞
「長渕剛(ナガブチゴウ)」名義の【雨の嵐山】で
共にプロデビューされたもののヒットには恵まれず…(汗)

再び照和に戻って歌い始められたそうですが
その頃の照和はもう「プロへの登竜門」ではなくなっていたという

長渕さんは、ポプコンから2度目のデビューを飾られ
西田さんも5年後に再デビュー、福岡中心に活動なさってますけど
長渕さん主演の「家族ゲームⅡ」に
「博多から出て来たヤクザ」役(笑)で出演されたらしい

そうそう!仁井さんの【夢の行方】について書かれたブログに
そのジャケット写真をご覧になった方から
「甲斐さんがグラサンかけたみたい」とのコメントがあったんですが
奥さんは「どこが似てるの?」とマジマジと見つめておりました(笑)

余談ですが…西田さんが、チャゲ&飛鳥の【ひとり咲き】のことを
「これぞ博多っ子の歌だ」と話され

福岡出身のミュージシャンが成功している理由として
「例えば、ベースがケガをしたら、じっと戻りを待つのが博多人
結束が強く、街に根ざした土着の歌が作れるからだ」とおっしゃってます

奥さんが「長岡さんのツアー離脱と、その復帰を待っていた甲斐バンド」
「長岡が居たことを忘れないためにも、メンバーを入れることはしない」
…という甲斐さんの言葉を連想したことは言うまでもアリマセン(笑)

その長岡さんがディレクターを務めていらしたレコード会社に
チャゲアスのお二人が移籍して来られ
長岡さんが担当なさった【モーニング・ムーン】が
【万里の河】以来のヒットとなったとか

飛鳥さんのソロ【はじまりはいつも雨】を
斉藤由貴さん主演の映画の主題歌に
強くプッシュされたというのも
何かの「縁」を感じますねぇ

翌週は、シャネルズ【トウナイト】に始まり
小柴大造&エレファント【テル・ミー】サザン【別れ話は最後に】
ブレッド&バター【マンデイ・モーニング】と
バンドの曲を集められたのかな?と思いきや
最後に鹿取容子さんの【ゴーイング・バック・トゥ・チャイナ】が…(笑)

甲斐さんなら、原曲の方がお好みかな?と思うんだけど
「そっと私をつねって」や「今夜、連れて行かれたいチャイナ」…という
日本語の歌詞がお気に入りだったみたいです(笑)

もっとも、奥さんは甲斐さんが曲を提供なさるくらい
気に入っておられるとは思っていなかったようですが…(笑)

そのディーゼルの原曲が大ヒットしなかった(苦笑)こともあってか
この曲を鹿取さんのオリジナルだと思っていらした方も…(笑)

6月25日の第75回放送では、チャンプルーズ【じんじん】
来生たかおさん【ほんのノスタルジー】
ミッキー・カーチスさん、平尾昌晃さん、山下敬二郎さん
【上陸ロックンロール・タイフーン】
山崎ハコさん【男のウヰスキー】
斉藤哲夫さん【今の君はピカピカに光って】がオンエアされてます

【上陸…】は、ロカビリー三人衆によるR&R19曲のメドレーで
奥さんもこのレコードを持っていたらしく
番組で流れた時には、師匠のお眼鏡に叶った(笑)買物だったんだと
嬉しかったそうだけど、ナンで買おうと思ったのかは判らないんだとか…(笑)

【男のウヰスキー】で思い出したのが
昔の音楽雑誌によくあった読者投稿のページ…
バンドメンバーやペンフレンドの募集やら
手持ちのレコードと別の音源の交換などを呼びかける投稿が掲載される中

似顔絵やイラストなどに混ざって
「この人を酒にたとえると…」という15歳男性の記事があり
「大瀧詠一…ワイン(時間をたっぷりかけると美味しい)」(笑)
「井上陽水…ウィスキー(国産に限る)」とか(笑)

「杉真理…シャンペン(パーティに最適の明るさ)」(笑)
「爆風スランプ…ウォッカ(最高に体が熱くなるぜ!)」とか(笑)

「吉田拓郎…焼酎(からんで来そう)【朝まで飲むぞ!】」(笑)
「特別出演・スプリングスティーン…
歌はウォッカ、声は焼酎、服装はビヰル」と書かれていて(笑)
ナンで未成年なのに(笑)とツッコミつつ笑ってしまいました(笑)

ちなみに…ナゼか「甲斐よしひろ&中島みゆき」とペアにされ(笑)
「日本酒(いつか一緒に飲みたいと、甲斐が言っていた)」とのコメントが…(笑)

この記事の傍らには、甲斐さんの顔写真がラベルになった一升瓶(笑)と
みゆきさんの横顔の写真入り徳利&お猪口(笑)のイラストが添えられ

それぞれに「博多名物・甲斐男児」(笑)
「札幌名物・みゆき焼き」というキャプションが付いてます(笑)

それにしても、ナンでも取っておくファン心理ってスゴいなあと…(笑)
あっ!そういえば【安奈】や【ビューティフル・エネルギー】をモチーフにした
「間違いさがし」のページも切り抜いてありました(笑)
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機関紙BEATNIK41

2016-04-26 01:34:00 | 日記
1980年5月7日は、甲斐さんのお気に入り企画(笑)
「男と女のあやしい話パート2」

オンエア曲も、チャクラ【福の種】萩原健一さん【牡丹の間】
中山ラビさん【さわる】サウストゥサウス【とったらあかん】
【荒馬】下田逸郎さん【ラブホテル】…と、お色気ある曲がズラリ(笑)

ただ、奥さんは【とったらあかん】は
上田正樹さんの方ではなく
桂三枝師匠(当時)の曲として認識していたらしく
今日ちょっとウィキってみたら
【桂三枝のムラムラ日記】というタイトルでリリースされてました(笑)

「あかん、あかんと思いながら、つい手が出て…」という歌詞?は
今の師匠にはキツイかも…(苦笑)

前回の「あやしい話」の時もそうだけど
奥さんの記憶にあるのは「サンスト・シーズン2」で出た話題みたいで
この当時の話を覚えてないのは
おそらく?谷村新司さんが担当されていた
「ヤンタン」の「女性立ち入り禁止コーナー」の印象が強いためじゃないかと…(笑)

こちらは、リスナーからの「身の下相談(笑)」という形で毎週放送され
うっかり聞き逃すと、翌日、学校で話題についていけない(笑)くらい
人気があるコーナーだったようです

ちなみに、奥さんの投稿が採用された際に
谷村さんが誤って本名を読んでしまわれ(汗)
「しばらく顔を上げて歩けなかった」んだとか…(笑)
投稿内容については、未だに教えてくれません(苦笑)

ともあれ、この頃の甲斐さんが別居状態でいらしたことを思うと
この特集の時に何を話されたにしろ
ラジオの前で笑って聴いていたであろう奥さんには
想像もつかないくらいの痛みを伴ったものだったでしょうね?

離婚を発表なさった際に
「家を出てから、色んな男達や女達と話をした
もう何を信じていいか判らなくなってたから…」とおっしゃったり

「最後の最後に人を信じる拠り所になったのは
本当に好きな女性と初めて同士で結ばれたこと」と話されたりしたそうですし
その【荒馬】を選ばれていたこの日の特集には
格別の思い入れがおありだったのかも知れないなあと…

それはさておき…翌週のオンエア曲は
矢沢永吉さん【レイニーウェイ】財津和夫さん【逃避行】
ボロさん【見返り美人】佐藤隆さん【北京で朝食を】
遠藤賢司さん&平山みきさん【哀愁の東京タワー】

さらにその翌週は【トロピカルソング特集】として
南佳孝さん【モンローウォーク】や
加藤和彦さん【アラウンド・ザ・ワールド】
松任谷由実さん【海を見ていた午後】瀬戸竜介さん【桃源郷】
山下達郎さん【ライド・オン・タイム】
喜納昌吉さん【すべての人の心に花を】…となっていて

2週続けて、甲斐バンドの曲が選ばれてません
まあ、ゲストの方を迎えられた時には
その方の曲を中心に流されていたようですが…

家を出られた後、ツアー先から帰京された際には
ホテル暮らしをなさりながら「話し合い」を進めておられたらしいので
ご自身の作られた曲をお聴きになる心境ではなかったのかも知れません

もっとも、5月28日の第71回放送では
最後に【漂泊者】をオンエアされてますけど…(汗)
~「ナナハン・ドラマ」の第1回放送が、4月12日で
この番組でも4月23日に披露なさってます~

後に大森さんが明かされたこの曲が出来た経緯と
「新婚なのに私達のために歌ってくれてるんですね」というファンの投稿…
「発表するまでの間が一番辛かった」んですもんね

ただ、10月5日に発売された「地下室のメロディ」は
「すべて別れの曲」とおっしゃったアルバムですが
後に「前のカミさんのことを完全に吹っ切った時に出来た」とも話されていて

初めて本格的なアレンジを星勝さんに委ねられたとはいえ
レコーディング作業をなさることで
気持ちの整理がつかれたんじゃないかと…

あっ!この日は他に吉田拓郎さん【暑中御見舞】
シャネルズ【ダウンタウン・ボーイ】
もんた&ブラザーズ【ジャーニー】
ジャックス【何処へ】木田高介さん【キスからぶり】が選ばれてます

6月に入って、ゲストに石黒ケイさんを迎え
【サフランのように】【憎いあんちきしょうのブルース】
【ひとりぐらしのワルツ】【鍵】【本牧挽歌】と全て石黒さんの曲
正確には、石黒さんのアルバム「アドリブ」から選曲なさってます

石黒さんは「ジャズ歌謡の先駆者」と言われた方ですけど
お母様方の皆さんは、邦楽をたしなまれた音楽一家だそうです

でも、ご家庭にはジャズのレコードがあふれていたらしく
「英語で歌うジャズ」しかなかった当時
ご自身のオリジナルにジャズを取り込まれた石黒さん

「浅川マキさんの【暗い眼をした女優】という曲」や
「山崎ハコさんが好きだった」とおっしゃってますが

このアルバムには【鍵】の他に2曲
山崎さんが作られた曲が収録されていたり
山崎さんご自身も石黒さんをモデルになさった
【ケイのブルース】という曲を歌われてるらしい

ちなみに、このアルバムにはアート・ペッパーや村上ポンタ秀一さん
岡沢茂さんのお兄様・章さんが参加なさってます

機関紙のコメント欄には
「ゲスト石黒ケイに押され気味だった甲斐よしひろ」と記されてるんだけど(笑)

ウィキってみると、石黒さんも甲斐さんと同じ牡羊座で
ご自身のツイッターには「人生に無駄はないと思ってる」とか
「許すという言葉、上目線で嫌い」とか(笑)
「リスペクトし合えない相手なら恋人でも別れる」との呟きが…(笑)

そうそう!デビュー当時の石黒さんは
「アイドル路線」だったらしく
筒美京平さんの曲なども歌われていたようですが

ファースト・アルバムのジャケ写に
「ボツになるはずだった写真が使われていて
もうイヤ!このアルバム聴かない」と
ホントに何年間もお聴きにならなかったんだとか…(笑)

甲斐さんは、妙齢のキレイな女性ゲストがおみえになると
「態度が変わる(笑)」とツッコまれていらしたみたいだけど
この日はそれだけじゃなかったのかなあと…(笑)

余談ですが…石黒さんは女優さんとしても活躍されてましたが
「過ぎし日のセレナーデ」という
田村正和さん主演のドラマにも出演なさってました

このドラマは、神戸が舞台になっていたので
当時、奥さんが勤めていた職場の近くでロケがあり
奥さんは、ナンとか仕事を抜け出して見学しようとしたものの
あえなく失敗に終わったそうです(笑)
コメント
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