ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK(Vol.5)その3

2016-08-31 18:30:00 | 日記
「ショート・レンジからロング・レンジに変えるというのは
当然、クオリティを求めて変化するということ」と甲斐さん

「1年に4枚のシングル出して、全部ヒットさせて
それを10年続けた奴が今までいたか?
俺が3ヶ月に1枚のシングルより、1枚の質の高いLPだと言うのは
10年続けることの方が絶対重要だからだよ

3ヶ月に1回何かすることを考えて1年やるより
1年に何か1つやることを考えて、10年間続けたいのね、そういう意味なの
それが自然に2枚になれば、それはそれでいいけど…

2年くらい前は、そんな10年後のことなんて考えられなかったもの
考えてもなかったしね
目先のシングルをどうするか、差し迫るLPをどうするかって
物凄いショート・レンジだったのよ

今年、ある程度インターバルを取ることで
ハッキリ展開させる、やり口を…
俺「破れたハートを…」で、これから5年間はやれる方向が判ったの

あのLPは早いって言われたのね
日本で出すには早過ぎるって
【破れたハートを…】のシングルだって早いって言われたしね」と話されてますが

後に「虜」と名付けられリリースされるアルバムについては
「色んなタイプの曲を作るよ、きっと
でも、青い空の下で円満に穏やかに繰り広げられてるドラマじゃないよ

[破れたハートを…]の曲の中で
一番最後に書いた【観覧車】が引き金になってる
LPのドアを開ける鍵なんだよ」との言葉通り

5月1日に発売された先行シングル【無法者の愛】のB面には
【観覧車'82】が選ばれてます
奥さんが【観覧車】を「男女の話でもあり
甲斐バンドの話でもある」と主張する所以です(笑)

ただ、押尾コータローさんとのツアーで【無法者の愛】を演奏された際
当時は仕方なくリリースなさったとおっしゃってたそうで
まだ「レコード会社との契約」が残っていらしたのかなあと…?

ちなみに、このシングルについて松藤さんは
「周りからは、きっと【漂泊者】みたいな
ハードなのが出て来るだろうと言われてたんですよね
それを見事に裏切ったというか…(笑)それが一番おもしろい

みんなの思ってる通りに生きてたら
僕らの生き方って決まっちゃうからね
僕らは決めたくないし
ましてや聴いて貰ってる人達に決められたら困ってしまうし

グループの路線みたいなの作ってしまうと
僕達って良くないみたいですね
いわゆる世間の常識から外れてしまう人間が集まってるから(笑)」と
前回の記事の甲斐さんの言葉を裏付ける内容の話をなさってます(笑)

それはさておき…「ステージだってそうさ」と甲斐さん
「今まで俺達は年間やれるギリギリの量までステージをこなして来たよ
それが年に100本前後だった

これを例えば、年間200本にしたらどうなるか?絶対出来ないよ
そしたらその後半の50本はバラバラだよ、チームは空中分解さ

それとね、何のイマジネーションも沸かなくなるようなステージだったら
もう、俺は立たないよ

ステージっていうのは
毎回、同じようなことをやってるように見えるかもしれないけど
その時時のイマジネーションがあるから出来るんだよ」

…と、おっしゃってるんですが
その後、甲斐バンド・インタビューのキーマンとなられる
萩原健太さんの「初取材」記事によると

「9年近く、ずっと」レコーディングとツアーを
並行して行なっておられたのにナゼ?との質問に

「ツアー先のホテルや汽車の中で曲を書いたりして来た訳だけど
そのやり方じゃ、もう刺激が足りなくなって来たのね

特にここ1年くらい、それが単調に思えて来るほど
習慣的になっちゃったってことなんだ
そういうのって、真っ先に体が知るでしょ

ある年齢までは、ただ気力でやれるよね
瞬発力もバネもある、どんな動きをしても全部気力で一蹴できる
ところが、そういう嵐の中で生きてくようなやり方はさ、そう続かない

ある年齢からは、確実に訓練しないとダメになるわけ
だから、もっと穏やかな流れの中でキッチリ分けて、選択してね
僕らは今、そういう時期に差し掛かってると思う」と答えておられます

甲斐さんは、花園ライブの前日リハーサルの時に
「左肩の付け根が、もぎ取られそうに痛むことがある
夜中に痛みで飛び起きることもあるんだ

やっと大人になったということかも知れないね
これからは自分の体を騙し騙しやるしかないんだろう」と明かされてたようだし

離婚後に「精神がボロボロだから、せめて体だけは…」とか
「ジム・モリソンやジャニス・ジョプリンのように
27、28歳で死ぬんじゃないか?」と水泳を始められたみたいだけど

「自分の肉体が何年もつか、考えたことはあったよ
今、毎日水泳をやってるのは自信に繋がって来るんだよね
実感としてあるもの、よくもってるなあという喜びと
もたせないといけないという危機感と両方

あと10年やらないといけないって思いは物凄くあるものね
10年は一線で歌わないとダメだと思う

あのね、レコーディングのためにツアー止めますって言うと
なんか立ち止まった感じするじゃない?でも、俺は違うと思う
ハッキリ区別することで、絶対逆に瞬発力が生まれると思ってるから

そう、質の転換だけど、スピードは落とせないよ
むしろスピードを増すためにやる訳だから
質を転換させるべき時期を見極めることって大切なんだよ

アーティストとして10年生きるか、15年生きるか
20年生きるかの違いは、そこから生まれて来るんだもの
で、僕らは今がその時だと踏んでるのね
良い時に質の転換を図れば、40歳になったって歌えるさ

自分達の納得度を増しながらやりたい
大きなモーションから、ゆったり投げても
威力ある球を投げられるようにね
それが今なんだよ」と話されてます

この機関紙インタビューの最後に
「この原稿が読者の目に入る頃には
すでにレコーディングが開始されている」と高橋竜一さん

「このインタビューでも、内容について具体的な説明はされてないが
今回特別に話を差し控えている訳ではなく
甲斐バンドは、いつでも蓋を開けてみないと判らないのである」と記され

「彼らは[ロック衝動]を貯め込んで貯め込んで
ある日、爆発するのだ」と結ばれてるんですが

「6月からツアーに出る」とおっしゃった甲斐さんの言葉通り
決定した「1982 BEATNIKツアー」のコピーに
この最後のフレーズがそのまま使われています
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機関紙BEATNIK(Vol.5)その2

2016-08-30 11:54:00 | 日記
武道館でのもうひとつの「宣言」について
甲斐さんは「甲斐バンドには、今、余ってる金がほとんどない

コンサートのギャラやレコードとか音楽で稼いだ金は
ある一定の暮らしと自分達の音楽…スタジオ代が大部分だけどね
…に注ぎ込むって考え方だったから

でも、スタジオ代は無駄も多いよね
それだったら、みんなで一緒に生活して食事しながら
俺が作った曲をラジカセに入れて、野外でその曲について話し合う
向こうに海が見えてたらいいねっていうのが発端だった訳よ」

…と、南のある島に練習場を兼ねた拠点を持ち
スタジオ代に費やされる費用をあてて
時間を気にせずに集中したい…との計画を明かしておられます

これは、かつての甲斐バンドが
箱根のロックウェル・スタジオでレコーディングなさっていた頃のように
東京という生活圏を離れ、食・住を共にしながら
作業を進めるスタイルと同じですが

後に甲斐さんが「メンバーそれぞれが家庭を持ってから
スタジオに集まるだけでも一苦労」とおっしゃっていた
「ダウンの時」に入りかけておられたのかなあと…?

ともあれ、この「南の島」のスタジオに関しても
「物凄く正しそうに見えて
まるで発展的じゃない理論があるんだ
偏見というのかな、ロックンローラーっていうのは
女にモテてSEXが強いっていう固定観念、錯覚があるよね

それと同じように詰まらないのが
雑踏の中にいないとロックンロールは書けないっていうヤツ
この言い方に飽き飽きしてる
フォークが海で、ロックが雑踏だなんて考え方は嘘っぱちだよ

ロックンローラーだって、完全な結婚を目指してるし
要は、何が自分を駆り立てるもので
何が憤りを感じるものなのかという見定め方だけあればいいと思う
それが刺激的ってことだよ

まあ、でも、そうやって何ヶ月もやったら飽きる(笑)
初めの内は、向こうに住んでもいいと思ってたんだけど
それも、ロックンローラーは雑踏にいなきゃいけないというのと
同じ錯覚だって気づいたんだよね

息を抜くなら南の島(笑)
つまり、偏見と偏見、錯覚と錯覚は
いつも隣り合わせの落とし穴だと思った方がいいんだよ

ロックやってるからクスリをやらなきゃというのも錯覚だよね
ジム・モリソンになるのを選ぶのは、自分の生き方だけど
それを本道だと思い込んでしまうのもまた錯覚だからね」という訳で

当初は「良い状態で子供を産ませたいという衝動」もあって
「移住」を考えておられたようだけど
「出産は東京」「九州は練習場」と分けられ
「九州にいる時間がやや増えるだけで
生活自体は今とさほど変わらない」ことになったんだとか…

それはさておき…
「[甲斐達が出て来た時は良かった
今のロックバンドは可哀想だ]って書いてる(記事について)
何が可哀想か判らないよ
俺に言わせれば、今の方が状況は恵まれてる、彼らに個性があれば…

俺達の時は何にもなかったもの
フォークロックなんていう言葉しかなくて
60年代のフォークの名残りみたいなものもあって
ただ、いつは良かったって言えば、状況はいつだって同じだよ
そう思った方がいい

確かに【HERO】の頃には、敵と見据えていたものはあったけどね
若い言い方をすると[へなちょこフォークをぶっ潰せ]とか
言葉にしないけど、気持ちとしてはあった

でも、ものを壊して行くというのは、そんなもんじゃないもん
既成概念の壊し方というのは
もっと普通のやり方で壊せることもあるし
ホントはそっちの方が大きいんだよね

一般常識とか平等とかが、どこに行けばあるのか
いまだに俺には判らなくなったりする
それよりも誇りとか充実感とかいった方が、俺達には判りやすい

その差だと思うよ、世間と違うのは
そういう意味では世間の常識からは外れてるよね
他人が思っているようには行動しないもの

甲斐バンドが、今、素晴らしくも難しくもなってるのは
自分達が敵だと思い始めたからなのね
外に向けて敵を探してる時は
ある種の焦燥感があって、ヒップなカッコ良さはあるけど
ホントの大きさや力にはなってないんだよね

でも、自分の敵が自分で
自分が相手にして行かなきゃいけないのが自分だったら、その方がスゴイと思う
外からは見えにくいけどね
結局は何の音楽をやって、何の音楽で食うかということなんだと思う」

…と話されてますが、後の記事によると
「俺達って[自分がどうあるべきか]なんて
[今、俺はどうなのか]という現実しか見てないよね

[どういう所にいて、どういう風に生きてるのか]しか関心がないし
そこしか書こうとしないよね
俺達の変わらない唯一のことは、強い現実感なんだよ
それも、自分達で決めたルールじゃなくて
[体が求めて止まないもの]みたいだね

たまたま【漂泊者】みたいな曲が
甲斐バンドだと思ってる人がいたとしたら
それさえも俺達は否定し始めて
腹の中では舌を出して笑ってるよね

何と言われてもいいよ
俺は俺の決めたことをドンドンやる
俺達の最終目的というのは
[自分達がどこまで行けるか]ということしかないんだ」とおっしゃっていて

それは後の「甲斐よしひろの正体を探すために音楽を続けている」発言にも
繋がっているんじゃないかと…
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機関紙BEATNIK(Vol.5)その1

2016-08-29 08:03:19 | 日記
この号もVol.4から引き続き
「甲斐よしひろインタビュー」に紙面が割かれているんですが
インタビュアーの高橋竜一さんによると
「このインタビューで、今までよりも感情的で
かつ言葉少なな甲斐よしひろと出会っている」そうだ

「かつて甲斐よしひろは、こんなことを言っていた
[俺は、取材をテキトーにする人間とは違うからね
インタビューされたら、相手に思っていることの全てが
キッチリ伝わるように喋る
それが芸能人との違いだと思う]

ロックがロックであるための
いや、あえて言えば、音楽が作品として成り立つための不可欠条件は
ミュージシャン自身によるプロデュースだ
それは何も音楽面だけに限らず、活動のポリシーも含めて…

[俺はすぐにでも動き出したい]と
彼はすでに行動に向かっているので
出発点を振り返る余裕がないことも確かだが
最も肝心なところは行動で示すより手がないことを知っているからだ

ファンという受け手とミュージシャンという作り手は
互いに成長するために絶えず対峙しなければいけない
彼が活動の方針について多くを語らないのも
無意識の内にそのことを考えているためではないかと思う」と書かれてますが

「会見」の5日前に行われたというインタビューでは
「ショート・レンジからロング・レンジに変える」など
同様の内容がかなり詳細に語られていて

やはり「そんなことはどうでもいいと思ってるよ、今は
ハッキリ言って、そんな穏やかな感情じゃないもの」との言葉通り
まだ「会見」による「煮え繰り返り」が
収まっておられなかったんじゃないかと…?(苦笑)

という訳で「会見」前のインタビューを参考にさせて頂くと…
年末の武道館で「ツアーをしばらく休む」ことと
「好きな東京を離れるかも知れない」ことだけ告げられ
詳しい説明がなかったために

「バンド解散説」「甲斐の結婚休養説」「今の時代に失望説」
果ては「地下に潜る説」まで飛び交ったらしい(苦笑)

この「半年間休業宣言」については
それ以前から予定されていたことみたいだけど
その武道館ライブの「1日目は酷かったよね
あの日だけ見た人には悪いと思ってる」と甲斐さん

「1曲終わると左のスタンドからは拍手があるのに右手は全くない
2曲目が終わると正面から拍手が来るのに
右手は静かで、左手はざわついてる…そんな状態だったわけ

ナンでだろうと思って見てたら
前の方でガードマンと客がモミ合ってるの、愕然としたよね
だって、俺達は3年半も前から
スタンディング・オベイションをやってる訳じゃない?

それが、役人の判断でボタンを押せば
コンサートが中止になってしまうバカげた事態になってたのよ
俺達が3年半やって来たことは何だったのかって気になって来るよね

地方は違う。地方のイベンターは経済的にそんなに豊かじゃないのに
心情的に動いてくれる奴が増えてるわけ
それなのに東京がそんな野蛮な形になってるんだからね、そう思わない?

だって、本来、俺達のやることに関するイベンターは
俺達が選ぶっていうことなんだよ」と話され
半年の間に「バンド自身を強くする」との思いを更に強くされたようです

まず「ビジネスだけに割り切ってみようか」と甲斐さん
「俺達は、バンドのメンバーとマネージメントのボスとの合議制なのね
[BEATNIK]という事務所がそうなわけ

そこでの仕事の3分の1は、マネージメント・サイドが動けばいいけど
俺達自身で動かなけりゃいけない面もある
レコード会社の契約のこととか
外からは見えにくい、実は重要ないくつかの契約があって
そのための時間が必要だというのもあったのね」

もうひとつは、当時、アリスやツイスト
柳ジョージ&レイニーウッド等の解散が相次いでおり
その都度「グループ活動の限界」と
「音楽的な行き詰まり」が語られていたみたいだけど
甲斐さんは「それは絶対に違う」と…

「3年間、観客動員日本一
それだけでも休む理由はないよ
このまま、3月からツアーに出てもやれると思うよ
誤解しないで欲しいんだけど
ツアーがイヤ、コンサートがイヤということじゃない

それよりも、もっとロング・レンジに考えたいわけ
3ヶ月に1枚シングルヒットを出さないとやって行けないという状態は
もう数年前から脱してるんだよね

【地下室のメロディ】がシングルチャートの80位にしか上がらなかった時
俺達は6ヶ所の街で体育館ツアーをやって、6千人ずつ集まった
シングルヒットのランクとコンサートの動員とは
俺達の場合、同義語にはなってないんだよね

一昨年の後半、俺達にとって最悪だった
俺個人にとっても最悪だった
最愛の人間達が何人か去って行ったのね
今、会って笑えるかというと、そんな程度じゃ済まないくらい

あと何年もしないと笑って肩叩き合ったり出来ないという状態で
何人か去って行った訳よ。それは物凄くデカいことだった
俺達の体制に打撃を与えるのに十分だった

その時にも思ったのね
3ヶ月に1枚ヒットを出さなけりゃってショート・レンジの考え方は捨てよう
LPにしても1年に1枚、骨組みのブッとい奴を作ればいいんじゃないかって

音楽的なことを言おうか
もし音楽的な行き詰まりと言うなら
俺達はいつだって行き詰まりだったよ

「誘惑」の時も「甲斐バンド・ストーリー」の時も
「マイ・ジェネレーション」だって【HERO】だって【安奈】だって
いつだって同じだよ
こんなに保証のないことはないんだもの

頭かきむしりながら、もうダメだと思って止めちゃうか
いつもそういう状態で来たんだって
ここで止めたって、どうせ生きてること自体苦しいし
痛いんだからと思って続けるか、この違いだよね

いつだって行き詰まりだよ
笑いながら苦しんで行ける状態は、もう5年は続いてるんだから
バンドの内部でも確認は済んでる訳よ

俺達には[同じことは二度とやりたくない]という
イキガリやツッパリじゃなくて
自分達の音楽に飽きないようにしたいというのが根本にあるからね

大森信和にしても、松藤英男にしても我が強いから
自分達が飽きちゃうとダメなバンドなんだよね
俺にしても、自分が飽きるとサッサと身を引いちゃう所がある
好きな女でもそうだしね

3枚のアルバムチャート1位の後に
[マイ・ジェネレーション]みたいなLPを出せば
また1位になったかも知れない
でも、俺達はもうそれに興味がなくなってた

[誘惑][マイ・ジェネレーション][地下室のメロディ]と来て
自分の中の形は出し切ったと思う
でも、あの形をもう一度続けるかどうかと言えば、自分の中では飽きてたよね

飽きるというのは発展的なことだからね
自分の中に次をやりたいという力があっての飽き方だから
次にやることを見つけちゃったってことでもある

【安奈】の後にまた同じような曲を書けば
同じように売れたと言う人もいるかも知れないけど
それは、いつまでも同じ状態でいて下さいと
女が泣いてすがるのと同じで、男にとっては気持ち悪いよね

自分達が駆り立てられるものがあれば
【漂泊者】みたいなのをもう1回やるかも知れないけど、今はないからね

自分達の音楽に変化を持たせ、自分達を叱咤激励して行くような生き方と
自分達が見つけたやり方をずっとやり続ける生き方と
2つの大きな考え方があって、両方とも
同じくらいにタフじゃないとやって行けない

俺はバンドのスタイルなんてのは、1年で潰れてもいいと思うのね
でも、バンドの形は潰れても音楽の形は残ってないとダメだと思う

去年の秋、ツアーをやりながら
3年後に聴いても色褪せないサウンドをやらないと…って
大森信和とガンガンやってたのね

じゃ、どうすればいいか
スタジオの中の演奏、音をどうするか
それを安定させるためのシステムもいる
BEATNIKというのもそういう機関として作った訳だから」と話されてます

これが「全ては[破れたハートを…]から始まった」という
NY3部作へと続いて行く第1歩だったんですね
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機関紙BEATNIK(Vol.4)その3

2016-08-28 07:21:55 | 日記
「記者会見」の中で甲斐さんが
「僕は2度目なので、公式的行事ではなく、穏やかに籍だけ入れたいんです
自然に、とにかく普通の家庭にしたい
安全に子供を産んでくれるのが今の唯一の希望です

彼女は子育て専門になりたいと言ってます
男が一生やるのはビジネス
女がやれるのは子育てだと思います」と話されたことについて

ある週刊誌には「聞きようによっては
甲斐よしひろの[親バカ]宣言である
しかし、ロック野郎が不慣れな会見という場で
[とにかく丈夫な子を、丈夫な子を]と言う様は
それだけに彼の切実な願いだということがよく判る

甲斐が不自然と思えるほど急な会見を開いたのも
母体を気遣い、精神的な安定を与えたいがためだったのだろう」と書かれているし

また「会見」前に取材を受けられた月刊誌には
「会見する側も週刊誌のさらし者にされてたまるか、という構えがあり

会場のマスコミは甲斐バンドのレコードもステージも知らないというタイプの
[芸能ジャーナリズム]お定まりの質問ばかり
言ってみれば、記者会見の本質が垣間見られたようだった」

…と、会見についての印象が記され
会見時のご夫妻の写真の傍らには
「どうしてマスコミって、こんな風にさらし者にしたがるのだろう
同情致します」とのキャプションが添えられていて
判ってる方もいらっしゃったんだなあと…

また、会見では「彼女のことを考えて作った曲も当然ある
自分にとって、唯一深く知っていて
いとおしむことが出来る対象です」とか
「これまでは、子供のことが曲作りに出て来ることはなかった
でも、これからは出て来ると思う」とおっしゃっていたようですが

機関紙の「子供が出来て心境は変わった?」との質問には
「変わらんね。イヤ、もっと攻撃的になるかも知れない
物事がハッキリ見えて来る分ね
色々なものが見えれば見えるほど、ハッキリ言える訳でしょ
そういう状態にはドンドンなってるよね」と甲斐さん

独身時代のインタビューや「若いこだま」の中では
「男と女の理想の形は、結婚して子供を育てること」とか

「生きているということは、一本の木みたいなもんでしょ
ともすれば、俺達のいる芸能界っていうのは
木の枝ぶりばっかり気にする商売で
もちろん、枝ぶりも良くなくちゃいけないんだけど

俺は、何よりも根っこの、ちゃんと土の中に太い根を生やしてる
そこの部分をしっかり持って生きて行きたいと思うんです」と
「家庭」というベースの必要性を語られると同時に

「生活が落ち着いて、ゆったりしたら
俺は歌えなくなるかも知れない」との不安がおありだったり

「俺[ニューファミリー]ってのは大嫌い
子供と手をつないで歩くなんてゾッとする
常識の尺度とは無縁に生きたいんだ」とか

「アワアワと愛を育てるみたいな関係じゃなくて
いつも闘ってるような刺激しあえる関係が性に合ってる」と
いわゆる「マイホーム」主義とはかけ離れたお考えをお持ちだと話されていたらしい

離婚後のインタビューでは
「みんな完全な結婚を目指すべきだと思う
俺はちゃんと結婚する時期があれば
ちゃんとやればいいと思ってる」とか

「現実にはなかなか難しいけど
一人の女にメロメロになるって本望でしょ
愛する者を取ろうとした時に、仕事捨ててもいいんじゃない?
それが一番の方法だったらね」と予言みたいなご発言もあり

実際に再婚なさった後には「いつもどこかで日常的に繰り返されてるように
俺の側にもちっちゃな命が生まれて来る訳でしょ

人から見ればありふれてることだけど
本人達にしてみれば、恐ろしく尊いことなのよ
そのことを時々考えることはあるね、夜中に一人でね」とおっしゃってます

音楽的な変化についての質問には
「どんな所が変わって行くか、それは判る訳ないよ。何も言えない
そういうことっていうのは、後で人が評価することだからね

つまり、20歳の時からずっと曲を書いて来て
年齢に対して起こるべきことに素直に書いて来たのね
それは同じだよ、そういう意味では変わらない

一発出て行こうと決めた時には【HERO】が書けたし
離婚どうのって時には、やっぱり【安奈】や【漂泊者】が
どっかに引っ掛かってたし、そういうことでしょ」とお答えになってます

「甲斐よしひろに子供が生まれる
すると、どっかでマイホーム的になって
いわゆる[若者の代弁者」にはなれないんじゃないのか?」と訊かれた時も
「それは書いた曲で判断するしかないんじゃないの?」と甲斐さん

「でもね、結局、どんなに一つのことが上手く廻っていても
絶対イラ立つことはあるんだよ
何かがヤバくなっていれば、余計にイラ立つタイプだしね

記者会見があった次の日から、1日1枚
出来るだけ詩を書くようにはしてます
無理矢理そうしてるってことじゃなくて
煮え繰り返ってるってことがそうさせてるみたい

あんな風にさせられちまったことに、何で反撃するかっていうと
俺は音楽という部分しかないんじゃないかってね

そりゃ、マイホーム的になって【イマジン】を書ければ、それはそれでいいけどね
でも【イマジン】だって怒って書いてるぜ
あれは安住して書いてないよ
非常にイラ立って書いてるから、あんなにメロディが澄んでるのね」と話され

この機関紙と同時期のインタビューで
「記者会見の後に持っていた怒りみたいなものは歌になる?」と訊かれた際には

「昔【噂】って曲を書いたよね
ベストテン番組のディレクターの話
でも、ああいう歌って、その時はシュールで楽しいと思っていても
時間が経つと歌えなくなるよね
そういうことが判って来たから、直接は言わない

今思うけど【漂泊者】と【破れたハートを…】を書いて
どっかに落とし前つけたって感じちゃったように
俺の人生の何分の1かの転換期だと思いますよ

プライベートにも出会いがあって、別れがあって
別れがあって、出会いがあった
グチャグチャだったし…転換点だった
でも、これは1年くらい経ってから、ちゃんと語りたい」と答えておられますが

これは、次号に続くインタビューの内容とも絡んでいて
半年間の休業による「結果が出るには1年かかる
プレッシャーもある
言いたいこともいっぱいあるけど、今は言えない」ということらしい
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機関紙BEATNIK(Vol.4)その2

2016-08-27 15:34:23 | 日記
我が家の資料には「甲斐よしひろ再婚」についての記事が
大小あわせて6本あるんですが

「記者会見」の時のご夫妻の写真が掲載され
約1時間の会見の内容をまとめたものがほとんど…

確かに「ウソ」はなく、間違った内容ではないんだけど
その切り取られた「一部分」しか目にしない方が読まれたら
ホントにただの「芸能ニュース」(笑)

「出会い」はサンストで、甲斐さんの離婚後に「急接近」
「竹田かほりは妊娠5ヶ月」で「今後は育児に専念する」

「甲斐バンドは半年間ツアーを休止」
「近日中に入籍予定、式や披露宴は行わない」…といった具合です(苦笑)

まあ、ある週刊誌は「会見」以前から「情報をキャッチ」して
「2人の周辺を取材していた」と明かし

「竹田かほりのモデル時代からの友人」という女性や
「かほりの実家」の「ご近所の主婦」と「留守番の家人」なる人物の談話が

当時の甲斐さんのご自宅や
竹田さんのご実家の写真と共に掲載されてるんですが

これらの方々が、ホントに「実在」してるかはギモンだし
実在したとしても、そんな「第三者」が記者に話したかどうか…?(笑)

前の奥様との「同棲報道」の時も
甲斐さんが「僕は一言も発言していない
だけど[甲斐よしひろ談]になってる
いい加減にしろよって感じ」とか

「友達や彼女のお袋さんを騙して喋らせて
挙げ句に言わないことまで書いてる訳でしょ?もうホントに頭に来たね
心底、情けないと思った。もう泣きたかったのね

僕はどういう顔して、友達や彼女のお袋さん
それにスタッフの人達に会えばいいのか
本当にすまない気持ちでいっぱいだった」とおっしゃってました

甲斐さんは、前回も今回もお二人で食事をなさったり
飲みに行かれたりすることを
隠そうとなさる気は全くなかったみたいですが

いわゆる「芸能ジャーナリスト」にとっては
「竹田かほりが妊娠!父親は甲斐よしひろ!」という
「衝撃的」で「スキャンダラスなニュース」になるんだなあと…(苦笑)

結果、そういう「周辺取材」や「自宅の張り込み」に
危機感を覚えられて「記者会見」へ…(汗)

2月1日午後5時35分、ヒルトンホテルでの会見は
「席について、甲斐が事情を説明する」ことから始まり

「彼女は今、精神的にも肉体的にも微妙な状態です」との言葉通り
「質疑応答」の前に気分が悪くなられ退席される際には

「ふたり揃っての会見というから来たんじゃないですか!約束が違う」と
芸能レポーターから「暖かい」コメントが飛び(汗)
「月並みだけど嬉しい」と一言だけ…

甲斐さんへの質問は
「家ではどんな風に呼びますか?」やら
「どんな料理を食べさせて貰いましたか?」やら
「お約束」のものばかり(苦笑)

「俺があそこで何を考えていたかというと
彼等を刺激しちゃいけないってことね」と甲斐さん

「俺は、奴等の態度とか全てに最初から煮え繰り返ってるわけ
実は、途中で冗談を言おうと思ったのね

[そりゃあ、やっぱりハニーとかダーリンでしょうね]って
答えようかなと思ったけど、言う気にはなれなかった

これを言うと余計不謹慎な感じになるんじゃないかと思ってね
笑いにならないんだよ、彼等には

最後の方で[それは、ロックシンガーの口からお答えしかねます]って冗談で言ったら
朝のワイドショーで[ロックシンガーだと
好みの料理の話は出来ないんですかね]って言ってたんだって!

つまり、僕がどんな気持ちであの場に出て来たかを知らないのは
テレビのレポーターだけなんだよ

雑誌も週刊誌も新聞も俺達のバンドに関わって来た人達は
あの場に出たということだけで察しがついたと思う

だけど、テレビのレポーターは俺達のバンドに関わっていない
知らない訳だから刺激できないし、怒らせられない
冗談を言えば不謹慎だと報道する

かといって、俺だってプライドがあるから
俺が今までやって来たこととか、言い続けて来たことを
その場で言えないなら、体で表したいと思うじゃないか

ふんぞり返りながら、あくなき追求をかわしたい気分ってあるだろ
そんなデカイ態度も取れない訳よ
姿勢を正して、横柄だと言われないように答えなくちゃいけなかった

ある友人は、顔が凄く疲れてたねと言った
疲れてるんじゃない、煮え繰り返ってる腹を必死で抑えてたんだよ

あそこで終わらせなくちゃいけなかった
出て行ったんだから、後でとやかく言われても
[それは、あそこで終わったでしょ]って言えるからね

俺、それ以上何か害を加えられるようなことがあれば戦うよ
俺は、甲斐バンドや甲斐よしひろの
今まで守り続けて来たイメージをドブに投げ捨てて出てるんだもの

あんなに怒りっぽくて、言いたいこと言ってた甲斐が
どうしてあんなに窮屈な所に出て行って
あんなにシオラしくしなくちゃいけないのかってことだろ

堂々と胸はって、言いたいこと言って
レポーターが気に喰わないこと言ったら、机をひっくり返して帰って来れば
[あっ、また甲斐がやった!]ってね

甲斐バンドのフリークは、あんな間口の狭い会見をするより
机をひっくり返した方が理解ある訳よ」
…と、堪え難きを堪えた会見を振り返っておられるんですが

「本当は夏まで休むはずだったけど、6月にはもうツアーに出るよ
このことで頭に来てるしね
俺の中には、カーッて吐き出したいものがある
もう決めた、夏まで待てない」と休業「短縮」宣言(笑)が飛び出してました

余談ですが…昨日の「立ちっぱなし会見」のダイジェスト版を見たら
「何があっても母親」との言葉は繰り返し流れてたけど
「子供の性癖」について質問した方がいらしたことには
一切、触れられておらず…

kainatsuさんもツイートなさってましたが
世間では、その質問にこそ非難が集中しているのに
テレビって、そういう風に都合よく「切り取る」ものなんだなあと…

そういえば「芸能人の不倫謝罪会見は必要?」とのアンケートで
77%の方が「不必要」と答えられていて

その理由としては「当事者同士の問題」
「誰に対する謝罪なのか不明」とのご意見に続き

「政治家や企業とは違う」「他に大事なニュースがある」
「芸能人を攻撃する力を不祥事を起こした政治家に向けて欲しい」と
メディアに対する批判も少なくなかったようです
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