ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ファンミーティング6

2024-07-16 13:55:00 | ライブ
「サウンドストリート」の名物企画だった「カラオケ大会」で
甲斐さんがお飲みになっている「水割り」のグラスに氷が触れる「カラカラカラ」という音が
当時の中高生リスナーの皆さんには「大人の階段の音」だと感じられ
今も印象に残っているんじゃないか?…といった話をなさったあと

「水割り」繋がりでいらしたのか?(失礼!)…「えー、まあ、ナンか、(黒栁)徹子さんは
僕らの…『甲斐バンド』っていうと、まあねぇ…
『スタジオに来なくて、お話し出来なかったの。残念だったわね』って
いつも、ナンか、ちょっと…若干、恨みがましく言うらしいんですけど(笑)
えー、大丈夫です!僕、別に出ないんで、あそこ(『徹子の部屋』?)に…(笑)」

…と「ザ・ベストテン」ご出演にあたって、模索された「第3の方法」についての話題へ…って
数年前に、その「徹子の部屋」から、出演のオファーが来た際には
「ちょっと面白いかも知れない(笑)」とおっしゃったらしく

「まさかの快諾!?アレだけ『カラミたくない』って言ってたのに!?」
…と奥さんを驚かせていらしたのは、徹子さんが
前述のような「恨み」ごとを口にされていると、お知りになったからなのかなあと…?(笑)
もっとも、そのオファーは、お請けにはならなかったみたいだけど(苦笑)

奥さんは、押尾コータローさんが「徹子の部屋」に出られた際に
ものすごい早口で、饒舌に語られるご様子を、かなりビックリしながら拝見した一方で
「ああ、徹子さんを黙らせるには、こういう風に捲し立てればいいんだ!(笑)」とクスクス(笑)
「アメトーーク!」の「徹子の部屋芸人」の皆さんに「教えてあげたい(笑)」と思ったんだとか…(笑)

それはともかく…「まあ、そういうことで…えー、その…まあねぇ…
要するに、だから『ベストテン』出た時が…あの番組出た時も、その…『HERO』やると…
やるトコだけ、TBSが切り取って(オンエアーを)やるっていうんで、まあ、切り取って…
あの時『お助けマン(追っかけマン?(笑))』とかいて、スタジオとか(カラミは)一切なかったんで…

まっ、そらそうですよね?FMの番組のためだけにやってる(スタジオライブな)訳ですから…」
…と、ざっくり話されてましたが「ザ・ベストテン」のスタジオに出向くのでもなく
ライブ会場から生中継するのでもない、この「第3の方法」を実現させたのは
「サウンドストリート」の、NHKでは異色の?(誉めてます(笑))Mディレクター♪

スポーツ紙によれば…「中継をどうぞ…太っ腹NHK
甲斐バンドテレビ出演 15日のスタジオ・コンサートを提供 大感激のTBS」とか
「ヒーローが歌う時、それは今夜 TBS・毎日系、ザ・ベストテン
甲斐バンド出演OK なんとNHKのご好意で…」…とのことだったけど

さすがに、NHKのスタジオへ民放局のカメラを入れる訳には行かず
急きょ、TOSHIBA EMIのスタジオを借りることになったといった経緯はありつつも
「ライブに行きたくても行けない」ファンの皆さんからの「ザ・ベストテンに出て欲しい!」
…という熱烈なご要望にお応えになったところ

「サウンドストリート」の「イベント」としてのスタジオライブということで
いつものように?(笑)お飲みになっていた「魔法の水」に非難が殺到し(汗)
「水割り事件」という「伝説」が生まれたんですよね?(苦笑)

それでも、TBSから「再放送したい」との依頼があったってことは
「『太っ腹NHK』が問題にしていないのなら…」という点が後押ししたのかなあと…?(笑)
まあ、Mディレクターにとって「始末書」をお書きになることは
日常茶飯事でいらしたみたいですが…?(笑)

ともあれ…「えー、まっ、その『お助けマン』の人(松宮一彦さん)も
僕と同い年だったんですけども…もう亡くなりましたけどね、ええ…
まあ、そういうことで…そういう…ナンか久しぶりに、これやろうかなあ
じゃあ、松藤英男を紹介しましょう!」と、おっしゃると、アコギを手にされた松藤さんが再登場♪

鈴木さんとアイコンタクトを交わされ、スタンバイなさっているトコへ
甲斐さんが「大丈夫ですよね?イントロ…」と声をおかけになったので
奥さんは「リハーサルで何かトラブった?」と思ったようです(苦笑)

続けて、甲斐さんは「これ、福岡でレコーディングしたんですよ
あのー、その頃、(『HERO』が)来週1位になるって、オリコンにもあったんで
に…『逃げよう!』って言って…『絶対、マスコミ追っかけて来るから』って…

俺、テレビも何も出なかったんで…『逃げよう!』って、福岡に行って
えー、4日か5日くらい?福岡のスタジオ押さえて
『港からやってきた女』とか色々やったんですよね、試したんですよ
で、この曲だけ、OKテイクになって…」と話されてましたが

そのレコーディングスタジオの風景…甲斐さん、大森さん、松藤さんが
椅子にお掛けになって、それぞれアコギを手になさっている中
長岡さんだけが、コントラバスを構えておられる場面…や

4人で博多の街を歩いていらっしゃるお姿、甲斐さんのご実家の店内で談笑しておられるところ
後に「ウチくる?」で紹介なさっていたお店で、
楽し気にお食事されているご様子などを捉えた写真と共に
「ヒーローたちの里がえり」的な内容の記事の切り抜きが、我が家に保管されております(笑)

それはさておき…「で、その時に、背景でやってるハーモニ…ハー…ハーピニストが
僕が高校の時に教えたヤツで…教えたんですけど
そいつ、あっという間に俺より上手くなって、感じ悪いヤツなんですけども…(笑)

中野茂樹っていう…あの…『ノーマン・ホイットフィールド』って
高校の時に組んでたバンドのね、ハーピニストなんですけど
そいつが、実は、背景で吹いてるっていう…まあ、そういう曲をやりましょう…『噂』を…」…って

中野さんは、甲斐さんより1学年後輩の方で、ノーマン・ホイットフィールドで演奏する
洋楽のカバー曲を練習なさる際に「ヨッちんの選ぶ曲、みんな好き♪」と、おっしゃったくらい(笑)
音楽についてのお好みが似ていらしたみたいです

奥さんは、映画「照和」の、博多での舞台挨拶で
初めて、中野さんの演奏を聴かせて頂いた時
その演奏よりも「この人が『中野さん』かあ♪」と
甲斐さんのお話の中によく登場なさっていた「ご本人」を
目の当たりにしたことに高ぶっていたんだとか…(失礼!)

ともあれ…ビルボードツアー元年に、甲斐さんが「フォークをやります!」と宣言され
奥さんが「ええーっ!?ナンでフォーク?」と驚いていたトコへ
「その当時は、時代にマッチしていても、普遍的じゃないから」との理由で
「もう歌うことはないと思う」と話されていた「噂」が演奏され、更にビックリしたこと

演奏が終わったあとに甲斐さんが「この曲は、大森信和と松藤が2人がかりで弾いてたのを
健太は、1人で弾けるんだよ!」と絶賛なさっていたことを思い出していたそうだけど
その鈴木さんが、イントロを弾き始められた途端
「もう1回、行きますか?」と甲斐さん
「何度でも行きます!○○と同じくらいのレベル、行かないとさ」とやり直しを求められ
松藤さんとタイミングを合わせるように視線を交わされ、2回目にトライ

…が、先ほどよりも早いタイミングで、鈴木さんが手を上げてストップをかけられ
松藤さんが「健太!(笑)」とツッコまれるのへ、甲斐さんが「松藤、足音うるさい!」と一言
「別に、そりゃ、松藤の足音で聞こえなかった訳じゃないから、大丈夫ですよ…練習します?」と
鈴木さんに声をおかけになると、鈴木さんは「イヤ、大丈夫です」と返されたものの

松藤さんとほぼ向かい合わせの姿勢で臨まれた3回目は、更に早く演奏を止められ(汗)
松藤さんの「何やってる?(笑)」との言葉をよそに
引っかかった箇所を何度も練習なさっていて
そのご様子をご覧になっていた松藤さんが「ちょっと…練習する感じ、ちょっと大森さんっぽい(笑)」
…とおっしゃると、甲斐さんも「そうね、確かに…」と頷かれてました

4回目にようやくスムーズにスタートした訳ですが
甲斐さんの「大丈夫ですよね?イントロ」という言葉が
呪いの予言みたいになってしまった感じ…?(苦笑)
もっとも、甲斐さんも「♪ヒットチャートの中にあなた方の『席』もあります♪」を
「曲」とお歌いになってから、譜面を覗き込んでいらしたけど…(笑)

ちなみに…鈴木さんはご自身のインスタグラムで
「甲斐さんのファンクラブミーティング、3曲演奏で参加しました
2曲のカバー曲を甲斐さんと2人で。甲斐さんとのデュオは、10年前のビルボードツアー初年度を思い出したりして。

そしてもう1曲には、松藤さんが加わっての甲斐バンドの曲『噂』
これはまさにビルボード初年度にやった曲。あの時はかなり緊張してたけど
もう今はリラックスして出来るもんね、と思ってたら、まさかの、指がもつれるもつれる…
リハーサルでも楽屋でもバッチリだったのに…

こういう時には必ず何か原因がある。やり終えて思い返して
あ、そういうことか!と気づいたけど、もう後の祭り…悔しかったな~
でも『あたしのブギウギ』は本番がすごく良くて
甲斐さんが気持ち良さそうに歌ってくれたのが印象的でした」と振り返っておられました

ともあれ…「噂」が終わると「松藤英男、拍手を!」「鈴木健太、拍手を!」という
コールと共に、お二人を送り出され、ジャケットをお脱ぎになって…あっ、申し遅れましたが
ミニライブでは、トークショーの時の私服からステージ衣装にお色直しなさってます(笑)
三好さんからアコギを受け取られた甲斐さん

…って「魔法の水」が入っているタンブラーの表面が湿っていたのか?手汗をかいていらしたのか?
アコギを差し出しておられる三好さんのTシャツの袖で、手を拭っていらしたのを拝見して
以前に観た、本番前のバックステージの映像でも…
紙コップにナプキンを巻いただけでは手が湿ってしまわれるみたいで
一口お飲みになるたびに、傍らにいらしたスタッフの方が持っておられるタオルへ
手を伸ばしていらっしゃったお姿を思い出しました(笑)

それはさておき…「えー、今夜は、ねぇ?ホントに2時間近く…以上ですか?…なってますけど
えー、そっかー、みんな動画撮ってんだなあ…
俺は、ハッキリ言うけど、もう最後の曲は(カメラを)止めて
あのキラキラしたヤツで、俺を応援してくれ!」と、おっしゃって
「らせん階段」を弾き始められましたが…って、三島監督のお話が出たのはこの曲のせいかな?(笑)
もっとも、三島監督は、せっかくのニューバージョンではなく
オリジナルの「らせん階段」をお使いになってたけど…(苦笑)

奥さんは「写真・動画撮影OK」となさった手前、そういう風にお願いされただけで
本心では「スマホを構えてないで、ちゃんと曲を聴けよ!」と
思っておられたんじゃないか?と申しておりました
…っていうか、ハナから撮影を諦めたもんだから
椅子に掛けたまま、身体を揺らして聴いていると
写真嫌いでいらっしゃる甲斐さんが「ナンか、ずっとこっち見てる気がする(笑)」と主張(笑)
やっと立ち上がって、手拍子が出来る喜びを噛みしめていたらしい(笑)

ただ、甲斐友さん達から送って貰った映像では、それぞれの席の位置によるのか?
同じ曲を聴いているはずなのに、手拍子がバラバラで(苦笑)
「裏打ち」なさっている方や、ほとんど「拍手」状態の方
途中で合わなくなってリタイアされるも、また復活なさる方などなど…
奥さんは「せっかく、スマホを手離したのにねぇ…」と苦笑い(苦笑)

まあ、甲斐さんも間奏を弾き終えられたあと、出だしの歌詞を間違えて、歌い直されてたけど
こういう時って、1人弾き語りは融通がききますね?(笑)
そして最後は「サンキュー!ありがとう!」とアコギを外され
「今夜はホントにありがとう!サンキュー!」と手を振りながら、下手側の袖に向かわれる途中で
ピックをステージの床に放り投げて、去って行かれました♪
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ファンミーティング5

2024-07-14 14:11:00 | ライブ
甲斐さんの事務所で発見された「レアグッズ」の抽選会が終了すると
今秋リリース予定という、去年の甲斐バンド日比谷野音ライブのDVDから
「観覧車'82」が先行上映されたそうですが
甲斐さんによれば…「今日のために編集して、ギリギリ間に合った」んだとか…

映像自体は、WOWOWの生中継やその後の放送と見比べてみないと
どういう風に編集されたのか、しかとは判らなかったみたいだけど
「あんな風に大きなスクリーンで観ると、やっぱ迫力あるよね」と奥さん
特に、サックスの丹澤誠二さんが、気持ち良さそうに演奏なさっているのが印象的だったようです♪

そして、いよいよミニライブの時間となり、松藤さんと海津さんが下がられ
三好さんを始め、甲斐さんのライブでお馴染みのスタッフの皆さんが、セッティングを始められると
兼田さんが「今日は特別に、ライブ中の写真や動画の撮影OKです」と爆弾発言!?(笑)

観客のほぼ全員が、慌ててスマホを取り出し、ステージに向けて、ピント調整開始(笑)
奥さんもバッグの中からスマホを引っ張り出してみたものの、ズームをかけると画質が粗く…って
元々、あまりカメラ機能を使うことがないので、画素数にこだわりなく選んだスマホだったことと
奥さんの席からでは、前方の席の皆さんのスマホが写り込むことが避けられないと思われたこと

そして何よりも、カメラを構えたままでは、じっくりとライブが楽しめないこと
更には、ニューヨークでの「JAPAN DAY」で
甲斐さんが「傘を差したままだから拍手が短い」と嘆いていらしたことを思い出し
せっかくの「らしくない(笑)」サービスながら、撮影はしないことに…
もっとも、あとで甲斐友さん達が撮影した映像を見せて貰おうとは思っていたみたいだけど…(笑)

セッティングが着々と進むステージを眺めていると
兼田さんが「ここで、準備のために15分ほど小休止させて頂きます」とステージを降りられ
1ドリンク制の影響なのか?それ以前から、チラホラ席を立たれる方がいらしたのに拍車がかかり
どっとお手洗いに向かわれる方が急増したらしい
まあ、ビルボードでのライブなら、1ステージ分くらいの時間が経っていたそうですが…

ステージ上には、中央に甲斐さんの椅子とマイクスタンド、その傍らに小テーブル
それを挟むように左右にも椅子が1脚ずつ置かれ
かつ上手側の椅子の横に立てかけられたアコギを見て「やっぱり!」と奥さん
ビルボードツアー最終日に、甲斐さんが鈴木さんの方を振り向いておっしゃった
「ファンミーティングもある!」との言葉から
ゲストは、鈴木健太さんじゃないか?と予想していたことが的中?(笑)

もっとも、鈴木さんご自身もXで「リハーサルが…」という風に「匂わせ」ていらしたみたいだけど...(笑)
ならば、もう1脚の椅子には松藤さんが…と確信(笑)
そうそう!このファンミーティングの冒頭、兼田さんが松藤さんを招き入れられる際に
「予想していた方もいらっしゃると思いますが…」と、おっしゃっていたんだとか…(笑)

ともあれ…司会進行の兼田さんが下がられたまま、戻って来られなかったし
また「これがライブ前のSE!」という前触れもない内に
下手側から、鈴木さんがお一人で、さらっと登場されてビックリ!(笑)
アコギを手にされ、スタンバイなさっているトコへ、甲斐さんが出て来られたそうです

かつてのビルボードツアーのオープニングの如き、2ショットでのスタートとなった訳だけど
10年の時を経たお二人は、もうアイコンタクトも交わされないくらいになっていらしたのが
この日は、甲斐さんが、絶賛チューニング中の鈴木さんの方を振り返られ
「いいかな?(笑)」と声をおかけになってました
…と、断定して書いているのは、甲斐友さん達が、撮影した動画を奥さんに送ってくれたのを
ボクも拝見したので、強気になっております(笑)

ちなみに…奥さんと同様に、ハナから撮影を諦めた甲斐友さんもいれば
撮影したものの上手く撮れてなかった甲斐友さんもいる中
2階席にあたる「B1」エリアの甲斐友さんが
「ガン見しても、遠くて見えないし、あとでアップを楽しもうと思って…」と
ミニライブの始めから終わりまで途切れなく撮影した動画と

「B3」エリア前方席の甲斐友さんが「腕をプルプルさせながら」(笑)
甲斐さんの表情までしっかりと捉えた映像を送って貰った奥さん
「持つべきものは、腕のいい友達だね(笑)」と感謝しておりました

ともあれ…1曲目は「ん?この曲、ナンだっけ?」と思い出そうとしている内に曲が終わり(笑)
甲斐さんが「『夏・二人で』ってナンバーを…六文銭の『夏・二人で』ってナンバーをやりました」
…と明かされた途端に「それな!」と奥さん心の声(笑)
「もうね、ここでしかやれないんで…イヤイヤイヤ…
僕、あの…これ、アマチュアの時からすごいやりたくて…

で、まあ、僕らはムクツケき男たちばっかりだったんで…『照和』でやる時…
で、男女混合のグループがいて「こういうのやろうよ」って言ってたんですけど
今考えると難しいんだよねぇ…だから誰もやってくれなくて、みんな…
だから…えー、そうですね、70年代初頭の名作…で、いつかやりたかったんで...
『夏・二人で』ってナンバーをやりました…鈴木健太、拍手を!オーメン!」

…と、おそらく?どころか、鈴木さんにとっては全く未知の「新曲(笑)」でいらしたであろう曲を
見事に演奏なさったことに対するコールだったんじゃないかと…?
そして更に…「もう、これ(ミニライブは)ボチボチやりましょうね(笑)
ビルボードのライブでは、カッチリ!って感じで、もう疲れたんで…ホントにねぇ…

僕、ナンか、あの…あの(ツアーの)頃ずーっと、週に1回、トレーナー付いて
こう…お尻の肉とか、腰の肉とか、こう…バッチリ鍛えたんですけど
ヘバって4週間(ジムへ)行かなかったんですよ
『ヤバいな』と思って、まあ行き始めましたけどね、ハイ」と先のツアーのことにも触れられ

「…ということで、えー(笑)やりましょうか?えー、浅川マキの歌をやりましょう
えー、そうっすねぇ…あの…懸命に生きてて、ある日ふと足を止めて
その胸の隙間に、じんわりと染み込んで来る…えー、そんなナンバーを…
そんな歌をやりましょう…『あたしのブギウギ』」…という印象的な言葉と共に演奏が始まったんですが

この曲は、確か、名古屋に新しいライブハウスが出来たということで
甲斐さんとイチローさん、お二人でライブをなさった際にも選ばれてましたよね?
あの当時も、お疲れというか「ふと足を止めて」いらしたのかなあと…?

演奏が終わると…「サンキュー!イイねぇ!こういうのばっかりやりたいね、ホントに…(笑)」と甲斐さん
「えー、最近、あの…YouTuberで…あ、YouTubeで
『サウンドストリート』全部上がってて…アップされてて…
えー、それをですね、えー、僕の周りが結構、みんな聴いてて…

そうですね…『行列(のできる法律相談所)』の高橋利(之)くんが…まっ、プロデューサーですけど
彼は、犬の散歩行く時にヘッドフォンで、いつも2話ずつ…
2回分ずつ聴くという人とか、まあ、いるんですけども、ねぇ、考えたら、ナンか…
そいで、こう…その何人かが言うのが、あの流しの人…ゴールデン街から連れて来た
『流しの人、ホントいいですよね!』って言って…

まあ、その頃、僕、週に3回くらいゴールデン街、飲みに行ってたんで、えー、ねぇ?
えー、まっ、ある時…あのー、前の晩に飲んでて
『じゃあ…じゃあ明日も会おうね!』って言ってて…で…『じゃあ夕方ね』って言ったら
そいつ、東北のヤツで…僕、6時頃行ったら、そいつ『4時頃来てた』って言って…
あっ、この話、判んないですね…えー、日の長さが違うっていうことなんですけど…」

…と、おっしゃってましたが、東北出身のボクには、よ~く判ります!(笑)
「夕方」は、4~6時くらいのことで、それ以降は、もう「夜」っていう感覚ですね(笑)
実際に、日没時間も早いし、街灯が少ない田舎では「こんばんは」がしっくり来てました(笑)

それはともかく…「その…ね?えー、まあ『サウンドストリート』やるようになったんで…
そうねぇ…まあ、その頃、ホントに…ある時に、僕が飲んでたら、その流しの人が来て
『ナンか、この人、超イイな!』と思って…もう、次の日行ったら、また来たんですよ

で、あの…『1回3万で、NHK来ます?』って言ったら、ホントにもう、ちゃんと来てくれて…
それから、えー、(カラオケ大会で)色々やったんですよね、あの流しの人とちゃんとやって…
…と話されてましたが、主に当時流行っていた演歌系の歌謡曲…
「よせばいいのに」や「3年目の浮気」など…の伴奏をお願いなさっていて

その「3年目の浮気」をデュエットされた際に
この「流しの人(オイカワさん)」が、女性パートを担当なさったので
後に「オカマのナントカちゃん」と、お呼びになっていたような気が…?(笑)

ともあれ…「ほいで、何曲かやって、その時に、ね?あの…もう気持ちいいからっていうんで
ホントはダメなんですよ?水割りの氷の音カラカラ…ねぇ?やって…
あのカラカラカラっていうのが、もう未だに、みんな『良かった~!』って言ってて…

だから、アレは、みんなもう若いからさ、そう考えたら、もう『大人の階段』の音ですよ
アレを中学・高校(の頃に)聴きながら『よし!いつかは…』みたいな…ということですからね、ハイ」
…って、今の時代、色んな差し障りがおありかとは思いますが
番組の最初から「水割りを作る係」の方がおられたし?(笑)

リスナーに対しても「水割りがダメだったら、コーラで割るとか、赤玉ポートワインでもいいから」
…とおっしゃって、特に演歌系の「よく知らない」曲を歌われる時には
「素面で聴くな!一緒に歌え!」と呼びかけていらしたと記憶しております(笑)
でも、確かにあのサンストの「カラオケ大会」は
かつての「セイヤング」の「生歌コーナー」に匹敵すると、奥さんが絶賛していたくらい
「ボーカリスト」としての甲斐さんの魅力が満載でしたよね?
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ファンミーティング4

2024-07-11 14:26:00 | ライブ
甲斐さんの事務所から発見された「レアグッズ」が
ステージ奥のスクリーンに映し出され、簡単な説明がされたあと
チケットの半券が入っているとおぼしき抽選箱の中から、甲斐さんが当選者を選ばれた訳ですが

半券同士がピッタリと重なっているのか?甲斐さんは、ある程度、半券の束を掴まれると
それを丁寧にほぐすようにして、1品1品の当選半券をお選びになっていたそうで
「ナンか、目当ての番号を探してるみたいに見える(笑)」と奥さん(笑)

甲斐さんは甲斐さんで、その作業に時間がかかり、その間、ビミョーな沈黙が訪れたことに
「さっきまで(トークで)あんなに盛り上げたのに…」と苦笑い(苦笑)
ちなみに…当選したグッズは、終演後に半券と引き換えるとのことで
「今、この場で渡すんじゃないから、ステージに上がって来ないように…(笑)」
…と、予め、お断りになっておられたそうです(笑)

甲斐さんが、半券を1枚お選びになるたび、女性スタッフの方に手渡されると
そのスタッフの方は、第13位から第1位までのレアグッズ名が書かれているとおぼしき用紙に
その半券に印字された座席番号を記入なさっていたらしいんだけど

途中で、半券が1枚ステージの床に落ちた際には
甲斐さんが「これ1位ね、1位!」と落ちた半券を指し示されたので(笑)
第2位までの抽選が終わってから、拾い上げていらしたんだとか…(笑)

前回の記事でチラッと「ナンか見たことある(笑)」グッズに触れましたが
もちろん「レア」なものも沢山あったようで…
レコードをプレスする前に「試聴用」として、1曲録音されたテープとか
…って、これに書かれた文字は、甲斐さんの手によるものではなく
「工場のおじさんが書いた(笑)」「お兄さんかも知れない(笑)」とのコメントにクスクス(笑)

奥さんが一番「欲しい♪」と思った「Holy Night」というアナログシングルは
甲斐バンドのアルバム「地下室のメロディー」に収録されている「聖夜」の作曲者でいらっしゃる
豊島修一さんが、英語で歌っておられるもので
当日の会場で、実際に流されたらしく「すごくイイ!」と感激したんだとか…

甲斐さんも「俺、こういう風に歌いたかったんだよねぇ!さらっと…
でも、俺の歌い方って、心情を込め過ぎるんで…(笑)」とおっしゃっていたそうだけど(笑)
このシングルは、かつて、渋谷の「門」で、甲斐さんのお誕生日パーティーが催された時に
100人くらいのゲストの方に、お配りなったものと聴いて

「甲斐さんが、そんな大きな誕パを開くなんて意外!?」と思ったあと
「聖夜」という曲は、以前のレコーディングで、お蔵に入っていたのを
甲斐さんが公私共に大変でいらした(汗)頃に、リリースされた「全編失恋の曲」というアルバム
「地下室のメロディー」のラストに据えられた、いわく付きのナンバーであり

公私の「公」の方の問題で、長岡さんが弾いておられたベースの部分だけを
当時のツアーメンバーでいらした江澤宏明さんの演奏でレコーディングし直したものに
差し替えられての収録…という事情を抱えた曲だということを鑑み
また、パーティー会場が「サンスト」時代の行きつけのバーということも相まって
「『甲斐さんを励まそう!』的なニュアンスを含んだものだったのかも?」と思ったんだとか…

そう思った伏線として…甲斐さんが研ナオコさんに提供された「別離の黄昏」が主題歌になったドラマ
「私はタフな女」のサントラ盤が「レアグッズ」として紹介された際に
甲斐さんが「船越英一郎が、これ、持ってるらしいんですよ(笑)」とおっしゃったあと
「まあ、僕は、当時歌えなかったんですけど…」とポツリ…(汗)

その当時、この曲は、歌詞が実生活に直結し過ぎているため
ご自身の中で「まだ消化(昇華)できてないから、人に歌って貰った」
…と明かされていたことを思い出した…といった一幕があったみたいなので
そういう風に考えたのかも知れません…?(苦笑)

ともあれ…この「Holy Night」は、甲斐さんのボーカルではないとはいえ
さんには、非常にレアに感じられた一品だったらしく
「ナンで、これが5位なんだろ?」とモヤモヤ…(苦笑)

ちなみに…今回のファンミーティングに参加していなかった甲斐友さんから
「レアグッズには何があったのか?」と訊かれて、このシングル盤のことを告げると
会場のスクリーンで見たのと同じジャケットの写真が送られて来てビックリ!(笑)
「誕生日パーティーに出席してたのかな?(笑)」とクスクス(笑)
…って、上には上がおられるもんですねぇ(笑)

それはともかく…第1位は、さすがに「第1位!」って感じで(笑)
「THE BIG GIG」のスタッフTシャツが登場♪
白地で、右肩の下辺りに「8/7」というロゴが入ったシンプルなデザインながら
甲斐バンドフリークの皆さまには、インパクト大でいらしたようで(笑)
兼田さんが説明をなさる前から「ほお~!」といった声が上がっていたそうです(笑)
やっぱり「8月7日」というのは、特別は日なんだなあと…

もっとも、奥さんは「『BIG GIG AGAIN』の時に気づいてたら
復刻Tシャツの1枚になってたんじゃない?」などと思ったみたいだけど…(笑)
まあ、ナンにつけ「わかる人にはわかる」という点に重きを置くタイプなもんで(笑)

特に、Tシャツは、大きく「KAI」というロゴが入ったものや
甲斐さんのお顔やお姿が、デーン!とプリントされたものよりも
ツアー名だけとか、このスタッフTシャツみたいなデザインのものが好みらしく
甲斐さんのツアーTシャツで、一番気に入っていたのは「EGOIST」ツアーの時の
「~IST」という様々な単語だけがプリントされたTシャツだったようです(笑)

それはともかく…全13種(計14点)の当選半券を選び終えられると
「甲斐さんは、ミニライブの準備のため、ここでいったん退席されます」と兼田さん
でも、甲斐さんは「全部説明したいくらいなんだけど…(笑)」と
その「レア」さについて、まだ語り足りないご様子で?(笑)ステージを降りて行かれたんだとか…(笑)

そして…司会進行の兼田さんが、第13位から一品ずつ、当選した座席番号を発表された訳ですが
この「EX THEATER」は、ステージに最も近いエリアが「B3」
通常のホールの1階後方にあたるエリアが「B2」
そして、2階席となるスタンドが「B1」という風に分かれていて…って

ある甲斐友さんは、座席表をチェックしていなかったらしく、当日、入場列に並んでいた時に
奥さん達から「超イイ席じゃない!」と言われて、ビックリしていたそうです(笑)
まあ、幸運の女神は、こういう無欲な人に微笑むんでしょうね?(笑)

ともあれ…兼田さんが、甲斐さんのお選びになった半券の座席番号が記入された用紙を確認しながら
「第✕位は、B3エリア○列△番の方!」といった具合に発表なさって
その都度「当選者の方、どちらですかね?」と場内を見回されると
当選者の方が挙手でお応えになる…といった風に進んで行ったらしいんだけど

「『当たりたい』と思うものは当たらないのに
『これは当たりたくないな』という当番などには必ず当たる(笑)」奥さんは
当選番号に耳を澄ます…というより、兼田さんやゲストのお二人(松藤さんと海津さん)が
「一桁」の席番を読み上げられるたび
ステージから見て左側(上手側)の客席をご覧になっていたことに
「ライブに関係するお仕事なのに、客席の席番は把握してないんだ!?(笑)」とビックリ!

お三方が、ご覧になっていたのとは反対側から、手が上がると
「あっ!そっちか!」って感じで振り返られるのを眺めたり(笑)
また「B3エリア」と聴くと「そんな前方の席というだけでもラッキーなのに
抽選にも当たるなんて、どんだけ運が強い人なんだろ?」と羨ましく思ったり…

あっ!でも、兼田さんが「B3エリア、1列△番の方!」とおっしゃった時には
「ん?『1列』って?」と違和感を覚えたらしい
最前列の方が手を上げられた途端に「あっ!『1列』じゃなくて『I列』ですね」と訂正が入り
「I列」の方は嬉しかったでしょうが「1列」の方にはホントにお気の毒な展開もあり…(汗)

これは、甲斐バンドのツアーでも、ちょくちょく起こる悲劇ではあるようで
「I列」を「1列」と信じて、楽しみに待っていたライブ当日に
最前列の席へ着こうとした、あるいは、席に着いていたトコで、衝撃の事実を突きつけられ
「力なく、本来の席へ移動する姿は、見るに忍びない…」と奥さん(苦笑)

まあ、自分が勘違いしたことはないみたいですが
奥さんにとっては「めったにない神席」に、他の観客の方がお座りになっていたことがあり
「あれ?」とチケットの半券を確認し、声をかけて移動して頂いた際には
「ものすご~く悪いことしたような気分になった」んだとか…(苦笑)

なので、この日、兼田さんが、一度ならず二度までも「I列」を「1列」と見間違われた時には
「ホント、勘弁してあげて下さい」と、心の中で訴えていたそうです(苦笑)
ちなみに…上手側後方の奥さんの席からは、手を上げられた方が誰一人見えなかったみたいで
終演後に、甲斐友さんが、選ばれし14人の中の2人だったことを知って
「こんな身近にも強運の持ち主が…!」とビックリしたらしい(笑)

あっ!申し遅れましたが「全13種」で、当選者14名というのは
「Singer」ツアーのパンフレットが2冊あったということです
もっとも、パンフレットならいざ知らず、LPやテープが当たった方は
松藤さんの「プレーヤー買って下さいね(笑)」との言葉をどうお聴きになっていたのかなあと…?(笑)
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ファンミーティング3

2024-07-08 13:50:00 | ライブ
30年間の「BEAT VISION」の中から選ばれし寄稿や特集に関する興味深いトークが展開される中で
「編集する人間によって(甲斐報の)雰囲気が変わるよね?」と甲斐さん
この時、奥さんは、甲斐さんのマネージャー氏や事務所の方が編集を担当されていた頃は
甲斐報に添付されている「KICK BACK」の最後に
「編集後記」として「イニシャル入りのコメントが載っていたなあ…」と思い出していたらしい

1~2行の短いコメントながら、甲斐さんの身近にいらっしゃる方々の言葉は
その号が取り上げている特集…アルバムリリースなり、ツアーのリハーサルなり…の頃の
忙しさや緊張感、手応えが窺えて、ちょっと楽しみにしていたトコもあったんじゃないかと…?(笑)
ちなみに…現在は、コメントはおろか、兼田さんのお名前も掲載されていないようです(苦笑)

ともあれ、甲斐さんによれば…
「『ここぞ!』という時は、海津くんに(原稿を)書いて貰ってる」とのことだけど
兼田さんは「お忙しい方なので、なかなか依頼しにくいんです」と苦笑い(苦笑)
もっとも、甲斐さんも、海津さんが「Rockin'On」の代表を務められるようになられたことで
「ナンか、偉くなっちゃったからなあ(笑)」と笑っていらしたんだとか…(笑)

でも、かつて海津さんが、ユーミンのサポートをなさっていた頃
ユーミンの名古屋ライブのあと、甲斐さんもよくお見えになる「夜のお楽しみのお店」で
やはり、打ち上げで来店されていた甲斐さん達の席へ移って来られたことがおありだったそうで(笑)
「ユーミンと来てるのに…(笑)」とクスクス(笑)
かなり親しくおつき合いをなさっていたみたいです

ただ、先のビルボードツアーでは「東京(在住)なのに、ナゼか名古屋(公演)に来て
そのあとの打ち上げに乱入して来る(笑)」と話されていたらしく
もしかしたら、名古屋の「お楽しみのお店」で
甲斐さんとお食事なさるのが、お好きなんじゃないかと…?(笑)

そうそう!海津さんの今のご職業を一言で言うと「興行師」なんだそうですが
甲斐さんが、海津さんのご両親を始め、お身内の方のご職業をお訊ねになると
「弁護士」「会計士」といった「し」が付く職業名をお答えになり
最後に「叔父さんは?」との質問に「庭師」と海津さん
甲斐さんは「この話、好きなんだよ!毎回やってるよね(笑)」と大笑い(笑)
ホントに「偉くなっちゃった」と思っておられるんでしょうか?(笑)

ちなみに…甲斐さんから年齢を訊ねられた兼田さんは「61です」とお答えになったあと
「実は、今日(6/30)が誕生日でして…でも、去年も翌日(7/1)が
甲斐バンドの日比谷野音ライブだったので…(笑)」
…と、毎年、甲斐さんのお仕事に携わっていらっしゃるご様子?(笑)

それはさておき…約1時間かけて、これまでの甲斐報を振り返られたあとは
甲斐さんの事務所等から発見されたという「レアグッズ」の抽選会がスタート♪
…が、中には「Singer」ツアーのパンフレットや
「Highway25」のカレンダーなど
当時、販売されていたものもあり「これ、持ってるよね?」の声も少なくなかったみたいです(苦笑)

もっとも、甲斐さんは、この抽選会にあたって…
「海津くんの意見を、一番参考にした…俺には判んないもんねぇ」と
発見されたレアグッズを、海津さん等とのご会食の場に持参なさって(笑)
その「レアさ」の具合をお訊ねになり、全13種(計14点)の順位を決められたそうなので
奥さん達ファン目線の「レア物」とは少し違っていたのかも知れませんね?

ともあれ…奥さんが「ナンか、佐渡ツアーの時のビンゴ大会みたいだなあ(笑)」と思いながら…って
そのビンゴ大会の折にも、司会の久保さんが「次の景品はスゴいですよ~!」と
自信たっぷりに紹介なさったにも関わらず、参加されたファンの皆さんにとっては
「アレって、CDの予約特典じゃなかった?」とか、すでに所有なさっている品が多かったため
久保さんが、参加者の反応の薄さに「あら?」と首を傾げられる場面が多発したらしい(苦笑)

…ステージ奥のスクリーンに映し出される「レアグッズ」を眺め、その説明を聴いていると
奥さんが「誰でも持ってる」と思っていた物が
他のファンの皆さんには「レア」な物だということが、説明に対する反応から判って来たそうで
「えっ!?逆にナンで私、持ってるんだろ?」という疑問が、にわかに浮上…(笑)

例えば、ペニー・スミスさんが撮影した、唯一の日本人…「甲斐バンド」の皆さんの写真が
ジャケットの表裏両面にちりばめられたLPレコードとか
甲斐さん初のソロカバーアルバム「翼あるもの」のジャケットと少し違う写真のジグソーパズルとか

あと、全く同じ物ではないものの、KAIFIVEの販促用の資料…
メンバーの皆さんのお写真とプロフィールや、リリース・ライブなど活動の記録…と
会場で紹介された物には、CDとTシャツが1枚ずつ付いていて
奥さんが持っているのは、シングルとアルバムのCD2枚付きのリングファイル…といった風に

「ナンか、家で見たことある(笑)」グッズを、どこから入手したのか?
帰宅後、現物を見て考えようと発掘してみたところ、他にも出所不明の非売品が…!?(笑)
アルバム「GOLD」のギミックと思われる?黄色いギターピック(「黄金/GOLD」のロゴ入り)とか
「PARTNER TOUR」の時の、甲斐さんのサイン入りシングル盤とか

「爆発間近 11月5日遂に発売!」との文字と、甲斐バンドの皆さんのサイン入り
ジャケット写真が違う「バス通り」のEPとか…
まあ、大半は、幼少時から通っていた行きつけのレコード店で
仲良くなったバイトリーダーの方にお願いして戴いた物だったり
アルバイトしていたカラオケボックスにあった物と判明(笑)

そうそう!これらの非売品が出て来たのは、元はと言えば
前述のLPレコードと、ジグソーパズルを当てた甲斐友さん2人の内
LPの方の甲斐友さんが、帰宅後にそのジャケット表裏と
中に入っていたインデックスの写真を、LINEで送ってくれたそうで

パズル当選の甲斐友さんも、少し違う「翼あるもの」のジャケット写真を送ってくれたものの
そのLPレコードを模したパズルの箱に掛けられている「帯」の部分に
甲斐さんのサインが重なっていたので「開封できない」と知り
「ならば」と、代わりに奥さんが開封して箱の中身を確認しようということになったらしいんだけど
このパズルが、ナカナカ見つからず、関係ない物ばかりを発掘する羽目になった次第…(笑)

あっ!抽選会の「レアグッズ」には、全て甲斐さんのサインが入っていて
甲斐さんは、そのサインをなさるためだけに、事務所へ行かれたそうです(笑)

…で、ようやくパズルを発見し「開封の儀(笑)」を行ったところ
まあ、予想通りというか(笑)バラバラのピースが入っているビニール袋と
「仕上げ用のり」&その「のり」の使い方を記した紙が入っていたのを写真に撮り
甲斐友さん達とのLINEに送ったあと、蓋をして、箱をくるんでいたプチプチに戻そうとしていたら

「甲斐さん」のお姿だけ完成させて写真を…というリクエストが来て(笑)
「あっ!私、組み立てるんだ!?(笑)」となって(笑)
早速、パズルに挑戦し始めたところ、背景部分が
薄いグレー→水色→ブルー→青紫→紫→ピンク…といったグラデーションになっていて

甲斐さんがお召しになっている「赤」のジャケットと「チェック」のシャツ以外
パンツは、ベージュ→薄いグレーで、マフラーは青紫系ブルー…のピースは
どれがどれやら?…状態だったみたいで(苦笑)
とりあえず、ピースの数を減らそうと、一番判りやすい「翼あるもの」と「甲斐よしひろ」という
「文字」の部分から攻めることに…(笑)

…が、ピースを取り出したあとの空き箱の中で
文字部分のピースを並べ始めたら、思っていたよりも文字が大きく…って
奥さんは「完成形」が、LPサイズよりふた回りくらい大きい
「このパズルの箱と同じサイズなんだろう」と信じて疑わなかったみたいで(笑)
「えっ!?『翼』って、どう書くんだっけ?」と、空中に指で書いて悩んでしまうほど苦戦を強いられ
その日は、文字部分が完成したトコで「今日はこれくらいにしといたる」と…(笑)

その後、色めごとにピースを選り分け、12個入りのおまんじゅうの空き箱4つにピースを入れて
…って、あまり小さな箱だと、ピース同士が重なって探しにくいかららしい(笑)
甲斐さんのお姿の部分に挑んでいると、そこには必要なかったピース同士がピタリとハマり始め
「じゃあ」と、そちらの部分に力を入れて、ある程度の絵柄が見えて来たら
「あっ!これって、右上のパーツだ!」と判明(笑)

ただ、今、使っているパズルの空き箱の中では、その右上部分は収まり切らず
別の空き箱の蓋を探して来て、その右上部分を下敷きを使って移動させようとしたものの
全てをすくい取る前にバラバラと崩れてしまい(汗)仕方なく、別の空き箱の中で再構築…
といったことを繰り返した挙げ句「もうフレームを買おう!」と決意(笑)

…が、ネットで検索してみると、そもそも正方形のフレームが少ない上に
写真立てくらいのものが主流で、ハンカチやTシャツ展示用のものでも50センチ角以下がほとんど…
このパズルの完成品が入る、55~60センチ角になると「渋沢栄一」さんが必要と知り
「とりあえず…」と、3つ目の空き箱に分割して作業を進めていたんだけど
完成間近を迎えて、ついにフレームを購入した模様…(笑)

でも…「どうせ買うなら、最初に買っておけば良かった…」と奥さん
3つの空き箱に組み上がったピース達をフレームに移す煩雑さを思って、タメ息をついております(笑)
更に…パズルの箱に入っていた「仕上げ用のり」は「賞味期限」があるのか?問題も控えていて(笑)
せっかくの苦労が水の泡になるかも知れない「賭け」は「怖くてムリ~!」なんだとか…(笑)

ただ、抽選会でこのパズルの説明がされたあとに
松藤さんが「是非バラバラにして作って下さい(笑)」とおっしゃっていたらしく
おそらく?甲斐さん達は、箱の中には「LPサイズのパズル」が
完成した状態で入ってると思っておられるんじゃないかと…?(笑)
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ファンミーティング2

2024-07-06 14:25:00 | ライブ
大阪関連の「鉄板ネタ」のあとは、江國香織さんの寄稿が紹介され
「昨日もバーで会いましたよ」と甲斐さん…って
江國さんとは、いつもバーで遭遇なさってるような気が…?(笑)
ちなみに…江國さんは、大塚いちおさんとご同様に「関係者席」ではなく
奥さん達ファンと同じ客席で、甲斐さんのライブをご覧になっているそうです(笑)

他には、甲斐バンドの楽曲をモチーフにしたオムニバス映画
「破れたハートを売り物に」の中の1本である「父と息子(モチーフ曲『安奈』)」に
「タクシーの運転手役」で出演なさった甲斐さんが
主演のお二人…船越英一郎さんと大森南朋さん…に挟まれておられる写真も映し出され

「監督の榊英雄が事件を起こしたんで…3回目の逮捕とかって…」と苦笑い(苦笑)
…って、橋本一監督作品には「俳優」として出演なさっているし(汗)
「オムニバス映画」としての上映や配信は、当分ムリでしょうね?(苦笑)

それはともかく…「でも、2人とも『役者の顔』してるねぇ!
これ、撮ったの、撮影終わったばっかりの時だったんで
まだ、その役の余韻が残ってたのかも知れないですね」…とおっしゃったあと

「僕、これ…タクシー運転手の役だったんですけど
このベスト、ペラッペラなんですよ!(笑)」という「お約束」のエピソードも披露されたそうです(笑)
もっとも、奥さんは「『980円です』というセリフも聴きたかった!」んだとか…(笑)

同じオムニバス映画の1本である「おやじファイト(モチーフ曲『らせん階段』)」を撮影された
三島有紀子監督の作品が特集されるということで
「コメントを書いたんで、またどこかで発表されるんですかね?」と甲斐さん
「そのまんま埋もれてたりして…(笑)」と笑っていらしたみたいですが

今のところ、その東中野での上映特集の記事に紹介されていたのは
中谷美紀さんと稲垣吾郎さん、そして映画評論家の北川れい子さんのコメントだけで
浅野忠信さんや奥田瑛二さん、片岡礼子さんを始め
そうそうたる皆さんと共に甲斐さんのお名前も
「本企画への応援コメントをお寄せくださった皆様」の中に記されてありました(苦笑)

甲斐さんは、三島監督ご自身がボクシング経験者でいらっしゃることに触れられたり
「すばらしき世界」の西川美和監督と共に、綺麗で才能がある女性だと絶賛なさったあと
「中身は男かも知れない(笑)」と笑っておられたらしい(苦笑)

続いて…東日本大震災後に、甲斐バンドのお三方と、kainatsuさんが
石巻専修大学の学園祭に出演なさった際、ライブが終了し、皆さんがお乗りになったとおぼしき?
ワゴン車に向かって、深々としたお辞儀で、お見送りなさっている
学園祭関係者の皆さんの後ろ姿を捉えた1枚が紹介されると「これ、いい写真だよね」と甲斐さん

ただ、甲斐さんによれば…この1枚は、甲斐さんのステージ写真を始め
ファンクラブ会報「BEAT VISION」の写真撮影を担当されている
三浦麻旅子さんが撮影なさったのではないんじゃないかと…?
もっとも、三浦さんが、別の車でお帰りになったと考えれば、つじつまは合いますよね?

ともあれ…この学園祭ご出演に関しては、ライブの模様がラジオでオンエアされたこともあって
かなりの反響があったことを、甲斐さんご自身も実感なさったみたいで
奥さんは「この時のライブも『音楽をやって来て良かったと感じたこと』の1つになったんじゃないかな」と申しておりました

これは、たぶん?阪神淡路大震災後、甲斐さんが神戸でライブを開催して下さったこと
…っていうか、当時の「K-Information」で
甲斐さんご自身の声でメッセージが聴けただけで、ずいぶん元気になっていたし
更に、ライブに参加して、大いにパワーを授けて戴いたことを思い出していたんだろうと思われます

更に…「Walker Train」と題された新幹線車内でのライブイベントの一場面も…♪
司会の兼田さんが、この企画はJRからのオファーで実現したことに触れられ
松藤さんと鎌田ジョージさんが参加なさった「Guy Band(害バンド?(笑))」結成の経緯について
「大阪でライブが終わったあと、翌日にライブハウスでライブがあると発表されたんですよね」

…と説明なさったそうだけど、奥さんによれば…
ライブ中に、甲斐さんのMCで突然の告知があり
帰り際に手渡されたチラシに記されていた、予約受付の電話番号にかけまくり、無事に予約できて
翌日、意気揚々と会場に行ったら、予約受付順ではなく、当日並んだ順の入場でビックリ!(笑)
それでも「Guy Band」誕生の場に居合わせたことは「ラッキーだった♪」と申しておりました(笑)

ともあれ…兼田さんが、当日のセットリストを読み上げられたあと
「列車の揺れがあるので、踏ん張りながら演奏なさったとお聞きしましたが…?」と質問されるも
スクリーンに映し出された写真をご覧になった甲斐さんは
「ジョージはヘッドフォンしてるけど、松藤は?」とカブセ質問(笑)
撮影の角度の加減で、ハッキリとは見えないものの、松藤さんも装着なさっていたそうです(笑)

ライブ自体は「静岡あたりで終了した」らしく
話題は写真に写っていらっしゃる観客の皆さんへ…
松藤さんが「『このライブに行ったよ!』って人います?」とお訊ねになると
1階前方席?の方が手を挙げられたみたいですが
「ここに写っている皆さんも、かなり年齢を重ねられてるでしょうね?(笑)」
…というコメントをどんなお気持ちで聴いていらしたのかなあと…?(苦笑)

ちなみに…奥さんは、当時、K-Informationで、このイベントの当選番号を確認していて
自分の受付番号の1つ前の番号が読み上げられるのを聞いた時の脱力感を思い出していたんだとか…(笑)

そして…奥さんが、一番高まったという「1970年物語」が登場♪
兼田さんが「これは、5回に渡って掲載された特集で
毎回、最後に甲斐さんのコメントが付いてたんですよね」と紹介されると
甲斐さんは「これ、松藤が(ネットで)見つけて来たんだよね『面白いよ!』って…」

…とおっしゃったそうですが、その連載の第1回のコメントで
「照和」に関する書籍や紹介文は沢山あるものの
それらは「照和」の外の人間が書いたものなので、本当のところは判っていない
この「1970年物語」は、当時、その場にいた人間が見聞きしたことを書いている
…といったことをお書きになっていて、まさに、その「当事者」でいらした甲斐さんや松藤さんには
「そうそう!そうだった!(笑)」と膝を叩かれるほど懐かしく、興味深い読み物だったんじゃないかと…?

ともあれ…「これね、昔、僕が照和に戻った時に、月曜日のステージに出てたんですよ
そこが一番(お客さんの)入りが悪いって言うんで…
で、6時・8時(のステージ)に出てて、やっぱり7時・9時も(出演者が)要るなあってことで
福大のフォークソングクラブ?の…(『フォークソング愛好会ですね』と松藤さん)

妙安寺ファミリーバンドっていうバンドを引き入れたんですけど
その妙安寺のメンバーが、一軒家を借りて住んでて、僕、そこに泊まりに行ってたんですよ
その内に、だんだん帰らなくなって、プチ家出してた(笑)
6日に1回くらい、着替えを取りに帰るみたいな感じで…(笑)

その妙安寺ファミリーバンドの門田一郎っていう人が、これを書いてる
門田さんは、今、メルボルンでレストランを経営してて…
当時の照和のことがよく判る!『裏・甲斐バンドストーリー』っていうか…ねぇ?」
…と振られた松藤さんも大きく頷かれていたらしい(笑)

例の「甲斐さんにバス代500円を借りた」話では
「照和に出てないのに(笑)」甲斐さんにお願いなさったのは
他の皆さんから、甲斐さんが「一番お金を持ってるって聞いたから(笑)」と明かされ
やはり最後に「いまだに、ずーっとこの話をされてます(笑)」とおっしゃっていたんだとか…(笑)

松藤さんが、甲斐さんのプチ家出について…
「甲斐さんのお母さんが野菜を持たせた」と話されていたというのは
妙安寺の皆さんの「合宿所」に「ギターとレコード、パジャマと野菜を持って…」
やって来られた甲斐さんに、門田さんが「お前、ナンや、それ?」とお訊ねになった時

「お袋に『妙安寺に泊まりに行く』て言うたら
『お寺さんなら精進料理やろうけん』て言うて、野菜ば持たされたと」
…とお答えになった件のことかと思われますが
門田さんは「ワープロの変換がめんどくさい」とおっしゃいながら
会話部分が全て「『博多弁』で書いてあるのがイイよねぇ♪」と奥さん(笑)

「BEAT VISION」で、この特集が組まれた際に、ネットですべて拝読し
「甲斐さん」に関連する章をノートに書き写し(笑)
映画「照和」の観賞遠征の折りには、いつも持ち歩いていたみたいです(笑)

先のビルボードツアーで、初めて福岡遠征するという甲斐友さんに
この甲斐報版の「1970年物語」を「資料」として、予め渡していたところ
実際に福岡の街に足を踏み入れたら、ものの見事にハマった様子だったらしく
改めて、このノートを貸していたのが、ちょうどこのファンミーティングの日に返却されたそうで
その夜は、ホテルでノートを読み返し、ニマニマしていたんだとか…(笑)

ちなみに…門田さんは「この野菜が甲斐の居候代となった…(中略)
甲斐は照和でウエイターもやっているから、毎夕、バスに乗って出かけていく
帰りは、その日出演していたバンドを誘って帰って来る。我が家のように…」と記されていて(笑)

この章が掲載された甲斐報の甲斐さんのコメント欄には…
「僕としては、同じ照和に出演していると言っても
妙安寺とは曜日が違ってたりして
あまり顔なじみじゃないメンバーを選んで連れて帰っていた
良かれと思ってしたことだったのだが『許せ、カーサン!』」…と返されてました(笑)

その「妙安寺」は、門田さんのご実家のお寺の名前で、甲斐さんによれば
「ナベプロの渡辺晉の墓がある」らしいんだけど
奥さんは「それより、岸川さんのお墓があることの方が大事じゃね?」とツッコミ(笑)
甲斐さんは「実在するお寺なんで、探してみて下さい(笑)」とおっしゃったみたいですが
奥さんの「聖地巡り」ルートには、何度も組み込まれていたんだとか…(笑)

そうそう!門田さんは、特にお書きになっていなかったんですが
甲斐さんは、妙安寺ファミリーバンド最年少メンバーでいらした木下聖雅さんと仲が良かったようで
木下さんが、この「1970年物語」をアップなさっているとお知りになって
久しぶりに連絡をお取りになったらしい(笑)
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