ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐よしひろのセイ!ヤング21(9/23)その4

2021-09-30 21:05:00 | メディア
「ハイ、ということで『黒くぬれ』…『Paint It Black』お送りしました」と甲斐さん
曲を流される前に「これ、来てますけど」と触れていらした
チャーリー・ワッツの訃報に関する投稿へ…

子供の頃からジャズが好きで、お洒落で上品だったチャーリーは
ストーンズの中で、1人だけ違う空気を持ち
荒くれ者の2人(笑)を後ろから見守る兄のごとき存在で

1995年の来日ツアーに、ご夫婦で参戦なさった際
背筋を伸ばして姿勢良くプレイしていたチャーリーをご覧になったご主人が
「おい、チャーリー、ホンマに叩いてるか?
二人羽織みたいに、後ろに誰かいてるんちゃうか?」と驚かれていた(笑)…といった内容に

「あの…プロになって…ストーンズがプロになって何年かは
えー、デザイン事務所にまだ勤めてたんですよ、チャーリーは…あの…用心深い人なんで…
キースが、とにかくもう、口説いて口説いて
『もう辞めようよ!』って言って…まっ、いう感じなんですけど…」と話されてましたが

甲斐さんが、デビュー前の甲斐バンドで、ドラムを担当なさっていた方と
交番の前で殴り合いのケンカをなさったのは
プロデビューが決まっているにも関わらず、そのドラマーの方が
理容学校を受験するとおっしゃったかららしく

「もし東京で失敗したら、床屋にでもなろうと思ったに違いない
その考えも判らなくはないけど、やはりどこか許せない気がした
俺にしてみると、東京へ行くということは
何もかも捨てて、体ひとつで行かなければならないと思っていたから

学校へ行きながら、バンドもやって行こうと
二足のわらじを履こうとするなんて男は、どうしても許せなかったのね
そんな甘い考えではやっていけないと思った」
…という、当時の甲斐さんのお考えとは違うご発言ですね(笑)

まあ、今よりもっと遠く感じられたであろう東京で「一旗揚げる」までは
おいそれと福岡に舞い戻っては来られないという不退転の覚悟でいらしたんでしょうし
大手旅行代理店をお辞めになっていた甲斐さんは元より

長岡さんは大学を卒業なさったとはいえ、内定していた就職先を蹴飛ばされ
全く授業を受けておられなかった(笑)松藤さんはともかく(失礼!)大森さんは薬学部を中退され
いわば福岡でのキャリアも何も全て捨てて上京しようとなさっていたんですもんねぇ…

それはさておき…「ストーンズのアルバムジャケットとかポスターが
あの…アメリカン・ポップアートの影響、すごい強いじゃないですか?
アレはもう完全に、やっぱりチャーリーが意見出してたんで…特にポスターがね
えー、僕、あのポスター集、持ってますけど…

えー、まあ、さっきあの…ホントにあの…独特の…
えー、あの…ハイハットの叩き方ね、えー、スゴイなあと思いますけど
えー、まああの…『ドント、ドント、ドント、ドント、ドント、ドント』ってなってもね
要は、やっぱり『よさこい』とは違いますからね

(『あの…オーディエンスを全部踊らせるくらいもう叩くんだ!
…って言ってたそうなんで、よく判りますよね』と松藤さん)
『ドント、ドント、ドント、ドント、ドント、ドント』ってアレは、僕らも小節数えられますから

『ドント、ドント、ドント、ドント』ってなって、小節数えられないもんね
…って、言ってすぐ、僕はちょっと皮肉言い過ぎですね(笑)好きですけどね(笑)
『よさこい』ずっと、小節…何小節行ったって、数数えられないじゃん?だって…」

…と、上げ下げが激しかったですが(笑)
甲斐さんは昔から、貴公子然としたビートルズではなく
「ロンドン乞食」と呼ばれたストーンズの方が
実は中産階級出身ということが「面白い」とおっしゃっていたし
そういう「ひねり」がお好きというか「どストレートに褒める」ことが
照れ臭くていらっしゃるんじゃないかと…?(笑)

ともあれ…「オリンピック閉会式でのバッハ会長の挨拶が長くて
頭が痛くなったから『バッハリン』飲まなきゃ」というツカミの投稿(笑)
「シャレてる訳ですよ、彼はね」という投稿者の方は、50代でいらっしゃるそうで
オリパラが終わってから、ようやくワクチン接種を済まされ「地域差があるようです」と…

甲斐さんも「ホントにスゴイみたいね?ナンか色々…」と、おっしゃってましたが
奥さんも、つい先日、2回目の接種を終えて
恐れていた通り、高熱と腕・肩・背中の激痛にノタウチ回っておりました(汗)
特に、肩と背中には「アイスピックを突き立てられてるような痛み」があったらしく(汗)
熱で朦朧とする余裕もなかったみたいです(汗)

ちなみに、接種の当日と翌日は休みを頂いていたんだけど
接種後2時間ほどで、体温がグングン上昇…って
上がって行くのがハッキリ判るくらいの急上昇で(汗)
翌日からは、腕のズキズキに加え、肩と背中のズキズキが始まり(汗)

そこから更に2日休みを延長し、ようやく36.9°まで下がったので…
と言っても、平熱が35.3°なので、発熱状態なんだけど…とりあえず出勤するも
翌日またぶり返してしまい、その翌日…つまり今日は
蜷川幸雄さん七回忌記念公演の大阪初日…(苦笑)

緊急事態宣言最終日ということで、キャンセル可だったため
夕方ギリギリまで悩んだ挙げ句、36.8°になったのを幸い?バタバタと出かけて行き
吉田鋼太郎さんと藤原竜也さん、溝端淳平さんに熱を上げて帰って来た奥さん(笑)
「行き帰りの電車で、職場の人に見つからなくて良かった~!」…って、そこ!?(苦笑)

それはともかく…投稿者の方は「接種後、血管内に血栓が出来る人もいるとのことで
激しい運動だけでなく、トイレで力を込めることも控えた方がいいとの記事」をご覧になり
接種後に深刻な不安を覚えておられたのかと思いきや
「血栓は、金曜日が特に注意が必要らしいです」って、まさかのドリカム落ち!?(苦笑)

甲斐さんは「もう、判るわ!それくらい
(『ハイハイ、みたいな…(笑)』と松藤さん(笑))
『けっせん』が出て来た辺りから、ナンか…ナンか…(『アヤシイなあ、みたいな…』)
ちょっと思いましたよねぇ…」と予測がついていらしたご様子…(笑)

続いても、同じ方からの投稿で…「マスクをしてる人がみんなキレイに見える」のは
「脳が勝手に見えない部分を、自分の好みに想像している」からではないか?
といった話題が、以前に取り上げられた際に
ご友人からも「某Jリーグ監督」のマスク姿に一目惚れしたのに
マスクを外した顔を見たら「百年の恋も冷めた」という話をお聞きになったそうで

「これは、ちょっと誰か判りませんけども、ハイ」と甲斐さん
奥さんは「イヤ、マスクよりグラサン外した顔の方が、ガッカリ度が高くね?」とクスクス(笑)
あっ!甲斐さんの場合は、グラサン姿を拝見した方が後だったらしいし
仮に、グラサン姿に一目惚れしていたとしても
外されたお顔にガッカリはしなかったと思われますが

宇崎竜童さんや杉山清貴さんのファンだったクラスメートが
グラサンなしのお顔を拝見した途端に「ファンじゃなくなった」ことがあったらしい(失礼!)
我が家は拝見したことはないんだけど、鈴木雅之さんのファンで
「グラサンなし写真を見たことがある」という知人は「見なきゃ良かった…」と…(失礼!)

ともあれ…「羽生結弦選手かと思うステキな男性」が、マスクを取ったら
「かまいたちの濱家隆一さん似」だった(苦笑)とか
「華原朋美さんのように可愛い方だな」と思ったのに
マスクを外したら「今の華原朋美さんだった」(苦笑)という悲報?の報告に

「ヤメなさい!ヤメなさい!これ、俺が言ってるようになるんだから、ヤメなさい!(笑)
俺じゃないですからね!この◯◯って(ラジオネームの)ヤツが…『血栓は金曜日』のコイツが…
『今の華原朋美さん似』だったら、ちょっと面白かったですね(笑)」
って、お笑いになったら同罪になるような気が…?(笑)
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甲斐よしひろのセイ!ヤング21(9/23)その3

2021-09-29 15:10:00 | メディア
「えー、そうですね、80年代後半…中盤から後半にかけて…
まあ、後半ですか?…だったと思うんですけど…」と甲斐さん
「ニューヨークにちょうど…いつも行ってる時に、ちょうどエイズが…エイズが流行り出して
で、エイズは何故か、温水プールは…『温度が高ければ大丈夫だ!』っていう
その、うっすらとそこまで…そこだけ判ってて…

だからまあ、いつも行くニューヨークのプールが温水だったんで
『あっ、これはイイや』と思いながら、まあちょっと怖いじゃないですか?
恐る恐る行ったりして…でも、サウナ覗いて人がいたら、一緒に入らない…みたいな
…っていうこと、気をつけながら、まあやってた

だいたい2年くらいですかね?すごい緊張しながら生きてた時があるんですけど
その感じによく似てんだよね、ナンか…
全体像が判らないと怖いじゃないですか?でも、コロナはだいぶ…
かなり今、だいたいどういうものか判って来たんで、ね?アレですけど…」と話されてましたが

1986年の甲斐バンド解散後にリリースされた、甲斐さんのソロアルバム「カオス」は
そのニューヨークで知り合われた外国人のご友人お二人に捧げられたアルバムで
その内のお一人は、エイズで亡くなられたんですよね?

それはともかく…「そうですね、あのー、まあ…あと、あの…さっきも言いましたけど
WOWOWの生中継の再放送はね、あの…色々ちゃんと編集してますから
皆さん、安心して…(『安心して観て下さい!みたいな…(笑)』と松藤さん(笑))…安心して(笑)

もう、まあ、せっかく…せっかくね、多少ちょっとスタジオ使ったんで
その記念に今日、1曲目かけとこうと思って…(笑)…(『そうだと思ったんだ(笑)』)
この夏の思い出に…(笑)…(『原稿に書いてあります、台本に…(笑)』)」
…と、また横浜赤レンガ倉庫のライブ映像の話に戻ったトコで
そのライブに参戦なさった方からの投稿へ…

場内全体が見渡せる座席からご覧になると、赤レンガの壁に大きく映る甲斐さんの影が
「ウルトラセブン」のオープニングテーマみたいだったとの一文に
松藤さんが「確かに影だな、アレ(笑)」とおっしゃると
甲斐さんは「そう!そう!そう!アレは計算で…ウソ!ウソ!ウソ!(笑)

アンコールの時のステージ…ステージを見た…客席から見た…ステージを見て左側の所
アンコールの時に、途中から稲光がし始めたんでしょ?
まっ、僕らからは全然見えてないんですけど…

で『嵐の季節』やってる時に、稲光が見えてて
で、終わったあと、あの…船越氏がね、船越さんがね
『イヤ、甲斐さん、今日のアンコールはセット代が大幅にかかってましたねぇ』って
イヤイヤ、アレ、違うから!違うから!みたいな…(笑)

映像班がそれをしっかり押さえといて、ねぇ?くれたらもう、すごいイイ映像になるんで
押さえといてくれ(て)ると思ってるんですけど
あの日やっぱ、この奇跡の連続っていうか…うん、連日もう雨日和だったのに
あの日だけ、しかも、あの横浜一帯だけが快晴というですね
快晴というには暑過ぎ…暑過ぎましたねぇ
アレ、観てる人は、ナン…あっ!観てる人も暑かった?

暑かったね!俺たち、スゴかったですよね?
(『えー、ドラムの椅子、地獄でした』と松藤さん)
あっ、やっぱり?座った瞬間、熱いもんなの?
(『イヤ、もうメチャメチャ熱かったです』)
熱い?うわあ~!イイ感じだねぇ!(笑)もう、話…そういう話いっぱいしてよ!もう…(笑)
もう、人が困ってると、超嬉しい~!(笑)」と、ホントに楽し気におっしゃってましたが(笑)

当日は、客入れが始まって、しばらく経ってから
三好さんを始めスタッフの皆さんが、楽器や機材の覆いを外されていたらしく
パソコンのトラブルで開演時間が遅れたとはいっても、せいぜい1時間くらいの間に
「地獄」とお感じになるほど熱されていたってことですよね?(汗)

甲斐さんも「もう、俺…俺、ホント、5曲目くらいでジャケット脱ぐはずだったんだけど
もう3曲(目)の終わり頃に『もうムリ!』と思ったもん!あの…汗が目に入って来るんですよ
だからもう、これ、1枚脱がないとムリだなあ…とかっていう…」と明かされると
奥さんは「日暮れ前に風が止むと汗が噴き出す感じだった」と当日の暑さを思い出した様子

「まあだけど、あのー、更に(ライブが)終わって、やっと…ナンか数時間後に、あの一帯が…
まあ、あの…東京(へ)帰る人たちはもう、スコールのような感じで…
見えない、ね?(久保さんの声?)やっぱりそうなんだ?」と甲斐さん
もっとも、終演後、東京のホテルに戻った奥さんは、1滴も降られなかったみたいですが…(笑)

「イヤイヤ、だけどもう…まあ(ライブが)出来ただけでもね、有難いですよね
ナンか、あのー、名古屋の方のトンでもない
あのイベントみたいにならずに、ホントに良かったですね」と振り返っていらしたものの

おそらく?採算は二の次でしたでしょうし
1年延期なさったにも関わらず、状況が更に悪化して行く中
とりあえず、大きな混乱やクラスター発生もなく終えられたことにホッとなさったんじゃないかと…?

それはさておき…「ということで、えー、これは…あっ、これ…これ、そうですね
ストーンズのチャーリー・ワッツが亡くなって、イヤァ~!という感じですけども…
これは…まっ、これ、来てますけど…
とにかく、チャーリー・ワッツみたいなドラマーはいません、ハイ

あの…スネアのタイミングの時に、ハット外すっていう…
スネア、パン!と叩いた時に、ハット叩いてないんですよ、あの人…ハットは上げるんですよね?
(『えーと…ハットのスピードと、スネアのタイミングが違うんで…』と松藤さん)
違うのよ、だから、パーン!と上げるんで、いちいち…アレは4ビートから来てるんですけど

まあ、リンゴ・スターは…まっ、シャッフル系で、8ビートは超ウマいけど
あんなに16ビート感じさせる人はもう…この人だけなんで…
フツー『サティスファクション』って『♪タントンタン、タッター♪』って
アレ『タットンタン』ってやってるのね、アレ

フツー落ちて行くもんね?あの…4ビートとかやってない人は…
だから、リンゴ・スターがやると、確実に落ちるパターンですけど
彼はやっぱり、そこがスゴイ!『一人ぼっちの世界』と『サティスファクション』
恐ろしいなと思ってますけど…

その、えー、チャーリー・ワッツが80歳で…えー、8月24日に、えー、亡くなったと…
えー、もうあの…ナンだっけ?アメリカンツアー決まってて
それは、スティーブ・ジョーダンがもう決まってたんですけど…
(『もう、やってる映像とか、次々上がってますね』)…そうですね
だから、スティーブ・ジョーダン、そのままでやってると思いますけど…

まあ、チャーリー・ワッツだったら、もうこれがスゴイかなと…」
…と「LEGENDS」での「一人ぼっちの世界」に続き
この番組では「黒くぬれ」を流しておられました
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甲斐よしひろのセイ!ヤング21(9/23)その2

2021-09-28 18:06:00 | メディア
「ハイ、ということで…えー、まずはこの曲から行きましょうかね、この夏の思い出に…
えー、まあ7月に…横浜赤レンガ倉庫のライブから…これ…これ、松藤が歌ってんですよね
(『ハイ!そうでございますね(笑)』と松藤さん(笑))
えー、ナンか、あのー…まっ、とにかく聴きましょう、ハイ
えー、甲斐バンドライブ『ビューティフル・エネルギー』」

…で、曲が明けると…「ハイ、ということで…
えー『ビューティフル・エネルギー』…松藤英男ボーカルでですね
まっ、ちょっと魔法の粉…ちょっと振りかけて、ちょっと…ちょっと聴きやすくしております(笑)
(『沢山かけて頂いて、ありがとうございます(笑)』)

ハイ、もうあのー、えっ?こないだ…えっと…7月10日に…
だからアレは、赤レンガ倉庫(ライブ)やったんですけど
9月17日に、その…再放送になるっていうんで…
で、僕ら、あのー、出て来るまでに22,3分かかってんですよ

で、それ、まっ、途中でコンピューターがブッ壊れたりとか、色々あったんですけど
それで、あのー、それを8分…8分以内に編集してくれたらいい、何やってもいいですよ
…って言われて、で、ちゃんともう、俺が全部それ、色々言って、サジェスチョンして
で、気持ちいい7分か8分になってるのね、冒頭…
で、すんなりメンバーが出て来て…みたいな…で始まるんですけど

だったら、ちょっと松藤の『ビューティフル・エネルギー』も気になったトコあったんで
『ちょっといいかなあ?』みたいな…で、こう…ちょっとピッチ…ちょっと…
で…『あっ!あの…1ヵ所か2ヵ所、松藤さんがちょっと歌ってない瞬間が…』(笑)
そいで、他の風景持って来て…そこ…
他の…あの…『他の持って来ればいいんじゃない?』みたいなね

すごく聴きやすく…すごく聴きやすくなったってことは
聴きづらかったってことなんですけど…(笑)
(『再放送、安心して観ました(笑)』と松藤さん(笑))
だって、俺に文句言うヤツがいたんだよ?あの…5日くらい経った時に電話かかって来て…
元あの…俺のディレクターだったね、俺が若い時のディレクターだった人が
『マツはナンだ!?アレは?』って言うから

『あのね、ドラム叩いて…あんな暑い日に、急に前に出て来て歌うのも大変なんだよ』って
俺が…俺が必死に松藤庇ってるって、どういうこと?いったい…(笑)
(『この夏の思い出(笑)』)」…って、確かに少し苦し気でいらした部分や
歌詞をお忘れになった部分が見受けられましたが(失礼!)
甲斐さんの「罠」にかかられたシーンにも「魔法の粉」が振りかけられていたんじゃ…?(笑)

まあ、それも「この夏の思い出」ということで(笑)
そのWOWOWの生中継を、駐在先のブラジルでご覧になった方からの投稿…
日本とはマイナス12時間の時差があるため
「朝5時に起きて視聴準備」なさったとの一文に「おおー!スゴイですねぇ!」と甲斐さん

5月に一時帰国された際、ビルボード横浜でのライブに参戦なさったそうですが
「もちろん、14日間のコロナ規制待機後」にとの一文には「うわあ~っ!」と声を上げられ
「戻って来て2週間…今…今、確か10日くらいになってるんですよね?えっ?2週間?
イヤ、今ね、もうどんどん変わってんのよ
もう…もう、そんな昔の保健所みたいなこと言っちゃダメよ(笑)」

…と久保さんのアシストをスルーなさったものの(笑)
「『14日間のコロナ(規制待機)』…これ…これキツイねぇ
でも、奥さんと2人だからまだアレなのかね?
(『1人だとイヤでしょうね』)」…と、おっしゃってましたが
ブラジルからのフライトだけでも、充分キツイんじゃないかと…?(汗)

ともあれ、甲斐さんの影響で読み始められたスペンサーシリーズ…
(「ロバート・B・パーカーですね」と甲斐さん)
…をブラジルに持参なさっていたのを読み返され
スペンサーが愛飲し、一時「手に入らない」とボヤいていた「アムステルビール」が
3年前に着任なさった「片田舎のフツーのスーパーに山積み」だったり
「ブラジル市内の小さな店でも大型スーパーでも容易に購入でき」たりと
「小さな楽しみ」を見つけられたといった内容に

「アムステルは、日本にはホントにないですもんね?ない…ないよね?
(『最近は飲んだことないです』)…俺もほとんどない
えー、で…でもナンか、ニューヨークに行った時は、ナンか、よく飲むんですけど
これ、不思議で、ロスに行ったらクアーズなのよ
ロス行ったらクアーズ飲んで、ニューヨークはナンか、アムステルばっか探して飲むみたいな…
ナンか、ちょっと、街のアレもありますけどね」…と話されてましたが

北海道に行けば「サッポロビール」が美味しいみたいだし
かつて「プールバー」などで、コロナビールの瓶に直接ライムを入れて飲むのが流行る前に
コロナへ旅行に行った友人が「あっちではコロナビールばっかり飲んでた
信じられないかも知れないけど、一番ウマかったんだよ(笑)」と言ってたし
その土地の気候に合ってる味なのかも知れませんね?

アメリカの地名を出されたせいか?いきなり(笑)
「今もう、大谷翔平が毎日、打ったり投げたりして…フォアボール…」と甲斐さん(笑)
松藤さんが「フォアボール4回でしょ、今日…」と応じられたのへ
「えっ?なに?なに?あっ、そう?2回目まで観たけど、2打席…
あっ、そうなんだ?ヒドイねぇ!ヒドイっていうか、まあ、あのキャッチャーがねぇ

キャッチャーが…まあ元々ムチャムチャよく出来るキャッチャーなんで
ヒューストンに行った訳じゃないですか?
だから、あのキャッチャー、元々アナハイムにいて
大谷が最初投げ始めた頃の、あのキャッチャーなんで、ムチャムチャ仲が良いんですよ
でも、こう…野村さんみたいに囁いて…囁いてますもんね、大谷が打席入ったら…

大谷だけですよね?あのー、メジャーで(打席に)入って
審判とキャッチャーに挨拶するの、1打席目ね
で、昨日、2打席目か3打席目に、あのピッチャーが、1球目ものすごい甘いトコに投げたのね
したら、立ち上がって怒ってたんですよ、あのキャッチャー…

でももう4打席目で、スカーン!と…もう凍りついてましたもんね(笑)ガックリしてた
(『同じ格好でずっといましたよね』と松藤さん)
ホームインした時も同じ状態で、全く動かなかったもんね、あのキャッチャー
だから、やっぱ怖いよねぇ、仲が良くても別なんでしょ?悔しいのよね
…と、今回も安定の「俺の大谷」のコーナーでした(笑)
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甲斐よしひろのセイ!ヤング21(9/23)その1

2021-09-27 14:47:00 | メディア
甲斐さんのラジオ番組の記事を書く時は、内容を文字起こししてから
関連するインタビューや新聞記事などを用意して書いて行くんですが
文字起こしは、1本の記事に必要な10分~15分刻みで起こすこともあれば
1時間全部まとめて起こすこともあり、今回は後者でした

全て文字起こしして、1本目の記事を書き終えようとしたトコで、記事が消えてしまい(汗)
心が折れてボーっとしていたせいで?文字起こししたメモを紛失し(汗)
…って、おそらく?古新聞や雑誌等を処分する際に紛れ込んだらしく
ナンだかなあ…となり、少しお休みさせて頂くことに…(苦笑)

ただ、その間も来訪者数・閲覧ページ数はあまり変わってなくて「えっ!?」と思ったら
石田伸也さんが、ご自身のツイッターに
「近況報告おまけ」の記事をアップして下さっていたおかげみたいで
ホンの少し「評伝 1985年の尾崎豊」に触れさせて頂いただけなのに…と恐縮しきりです(汗)
ありがとうございました!m(__)m

で、その3ヶ月ぶりのセイヤングは…
「ハイ、ということで、1年半ぶりに文化放送から生放送で…(『1年半…(笑)』と松藤さん)
何をやってたんですかね?ナンかもう…まあ1年半ぶり、まあ色々ね
まっ、事情もやっぱりあって、もうそういうこと今さら…
今さらの石田(純一さん)…言ってもね、アレですし…

…と、石田さんが出演された直後に、その同じスタジオで生放送なさったあと
石田さんのコロナ感染が発表されたことに触れられ(苦笑)
「で、僕らが1年半ぶりに…まあ、その間はあの…ずっとね、セイヤングは、あのー…
まっ、3ヶ月ぶりのセイヤングっていうのもあるんですが
その間は、僕らは、僕のスタジオとかで、いつもやってたんですけど

で、もうアレ、最後、あんま人も入れないトコでね
(リモート放送なさっていたので、文化放送のスタジオに来られて)
一番最初にまずドキッとするのは誰?って言ったら、久保くん
(『しばらく居なかったもんね』と松藤さん)

構成作家は別に要らないから(笑)構成作家は、まあ後ろにこう…出てるといい…
まっ、今でも、僕、要らないって話になってんのに(笑)
ナゼか、エンジニアのヒロサワまで来てて…
あのー、ナンての?エンジニア…エンジニア見習いと一緒に来てるんで…感じがあります
(『機材運びもちょっとやってましたね、ハアハア言いながら(笑)』)

まあ、あのー、ここの玄関…文化放送の…1年半ぶりに文化放送来たら
やっぱ、玄関ちゃんと通る時に、サーモグラフィがあって
で、僕、今日あのー、半袖のシャツの上に、革…革ジャンで来たんですよ、さらっと…
で、やっぱ、36.9(度)だったりするんですよ
『うおぉ~っ!』って、あの…自分がビックリしてるっていう…

だけど、これからだんだん厚着して来る訳じゃないですか?
…と、やっぱり…やっぱり、37度、平気で超して行くんじゃないか、これは…っていう
(『まあでも、今日、昼間暑かったですからね』)
あ、そうですか?昼間…昼間、出てないもん(笑)
イヤイヤ、ジムちゃんと行って、帰って来て
夕方は、あの…散…ウォーキングしましたけど、ええ…

で、っていう感じで、僕らはそのね、今日は文化放送から生放送でお送りしようとしておりますが
それ、僕、ナンで『あっ、もう文化放送戻ろう』って『行こう』と思ったのが
つい2~3週間前に、伊東四朗さんのドキュメントをね
まっ、それはBSでドキュメントで、たぶん再放送…
再々放送くらいだと思うんですけど、それを観たんですよ

したら、伊東四朗さんが、間違いなく文化放送なんですけど
あの…一番たぶんコロナがスゴイ時だと思うんですけど
そこまでずっと、ず~っと、まっ、追っかけてると思うんですけど
そしたら、文化放送で自分の放送、おやりになってるのに…
あの…マスク…マスクをして放送をおやりになってる訳ですよ

『あっ!そんな時もず~っと番組、文化放送に行ってやってたんだ!?』って
『俺は何をやってるんだ!?』って言って、僕はまあちょっとあの…
ナンか胸を打たれた訳ですよ『ちゃんとしてるなあ!』と思って…
そいで、そいで、もう電話入れて、ディレクターに『俺も行くから、今回から』っていうね

やっぱり、ちゃんと…伊東四朗さんより年齢の下の僕が『何をやってるんだ!?』と思った訳ですよ
で、今日、来て『さあ!久しぶりの文化放送やるぞ!』って思ってたら
ディレクターが『イヤ、伊東四朗さん、今週からリモートです』って…
『ええ~っ!?ウソ~ッ!?』みたいな…(笑)
(『俺たち来たのに、ちゃんと…みたいな(笑)』)

ナンかあの…ナンか他の撮影かナンかの、ねぇ?ナンか色々…コロナ陽性が出て…」
…と、久々の文化放送スタジオ復帰の理由を説明なさってましたが
そもそも、甲斐さんのスタジオからの放送が始まったのは
文化放送のスタッフの方から、伊東四朗さんがリモート放送なさることになったので
甲斐さんもいかがですか?と訊ねられたからじゃなかったっけ?(笑)
もっとも伊東さんは、そのあとスタジオ復帰なさってたってことですよね?

ともあれ…「そいでまあ、ちょっとこう…まっ、逆に気をつけなきゃみたいな…
1年半も経って、気をつけなきゃもないんですけど…(笑)
つまり、あの頃はそこまで怖くなかったっていうことですよね?
僕らはもう色々ね…色々『石田』があって…(笑)

(『もう次の週からすぐヤメましたからね(笑)もう行かない…みたいな(笑)』)
イヤ、もう…もうビビり具合もヒドイけどね、俺たちの…(笑)
『ナンだろ!?ナニだろ!?何が貴さん、ロックミュージシャン、貴さん!』みたいな…(笑)」
…と振り返っておられましたが、奥さんは、この博多弁に萌え~♪(笑)

「まあー、ビビってビビって…あん時、シュッシュが…『シュッシュが良かったよね』とかね
まあ、俺の…俺のマイクだけじゃなくて、松藤のマイクにも(次亜塩素酸水)振って
部屋もパーッと振って、これがナンか、まことしやかに
文化放送で、あの…良い影響を与えてるっていう…(笑)

(伊東さんは)今さらのリモートっていうことなんですけど…
イヤー、ナンか、ねぇ?色々まあ…そうですね…最近どうですか?
その…やっぱりあのー、コロナで結構、ウチの…ウチにいる時間が多い訳でしょ?ね?
あの…まっ、サラリーマンの人、この業界に…まっ、関わってる人、まっ、限らず
やっぱ、週1か2でしか、もう出て来てなくて、あと、ほとんどリモートなんで…

そんな感じでねぇ…で、やっぱり、ふだん観ない…観ないドラマも…
あっ!観ないドラマってか、観ない番組も観るじゃないですか?
ナンか、あの…『街中華で飲ろうぜ』は別に毎週観てるけど…
(『アレは毎回観てるけどね(笑)』)…アレは前から観てたけどね(笑)
やっぱ『(ビール大瓶)633(mlは大人の義務教育)』は観てますね『633』は…(笑)

(『気道確保!』と松藤さん(笑))…そう!『(ビールの通りを良くするための儀式)気道確保』
観るの、本人のツラさね…で『街中華』に関しては、まだいいんだけど(笑)
そうするとさ『夕焼け酒場』とか、ああいうトコまでどんどん…
きたろうさんと西島まどかの『夕焼け酒場』まで観ちゃってさ

そしたら、あの『チコちゃんに叱られる』の…
あの…あの…『プロデューサー・小松(純也さん)』って書いてあって…
『小松、こんな所でやってんの?』っていう…ナンか、ねぇ?
(『全然、今(酒場に)行けないのにね(笑)』)
『酒場放浪記』も、あの…主役の吉田類以外の時は、時々観てます(笑)

(『ナンか、吉田類は、あの…日本の低い山登ってますけどね』)
そうそう!ナンか、キャンプしてましたよね?だから、することがないから…
アレ、酒場行けないからですよね?みんな苦労して、やってますよねぇ
そんな中、真っ向に勝負する俺たち…今日から(笑)それが言いたいがために…(笑)」
…と「気道確保!」まで登場した長い前振りでしたが(笑)
お二方も久保さんもお元気そうで何よりですね♪
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近況報告おまけ

2021-09-22 20:57:00 | 日記
先日の「ホンマでっか!?TV」で、木村拓哉さんが
今や、ほとんど見かけなくなったにも関わらず「ヤンキー」ドラマや映画が、ナゼ一定の周期で流行るのか?とお訊ねになり
「ビーバップ・ハイスクール」や「湘南爆走族」「クローズ」から
甲斐さんもご覧になっていた「池袋ウェストゲート・パーク」「今日から俺は!」や
「地獄の花園」「東京卍リベンジャーズ」まで
色んなヒット作品の名前が挙がっていたんですが

「東京卍リベンジャーズ」をご覧になった木村さんのお嬢さんが
「昔はホントにあんな人いたの?」と不思議がっておられたというのも道理で
1982年には、4万人もいた暴走族が、今は4千人になっているらしく
今の若い世代の方にとってヤンキー映画は、ハリウッド映画のようなものみたいで(笑)
また、その親世代にとっては懐かしいと感じられるため
一定の動員が見込めるコンテンツになっているとのことでした

暴走族が激減した原因としては、かつて、たまり場などで待ち合わせていたのが
今は、スマホの普及により、もっと弛い感じの繋がり方になったため…とか
1983年デビューの尾崎豊さんが曲に描かれていたような
若者が「大人」「社会」「権威」といった
大きくて強力なものに抑圧されたり、それに立ち向かおうとする時代背景がないから…とか

様々なご意見が出ていたんだけど、やはり、コミックや実写ものを楽しむ分には良くても
現実のヤンキーは「モテないんで…」というのが、一番説得力がありました(笑)
でも、欧米人は、いわゆる「ヤンキー座り」が出来ないそうで
海外でヤンキー座りをすると、人気者になれるらしい(笑)

ともあれ…木村さんよりも、少し?遡った世代の奥さんは(笑)
映画なら「暴力教室」や「高校大パニック」を
音楽なら横浜銀蝿や嶋大輔さんの曲を思い浮かべたみたいだけど(笑)
1980年~1981年は、校内暴力の発生件数が最も多かったようで

実際、その数年前…奥さんが中学生の頃、冬の最中に
1つの校舎の全教室の窓ガラスが全て割られ(汗)
10日間ほど凍えながら授業を受けたことがあったんだとか…(汗)
ちなみに…その時、担任の先生は新婚旅行でハワイに行っておられたそうで
帰国なさってからしばらくの間は、クラス全員からシカトされていらしたらしい(苦笑)

…で、その「荒れる学校」という事態を受けて「金八先生」や
甲斐バンドの「漂泊者」が主題歌となった「学園危機一髪」といったドラマが作られたり
キャロルやクールスといったお兄様方が活躍なさってたり
「なめ猫」ブームも奥さんの世代がド真ん中だったようだし(笑)

甲斐さんも当時のインタビューで…「俺たちのコンサートに来るのは
腕まくりした学ランの野郎や、スカートの裾を引きずったようなヤツばっかだよ
みんな悶々としてるんだよ」…と憤懣やる方ない「ツッパリくん達」に触れておられたし
考えてみれば、奥さんの青春時代はヤンキー全盛期だったんじゃないかと…?(笑)
宇梶剛士さんやヒロミさんなど「昔ヤンチャしてました」って有名人の方も同世代だし…(笑)

もっとも、奥さんは「見た目だけは優等生(笑)」だったようで(笑)
所持品検査でタバコが見つかった時に「私のです」と認めているにも関わらず
「誰から預かった?」やら「誰を庇ってる?」やらと質問責めにされ(笑)
でも「イヤ、だから私のタバコなんです!」と、正直に言い続ける他なくて(笑)
結局「お前の友情に免じて、今回だけは見逃してやると、そいつに言っておけ!」と無罪放免に…(笑)

甲斐バンドのライブに行く時は、駅のトイレで
親に内緒で買った洋服に着替え、バッチリ化粧もして
「すれ違っても先生が絶対に気づかない」くらいの別人ぶり…(笑)
仲の良い友達も皆さん「見た目」で、先生方から目をつけられることがなく
クラス委員や生徒会役員を務めるような、いわゆる「真面目な生徒」ばかりで
「ある意味、一番タチの悪い不良グループ」だったみたいです(笑)

そうそう!甲斐さんが関西地区のプロモーションの際に
よくゲスト出演されているラジオ番組のメインパーソナリティ
「コンちゃん」が「相席食堂」に出られた時に
千鳥のお二人は、そのお召し物が「ホンマもん」にしか見えないと大笑い(笑)
お店の方に話しかけておられる絵面が「因縁つけとるみたいや(笑)」とツッコミまくり(笑)

まあ、奥さんは、コンちゃんが花園ラグビー場の前を通りかかられた辺りから
ラグビー場近くのお好み焼き屋さんに入られるシーンまで
「甲斐さんの話、出ないかなあ?」と気を取られてたようだけど…(笑)

余談ですが…「嵐の季節」の著者でいらっしゃる石田伸也さんが
今年6月に出版された「評伝 1985年の尾崎豊」に関する様々なツイート…
例えば、出版前には「ミラクルという言葉を安易に使ってはいけないのだけど
それでも『破片』を置いておくなら
彼が『100万$ナイト』に深く感銘を受けていたというのは新発見」とか

「間もなく単行本の原稿はゴールが見えてきたのだが
それでも配本が5日ほど後ろにズレてしまった
いいモノを創る時間をくれよーー by 1982年のあのお方」とか(笑)
「このところ甲斐さんと電話で話す機会が多く、今なお、かかってきたら直立不動ですよ
僕案件もあるし、甲斐さんからの調べ物案件もあるが
やはり時代を切り拓いてきた人と話すと力がみなぎってくる感じがする」と呟かれたり

「抜粋1」として「『尾崎です。ずっと聴いていました』
それだけならば芸能界にありがちな社交辞令であるが
尾崎はもう一歩ふみこんだ質問を甲斐にぶつけた
『あの「100万$ナイト」の詞はどんな気持ちで書かれたんでしょうか?』
甲斐は面食らった…第二章 憧憬」という本文をアップなさって
「当時のサンストで、そんなことおっしゃってたなあ…という記憶が出発点です」と明かされたり

プロモーションで出演なさったラジオ番組でも
甲斐さんと尾崎さんの関わりについて話されていて
例の西麻布のお店で、甲斐さんと話したいと思いつつ
声をかけることがお出来にならなかった尾崎さんを挑発するかの如く(笑)
吉川晃司さんが、甲斐さんと親しげに話す様子を見せつけていらした(笑)
…っていうエピソードを思い出していたんですが

「発売1ヶ月半の『評伝 1985年の尾崎豊』
反響で多かったのは、甲斐さんから尾崎へのアドバイス
自分の身の回りから、はみ出すようなストーリーを描くべきだ
『ボクの奥さん』(というブログ)も早く取り上げないと」
…という石田さんのツイートを拝見してビックリ!?

「ボクの奥さん」でも「評伝…」を早く取り上げろ…ってこと?(汗)
イヤ、まさかとは思うけど「はみ出」したトコに、このブログがある…ってこと?(汗)
…などなど、ミョーな汗をかいてしまいました(苦笑)
コメント
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