ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

COME ON!ROCKIN' ROAD(4/5)

2020-04-30 17:59:00 | メディア
こちらも、まごうことなき(笑)甲斐バンドツアーのプロモーションですが
甲斐さんは、近藤真彦さんの番組の中の「週末の対談~マッチ・オブ・ザ・ウィークエンド」
…というコーナーに、4月のマンスリーゲストとしてご登場ということで
全4回に分けてオンエアされた対談の第1回目をご紹介します♪

番組開始29分から「HERO」が流れ、CMを挟んで
34分過ぎに近藤さんが「マンスリーゲストはこの方です!甲斐よしひろさんです!」とコールされ
「甲斐です、よろしくお願いしまーす」と甲斐さん
…って、名字だけ名乗られるの珍しいですよね?

近藤さんが「イヤー、会える日がこうして…」と話し始められるのへ
「そうですねぇー」とカブセられたものの(笑)
そのあとは「僕、あの…何十年も前なんですけれども
甲斐さんに曲を書いて頂いて…」という近藤さんの言葉に「ハイハイ」とか(笑)

「『ブルーシティ』という曲を…」に「ハイ」とか(笑)
「…書いて頂いたことがあるんですけれども
あの頃、僕はあのー、中学生の…3年生だったかな?
男友達と初めて男友達の家に一泊して…」「ハイ」と相槌に留められ(笑)

「その時に、バックミュージックに甲斐バンドがずーっと流れてたんですよ
で、イヤー、男友達同士でナンかね、気持ちが…『俺たち、今コレだよな!』みたいな(笑)
そんな男の、まあ…少年の心をね、グサッとこう…
かき回されたようなイメージが…」とおっしゃったトコで完全にカブセられて(笑)
「いえいえ、ありがとうございます」と甲斐さん

「ナンか、そういう…小・中の時って
ホントに好きなものだけ聴いてますもんね、男たちは…野郎といる時はね
だから、共感とか共鳴とか出来るものじゃないとね
好きか嫌いかしかもうないんで…(笑)」と、近藤さんの相槌をものともせずに話されると(笑)

近藤さんは「ええ、だからもう…あと声と…甲斐さんの声と、ナンか、詞とメロと
僕、そんなに音楽詳しくない…中2中3の頃だったんで
まあ『テレフォン・ノイローゼ』辺りからガーッ!と来て
もう『HERO』でドカーン!と行ってみたいな…そんな時代を過ごしましたけども」と振り返られ

ボクは、その接点にちょっと意外な感じがしたんですが
奥さんは、当時の少女マンガ誌や「セブンティーン」などに
甲斐バンドの記事やグラビアを見つけては買っていたらしく
それには必ずと言っていいくらい「たのきん」の記事が載っていたそうで
「まあ『HERO』以降の同期みたいなもんじゃない?(笑)」と…(笑)

ともあれ…甲斐さんは「ありがとうございます
ナンか、あの…金八かナンかで…『金八先生』の時に、僕の『特効薬』がかかって…
それで、ナンか商店街かナンかを、こう…グレた感じで歩いてる時に…
それがもう、僕、当時NHKの方で…FMで(番組を)やってたんですけど

ドーン!と来て…ま、あの頃、ハガキですけどね
ドーン!とナンか…(『かかってたよ!って…?』と近藤さん)
かかってた…かかってるだけで、こんなに来るんだ!?って(笑)
それはビックリしましたけど…ハイ」と笑っておられましたが

奥さんは「金八先生」どストライクの世代で
下手したら(笑)卒業式で「贈る言葉」を歌う羽目になったかも知れなかったにも関わらず
「金八先生」を1度も観たことがなく(笑)
残念ながら、この時の「特効薬」は聴けなかったんだとか…(笑)
でも、甲斐さんも「金八先生」が、福岡の先輩でいらっしゃることには触れられず…(笑)

…と思った途端に「甲斐さん、ご出身、福岡なんですね?」と近藤さん(笑)
「そうです、そうです」という甲斐さんのお返事を受けて
「金八先生」の話題を振られるのかと身構えていたら(笑)

「あのー、ちょっと失礼なんですけど
僕よりたぶん10コくらい上なんですよね?僕、56に…今度なるんで…
福岡時代の…訊きたいこといっぱいあるんですけど
甲斐少年は、どんな少年だったか?…ま、例えば小学生くらいだったら…」との質問で(笑)

甲斐さんが「イヤ、小学校はわりと…兄貴が…上に3人いるんで…
とにかく、僕、生まれて育った街が、一番、繁華街…色街で繁華街でっていう…
だから、斜め前に…皆さんご存知ないかも知れないけど…遊廓っていう
でっかい遊廓みたいなのがあって、そのちょっと先の方に行くと、でっかいグランドキャバレーが…
いわゆるその…生バンドが生演奏するようなトコがあって…

(『夜の街ですね、じゃあ』と近藤さん)…そうなんです
そいで、スナックからナンから、とにかく軒並みあって…
だから、そこが寂れて行って、その…中洲の方に移って行ったんですけど
とにかく、天神っていう街…いわゆる博多のど真ん中に一番近い、まあ繁華街
花街みたいなトコなんですけど…」と、ご生誕の地について説明なさると

「それ、少年にとっては、ちょっと環境悪いですねぇ(笑)」と近藤さん(笑)
でも、甲斐さんは「だから、逆に言うと、小学校に上がって
『みんな平等だ』とか言うじゃない?
イヤイヤ、平等じゃないし!みたいな…もう、もう知ってましたからね

もう、ほら、色んな種類の人たちがいっぱいいるから
だからもう、こう…3~4歳の頃にナンか、そういうトコで生まれて育ってたんで
逆にあとは、すごいもう楽しかったんですけど…」と話されていて
「社会の縮図みたいな街」と自ら評された土地で過ごされたことを
「幾つになっても忘れてはいけない」と思っておられるんだなあと…

「あのー、ま、6歳の頃に引っ越して…
で…そこ、結構、田んぼがいっぱいあるような街だったんですよ、今度…逆に…
いきなり、だから、カエルの声で怖くて眠れないようなね、ホントに…
ま、2~3年で、ベッドタウンになって行くんですけど…
その時にはもう…もう既に洋楽とかは全然聴いてたんで…

ウチの親父、あの…商売やって大当たりしてたんですけど
夜な夜な、さっき言ったキャバレーで生演奏してたんです
で、当時、福岡って、あのー、東京から色んなミュージシャンが来て
で、福岡のミュージシャンと一緒になって、長崎から日本丸っていうのに乗って

それが『上海バンスキング』っていう…
有名な香港の和平飯店っていうトコで演奏して帰って来る…1ヶ月とか2週間とか…
その一行に、ウチの親父もいたんで、あの…ま、楽器はいっぱいあるし
生ギター…ナンての?楽譜からレコードから…

だから、洋楽も邦楽も、自分の中では全然一緒で…
だからこう…メロディで泣きたいんだったら、洋楽ばっかり聴いてるんですけど
日本語で泣きたい時あるじゃないですか
それで、同じように歌謡曲も聴いてたんですよ」
…と「音楽に溢れた環境」で、お育ちになったことを明かされると

「日本語で泣きたい時…」に「あります!判るなあー!」と反応なさっていた近藤さんが
「甲斐さんの詞は泣けますもんね
イヤ、たぶん僕、コンサート行ったら泣けますね、絶対泣けます!」宣言(笑)

でも、甲斐さんは、褒められるのは苦手でいらっしゃるからか?(笑)
「僕、あの『ブルーシティ』書いた時は、超リアルなのを書き過ぎて
ホント、ホントにスイマセン!(笑)むちゃリアルだったね(笑)」
…と、当時の芸能人同士の恋愛事情に斬り込んだ?(笑)
歌詞をお書きになったことに触れられてましたが

奥さんは、甲斐さんが近藤さんのラジオ番組に出たとおっしゃった時に
「あの歌詞の意味をご本人に言っちゃたの?」と思ったのが現実となり(笑)
「まあ、今だからイイようなもんだけど…」と苦笑い(苦笑)
確かに当時のアイドルは、まだ今ほど自由じゃなかったですもんねぇ(苦笑)

それでも、近藤さんは「今朝も僕ね、ちょっとそれ聴いて来まして…
イヤー、もうホントに、あの…甲斐さんに書いて貰って…
でももう…今となったら、もうちょっとなあ…
まともに歌えたのになって思うんですけどね
少年だったんで、まだ…背伸びしすぎたかな?
これからも大事に歌わして頂こうかと…」

…と、甲斐さんが、この収録を終えられた後のセイヤングで
「変な言い方なんですけど、すっごい大人になって…
それは当たり前なんですけど」と話されていたように
いたって大人の対応で、ホッと致しました(笑)

そして…「少年時代の甲斐さんは、ま、要するに、大人の男女の物語とか、乱暴者だとか(笑)
酔っ払ってフラフラしてるの全部見てた訳ですね」と近藤さん(笑)
甲斐さんは「そうそう!そうそう!(笑)だから、そうですね…
だから、とにかくロックも、小学校の3年の途中で、ビートルズなんですよ

だけど、それはビートルズだけじゃない…リバプールサウンズって言って
ストーンズとかキンクスとか…っていうのも全部一緒に聴いてたんで…
だから、もう基本的にはフォーク…フォークっぽいのを中学校からやってましたけど
でも、頭ん中、鳴ってるのはロックのサウンドが鳴ってたんで…

僕、レコード会社と契約した時、ソロシンガーなんですよ
(『あっ!バンドじゃなかった?』と近藤さん)…なかったんですよ
こう…ハーモニカ、こう…ディランみたいに…だけど、バンドの音しか鳴ってないから
だからもう…契約する時に『もう実はバンドのメンバー決めてるんだけど』って言って
レコード会社が、のけぞる…っていう感じだったんですけど(笑)」

…と、甲斐バンドフリークの皆さんには、お馴染みのエピソードを披露されると(笑)
近藤さんは「だから甲斐さんの歌は、フォークの…何となく匂いがする詞があって
その裏で、ドッカンドッカンっていうロックがあるんですよね」と返され

その間「うん、うん」「そうです、そうです」と頷きながら聴いていらした甲斐さんが(笑)
「そう!だから、メロディとかサウンド、大事だけど、歌詞がやっぱりね
まあ、泣けた方が良いじゃないですか、ね?」
…と、おそらく?身を乗り出して(笑)お訊ねになり
「ある曲は、すごくポップな感じがするんだけど
ある曲は、ちょっと演歌チックな詞があったりする」とのお答えに大笑いなさって(笑)

「ああ、ハイハイ」「なるほどね、ちょっとそういうメロディ的な…
そういう節回し的なトーンありますよね」とおっしゃってましたが
そういえば、宇崎竜童さんプロデュースの「上海帰りのリル」や
「夜霧のブルース」のカバーが大層お気に入りでいらっしゃいましたよね?(笑)

近藤さんが「僕は、デビューした時に、やっぱりポップじゃなかったんですね
何となくブルースじゃない、演歌じゃないポップスみたいな…
『スニーカーぶる~す』って曲がそうだったんですけど
やっぱり、詞はね、ブルースっていう…」と話されたトコで「イヤ、でもねぇ」と甲斐さん

「スニーカーぶる~す」について何か?と思いきや
「『♪あばよ ブルージーン お前と…♪』ってあるじゃないですか
僕、あれ、カラオケで真っ先に歌うんですけど…大好きなんですけど、あれ…
あれは、非常に通じるものがありますよ」と「ブルージーンズ・メモリー」のお話へ…(笑)

サンストの「カラオケ大会」で、この曲を歌われた際
「コーフンして、マイクに突っ込んでしまいましたが(笑)」
…と、おっしゃったくらいの熱唱ぶりでしたけど(笑)
奥さんは「今もカラオケで歌う時に『さよならなんて言えないよ!バカヤロー!』って
ちゃんとセリフも言ってるのかな?(笑)」とクスクス(笑)

ともあれ…「あの…マイナー7なんだけど
でも、ちゃんとこう…リズムとしては強いんだけど、絶対泣かせて…
絶対泣かせるところがあるじゃないですか
ああいう感じがないとダメだよね」と甲斐さん
「ナゼかは判らないけど心惹かれる(笑)」という「ヤマトナデシコ七変化」や
「死ぬほど好き(笑)」な「青春アミーゴ」も「ああいう感じ」なんでしょうね?(笑)

近藤さんが「僕もそこ好きなんですよね、絶対崩したくなかったです
ちょっと暗いんですけどね、詞は…」とおっしゃると
甲斐さんは「詞、暗いですかね?でも、あれ、みんな歌えるでしょ?だって…逆に、一緒に…
ああいうのがイイと思うけどねぇ
みんなが歌えるってことは、つまり暗くないんですよ
暗い歌って、ホントにみんな歌わないから」と説明され

半信半疑なご様子だった近藤さんも「甲斐さんのライブだと
『♪テレフォン・ノイローゼ Aha♪』…みんなそうですもんね
あれは、ちょっと鳥肌立ちますね」とご納得?(笑)

「そうそう!そうなんですよ!あれ、生ギター1本で
武道館で1人でやってました(笑)」という甲斐さんの言葉に
「男…いい年の男がみんな『♪テレフォン・ノイローゼ♪』
あれは、やっぱり甲斐さんの魅力だと思いますね」と返されるのにカブセて(笑)

「でも、その貴方のヤツもよく、すぐみんな歌えるじゃないですか」と甲斐さん
「特にサビ!サビ一緒に歌える…で、バン!って歌わなくなっても
(観客が)勝手に歌ってる…って、ライブでもあるじゃないですか
あれが一番だと思うんだよね」と甲斐さんのライブでよくある光景(笑)に触れられ

「あの…あまりにポップス過ぎると…あ、それ、日本なんですけど
日本のポップスって、実はみんな歌いそうで歌えないんだよね
バーン!って、その歌手がヤメる…歌い手がヤメると
みんな歌わなくなるじゃないですか」とおっしゃると
近藤さんも「確かに、僕もライブで、ちょっとココ息つぎしようかなと思って
ふっと放っとくと、歌ってくれてる…みたいなことありますね」と返されてました

更に、甲斐さんが「そうそう!そうそう!
だから、僕、伊集院(静)さんともすごく仲が良いんですけど
今、ちょっと大変ですけど…だから、その…2年くらいずっと
連れ立って飲み歩いてたんですよ、2人で…
その時によく…時々やっぱ貴方の話になって
『イヤー、歌えるからイイんだよね』って言って…

だから、僕…あの人、ホントひどい人なんで、性格が…(笑)
(『今ね、ちょっとね、あれですよ、お元気に少ーしなって来たんで…』と近藤さん)
そうですか!ああ、もう気になってたんですけど…
だから、あの『小林旭を今日どうしても聴きたいから』って言って

六本木で一番古いオカマバーに、僕を無理やり連れて行って
『甲斐、頼むから6曲だけ歌ってくれ!』って…すごい乱暴な人ですからね(笑)
僕、6曲歌ったこと、ちゃんとありますよ」…とNHKのMディレクターばりに(笑)
甲斐さんを「ジュークボックス代わり」になさったことを明かされてましたが

「ナンかね、井上陽水さんも歌わされてたような気がしますね」と近藤さん(笑)
その近藤さんも甲斐さんも登場なさった伊集院さんの著書
「眺めのいい人」に取り上げられた方々の中には
何人くらいの「犠牲者(笑)」がいらっしゃるんでしょうね?(笑)
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プロモーションだったのに…おまけ

2020-04-29 11:59:00 | メディア
今回は甲斐バンドツアーのプロモーションではないんですが
今の「巣ごもり」状況で話題になったSNS展開についてです

まずは、甲斐さんのお誕生日にKainatsuさんがプレゼントなさった
「破れたハートを売り物に」のウクレレ弾き語り♪
「最近全然会えてないけどコロナが落ち着いたらお祝いしたい」ということで

「KAIsan!!OMEDETO!!ゴザイマス!!!
生きることを素晴らしいと思いたい いちばん大好きな歌詞だよ
I'm always proud of you…」と、ちょっと照れくさそうな?メッセージを添えられ
ご自宅で撮影された動画をアップなさったところ

「健ちゃんが gt & cho.を重ねた動画を送ってきてくれたよ!ひょー!
延期になってしまったビルボードツアー 今年の編成は
なんと甲斐バンドwith健ちゃん&木村くん
どうなるのか!開催が楽しみ」
…とビルボードツアー皆勤サポートメンバー(笑)の鈴木健太さんが飛び入りなさったかと思ったら

「なんか今日、通知が止まらんのですけど!
なつさんに呼ばれた気がした 巻き込みリプでした
コーラスとベースで乱入しました」と、ビルボードツアーのグルーヴマスターも参加され
「木村くん!!!巻き込みリプすごい気になって…おわびのメールしようか迷ってました
乱入なんていう最高の形でのクレーム(笑)ありがとう!いやなんと嬉しい!」とKainatsuさん

リプライやリツイートが溢れる中…「お父さんの力を借りずに有名になって下さい」などという
Kainatsuさんのデビュー当時によく目にした言葉を呟いた方がいたらしく
ご本人は「久しぶりで新鮮だなあ…(笑)」と流しておられましたが
娘が父親の誕生日を祝ってアップした動画に、そのリプ要る?(苦笑)

でも、そんなモヤモヤを木っ端微塵にぶっ飛ばし「えええー from KB!(笑)
松藤さんが生ギター& cho.で参加してくれたぞー
歌も演奏もますます楽しく にぎやかに嬉しいな
松おじ!!ありがとう!!(赤ちゃんの頃から私を知ってくれてる人)」…となったトコで

「これであとイチローさんが入ったら
ボーカル違いのビルボードメンバーが揃うぞ(笑)」と奥さん(笑)
ただ、この時点では、鈴木さんのギターの音が大きくて
「もう1本ギターはキツイかなあ」と言っていたんだけど

当の鈴木さんから「すごい!嬉しいけど多分編集ミス
僕のギターは本当はこんなに突っ込んでないから編集の過程でズレちゃったものと思われます
そこんとこよろしく」とのツイートがあり
Kainatsuさんも「確かに動画編集の具合でびみょうに突っ込んで聞こえる…
せっかく皆さんに素敵な演奏で参加してもらってるので…」と再編集&再投稿され

またまた「いいね」とリツイートが飛び交う中
「ご本人!グッときました」と木村さん(笑)
鈴木さんも「甲斐さん、きた!(笑)」と呟かれ
甲斐さんの公式サイトまでが「外出自粛の不自由な期間でも
甲斐バンドの音楽が少しでもお力になれれば幸いです。どうぞ皆さまご自愛下さいませ
Special Thanks to Kainatsu」と乗っかって来て(笑)

Kainatsuさんは「!!!」「バレてたか…」のあと(笑)
「まさかのラスボス登場で完結した感あるなあ(笑)
健ちゃん 木村くん 松藤さん そして父、ありがとう」と結ばれてましたが

アコギとコーラスでサポートなさっていたはずの甲斐さんが
最後の最後に「Oh Yeah!」と口にされ全部かっさらってしまわれるあたり(笑)
確かに「ラスボス」かも知れません(笑)
もっとも、大塚いちおさんが「オーイエ~~」とツイートなさっていたのは
「スコップさん」の決めゼリフの方じゃないかと…?(笑)

…にしても、そもそもはご自分へのお祝い動画に自ら参加なさって
しかも、甲斐バンドからのメッセージとして公式発表って…(笑)
まあ、星野源さんが「楽器の伴奏、コーラス、ダンス重ねてくれないかな」とアップされた動画に
トンでもない「コラボ」をしたどこぞの首相に比べ
なんと自然に派生した乱入(笑)セッションだ!と思いますけど…(笑)

星野さん側は「所属事務所にも事前連絡や確認は事後も含めて一切ありません」だそうで
こんな巻き込まれ方って本当にお気の毒としか言い様がないんだけど
ビスケッティ佐竹さんや、たむけんさんの首相イジリには大笑いしてしまいました(笑)

そういえば、甲斐さんがお祝い動画に乱入なさったのと
「バイキング」で、首相の優雅でセレブな姿が取り上げられ
甲斐さんが「自分のキャラに合うかどうかくらい自分で判っとけよ」とコメントされたのって
同じ日の同じ部屋だったんですよね?(笑)

ともあれ…その「オーイエ~~」の大塚さんが
「ニコルズ健太くんからの名曲つなぎ」とご指名を受けられ
「本来GWは甲斐さんのビルボードツアーだったので
先日なっちゃんも歌ってた甲斐バンド『破れたハートを売り物に』」をお選びになり

「写真はよく聴いてたナイトウェイヴのCW
健太くんのギター聴けるの楽しみにしてる」と
懐かしい12インチシングルのジャケ写を添えられたのへ
Kainatsuさんが「ナイトウェイヴのCWだったんですね
初めて知りました!(笑)どっちもトップクラスに好きな曲!」と返されていて
「そっかー!BIG GIGの年に生まれたんだもんねぇ」と奥さん(笑)
ファン歴の長さを実感して遠い目に…(笑)

ちなみに…そのあと大塚さんは「30cmシングルってのもいいでしょ(笑)
僕もこの2曲 なんか少し切なく優しく大好きだー」とリプなさって
「名曲つなぎ」は、甲斐バンドファン同士と知って仲良くなったとおっしゃっていた
「アアルトコーヒー庄野さん」に振られたので
庄野さんのツイッターを拝見したんですが(笑)
庄野さんの選曲は、クリストファー・クロスの「Walking In Avalon」でした
現在コロナ感染で療養中とのニュースが流れてたけど、快方に向かわれてるんでしょうか?

それはともかく…「新型コロナウィルスに対処する医療従事者を応援するテレワークコンサート
『One World:Together at Home』が、19日の午前3時からオンエアされると知り
Amazon primeでチェックしてみたんですが

呼びかけ人のレディー・ガガを始め、スティービー・ワンダー、ポール・マッカートニー
エルトン・ジョン、セリーヌ・ディオン、シェリル・クロウ、ビリー・アイリッシュ
U2ボノ、アダム・ランバート等々
そうそうたる顔ぶれが揃う中、やっぱりストーンズはスゴか~!(笑)

4分割された画面の左上にミックが現れ、アコギを手に「無情の世界」を歌い始めると
ほどなくして、その隣の画面にキース、更に左下にロンが登場
そして最後、右下の画面にチャーリーがエアドラム(笑)で加わり
「イヤイヤ、ドラム持ってるやろ!(笑)」とツッコみつつも
穏やかで楽しげな表情がイイなあと…(笑)

こうした趣旨のコンサートで何を歌うか?
その選曲にはセンスが問われると思うんだけど
「人生は思い通りにはいかない 欲しいものが手に入るとは限らない」と繰り返した挙げ句
「だけどやってみろよ 欲しいものが見つかるかも知れない」
「大切なものを手にしてることだってある」と着地させる「無情の世界」

20代のミックが、この歌詞を書いたこともさりながら
これだけの歳月を経ても古臭さを感じさせないことがスゴイ!
まさか50年後にこんな日が来るとは思っていなかっただろうに…と思っていたら

「ストーンズ8年ぶりの新曲をリリース」とのニュースが飛び込んで来て
しかも「すでに1年前からスタジオでレコーディングしていた『Living A Ghost Town』は
現在のコロナ禍による世界の状況を『予言』するかのような曲」らしく
その「現役バリバリぶり」に脱帽でした

余談ですが、東日本大震災後にNHKが放送した支援番組で
甲斐さんは「風の中の火のように」を選曲なさったものの
火災で被害に遭われた方々に配慮して「安奈」に変更されましたけど
今の状況でお歌いになるとしたら、何を選ばれるのかなあと…?
まあ我が家は「嵐の季節」の気分ですが(苦笑)
7月の赤レンガ倉庫、その後に延期予定のビルボードツアーは
当初予定なさっていたセトリとは違う曲が入るかも知れませんね?
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プロモーションだったのに…9

2020-04-27 14:27:00 | メディア
「甲斐よしひろさんの『かあさんのせなか』」の続き…
「20歳で上京したあと、アパートに一度だけ分厚い手紙が届いたことがあります
夕暮れのなか、電気もつけずに立ちすくんだまま読みました
初めて見るおふくろの文字でした
こんなにも、僕に対して伝えたいことがあり
胸に秘めたものがあったのかと驚きました」と甲斐さん

かつて「サンスト」の中でも…「甲斐バンドのメンバー、大森、長岡、松藤と俺の4人で
初めて博多を離れて住んだ東京は高円寺のアパートメント
音楽を媒介にして、男4人がムサイ体寄せ合って、ワァワァ住んでた頃
その間はおふくろも彼女も、絶対手紙と電話はよこすな、と…

俺たちはひとつのターゲットめがけて一丸となってるんだから
ちょっとした気のゆるみが墓穴を掘るんだ、と…
バンドをナアナアな雰囲気にしたくないんだ、と…
もちろん、その頃、地方から出て来て何かヤルってのが
今と比べると、それほどの覚悟がいる時代だったとも言えるだろうけどね」

「こうして俺は10ヶ月間、ロックという武器を引っさげ
『都会あるいは時代』っていう敵を向こうに回して
『バンドのメンバー』という戦友たちと寝ぐらを共にした訳さ
で、バンドの形が見えて来た頃、ひとりで住み出したのが阿佐ヶ谷のアパートメント」

「俺が初めてのツアー終えて、帰って来た時だったよ
ステージと旅続きで、エネルギーをバシバシ使い込んで、やっとひとりの寝ぐらに辿り着いた時
鍵を開けたら、ドアに挟まれてた手紙がスーッと下に落ちたんだな
シワクチャになったおふくろからの手紙がさ

あれだけ手紙は書くな、よこすなって言ってた俺だけど
電気もつけないで薄暗い部屋で封を切ってさ
さすがの俺もちょっとマイッタよね
やっぱり込み上げて来るもんがある訳よ、こんな時…
てめえの底の方に下って行ってさ、ヒョッとてめえ自身に立ち返ったりするんだよな」

…と話されているんだけど、PV撮影時の事故で入院された際にも
「人から貰う花とか手紙…それが嬉しいっていうだけじゃなくてね
たったひとつのメモだけでも『寝たきり(笑)』にはこたえるんだよな
こういう時、人の気持ちがやっぱり染まるっていうか、判るもんなんだよね」

…と、おっしゃっていて、心身共に弱っていたり、ダメージを負っておられる時に
ちょっとした「ひとこと」だけでも染み渡るところへ
思いがけないお母様からの長いお手紙…
それも、すべて甲斐さんに向けられた心配や励ましの言葉が綴られていたんでしょうし
「立ちすくんだまま」でいらしたのもむべなるかなあと…

お母様の文字を初めてご覧になったとのことですが
「プロ契約が決まって博多を出る前の晩、豪快な我が家の宴会の最後に
母がスクッと立ち上がり、凛とした雰囲気で『満州娘』を歌ってくれた
テレ屋の母が人前で歌うのを生まれて初めて聞いた」と甲斐さん

その後、ソロアルバムで、この「満州娘」をカバーなさって
ツアー途中からセットリストに加え歌われた時に
涙ぐんでいらしたとか、いらっしゃらなかったとか…?

このコラムでも…「日本武道館で初めてライブをやった日の同時刻には
小雨のなか、お百度を踏んでいたと、あとで兄貴たちに聞きました。心にしみました」
…と話されてますけど「九州少年」では、このエピソードの他に

「仕事で帰ったふりをして」入院中のお母様のお見舞いに行かれ
「足が痺れるらしくモゾモゾしているので
布団をめくってふくらはぎを揉んであげた
丹念に心をこめて1時間ほど揉んだ
その時、その場でしてあげられることが、それしか見つからなかったからだ。それが哀しかった

「NHKのテレビで2日後に生放送があるので
準備のためにその日の夕方に東京に戻った
翌日の夜、電話が入って母が亡くなったのを知った
次の日、NHKの『時代の歌』という番組で『安奈』を演った
無心で歌った。せめてもの恩返しだと思った」…と記されています

コラムに戻りますと…「おやじは畳の上で死ねるような人ではなかったはずなのに
それができたのは、おふくろがかばい、支え続けてきたからでしょう
おやじの死後、2年もたたずに亡くなりました
ひたむきに働き、おやじへの思いを貫いた
やっぱりすごいなあ」と振り返っておられますが

お父様のご遺体に泣いてすがっていらしたお母様をご覧になって
「おふくろの一途さが腹立たしくもあった」とおっしゃったり
「どんなに壮絶な苦労をさせられても
間違いなく父親は母の中での支えだったのだ
頭ではわかっていても、その事実に少し僕は驚いていた」とお書きになっていたり
「対お父様」に関しては複雑な感情がおありだったみたいで

「10代の終わりから20代にかけて、怒ると何をしでかすかわからない自分がいた
人を人とも思わない連中をみると、カーッと逆上しすぎて
本気で相手を殺してしまうんじゃあないかと思う瞬間が何度かあった

「僕の中の気性の激しさと大胆なくせに妙に細やかなところは
父親によく似ていると言われた。血を恨んだ」と記されています(汗)
まあ、それで名曲「冷血」が生まれたとも言える訳ですけど…

ともあれ…「ぼくはいま、財布におふくろの手紙を入れています
亡くなる前のもので短い内容なんですが」と甲斐さん
「九州少年」の「最初」の章には…「母が亡くなる寸前に書いて寄越した短い手紙がある
それをきれいに折り畳みいつも持ち歩いている
時々、取り出しては眺めている
自分の最初を眺めているのだ」と書かれ

「最後」の章では…「母が亡くなる寸前に…時々、取り出しては眺めている
最後の母の笑顔を忘れないためだ」と書かれていて
この著書自体がお母様に捧げられたものであり
また「自分の出て来た所を忘れてはいけない」という甲斐さんのモットーが
ギュウ~ッと詰め込まれているんだなあと…

ただ、このコラムの最後が「ぼくは財布をよくなくすんだけど、これが必ず戻ってくる
不思議でしょ。何なんでしょうね」となっているのは、照れ隠しなんでしょうか?(笑)
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プロモーションだったのに…8

2020-04-26 14:02:00 | メディア
本来なら昨日からスタートした筈の、初の甲斐バンドでのビルボードツアーに合わせた
甲斐さんのメディア露出について、あーだこーだ言うシリーズ(笑)
その第3弾は、4月12日付の朝日新聞朝刊の「かあさんのせなか」です

以前に触れました同紙の「おやじのせなか」と同様
不定期に…というか、主に「母の日」辺りに掲載されるコラムなんだけど
ハッキリとした掲載日が知らされてなかったのか?
甲斐さんの事務所がテレワークになっていたためか?
前もってお知らせメールが届くことはなく、朝刊を広げてビックリした奥さん(笑)

まあ、ボクは、先日の「週刊現代」の見出し広告の中に
「甲斐バンド」の5文字を見つけた奥さんが
「これを買いに行くのは『必要至急』の外出だよね」と言い訳して(笑)
コンビニに走った時の方がビックリしたんだけど…(笑)

ともあれ…例によって(笑)マイスタジオのコンソール前に座られた
「歌手 甲斐よしひろさん」のお写真を拝見して
奥さんは、数年前に福岡のライブ会場でお見かけしたという
「たけし兄ちゃんにそっくり!」とクスクス(笑)…って、一番年が近いお兄様ですしねぇ?

内容は、甲斐さんファンの皆さんにはお馴染みのエピソードが並んでいるんですが
「本当に縁が薄かったなあ」とおっしゃっていたお父様とのエピソードに比べ
「福岡の男は、イタリア人と同じで、みんな短気でスケベでマザコン(笑)」とのお言葉通り(笑)
お母様への思い溢れる語り口がそのまま記事になっている気が…?

「仕事がすべての人でした。芯がしっかりしていておおらかで、誠実で。怒ると超怖いんですけど」
…という書き出しからもう、甲斐さんの著書「九州少年」に記された
お母様とのエピソードの数々が頭に浮かびまして、再読となった次第…(笑)

「最初」という「章」は…「母が亡くなって5年が過ぎた。働き者で誠実な人だった」に始まり
「(甲斐さんが)小学校にあがる昭和30年代といえば
左利きに対する偏見も強く厳しかった」にも関わらず
「『ウチは直しませんから』家庭訪問に来た教師に強い口調でそう言っていたのを聞いたことがある」

…と、今の甲斐さんの独特なギターの弾き方はもちろん
「左利きが使う右脳は情操感が鋭く、言葉やビジュアルに敏感だと言われている
美意識最優先なのだ。独特で変わっている」
「一般のステレオタイプの考え方はハマらない
だから僕に形の上での師はいない。他人に学ぶのは心のあり方だけだ」という姿勢にも
大きな影響をもたらされたことが窺えるし

「怒ると超怖い」というのは、甲斐少年にお小遣いをくれたことがあるお客さんの前で
お母様に「小遣いちょうだい」とおっしゃった時に
「『じゃあオジサンが小遣いをやろう』という
セリフが返ってくるという計算をしていた」のを見透かされ

「薄暗い通路に連れていかれ、いきなり胸ぐらをつかまれ壁に押し付けられた」
「強く壁に押し付けられた体は浮いている状態で
母は怒りながら唇は震え、右手には剃刀を持っていた
『今度こんなことしたら、絶対、容赦しないからね』
そう言って僕を放すと今度は思いっきり一発ひっぱたかれた」という
「バカ息子、5歳の時の話(笑)」のことかと思われます

「ぼくは4人兄弟の末っ子ですが、うちはみんな親孝行。ものすごい母親思いです
誰もがおふくろに認められたくて、自分の道を探しながら大人になっていった。そんな気がします」
…との言葉は「中学に上がる前の春休み」に「深く自分を掘り下げ見つめ直し、死ぬ気で考えた」
「一番深く考えたのは親孝行についてのことだった」とか

「家業を継いで母親を助けるという長男の親孝行のあり方。次男の全方位的な優しさ
いつでも母親の側にいてどんな時でもすぐに駆けつけられる距離で生きていたいと
その頃から公然と口にしていた三男の愛情の示し方
…その後、彼は本当に母親の住む家から半径1キロ以内に住み続けることになる」

「どんな事でもいいから自分の好きな道を見つけ、早く一人前になり自立することだと思った
親に迷惑をかけないで自分の手で食えるようになることだと決意した
この時に死ぬ気で考えた生き方の形は、今の僕の人生の原形になっている」
…と記されていることからも伝わって来ますし

「喧嘩」の章の…「血の気の多い男兄弟」の「ケンカが終わってみると
家の中の障子と襖がほとんど原形をとどめていない」「それも三間にわたってだ
残ったのは静寂の中の荒涼たる風景だけという見事さだ
それをおふくろが帰ってくる前までに何時間かかろうが修復するわけだ

取り繕うなんてレベルのものではない
この時のためにと前もって買っておいた障子紙やその他の種類の厚紙を使い
ノリは火をつけナベに湯を沸かし一から作るのだ」(笑)
「だったらヤラなきゃいいのにと思うだろうが、そうはいかない
兄弟の中の面子もあるし意地もある」

「だからケンカも猛烈にしていたが、何か事が起こるとすぐに家中みんながひとつになった
兄弟みんながわかっていた。キーワードはシンプルだった
おふくろだけには心配をかけない。これだけだった」…との文章からも
「母親思い」なご兄弟のお姿が窺えます

ただ「ピンと張った障子紙をシワがよらないように
緻密に器用に兄貴たちが貼っていく。うまいんだまたこれが巧妙で。
襖は破れたところに似たような模様の厚紙を上からうまく貼って」修復なさったとはいっても
「前の様子とは明らかに違う風情」の「新たな模様の新品同様の襖」に
お母様はお気づきにならなかったんでしょうか?(笑)
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プロモーションだったのに…7

2020-04-25 14:19:00 | メディア
甲斐さんの「グリーンブック」愛は続き…(笑)
インタビュアーの方が「実は、その1960年代の事実を見せながら
今の問題を考えさせようとしてる…」とおっしゃっているのへ完全にカブセられ(笑)
「その通り!全くそうだと思いますね」と甲斐さん(笑)

「あの…結局、映画が大ヒットする要素っていうのは
どれだけ時代と寝ないで、どれだけ時代と向き合ってるか?っていうことだと思うのね
それがやっぱり大ヒットの要素だと思うんですよ
完全にこの映画は意識してますよね、あの…時代と寝ないように…
時代と寝るっていうのはさ、つまり『往年の』っていうことになる訳じゃない?
つまり、あのー…やっぱりどっかに…そこに爪を立てるっていう意識があるから…

とにかく、あのファレリー兄弟の兄貴の方が
あれだけおバカ映画作って、あれだけコメディを作ってる監督が、これを撮ってる
しかもプロデューサーはね、ずっともう物心ついた時から
自分のお父さん…用心棒の…それからピアニスト…(の関係を見ている)

で、実在のピアニストの住んでる部屋は、あれよりもっと複雑だったらしいんですよ
でも、さすがにそれは再現できないんで…
それでも相当な再現してるらしいんだけど
イヤ、ホントもっと複雑で、もっと変わってる人だったっていう風に、やっぱり言ってるから

その再現を試みながら、でもナンかちゃんと今の時代に対してのこう…切り口なり
さっきも言ったけど、あの…生半可な形で
ヒューマンコメディを撮ろうということは、全く考えてないですよね」と話されてました

記事の方では「ここから先はネタバレを含みますのでご注意下さい」との一文に続き
「甲斐さんのお気に入りのシーンとかありますか?」という質問

「留置場から出たトニーとドンが、車の中で喧嘩するシーンがあるじゃない?
トニーが、裕福な生活を送るドンに『俺はアンタより黒人だ!アンタは黒人を知らない
(中略)俺は裏町、アンタはお城、俺の世界の方が黒い!』
と言ったのに怒ったドンが、車から飛び出して

『私はひとりで城住まいだ!金持ちは、教養人と思われたくて私の演奏を聞く
その場以外の私はただのニガー…それが白人社会だ
その蔑視を私はひとりで耐える、はぐれ黒人だから…
黒人でも白人でもなく、男でもない私は何なんだ?』と叫ぶシーン
ドンの悲痛な思いが伝わって来ました」とお答えになっているんですが

動画の方では…「トニー・リップが『イヤ、俺の方が黒人知ってる』って言って
最後のシーンの所で、車の中で喧嘩になるんですよ
で、ドンがバーンと飛び出して行って…で、急に振り向いてね
『お前に何が判る?』っていう話、あるじゃないですか

で…『金持ちの教養人は、教養人と見られたくて私のライブを観る
それ以外は、私はただのニガー、それが白人社会なんだ』っていうシーンがあるでしょ
あれね、あそこホントにヤバイと思う
あれが、一番言いたかったことと思うんですよ
そいで『その軽蔑の眼差しの中で生きてる、はぐれ黒人が私なんだ』」…とおっしゃっていて
やはり記事の方が若干?親切だなあと…(笑)

更に、記事の方では…「ドンは『はぐれ黒人』ってだけじゃなく、実はゲイでもある
そこからの『黒人でも白人でもなく、男でもない私は何なんだ?』っていうあの言葉は
今の世界に生きている僕らにも、一番リアルに伝わる心境ですよね
近年、LGBTについて盛んに取り上げられているけど
大多数の側の人間だけを見ようとしても、この世界は何も面白味がないじゃないですか」

…と続いたトコで、動画の方の「真っ当な所で、真っ当な人たちだけ生きてたら
この世界には何も面白味がないじゃないですか」に繋がり
「色んな人たちを理解しながら、色んな人たちを自分の中に迎え入れて
共に生きて行く、共存して生きて行くっていうのが
やっぱり、今のこの複雑な世界で一番素晴らしいことだと思うんで
そういうのを全て出してる」と絶賛なさってます

動画の方では「ネタバレ注意」がないまま(笑)
「しかも、編集、テンポあるしねぇ!素晴らしいですよね!飽きないもんね
どんどんディープサウスに入って行く感じがよく伝わりますよね?怖いもんね
しかも、途中で…あの、ま、ま、それは終わりの方だけど

あのトリオの中のチェロ弾いてる彼が…
『イヤ、1956年にバーミンガムで、ナット・キング・コールが公演やったら
その時に袋叩きに…白人から袋叩きにあった』…(と言った)とか
そういう情報とかも、どんどん入って来るじゃないですか

やっぱり、ホントにこう…最南部っていうか
ホントに最南部にどんどん、どんどん入ってくのを
ホントに超リアリティ、臨場感がある編集になってますよね」
…と語っておられる内に、どんどん思い出されたのか?(笑)

「ま、ドン・シャーリーっていう…ま、その時の…
時代の一番スタイリッシュな天才ピアニストと言われてる彼と
ま、陽気なイタリア人…コパカバーナの用心棒やってた
トニー・リップというのが、2人旅するんですけど

まあ、夜間外出は、その当時…60年代前半は、黒人はほとんどの州でもう禁止だった
でも、道に迷って、夜歩いてて…まあ走ってて…で、警官から止められて、豪雨の中で…
で、挑発されて、トニーがぶん殴るんですよ
で、2人、牢屋に連れて行かれるんだけど

その時に、ドン・シャーリーが…ピアニストが
『暴力は敗北なんだ!品性を保ってこそ勝利がもたらされるのだ』…って言った瞬間に
俺、ダメだなって…素晴らしいと思ったんですけど…
更にもっと名シーンが、その後に来るんですけど…
しかも、その牢屋から解放したのが、当時の司法長官だったロバート・ケネディだという…
あそこはもう本当に名シーンですね、素晴らしいシーンだと思います」

…と話されたシーンは、ボクもすごく印象に残っていて
トニーが警官を殴って、2人とも留置場行きになり、カッカしてるのと対照的に
シャーリーは、至って冷静に、弁護士に電話をかける権利があることを主張し
ケネディ司法長官の口添えのおかげで、しぶしぶ釈放を認められたものの

「司法長官と知り合いなのか!?」と小躍りせんばかりに喜ぶトニーに
シャーリーが「こうしたことで頼み事をするのは恥だ
偏見や差別に暴力では勝てない、私は笑顔と尊厳で闘うんだ」
…と告げた時のマハーシャラ・アリの表情は今でも目に浮かびます

ちなみに…南部ツアーが終了し、頑張って走れば、クリスマスイブに家へ帰れると
トニーが、悪天候にも負けじと車を走らせていた時にも、パトカーに止められるシーンがあり
「オイオイ、またかよ!?」と思ったら
お巡りさんは「タイヤがパンクしているんじゃないか?」と注意し
トニーがタイヤ交換するのを待って
「メリークリスマス」と見送ってくれるという粋な伏線回収でした

ともあれ…「まあ、陽気で、家族と一族を愛するイタリア人と、はぐれ黒人であるドンが
どんどん心を通わせて行って、最後はクリスマスイブの家族のパーティにドンがやって来る
もう、あそこもホント名シーンなんだけど…」と甲斐さん

「壁を作るのは簡単なんだけど、分かち合って行くことの素晴らしさっていうことをね
若い人にも是非観て欲しいなと思います
WOWOWで、僕がおすすめする『グリーンブック』放送します
気になる方は是非ご覧下さい」…で動画終了と思いきや(笑)

「フィルムガレージメモ」…「甲斐よしひろの愛する名作映画たち」とのタイトルの下
「真夏の夜のジャズ」「レザボア・ドッグス」「殺人の追憶」「ゾディアック」という
この動画の中で甲斐さんが挙げられた映画がクレジットされる隣で
「アカデミー賞授賞式で心打たれたシーンを語る甲斐さん」の映像が続き…

「ホアキン・フェニックスが、ね?まあ、主演男優獲って
ま、長いスピーチをやったじゃないですか
たぶん、それはまあ、絶対、受賞したらスピーチはそういうスピーチになるだろうな
…っていうことを心配してる、隣にいるガールフレンドのルーニー・マーラが
僕はホントに可哀想でもう…ちょっとこう…(ホアキンの)肩、触れるんだよね

でも、ホアキン・フェニックス、立って…
フツーはさ、ルーニー・マーラじゃないですか
『お前、ナンだと思ってんだよ!?ムチャムチャ上手いヤツじゃん!』みたいな…
『キャロル』とかね、『ドラゴンタトゥーの女』とか、みんな彼女ですけど…

握手して行くのかと思いきや、さぁーっと…
まあ、ホントにホアキン・フェニックスの、あの不器用な…ホント不器用だな、こいつは…って
あの不器用さがちょっとね、僕は逆に切なく感じて…」
…と、ご自身のラジオ番組でも、さんざんツッコまれていた話をなさってました(笑)

その映像が流れる間に「フィルムガレージメモ」が変わり
「『グリーンブック』甲斐よしひろの見どころ…脚本、演出すべてが完璧!」
「この映画の良かったシーン…主人公2人が刑務所に収監された時の
2人のセリフのやりとりに心打たれた」…という「まとめ」がクレジットされてました
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