ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ノープラン✕ドライブ旅2(その2)

2020-11-30 15:35:00 | 日記
「実は、前回の旅では、クラシックカーでドライブした3人…でも今回は?」
…というナレーションに続き、鈴木浩介さんが「あちらでございます」と示された方をご覧になり
「ああー!西鉄!西鉄バス!」と光石研さん
松重豊さんの「観光的なバスじゃなくて路線バス」との言葉通り
福岡遠征の際に、よくお世話になるバスが停まっているのを見た奥さんのテンションもアップ(笑)

「日本有数のバス王国・福岡、中でも西鉄バスは県民の足として愛され、3人には懐かしい存在」
…という説明ナレーションが入り、後刻に甲斐バンドの「バス通り」が流れたのも
そういうことかも知れませんね?(笑)

ともあれ…「今回、特別に貸し切っちゃいました!」というナレーションと共に
お三方がバスに近寄って行かれると、バスの正面の行き先表示部分に
「福岡出身 バイプレーヤー御一行様」の文字
鈴木さんが「名前が入ってますよ」と気づかれ
光石さんが「これ、目立つね」とおっしゃったあと
バスに乗り込もうとなさって「整理券が…取っていいんやろか?これ…」と質問

鈴木さんは「懐かしい!」と拍手され(笑)
松重さんは、まだバスの外から整理券に手を伸ばされる光石さんに
「よかくさ、乗ってから取らな」と一言(笑)
でも、その松重さんも整理券を手になさると「1番!」とハイな声を上げられ(笑)
…って、始発の停留所以外は、1から順に番号が振られてますよね?(笑)

後部席の運転手さん側に光石さん、通路を挟んでお隣に松重さん
鈴木さんは、後ろ乗りドアの正面辺りの1人掛け席に座られ
光石さんは「これがねぇ、やっぱ懐かしいよね
久しぶりに乗ったね、西鉄バスね」とバスの中を見回され

鈴木さんも、ご自分の席の頭上にある降車ボタンをご覧になって
「あっ、これ押してみますか?」とお訊ねになり、松重さんが「押して」とおっしゃって
「いいですか?じゃあ、ちょっと…」とボタンを押されると

あの「ピンポン!」というお馴染みの音に
「おお~!」「サイコー!」「ああ~!イイね!」と大喜びのお三方(笑)
すると「ハイ、停車します」という運転手さんの声がして
「応えてくれたよ、シャレとう!」と松重さん(笑)

さて…「最初の目的地は?」ということで
光石さんが「じゃあさあ、どこ行きますか?」とお訊きになると
松重さんが「美味しいもの食べたい!」とお答えになり
鈴木さんが「僕、年末、福岡で過ごしたんですよ、年末年始…
そいで、初めて『吉塚うなぎ(屋)』行ったんですけど…」と話し始められたトコで

松重さんは「初めて!?」と驚かれ、光石さんが「ああ、俺、行ったことない」とおっしゃると
「福岡来たら、墓参りの帰りはもう吉塚うなぎって決めとうけん」と
お三方の中で唯一の「福岡市」出身の方らしいご発言に
「はあ~!」と首を振られる「北九州市」出身のお二人(笑)

「もちろん、取材交渉は自分たちでお願いします」というナレーションがあり
鈴木さんがスマホを取り出されると「もう開いとうと?」と松重さん
光石さんは「イヤイヤ、開いとうでしょ」とおっしゃったものの
呼び出し音だけが響くと「閉まっとっちゃない?」と不安気な表情(苦笑)

鈴木さんが「スゴイですね、ガチな感じが…」と苦笑いなさったトコで電話が繋がり
「あっ!スイマセン、あのですね、FBS福岡放送のですね」と取材交渉に入られると
「ハイ、お世話様です」という声が聞こえ
奥さんは、以前に華大さんも、このお店に飛び込みで取材交渉していらしたこと

…って、まあ華大さんの場合は、常日頃からこのお店と懇意になさっていたらしく
番組の流れで、たまたま急に「行こう!」という話になったみたいですが…や
「福岡県民は丁寧に話そうとすると、語尾に『ですね』が付く」という「あるある」を思い出し(笑)
更に、鈴木さんが「まるでテレビ局の人間かのように話してる(笑)」ことにクスクス(笑)

それはともかく…鈴木さんが「あのー、お昼ごはんを是非
吉塚うなぎさんで食べさして頂きたいなと思いまして…
テレビの…テレビのカメラも撮影さして貰ってもよろしいですかね?」と交渉なさると

「ハイ、大丈夫です」と快諾して頂き、拍手して喜んでいらした光石さんに
松重さんが「先輩!ごちそうさまです!」と頭を下げられ(笑)
光石さんが「早いわ!俺、さっき払ったもん!」と返しておられるのへ
まだ電話でやり取りなさっていた鈴木さんが、電話を中断され
「ちょっと静かにして貰っていいですか!」と一言(笑)

「それでは、松重さんも愛する老舗のうなぎ店へ出発」というナレーションに続き
「この番組は…」とスポンサー名が告げられ、再び車内でのお三方の会話へ…
鈴木さんが「良かったですね、大濠公園は…」とおっしゃって
松重さんが「天気が良いけん、完璧やねぇ、もう…」と返されていたトコに
「さっきから言おうと思っとったけど…」と光石さん

松重さんが「なに?なに?なに?」と身を乗り出されると「メガネが一緒やろ?」…(笑)
鈴木さんが、ご自分のメガネを示されながら
「僕のコレですよ…一緒だ!(笑)」と1人ノリツッコミを披露(笑)
松重さんは「気持ち悪いな」とバッサリ(笑)
もっともボクは、お三方それぞれの役割というか、関係性が垣間見られて楽しかったです(笑)

鈴木さんが「でも、良かったですね(福岡に)来れて…」と話の口火を切られ
光石さんが「良かった!コロナでねぇ」とお答えになり
…って、申し遅れましたが、お三方はマスクではなく
口元が見えるマウスガードを着けておられます

鈴木さんの「自粛中とか何やってました?」という質問に
光石さんが「僕はもうナンにもしてなかった
ナンか台本見るのも、いつ台本開いていいか判らんやったし…」とお答えになったのに対し
「僕、あのー、小説書いてました」と松重さん
光石さんの「来た!ほら!(笑)」という声をスルーなさって(笑)

「コロナ(自粛)の間は、家にいるのが退屈だったんで、本を…」と現物を取り出され
「うっわ~!マジっすか!?」とビックリなさっている鈴木さんに
「これ、出来て…短編小説集とエッセイ書いて…
これ、浩介くんに…サイン入りです」とプレゼント

画面下には…「『空洞のなかみ』…松重がコロナ自粛中に執筆した
初の短編小説&エッセイ集」…とのクレジットが出てたけど
発売前から重版出来という話題作ですよね?

鈴木さんが「ええ~っ!嬉しい!本当に自粛中に?」とお訊きになると
松重さんは「4月の間、もうやることがないんでもう…
ただもう…ひたすらもう…」と返されてましたが
やることがなかったからって、誰でも小説が書ける訳じゃないと思います(笑)

光石さんが「俺はもう全然ダメ!(何も)やんなかった
でも、料理ちょっとやったり…」と振り返られると
松重さんが「何作ったんですか?」と興味津々なご様子
…って、松重さんは、野菜を育てられたり、カレーのルウも
スパイスをあれこれ組み合わせてお作りになったりと、こだわりのある方みたいなので

光石さんが「最初はね、カップラーメンをふやかしてチャーハンで炒めるっていう…」
…とお答えになるや「料理じゃないじゃない!料理じゃないでしょ(笑)」とツッコミまくり(笑)
鈴木さんも「それ、中学生がやるヤツですよ(笑)」とバッサリ(笑)

ここで、運転手さんが「次は吉塚うなぎ屋、吉塚うなぎ屋です
お降りの方はお知らせ下さい」とアナウンス(笑)
お三方が「おっ!」とお顔を見合され「(降車ボタンを)押した方がいいな
押した方がいい、押した方がいい」と松重さん

鈴木さんが頭上の降車ボタンを押されると
「ピンポン!」と音が鳴り「ハイ、停車します」と運転手さん
すると、松重さんが鈴木さんに「それ、押した感あった?」と質問
鈴木さんが「押した感、ちょっと…あんまりなかった」とお答えになると
「ねぇ?俺が先に押したから(笑)」と返され(笑)
「やっぱりか!」と叫ばれた鈴木さん(笑)
ものすごくいいイジられキャラでいらっしゃいました(笑)
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ノープラン✕ドライブ旅2(その1)

2020-11-29 18:57:00 | 日記
昨日の朝、奥さんの「あっ!」という声がしたかと思ったら
テレビから甲斐バンドの「バス通り」が聞こえて来て
「わあ、甲斐さんの声、若いなあ!」…って、そこじゃないですね(笑)

「名俳優光石松重鈴木ノープランドライブ旅」というFBS福岡の番組の第2弾の中で
「照和」が登場し、そこで「バス通り」が流れたらしい…って
イヤ、奥さんは新聞のラテ欄でこの番組を発見し、すぐに録画予約をしたあと

「みどころ」欄で、番組内容が紹介されているのを読んで
「福岡ミュージシャンの聖地と呼ばれる場所を訪れる」との一文に期待を高めていたんだけど
「甲斐バンド」の「か」の字も出ないことにガッカリしていたら
最後の最後に甲斐さんの歌声が聞こえて、思わず声が洩れたんだとか…(笑)

ともあれ…「名バイプレーヤーの彼らが今回の主役です」というナレーションのあと
光石研さん、松重豊さん、鈴木浩介さんのお顔が映り
「福岡出身の3人が故郷を自由気ままにノープラン✕ドライブ こんな3人見たことない!
俺たちのノープラン✕ドライブ2」とタイトルコールがあり
「福岡市民に愛される憩いの公園」…大濠公園から番組スタート♪

高校生の甲斐さんが、当時の彼女と通われ、ホットドッグを召し上がったという(笑)
また、松藤さんとイチローさんの母校にも程近いアノ公園で
「シャレとうねぇ、やっぱりね」と光石さん
鈴木さんは「キレイですもんね」と相槌を打たれたものの
「ちょっと井の頭公園にしちゃサイズ感が…」と小ボケをかまされる松重さん(笑)

光石さんが「井の頭公園じゃない、大濠公園ですよ!
風が違うよ、全然、風が…」とツッコまれるも
松重さんは「こっち、吉祥寺駅かな?」と重ねてボケられ(笑)
「違うわ!我が大濠公園でしょ」とおっしゃる光石さんに
「『我が』『我が』か?もう『我が』呼ばわり?(笑)」と返しておられましたが
これまでナンとなく、光石さんが「ボケ」で
松重さんが「ツッコミ」みたいなイメージがあったので、ちょっと意外な気が…?(笑)

鈴木さんが、周囲の景色を見回され「ホームに戻って来ましたね!」と感慨深げにおっしゃると
光石さんが「僕、あのー、一応デビュー作の…
主演のデビュー作の『博多っ子純情』…」と話し始められ
その途端に、鈴木さんが「またその話ですか?『博多っ子純情』の話
もう前回、充分もう情報入ってますよ!」とカブセて来られたにも関わらず(笑)

光石さんは「そのロケの時にお借りして…」と話をお続けになったので(笑)
松重さんが「もうねぇ、四十数年前の話ですからね」とバッサリ(笑)
この件の時に、画面下には…「映画『博多っ子純情』
1978年公開 映画経験なしの光石(当時17才)が
初オーディションにて主演を勝ち取ったデビュー作」…というクレジットが出てました

そうそう!今、関西地区では、光石さん久方ぶりの?(失礼!)主演ドラマ
「デザイナー渋井直人の休日」の再放送をやっていて
やっぱり、あの「♪疑いながらも惚れた時にゃ、あんたからサヨナラ♪」な感じがイイなあと…(笑)

その光石さんが、松重さんの言葉に「ホントですね(笑)」と頷かれると
鈴木さんが「僕も…ちなみにココ、初めてのデートの…」と話し始められ
すかさず松重さんが、思いっきりカブセて「どこの高校の子?」と質問(笑)
「そういうの言えないですよ」とお答えになる鈴木さんに
「ナンで?言えばイイじゃん?」と粘られたトコで

「光石さん(59才)と松重さん(57才)は、共演も多く旧知の仲
松重さんと鈴木さん(45才)は、同じ高校の先輩後輩
そして、光石さんと鈴木さんは、北九州市出身
共に、プライベートでも仲の良い3人なんです」と、ナレーターがお三方のご関係を紹介し
「今回は、そんな3人に自由に福岡の街を巡って貰います」と番組趣旨を説明

…って、今、このタイミングで、このお三方がお揃いになると
「バイプレーヤーズ3」&映画化のプロモーションみたいに見えますよねぇ?(笑)
そういえば、甲斐さんが「思わず貰い泣きしそうになった」と話されていた
光石さんご出演時の「Aスタジオ」の中で…
京都へ行かれるという松重さんに、光石さんが
帆布で有名なお店のトートバッグを買って来て欲しいとお頼みになったら
そのお店が女性客で溢れ返っていたらしく
普段は穏やかで優しい松重さんが、恥ずかしさのあまり
電話の向こうでキレていらした(笑)と明かされてました(笑)

それはさておき…光石さんが「スワンボート乗りましょうよ」とおっしゃると
鈴木さんが「乗りますか?スワンボート、行ってみます?」とボート乗り場に行かれたものの
受付窓口の前で「どうしよう?いくらですか?」と光石さん
「1600円ですね」との返事に「えっ!?」と絶句(笑)

鈴木さんは「僕、高校の時、だから乗れなかったですよ」とご存知だったみたいだけど
「先輩、やっぱ剥き出しですね、金銭の…あの…(笑)」と松重さん
画面には…「バイプレーヤーMEMO…多くの映画に出ても金銭感覚は庶民的」…という
バイプレーヤーあるあるが出てましたが(笑)

「バイプレーヤーズ2」の時も、地方ロケの打ち上げで行かれたお店の料理が
質・量ともに値段に見合わないと訴えていらした光石さんを
他のメンバーの皆さんがイジっておられましたよね?(笑)

「ノープラン✕ドライブ、支払いは皆さんでお願いします」というナレーションが入り
「もう、サクッとジャンケンしよ」と松重さん
鈴木さんが「えっ!?ジャンケンすか?」と驚かれたのに対し
光石さんは「『ジャンケンしっ!』って言いよったろ?」と懐かしそうなお顔(笑)

松重さんが「『最初はグー!』はないよ、福岡はないよ」と返されたそばから
いきなり「ジャンケンしっ!」と掛け声をおかけになり(笑)
一発で負けが決まって「最悪!(笑)」と苦笑いの光石さん(笑)
鈴木さんは「出すの遅いし(笑)遅く出して負けるってスゴイよ!(笑)」と傷口に塩(笑)

「言い出しっぺの光石さん、1600円のお支払いです」とのナレーションに続き
いざ、スワンボートに乗ろうとなさるシーンへ…
光石さんが「松重さん、どこ乗る?」とお訊ねになり「俺、後ろでいいよ」と松重さん
鈴木さんが前席右側に乗り込まれ、光石さんがそのお隣に座られた辺りで

「…ということで、最初のドライブは、まさかのスワンボートから…」というナレーションが挟まり
3人でペダルを漕ぎ出されるも「うわっ!結構これ大変や!」と光石さん
松重さんも「ああ…ナンか、くたびれる、これ…」って、早くね?(笑)

松重さんが、他のスワンボートの屋根の上に、カモメが留まっているのを発見され
「あ、これ、カワイイ!」と指差されると
光石さんが「写メ撮ろうかな」とスマホを構えられたトコへ
松重さんが「ちょっと、俺も…」と後部席の真ん中から、カモメがいる側に移動なさったため
ボートが大きく傾き「あっ!ああぁ~!ビックリした~!」と光石さん(笑)
鈴木さんも「ちょっと、ホントにヤメて下さいよ!」と驚かれたご様子(笑)

でも、松重さんは「大声出さんでいいって」とスルーされ(笑)
光石さんが「ビックリした~!ちょっとホントに怖かった、今…」とおっしゃった途端に
今度は、反対側に移動なさる松重さん(笑)
「うわあ~!」と声を上げられる鈴木さんと光石さんをご覧になりニヤニヤ(笑)
光石さんは「もう~!おおぉ~、ヤメて!マジで怖いわ!この人、好か~ん!」と絶叫(笑)
光石さんにはお気の毒でしたけど「おじさん俳優の素顔全開です」とのナレーションにクスクス(笑)

ボートから降りられ「楽しかった~!」と松重さん(笑)
光石さんが「イヤ、さすがにちょっと疲れましたね」とおっしゃると
「乗りたいって言うたとでしょ?乗りたいって言うて、一番はしゃぎよったとでしょ?
ちょっとフラフラしたら『携帯落とす~!』って…(笑)」
…って、やはりイメージ通りのツッコミ役でいらっしゃいました(笑)

「ホントにビックリする…ああいうのヤメて欲しいわ!」と愚痴っておられた光石さんに
ディレクターから指示があったのか?「だから、乗り物と言えば…」と急に話し出されると
鈴木さんが「そう、今回、もうアレですよ、また前回のように…」と受けられ
松重さんが「リムジン!」とおっしゃったトコで

「実は、前回の旅では、クラシックカーでドライブした3人…」というナレーションと共に
その前回のものらしき映像が流れ「前回って、いつ放送したんだろ?」と奥さん
福岡弁満載のお三方の会話に、すっかり魅せられたみたいです(笑)
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帰って来た令和のシビレる言葉おまけ

2020-11-28 21:04:00 | 日記
甲斐さんがビルボードツアーのMCで…花園ライブの説教タイム(笑)に
「もっと下がれ!2メートル!」とおっしゃったのは
まるで今のソーシャルディスタンスを予見していたかのような」
…ご発言だったと話されていたそうですが(笑)
かの志賀直哉氏は、スペイン風邪が猛威をふるった1918年
家族や使用人に「むやみに外出するな」「人混みを避けよ」と度々言いつけていたらしい(笑)

にも関わらず、こっそり芝居見物に出かけたお手伝いさんがいたようで「クビだ!」と激オコ
が、そのあとに自分が感染し、妻や娘も発症してしまい
クビになりかけていたお手伝いさんが、献身的に看病したんだとか…
「三密」回避を指示した先見の明は流石だけど、感染した人間を排除しようとする心理は
コロナ禍が始まった頃のボクたちに通じるものがあるような気が…?(苦笑)

谷川俊太郎氏が「ともだち」の中で…
「ともだちって、かぜがうつっても へいきだって いってくれるひと」
…と書かれていたのをお読みになった伊藤亜紗さんは…
「確かに、私も以前はそんな風に考えていた
寝込んでいる友人の家にご飯を作りに行ったこともあったし
そもそも自分の風邪が誰から貰ったものかなんて、笑いながら話す話題だった

ところが新型コロナウイルスの流行によって『ともだち』感覚は一変した
ウイルスの感染経路は厳密な監視の対象になり
感染者の家に投石や貼り紙がされるなど中傷や嫌がらせが起きている
コロナ禍がある程度収束したとしても『うつされる』ことに対して
私たちは以前のように大らかになれないだろう
それがインフルエンザや風邪であったとしても
うつされる可能性に敏感になり、不快感を感じるようになるかも知れない
ともだちがする咳を、私たちはいたわれるのだろうか」

…と記されているのを拝見した時にも「大丈夫?」とは訊ねるであろうものの
心からいたわれるか?というと、自信がないかなあ…と思った自分がちょっと残念でした(汗)
まあ、甲斐さんは「今は、咳をしたらすぐに
『違いますよ!』って言わなきゃいけない」と話されていたそうですが…(苦笑)

「安心して感染したい」というタイトルの5コマ漫画があるらしく
感染者が1人も出ていない町で暮らす人々が
「狭い町で噂になるから1人目にだけはなりたくない」とか
「感染したって判ったら、すぐに村八分にされるぞ」と不安を抱えている状況を見て
作者の方が「噂するのも村八分にするのも後ろ指を指すのも陰口を叩くのもウイルスじゃない
この『ひと』なんだよなあ」と呟く…といった内容だったそうで

「大切なのは、陽性者が出たあとの反応であり
老若男女、誰もが安心して感染できる世の中になれば
闘う相手はウイルスだけで済む」…との一文に大きく頷いております

それはともかく…甲斐さんの「先見の明」のネタ(笑)で
「イソジン」より「イマジン」がありましたが(笑)
現在開催中の「ダブル・ファンタジー~ジョン&ヨーコ」に因んで
我が家の購読紙が「今こそ聴きたいジョン・レノン」の曲を調査したところ
2位の「ヘルプ!」のWスコア!?ぶっちぎりで「イマジン」が1位に選ばれていて
3位は「スタンド・バイ・ミー(ソロ、カバー曲)」

以下…「抱きしめたい」「愛こそはすべて」「ア・ハード・デイズ・ナイト」
「シー・ラヴズ・ユー」「プリーズ・プリーズ・ミー」「カム・トゥゲザー」
「涙の乗車券」…がトップ10で、14位まで「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」
「ノルウェーの森」「ウーマン(ソロ)」「ドント・レット・ミー・ダウン」…掲載されているんだけど
甲斐さんがカバーなさった「Oh My Love」は、残念ながら見当たらず…(苦笑)

ともあれ…トップ20の内、16曲がビートルズのオリジナル曲みたいなので
それを抑えて「イマジン」が支持されるというのは
「国も宗教も争いもない世界を思い描いてごらん
そうすれば、みんながひとつになる」と呼びかけるこの曲を
「コロナ禍の閉塞感のある今だからこそ聴きたい」ということなんでしょうね?

それにしても、ジョンが40歳で凶弾に倒れ
甲斐さんが、その訃報の載った新聞をビリビリと破られてから40年!?生きていたら80歳!?
ジョンより2歳年下のポールが現役だってことを考えれば
数字の上ではナットクはするものの、イヤー、月日が流れるのは早いなあと…(苦笑)

そうそう!この企画展では、NYのセントラルパークに設置されている
円形のモザイクアートのレプリカが見られるようですが
奥さんが去年の「JAPAN DAY」に行った時に見た、このモザイクアートは
「ストロベリー・フィールズ」と呼ばれていたのが
この企画展では「イマジンの碑」になっているらしい
って、まあ確かに円の中央には「IMAGINE」の文字があるんだけど…(笑)

そのNY弾丸ツアーの際に、奥さんは甲斐バンド縁のホテルで見つけた可愛いチョコレートを
甲斐友さん達へのお土産に買って来たんですが
日本近代史家の鈴木勇一郎さんは…
「欧米の旅行ガイドにも駅構内にもないのは、おみやげ…特に食品だ

東アジアの特徴とも言えるが、日本では更に土地の歴史に結びついた菓子類が多い
それも、思い出にというより人に配るためだ
名物にとっては内容にもまして、その来歴を語る由緒が重要なのである
こじつけと判っていても『ものがたり』が不可欠」…と記されていて
まさに、チョコレートの味やパッケージの可愛らしさにもまして
「そこ」で入手したことが、一番の土産話だったんじゃないかと…?(笑)

土産話といえば、77歳の男性の方が、新聞の読者投稿欄に…
「『若い時に旅をしなければ、老人になってからのストーリーがない』と聞いた20歳の頃
しかし、海外渡航はまだ自由化されていなかった
1964年の東京オリンピックを境に、海外への関心や企業の海外進出が盛んになり始めた」ので
67年に横浜からナホトカへ、シベリア鉄道でハバロフスクやバイカル湖、そしてパリへ…

パリでアフリカからの出稼ぎの人々と出会われ、翌年アフリカへ…
以来30年、お仕事などでアフリカと関わって来られたそうで
今は、そのアフリカでのストーリーを中心にお孫さん達に語っておられるらしく
「話しても話しても尽きない物語は財産である」…と記されているのを拝見し
「25歳までに海外へ行った方がいい」という甲斐さんの言葉とはまた別の意味で
もっと若い頃にアチコチ行っておけば良かったかなあと…(苦笑)
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帰って来た令和のシビレる言葉4

2020-11-27 21:29:00 | 日記
甲斐さんが「LEGENDS」で、志村けんさんが亡くなられたあとに
「『風俗刑事』とか、ずっとやってまして
浜ちゃんが、志村けんさんをパンパンハタいてるという
なかなか観れないものも入れて…すごい懐かしかったんですけどね
えー、僕、一応、あまりに良かったんで
そのあと、あの…浜田さんに電話を入れまして…」と話されてましたが

その志村さんは「常識を尊ぶ」方だそうで
「常識を退屈な『マンネリ』だとバカにしていると、常識を超えたことも出来ない
飽きられないマンネリ、日々新たなマンネリというものがあるんだ
だから『常識人の変な人』を目指して来たんだ
マンネリをフレッシュに保つには『下ごしらえ』が大事
やっぱりプロは、下ごしらえもプロじゃなくちゃダメじゃないの」…と話されていて

「基本やスタンダードをないがしろにした異端なんてないからね」とか
音楽家というもの、音楽以外は知らなくていいっていう音楽バカはおかしい
もちろん、その仕事に関してはエキスパートであり
プロフェッショナルでなくてはならないけど
ロッカーがロックバカだけでいい、なんてあり得ない
はっきり言って、それは甘えだからね」という甲斐さんの言葉を思い出しました
「甲斐バンドのライブは予定調和」とよく口になさるのも
プロとしての下ごしらえが万全でいらっしゃるからこそかも知れませんね?

エッセイストの平松洋子さんの著書「そばですよ」に登場する
立ち食いそば店「ファミリー」の女将さんは…
「当たり前のことをちゃんと続けるっていうのが、何でも一番大事なんじゃないですか
下ごしらえや手入れをしたり、仲間の食事を作ったり
職場の環境を整えたり、特別なことなんて何もないの」…とおっしゃっているし

福岡の惣菜店経営のご夫婦は、多業種の人々がコロナ禍の日々を綴られた
「仕事本 わたしたちの緊急事態日記」に
ご近所の居酒屋さんの大半が休業を余儀なくされる中「お酒の飲める惣菜屋」として
「地道に惣菜や弁当を作り続けて来たことが今は生きている。地味なことは打たれ強い」
…と記されていて、日々の暮らしをこつこつと積み重ねることが生きる力になるんだなあと…

一方、同じ「仕事本 緊急事態日記」の中で、尾崎世界観さんは…
「コロナ禍の中、生活までテレビの再放送番組のようになっている
自分の今日も昨日の再放送だなんて悲し過ぎる」…と嘆かれ
「慣れない腕立て伏せなどして、ぷるぷる震えて」おられる(笑)と書かれてますが

この尾崎さんの日記文について、鷲田清一さんは…
「今日が昨日と違うのは、人であれ感覚であれ
そこに思いがけない触れあい(コンタクト)が挟まるから?
ちなみに、コンタクトと『偶発性(コンティジェンシー)』は
同じくラテン語の『触れる』に由来する」…とおっしゃっていて
物理的にも精神的にも何らかの刺激がないと、月日の感覚がなくなってしまうというのは
別にコロナ禍のステイホームに限ったことではないんじゃないかと…?(苦笑)

ちなみに、作家の筒井康隆さんの著書「現代語裏辞典」の「緊急」の項目には…
「~処置、~事態、~逮捕、~避難のように用いられるが
たいていはうろたえていて大事や失敗に終る」との説明が…(笑)
他にも「募集」には「まず詐欺を疑うべし」とか(笑)
「適材適所」には「気に食わない奴が左遷された時の憎まれ口」と、流石な説明が記されてます(笑)

それはともかく…吉村喜彦さんの「二子玉川物語」の中で
寿司屋の娘婿になるも、大阪生まれなので
「どうしても江戸前のシャリにならない」と、バーでこぼす職人に
そのバーの常連客が「『寿司通』に好かれる優等生になどならなくていい
自分に嘘ついてると、どんどん歪んでくる」とアドバイスする件があり

「魂無しに売れ線だと思って(曲を)作って、それでコケたら本当に自分がダメになるよ」とか
「ロックを歌ってるけど、生き方がロックじゃなかったら恥ずかしいよね」
…とおっしゃっていた某ミュージシャンの方のお顔が浮かびました(笑)

そのミュージシャンの方がお好きな「孤独のグルメ」シーズン3の第2話で
井之頭五郎さんが、ある中華料理店に入り
「豚で白い飯。直球勝負だ」と心を固めたにも関わらず
店内に漂う焼きビーフンの匂いにそそられてしまう自分に
「誘い球に手を出すと軸がぶれる」と言い聞かせるシーンについて
鷲田さんは…「一回一回を大切に思うなら構えを崩さない。邪心は禁物」…と記されてるんだけど

色川武大さんの「うらおもて人生録」の中の言葉「9勝6敗を狙え」にも
「高校野球なら、毎試合全力を投入しないと次に残れないが、プロの勝負は通算で決まる
人生も同じで、何もかも上手く行く訳はないから、どこで勝ち、どこで負けるかが肝要となる
そのためには『これを守っていれば勝ち越せる』というフォームを見つけること
実生活では形勢が読み難いから、余計にフォームが大事になる」と書かれていたなあと…

ライターの津村記久子さんも…「方言使う賢い人が一番怖い、最強やなと思います
中央との距離を意識して『小細工』するのはみっともない
中央との関係で自分を測るのは、評価軸が自分の内にないということ。だから、足許がもたつく
正しいことを正しいと地声で言えないと、生き方も浮わつく」…と話されていて
「構え」「フォーム」「軸」と言葉は違えど
自分なりのスタイルや価値観、ものさしは確立していないとダメってことですねぇ…

かの志ん生師匠から受け継がれた「『一門の教え』のようなもの」として
五街道雲助さんは「『なんでもいい』。でも『どうでもよくはないんだよ』」を挙げられ
ご自身の師匠であられる十代目・金原亭馬生さんも、稽古をつけて下さる代わりに
「『人にどう思われてもいいが、ひねくれや投げやりはダメ』とだけ言われた」…と明かされていて
「こうしなさい」ではなく「これだけはするな」と告げることによって
本人の選択肢を広げるという懐の深いやり方だなあと…
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帰って来た令和のシビレる言葉3

2020-11-26 15:10:00 | 日記
甲斐さんは「言っとくけど、甲斐バンドは俺のワンマンバンドじゃないからね」
…と折に触れておっしゃってましたが、リーダーであり、スポークスマンであり
多くの楽曲のソングライターでボーカルであると同時に
ディレクターやプロデューサーも兼任なさっていることを鑑みれば
そう思われる方が大勢おられてもむべなるかなと…?(苦笑)

で、やはりバンドリーダーでボーカルでいらっしゃる後藤正文さんは…
「スタジオで録音した仲間たちの演奏を注意深く聞くと
それぞれのリズムの揺らぎがわかって面白い
管楽器や弦楽器にはリズムとは別に音程の揺らぎもある
ズレやヨレとも呼べるそうしたものが、作品に僕たちならではの印を付け
音楽を人間らしく豊かなものにしていると感じる

演奏に合わせて、自分のギターや歌、ラップを重ね録りしていく
皆の揺らぎと一体化して、大きなうねりの一部になる
そうした感覚を得られた時には、生きていてよかったと思えるほどうれしい
仲間の演奏が気になる時には、演奏フレーズをカットしたり並べ替えたりして
楽曲全体の流れや響きを整え、自分が思う美しさに向けて整えていく

感覚に合わない音を、独裁者のようにバッサリと切り捨てる
楽曲制作のこうした性質を時々恐ろしいと感じる
自分にとって不快なノイズが、誰かにとっては作家人生を捧げるような美しい音だということもある
思いのままにしたいという表現欲求の片隅を
仲間のこだわり(それは尊厳とも呼べる)に触ってしまわないかというためらいがうろうろする
自分の表現において、大切な時間だと思う」…と記されていて

ご自身の理想とされる音と、バンドとしての個性や在り方の狭間で
せめぎ合う感じから逃れられないというのは、どんなバンドも同じでしょうし
だからこそ、メンバーそれぞれの音やアイデアによって
ソロでは生まれなかったであろう、新たな表現が誕生することもあるんじゃないかと…?

甲斐さんが「甲斐バンドには、譜面に載ってない、ちょっとルーズな音があるんだよ」とか
「甲斐バンドは、絶対自信持って言うけど上手くなかった(笑)
だけど、長岡がいる時までは、ちゃんとバンドの『うねり』があった
『揺れ』とか『うねり』がそのバンドのノリな訳で、正確に音を出す必要は全くない
音程は少々はずれるくらいでもいい
正確なことより、心のない音の方がツライから…」と話されていたことと重なりました

その甲斐よしひろさんファンには「桃尻娘」でお馴染み(笑)作家の橋本治さんは…
「ルールになるものが自ずから出てくるものだもん。それを信じてるのが人生なんだもん
原っぱに居合わせた子供たちが、ルールをこしらえて遊び出す
そこへ通りかかった子が、じっと見ているので『入る?』と訊き
でも、適当な役がないので、仕方なくルールを変えて仲間に入れる
で、またみんなで盛り上がる。社会のルールの根本はそこにある」…とおっしゃっていて
バンド内のルールや化学反応というものも、同じように自然発生するのかなあと…?

まあ「ロックをやる」「ロックに生きる」ということ自体
「(悪い意味で)大人になること」を拒むというか
「永遠の不良少年」的な部分を持ち続けることだと思うし
作家のラ・ブリュイエールによれば…「子供たちには過去も未来もない
で、これは我々には殆どないことだが、現在を享楽する」…そうだし(笑)
「今を切り取ること」を生業にするためには、常に「現在を見つめる眼」が必要なのかも?

更に、ラ・ブリュイエールは…「成人は、未来に夢を描き、備えもするが
過去の行為を悔いたり、幸福だった昔を懐かしんだりもする
意識はいつも『まだないもの』『もうないもの』に向かうが
子供は『現在』…つまり今ここに在るものしか眼中にない
とすれば、それがなくなるかも知れないという喪失の不安こそ
子供が子供でなくなる最初の一歩なのか」と続けていて

フランスのラ・ロシュフコー公爵は…「火のような情熱に囚われても
いずれ憑き物が落ちたように色褪せる
我々の情熱がどれだけ長続きするかは
我々の寿命の長さと同じく、自分の力ではどうにもならない」と言っているし

かつて20代の甲斐さんが、結婚願望はおありだったにも関わらず
「結婚して落ち着いちゃったら、曲が書けなくなるんじゃないか?」と不安に思っていらしたり
今のご家庭を持たれてからも「夫とか父親とかいう前にミュージシャンだから」とか
「スタジオで作業したあと、真っ直ぐ家に帰るのは難しい」と話されたり
「大人」になりたくない…イヤ、なっちゃいけないという部分を守っておられるような気が…?

甲斐さんのお好きな詩人・金子光晴さんも…
戦時中ひそかに書きためていらした詩編が、戦後次々と日の目を見た時に
「僕は、僕を甘やかすものの中に敵を見ない訳にはゆかなかった」…と記されていて
「安定」することへの抵抗感が窺えます

ただ、かのトゥルゲーネフが「初恋」の中で…
「青春の特権は『何でも出来る』ではなく『何でも出来ると思える』ところにある
持てる力を、他に使いようがないまま無駄遣いしてしまう
そこにこそ青春の魅力が潜んでいるのかも知れません」…と綴っていることに対し

鷲田清一さんは…「何をしたって同じと感じる現代の若者には、やや酷かも?
一方、すぐにこの世から失せる身、出来ないことは何もないと
怖じ気なく思えるのが老いだとすれば、それも捨てたものでない」…とおっしゃっていて
まだその境地に達していないボクにも希望の光が…(笑)

でも、やはり萩原健一さんの言葉…
「俳優の仕事は、撮影が終わるごとにリストラ、職探しの連続だが
世間から忘れられてもいい。そうすれば一から蘇生できるんだから」…はカッコいい♪

鷲田さんも…「役を得るために媚びを売ることは意地でもしなかったショーケン
性懲りもなくあえて火傷しそうな場所へと自身を追い込んだのも
何事も『ほどほどに』という小賢しさに染まりたくなかったからか
自分をいつも自由のゼロ地点に置いておきたかったからか」…と記されていて
年齢を重ねても自由に「何でも出来る」ようスタンスを崩さなかったショーケンへの驚嘆と羨望が
思わず滲み出てしまわれれたんじゃないかと…?

もっとも鷲田さんは、中国哲学研究者の中島隆博さんが小学生の頃に
先生から「どの季節が好きか?」と訊かれて「秋が好きです」とお答えになった時
「斜に構えることを覚え始めた少年の心を見抜いたのか
『夏が好きだと言いなさい』と諌められた」ことを取り上げられ
「その言葉はまぎれもなく、世の様々な習いに触れる直前の『魂への配慮』」とおっしゃっていて
大人に近づく過程において、その年齢にそぐわぬ
無理な背伸びやポーズは不要と思っておられるみたいですが…?

甲斐さんが「ロックミュージシャンは、春とか秋とか
そんな過ごしやすい季節を好きだなんて言っちゃいけないから
好きな季節を訊かれたら『そりゃ夏ですよ』とか
『冬が好きですね』って答えるようにしてる」と話されていたのを思い出しました(笑)
コメント
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