ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ビルボードツアー2022おまけ3

2022-06-30 15:27:00 | ツアー
甲斐さん自ら記されたという、ソロ35周年記念ベストのライナーノーツ
続いては、この記念ベストに収録された楽曲の中で、一番意外な選曲だった「WORD」
甲斐さんは「1988年から89年当時、NY界隈の黒人たちの中で、何かといえば口にする
『WORD』というスラングが流行った
目の高さから手を前に突き出しながら『WORD』と叫ぶ。『最高』という意味である

イタリア系であるにも関わらず、エンジニアのジェイソンのまわりには黒人が多く
マドンナとかボウイで売れっ子プロデューサーになってたナイル・ロジャースも
暇さえあれば手土産を持っていつもダベリに来てた(俺も御相伴にあずかってた)
(『ストレート・ライフ』ツアーメンバーの)
リズム(セクション)のアルヴィンとトレバーもいた。その彼らの口ぐせが『WORD』
80年代後半、狂乱のNYの空気がこの曲を書かせてくれた。アルバム『カオス』に収録」

…と「最高」という意味だと、ご自身のラジオ番組で説明されたことに加え
「書かせてくれた」という表現をなさっていて
甲斐さんが、その当時のNYにいらっしゃらなかったら
絶対に生まれなかった曲だというのは確かみたいですが
奥さんは「ストレート・ライフ」収録の「モダンラブ」とこの曲は
「ライブで聴くまで、イイなと思ったことがなかった(笑)」と申しておりました(笑)

もっとも、秋のツアーメンバーには、TOKIEさんがいらっしゃるみたいなので
前回の「愛ろく」ツアーで披露なさった魅惑のコーラスで
「甲斐さんの声と絡んで欲しい♪」と熱望しております(笑)

ちなみに、この曲を初めてライブで聴いた、奥さんの友人Kちゃんは
「♪レザーパンツの中身?地獄へどうぞ♪」という歌詞と
その時の甲斐さんのパフォーマンスにツボり、涙を流して喜んだらしい(笑)(笑)

10曲目の「ミッドナイト・プラスワン」では…
「『夜は無限』と言ったのはB・スプリングスティーン
真夜中テッペンを過ぎていく闇の中で、不意に魂をもっていかれそうになる時がある
静かな狂気の中で紡ぎ上げたのが、この作品である
映画史に残る不朽の名作『イントレランス』の日本上映に合わせて書き下ろしたバラードだ」…と甲斐さん

「夜は無限」との言葉から「この夜にさよなら」なさって「昼間の世界へ飛び出した」あと
「♪明日はどこへ行こう♪」と前を向かれたとはいえ
「MIDNIGHT」というのは、解れた気持ちに何かが忍び込む「魔の時」なんでしょうか?
でも、リリアン・ギッシュが揺りかごを揺らすシークエンスに
この曲は怖いくらいマッチしてましたよね?

そして、今回のビルボツアーの2曲目に採り入れられた
「SSS」こと「スウィート・スムース・ステイトメント」は
「藤谷美紀出演のNTTドコモのCMに使用された。MIXはマーティン・アダム
ロンドンの郊外の牧場の中にあるスタジオで仕上げた
アルバム『エゴイスト』収録のショートバージョン」と紹介されてますけど

奥さんは、この「ロンドン郊外」のスタジオが「リッジファームじゃない?」と大騒ぎ(笑)
…というのも、このスタジオは、かつてクイーンがアルバム「オペラ座の夜」のレコーディング前に
リハーサルを行ったスタジオらしいので…(笑)
もっとも「ボヘミアン・ラプソディー」が録られたの
ウェールズにあるロックフィールド・スタジオですが
映画「ボヘミアン・ラプソディー」に、どハマリした後遺症でしょう(笑)

それはともかく…「激愛(パッション)」に関しては
「アルバム『嵐の明日』の中に『絶対・愛』というナンバーがある
『風の中の火のように』がヒットした後に
そのナンバーをリミックスしてリリースしようとして、マネージメントとこじれた経緯がある

怒りを込めその曲のエッセンスを注入しつつ、より洗練された形で完成させた
KAIFIVE最後のナンバーである」と、今まで明かされてなかったエピソード…というか
「『絶対・愛』をシングルに…って話は聴いたような気がする」と奥さん
でも、デビューしたばかりの頃ならまだしも
この当時の甲斐さんでも、意志が通らないことがおありだったってことにビックリです(汗)

あっ!「最後のナンバー」…ということは、この曲に関する作業が全て終了したあと
「FLASH BACK」のジャケットに選ばれた
「かなり酔っぱらってる」甲斐さんの写真が撮られたプールバーに行かれたんでしょうか?

さて、13曲目「LOVE is No.1」については…
「愛は無敵だ。屈託なく聴ける。歌える。そんな曲のはずだった
だが歌のパートにラップのパートを足したことで、ねじれたモードが拡がる事となった
曲中のドラムのインスパイアはザ・ビートルズの『アビイ・ロード』の『ジ・エンド』から
最高のドラミングは今は亡き青山純。アルバム『PARTNER』に収録」と甲斐さん

この頃から、あらゆる装飾を削ぎ落とし「音数」の少ない
それでいて骨太なグルーヴを追求し始められたみたいで
当時のライブを観た奥さんによれば…「すごくピリピリしてるんだけど
演奏が終わったあとの甲斐さんが、とっても嬉しそうに笑ってた」…そうで
秋のツアーメンバーに、青山さんの愛弟子・佐藤強一さんがいらしたら
「是非とも聴きたかったナンバーだった」んだとか…

続いて「レディ・イヴ」は…「ライブの冒頭を飾るアッパーなホットチューンが欲しかった
スタイリッシュにまとまったと思う。イヴとは前夜。つまり女性が『開花する前夜』という意味
娘たちのことが頭にあったのか。アルバム『GUTS』に収録」…って、甲斐フリークの間では
Kainatsuさんを思ってお書きになった…が定説になってるみたいですが…?(笑)

「渇いた街」については「フォーキーなテイストのプロデュースチームとの仕事だったことで
ブライトな強さに欠けるも、独特なタッチのハードボイルド・ナンバーに仕上がった
アルバム『太陽は死んじゃいない』に収録」と記されてますけど
以前に「愛ろく」ツアーで、この曲を取り上げられた時
「(土屋)公平が、この曲が好きだって言ったんだよね(笑)」と嬉しそうにおっしゃっていたらしい(笑)

そして「THE 35th SIDE」のラスト曲は「I.L.Y.V.M.」
「最後はジェイソンのMIXが冴え渡る、KAIの新たな一面を打ち出したミディアム・バラード
パワーステーション・スタジオのアナログ・リヴァーブが炸裂する
このスタジオはエコールームはなく、実はエレベーターを使用している

だからMIXをする時は『NO USE』という貼紙をする
80年代から90年代に世界を制したこれがロックステーションの実態である
工夫し、盛り込まれるアイディアと揺るぎない確信の中で
ボブもニール・ドースマンもジェイソンも、自分たちの音楽を作り上げた
俺もそこにいた。自分を確信するために」と結ばれていて

甲斐バンドのデビュー当時は「歌謡界」のしきたりに則って
定期的にシングルレコードをリリースすることが「存在証明」だったのが
その後、納得できないしきたりには「NO!」という姿勢を貫かれ

ご自身の「存在証明」としての音楽を求めて、海を渡られたことで
多大な影響を受けられ、転機と呼ばれるほどの成果を上げられたのは確かだとしても
そのことさえ「通過点」の1つに過ぎなくなって行くんだと思うと
しかも、今現在も上書きは続いている訳で、ホントに果てしないっすねぇ…

ただ、日本のスタジオのエコールームに限界をお感じになり
「どうしても欲しいリヴァーブ」を手に入れるために
ボブのいるパワーステーションに行かれたのに
その理想のエコーがエレベーターで生まれていたなんて
目ウロコ的な衝撃を通り越して、思わず笑ってしまわれたんじゃないかと…?(笑)

余談ですが…甲斐さんは、よく大瀧詠一さんの
「音楽は音楽で語られなければならない」という言葉を引用され
「音楽っていうのは、それ以上とかそれ以下であっちゃいけないんだよね
だから、例えば、自分の音楽を語る時に、自分の恋愛問題を話したり
隠微なスキャンダリズムを匂わせながらインタビューしても全然意味ないね」とおっしゃってますけど

それは「自分の曲の説明を三十何ページに渡ってやったとしてもダメだけどね
実は、僕、1回やったんですよ(笑)『ラブ・マイナス・ゼロ』の時に…
ダメでしたね、やっぱり…僕はもうやりたくないね
その歌を作った動機を書くということもね
このレコードの中で全部やってんだもん!アルバムの中で歌ってんだもん!」
…というご経験にも基づいていらしたらしい(笑)

ただ、その「ラブ・マイナス・ゼロ徹底研究」という記事の冒頭では
「えーと、では思いっきり詳しく言いますが…どっから話そうか(笑)」とノリノリのご様子?(笑)
…っていうか、かつては、アルバムリリース時に
ご自身のラジオ番組やプロモーション先はもちろん、ライブMCでも
その曲を書かれたきっかけや、アルバムをお作りになった動機を話されていたそうですし

最終的には「聴き手の自由」に委ねることになるにしても
その「言わずにはいられない」衝動は、その時時のご自身の音楽に対する
モチベーションの高さを物語っているんじゃないかと…?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビルボードツアー2022おまけ2

2022-06-29 15:20:00 | ツアー
今年のビルボツアーは、甲斐よしひろソロ35周年記念ベストアルバム
「FLASH BACK」のリリースを受けてのツアーということで
そのベストアルバムの収録曲を中心に…と思いきや「そうは行くか!(笑)」と甲斐さん(笑)
まあ、秋のツアーもソロとして開催されるとのことですし
今ツアーで演奏されなかった曲は、そちらのセトリに組み込まれるのかも?…知らんけど(笑)

ただ、その「FLASH BACK」の収録曲については、甲斐さんご自身のラジオ番組や
プロモーションで出演された番組で、たびたび流されていたことはご紹介したものの
ビルボツアーのセトリに意表を突かれたあまり、これまで触れることがなかったので
甲斐さん自ら記されたというライナーノーツを元にひもといて参りたいと思います♪

まず、Disc-1「THE 35th SIDE」…そのトップを飾った「電光石火BABY」は
「1987年4月6日にリリースされたソロ・デビュー・シングル
同年4月22日にリリースされたアルバム『ストレート・ライフ』からのシングル・カット
MIXは『リピート&フェイド/甲斐バンド』に続いて、ジェイソン・カーサロを起用
ボブ・クリアマウンテンとのNY三部作から、さらなる進化を求めて
パワーステーション・スタジオで制作された」

…と書かれてますが、そのMVもデビューシングルに相応しく
アルマーニのスーツ姿の甲斐さんが、大勢の女性ダンサーの皆さんに囲まれ
軽く踊りながら、お歌いになるという華やかなもので

続く「レイン」についての記述には「アルバム『ストレート・ライフ』からのセカンド・シングル
松田優作が登場した角川文庫のCMにも起用された。この曲を含め、前作『電光石火BABY』
『イエロー・キャブ』の3曲のミュージック・ビデオはLAで制作されている」と触れられてます

ちなみに、このベストアルバムには収録されなかったとはいえ
ビルボツアーの「白眉」だった「イエロー・キャブ」は
NY三部作の最終作品である「ラブ・マイナス・ゼロ」のレコーディング中
同アルバムのオープニング曲となった「野獣」に先駆けて
一番最初にマルチ録音されたにも関わらず
「まっ、これは今ひとつバンドで料理しにくいだろうということで外された」んだとか…

ただ、甲斐さんは「ラブ・マイナス・ゼロ」リリース後のインタビューで
「(『フェアリー』は)当初、バンドでやる目的で書いた曲じゃなかった」と明かされ
「バンド用とか、やはり曲を書き分けてるんですか?」との質問に
「ていうか、一応書いてみる訳ね、いつも…まず書くわけ

で、だいたい僕は、まるまる1曲書くことはまずなくて、3分の1か半分くらい書くのね
その時点で『あ、これはナンかバンド向きじゃないんじゃないか』
…っていうように、ある程度選択するわけ」とお答えになっているので
「野獣」より先に作業を始められたということは
甲斐バンドの新しい曲として、かなり推しておられたんじゃないかと…?

そうそう!ビルボツアー東京公演をご覧になったKainatsuさんが
「4歳くらいの時にアルバム『ストレート・ライフ』を初めて聴いた時
言い知れぬ寂しさと青い深淵に漂うような不思議な安心感を覚え魅了された
子供ながらに感じ取った1人の人間としての父の孤独に共鳴し誰にも拭えないと悟った
今でもずっと大好きな『イエロー・キャブ』をLIVEで聴くたび思い出す」
…と呟かれていたと、ライブレポでご紹介しましたが

「愛ろく2」ツアーのレビューでも…「幼い頃、私の目に映る父は
いつもヒリヒリして何かと戦っているように見えた
コンサートの客席でステージを見下ろしながら
このままここで父は死んでしまうのではないかといつも本気で思っていたし
感情の火花を散らし歌い吼える姿は孤高のライオンのようだった
幼な心に感じ取っていた『孤独』は、父にこれほどまでに素晴らしい歌をもたらす
今の私にはそれは羨みでもある」…と記されていて

かつて、公私共に大変な時期にいらした甲斐さんに
松藤さんが「良い曲書くねぇ!ずっと不幸だったらいいのに…(笑)」とおっしゃったという
エピソードを彷彿させるというか、仕事も家庭も順調と思われる環境に身を置かれていても
「満たされない何か」を抱えておられないと立ち行かない生業って壮絶じゃね?(汗)
もっとも、同じ道を選ばれたKainatsuさんに深く理解されていらっしゃることは
もしかしたら、ものすごく嬉しいことなのかも知れませんね?

余談ですが…前述のインタビューでは、今ツアーの「くさび」的な存在となった
「夜のスワニー」について…「これは、僕の行きつけのバーの話
最初、ちょっとヤバイ歌詞が乗ってたのね
女が飲んでて、シルクの(ドレスの?)すそをまくったら、見えるのは針のあと…とかね

でも、長い年月、スタジオにずっと入ってる内に、どんどん削られて行って、今のスタイルになった
これも、初めは『バンドっぽいニュアンスにはならないかなあ』と危惧してたんだけど
うまく料理できたよね、佳作ってあるでしょ?
非常にあっさりした形で終わらせたかったわけ 
とにかくA面がああいう(『野獣』や『冷血』等ハードな)感じでしょ?
だから、最後はさりげなく、ね?とおっしゃっていて

ボクが「ビルボツアーの編成にピッタリな曲」と言ったのは
あながち間違いじゃなかったとホッとした反面
やはり、あの転調部分のアレンジはスゴかったなあと…♪

それはともかく…松田優作さんの「漂泊の想いやまず」というCMのインパクトも強烈だったけど
奥さんは、そのあとに映画「この愛の物語」のCMで
車が疾走する爆破シーンのバックでも、この「レイン」が流れていたことにビックリ!(笑)
もっとも、それぞれ使われている箇所出だしとサビ…が違っていたので
映像のイメージに合わないということはなかったみたいですが…(笑)

3曲目の「ブルー・シティ」は、ビルボツアーで甲斐さんから「四重人格」と言われた観客(笑)の
人格交代の「スイッチ」となった曲だそうだけど(笑)

「近藤真彦のシングルのために書き下ろされた楽曲。内容があまりに生々しくリアルだったため
リリース直前、7インチシングルから急遽12インチシングルに差し替えられた
MIXはジェイソン。斬新なイントロが素晴らしい。『ストレート・ライフ』収録

…と、これまでにも、たびたび甲斐さんが明かされているエピソードが記されてますが
このエピソードを見聞きすると、いつも奥さんは
「人目を忍ぶロマンスを経験した人じゃないと書けない歌詞だと思う(笑)」と言ってます(笑)

次の「THANK YOU」も「知り合いの音楽ディレクターから曲の依頼があり
そのシンガーは音域が1オクターブとちょっとしかないが、是非書いてほしいと。
『ふむ』と考えこむ間もなく『明石家さんまさんです』とたたみこまれ快諾
CDチャートベスト10にランキングされた
俺曰く『快心の出来』アルバム『カオス』収録」と有名なエピソードを披露なさってますけど

更に付け加えるなら、チャートインの知らせをお受けになった時
「しまった!B面の曲も作っておけば良かった!」と甲斐さん(笑)
でも「1オクターブちょっと」という規制の中で「2曲作るのは難しい」とのご発言も…(笑)

そして、ビルボツアー本編のラストを飾った「風の中の火のように」については
「KAIFIVE3枚目のシングルにして、オリコンチャート8位にランクインした
KAIFIVE最大のヒット・シングル。ドラマ『並木家の人々』の主題歌

この曲の打ち合わせの時に、ドラマ『北の国から』で有名な演出家の杉田成道監督の
『「翼あるもの」のような雄大でスケールのある曲を』との要請で書き上げた曲」と
これも、プロモーション等でよくお話しになっていたエピソードだけど

続く「嵐の明日」に関しては「これもドラマ『並木家の人々』の挿入歌
当時のクレジットは『甲斐よしひろ and KAIFIVE』となっているが
実は腕利きのスタジオミュージシャンを集めての一大セッションとなった」と記されていて

当時のインタビュー記事にも「シングルではオーケストラをバックに歌ってて
アルバムとは違うバージョンなんで、ソロ的な意味合いが強いということで
『甲斐よしひろ and KAIFIVE』とクレジットしてる」と話されてました

そういえば…そのあと、甲斐さんをモデルにした(笑)映画「ラストソング」の
「天才ギタリスト」という役作りのために
吉岡秀隆さんが、KAIFIVEの田中ヤッチさんにギターの手解きをお受けになり
「一度、観客のいる場所で弾いた方がいい」と甲斐さんに勧められて
福岡ドームのこけら落としライブにゲスト出演なさって、この「嵐の明日」を披露されたんですよね?

ビルボツアー東京公演にお見えになっていたらしい?吉岡さんが
この編成での演奏をお聴きになって、どうお感じになったのか?伺ってみたいなあと…

7曲目「ラヴ・ジャック」は「KAIFIVEの2枚目のシングル
同名アルバム『ラヴ・ジャック』からのシングル・カット
ドアーズの『タッチ・ミー』からのインスパイア」

8曲目「幻惑されて」は「1991年リリースのKAIFIVEファースト・アルバム
『幻惑されて』からのシングル・カット。そのREMIXバージョン
オリジナル・テイクに、さらにダビングされたキーボードは
レイニーウッドのキーボード奏者、上綱克彦」と明かされてますが

上綱さんは広島にいらっしゃったまま、演奏データだけを送られたというのが
いかにも、今の時代らしいというか、CDを聴くと全く違和感がないのがスゴイですねぇ(笑)

奥さんは「幻惑されて」を聴くと、デビュー25周年記念の「飛天」ライブで
「一瞬、誰か判らなかった」くらい激痩せなさっていた田中一郎さんが、この曲を演奏されたことと

「シリドリツアー」で?ベースの坂井紀雄さんが、この曲のエンディングをミスられたのに
「何も変わったことは起きてない」って感じでいらしたのに対し
ドラムのジャラさんが、助けを求めるかのように、他のメンバーの皆さんの方を
キョロキョロと見回されていたことが思い浮かぶんだとか…(笑)

…って、この「FLASH BACK」のようなアニバーサリーベストの楽曲が
こんな風に、それぞれのライブで見聞きしたエピソードや
個人的な思い出と共に記憶されているんだとしたら
100人100通りの聴き方、思い入れがあるということでしょうし
音楽が人に及ぼす力って、本当にスゴイんだなあと改めて痛感しております
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビルボードツアー2022おまけ1

2022-06-27 22:20:00 | ツアー
ビルボードツアーが終わり、そのファイナルステージの配信アーカイブ期間も終了しましたが
今年のツアーにまつわるアレコレを整理しておきたいと思います
まずは、甲斐さんがその表紙も飾られた
「bbl MAGAZINE」6月号のインタビュー記事から…

「2015年にスタートして8年目を迎える甲斐よしひろのビルボードライブのステージ
ソロ35周年を迎えたレジェンドは、そのライブを『チャレンジの場』だと語る
ロック・ミュージシャンとして彼は『時代』とどう向き合ってきたのか
そして『いま』をどう感じているのだろうか」…という前置きに続き

「ソロとしての甲斐よしひろは、今年4月でデビュー35周年を迎えました
甲斐バンドは2024年に50周年
小学3年生の頃に、ビートルズやローリング・ストーンズに出会って以来
ずっとロック、音楽と共に生きてきました
その中で感じてきたのは『時代』というのは常に動いているということ

ここ約20年でも、同時多発テロ、東日本大震災、コロナ禍
そしてロシアのウクライナ侵攻と大きな出来事が5年、10年に一度は起きてしまう
音楽の世界でも新しいサウンド、メッセージが現れる
だからこそ、そうやって変化する時代を感じて、時代の空気の中で表現すること
その衝動を失ってはいけないと思うんです」と甲斐さん

この言葉に関しては、予てより「ロックとお笑いは『今を切り取る』」とか
「ジョン・レノンが『インスタント・カーマ』を書いた時に
『新聞のように毎日、曲を届けられたらいいのに』って言ったっていうのと同じで
ジャーナリスティックじゃないと、ロックじゃないんじゃないかと思う」とおっしゃってますし

阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた、1995年のインタビュー記事では…
「今は色んな音楽が混合してるから面白いですよね
10代の子は70年代を一生懸命聴いているし、良い意味のワイザツ状況だし
ロスやNY、ロンドンより東京が一番すごい
クラブにも出かけて遊んでますし、居心地は良くなってますよね

その今のテンションで20年を切り取った『少年の蒼』は
僕の中の『ハートブレイク・ソング』を集めたという一面もあるし
『GUTS』は、時代の今の空気を映したアルバムです」…と同年にリリースなさった
ベストアルバムとオリジナルアルバムについて語っていらしたし

今回のソロ35周年記念ベスト「FLASH BACK」のリリースにあたられても
「今の時代を感じさせる音」を心がけたとおっしゃっていて
「ロック」と「時代」は切っても切れない…
イヤ、切り離しては考えられないものなんだとの思いは、ずっとブレることがなく
表現のためのモチベーションを持ち続けておられるんじゃないかと…?

ともあれ…「『時代を感じる』ということにも、いくつかの意味があると思います
音楽的なことでいえば、サウンドやメッセージ自体の変化、進化もそうですし
聴いてもらう方法も変わりました
レコーディングのデジタル化やSNSやクラウドでの発信というと
テクニカルな面での変化だと思われがちですけど
それは時代感覚、気持ちの部分と常にリンクしているんですよ

ビリー・アイリッシュが象徴的ですけど、いま何を感じているのか
そのスタイル、流儀、つまりは個性をベッドルームから世界に発信することができる
いま『こういう時代』だからこそ、世界に向かって時代とリンクした表現が求められるし
インターネットによって、それができる環境にいる

僕の例でいえば、湾岸戦争の時に書いた『レッドスター』というナンバーがあるんですが
先日、その曲にウクライナへのメッセージを加えた字幕を付けた動画をアップしました
大袈裟に旗を振らなくても、キャッチしてくれる誰かが存在する時代になった、そう感じています」
…と話されてますが「レコーディングのデジタル化」はさておき

Kainatsuさんが、お父様にショートメールを送られたあと
返信はともかく「せめて気づいてくれ(笑)」とツイートなさるような(笑)
いわゆる「デジタル難民」の甲斐さん(失礼!)が
そうした時代の流れに注目なさっていたからこそ
YouTubeやLINEを発信手段にするという発想が生まれたんだと思われますし

コロナ禍になって以来「破れたハートを売り物に」や「嵐の季節」の動画をアップなさったり
ある意味「ライブ」に対する「背信行為(笑)」と嫌がっていらした「ライブ配信」も
当初の「緊急措置」といったものから「新たな形態」として、すっかり定着した感がありますが
「僕はそれが60年代に似ているなと思うんです」と甲斐さん

「当時、何かを変えたい、何かを伝えたいと思った世界の若者が
夢中で歌い始め、新しい映画を撮り始めた
これまでにないものを生み出したい、既定路線じゃ満足できない、でもお金がない
だったらライブハウスやストリートで始めればいいし
映画だったらオールロケのロード・ムービーで撮ればいい
その初期衝動を世界がキャッチして『ロック』『ヌーベルバーグ』という新しい原型になっていった

当時の彼らが『これまでの世界』という得体の知れないものに立ち向かったように
今も得体の知れないものと闘っている時代じゃないですか
技術やツールは違っても『越えていく』表現をしなくちゃいけない
きっとTikTokでもいいんですよ。短かろうが長かろうが人の心を揺さぶる表現
それを僕もチャレンジし続けていくと思います」と説明なさってますが

「音楽の聴き方 激変の20年」という記事に…
スマホが広まったことによるサブスクの普及が原因で、オンキョーが自己破産したことについて
「ある程度、市場の変化に対応しようとしていたものの
やはり『良いモノさえ作っていれば売れる』という
モノづくり信仰が色濃かったことも失敗の要因だった
過去の成功体験は、次の時代の硬直性になる」との指摘があった一方で

「自分の持つ音楽をすべて持ち運べる」ほどの大容量を誇ったiPodも
最終機種では、電話以外の機能の多くがiPhoneと共通していて
生産終了となったことを伝える記事には
「ウォークマンの進化版だったiPodは、人々が音楽を聴く場所や機会を更に広げた
そして、シャッフル機能などによって、アルバム1枚単位で聴く文化の崩壊が始まった
様々な意味で、音楽界や音楽の聴き方を変えた機器だった」との記述があり

時代の変化に伴って変われない会社も、時代の要求に応えて進化したモノも
新たなツールに吸収されて、共に淘汰されて行くという皮肉に、ナンとも言えない気分でした
まあ、奥さんは、甲斐さんのリリースされたアルバムの「コンセプト」を味わうため
A面の1曲目からB面のラスト曲まで、その順序通りにしか聴かないので
アルバムがCD化されてからも、シャッフル機能は1度も使ったことがないし(笑)

若者の間で広がっているという「倍速視聴」は
「少しでも多く食べて元を取ろうとする食べ放題バイキングのようなもの」との記事に
「うん!うん!」と頷いたりしてますけど(笑)
CDやDVD、ケータイにPC、スマホに配信など
我が家のデジタル化は、すべて甲斐さん発祥なんですよねぇ(笑)

更に甲斐さんは…「あらためて振り返ってみると、甲斐バンドのデビューは1974年
60年代末から70年代初めに登場したはっぴいえんどやサディスティック・ミカ・バンドを
日本のロックの第1世代だとすれば、僕たちは第2世代
ロックが認められはじめた、でもまだメイン・ストリームではない
そんな時期に求められたのがシングル・ヒットという存在証明

当時は1年に3~4枚のシングルをリリースしなければならなかったんだけど
個人的にはビートルズやストーンズからスタートしてますから
チャート上位にロック・バンドがいることも当たり前で、特に抵抗はなかった
幸運なことに甲斐バンドはセカンド・シングルの『裏切りの街角』がヒットしたことで
名前を知ってもらえるようになって、そこから今度はアルバムも売れるようになっていく

いわゆる歌謡曲が並ぶチャートの上位に入るということは
言ってみれば阿久悠さんもライバルということでしたね(笑)
僕たちだけではなく、色々なロック・バンドが
そうやって市民権を獲得して道を拓いていった、そんな時代です」…と話されてますが
1枚のアルバムにつき、2枚のシングルがカットされるのが通例だった当時
例えば、10曲収録のアルバムなら、AB面あわせて4曲がリリースされた訳で

限りある小遣いの中からレコード代を捻出していた、ある小学生(笑)は
先行シングルを買いたい衝動がナカナカ抑えられず
「あと少し我慢すれば、アルバムが出て思いっきり聴くことが出来る!」と
何度も何度も自分に言い聞かせていたらしい(笑)
もっとも、あまりにも我慢を重ねた反動で、アルバムを聴き倒し過ぎて
早々にアルバムを買い替える羽目になったこともあったみたいだけど…(笑)

それはさておき…「そこから約半世紀が経った今
甲斐バンドとソロの甲斐よしひろというふたつのスタイルでステージに立っていますが
そこには違ったモチベーションがあります
まず、甲斐バンドにはヒット曲、代表曲がありますから
当然そのナンバーを聴きたいと思うオーディエンスが足を運んでくれる
じゃあ、いつも同じライブなのかと言えば、それは違う

これまで『誰もライブをやっていない会場でやろう』というテーマを持って
日本で初めてのスタジアム・ライブだった花園ラグビー場
都庁ができる前の西新宿の高層ビル街でのイベント
日本初のオールスタンディングだった品川プリンスゴールドホール
最近では奈良の薬師寺でライブを行ってきたのも、甲斐バンドのモチベーションのひとつです

その一方で、ソロの活動を続けるモチベーションは『時代と向き合うチャレンジ』
レコーディングでいえば、ソロの最初の2作はNY、そこからロンドン、LAと場を移しながら
ボブ・クリアマウンテン、ニール・ドーフスマン、ジェイソン・カーサロといった
その時代時代の音を生み出してきた世界的エンジニアと組ませてもらいました

今回リリースしたソロ35周年のベスト盤も
ロンドンのジョン・デイヴィスにデジタル・リマスタリングをお願いして
何曲かは時代のクオリティを意識したリミックスも行っています
そして、ビルボードライブでのライブ・シリーズを重ねているのも
そうやって『新しい時代の自分』にチャレンジする場だからなんです

このライブは、ドラムレスでフィドルが入った
ネオカントリー・スタイルの編成でやりたいと思ったのがきっかけ
トラッド、フォーク、カントリー、ブルースという、いわばロックの根幹にある編成で
根源的でシンプルだからこそ、いろいろな切り口の表現ができる

ありがたいことに好評をいただくことができて、今回で8年目
これまでのライブをまとめたDVD BOXもリリースすることができましたし
自分で言うのもなんですけど、凄いことを重ねてきたなと実感してますね
1年目のビルボードライブでは『客席が近いな』っていう戸惑いもあったんですけど
今では堂々とホームと呼べる場所になりました

特にコロナ禍を経たこの2年は、音楽も含め、自分にとって大切なことと向き合い
さらに進化していくというそんな時代感覚が芽生えたように思います
そういう意味でもビルボードライブは、その選ばれた場所になり得る、そんな空間だと思うし
これからもそうあってほしいですね」と結ばれてますが

「今夜はフォークです!(笑)」という衝撃の宣言(笑)から始まったこのシリーズも
奥さんにとっては、今や「春の風物詩」であり
甲斐さんにとっても、ソロ活動の大きな柱の1本…「ライフワーク」といった
おもむきが感じられるシリーズとなり、この先の展開が楽しみな反面
今年のツアー内容があまりに素晴らしかっただけに
来年は、どうやって「今年」を越えるんだろうと心配しているみたいです(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甲斐バンド HEROESツアー福岡おまけ(曲名ネタバレなし)

2020-01-11 13:57:00 | ツアー
令和2年になり、もう松も取れ、NHKホールでのツアーファイナルまで
あと数日に迫っておりますが、やっと福岡編完結でございます(笑)

終演後、まずは「いつも退館時間までが長い福岡(笑)」で甲斐さん達の出待ち
お泊まり組の甲斐友さん達と、地元の甲斐友さん(開演前に会った人とは別の人)と
ライブの感想などを話しながら待っていると

メンバーの皆さん用と思われるワゴン車が出て来て
車内の様子は全く窺えないながらも、手を振っていたら(笑)
左側の窓に、電源の入ったスマホの画面が左右に揺れるのが見えたらしく(笑)
「絶対、岡沢さんだよ!イイ人だなあ♪(笑)」と大ウケ(笑)

それからしばらく経って、甲斐さんが乗られたとおぼしきタクシーが1台
こちらにも無闇に手を振って(笑)見送ったトコで
イベンターの男性が「甲斐さんは、今の車で出られました」と教えて下さったそうです(笑)

奥さん達も打ち上げに行くため、待ち合わせ場所を決めてタクシーに分乗し、天神で再集合
この日は「絶対食べる!」と心に決めていた(笑)
ゴマサバはもちろん、初めてサバのしゃぶしゃぶを食して、奥さん感激(笑)

甲斐友さんがオーダーした冷酒?が、封を切った途端
シャンパンファイトのごとく、一気に吹き出すというアクシデントはあったものの(苦笑)
気分上々で打ち上がり(笑)甲斐さん御用達の屋台へ移動

何人かカウンターを囲んでおられるお客さんはいらっしゃったみたいだけど
その後に来店された方々を大将がお断りになっているのを見て
地元の甲斐友さんが、女将さんに突撃取材(笑)したところ
「あと10分くらいで…」との情報ゲット(笑)
ただ、福岡での「10分」は「30分」くらいと受け取るべきらしい(笑)

それでも、屋台の上の看板の灯は落とされ
縛ってあった暖簾も下ろされていたみたいだし
寒さにも負けず、やや遠巻きに屋台の入待ち(笑)をしていると
近くに2台の車が停まり、そこそこの人数の男性が屋台に向かわれ
大将が丁重にお断りになったにも関わらず「ラーメン1杯だけ」と粘り勝ち(苦笑)

中に通された年配の男性のご様子や乗って来られた車
その男性と一緒に屋台まで歩いて行かれたのに
中には入らず、屋台前で並んで立っておられる若者たち…などから察するに
地元の名士というか強面というか…お断りしにくそうな方だったらしく
しばらくして、大将が屋台の外で携帯電話を操作なさっているのを見て
「もう『10分』くらいかかりそうだねぇ」と思ったんだとか…(苦笑)

しかし「10分」どころか「20分」経っても「ラーメン1杯」は食べ終わらず(苦笑)
あまりの寒さに甲斐友さんが、お隣の屋台に避難しようとしたら
お店の方がおられず、男性のお客さん1人がお留守番状態(笑)
時刻はテッペンを回り、いったん何処かに移動し暖まることにして
通りを渡ろうと信号が変わるのを待っている時

ふと屋台の方を振り返ると甲斐さんのマネージャー氏発見!
「えっ!?」と驚いた途端に甲斐さんの姿が見えて
「ええーっ!?どっから来たの?」とビックリ!
イヤ、それまでも、通りに面した屋台の奥…車道にタクシーが停まるたび
気をつけて見ていたものの、みんな信号待ちで停車していただけだったらしい(苦笑)

甲斐さんはかなりゴキゲンなご様子で(笑)屋台前に立っておられ
ご一緒におみえになっていた若い女性の頭を叩かれたり、腰の辺りをキックされたり
奥さん達が「パワハラ?セクハラ?久しぶりに暴れてるなあ(笑)」と笑って見ていると(笑)
その女性が屋台をバックにスマホで自撮りしようとなさるや
女性の後ろでピョンピョンとジャンプされ(笑)
「甲斐さんカワイイ♪(笑)」とキュンキュン(笑)

昼間のうどん屋さんに続き、危うくニアミスでまたスレ違うトコで
とりあえず「入待ち」出来たので(笑)
地元の甲斐友さん行きつけのバーへ移動すると
甲斐友さんが甲斐さんファンだとご存知のマスターが
カウンターに座っていらした2人の男性のお客さんを紹介して下さったそうですが

このお2人は、どうやら「関係者」の方だったらしく
「甲斐さんなら、今、屋台に行ったよ」と…(笑)
その後の会話など詳細は「一切書くな!」と厳命されているので悪しからず…m(_ _)m

ただ、その男性お2人は、奥さん達がかなりコアなファンだと思われたみたいで
「ファンってコワイなー!(笑)何でも知ってるなー!(笑)」とおっしゃったそうだけど
奥さん達に言わせれば「フツー知ってるでしょ(笑)」ということも少なくなかったんだとか…(笑)

奥さんは、セイヤングの佐渡ツアーで行われたビンゴゲーム…
MCの久保さんが「すごいレア物」として紹介なさった品に
「それ、持ってるし…」と薄い反応しか示さなかった参加者(笑)…を思い浮かべたらしい(笑)

でも、そこはそれ「関係者」の方でなくては知り得ない事柄も多々あって
「へぇ!」と感心したり「ええーっ!」と思わず叫んでしまったり
スマホの写真を見せて頂いてアングリしたり…(笑)
ナカナカ刺激的なひとときを過ごしたようです(笑)

これはもう時効ということで(笑)お許しが出たんで言いますと
「甲斐さんは、明日の○時●分の△△便で東京に帰るよ」と聴いて
「ええーっ!?帰るの?博多でお正月過ごすんじゃないの?」と驚き

「そういえば、甲斐さんのお兄さん達は来てたけど
甲斐さんファミリーはいなかったよね?」と気づいたり
翌日、某所に寄ってから帰京予定だった甲斐友さんは、真っ直ぐ空港に向かうことにしたり…(笑)

あっ!それで思い出しましたが、この日のステージでの甲斐さんは
東京公演でもなく、シューティングがある訳でもないのに
奥さん好みのヒヨヒヨヘアじゃなく、ビシッとスタイリングされていて
「昼間に『ニット帽』かぶってたからかなあ?(笑)」と奥さん(笑)

でも、ヘアメイクの方が遠征なさってるはずはないし…と思ったトコで
「ああ!『ヘアサロン甲斐』があるもんね(笑)」とクスクス(笑)
まあ、スタイリングに事欠かれることはなかったでしょうね?(笑)

ともあれ…奥さんが以前、例のうどん屋さんで
ちょうど森山達也さんと入れ代わりになり、席を譲ったことを話すと
モッズファンでいらっしゃるマスターが、俄然食いつかれたそうです(笑)

このマスターさんは、奥さん達が席に着いてからずっと
甲斐さんや甲斐バンドのDVDを流して下さっていたみたいで
その後に来店されたお客さん達が、映像に合わせて【安奈】を口ずさんでおられるのを見て

やはり、一般的には「代表曲」の一つなんだということや
「この曲が聴きたい」とライブに来られる方も
大勢おられるんだろうということを改めて実感したんだとか…

そうそう!長崎県のライブイベントに、高校時代の福山雅治さんが出演なさってるとの話から
件のライブ映像を見せて頂き「細~い!」やら「イメージ違う!」やらと大騒ぎしたらしいんだけど(笑)
マスターさんによれば…福山さんは、当時から絶大な人気を誇っていらしたみたいで
福山さんの登場を待ちかねたファンの方々に「早く終われ!」とばかりの態度を取られ
悔しい思いをなさったバンドも少なくなかったそうです(苦笑)

さて…「関係者」のお2人と話し込んでいる内に夜は更けて
屋台は、午前3時までに撤収しないといけないらしく
もうお開きになっているだろうしと奥さん達も散会することに…

元々、朝イチで帰るつもりだったため、博多駅近くに宿を取っていたので
タクシーを拾おうとしたものの全く捕まらず…(汗)
イヤ、タクシーが走っていない訳ではなく、客を乗せる気がないようで(苦笑)
「空車」のランプが急に「回送」に変わったり
歩道沿いのレーンから、中寄りに車線変更したり…(汗)

名古屋での「バブル期の六本木か!?」状態(笑)とはまた違った意味で
歩道から身を乗り出し、あるいは車道にまでハミ出して、車を止めようとする人の多さに
「歩くしかないか…」と諦めかけた時、甲斐友さんが体を張って1台ゲット(笑)
「そういえば、昔々、夜中に天神から博多まで歩いたことがあったなあ」と奥さん遠い目…(笑)

で、翌日は予定通り、甲斐さん御用達のもつ鍋屋さんへ…
これまで、日帰りや翌朝トンボ帰りが多く、ナカナカ訪れることが出来なかったみたいで
ほとんど寝なかったにも関わらず…というか寝不足ゆえか?(笑)ハイテンションで出発(笑)

以前にお店の前まで行った時は、バスか車しか交通手段がなかったのが
歳月が流れる内に、甲斐さんも押尾さんとお乗りになったという地下鉄が開通し
最寄り駅からは徒歩で向かったにも関わらず、開店前に到着

でも、すでに駐車場に停まっている車の中やお店の近くに人影があり
奥さん達が正面入口に回る途中で「営業中」の看板を前倒しで出される店員さんの姿が…
すぐに店内に案内され、予約で埋まった中で唯一残っていたテーブル席に着こうとしたものの
「甲斐さん達は、きっとお座敷だよね」と急きょ変更(笑)

見晴らしの良い窓側の席で、ウワサの「すき焼き風もつ鍋」と
福岡のライブ会場に差し入れされているという「かしわおにぎり」を堪能♪
…って、食べ終わったのが正午過ぎってどうよ?(笑)

帰りは、博多駅行きのバスに乗り、甲斐友さん達がうとうとしている横で
甲斐さんご生誕の地の近くを通る際には、車窓に釘付け(笑)
奥さんの頭の中では、もちろん【恋時雨】が鳴っていたでしょう(笑)

その後、福岡空港の甲斐友さんから、甲斐さんは、かなりギリギリにご搭乗との連絡があり
もしかしたら、また「朝うどん」を召し上がってから
空港に向かわれたんじゃないか?と思ったらしい(笑)
年内最後のソウルフード…あり得るかも知れませんね?(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慌ただしい日々

2019-04-20 13:15:00 | ツアー
甲斐さんのツアーが始まるといつものことなんですが
休みを確保したために、ライブからライブまでの間が半端なく忙しい奥さん(苦笑)
まあ、甲斐さんからパワーをチャージして頂いて
体力はともかく気力は充実(笑)…とはいえ

毎年、GWに休暇届を出すのは、そこそこの勇気を要するみたいだし
どれだけ疲れていても「もうこれ以上休めない」状態に自らを追い込んでの参戦で
本来なら、ライブ→移動→仕事→移動→ライブの繰り返しのはずが

今年は、ストーンズ展で入手したBlu-rayに加え
「ボヘミアン・ラプソディー」のBlu-rayも届き
仕事から帰ると、これらをひたすらリピート(笑)
当然、睡眠時間は削られ、名古屋ライブに参戦する準備もロクに進まず…(苦笑)

そこへ甲斐バンドのライブベストアルバム発売やライブハウスツアーの告知…
イヤ、甲斐さんはよく、ツアーの初めに次の展開を発表なさるし
ツアーが終わった後に「次のお楽しみ」が待ってるというのは
もちろん嬉しいことなんでしょうけど
「鼻先のニンジン」が、あまりに近過ぎて、寄り目になっちゃう感じ?(笑)

ライブ会場へのアクセスや宿泊先などを調べて、先行予約に備えなければならないし
…って、そのための根回しもまた必要な訳で(笑)
しかも、そのツアー日程も「西日本に優しくない」というか(笑)

甲斐さん達はツアー先に泊まられ、翌日に次のツアー先へ移動…
という風に組まれている「連チャン」や近接しているトコが
「いったん帰って、またすぐ出かけなきゃ!」状態になるみたいで
奥さんは「スケジュールを管理してくれるマネージャーが欲しい!(笑)」
…と頭を悩ませております(笑)


更に…先日のビルボード東京から戻って以来、やけにソワソワしているので
「ニューヨークに行きたいか~!?(笑)」と訊ねると
「そりゃ行きたいけど、さすがに海を渡るのはちょっと…(苦笑)」と言いつつ

「JAPAN DAY」の日程を調べたり(笑)
「3泊5日?イヤ、2泊4日なら…」とシフト表とにらめっこしていたり(笑)
「パスポートの期限切れてるしなあ…」やら
「スーツケースどこにしまったっけ?」やら…行く気マンマンですやん!?(笑)

やはり、今回のツアーメンバーの皆さんと「4人で行きます!」発言が
かなりのウエイトを占めているらしく
それほど、ビルボード東京のライブが良かったのかなあ?(笑)

まあ「ファンクラブ会員限定のハワイツアー」なんか絶対ないでしょうし(笑)
こうした機会でもなければ、海外で甲斐さんのライブを観るなんて
まず経験できないんじゃないかと…?(笑)

ただ、GW後半のビルボード大阪ライブの直後に
また休暇を願い出るのは、確かにハードルが高いと思われ
…って、ぶっちゃけ、そのハードルさえクリア出来たら
引き絞られた矢の如く、一直線に「カモン♪ベイビー♪アメリカ」でしょうね(笑)

でも、帰国後には、ビルボード東京2DAYSが控えているし
奥さんは多分、気力のみで乗り切るつもりで(笑)
…最悪、椅子に座ってじっとしていることも許されると思うけど…(苦笑)
甲斐さんって、ホントに体力がおありですねぇ


アジアン・カンフー・ジェネレーションバンドの後藤正文さんが
我が家の大好きなコラムの中で…
「20年前は、CDに収録された楽曲が
コンサートで忠実に再現されているかどうかに
多くの観客たちの興味が注がれていたように思う

けれども、最近では、その日だけの特別な体験を得るための機会として
コンサートが位置づけ直されているように感じる
それは、とても幸せな変化だと思う

端的に言えば、録音物は過去の演奏の記録だ
20年前に録音した作品は20年前のままだが、人間は変わってゆく
録音物の再現をただひとつの正解とすると、それ以外は不正解になる
そのような性質は、演奏者に不要な緊張を強いる

完全に再現するには、録音物を再生する以外に方法がない
それでは、いずれ生演奏がステージから追い出されてしまうだろう
ステージの上では、二度と体験できない
その日、そのとき限りの音がいつも鳴っている
観客たちが、その特別さに敏感になっていると感じる

それが『この瞬間のために躍動してくれ』という願いや許しとなって
演奏する僕たちの心と体を解放している」…と記されていて
甲斐さんがよくおっしゃっているように「観客からパワーを貰ってる」んでしょうし
やはり「もう二度とこの輝きに会えないかも知れない」と(笑)
1ステージ1ステージを大切になさっていることが窺えます


同じく「表現すること」を生業になさっている作家の大沢在昌さんは…
「生き方を学んだとか、そんなことをちっとも言って欲しくないの
とにかく読み始めたら止まりませんでしたと言われたい
作品を通して何かに触れるのではなく
作品そのものにどっぷり浸って欲しい
こんな世界もあるのかと頭をくらくらさせて欲しい」…と、おっしゃっていて

その作品に心をわしづかみにされ、強い力で揺さぶられたかのように
それが終わった後も、すぐには日常に戻れないくらいの「耽溺」
甲斐さん流に言うなら「次の駅やバス停まで歩いてしまう」ほどの「非日常」
…をこそを感じて欲しいと思っておられるのかなあと…?

同じ本を、同じ曲を、同じセットリストのライブを再び体験しても
前回と全く同じように感じることはないと思うし
「その時限り」の耽溺や非日常を求めるが故に
奥さんは、忙しい忙しいと言いながら
今日もライブを観に行くんでしょうね?(笑)

…という訳で、ブルーノートに参戦される皆さま、楽しんでくださいね♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする