ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

Happy Go Lucky!(6/27)より抜粋その2

2024-06-30 16:05:00 | メディア
さて…奥さんの大好物(笑)「オリジナル甲斐バンド」による
46年前の大村市民会館ライブの「お宝」音源が流されたあと…

番組アシスタントの橘さんが「是非、ナンか、この46年前の大村公演に来てた方の…
ナンか、もし、このラジオ聴いてる方がいらっしゃったらですね、コメント頂きたいですよね
『このライブに行ってました!』…ナンか是非、もし行ってた方、リクエストをお待ちしております!

でも、スゴイですよねぇ…この、すごいヨレヨレだったテープが
こんなに立派に聴けるようになるっていう…最新の技術ですね」…と、おっしゃると
「恥ずかし!(笑)」と笑って聴いていらした長岡さんは
「うん、そう…(テープが劣化したのは)カセットデッキが良くなかったかも知んないね」と返され

「ああ、なるほど…でも、よく…逆に、ここまでキレイに残してましたよね」との言葉に
「うん、これはね、音響卓からそのまま録ってあるので、良い音なんですよね
あの…ただ、客席の声は聞こえない…(『ああ、なるほど…』と橘さん)
楽器(の音)がそのまま…直接入ってるので、マイクは会場に立ててないから…」と説明なさって

「ただ、この『ポップコーンをほおばって』って曲はね、演奏するのがすごい苦手で…(『ほお!』)
コードがね、Aマイナー→G→F→Eって、こう…下がって行くんですよ、循環コードでね
井上陽水さんの『傘がない』なんかもそうなんですけどね
ナンかね、その繰り返しなので、単調になりやすいんですよ

だけど、変化をつけて行かなくちゃイカン、つまらなくなるので…
リズムとグルーヴ感がキープ出来ていて、メロディの情感を支えるフレーズを考えなくちゃならない
…で、何回もそれ、回って来るので飽きるんですよね…(『あっ、演奏してて?』)
イヤイヤ、聴く方が…(『あっ、聴く方が…(笑)』)
だから、シンコペーションによる変化とかつけて
仕掛けが入ってんですよね、色々ね…(『ほお!』)…細かい仕掛けが、ちょこちょこと…

レコーディングではね、覚えてんですよ、3日間かかって、1小節も録音できずに、ナンか悔しくて
銀座にあるレコード(会社)のスタジオのトイレで泣いた記憶があります
(『長岡さんも泣くことがあったんですね』…って
まるで、長岡さんには血も涙もない(失礼!)みたいな、おっしゃりようですけど…(苦笑))

「イヤね、3日間で1小節も録れない…さすがにディレクターから怒られましたよね
『ナニやってんだ!』つって…(『へぇー!』)…一番苦労した曲ですね
(『すご~い!ナンか貴重なエピソードを…』)」と明かされてましたが

甲斐さんはストーンズやCCR、ジャング・ラインハルトの影響で
ギターリフの繰り返し作用で、高揚していく音楽がお好きみたいで(笑)
「女と男のいる舗道」のサントラ盤についても
「同じフレーズの繰り返しが気分をハイにさせる」とおっしゃってましたよね?(笑)

ただ…「ポップコーンをほおばって」の原曲は、7分を越す大作なので
シングル化にあたっては「ムダのない時間内で完全燃焼させたい」というお考えから
「詞を少し書き直し、少し不満ながらも省くことにした」ことで
「3分ちょっと」にまとめ上げられたにも関わらず
シングルのA面は「かりそめのスウィング」に変更になったんだとか…(笑)

その「ポップコーンをほおばって」のレコーディングに関しては…
「アレンジは困難を極め、いくつかの事件の後に、ようやくレコーディングに入ったものの
僕らの演奏技術に問題があり、かなりの大幅な時間のロスを経てやっと録音された」…と
長岡さんのお話を裏付けるインタビュー記事がありました

それはさておき…「これね、先月…5月18日ですね
甲斐くんと福岡で…あのー、会って…
(長岡さんが甲斐さんの)コンサート観に行ったんですよ
…で、そしたら、終わってから楽屋で話してたらね
来年がね、50周年記念のコンサートツアーになるそうなんですよ

(『甲斐バンドの…甲斐バンドとしてっていうこと?』)…うん、そう!そう!
だから、これ(音源テープを録ったツアー)よりも、2~3年前から回ってるからね
…と、そのことを知って、帰りの車、運転しながら『記念の節目』ってこともあるし
『47年ぶりに大村でコンサートしようかなあ』っていう気持ちになってます(笑)」
…って、サラッと口にされたけど、内容スゴくね?(笑)

もっとも、橘さんは「その時は、じゃあ是非あの… 長岡さんは、1曲くらいはベーシストで…」と、開催ありきのご様子で振られ(笑)
長岡さんは「イヤイヤ!(笑)それを言われるだろうと思って…
それは判んない…それは違う」と返されてましたが

橘さんの「それはそれで、ねぇ?もう甲斐バンドのファンの方からしたら…」との言葉に
「それは、甲斐さん次第ね」と若干?その可能性もナキニシモアラズ?なお返事…(笑)
でも、橘さんから「もうねぇ、もう待ちに待った一夜になる…」と更にプッシュされると

「イヤイヤイヤ、もうね、高校の時に…高校の時に可愛かった彼女と会ってみたら
今は可愛くないとか、ありますよね?ねぇ、やっぱり…
予想したのと違う…『お相撲さんが出て来た!』みたいになっちゃいます(笑)
(『ホントですか?私、カツラ準備しときましょうか?ロン毛の…(笑)』と橘さん(笑))」と
前回の放送と同じように、防波堤を築いておられました(笑)

ただ、そのあとに…「そう、色々ね、日程とか会場とか、物理的な条件の面の課題
調整が上手く運べば、実現できることとなるでしょう…楽しみだね♪報告が出来ればいいですね
(『そうですね、そのためにはですね、今から色々、動かなきゃいけないことがいっぱいですもんね』)

そう!そう!その時にはね、皆さんね、是非『シーハットおおむら』メインアリーナに
どしどしお越し下さいね!年金手帳ご持参で、お孫さん同行で来て下さい(笑)
御朱印かナンか、押してあげます(笑)
(『でも、そしたらね、ホント、このラジオのリスナーさんも来てくれるかも知れないですね』)」

…と冗談交じりながら「もしかしたら…?」っていう、一縷の望みを託せるようなご発言も…!?
長岡さんがベーシストとして、ステージで演奏なさるかどうか?はともかく
奥さんは、長岡さんの招聘で「甲斐バンド in 大村」が実現するかも知れないと想像するだけで
「ごはん3杯はイケる(笑)」と申しております(笑)

そして…「この46年前のね、地元でのコンサートの様子、少しご披露しましたけども
先月のね、福岡での甲斐くんとの会話の中で出て来た…
福岡は、アマチュア時代にレコーディングした曲あるの『覚えてる?』って言うから
『イヤ、全く記憶にないんだけど』って言ったら

その音源もね、レコーディングしてくれた友達からゲットしたので
これも、まあ、近い内にお聴かせしましょう
もう、甲斐バンド原点の原点…(『スゴイですね』)
知らない曲ばっかりです、みんなは…(笑)」

…って、こちらは、先日ご紹介した、長岡さんのXにアップされていた写真…
2枚の「お宝音源」CDと一緒に写っていた
「Earlydays DEMO TAPE」というタイトルのCDのことでしょうね?
まあ、ある意味、ただいま絶賛予約受付中の
甲斐バンドのBOXセットに収録予定の「レアトラック」よりもレアなんじゃないかと…?(笑)

奥さんの胸をときめかせた「お宝音源」に続き、更に心躍る「お知らせ」がもたらされたあと
「まあ、とにかく実現できるといいよね…(『そうですね、コンサート、私も行ってみたいですね』)」
…という長岡さんのトドメの一言で、甲斐バンド関連の放送分は終了♪
来年、嬉しい悲鳴が上がること、祈っております(笑)

余談ですが…長岡さんが「ライブ」のことを、ずっと「コンサート」とおっしゃっていたのが気になり
奥さんに訊ねたところ、長岡さんが在籍していらした「サーカス&サーカス」ツアーの頃までは
「甲斐さんも『コンサート』って言ってた」らしく

当時の資料を引っ張り出してみたら、甲斐バンドに限らず
雑誌などに掲載されている「イベント情報」でも、全て「コンサート」となってました
もっとも、演歌・歌謡曲系の方々に関しては…
「歌謡ショー」や「リサイクル」「ワンマンショー(独演会)」といった表記が目立ってたけど…(笑)

ただ…アルバム「サーカス&サーカス」や「100万$ナイト」のリリース広告には
「ライブ」というワードが使われていたし
逆に「チケット」の半券には、86年の解散ツアー「Party」でも「コンサート」と記載されていて
当時は「ライブ」=「生」の意味合いが強かったのかなあと…?
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Happy Go Lucky!(6/27)より抜粋その1

2024-06-29 19:56:00 | メディア
さて、ついに、奥さんが待ちに待った(笑)
オリジナル甲斐バンドのお宝ライブ音源が、お披露目される日がやって参りました♪

当日の夕方に、長岡さんが…「いよいよ今夜ですね
46年前の大村でのコンサートライブ音源を2曲披露します…お楽しみに…」とポストされたので
「1曲だけ」と思っていたのが「2倍になった♪」とウキウキ♪(笑)
番組が始まると、冒頭の挨拶もそこそこに…「今夜の1曲目ですけどね」…と長岡さん

「これね(笑)先日ね、本棚の整理をしていたんですよ
そしたらですね、なぁんと!46年前の1978年5月18日に…今はもうない…ないんですけど
大村市民会館って、私、甲斐バンドのコンサートがあって来たんですよ、大村に…
(『日帰りライブっていうヤツですね?(笑)』と橘さん)
そう!そうそう!その時の(音源を録音した)カセットテープが見つかりました…(『スゴイですねぇ』)

テープがね、ヨレヨレになってんのを、ウチのシーハット(おおむら)さくらホールの音響担当のマツゾエさんに
『これ、ナンとかなりません?CDとか出来ませんかね?焼いて下さい♪』って言ったらね
1曲ずつ、ナンか、コツコツとね、編集してくれて、聴けるようにCDに焼いてくれました!
ナンと、2枚組になってます!…(『スゴイですね』)

これね、録音商品じゃないので、フルサイズでかけると、みんな…問題ね
みんな、録音して、人にあげたりするでしょ?ダメ!(笑)だから、自分で楽しむ分だけね
だから、オンエア出来ないので、フルサイズじゃなくて、編集して…
抜粋して編集して、お聴かせしましょう

声が若いです!意外に、すごいしっかりと演奏して歌ってたんで、ビックリしました…(『へぇー!』)
では、ライブ録音から2曲続けて行きますよ
『きんぽうげ』と『ポップコーンをほおばって』をお聴き下さい」…と、惜し気もなくQ出し♪

奥さんにとっては、今でも「永遠のオープニングナンバー」らしい?(笑)「きんぽうげ」の
あのイントロが流れ始めた途端に「ああ~!大森さんのギターだなあ♪」と高まり(笑)
甲斐さんが歌い出されると「やっぱり、この頃の声、好き過ぎる~♪」と身悶え(笑)

その脳内では、きっと、マイクスタンドを抱え、少し顎を持ち上げ歌っておられる甲斐さんが
ステージ上を動き回っていらっしゃる姿が再生されていたんじゃないかと…?(笑)

…が、エンディングの演奏に入り、甲斐さんと長岡さん、大森さん
お三方が、横一列に並ばれているご様子をイメージしかけたトコで
「最後の曲になりました!」という甲斐さんの声と共に「ポップコーンをほおばって」にバトンパス(苦笑)

カセットテープのインデックスには、今や定番となっている王道のラインナップ…
「氷のくちびる」に続くナンバーとして記されてるんだけど
「翼あるもの」も「漂泊者」も「破れたハートを売り物に」も、まだ生まれてなくて

…っていうか「氷のくちびる」にしても、アルバム「この夜にさよなら」に収録される
5ヶ月前にシングルリリースされたとはいえ「王道」となって、まだ日も浅かったでしょうし
現在の、メドレーの如く流れるようなスタイルではなかったのかなあと…?

ともあれ…その「ポップコーンをほおばって」のテンポの速さにはビックリ!
奥さんが、ライブで聴く時に、この曲の手拍子は
「トントン拍子(笑)」がイイ!と、口癖みたいに言っているのも頷けます(笑)
でも、以前は「♪ほお・ばっ・て♪」の部分だけではなく
そのあとの「♪天使たちの♪」と「♪声に♪」のトコでも、拳を突き上げていたらしいので
観客の皆さんは、かなり忙しかったんじゃないかと…?(笑)

そんなことを考えている内に、こちらもエンディングに差し掛かった途端
長岡さんが「それにしても、この『ポップコーンをほおばって』って曲ね
これ…『ポップコーンをほおばって』だったか?『ポップコーンほおばって』だったか?
『を』は、あったかな?なかったか?ちょっと判んないんですよ」とカットイン(苦笑)
もっとも、そのバックで曲は流れ続けてましたが…

「これね、甲斐くんが20才の頃に書いた作品…
当時、意味はよく判んないにしても『とてもイイ歌詞だな』と思ってました
『♪映画を観るならフランス映画さ 若かった頃の君と僕の思い出話は♪』って始まる歌詞ですけどね
『♪教会の鐘は聞こえるかい 天使の讃美歌は聞こえるかい♪』と…
『♪ポップコーンをほおばって 天使たちの声に耳を傾けている♪』などとね

こう…出て来る歌詞が、こう…切り口がね、20歳とは思えない、素晴らしい感性です
会場の熱さが伝わりますね」と、やはり、甲斐バンド在籍中は
甲斐さんの作詞のアドバイザー的な役割を担っていらした方らしいコメントをなさったのと同時に
「どうもありがとー!」という甲斐さんの声がして曲が終わりました(笑)

ちなみに…奥さんは「そう!そう!この頃は『サンキュー!』じゃなくて
『ありがとー!』って言ってたんだよねぇ」と遠い目…(笑)
まあ、これは、武道館ライブアルバム「100万$ナイト」に収録されている「LADY」の前のMC…
観客の拍手に「ありがとう」を繰り返されたあと
「何度も言うけど…」と更に感謝の言葉を重ねられ

「これからも色んなことを書かれたり、叩かれたりすると思う、不器用だから…
でも、最後に戻って来たいと思うのは、このステージという場所だ」…といったことを話されたのが
前もって考えられたものではない、本当に心から溢れ出した思いだと
そう感じられたことが大いに影響していると思われます

それはさておき…観客の拍手をバックに、橘さんが「お聴き頂きました曲は、甲斐バンド大村公演で
『きんぽうげ』と『ポップコーンをほおばって』でした」と通常の放送の通りに曲を紹介されると
長岡さんは「意外と、ちゃあんと演奏して歌ってますよねぇ(笑)」とクスクス(笑)

「これ…(長岡さんは)27歳ですか?」という橘さんの質問に
「27歳…スゴイね(笑)若いからテンポ速いですよね
僕はもう、こんな…こんな速く…こんなテンポで生きてたんじゃ、ついて行けないはずですね、ねぇ?」
…と、ボクと同じように感じていらしたのが印象的でした(笑)

「この時、この会場にはね、両親、兄弟、友達、知り合いなどね
いっぱい、客席のアチコチにいて、こう…ステージから判るんですよ
『あそこにアイツがいる』とか…もう、それが、とってもイヤでした
(『すごいやっぱ記憶には残ってますか?』と橘さん)…そのね、友達が座ってるところはね

もう、終演後にね、楽屋に『久しぶり!』『お疲れさま!』なんて
いっぱい…たくさん来るじゃないですか?それがホントに苦手で…
もう、挨拶もパッと簡単にして、その夜に急いで逃げるように東京に戻った記憶があります
…なんで、戻っ…急いで逃げたんですね(笑)」と話されてましたが

奥さんが持っている昔の雑誌の切り抜きによれば…
「HERO」がヒットして、認知度が上がる前は、全国ネットのテレビ出演が少なく…って
その内にテレビ番組自体から撤退され、ライブ中心の活動をなさっていたため
メンバーの皆さんのお身内の方々には、動静が掴みにくくていらしたみたいで

「ナンでテレビに出ないんだ?」とか「ちゃんと生活できているのか?」と
ずいぶん、心配なさっていたようですし(汗)
そりゃ「凱旋ライブ」ともなれば、万難を排して駆けつけられますよね?(笑)

ともあれ…橘さんが「甲斐バンドの大村公演は、これが最初で最後だった訳ですね?」とお訊ねになり
長岡さんが「そうですね、今まで来たことないですね、ちょっと…」と返されると
「ナンか『騙された!』って、1回言ってましたよね?(笑)」と質問(笑)
 
「そうなんですよ!『大村公演だけはやらないで!
やる時は、僕、行かないからね!』…つってたんですけど
そしたら、マネージャーが『もうどうしてもやることになったんで…』…で
『別のベーシストでやって下さい』って言ったら
『イヤ、それは出来ないんだよ』って言われて…
ほいで…えー、騙されて…そう、すぐ帰った…

だから、ナンかね、こう…こう…この頃の音源、聴きながらね
当日、会場の客席でコンサート観ていた私の両親はね
『一体どんな思いで観てたのかなあ?』と考えてしまいましたね
現在ね、私は、その時の両親の年齢よりも、年を取ってる訳で…

大学まで、お金かけて卒業させたのに、行くあてのない音楽稼業に足を突っ込んでしまって
『人生を踏み外さないだろうか』とか、心配してたんじゃないかな?と思います!」
…と振り返っておられたけど、甲斐さんは脱サラされ、大森さんと松藤さんは大学を中退なさって
長岡さんは、卒業どころか就職先も決まっていらしたのをお断りになって音楽の道に進まれたそうですし
それぞれのご家族の皆さんは全員、同じ思いでいらっしゃったんじゃないかと…?(汗)
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Happy Go Lucky!(6/20)より抜粋

2024-06-28 15:05:00 | メディア
前回の記事では、6月20日の放送で、長岡さんが披露なさった
甲斐バンドのアルバム「この夜にさよなら」の
レコーディングにまつわるエピソードをご紹介しましたが

そのあと、2曲目に、スタイリスティックスの
「Can't give you anything」を流された際にも、甲斐バンド関連の話題が登場したり
長岡さんが、ポニーキャニオンの映画部にいらした頃のエピソードも興味深かったので
引き続き、文字起こしをして参りたいと思います♪

その2曲目の邦題「愛がすべて」が明けると、長岡さんが…
「このユニットはね、日本でもヒットしたんで、ディスコでは必ず流れてましたね
スローな曲ではね、フロアでね、チークを踊るカップルが沢山いました
知ってる?チークダンス?…(『チークダンス、知ってますよ』と橘さん)

あっ、知ってる?踊ったことある?…(『踊ったことはないですけど、映像は観たことあります』)
まっ、踊るっていうより、抱き合って揺れてるだけですけどね(笑)
(『まあ、あの…ナンでしょう…昭和ながらの…だいたい映画とかには出て来ますね』)

ね?ディスコには必ず、こう…チークタイムっつうのがあってね
男の子はね『誰と踊ろうかな?』って、ずっとこう…狙いを予め定めているんですよ
そして、パッと行って、手をつないで引っ張って行ってね、フロアで抱き合ってるだけっていうね(笑)
(『でも、ナンかもう、それが幸せな時間って言いますもんね』)…そう!(笑)

それよりね、ちょこっと前の時代にはね、フロアでね
客全員で、同じステップを踏んで踊る曲が流行りました
ダイアナ・ロスがいたユニットで、シュープリームスが歌ってた
『ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ』って曲なんです

『♪ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ♪』って歌があるんですけど
これ、大ヒット曲なんですけどね、曲中の『ストップ!』っていうトコで
みんな…みんな、指を天井に向けて『ストップ』するんですよ、ピッ!って…
あとね、足をこう…懐かし!これ、足をこう…もう蹴り方が揃っててね」

…と話されていた時に「サタデーナイト・フィーバー」世代の奥さんは
「私たちの頃は『ハロー・ミスター・モンキー』がそうだったなあ」と遠い目(笑)
ただ…「今思うと、その場にいる全員が、同じステップを踏んで、同じダンスを踊るのって
『盆踊り』がルーツなんじゃない?(笑)」とクスクス(笑)

それはともかく…「新宿歌舞伎町のディスコで、私もバンドのマネージャーに連れられて行って
よく『ストップ!』って言って踊った記憶があります(笑)
甲斐バンドのキャンペーンで、初めて札幌行った…
そこでも、マネージャーに連れられて、ディスコで踊らされた記憶がありますよ
マネージャー、ディスコ好きだった…?(笑)

(『今ね、私もこの…ナンか話を聴いてて…
「あれ?すごくディスコ好きのマネージャーなのかな?」と思って…(笑)』)
イヤ、あの頃の若者の楽しみは、ディスコで踊ることだったんですよ」…と明かされてましたが
その「マネージャー」って「あの方」ですよね?
「ディスコ好き」っていうイメージが湧かないんですけど~?(笑)

でも、甲斐さんも「プールバー」系のお店に行かれるようになられて
80年代後半には「ゴールド」に通われていたみたいですし
踊る踊らないは別として、当時の最先端の「遊び場」だったのかなあと…?

そして…「シーハットおおむら」で催されるイベント情報のコーナーで
インド映画の上映予定が告知された際に…「インド映画ってね、すっごいハマるんですよ」と長岡さん

「あのね、えっとー、僕はですね、昔…このインド映画ってね
世界で一番、映画を制作してる国がインドなんですよ!年間ね、300本作ってるって言うんですよね
『ほとんど毎日作ってる』…そういう…昔、聞いたことがあるんですね

共通して、すっごい可笑しいのはね、あらすじがメチャクチャ…
メチャクチャな展開で、奇想天外でもありますけど
深刻なラブストーリーで、みんながこう…思いにこう…浸ってる時に
突然、脈絡のない歌とかダンスが登場して出て来るんですよ

画面にバーッ!とね、話と関係なく大踊りしてで、嵐のあとのように去って行くんです、それ…(笑)
…で、ウワーッ!で、その場面を終わると、先ほどの深刻なストーリーに戻ったりするんですけど
だから、観てる客はね『今、ナンだったの?』って感じ…(笑)
それがいっぱいあるんです、余韻も何もない、もう、ホント…

(『でも、ハマった人は…「チケット買いに来るの9回目です」
…って方もいらっしゃるみたいで、スゴイみたいですね』と橘さん)
僕ね、よく体験したことがあるんですけども
『インドの人の感性って、どうなってんの?』って、きっとみんな思うと思うんです
もう、めちゃめちゃナンセンス…これが、インド映画の特徴…」…と話されてましたが

ミュージカルでさえ「ストーリーの途中で、いきなり歌い出されると『えっ!?』となる」奥さんには
到底、馴染めそうにない展開とあって、ハナから食わず嫌いを通しております(笑)

ともあれ…「あのね、すごい可笑しい…私がポニーキャニオン映画部にいて
『リング』とか『らせん』とか作ってた頃なんですけど
毎年ね『国際映画見本市』ってトコに、あのー、社員が行くんですよ
…で、外国映画を買い付けて来るわけ…で、DVD化したり、映画館で流したりするんですね

すごい高いんですよ、DVDにしたりする訳だから、権利も…
いっぱい買い物して…何作か、こう…狙ったものを買ったあとに…
帰る前に、少しお金が余ったっていうんですね、ホンのちょっとですよ?

余った…買い付けた映画の予算の余ったお金…数十万で
あるインド映画のね、権利を買い取ったの…ですよ
これ、ちょっと…『じゃあ、ナンか判んないけど、やってみよう』
『インド映画って、どんなの?』っつったら…
…で、それを渋谷の映画館で上映したところ、大ヒットしたんですよ
それが、バカ当たりして、臨時ボーナスが出たことがあります(笑)

この…その映画が、有名な『踊るマハラジャ』っていう…これで、インド映画の火がついて…」
…というエピソードを披露なさってましたが、映画自体を観たことがなくても
「インド映画」と言ったら、一番最初に思い浮かぶ作品ですよね?(笑)

奥さんが、どハマリした映画「ボヘミアン・ラプソディー」で
「胸アツ応援上映」が始まったのも、その元祖は「踊るマハラジャ」だったそうだし…って
インド国内では、DVD化されたあとも、ロングラン上映が続き
DVDの売り上げ額より、映画館入場料の方が上回っていたくらい
「応援上映」の人気が高かったみたいです(笑)

それはさておき…
「これ、たぶん、50万くらいで買って来たのが、数億以上の利益になったと思いますよ
(『すご~い!イヤ、これを買い付けた人は、さぞかしナンか…』と橘さん)
今、有名な映画プロデューサーですよ(笑)
『嫌われ松子(の一生)』とか…作ってるんです
皆さん、是非、インド映画にハマって下さい」…と長岡さん

番組開始当初は、放送時間30分の間に、4~5曲流されていたのが
その内に3曲オンエアが定置して、トーク部分が増えたんですけど
この日は…「ハイ、さて3曲目…今夜の終わりは…今日はちょっと喋り過ぎたんで
静かに、解説抜きで、この曲をお聴かせします
BEGINで『空に星があるように』」…と、おっしゃって曲を流され

曲明けには…「1日の終わりに聴くにはイイですね…『ハイ、お疲れさま』って感じですね
『空に星があるように、浜辺に砂があるように
僕の心にたった一つの小さな夢がありました
そしてそれは誰にもあることですね』と歌ってます

作詞作曲は荒木一郎さん…昔、テレビに出てね
この人ね、思いっきり無愛想なんですよ、顔が…(笑)
すっごい無愛想な表情で、ガットギターを弾きながら、この曲を歌ってました
中村八大と永六輔が作った『遠くへ行きたい』っていう作品と並んで、この時代の名曲です、ハイ」

…と締めくくっていらしたけど、オンエア後のXに
「甲斐バンド時代のレコーディングの話、ディスコ好きなマネージャーの話…
如何でしたか?楽しめましたか?」…とポストなさったあと
「話に出て来た、とても無愛想な歌手『荒木一郎』さんの写真です」とアップされていて
誉めておられるのか?ナンなのか?…と、ちょっとフクザツな気分になりました(苦笑)
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1978年の甲斐バンドライブ!?

2024-06-27 14:05:00 | 日記
コトの起こりは、6月5日の夜…甲斐バンドの永久欠番ベーシストでいらっしゃる長岡和弘さんが…
「皆様…特に甲斐バンドを応援してくれている仲間の皆様
先月、本棚のケースの中から、1978年5月18日(46年前)に、私の地元大村市で開催された
甲斐バンドのコンサートのカセットが出て参りました

ヨレヨレになっていた音源を知り合いのエンジニアがコツコツと編集し繋いで完成版のCDにしてくれました
近いうちに私の番組で少しオンエアしようと思います
意外にシッカリと演奏し、シッカリと歌っていたのにビックリ!!ですよ」…とポストなさったことで

奥さん達…「オリジナル甲斐バンド」と「この当時の甲斐さんの声」に思い入れのある奥さん(笑)や
デビュー当時からのファンの甲斐友さん達はもちろん
当時のライブを知らない甲斐友さん達も大盛り上がり♪(笑)

更に、6月12日には…「本棚の引き出しから発見した46年前の大村市民会館での
甲斐バンドのコンサートを録音したカセットテープが、こんな2枚組のCDになりました
PAの音響卓から直接録音されたものなので、音もシッカリとしていました

会場の声援は聞こえにくいですが…今度オンエアします」…という投稿と
2枚の「完成版」のCD&「Earlydays DEMO TAPE」というタイトルのCDの写真
「そのカセットです」という、曲名が記されたカセットテープの写真がアップされ
より一層、キャイキャイ盛り上がったらしい(笑)

そのカセットテープのインデックスに書かれていた、当日のセットリストは
1曲目が「らせん階段」で「永遠のオープニングナンバー」との呼び声高い「きんぽうげ」は2曲目
「裏切りの季節」「ブラッディマリー」「裏切りの街角」「夕なぎ」「一日の終り」「吟遊詩人の唄」

「昨日鳴る鐘の音」「七月の便り」「円舞曲」「そばかすの天使」「東京の一夜」「昨日のように」
「最後の夜汽車」「悪いうわさ~ダニーボーイに耳をふさいで」「氷のくちびる」「ポップコーンをほおばって」…といったラインナップ♪

ライブアルバム「サーカス&サーカス」が収録された77年12月と同じ状況…
セカンドアルバム「英雄と悪漢」~「ガラスの動物園」~当時の最新アルバム「この夜にさよなら」まで、3枚のアルバムからの選曲…ではあるものの
カセットに収録されたのは、翌年春のツアーということで、内容を変更なさったんでしょうね?

ともあれ…「オンエア」なさるということは、当然、甲斐さんに一言お断りを入れておられるはずですし
長岡さんが、ビルボードツアー福岡公演にお見えになっていたのは
「この件もあってのことだったんじゃないかな?」と奥さん

すると…まさに、長岡さんがトヨタホールに来られた当日
「6月27日のオンエアでライブ音源をお聞かせします…お楽しみにお待ちください
この音源は甲斐くんにも届けたので、彼も自分の番組でオンエアするかも知れませんね」とのポストが…!?

奥さんが、その27日の放送を待ち切れず(笑)、いそいそと1週前のオンエアにかじりついていると…
番組冒頭から、長岡さんが「私ね、少し前になりますけど
先月、福岡へ甲斐よしひろくんのソロライブを観に行って来たんですよ!5月18日でしたね
『ビルボードライブツアー』と言って、ナンかこう…いつもと違うメンバーと曲を…
えー、ステージと客席が超近い感じがする楽しいライブでした」と話し始められワクワク♪(笑)

更に…「また、演奏曲が…結局、リクエスト中心によるものだったそうですね
その日のね、ラストの曲を私はとても印象的でした、うん
この日の編曲は全部、甲斐バンドの時のアレンジとは全然違っていて
ちょっと、ひと味違う楽しみ方が出来ました
今夜の1曲目は、そのライブアレンジでお聴き下さい『この夜にさよなら』です」

…と、ライブバージョンを流されたもんだから、懐かしさというか
まだ青く甘い甲斐さんの声と、若い頃の歌い方に
当時の「マイクスタンドを抱えた甲斐さん」の姿が目に浮かび
また「長岡さん」と、アルバム「この夜にさよなら」が
奥さんの心の中では、深く結びついていることもあって、思わずうるうる…(苦笑)

ただ、そのあと、しばらくして「ナンで、この曲をじっとして聴けないのか判った!」と奥さん(笑)
先のビルボードツアーで、周りの皆さんがじっと聴き入っておられるのに
ついつい体が動いてしまうのを止められず、若干?恐縮していたみたいだけど(笑)
「そう言えば、この当時からずーっとこうだったから、DNAに刷り込まれてるんだと思う(笑)」
…と申しておりました…って、そんなに動きながら号泣するってどーよ?(笑)

それはさておき、曲が明けると…
「この曲を聴いてるとね、このアルバムのレコーディングの時の景色…
こう…浮かぶ…浮かぶんですよ、ちょっと、お話しますね」…と長岡さん
「昔ね、こう…夏にね、レコーディングしてることが多かったんですけど
秋になると、発売するために、夏にレコーディングしてたんですね、きっと…

みんなでスタジオに籠って、そこで曲も作ったり
遊んでる最中に突然『あっ!曲が出来たからスタジオ集合!』みたいな感じで集まって
そこでレコーディングしたりとかね」と話された途端

「ああ!解散したあと、甲斐さんが『バンドの時は、夜中に曲が出来たら
すぐにメンバーに電話して、スタジオに集まるっていうのがフツーだったけど
ソロだと、すぐにセッションのメンバーを呼び出す訳にいかないのがもどかしい』って言ってた!」と奥さん
長岡さんの一言一言に、イチイチ食いつくので、文字起こしが進まないこと、この上ない(笑)

ともあれ…「ある時は、3日間かかって、1小節もレコーディングが出来ないとかね
今考えると、マネージャーとかディレクターにはね
扱いにくい、ムラの強~いバンドだったっつうね(笑)
私がこのバンドの担当だったら、ホントに悩んで、ストレスとの闘いで、担当ヤメてたと思うね(笑)
『僕、ヤメさしてくださ~い!』って…こんなね、いい加減なね

フツーならね、スタジオって、1日ナン十万もね、するんですよ?
…で、そのスタジオ、デーン!と押さえてる訳ですよ、1週間とか10日…
…で、スタジオでレコーディングするんだったら
前もって、レコーディングする曲は、東京でデモ作品を作ったり、試作をして
そいで、スタジオ入りするのが…あっ、曲は出来てんですよ、そん時はね、それが当たり前なんですよ

これが、ナンも出来てないので行き当たりばったりで『さあ、どうしよう』から始まるんですからね
スタジオ代とか、経費面とか、発売予定の日とかで、調整は難題だらけだったと思います
今になって、スタッフの皆さんに深くお詫びを申し上げます、ホント…」とおっしゃった時には
「だって、甲斐さんは『カケラみたいなものだけ持ってスタジオに入る』って人だし…(笑)」とクスクス(笑)

でも「ガラスの動物園」の超長~いレコーディング時間に比べれば
「この夜にさよなら」は、かなり早く出来上がったそうで
スタッフの皆さんから「やれば出来るじゃん!」と褒められたんだとか…(笑)

もっとも、その後…「破れたハートを売り物に」のレコーディングでは
出来上がったはずのマスターテープを工場に送られた翌朝に、ストップをおかけになったり
ついには、海を渡って仕上げることをお決めになったり
「いいものを作る時間をくれよ」とツアーをお休みされたり…と
納得がいく音作りのためには、手間も時間も惜しまないという姿勢を貫いておられました

それはともかく…「スタジオにはね、こう…ジャケットを撮影するカメラマンも来ていて…
同行していて…そうそう、カメラマンは、インスタ(ジオ?)の写真もずっと装丁していたんですけどね、料理が上手でした
朝からね、散歩してね、どっか山ん中から、変なキノコ採って来るんですよ
…で、料理に入れるんですよ、ナンか知らんけど…
麻婆豆腐とかオムレツが、ムチャクチャ旨かった!

…で、ディレクターはね、スタジオの屋根の上に上がって、マネージャーと並んで
体中にオイルを塗って、体を真っ黒に焼いてましたよ
時々、降りて来て『どう?調子は?うまくやってる?』って
数分間、スタジオに声をかけに来てくれる、そんな感じ…それでいいんです

前に話した『猫』っていうね、早稲田大学の出身のバンドのソロやってた新田和長さんって言うね
名物ディレクターです。その人の、あのー、プロデュースでやってたんで…
その人…彼の仕事ぶりから、ナンか、自分なりのディレクタースタイルを見つけたような気がする、私は…
長岡、二十何歳の様子です」と話されたあと

「あっ、この前ね、自宅でね、1978年、大村でコンサートしてた、そのカセットが出て来た
今、CDに焼けるようにして、番組で…まあ、録音状態のいいヤツ、ナン…
1曲くらい、おかけしようかなあと…」と、件のカセットテープに触れられたものの
奥さんは「えっ!?1曲くらいって…」と、ちょっとガッカリ…(苦笑)

まあ、30分番組なので、全て聴けるとは、さすがに思っていなかったみたいだけど
「2週に渡って特集されるんじゃないか?」
「5~6曲は聴けるのでは?」という期待はあったらしい(笑)
それでも、貴重な音源を耳に出来る機会を与えて下さった長岡さんには感謝しかないですよね?

そして…「で、来年はナンか、デビュー50周年記念コンサートツアーをやるらしいんです
大村にも来て貰いましょうかねぇ」と長岡さん(笑)
番組アシスタントの橘さんが「そん時は是非、長岡さんもステージに上がって貰って、特別公演で…」
…と、おっしゃると「それは、イヤイヤイヤ…(笑)」と笑っていらしたんですが
奥さんは「福岡公演で実現させて欲しいなあ♪」と、本気で申しておりました(笑)

ただ、そのあとに…「で、お客さんはみんな、あの…年金手帳かナンか持って(笑)ね?
…で、年金手帳に、御朱印かナンか、ピッと押して
あと『お孫さん同行のこと』とかね
『お孫さんと来て下さい』…みたいなね」…と、ファンの高齢化についてイジられ(笑)
…って、奥さんは、甲斐バンドツアーのグッズに「御朱印帳」があったことを
長岡さんがお知りになったら…と考えてクスクス(笑)

もっとも、奥さんも、その「御朱印帳」が登場した際に、甲斐友さん達と
これから先のツアーでは「年金手帳カバー」とか「杖」や「拡大ルーペ」といった
「高齢者向けのグッズが出て来るんじゃないか?(笑)」と話していたらしいので(笑)
とやかく言える立場ではないんですが…(苦笑)

ただ…橘さんが「ナンか…でもナンかイイですよね
大村だから出来る長岡さんと甲斐さんのコラボ…
っていうか、トークショーとかも楽しそう」とか
「長岡グッズ作りましょ!長岡グッズ!」と粘られても
「イヤイヤイヤ!ナンか色々、変に期待されると困る」と長岡さん

「高校生とか中学の時にさ、憧れのステキだった人はさ、50年後に会わない方がいいんです
ナンか…『えっ!?ガッカリ…』みたいなね…『何?あの人』みたいなね
(『でも、よく言いますよね?すっごいマドンナ的な存在で、美人で綺麗だった人が
一番、こう…変わるっていう…逆に、ちょっと物静かで、ナンかこう…おとなしかった子が
すごい、大人になって、綺麗になってるってこと』…と橘さん)

そうなんですよ!もしも、皆さんの記憶に、すごいカッコよく…
あのー、美しく姿が残ってるんだったら、壊したくない!(笑)
だから、ちょっと…僕の美しさが壊れるから(笑)」…って
演奏なさることから遠ざかっていらっしゃるので
ステージには上がれないとお考えなのかと思いきや、ビジュアル面を気になさっていたとは…(笑)

でも、ご自身のXに上げておられるお写真を拝見する限り
ファンの皆さんのイメージが壊れるとは思えないくらい
当時の面影を残されたまま、ステキに年を重ねていらっしゃるような気が…?
ともあれ…今夜の「Happy Go Lucky!」は必聴ですね♪
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甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(6/7)3

2024-06-25 14:05:00 | メディア
「ハイ、ということで…ビートルズのそのアルバム
『レット・イット・ビー』から、えー、聴きましょう!」と甲斐さん
「えー、2曲続けてやりますが、ねぇ?まずはこれ…えー『I Me Mine』…
ジョージが歌ってる…ジョージの曲で、この時に、えー、ジョンとオノ・ヨーコが、この曲を背景に…
背景に、えー、ダンスを…スタジオで踊る…踊るトコがあるんですけど、ハイ

でも、決して爽やかな感じじゃないですね
ジョンの動きは爽やかなんですけど、ちょっとヨーコさんがアレですかねぇ
重いですかね、動きが…キレがないっていうか…えー、っていうシーンが…
まあ、非常に印象的なシーンですよね」と話されてましたが

我が家のシン・購読紙のラテ欄に載っていた「動画配信チェック」というコラムにも…
「(レコーディングの)合間には『やってる内に良くなるはずだ』と仲間を励ましたり
逆に『僕が何か言うと君はいつもイラつく』と微妙な空気を感じさせたりするシーンもある
他にオノ・ヨーコが登場し、ジョン・レノンと踊る姿も映される」…と紹介されてました

ともあれ…「そのあと、えー『I've Got a Feeling』続けてかけますけども
『ルーフトップ・コンサート』…『ルーフトップ・コンサート』って
屋上で…屋上でやったテイクをそのまま使ってる
まっ、だから、やっぱり、これこそが『ダビングも何もない』訳じゃないですか?

だから、あのー『ルーフトップ・コンサート』って、屋上でやった、あの…アレは
本来、自分たちが、頭ん中にあった…メンバーそれぞれ…まっ、特にポールは…
それを再現してるってことですよね?その2曲、聴いて貰いましょう」と、2曲流されたあと

「『I Me Mine』はね、まっ、画期的なんだよね、コード…
ただ、Aマイナー…Aマイナー、半音ずつ下がってくんですけど…えー、4コね
それから、オーギュメント…オーギュメントが、1音ずつ上がってくんですけど
これ、もうねぇ『スゴイなあ!』と思って、当時…
やっぱ、ジョージはもう、この辺から完全にもう、独自の世界に入ってて…

えー、結果的には、こう…『レット・イット・ビー』セッションでもう…後半はもう、ヤメるんですよね
ほいで、もうバンドはドタバタしてて、まっ、大変なことになって行くんですけど…
でも、もうその時、えっとー…『オール・シングス・マスト・パス』か?あの2枚組の…
アレ(のレコーディング)はもう始めてたみたいなんで…

えー、まあ、あと…それと、この時の、やっぱり経緯があって
『クソーッ!やってやるぞ!』と思ったと思うんですけど
ジョージ・ハリスン、ああ見えてB型なんで…
あっ!一応、ビートルズ、全部(全員)血液型違いますんで…ジョンはA型です…Aっぽいっしょ?

ポールはAB…ABっぽいっしょ~?ねぇ?もう自分のことしか考えてない…
ヤメなさい!ABの悪口言うの…ええ…あの…それ、スイマセン、ウチのお袋、そうなんですね(笑)」
…と話されてましたが、昔から、お母様のことを「永遠のライバル(笑)」とおっしゃったり(笑)

甲斐さんも含めて、ご兄弟全員B型ということで
「B型4人を育てるのは大変だったとは思うけど
AB型のデリケートさにはホント困ったもんで…
人から傷つけられる時は、思いっきり『ささいな一言』で傷つくくせに
自分は平気で人を傷つけまくることを言うという、ABのよく判んない(笑)あるでしょ?」
…と評されていて、そのたびに我が家のAB型は「AB型の認識おかしくない?」と思っているらしい(笑)

それはともかく…「で、リンゴ・スターがO型…いかにもO…Oですよね
えー、もうあの…『ボケ』と『ツッコミ』だったら『ボケ』の方っていう感じですけど…
えー、あっ!一応…ちなみに『はっぴいえんど』も全部違います
『はっぴいえんど』のメンバーも(笑)4人とも違います
『おお!ビートルズじゃん!』って言って…昔、思った記憶がありますけど、ハイ」

…と、おっしゃったので、ググってみると…
細野晴臣さんがA型、鈴木茂さんがO型、大瀧詠一さんがAB型と判明し
必然的に、松本隆さんはB型ということになるんですが
はっぴいえんど内で、大瀧さんが松本さんに「イヤミを言った」って話は聞いたことないですよね?(笑)

続いて…「日曜日のそれ」をお聴きになった方からの投稿…
鶴瓶師匠が「昭和の名曲」として、甲斐バンドの「翼あるもの」をお選びになっていた…とか
「ぬかるみの世界」のエピソードに触れられ
「甲斐はイイ男やから」「イイ男ですから」と話されていた…といった内容に

甲斐さんは「ちなみに…『ぬかるみの世界』のエピソードっていうのは
これは、初回の放送のゲストで僕が出て、大モメにして、机ケリ上げて
えー、生放送の途中で帰ったっていうエピソードですから
当然、そのあとに『甲斐はイイ男やから』『イイ男ですから』って言うしかありませんよねぇ…」とコメント(苦笑)

そして…「えー、基本的にですね、まず、ぬかるみ…『ぬかるみの世界』で
私は、初回のゲストだったんですけど、相手は構成作家・新野新…新野新、ね?
鶴瓶と、その新野新で、えー『(ラジオ番組を)始めるんや!甲斐』ってあって
鶴瓶から連絡来たんですよ…連絡あった
…で、じゃ…『じゃあ出るよ』って言って、で、出たんですけど

その新野新さんと僕が、途中に…途中でケンカ売られて、で、それを僕が買ったために
大立ち回りになって…生(放送)なのに、ハイ
これ、あのー、関西…関西ラジオかナンか(ラジオ大阪)だったと思うんですけど
…で、そこに、ディレクターでガンさんって人がいる…で、この人、結構悪だくみする人で…
えー、まあ、そのあと、すごい仲良くなったんだけど…

…で、初回なので、ナンか『面白くした方がいいんじゃないか?』っていうことを
新野さんと2人で話し合ったらしく『じゃあ、甲斐さんは、ナンか、まあ…えーと…カッカするんで
甲斐、怒らせたい、怒らせよう』っていうことに、どうもなったらしいんですよ
僕、それ、1年後くらいに聴いたんですけど…
…で、それに新野新が乗って…なったんだけど、思った以上に大騒ぎになった、ええ…

…で、それ…それで、話してる途中に、ナンか『美空ひばりがどーの』とか
ナンか、大御所(の名前)を時々、新野新が出すんですよ
…で、2~3回言わしたところで『うーん…うーん…』と思ったんで
『まっ、美空さんも素晴らしいですけど
まっ、僕らももう、あの…フリーで歌ってる、あの…アーティストなんで
もう美空さん…美空さんも、ある意味じゃライバルだと思って、僕らやってますからね』って言ったら
それに、新野新が、すごい食ってかかったんですよ

それで…『じゃ、もう判った!ハッキリ言うけど
だって、みんなフリーじゃん?1対1じゃん?
年月…もちろん、あの…アレよ?あの…尊敬してるよ?だけど…だけどね』っていう話からなって
それで延々、食ってかかって来たんで…えーと…ここにマイクが置いてあったんですけど
そのマイク、僕が引き剥がそうとしたんですよ、ガーッて動かして…

そしたら、昔、分厚~い、すごいナンか、テープみたいなのでガッチリ…
ナンか、糊かナンかで抑えられてて、それが、ベリベリ、ベリベリって言って、ガガガガって…
だからもう、ノイズの音しかないらしいんですよ
それを、ダウンタウンの浜田とか、あと、今、あの…白銀台の『甚六』って、お好み焼き屋があるんですけど、お好み焼き屋のマスターとかが聴いてて…

…で、あと、ガシャーン!って、俺、えっとー…机蹴って、椅子もガーン!とやったんですよ
だからもう、途中から音しかしないって怖いじゃない?
そのまんま、俺、ワーッて…『出てく!』って言って、途中で…

鶴瓶が『イヤ、甲斐も友達、新野さんも友達やねん!友達と友達がな…』って言って
『もう、そんなモメても困るんやー!もう、どっちも友達や!』って、諌めようとしたんですけど
『うるさい!』って、俺が言って、一言…(笑)…で、俺が出て行ったんですよ(笑)
…で、で、それを『甚六』のマスターとかが、高校(生)くらいの時に聴いてて…

…で、あそこが開店した3~4ヶ月くらいの時に、俺、あのー、客で行ったんですよ
したら(マスターが)もうすごいナンか緊張してて…
…で、俺、フツーに話すようになったの、3ヶ月くらい経ってたのね、行くようになって…(笑)
『ナンで?』って言ったら『甲斐さん、俺、あの時、聴いてたんですよ』って言って(笑)
『彼女と一緒に…』って言って…(笑)」と笑っていらしたんですが

奥さんも、この放送を聴いて、かなりハラハラした1人らしく(汗)
「今でも、甲斐さんのことを『ちょっと怖い』と感じるのは、この時の記憶も一因かも知れない」
…と、マスターの緊張ぶりに大きく頷いておりました(苦笑)

それはともかく…「でも、この『ぬかるみの世界』っていうのはもう…もう化物番組になっちゃって
あの…最初、1年間スポンサーなかったんですよ
だから、終わる時間が決まってなくて…深夜から始まるんだけど
終わる時間が決まってなくて、すごい自由な番組で…で、で、2年後に…えーと…
『新世界に集まれ!』って言ったら、鶴瓶が…1万人集まって、トンでもない番組なんですよ

…で、その一番最初のゲストが僕で、おまけに、まんまと術中にハマって、俺、大暴れした訳じゃないですか?
だから、スゴイのが、聴取率週間になると、そのたびにかかるんですよ、俺の(ゲスト回が)…
10年間かかったって、スゴくない?それで数字上げるって、ナンちゅう放送局やねん!って思って…

俺、いっつも…時々ガンさんに会って『ガンさん、いい加減にしたら…いい加減にしろよ!』って言ったら
『イヤー、もう評判イイんだよ』って言ってて(笑)
『もうあと何年間か、お願い!』って言われて『うるさいな!』って…(笑)
まあ、そういうのがありましたね、ハイ、ええ…」と説明なさったあと

「ということで…えー、さっき言った…えー、この曲を…のリハーサル…リハーサルっていうか
この曲のレコーディングの途中でモメ始めて、ポールが延々イヤミ言う…
イヤミたらたら言うっていう、その曲を…」と「アクロス・ザ・ユニバース」を流され

曲が明けると…「えー、ということで…甲斐バンドは
1974年11月4日に『バス通り』でデビューしたっていうことで
えー、まもなくデビュー50周年ということです
えー、そこで、えー『KAIBAND STORY BOX Lonely Heroines & Broken Heroes 』の発売が決定しました!

えー、発売日は、10月9日ですね、ハイ
えー、これ、あのー、えー『スターリング・サウンド』…
昔、ニューヨークにあったんですけど、ナッシュビルの、ね?今、移って…『スターリング・サウンド』
テッド・ジャンセン、ハイ、天才児、現れましたー!ビリー・ジョエル、ずっとやってた人ね
僕、1回、これ…ムチャクチャ上手いです!この人、テッド・ジャンセンがOKしました、マスター

…で、アナログカッティングは、また別な、ライアン・スミスって人が担当してるんですが
発売日は10月9日、2枚のアナログ…アナログLPと3枚のCD、そして写真集のセット
えー、3面LPサイズジャケットになっております!値段は税込19,800円
ユニバーサルミュージックストア、全国のCDショップで予約受付も始まっております!」と告知

更に…「あと、もう1コ…えー、ついに10月から、全国10公演のライブハウスツアー
『Circus & Circus 2024』を開催します!」とツアー日程を読み上げられたんですが
「静岡・ライブハウス浜松窓枠」の時だけ「行くんだ!?窓枠、行くんだ!?
ガラス屋さんがやってるアレね、ライブハウスね」と甲斐さん

やはり、45周年のライブハウスツアーの際、客席だけでなく、ステージも狭い…
甲斐さんによれば「端から端まで3歩で行ける(笑)」…という(笑)
これぞ「ザ・ライブハウス!」って感じの小屋が、かなり印象に残っておられるご様子?(笑)

ともあれ…「Zepp」系と仙台、神奈川の会場には
「前方VIPスタンディング」エリアが設けられているものの
9月7日の一般発売の前に、ファンクラブ先行受付がある旨に触れられてましたが
身長が低い我が家の住人は、何列分くらいのエリアが「VIP」扱いになるのか?気にしております(苦笑)
…というか、その前に、抽選で当たるのか?の方が問題だと思うんだけど…?(笑)

2件の大きな告知が終わり…「えー、ということで、ね?えー、ビートルズ…
『レット・イット・ビー』の特集…的にもなっちゃいましたね、ハイ
えー、最後のナンバー、送りましょう」と「ゲット・バック」を流され
インターバルを挟んで、メール募集の告知…

そして…「という訳で、今日はビートルズのね『レット・イット・ビー』…
えー、ええ…ナンて言うのかなあ…もう、喋りたいこと、いっぱいありますけどね、もっとね
えー、最後『ゲット・バック』キーボード、ビリー・プレストンなんで
ムチャムチャ上手いっすね、ええ…イイ演奏です、ハイ

ナンか、あのー、こういうシンプルな…もう、バンドが…で、上手いっていうのが…
そうですね、80年くらいまでは、やっぱいたんだけど
もう、やっぱり、どっかでこう…サンプリングと一緒にやる、みたいなことになっちゃったんで…
…で、変にカチッとし過ぎた、ね?ナンかあんまり面白くないなと、えー、思ったりしておりますが
こういうの聴くと、ナンかこう…心が洗われますね」
…という言葉で番組を締めくくっていらしたのが印象的でした

昔々には「甲斐バンド4人で写真を撮ると、みんなビートルズみたいになる(笑)」
…と苦笑なさっていたそうだけど、50周年という節目を迎えられて
当時のアナログならではのシンプルな音を、改めて噛みしめておられるのかなあと…?
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