ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(7/5)4

2024-07-26 15:13:00 | メディア
能古島に関する話題が終わり…「ハイ、ということで…
えー、実は、あのー、ドナルド・サザーランドっていう、ね?人がいるんですよ、ハイ
…で、そのドナルド・サザーランドが亡く…亡くなりました、ハイ
えー、キーファー・サザーランドのお父さん…
キーファー・サザーランド(の代表作)は、アレですね…『24』ハイ

…で、その…えー『M*A*S*H マッシュ』って映画があるんですけど
そのドナルド・サザーランドと、エリオット・グールド…の主役で
もう、ムチャクチャ良い、ムチャ良い映画です
僕、高1くらいの時、観たのかな?えー、えーと…監督はアレですよ、ロバート・アルトマン
ロバート・アルトマンの、ほぼデビュー作で…
そっから『ショート・カッツ』とかね、これが大当たりして
ロバート・アルトマンはもう、偉大な、ホントに偉大な監督に…

えー、で、エリオット・グールドはアレですね
『ロング・グッドバイ』って、素晴らしい私立探偵の映画がある…ありますよ、あの…名作ですけど…」
…と話されてましたが、それって、原作がレイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」で
「私立探偵」はフィリップ・マーロウのことですよね?(笑)

ともあれ…「そのドナルド・サザーランド…
僕はもう『光る眼(針の眼?)』っていうトコ…映画からホント好きで…
…で、この『M*A*S*H マッシュ』の中で、えー、米軍のお医者さん…
戦争中のお医者さん(軍医)の話なんで…えー、ベトナム戦争の…
その途中に、小倉まで行って、ゴルフするシーンがあるんですよ

超!超リアルでしょ?『わあ!イイなあ!』って、すごい(笑)
『そうかあ!もう、これじゃあ日本、負けるよな』みたいな…余裕あるもんね
『ホントにスゴイなあ』と思ったんですけど…
…って、ナンか、ゴルフをするために小倉に行ったように聞こえましたが(笑)
実際は、小倉での任務をさっさと終わらせて、ゴルに行ったってことなんですよね?(笑)

甲斐さんが高1でいらした頃は、まだ福岡ロケが珍しかったのかな?
奥さんは、映画「デスノート」の中で、夜神月が、自分を尾行しているFBIのエージェント自身に
列車の中で、デスノートに名前を書かせるシーンで
福岡の地下鉄空港線が登場してビックリしてたけど…(笑)
ちなみに…エージェントが降車した途端に倒れたのは「赤坂駅」だそうです(笑)

それはともかく…「で、その『M*A*S*H マッシュ』からのサントラを…
えー、もう、ドナルド・サザーランド…やっぱり…亡くなって知るんですよね
『ああ、好きだったんだなあ』と思って、ハイ
聴いて貰います『スーサイド・イズ・ペインレス』
『自殺するのに痛みはない』…ウソです!どうぞ…」

…と、邦題「もしも、あの世にゆけたら」を流され、曲明けには…
「えー『スーサイド・イズ・ペインレス』…ハイ
えー、医者の中の1人がですね、えー恋の病に罹り
『俺はもう、どうしても今日、もう苦しいから自殺する』って言って

『あっ、そっか、そっか、わかった』って言って、鎮静剤打って眠らして
そいつの周り、みんなでお焼香して行くっていう…そ…それだけなの
それだけの『ごっこ』のために、この曲、書いたっていう…(と、ペンでテーブルをコンコン叩く音)

これが流れるんですよ、もう…すごいイイね…全部ジョークですから、あの映画…
ホントにもう『ロバート・アルトマン、スゲーなあ!』って…
僕、高校の時、お金そんなないのに、3回くらい(観に)行ったもんね
『「M*A*S*H マッシュ」スッゲーなあ!』と思って、ハイ」…と語られてました(笑)

続いては、甲斐友さんの投稿…
「GW中に放送された、NHKの2時間番組『ヤマザキマリラジオ』に
私の本棚に全作品がある萩尾望都さんがゲスト出演されていた」…って
ヤマザキマリさんは「テルマエ・ロマエ」でお馴染みの漫画家の方で
この番組は、ヤマザキさんがお会いになりたい方をゲストに迎え、不定期に放送されているようです

で…「番組冒頭に、ゲストの好きな音楽に関して訊ねると
『私の好きな音楽は、甲斐よしひろさんの曲です!
甲斐バンド時代の曲をカラオケで歌います!』」…まで読まれて
「…と、えー、ね?萩尾先生が、ハイ」と甲斐さん

「番組後半にかけたゲストのリクエスト曲は…『1978年の甲斐バンドの「嵐の季節」
…コンサートに行くと、みんなが腕を振り上げて、一緒に歌うんです!』とご紹介されて
パーソナリティーのヤマザキさんが『最近も(ライブに)行って来たんですよね?』と言うと
『ハイ!』と元気なお答え」…の部分で、クスクス笑っておられましたが(笑)

奥さんは、当日の新聞のラテ欄に「ゲスト・萩尾望都さん」の文字を発見し
この放送を録音していたらしく(笑)ボクも後から聴かせて貰ったんだけど
ヤマザキさんは、萩尾さんから、よく甲斐さんの話をお聴きになっているみたいで
「好きな音楽」についての質問の際には
「私は、よく知ってるんですけど、ご自身の口からどうぞ!」と振られたり

「嵐の季節」が流れたあとに、萩尾さんが「この『♪コートの襟を立て♪』て
耐えてる感じが、すごくイイんです」と、おっしゃると
「やっぱりそうですよね」と、相づちを打っていらっしゃいました(笑)

それはさておき…「甲斐さんのライブで、時々お見かけする萩尾望都さんが
カラオケに行き、甲斐バンドの曲を熱唱する姿を想像しながら聴いた、素敵な番組でした」
…と読み終えられ「ハイ、ということで…」と甲斐さん

「これ、ビルボードライブ初日の2回目の、夜の部に来てくれたんですよね、萩尾さん
僕、この…で、萩尾さん、元々、あの…すごく冷静な人なんですけど
僕と野田秀樹の(話題の)時だけはですね、急に
ヒートアップするっていうですかね?えー、クセがあって…(笑)

野田秀樹と僕の話をする時、ものすごく急にコーフンするんすよ
萩尾さんって、ものすごい普段、冷静なんですよ
『ああ、そうですよねぇ』とかっていう感じ…でも『アレは、こうに違いありません!』っていう…
『それで、私は、野田さん(の舞台)は、もう3回行きました!』とか
そういう、ナンかヒートアップしますね、ええ…
それが面白いなと、いつも思うんですけど、ハイ」

…と評されてましたが、萩尾さんは、以前に高橋大輔選手(当時)についても熱く語っていらしたし
心が揺さぶられたり、感動なさったりすると
その高ぶりを話さずにはいられない方なのかなあと…?(笑)

奥さんは、元々は(現在)萩尾さんのマネージャーをなさっている城さんが、甲斐バンドをお好きで
萩尾さんは、城さんに勧められる形でファンになられたと知って以来
「萩尾さん」と聴くと、栗本薫さんの推理小説に、その状況とよく似た設定…って

こちらは「女流作家」と「秘書」らしいんだけど
「秘書」が大ファンになった、ある歌手のことを「先生」に話したことがきっかけで
「先生」の方が、熱心なファンになってしまい、その歌手をモデルにした作品を書く(笑)
…が登場することを思い出すんだとか…(笑)

それはさておき…
「ということで…『BEATNIK 2023 in 日比谷野音』から、もう1曲かけましょう!甲斐バンドで『Try』」…を流され
エンディングに入った途端に「ハイ、ということで…」とカットインされると

「そう言えば、さっき、あの…『M*A*S*H マッシュ』の話ねぇ
当然…アレですよ『ベトナム戦争』って言ってましたけど『朝鮮動乱』…ねぇ?
『朝鮮動乱』の時です、そうなんです…まあ、でも、博多にいると(米軍)基地、3つも4つもあって
ナンか、地…地つな…地繋がりというか…

『アレ?もう…えっ!?ベトナム戦争終わったっけ?』みたいな…
って言っても『朝鮮動乱』すごいことなんで…
あっ!朝鮮動乱のあとがベトナム戦争?どっちだっけね?
まっ、でも『M*A*S*H マッシュ』はそうですそうです!だから、小倉のゴルフ場に行くんですよね?
考えたら、ふざけたヤツですね、アイツら(笑)」…と訂正なさって

「ハイ、ということで、告知を…告知やりましょう」と甲斐さん
「えー、10月から全国10公演のライブハウスツアー『Circus & Circus 2024』を開催します」と
スケジュールや席種・料金などを読み上げられたあと近況報告?(笑)

「ナンか、あのー、今ね、ホントにスゴくて、僕…
去年やった…今…今日…今日かけてる、この野音(ライブ)の、えー、ミックスダウンやってる最中
更に、映像も同時に作ってんですよ…で、それをやりながら、ジャケットと…
えっと…中のブックレットとか、そういうのもやんなきゃいけないでしょ?
それと同時にですよ?BOXセットもやってんですよ

…で、BOXセットは、もうナッシュビルから音が送って来て、今、前半の…半分が全部OK…OK出た
…で、今度は後半の部分を、今、ナッシュビルでやってます
えー、テッド・ジャンセンって、これはもう、超天才マスタリングエンジ…エンジニアなんですけど
…っていう…で、しかも、えー、トンでもなくデカいブックレットも作んなきゃいけない訳ですよ

BOXセット、出来上がってんのは、ジャケットの表だけです!あと、全く出来上がってない(笑)
…で、ただし、僕の周りに『このモノクロ写真がありましたよー!』
『このカラーも、このポジもありましたよー!』
『今まで1回も使ったことないカラーポジ見つけましたー!』とかいうのが
俺の机の周りに、トンでもなく膨大にあるんですけど

もう、それ、見るだけで、もう…もう、全く…
『ちょっと今日、飲みに行こうかな』っていう(笑)気になる感じですね、ハイ(笑)
…と話されてましたが、そんなお疲れ気味な時に、最後にお選びになったのは…
「ということで、えー、最後、ね?えー、甲斐バンド『BEATNIK 2023 in 日比谷野音』
最後の曲です、かけましょう…甲斐バンド『無法者の愛』」…でした

インターバルを挟んで、メール募集の告知
そして…「こないだ…このJFN…プロデューサーのフクイくんと、こないだ飲みに行ったんですよ
ムチャムチャ変な人ですね…一件…えっとー、川越スカラ座のトップの舟橋っていう…
元々、飲むようになってたんで『あ、ちょっと紹介しよう』

僕ね『絶対この2人合うな』って人、絶対会わせるんですよ、変な趣味が…
…で、基本的に、僕ね、あのー、相手から
『イヤ、僕が…見初めたのは僕ですから…甲斐さん、見初めたのは』って言われる感じじゃなくて
『俺が見初めたんだよね』って、いつも言いたい人なんですよ

だから、僕、別に相手の愛情がどうとかいうんじゃない
『俺が…俺が君を見つけて、俺が君をすごい…もう好きなんだからね』っていうタイプなんで…
ちょっと…ちょっとややこしいですね、僕の性格ね
ナンかあのー、最近そういうのがなくなってたんで…ナンか、ちょっとずつ増えて来たんですね

まあ、今日も実は、このあと誘われてます
えー、まあ頑張って行って、テキトーにお茶を濁して帰って来ようとは思うんですけど、ハイ」
…と「ハンター」体質(笑)でいらっしゃると話されてましたが

奥さんは、かつて「サンスト」に、吉田拓郎さんがゲスト出演された際に
おひつじ座のお二人が「一目惚れ」について…「『この女、俺にピッタリ!』って思う」とか
「向こうは『ナンで私が、あなたにピッタリなのよ?』と思ってる(笑)」
…といった話をなさっていたのを思い出していたんだとか…(笑)
…って、ボクもおひつじ座なんですけど…(笑)
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甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(7/5)3

2024-07-24 14:15:00 | メディア
「茶碗蒸し大会」や「その筋のマネ」の話(笑)が終わると
「…ということで、えー、2曲目かけましょう」と甲斐さん
「これも『BEATNIK 2023 in 日比谷』ハイ
えー、フツー、ナンかかけよう…この手は、えー、ねぇ?かけないんですけど
ちょっと聴いたら『へぇー!』と思ったんですけど…甲斐バンド『きんぽうげ』」…を流され

…って、我が家には、そのイントロだけで「アガる」人間が約1名(笑)
もっとも、当日のリハーサルでも「結構、念入りに何度も演奏してた」そうだし
「ナンか、いつもと一味違う」ような感じを受けました(笑)
…にしても、奥さんといい、小芝風花さんといい
年端も行かない少女たちの心を鷲掴みにするこの曲…恐るべし!(笑)

曲が明けると…ビルボードツアー福岡公演の翌日
かつて甲斐さんが話されていた能古島に「フェリーに乗り継ぎ行って来ました」という方の投稿…
甲斐さんは「そう、フェリーで7~8分くらいですかね?
えー、すごい短いんですけど…えー、乗って行くんですけど…」と説明なさって投稿の続きへ…

「偶然立ち寄ったお店」の方に、投稿者の方が
「甲斐さんのファンで、昔、この島の話をされていたので、やって来ました」とおっしゃったら
そのお店の方が「甲斐さんは昔、この島の土地を所有されていて、私、今そこに住んでるんです」
…と明かされ、ビックリなさったそうです
甲斐さんは「そうです、ハイ、僕(土地を)持っておりました」と頷かれ

「元々、その土地は、その方のお父さんが所有されていたらしく
お互いの知り合いを通じて、甲斐さんに売却されたそうです
当時、そこの家族(の間)で…『東京に住んでて、ナンでこの島の土地が欲しいんだろうねぇ
まあ、東京の面白そうな人だし、島を気に入ってるみたいだから売ろうか』と話されていたそうです
(『お父さんがね、ハイ』と甲斐さん)

お父さんは、甲斐さんがミュージシャンと知らなかったようで
『東京の面白い人』と話されていたようです
『結局、甲斐さんは、家を建てる前に土地を手離されたんですが、あまりに良い場所なんで
父は他に売らず、私が結婚した時、そこに家を建てました…(『おおー!そうなんだ!?」』)
そして、今もそこで暮らしております』と話して下さいました

甲斐さんが気に入られたのは、能古島の景色や場所だけでなく
島の方の人柄のあたたかさもあるんだろうなと感じました」…といった内容に
「そうなんですよ、良いトコです」と甲斐さん
「僕が持ってました…で、僕が持ってた場所はですね、作家の壇一雄が持っ…
実際、住んでたウチ…ウチがあるんですけど、その家の隣の土地なんですよ

…で、その、そこの2軒分の土地だけがですね
えー、海の向こう…えー、正面に博多の街が見えるっていう…もう、すごい絶好の…良い場所で
その…高台にあるんですよ、そこしか…そこしか、あの…見えない…
…で、100コくらい焼けるっていうですね、器を焼ける、デッカい窯も付いてたんですけど…
えー、まあ結局、僕がもう住まなかったんで
その…だんだんね、そこも壊れて行ったりしてるんですけど…

だから、壇一雄は、夜な夜な、そこから船で飲みに行って…で、中洲に飲みに行って
帰りは、水上タクシーっていうのがあるんですよ
船はね、確かね、9時くらいで終わるんじゃないかな?8時半とか…
…で、水上タクシーはね、ナンか、10時過ぎまであるんですよ
だから、水上タクシーで、いつも帰って来てたらしいんですよ

…で、僕も、そういう生活したいなあ…したかった…すごい『したいなあ』と思ってたんで…
まあだから、こう…ナンすかね、買ってたんですね
それで…で、結局、何十年も遊ばせてたんで、結局、売ったんですけど…」と話されてましたが

奥さんによれば、大瀧詠一さんが、ご自身のアルバム制作やライブ活動から離れられ
クレイジーキャッツの復刻盤か何かのお仕事だけしかなさらなかった年に
「俺も早くそういう生活がしたい!(笑)」とおっしゃったらしく
ちょっとのんびりなさりたい時期でいらしたのかなあと…?

それはともかく…「セイヤング」に、阿川佐和子さんがゲストで来られた際にも
阿川さんのお友達でいらっしゃる檀ふみさんのお名前が出たことから
「僕、昔、あの…博多から船で5分の所で、能古島ってあったんですよ
その能古島に檀一雄さんの所有の家があって、その隣の土地が、僕の土地なの

僕、その隣の土地を買ってたんですよ、えっと…28…あっ!30くらいの時…
そいで、その…焼き物の窯付きだったんですよ…あっ、その僕の土地…
(『何にしようとしたんですか?その土地は?』と阿川さん)
イヤ、何に…ナンかね、能古島、好きだったんですよ、昔から…

きれ~な島ですよ!もう、5分で行くから…だから、まあ、ナンての?こう…
あのー、船が出ないとかっていうのは、内海はないんですよ
(『台風とかも、あんまり来ない?』)…そう!そう!全然…来てもあんまり…

で、あのー、檀一雄さんは、中洲で飲むじゃないですか?
だから、深夜はもう…ちょっと船ないじゃないですか?だから、水上タクシーがあるんですよ
で、11時くらいまでかな?…あって、それでいつも帰ってる…うん
だから、そういうの全部、知ってたのね、もう(檀一雄さんの)本読んでたから…

それ、偶然に、その隣が…『このウチ、誰のウチなんですか?』って、買ったあとに…
(『買ったあとに気がついたの?』)…そうそう!そうそう!
(『フツー、売る前に「隣はね…」っていう話が…?』)
イヤ、もう、フツーの日本家屋なんですよ、フツーの…ナンか…だから、あんまり気にしてなかった…

(『しばらく…お父様が亡くなられてから、あの…
ご長男の檀太郎さんが、お住まいだったんじゃないですか?』)…そうそう!そうなんですよ
実は、あの…檀太郎さんと…えーと…『万十屋』って言って…えー、料理屋…料理屋があるんですよ
で、そこを…そこのウチを、あのー、建てる時に、あの…檀さんが噛んでて、全部…
というのがあって、そこに行くと、いつも会うんですよ」と話されてましたよね?

そうそう!「セイヤング」と言えば…
甲斐さんが「歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M」に出演なさる際に
その放送回のテーマが「野外で聴きたい曲」ということで

松藤さんに「僕、もうすぐ、そういうインタビュー受けなきゃいけないんですけど…
『昔、感激した野外ライブは何ですか?』って、質問があって…
俺、初めて思い出したのよ」と確認なさる一幕が…

「福岡に能古島って、あるでしょ?能古島に『オールナイト・ロック・フェス』ってのがあって
で、それを『照和』で、やっ…『照和』で(ステージを)やったあとに
掃除して、みんなで…6~7人で観に行って…

確か、あの…能古島は船で7~8分かかるんで…フツーは、もう絶対(船が)ない時間なのに
あの…そういうロックンロール・フェスなんで、ね?オールナイトの…
『12時まで(船が)ありますよー!』って言って
ワーッと頑張って行って(島に)渡って…って、そういう時、松藤いた?」とお訊ねになり

松藤さんの「僕はいなかった、一郎はいたでしょ?」というお答えに
「一郎いた!一郎はいたのよ!で、ナンかさ、テントのシートかナンか、誰かが持って来てて
そこで、何となくボーッと観ながら、いつの間にか寝ちゃって

で、夜明けの一発目に『あー、あー、あー』って言って、小坂忠とフォー・ジョー・ハーフ
『デン!タッタッ!』って始まったんですよ
ウワーッ!と観て…まあ、それを観に来てた訳だから…それと、はっぴいえんど…そのあとに出て来る
ウワッとなったら、朝日を背景にライブが始まるって、それは夢じゃないですよね?

あっ!そっか!松藤はいないんだね、あの頃、ちょっと仲悪かったもんね、俺たちね(笑)」
…と、甲斐さんの自己完結なさった挙げ句の、この言われ様に
「イヤイヤ、それは、知り合う前じゃん!(笑)」と
苦笑いの松藤さんのお顔が目に浮かぶようでした(笑)

ともあれ…「僕…ここの親父さん、僕、会ってますよ、ちゃんと1回、ハイ…ものすごい良い人で…
…で、この人、あの…能古島の、ナンか、デッカい…ナンかこう…花とかいっぱい植えてあったり
こう…ナンてか?デッカい遊園地みたいなのがあるんですよ。そこの経営してる方です
…で、そこの人がもう『いいよ』っていう感じで、ねぇ?もう…

もったいなかったですねぇ…結局…結局(笑)その…その人に、僕はただ売り渡しただけで
つまり、僕は、その…その間、固定資産税、俺が代わりに払ってたようなもんですよね(笑)
今、気がついたら、そうじゃん、ハイ…まあいいか、ハイ」と
おそらく?この話をお聴きになった方が全員
そう思っていらしたであろうことに、気がつかれたってことにクスクス(笑)

余談ですが…投稿者の方が、メールの冒頭に…
「昔々、甲斐さんがラジオで『福岡に能古島という良い島があるんだ』と話されていた」
…と記されてましたけど、奥さんもそのことをナンとなく記憶していたらしく
旅ロケ番組などで能古島が映ると、画面に釘付けになっておりました(笑)

特に、さんまさんの関西ローカル番組で、能古島へ行くというスペシャル企画があった時には
番組の内容は、全くと言っていいほど覚えてなかったのに
「花とかいっぱい植えてあった」場所とか、普段なら気にも止めない風景ばかり
やたら、目に焼き付けていたような気が…?(笑)
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甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(7/5)2

2024-07-21 15:20:00 | メディア
「ファンミーティング」に関するオープニングトークが終わり
「まずは1曲目!ということなんですが…」と甲斐さん
「えー、ちょうど1年前、ねぇ?えー、去年7月1日に、えー、やった野音のライブ…
えー『BEATNIK 2023 in 日比谷野音…大(音)楽堂』の、これ…
えー、DVDのリリースが決定したんですよね

えー、DVDプラスCD2枚組…付くんですが
まずは、あの…7月31日からファンクラブ限定で、まあ、先行っていう感じでやって
えー、リリースは…そうですね、9月ぅ…くらいですかね?
えー、で、一般発売は、あの…10月26日から始まるライブハウスツアーに合わせて…
えー『Circus & Circus 2024』…それに合わせてリリースする…されるということなんで

今日は、その特集と言いますか、ハイ、えー、多めにかけたいなと思ってます
まずは1曲目!これねぇ、これ、やりたかったんすよ、これ…
ホント、僕、この曲、好きなんですけど、えー、非常に難しいナンバーで…
えー、まあ、バックはバッチリですね…甲斐バンド…えー『Try』」…を流され
奥さんは「ずーっとライブで聴きたかったんすよ♪」とキャイキャイ(笑)

曲が明けると…秋からの甲斐バンドのライブハウスツアーの日程が発表された時に
同じくデビュー50周年を迎えられた伊藤咲子さんが
11月30日にコンサートをなさるとお知りになって
伊藤さんが、今年からお始めになった「X」に
「(12月1日の)甲斐バンド(東京公演)と2日続けて行けたらいいな」とリプライされたところ
伊藤さんから「甲斐バンドさんとはレコード会社も同じTOSHIBA EMIでした」とお返事があり
2日連続のライブを楽しみになさっている方からの投稿へ…

「まず、大前提として(笑)どちらも50周年として…それはいいんですけど
『ナゼに伊藤咲子!?』ってことですよね?『ナゼに「ひまわり娘」か!?』と…ってことなんですけど
まあ、ジャンルも、歌の種類も、全然違う訳ですからね
まあ、いつもTOSHIBA(EMI)のヒット賞とかで…
えー、パーティーが毎年1回あるんですけどね、それは、会ってましたけど、そこで…
まあ、彼女はアレですよね?ナンか、城みちるとかリリーズとかと、確か、同じデビュー…
同じデビューだったと思います、ハイ

だからもう『イルカに乗っ』てたりとか『キャプテン』好きだったりとか
えー、娘が『ひまわり』だったりとか…いうようなことですね(笑)歌謡曲、大変ですよね」
…と、笑っていらっしゃいましたが、以前にこのブログでご紹介したことがある
奥さんが参加した関西のラジオ局での公開収録は、伊藤咲子さんの番組のスペシャル版?として

当時、人気絶頂の「狩人」のお二人を始め、歌謡曲界の歌手の皆さんが
それぞれ3曲ずつくらいのステージを披露なさる
ジョイントコンサートのような形の収録だったらしく、甲斐バンドだけが「異色」な感じというか
「歌謡曲全盛」の時代とあって「テレビに出ていない」芸能人は、有名人ではなく(苦笑)
「えっ!?誰?」みたいな空気が漂ったことは否めなかったんだとか…(汗)

奥さんの記憶によれば…「テレフォン・ノイローゼ」と「氷のくちびる」を演奏されたのは確かで
「あと1~2曲あったはず」…だそうだけど(苦笑)
印象に残っているのは、アウェイ感が満載過ぎて
「♪テレフォン・ノイローゼ A-HA♪」と、大きな声では歌いにくかったことと
当時の最新シングルだった「氷のくちびる」は
ラジオ番組の収録なのに、ちゃんとライブと同じような照明が使われていたこと

思わず立ち上がって手拍子する奥さん達をビックリした目でご覧になっていた、他の観客の皆さんが
最後に、伊藤さんがステージに登場なさって、歌い始められた途端に、ステージ目がけて殺到し
かぶり付きで伊藤さんを見つめていらしたこと…みたいです(笑)
…って、奥さん達が立ち上がったから「あっ、いいんだ!?」と思われた方もいらしたんじゃ…?(笑)

ともあれ…「もう…えっ?『イルカに乗った少年』なんて、いる訳ないじゃんね?(笑)
ムチャムチャやもんね、もう…」と甲斐さん(笑)
…って、しかも「♪キミに会うため(イルカに乗って)やって来る♪」んですから…(笑)
当時、その「キミ」は、伊藤さんだという噂があったような気が…?(笑)

「『ひまわり娘』は、まあ、ちょっと、ゆ…許すとして
『♪好きよ好きよキャプテン♪』って、そう言われたってねぇ…
だって、キャプテンってさ、1学年に(笑)…えっ?部活が10…10コあったら、10人くらいしかいない訳でしょ?ナニ言ってんだ!?(笑)
歌ってましたね、ナンか『スゴイなあ!』って…

ナンか、双子って、あれだけ似てると、やっぱり感激しますよ
僕、一面…ちゃんとこう…握手とか、こう…『握手して下さい』って言われて
『あ、どーもどーも』って、したことありますけど、えー、まっ『マジ似てんな』と思って…
…で、ナンかでも、スゴイのは、ジロジロ見ちゃいけない気にさせられるんだよね

ナンか、別にいい…いい訳じゃないですか?
向こうはもう…もう生まれた時からずっと、ジロジロ見ら…見られてると思うんだけど
『あ、でも、ジロジロ見ちゃいけない、失礼かも知んないなあ』みたいな…
変な、ナンかこう…ナンて言うんですかね?よく覚えてますけど、ハイ」
…と「♪双子のリリーズ♪(笑)」に触れておられましたが(笑)
その「好きよ、キャプテン」の時の衣装は、テニス部をイメージさせる衣装だった記憶が…?(笑)

奥さんも小学生時代から、何組かの双子の皆さんと知り合って来たそうだけど
一卵性の方々でも、しばらくすると見分けがついていたのが
今の職場に、中途採用で入って来られた方は
「お姉さん」が取引先に勤めていらして、先に「お姉さん」とお仕事をさせて頂いていたため
双子の「妹さん」とは知らず「お姉さん」が奥さんの会社に転職なさったんだと信じたくらい
見た目はもちろん、声も話し方も、ちょっとした仕草までそっくりで、いまだに見分けがつかず
お二人が向かい合って話されていると、間に見えない鏡があるんじゃないか?と思うらしい(笑)

続いては…自宅療養のため、45年間お勤めになったお仕事を辞められたので
「時間を持て余し」お料理をお始めになった方からの投稿…
「今まで手抜きで過ごして来たので、改めてレシピを読み、調味料を計測し、時間をかけ
ちゃんと作ったことのないものや、初めて作るものなど」に挑戦され

初・茶碗蒸しや、名古屋で召し上がった紅しょうがの天ぷらなどをお作りになると
ご家族に好評で、お孫さん達が「美味しい」と食べて下さることが至福の喜びだと投稿者の方
「リハビリを兼ねてスーパーに行き、食材の細かな値段なども今さら知りました」と結ばれているのへ
「今さら知ったんかい!」と甲斐さん(笑)

「えー、ねぇ、えー、まあでも、何か夢中になる趣味をね、持つっていう…
もう、これはアレですよ、もうね、もう趣味の領域ですよ、これ…ここまで、えー、踏み込んで…
えー、とにかくこう…楽しく…楽しくね、えー、やれるのは、ハイ
あの…始めるのに、遅いものなんかないんで、えー、ハイ」…と返されたあと

「そういえば、あの…ウチは、あの…商売をやってたんで…
あの(笑)夕食は結構、子供たちで、もう…作る…
イヤ、ムチャックチャ、ウチの兄貴なんか超ウマいんですけど…
『こいつ、ムチャ、ウマいな』と思って…
もう、そいつは、小学校高学年くらいから作ってたんじゃないかな?」
…って、その「こいつ」は、暴れん坊の「タケシ兄ちゃん」のことでしょうか?(笑)
先のビルボードツアー福岡公演では、長岡さんとご一緒にご覧になっていたそうです

この「ウチは商売をやってたんで、夕食は子供たちで作る」というエピソードですが
お店で働いておられるお母さんと長男さんに「温かいものを食べさせてあげたい」という思いが
特に強くていらしたのが、この「タケシ兄ちゃん」みたいで
甲斐さんが「タッパに詰めて運べばいい」と提案なさったら
「お前はホントに思いやりがないねえ」と却下され(苦笑)
炊飯器の中に、ご飯が潰れないよう中蓋をして、その上に「おかず」を乗せて運べと指示なさったそうです

甲斐さんによれば…「タケシ兄ちゃん」は、その頃から、すでに「いつでも母親のそばにいて
どんな時でもすぐに駆けつけられる距離で生きていたい」…と口になさっていたみたいで
その後、本当に、お母さんの家から半径1キロ以内に住み続けていらしたんだとか…

それはともかく…「僕も、中学の途中くらいから…
兄貴たちが部活があるんで『お前、やれ!』って言われて
俺、最初に、ヒラメの生姜煮…しょうゆに鍋、ポンと落として、生姜切って
そこにヒラメをこう…バーッと煮付け…そんなところから教えて…
アレ、考えたら、ナンで煮付けから教えられたんだろ?…もう、そういうの作ってたんですけど…」

…と話されてましたが、確か、その「夕食当番」を務め始められた頃
学校の隣の席の女の子に「今夜、何が食べたい?」とお訊ねになって
献立を決めていらしたんじゃなかったっけ?(笑)
もっとも、今の甲斐さんが、そんな風にお訊きになったら
「食事のお誘い?」と勘違いされそうだけど…(笑)

更に…「ある日ですね、あの…兄貴たちが、茶碗蒸しを作ったら、ムチャクチャ旨かったんですよ
『ムチャ旨いじゃん!』ってなって…
…で、ウチの町内って、男たちばっかりが14~5人いる町内だったんですよ
…で、いっつも遊んでたのね、すぐ男たちだけで、もう徒党を組んで…
…で、で、ウチは、ものすごいウチが…あの…家が広くてですね…まあ借家ですよ?
ですけど、ものすごく広かったんです
だから、ウチの家にみんな遊びに来るんですけど

その時に(笑)兄貴たちが『ちょっとさ、茶碗蒸し大会やろう!』ってことになったんですよ
…で、どれだけデカい器で茶碗蒸し作れるか?っていう大会になったんですね
ウチ、すぐ『大会』になるんですけど、そういうの…
…で、茶碗蒸しを普通の、まず丼から作ってみた
…で、だんだん、だんだん大きくなって行って…
もう…もう、みんな待ってるんですよ、あのー、出来たらすぐ食べる、みたいな…

…で、それを3つずつくらい作って行って
一番最後に…サラダボールくらいの大きさの丼があったんですよ、ウチに…
作ったら、出来たんですよ、一応…『わあ!出来た!』って言って
『じゃあ、ちょっと、みんな食べよう!』って、みんなで…十何人、スプーン持って
一斉に『せーの!』で、ウワーッと食べた
そしたら、ムチャクチャ味が薄くて『サイテーな味やな、これ』って言って…(笑)」

…と懐かしむように話されてましたが、奥さんは「ホントは『せーの!』じゃなくて
『さんのーがーハイ!』って言ってたんだろうね(笑)」とクスクス(笑)
話の内容とは違うトコに食いついておりました(笑)

ともあれ…「もう、ナンでも作ればいいってもんじゃないんだっていうことが…
まあでも、アレ、果敢にあそこにチャレンジする感じっていうのが
僕は、それ、ないんだよなあ、ナンか…兄貴たちみたいな、そういう…こう…
余興で、ナンでも『ナントカ大会』に持って行くっていう…やってましたね」
…って、ちょっと意外な感じ?…というか「ナントカ大会に持って行く」というのは
自然派生的な物事を拡大したり、転がしたり…っていうのとは、ちょっと違う感覚なんでしょうか?

「あと、あのー、雨戸閉めて、みんなで…小学校中学生だけの花札大会とか…(笑)
白い布、ちゃんと張って…で、みんな、あのー、アレよ『着物で来いよ』って言って…
だから、作務衣とか、ナンか、浴衣みたいな…『ちゃんと来いよ』って言って…
もう…完全にもう、その筋のマネですよね
…で、みんな、雨戸閉めて、やってました、ハイ…バカじゃないかと…ホントに…(笑)」
…と、その話しぶりとは裏腹に、きっと楽しい毎日でいらしたんじゃないかと…?(笑)
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甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(7/5)1

2024-07-18 15:05:00 | メディア
今月のオープニングトークは「ファンミーティング」記事のおさらいのような?内容でした(笑)
…というのも「えー、収録している…今、今日はですね、6月26日なんですよ
…で、ファンミーティングっていうのやるんですけど、それが6月30日、ね?まだやる前なんですよ

だけど、放送は、ねぇ?7月の上旬から…やる
皆さんが、番組を聴く時には、終…終わってるっていうことなんですけど
えー、喋ってる俺は、まだ…えー『始まってないぞ!』っていうことなんですけど…
…という風に、収録番組ゆえの、時系列的な「ねじれ」が発生していたためでした(苦笑)

「えー、そのファンミーティングやるトコは『EX THATER』っていうトコで
僕、実は、2週間か10日くらい前まで、えー、それがどのくらいのキャパで
しかも、ひょっとすると、場所さえ、俺、うろ覚えで…
決めた時は、僕は、それ、ミーティングしてるんで『ああ、いいよ』って言ってるんですよ
それ、もう…ナンか、10年くらい前の話なんで『どこだっけ?』って訊いて(笑)こないだ…

…で『キャパは?』って訊いたら『イヤ、キャパはもう950くらいです
イヤ、みんなスタンディングで(ライブを)やるトコ…トコなんで
1800(人)…1500とか1800でやるトコなんで…』
『ええーっ!?』みたいな話になって行ったの10日前です(笑)」
…って、おそらく?ビルボードツアーが終了したあと
しばらくは、お気持ちが、ファンミーティングに向かわれていなかったご様子…?(笑)

「だけど、その(ファンミーティングで)やることに関してはね
例えば、その機関紙を全部、目を通しながら
『ああ、ここ面白いな』『これ、イイね』って言いながら…
プロジェクターで、スクリーンに写真を…その時の
えー、機関紙の写真を映しながら…って説明する

…で、ゲストが、えー、まっ、えー『Rockin'On』のトップになったんですよね?アイツ…
海津(亮)くん、それから、えー、松藤と俺…松藤英男と俺と…えー、っていう感じで
司会者がちゃんといて…ってことなんですけど
えー、それもうアレです、えー、エディターです、物書きですね、ええ、ええ…で、4人でやります

そうですね、その記事…機関紙を読み始めたのが、3ヶ月くらい前で…
俺、そういうトコ、意外と几帳面で、そこはやるんです
でも、一番肝心は逆だよね?会場がどこで、客…キャパがどれくらいか?っていうの
先に判っとかないと、ホントはいけないんですけど、スイマセン…

えー(笑)それで、一番最初…だから、たぶんまあ、これ…まあ、この…えー『BEAT VISION』っていう
機関紙の1号の表紙がバン!と出る訳じゃないですか?えー『こんな感じだよね』と…それ…

そのあとに映るのが…僕、ドジャースの野茂(英雄投手)を観に行ってるんですよ
…で、それは…この番組でも時々、それは言ってますね
あのー、わざわざ、このためにレコーディング…用事作って…
えー、で、『A&M』で(レコーディングを)やってたんですよ、スタジオで…
だから、その帽子、ちゃんと被ってます『A&M』の帽子…

それで、えっとー…野茂が、ポストシーズンで優勝した、サンディエゴ・パドレス(戦)
サンディエゴの(パドレスの)本拠地まで…だから、ロスから2時間半くらい車でかかる…
だから、俺、わざわざ行ったんだよ…で、パドレスの本拠地で…
えー『トップガン』の基地があるトコです、ね?

…で、そこで、野茂が投げて優勝したんですよ!それ、全然忘れてる
野茂を観に行って…行ったトコは覚えてるんですけど、3回くらい行ったの
…で、3~4回行ったの、えー、ね?ポストシーズン…地区優勝、観てんじゃん!
…ということで、そういうところから(ファンミーティングは)始まるんですよ

…で、あともう…まあ、まあ…ナンと!機関紙の『BEAT VISION』が始まる最初の方に
僕、山田太一さんから、手紙もらってるんですよ
それは、もう『原稿に書いていいですよ』って
まっ、個人的な手紙は持ってる…その数年前に、僕、もらったんですけど

その、ある種…『BEAT VISION』に対…まあ、対する原稿みたいなこと…形で戴いてて…
『えっ!?山田!?山田さんからもらってんの!?』
僕、ホントに好きな…もう大好きな、山田太一って…
そのあとに、中島らもからも、俺、もらってるんですよ
『いいよ、この手紙(記事に)書いて』って言って…そういうのを、ねぇ?せっかくなんで紹介して…

まあ、たぶん、山田さんの…あのー、記事と原稿は、僕が読むことになると思うんです
そういうの、写真を見ながら、やって行こうっていう感じになってます、ええ…
予定ですよ?ええ…まあ、ひょっとしたら、僕が途中で怒って帰るかも?帰らない帰らない(笑)」

…と話されてましたが、実際には、司会の兼田達矢さんがお読みになっていたそうですし
中島らもさんの原稿に関しては「書くことがない時の中島らもの文章ですね(笑)」とコメントされ
奥さんが「じゃあ、ナンで選んだの?(笑)」と、心の中でツッコんだみたいだけど(笑)
甲斐さんの中では、どちらも大切なお手紙なので
感情を込め過ぎないように配慮されたのかなあと…?

ともあれ…「それで、抽選(会)みたい(な企画)…
僕、これがね、スゴイのがいっぱい見つかってるんですよ!
あのー『翼あるもの』っていう、僕の一番最初のソロアルバムで…それ、カバー、全部やってる…
そのジャケットの…アナログ盤のね、大きさのジャケットのジグソーパズルとかあるんですよ
ジグソーパズルですよ?それ、1コしかないんですよ

だから、それ、たぶん(レコード会社が)ポリドールだったんで…あの…そのアルバムだけは…
だから、えっとー、レコード会社が、たぶんプロモーションのために…
まあ、配るために作ってるんですよね、きっと…
そんなムダなこと…『スゴイなあ!』と思って…そんな金…使えよ!他に…とかね」

…と説明なさってましたが、奥さんが持っている、そのジグソーパズルの箱や同封の用紙を見ると
おそらく?「野村トーイ」と各レコード会社のコラボ商品じゃないかと…?
LPレコードをかたどった箱にかかっている「帯」には
「NEW ALBUM」として、高中正義さんや井上陽水さん、そして佐野元春さんの
アルバムジャケット画のジグソーパズルが「¥2,000」也で表示されてますし…?(笑)

それはともかく…「あと、あの『ロンドン・コーリング』の…クラッシュ(の)…
『ロンドン・コーリング』のジャケット撮った女性カメラマンがいるんですよ、イギリス人の…
…で、その彼女が(日本に)来るって言うんで、オファーをして
『甲斐バンドだけ、あの…撮るんだったら、このお金払いますよ』と…

…で、その彼女の(撮った)全部の(甲斐バンドの)写真を使った、(アルバムジャケットの)両面もう…
えー『甲斐バンドセレクション』って、PJコピー盤とか…っていうのもあるんですよ
…で、それも僕、サインして…えー、いう感じとか
『私はタフな女』って言って、あのー、研ナオコさんが主演で、僕の歌を歌った…
まあ、あの…スイマセン、全然…全然売れなかったんで…全部僕のせい…

えー、で、そのドラマのサウンドトラック…つまり劇伴、ね?劇伴音楽…
それを後藤次利くんと僕が共同作業してると…完全に忘れてます(笑)
ちゃんと…ちゃんとアナログ盤が出てるんですよ?レコード会社通じて出てる
ナンか、えっとー、だから(ドラマを制作したのが)日本テレビだと思うんで、日本テレビ…
日テレ出版の関係のレコード会社だったんですよ

そういうのもあるんですよ、サインして…で、たぶん十…12~3名…まあ(抽選箱から)引いて、僕が…」
…と「レアグッズ」について話されてましたが
その選ばれし13名(実際は14名)の中に、甲斐友さんが2人入ってることもスゴイし(笑)
そのゲットしたレアグッズが、今この番組で例に挙げられた3点の内の2点だというのも
甲斐さんの中で印象に残っておられるのかな?と思うし
何より、その2点が我が家にあることが感慨深いです(笑)

それはさておき…「…で、僕、そのあともう、あの…ライブやんなきゃいけない、ね?
4曲ほどやるんで、引っ込むんですけどね
どのくらい保ちますかね?ってことですよね?
90…最低90分はやらないとダメですよね?きっと…
だから、90分から2時間の間、どうやって、こう…皆さんをシラケさせないようにするかっていう…

ナンで、こんなことしようとしたんでしょうかねぇ?
ナンかねぇ、ビルボードのライブの…ナンか、ツアー決定とかで
『よし!こっちはリハーサル…ここ、やんなきゃダメだね』とか言ってる
ザワザワしてる中でナンか持ち込まれたんですよ

…で、もう、すごい…すごい大変な時だったんで
『ああ、わかったわかった、うん、うん』って、たぶん言っちゃったの(笑)
まあでも、これは、最初で…たぶん最後になるはずなんで…もうやらないでしょう?
次、ファンミーティングやるんだったらもう、あと武道館とか両国国技館しかないですよね?
『うん!』って言うな!『うん!』って…(笑)マネージャー『うん!』って言ってます(笑)」

…と、まだ、ファンミーティング開催前とは思えないご発言(笑)…っていうか
もうすでに、後悔なさっている雰囲気でしたが(笑)
甲斐バンド時代には「『ファンの集い』みたいなことをやりたくない」との理由で
公式ファンクラブをお作りにならなかった方が、ファンクラブを作られ
「最初」ではなく(笑)ファンミーティングを開催なさったことに歳月を感じさせられますねぇ…(笑)

余談ですが…甲斐さんが最も後悔されたのは
おそらく?「写真・動画撮影OK」の件かと思われますけど(笑)
奥さんの職場の郷ひろみさんファンの方は、郷さんのデビュー50周年記念50ヵ所ツアーの際
郷さんは、50会場それぞれで、1曲だけセトリを変更され
その1曲の時は、動画撮影可になさっていたらしく

全公演に参加された方は、おそらくいらっしゃらないでしょうし
仮に、いらしたとしても、すべての会場で、視界良好で撮影が出来るお席になるとは限らない訳で
当然、ご自身の行かれた会場で撮影なさった動画と、行けなかった会場
あるいは「聴きたかった曲」を歌われた会場で撮影された動画の交換が頻繁に行われていたそうで
ファンの方同士のネットワークの強さを「実感した!」とおっしゃっていたんだとか…(笑)
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Happy Go Lucky!(6/27)より抜粋その2

2024-06-30 16:05:00 | メディア
さて…奥さんの大好物(笑)「オリジナル甲斐バンド」による
46年前の大村市民会館ライブの「お宝」音源が流されたあと…

番組アシスタントの橘さんが「是非、ナンか、この46年前の大村公演に来てた方の…
ナンか、もし、このラジオ聴いてる方がいらっしゃったらですね、コメント頂きたいですよね
『このライブに行ってました!』…ナンか是非、もし行ってた方、リクエストをお待ちしております!

でも、スゴイですよねぇ…この、すごいヨレヨレだったテープが
こんなに立派に聴けるようになるっていう…最新の技術ですね」…と、おっしゃると
「恥ずかし!(笑)」と笑って聴いていらした長岡さんは
「うん、そう…(テープが劣化したのは)カセットデッキが良くなかったかも知んないね」と返され

「ああ、なるほど…でも、よく…逆に、ここまでキレイに残してましたよね」との言葉に
「うん、これはね、音響卓からそのまま録ってあるので、良い音なんですよね
あの…ただ、客席の声は聞こえない…(『ああ、なるほど…』と橘さん)
楽器(の音)がそのまま…直接入ってるので、マイクは会場に立ててないから…」と説明なさって

「ただ、この『ポップコーンをほおばって』って曲はね、演奏するのがすごい苦手で…(『ほお!』)
コードがね、Aマイナー→G→F→Eって、こう…下がって行くんですよ、循環コードでね
井上陽水さんの『傘がない』なんかもそうなんですけどね
ナンかね、その繰り返しなので、単調になりやすいんですよ

だけど、変化をつけて行かなくちゃイカン、つまらなくなるので…
リズムとグルーヴ感がキープ出来ていて、メロディの情感を支えるフレーズを考えなくちゃならない
…で、何回もそれ、回って来るので飽きるんですよね…(『あっ、演奏してて?』)
イヤイヤ、聴く方が…(『あっ、聴く方が…(笑)』)
だから、シンコペーションによる変化とかつけて
仕掛けが入ってんですよね、色々ね…(『ほお!』)…細かい仕掛けが、ちょこちょこと…

レコーディングではね、覚えてんですよ、3日間かかって、1小節も録音できずに、ナンか悔しくて
銀座にあるレコード(会社)のスタジオのトイレで泣いた記憶があります
(『長岡さんも泣くことがあったんですね』…って
まるで、長岡さんには血も涙もない(失礼!)みたいな、おっしゃりようですけど…(苦笑))

「イヤね、3日間で1小節も録れない…さすがにディレクターから怒られましたよね
『ナニやってんだ!』つって…(『へぇー!』)…一番苦労した曲ですね
(『すご~い!ナンか貴重なエピソードを…』)」と明かされてましたが

甲斐さんはストーンズやCCR、ジャング・ラインハルトの影響で
ギターリフの繰り返し作用で、高揚していく音楽がお好きみたいで(笑)
「女と男のいる舗道」のサントラ盤についても
「同じフレーズの繰り返しが気分をハイにさせる」とおっしゃってましたよね?(笑)

ただ…「ポップコーンをほおばって」の原曲は、7分を越す大作なので
シングル化にあたっては「ムダのない時間内で完全燃焼させたい」というお考えから
「詞を少し書き直し、少し不満ながらも省くことにした」ことで
「3分ちょっと」にまとめ上げられたにも関わらず
シングルのA面は「かりそめのスウィング」に変更になったんだとか…(笑)

その「ポップコーンをほおばって」のレコーディングに関しては…
「アレンジは困難を極め、いくつかの事件の後に、ようやくレコーディングに入ったものの
僕らの演奏技術に問題があり、かなりの大幅な時間のロスを経てやっと録音された」…と
長岡さんのお話を裏付けるインタビュー記事がありました

それはさておき…「これね、先月…5月18日ですね
甲斐くんと福岡で…あのー、会って…
(長岡さんが甲斐さんの)コンサート観に行ったんですよ
…で、そしたら、終わってから楽屋で話してたらね
来年がね、50周年記念のコンサートツアーになるそうなんですよ

(『甲斐バンドの…甲斐バンドとしてっていうこと?』)…うん、そう!そう!
だから、これ(音源テープを録ったツアー)よりも、2~3年前から回ってるからね
…と、そのことを知って、帰りの車、運転しながら『記念の節目』ってこともあるし
『47年ぶりに大村でコンサートしようかなあ』っていう気持ちになってます(笑)」
…って、サラッと口にされたけど、内容スゴくね?(笑)

もっとも、橘さんは「その時は、じゃあ是非あの… 長岡さんは、1曲くらいはベーシストで…」と、開催ありきのご様子で振られ(笑)
長岡さんは「イヤイヤ!(笑)それを言われるだろうと思って…
それは判んない…それは違う」と返されてましたが

橘さんの「それはそれで、ねぇ?もう甲斐バンドのファンの方からしたら…」との言葉に
「それは、甲斐さん次第ね」と若干?その可能性もナキニシモアラズ?なお返事…(笑)
でも、橘さんから「もうねぇ、もう待ちに待った一夜になる…」と更にプッシュされると

「イヤイヤイヤ、もうね、高校の時に…高校の時に可愛かった彼女と会ってみたら
今は可愛くないとか、ありますよね?ねぇ、やっぱり…
予想したのと違う…『お相撲さんが出て来た!』みたいになっちゃいます(笑)
(『ホントですか?私、カツラ準備しときましょうか?ロン毛の…(笑)』と橘さん(笑))」と
前回の放送と同じように、防波堤を築いておられました(笑)

ただ、そのあとに…「そう、色々ね、日程とか会場とか、物理的な条件の面の課題
調整が上手く運べば、実現できることとなるでしょう…楽しみだね♪報告が出来ればいいですね
(『そうですね、そのためにはですね、今から色々、動かなきゃいけないことがいっぱいですもんね』)

そう!そう!その時にはね、皆さんね、是非『シーハットおおむら』メインアリーナに
どしどしお越し下さいね!年金手帳ご持参で、お孫さん同行で来て下さい(笑)
御朱印かナンか、押してあげます(笑)
(『でも、そしたらね、ホント、このラジオのリスナーさんも来てくれるかも知れないですね』)」

…と冗談交じりながら「もしかしたら…?」っていう、一縷の望みを託せるようなご発言も…!?
長岡さんがベーシストとして、ステージで演奏なさるかどうか?はともかく
奥さんは、長岡さんの招聘で「甲斐バンド in 大村」が実現するかも知れないと想像するだけで
「ごはん3杯はイケる(笑)」と申しております(笑)

そして…「この46年前のね、地元でのコンサートの様子、少しご披露しましたけども
先月のね、福岡での甲斐くんとの会話の中で出て来た…
福岡は、アマチュア時代にレコーディングした曲あるの『覚えてる?』って言うから
『イヤ、全く記憶にないんだけど』って言ったら

その音源もね、レコーディングしてくれた友達からゲットしたので
これも、まあ、近い内にお聴かせしましょう
もう、甲斐バンド原点の原点…(『スゴイですね』)
知らない曲ばっかりです、みんなは…(笑)」

…って、こちらは、先日ご紹介した、長岡さんのXにアップされていた写真…
2枚の「お宝音源」CDと一緒に写っていた
「Earlydays DEMO TAPE」というタイトルのCDのことでしょうね?
まあ、ある意味、ただいま絶賛予約受付中の
甲斐バンドのBOXセットに収録予定の「レアトラック」よりもレアなんじゃないかと…?(笑)

奥さんの胸をときめかせた「お宝音源」に続き、更に心躍る「お知らせ」がもたらされたあと
「まあ、とにかく実現できるといいよね…(『そうですね、コンサート、私も行ってみたいですね』)」
…という長岡さんのトドメの一言で、甲斐バンド関連の放送分は終了♪
来年、嬉しい悲鳴が上がること、祈っております(笑)

余談ですが…長岡さんが「ライブ」のことを、ずっと「コンサート」とおっしゃっていたのが気になり
奥さんに訊ねたところ、長岡さんが在籍していらした「サーカス&サーカス」ツアーの頃までは
「甲斐さんも『コンサート』って言ってた」らしく

当時の資料を引っ張り出してみたら、甲斐バンドに限らず
雑誌などに掲載されている「イベント情報」でも、全て「コンサート」となってました
もっとも、演歌・歌謡曲系の方々に関しては…
「歌謡ショー」や「リサイクル」「ワンマンショー(独演会)」といった表記が目立ってたけど…(笑)

ただ…アルバム「サーカス&サーカス」や「100万$ナイト」のリリース広告には
「ライブ」というワードが使われていたし
逆に「チケット」の半券には、86年の解散ツアー「Party」でも「コンサート」と記載されていて
当時は「ライブ」=「生」の意味合いが強かったのかなあと…?
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