ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ビルボードツアー2022おまけ3

2022-06-30 15:27:00 | ツアー
甲斐さん自ら記されたという、ソロ35周年記念ベストのライナーノーツ
続いては、この記念ベストに収録された楽曲の中で、一番意外な選曲だった「WORD」
甲斐さんは「1988年から89年当時、NY界隈の黒人たちの中で、何かといえば口にする
『WORD』というスラングが流行った
目の高さから手を前に突き出しながら『WORD』と叫ぶ。『最高』という意味である

イタリア系であるにも関わらず、エンジニアのジェイソンのまわりには黒人が多く
マドンナとかボウイで売れっ子プロデューサーになってたナイル・ロジャースも
暇さえあれば手土産を持っていつもダベリに来てた(俺も御相伴にあずかってた)
(『ストレート・ライフ』ツアーメンバーの)
リズム(セクション)のアルヴィンとトレバーもいた。その彼らの口ぐせが『WORD』
80年代後半、狂乱のNYの空気がこの曲を書かせてくれた。アルバム『カオス』に収録」

…と「最高」という意味だと、ご自身のラジオ番組で説明されたことに加え
「書かせてくれた」という表現をなさっていて
甲斐さんが、その当時のNYにいらっしゃらなかったら
絶対に生まれなかった曲だというのは確かみたいですが
奥さんは「ストレート・ライフ」収録の「モダンラブ」とこの曲は
「ライブで聴くまで、イイなと思ったことがなかった(笑)」と申しておりました(笑)

もっとも、秋のツアーメンバーには、TOKIEさんがいらっしゃるみたいなので
前回の「愛ろく」ツアーで披露なさった魅惑のコーラスで
「甲斐さんの声と絡んで欲しい♪」と熱望しております(笑)

ちなみに、この曲を初めてライブで聴いた、奥さんの友人Kちゃんは
「♪レザーパンツの中身?地獄へどうぞ♪」という歌詞と
その時の甲斐さんのパフォーマンスにツボり、涙を流して喜んだらしい(笑)(笑)

10曲目の「ミッドナイト・プラスワン」では…
「『夜は無限』と言ったのはB・スプリングスティーン
真夜中テッペンを過ぎていく闇の中で、不意に魂をもっていかれそうになる時がある
静かな狂気の中で紡ぎ上げたのが、この作品である
映画史に残る不朽の名作『イントレランス』の日本上映に合わせて書き下ろしたバラードだ」…と甲斐さん

「夜は無限」との言葉から「この夜にさよなら」なさって「昼間の世界へ飛び出した」あと
「♪明日はどこへ行こう♪」と前を向かれたとはいえ
「MIDNIGHT」というのは、解れた気持ちに何かが忍び込む「魔の時」なんでしょうか?
でも、リリアン・ギッシュが揺りかごを揺らすシークエンスに
この曲は怖いくらいマッチしてましたよね?

そして、今回のビルボツアーの2曲目に採り入れられた
「SSS」こと「スウィート・スムース・ステイトメント」は
「藤谷美紀出演のNTTドコモのCMに使用された。MIXはマーティン・アダム
ロンドンの郊外の牧場の中にあるスタジオで仕上げた
アルバム『エゴイスト』収録のショートバージョン」と紹介されてますけど

奥さんは、この「ロンドン郊外」のスタジオが「リッジファームじゃない?」と大騒ぎ(笑)
…というのも、このスタジオは、かつてクイーンがアルバム「オペラ座の夜」のレコーディング前に
リハーサルを行ったスタジオらしいので…(笑)
もっとも「ボヘミアン・ラプソディー」が録られたの
ウェールズにあるロックフィールド・スタジオですが
映画「ボヘミアン・ラプソディー」に、どハマリした後遺症でしょう(笑)

それはともかく…「激愛(パッション)」に関しては
「アルバム『嵐の明日』の中に『絶対・愛』というナンバーがある
『風の中の火のように』がヒットした後に
そのナンバーをリミックスしてリリースしようとして、マネージメントとこじれた経緯がある

怒りを込めその曲のエッセンスを注入しつつ、より洗練された形で完成させた
KAIFIVE最後のナンバーである」と、今まで明かされてなかったエピソード…というか
「『絶対・愛』をシングルに…って話は聴いたような気がする」と奥さん
でも、デビューしたばかりの頃ならまだしも
この当時の甲斐さんでも、意志が通らないことがおありだったってことにビックリです(汗)

あっ!「最後のナンバー」…ということは、この曲に関する作業が全て終了したあと
「FLASH BACK」のジャケットに選ばれた
「かなり酔っぱらってる」甲斐さんの写真が撮られたプールバーに行かれたんでしょうか?

さて、13曲目「LOVE is No.1」については…
「愛は無敵だ。屈託なく聴ける。歌える。そんな曲のはずだった
だが歌のパートにラップのパートを足したことで、ねじれたモードが拡がる事となった
曲中のドラムのインスパイアはザ・ビートルズの『アビイ・ロード』の『ジ・エンド』から
最高のドラミングは今は亡き青山純。アルバム『PARTNER』に収録」と甲斐さん

この頃から、あらゆる装飾を削ぎ落とし「音数」の少ない
それでいて骨太なグルーヴを追求し始められたみたいで
当時のライブを観た奥さんによれば…「すごくピリピリしてるんだけど
演奏が終わったあとの甲斐さんが、とっても嬉しそうに笑ってた」…そうで
秋のツアーメンバーに、青山さんの愛弟子・佐藤強一さんがいらしたら
「是非とも聴きたかったナンバーだった」んだとか…

続いて「レディ・イヴ」は…「ライブの冒頭を飾るアッパーなホットチューンが欲しかった
スタイリッシュにまとまったと思う。イヴとは前夜。つまり女性が『開花する前夜』という意味
娘たちのことが頭にあったのか。アルバム『GUTS』に収録」…って、甲斐フリークの間では
Kainatsuさんを思ってお書きになった…が定説になってるみたいですが…?(笑)

「渇いた街」については「フォーキーなテイストのプロデュースチームとの仕事だったことで
ブライトな強さに欠けるも、独特なタッチのハードボイルド・ナンバーに仕上がった
アルバム『太陽は死んじゃいない』に収録」と記されてますけど
以前に「愛ろく」ツアーで、この曲を取り上げられた時
「(土屋)公平が、この曲が好きだって言ったんだよね(笑)」と嬉しそうにおっしゃっていたらしい(笑)

そして「THE 35th SIDE」のラスト曲は「I.L.Y.V.M.」
「最後はジェイソンのMIXが冴え渡る、KAIの新たな一面を打ち出したミディアム・バラード
パワーステーション・スタジオのアナログ・リヴァーブが炸裂する
このスタジオはエコールームはなく、実はエレベーターを使用している

だからMIXをする時は『NO USE』という貼紙をする
80年代から90年代に世界を制したこれがロックステーションの実態である
工夫し、盛り込まれるアイディアと揺るぎない確信の中で
ボブもニール・ドースマンもジェイソンも、自分たちの音楽を作り上げた
俺もそこにいた。自分を確信するために」と結ばれていて

甲斐バンドのデビュー当時は「歌謡界」のしきたりに則って
定期的にシングルレコードをリリースすることが「存在証明」だったのが
その後、納得できないしきたりには「NO!」という姿勢を貫かれ

ご自身の「存在証明」としての音楽を求めて、海を渡られたことで
多大な影響を受けられ、転機と呼ばれるほどの成果を上げられたのは確かだとしても
そのことさえ「通過点」の1つに過ぎなくなって行くんだと思うと
しかも、今現在も上書きは続いている訳で、ホントに果てしないっすねぇ…

ただ、日本のスタジオのエコールームに限界をお感じになり
「どうしても欲しいリヴァーブ」を手に入れるために
ボブのいるパワーステーションに行かれたのに
その理想のエコーがエレベーターで生まれていたなんて
目ウロコ的な衝撃を通り越して、思わず笑ってしまわれたんじゃないかと…?(笑)

余談ですが…甲斐さんは、よく大瀧詠一さんの
「音楽は音楽で語られなければならない」という言葉を引用され
「音楽っていうのは、それ以上とかそれ以下であっちゃいけないんだよね
だから、例えば、自分の音楽を語る時に、自分の恋愛問題を話したり
隠微なスキャンダリズムを匂わせながらインタビューしても全然意味ないね」とおっしゃってますけど

それは「自分の曲の説明を三十何ページに渡ってやったとしてもダメだけどね
実は、僕、1回やったんですよ(笑)『ラブ・マイナス・ゼロ』の時に…
ダメでしたね、やっぱり…僕はもうやりたくないね
その歌を作った動機を書くということもね
このレコードの中で全部やってんだもん!アルバムの中で歌ってんだもん!」
…というご経験にも基づいていらしたらしい(笑)

ただ、その「ラブ・マイナス・ゼロ徹底研究」という記事の冒頭では
「えーと、では思いっきり詳しく言いますが…どっから話そうか(笑)」とノリノリのご様子?(笑)
…っていうか、かつては、アルバムリリース時に
ご自身のラジオ番組やプロモーション先はもちろん、ライブMCでも
その曲を書かれたきっかけや、アルバムをお作りになった動機を話されていたそうですし

最終的には「聴き手の自由」に委ねることになるにしても
その「言わずにはいられない」衝動は、その時時のご自身の音楽に対する
モチベーションの高さを物語っているんじゃないかと…?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビルボードツアー2022おまけ2

2022-06-29 15:20:00 | ツアー
今年のビルボツアーは、甲斐よしひろソロ35周年記念ベストアルバム
「FLASH BACK」のリリースを受けてのツアーということで
そのベストアルバムの収録曲を中心に…と思いきや「そうは行くか!(笑)」と甲斐さん(笑)
まあ、秋のツアーもソロとして開催されるとのことですし
今ツアーで演奏されなかった曲は、そちらのセトリに組み込まれるのかも?…知らんけど(笑)

ただ、その「FLASH BACK」の収録曲については、甲斐さんご自身のラジオ番組や
プロモーションで出演された番組で、たびたび流されていたことはご紹介したものの
ビルボツアーのセトリに意表を突かれたあまり、これまで触れることがなかったので
甲斐さん自ら記されたというライナーノーツを元にひもといて参りたいと思います♪

まず、Disc-1「THE 35th SIDE」…そのトップを飾った「電光石火BABY」は
「1987年4月6日にリリースされたソロ・デビュー・シングル
同年4月22日にリリースされたアルバム『ストレート・ライフ』からのシングル・カット
MIXは『リピート&フェイド/甲斐バンド』に続いて、ジェイソン・カーサロを起用
ボブ・クリアマウンテンとのNY三部作から、さらなる進化を求めて
パワーステーション・スタジオで制作された」

…と書かれてますが、そのMVもデビューシングルに相応しく
アルマーニのスーツ姿の甲斐さんが、大勢の女性ダンサーの皆さんに囲まれ
軽く踊りながら、お歌いになるという華やかなもので

続く「レイン」についての記述には「アルバム『ストレート・ライフ』からのセカンド・シングル
松田優作が登場した角川文庫のCMにも起用された。この曲を含め、前作『電光石火BABY』
『イエロー・キャブ』の3曲のミュージック・ビデオはLAで制作されている」と触れられてます

ちなみに、このベストアルバムには収録されなかったとはいえ
ビルボツアーの「白眉」だった「イエロー・キャブ」は
NY三部作の最終作品である「ラブ・マイナス・ゼロ」のレコーディング中
同アルバムのオープニング曲となった「野獣」に先駆けて
一番最初にマルチ録音されたにも関わらず
「まっ、これは今ひとつバンドで料理しにくいだろうということで外された」んだとか…

ただ、甲斐さんは「ラブ・マイナス・ゼロ」リリース後のインタビューで
「(『フェアリー』は)当初、バンドでやる目的で書いた曲じゃなかった」と明かされ
「バンド用とか、やはり曲を書き分けてるんですか?」との質問に
「ていうか、一応書いてみる訳ね、いつも…まず書くわけ

で、だいたい僕は、まるまる1曲書くことはまずなくて、3分の1か半分くらい書くのね
その時点で『あ、これはナンかバンド向きじゃないんじゃないか』
…っていうように、ある程度選択するわけ」とお答えになっているので
「野獣」より先に作業を始められたということは
甲斐バンドの新しい曲として、かなり推しておられたんじゃないかと…?

そうそう!ビルボツアー東京公演をご覧になったKainatsuさんが
「4歳くらいの時にアルバム『ストレート・ライフ』を初めて聴いた時
言い知れぬ寂しさと青い深淵に漂うような不思議な安心感を覚え魅了された
子供ながらに感じ取った1人の人間としての父の孤独に共鳴し誰にも拭えないと悟った
今でもずっと大好きな『イエロー・キャブ』をLIVEで聴くたび思い出す」
…と呟かれていたと、ライブレポでご紹介しましたが

「愛ろく2」ツアーのレビューでも…「幼い頃、私の目に映る父は
いつもヒリヒリして何かと戦っているように見えた
コンサートの客席でステージを見下ろしながら
このままここで父は死んでしまうのではないかといつも本気で思っていたし
感情の火花を散らし歌い吼える姿は孤高のライオンのようだった
幼な心に感じ取っていた『孤独』は、父にこれほどまでに素晴らしい歌をもたらす
今の私にはそれは羨みでもある」…と記されていて

かつて、公私共に大変な時期にいらした甲斐さんに
松藤さんが「良い曲書くねぇ!ずっと不幸だったらいいのに…(笑)」とおっしゃったという
エピソードを彷彿させるというか、仕事も家庭も順調と思われる環境に身を置かれていても
「満たされない何か」を抱えておられないと立ち行かない生業って壮絶じゃね?(汗)
もっとも、同じ道を選ばれたKainatsuさんに深く理解されていらっしゃることは
もしかしたら、ものすごく嬉しいことなのかも知れませんね?

余談ですが…前述のインタビューでは、今ツアーの「くさび」的な存在となった
「夜のスワニー」について…「これは、僕の行きつけのバーの話
最初、ちょっとヤバイ歌詞が乗ってたのね
女が飲んでて、シルクの(ドレスの?)すそをまくったら、見えるのは針のあと…とかね

でも、長い年月、スタジオにずっと入ってる内に、どんどん削られて行って、今のスタイルになった
これも、初めは『バンドっぽいニュアンスにはならないかなあ』と危惧してたんだけど
うまく料理できたよね、佳作ってあるでしょ?
非常にあっさりした形で終わらせたかったわけ 
とにかくA面がああいう(『野獣』や『冷血』等ハードな)感じでしょ?
だから、最後はさりげなく、ね?とおっしゃっていて

ボクが「ビルボツアーの編成にピッタリな曲」と言ったのは
あながち間違いじゃなかったとホッとした反面
やはり、あの転調部分のアレンジはスゴかったなあと…♪

それはともかく…松田優作さんの「漂泊の想いやまず」というCMのインパクトも強烈だったけど
奥さんは、そのあとに映画「この愛の物語」のCMで
車が疾走する爆破シーンのバックでも、この「レイン」が流れていたことにビックリ!(笑)
もっとも、それぞれ使われている箇所出だしとサビ…が違っていたので
映像のイメージに合わないということはなかったみたいですが…(笑)

3曲目の「ブルー・シティ」は、ビルボツアーで甲斐さんから「四重人格」と言われた観客(笑)の
人格交代の「スイッチ」となった曲だそうだけど(笑)

「近藤真彦のシングルのために書き下ろされた楽曲。内容があまりに生々しくリアルだったため
リリース直前、7インチシングルから急遽12インチシングルに差し替えられた
MIXはジェイソン。斬新なイントロが素晴らしい。『ストレート・ライフ』収録

…と、これまでにも、たびたび甲斐さんが明かされているエピソードが記されてますが
このエピソードを見聞きすると、いつも奥さんは
「人目を忍ぶロマンスを経験した人じゃないと書けない歌詞だと思う(笑)」と言ってます(笑)

次の「THANK YOU」も「知り合いの音楽ディレクターから曲の依頼があり
そのシンガーは音域が1オクターブとちょっとしかないが、是非書いてほしいと。
『ふむ』と考えこむ間もなく『明石家さんまさんです』とたたみこまれ快諾
CDチャートベスト10にランキングされた
俺曰く『快心の出来』アルバム『カオス』収録」と有名なエピソードを披露なさってますけど

更に付け加えるなら、チャートインの知らせをお受けになった時
「しまった!B面の曲も作っておけば良かった!」と甲斐さん(笑)
でも「1オクターブちょっと」という規制の中で「2曲作るのは難しい」とのご発言も…(笑)

そして、ビルボツアー本編のラストを飾った「風の中の火のように」については
「KAIFIVE3枚目のシングルにして、オリコンチャート8位にランクインした
KAIFIVE最大のヒット・シングル。ドラマ『並木家の人々』の主題歌

この曲の打ち合わせの時に、ドラマ『北の国から』で有名な演出家の杉田成道監督の
『「翼あるもの」のような雄大でスケールのある曲を』との要請で書き上げた曲」と
これも、プロモーション等でよくお話しになっていたエピソードだけど

続く「嵐の明日」に関しては「これもドラマ『並木家の人々』の挿入歌
当時のクレジットは『甲斐よしひろ and KAIFIVE』となっているが
実は腕利きのスタジオミュージシャンを集めての一大セッションとなった」と記されていて

当時のインタビュー記事にも「シングルではオーケストラをバックに歌ってて
アルバムとは違うバージョンなんで、ソロ的な意味合いが強いということで
『甲斐よしひろ and KAIFIVE』とクレジットしてる」と話されてました

そういえば…そのあと、甲斐さんをモデルにした(笑)映画「ラストソング」の
「天才ギタリスト」という役作りのために
吉岡秀隆さんが、KAIFIVEの田中ヤッチさんにギターの手解きをお受けになり
「一度、観客のいる場所で弾いた方がいい」と甲斐さんに勧められて
福岡ドームのこけら落としライブにゲスト出演なさって、この「嵐の明日」を披露されたんですよね?

ビルボツアー東京公演にお見えになっていたらしい?吉岡さんが
この編成での演奏をお聴きになって、どうお感じになったのか?伺ってみたいなあと…

7曲目「ラヴ・ジャック」は「KAIFIVEの2枚目のシングル
同名アルバム『ラヴ・ジャック』からのシングル・カット
ドアーズの『タッチ・ミー』からのインスパイア」

8曲目「幻惑されて」は「1991年リリースのKAIFIVEファースト・アルバム
『幻惑されて』からのシングル・カット。そのREMIXバージョン
オリジナル・テイクに、さらにダビングされたキーボードは
レイニーウッドのキーボード奏者、上綱克彦」と明かされてますが

上綱さんは広島にいらっしゃったまま、演奏データだけを送られたというのが
いかにも、今の時代らしいというか、CDを聴くと全く違和感がないのがスゴイですねぇ(笑)

奥さんは「幻惑されて」を聴くと、デビュー25周年記念の「飛天」ライブで
「一瞬、誰か判らなかった」くらい激痩せなさっていた田中一郎さんが、この曲を演奏されたことと

「シリドリツアー」で?ベースの坂井紀雄さんが、この曲のエンディングをミスられたのに
「何も変わったことは起きてない」って感じでいらしたのに対し
ドラムのジャラさんが、助けを求めるかのように、他のメンバーの皆さんの方を
キョロキョロと見回されていたことが思い浮かぶんだとか…(笑)

…って、この「FLASH BACK」のようなアニバーサリーベストの楽曲が
こんな風に、それぞれのライブで見聞きしたエピソードや
個人的な思い出と共に記憶されているんだとしたら
100人100通りの聴き方、思い入れがあるということでしょうし
音楽が人に及ぼす力って、本当にスゴイんだなあと改めて痛感しております
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビルボードツアー2022おまけ1

2022-06-27 22:20:00 | ツアー
ビルボードツアーが終わり、そのファイナルステージの配信アーカイブ期間も終了しましたが
今年のツアーにまつわるアレコレを整理しておきたいと思います
まずは、甲斐さんがその表紙も飾られた
「bbl MAGAZINE」6月号のインタビュー記事から…

「2015年にスタートして8年目を迎える甲斐よしひろのビルボードライブのステージ
ソロ35周年を迎えたレジェンドは、そのライブを『チャレンジの場』だと語る
ロック・ミュージシャンとして彼は『時代』とどう向き合ってきたのか
そして『いま』をどう感じているのだろうか」…という前置きに続き

「ソロとしての甲斐よしひろは、今年4月でデビュー35周年を迎えました
甲斐バンドは2024年に50周年
小学3年生の頃に、ビートルズやローリング・ストーンズに出会って以来
ずっとロック、音楽と共に生きてきました
その中で感じてきたのは『時代』というのは常に動いているということ

ここ約20年でも、同時多発テロ、東日本大震災、コロナ禍
そしてロシアのウクライナ侵攻と大きな出来事が5年、10年に一度は起きてしまう
音楽の世界でも新しいサウンド、メッセージが現れる
だからこそ、そうやって変化する時代を感じて、時代の空気の中で表現すること
その衝動を失ってはいけないと思うんです」と甲斐さん

この言葉に関しては、予てより「ロックとお笑いは『今を切り取る』」とか
「ジョン・レノンが『インスタント・カーマ』を書いた時に
『新聞のように毎日、曲を届けられたらいいのに』って言ったっていうのと同じで
ジャーナリスティックじゃないと、ロックじゃないんじゃないかと思う」とおっしゃってますし

阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた、1995年のインタビュー記事では…
「今は色んな音楽が混合してるから面白いですよね
10代の子は70年代を一生懸命聴いているし、良い意味のワイザツ状況だし
ロスやNY、ロンドンより東京が一番すごい
クラブにも出かけて遊んでますし、居心地は良くなってますよね

その今のテンションで20年を切り取った『少年の蒼』は
僕の中の『ハートブレイク・ソング』を集めたという一面もあるし
『GUTS』は、時代の今の空気を映したアルバムです」…と同年にリリースなさった
ベストアルバムとオリジナルアルバムについて語っていらしたし

今回のソロ35周年記念ベスト「FLASH BACK」のリリースにあたられても
「今の時代を感じさせる音」を心がけたとおっしゃっていて
「ロック」と「時代」は切っても切れない…
イヤ、切り離しては考えられないものなんだとの思いは、ずっとブレることがなく
表現のためのモチベーションを持ち続けておられるんじゃないかと…?

ともあれ…「『時代を感じる』ということにも、いくつかの意味があると思います
音楽的なことでいえば、サウンドやメッセージ自体の変化、進化もそうですし
聴いてもらう方法も変わりました
レコーディングのデジタル化やSNSやクラウドでの発信というと
テクニカルな面での変化だと思われがちですけど
それは時代感覚、気持ちの部分と常にリンクしているんですよ

ビリー・アイリッシュが象徴的ですけど、いま何を感じているのか
そのスタイル、流儀、つまりは個性をベッドルームから世界に発信することができる
いま『こういう時代』だからこそ、世界に向かって時代とリンクした表現が求められるし
インターネットによって、それができる環境にいる

僕の例でいえば、湾岸戦争の時に書いた『レッドスター』というナンバーがあるんですが
先日、その曲にウクライナへのメッセージを加えた字幕を付けた動画をアップしました
大袈裟に旗を振らなくても、キャッチしてくれる誰かが存在する時代になった、そう感じています」
…と話されてますが「レコーディングのデジタル化」はさておき

Kainatsuさんが、お父様にショートメールを送られたあと
返信はともかく「せめて気づいてくれ(笑)」とツイートなさるような(笑)
いわゆる「デジタル難民」の甲斐さん(失礼!)が
そうした時代の流れに注目なさっていたからこそ
YouTubeやLINEを発信手段にするという発想が生まれたんだと思われますし

コロナ禍になって以来「破れたハートを売り物に」や「嵐の季節」の動画をアップなさったり
ある意味「ライブ」に対する「背信行為(笑)」と嫌がっていらした「ライブ配信」も
当初の「緊急措置」といったものから「新たな形態」として、すっかり定着した感がありますが
「僕はそれが60年代に似ているなと思うんです」と甲斐さん

「当時、何かを変えたい、何かを伝えたいと思った世界の若者が
夢中で歌い始め、新しい映画を撮り始めた
これまでにないものを生み出したい、既定路線じゃ満足できない、でもお金がない
だったらライブハウスやストリートで始めればいいし
映画だったらオールロケのロード・ムービーで撮ればいい
その初期衝動を世界がキャッチして『ロック』『ヌーベルバーグ』という新しい原型になっていった

当時の彼らが『これまでの世界』という得体の知れないものに立ち向かったように
今も得体の知れないものと闘っている時代じゃないですか
技術やツールは違っても『越えていく』表現をしなくちゃいけない
きっとTikTokでもいいんですよ。短かろうが長かろうが人の心を揺さぶる表現
それを僕もチャレンジし続けていくと思います」と説明なさってますが

「音楽の聴き方 激変の20年」という記事に…
スマホが広まったことによるサブスクの普及が原因で、オンキョーが自己破産したことについて
「ある程度、市場の変化に対応しようとしていたものの
やはり『良いモノさえ作っていれば売れる』という
モノづくり信仰が色濃かったことも失敗の要因だった
過去の成功体験は、次の時代の硬直性になる」との指摘があった一方で

「自分の持つ音楽をすべて持ち運べる」ほどの大容量を誇ったiPodも
最終機種では、電話以外の機能の多くがiPhoneと共通していて
生産終了となったことを伝える記事には
「ウォークマンの進化版だったiPodは、人々が音楽を聴く場所や機会を更に広げた
そして、シャッフル機能などによって、アルバム1枚単位で聴く文化の崩壊が始まった
様々な意味で、音楽界や音楽の聴き方を変えた機器だった」との記述があり

時代の変化に伴って変われない会社も、時代の要求に応えて進化したモノも
新たなツールに吸収されて、共に淘汰されて行くという皮肉に、ナンとも言えない気分でした
まあ、奥さんは、甲斐さんのリリースされたアルバムの「コンセプト」を味わうため
A面の1曲目からB面のラスト曲まで、その順序通りにしか聴かないので
アルバムがCD化されてからも、シャッフル機能は1度も使ったことがないし(笑)

若者の間で広がっているという「倍速視聴」は
「少しでも多く食べて元を取ろうとする食べ放題バイキングのようなもの」との記事に
「うん!うん!」と頷いたりしてますけど(笑)
CDやDVD、ケータイにPC、スマホに配信など
我が家のデジタル化は、すべて甲斐さん発祥なんですよねぇ(笑)

更に甲斐さんは…「あらためて振り返ってみると、甲斐バンドのデビューは1974年
60年代末から70年代初めに登場したはっぴいえんどやサディスティック・ミカ・バンドを
日本のロックの第1世代だとすれば、僕たちは第2世代
ロックが認められはじめた、でもまだメイン・ストリームではない
そんな時期に求められたのがシングル・ヒットという存在証明

当時は1年に3~4枚のシングルをリリースしなければならなかったんだけど
個人的にはビートルズやストーンズからスタートしてますから
チャート上位にロック・バンドがいることも当たり前で、特に抵抗はなかった
幸運なことに甲斐バンドはセカンド・シングルの『裏切りの街角』がヒットしたことで
名前を知ってもらえるようになって、そこから今度はアルバムも売れるようになっていく

いわゆる歌謡曲が並ぶチャートの上位に入るということは
言ってみれば阿久悠さんもライバルということでしたね(笑)
僕たちだけではなく、色々なロック・バンドが
そうやって市民権を獲得して道を拓いていった、そんな時代です」…と話されてますが
1枚のアルバムにつき、2枚のシングルがカットされるのが通例だった当時
例えば、10曲収録のアルバムなら、AB面あわせて4曲がリリースされた訳で

限りある小遣いの中からレコード代を捻出していた、ある小学生(笑)は
先行シングルを買いたい衝動がナカナカ抑えられず
「あと少し我慢すれば、アルバムが出て思いっきり聴くことが出来る!」と
何度も何度も自分に言い聞かせていたらしい(笑)
もっとも、あまりにも我慢を重ねた反動で、アルバムを聴き倒し過ぎて
早々にアルバムを買い替える羽目になったこともあったみたいだけど…(笑)

それはさておき…「そこから約半世紀が経った今
甲斐バンドとソロの甲斐よしひろというふたつのスタイルでステージに立っていますが
そこには違ったモチベーションがあります
まず、甲斐バンドにはヒット曲、代表曲がありますから
当然そのナンバーを聴きたいと思うオーディエンスが足を運んでくれる
じゃあ、いつも同じライブなのかと言えば、それは違う

これまで『誰もライブをやっていない会場でやろう』というテーマを持って
日本で初めてのスタジアム・ライブだった花園ラグビー場
都庁ができる前の西新宿の高層ビル街でのイベント
日本初のオールスタンディングだった品川プリンスゴールドホール
最近では奈良の薬師寺でライブを行ってきたのも、甲斐バンドのモチベーションのひとつです

その一方で、ソロの活動を続けるモチベーションは『時代と向き合うチャレンジ』
レコーディングでいえば、ソロの最初の2作はNY、そこからロンドン、LAと場を移しながら
ボブ・クリアマウンテン、ニール・ドーフスマン、ジェイソン・カーサロといった
その時代時代の音を生み出してきた世界的エンジニアと組ませてもらいました

今回リリースしたソロ35周年のベスト盤も
ロンドンのジョン・デイヴィスにデジタル・リマスタリングをお願いして
何曲かは時代のクオリティを意識したリミックスも行っています
そして、ビルボードライブでのライブ・シリーズを重ねているのも
そうやって『新しい時代の自分』にチャレンジする場だからなんです

このライブは、ドラムレスでフィドルが入った
ネオカントリー・スタイルの編成でやりたいと思ったのがきっかけ
トラッド、フォーク、カントリー、ブルースという、いわばロックの根幹にある編成で
根源的でシンプルだからこそ、いろいろな切り口の表現ができる

ありがたいことに好評をいただくことができて、今回で8年目
これまでのライブをまとめたDVD BOXもリリースすることができましたし
自分で言うのもなんですけど、凄いことを重ねてきたなと実感してますね
1年目のビルボードライブでは『客席が近いな』っていう戸惑いもあったんですけど
今では堂々とホームと呼べる場所になりました

特にコロナ禍を経たこの2年は、音楽も含め、自分にとって大切なことと向き合い
さらに進化していくというそんな時代感覚が芽生えたように思います
そういう意味でもビルボードライブは、その選ばれた場所になり得る、そんな空間だと思うし
これからもそうあってほしいですね」と結ばれてますが

「今夜はフォークです!(笑)」という衝撃の宣言(笑)から始まったこのシリーズも
奥さんにとっては、今や「春の風物詩」であり
甲斐さんにとっても、ソロ活動の大きな柱の1本…「ライフワーク」といった
おもむきが感じられるシリーズとなり、この先の展開が楽しみな反面
今年のツアー内容があまりに素晴らしかっただけに
来年は、どうやって「今年」を越えるんだろうと心配しているみたいです(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビルボードツアー2022(東京6/18・6/19)6

2022-06-26 20:56:00 | ライブ
「ブルー・シティ」が終わり、観客の皆さんの拍手とざわめきが残る中
「Wベース!木村将之!」とメンバー紹介が始まり
甲斐さんが「フィドル!山田拓斗!」と、お名前を呼ばれた時
山田さんの目の前の席だった奥さんが拍手を贈ると、小さく「ペコリ」として下さったんだとか…(笑)
「そして、ギター!鈴木健太!」とコールなさったあと「レッド・スター」へ…

3曲目の「夜のスワニー」の間奏も含めると
今ツアーで甲斐さんがギターをお弾きになるのは全6曲
主に、鈴木さんが、アコギ以外(ドブロやラップスティール、バンジョー)を担当される時に
演奏を披露なさってるみたいですが「ギターを弾く甲斐さん」好きの我が家の住人は
そのお姿に見とれたり(笑)ツイストのように腰をひねってネックを持ち上げられる仕草に萌え~(笑)

そうそう!山田さんのご友人のベーシストの方が、この配信をご覧になって
「甲斐さんのギターの音の力強さ、綺麗さ、上手さに一番ビックリした!」とおっしゃったらしく
「そうだった!甲斐さんってギター上手かったんだった!(笑)」と奥さん(笑)…って、今さら?(笑)
でも、ギターをお弾きになったあとに、指や爪を気になさる仕草がよく見受けられたみたいで
今ツアーは、いつもにもまして、ギター演奏に力が入っていらしたのかも知れませんね?

余談ですが…奥さんは、今回のビルボツアーで、この「レッド・スター」を聴いて
かつての新宿厚生年金でのライブ映像を思い出したものの
残念ながら、VHSの劣化のため、今は観ることが出来ず
甲斐さんがMCで匂わせていらした(笑)という内緒の「BOXセット」に
「この映像が収録されないかなあ?」と願っていたところ

ナンと!このブログの読者の方に、件のライブ映像をダビングして頂けることになり
この配信ステージの前日に、そのDVDを持って来て下さったらしく
ツアー終了後、東京から帰宅するなり奥さんは
「配信のアーカイブも観たいし、こっちも観たいし…」と嬉しい悲鳴(笑)

もっとも、アーカイブは期限があるので、とりあえず、そちらをメインに据えて
その合間合間に、過去のライブ映像を挟み込みながら、楽しんでるみたいだけど(笑)
さすが、かつてVHSが擦り切れるくらい観倒しただけあって(笑)
「レッド・スター」を聴いて思い浮かべた映像はもちろん

オープニングの「翼あるもの」で「ギターを弾く甲斐さん」の表情や
「野獣」をギターの松下誠さんと寄り添って歌われるシーン
今ツアーのセトリにも入っていた「カオス」や「イエロー・キャブ」など
すべてが記憶にあった通りだったようで「おお!懐かし~い!」を連発(笑)

まあ、当時、それほどリピートしたのは、甲斐バンド後期からずっと
「ロン毛じゃない甲斐さん」でいらしたのを残念に思っていたのが
この頃から、甲斐さんが久しぶりに髪を伸ばし始められたことが嬉しかった(笑)のと

この同じツアーの関西公演で、初めて最前列ど真ん中という神席を経験し
おそらく?その魂をブッ飛ばした奥さんの様子を面白く思われたんでしょう(笑)
ライブが終わり、ステージ下手側の袖に向かって歩き始められた甲斐さんが
クルっと向きを変えられたかと思ったら、奥さんの目の前まで戻って来られ
上半身を屈めて、笑顔で奥さんの顔を覗き込まれたらしく…って

「…と主張」と言いたいトコですが、このライブに同行していた
友人Yちゃんの証言もあり、どうやらホントのことみたいで(笑)
そのあと大コーフンでYちゃんと帰路についたのは覚えていたものの
Yちゃんと別れたあと、どうやって帰宅したのかは記憶してませんでした(笑)

その「コーフンよ!再び!」って感じで、日夜リピート&リピートしていたので
今回このDVDを拝見した時には、ボクも「懐かしい!」と思ってしまった次第です(笑)
ダビングをして下さったAさん、本当にありがとうございました!m(__)m

それはさておき…「レッド・スター」を歌い終えられたあと、配信ステージでは
「サンキュー!サンキュー!ホントに今夜は、みんな駆けつけてくれて感謝してます!
サンキュー!ありがとう!」とおっしゃって
本編ラスト曲の「風の中の火のように」に移って行かれましたが

この直前の1stステージでは「ライブをやるってことは、シンプルなことで
ステージで、客に向けてブッ放す!それだけなんだけど
ライブをやることって、思ってる以上に大事だという気がしてます
出来るだけ長くやりたい」と話されたらしく、その瞬間に奥さんの涙腺は決壊…(苦笑)

イヤ、これは、その前日のステージで…「4月の27日に『FLASH BACK』という
僕のソロ35周年記念のベストアルバムがリリースされたんですけど
まあ、そのあと、このビルボードツアーということで
フツーなら、そのベストアルバムの曲を…ってことになるんでしょうが、そうは行くか!(笑)

でも、35年って、スゴイですよ?あと3年もすれば
(デビュー)50周年だから、甲斐バンドもね」…とおっしゃったそうで
その時に、改めて甲斐さんと甲斐バンドのメンバーの皆さん、そして自分の年齢に思い至り

今の甲斐バンドは、ほぼほぼ固定された「盟友」の皆さんとご一緒に活動なさっているとはいえ
本来の甲斐バンドお三方が、お一人でも欠けたら「それはもう甲斐バンドじゃない」と奥さん
まあ、元々「オリジナル甲斐バンド」にこだわりがあるんだけど(笑)

昨今、甲斐さんより少し年上のミュージシャンの方々が
ライブ活動から引退すると表明されていることもあり
…って、吉田拓郎さんは「LOVE LOVE 愛してる」の最終回をもって引退とおっしゃってるし(汗)

これまでも、いずれ来るはずの「その日」のことが、チラッと頭をよぎることはあったものの
前述の「50周年」云々という甲斐さんの言葉で
自分の思っている以上に「その日」が早くやって来るかも知れないと気づき
また、コロナ禍が、その残り少ないライブの機会を
甲斐さんの本当にやりたい形ではやれなくしたことが悔しく、ちょっと鬱々としていたところへ

「出来るだけ長くやりたい」という言葉を聴いて、どこかホッとしたような
それでいて、胸の奥がチクチクするような、切ない気持ちになったからみたいです(汗)
まあ、本人も、まさかこの年まで「甲斐さん!甲斐さん!」の日々が続くとは
夢にも思ってなかったでしょうしねぇ…(苦笑)

そうそう!奥さんは「甲斐さんの顔、汗びっしょりだ!」と思っていたのが
甲斐友さん達に「俳優のように」涙をポロポロと流されていたと聴いて
「あの涙袋に光っていたのは涙だったの!?」とビックリ!
やはり、アニバーサリーツアーでは、色んな思いが去来されるのかも知れませんね?

ともあれ…ライブは、本編ラスト曲「風の中の火のように」に差し掛かっていて
「泣いてる場合じゃない!」と奥さん(笑)
今年のビルボードツアーのラストステージだということで
冒頭から手拍子したものの、賛同者の皆さん(笑)が
1人2人と減って行ったらしく、奥さんも途中でリタイア(苦笑)

すると、甲斐さんが、奥さんの方を横目でチラチラとご覧になった(…と主張(笑))そうで
「大丈夫!いつものトコでは、ちゃんとやるから!(笑)」と「念を送っといた」んだとか…(笑)
配信映像では、客観的に観て「その通りだ!」というほどの確信は持てませんでしたが(笑)
そもそも「ブルー・シティ」の「フェイント」は「目撃者多数」としても

「『うん!うん!』と頷かれた」やら、この「風の中の火のように」の間奏から
バンザイ状態で手拍子すると、曲が終わったあとに
「こっちを見て、満面の笑顔で『サンキュー!』って言ってくれる」やらの「主張」は
すべて、配信ステージ以外のステージでの出来事というか

配信ステージでも「全く何もないこともなかった」と主張するものの(笑)
その肝心のシーンは、上階からの俯瞰カットになったり
メンバーの皆さんの演奏シーンに切り替わったり…で
「この時に、こっちを見たんだよ!」と言われても確認のしようがなく(苦笑)

唯一、信憑性があったのは、この「風の中の火のように」を歌い終えられたあと
甲斐さんが、メンバーの皆さんに「拍手を!」という風な身振りをなさって
お三方が、先にステージ下手側へ向かわれると
1~2歩、上手側に近寄られ、チラッと下に視線を落とされたカットが
もしかしたら「こっちを見た!」のかも知れないなあと…(笑)

そして、アンコールのために演者の皆さんが戻って来られると、オープニングの時と同じく
下手側奥の「花道」を歩かれる甲斐さんを一目見ようと「ビューポイント」を探していた時
おそらく?アンコール待ちの間に、お手洗いに行かれていたとおぼしき男性が
ご自分の席に戻られる際に、奥さんの目の前を横切られたのに気を取られたらしく
「気がついたら、甲斐さんはもうステージに上がってた!」と不満顔(苦笑)

確かに、背後からやって来て、急に目の前を横切られたら、ビックリするとは思うけど
その方も「アンコールが始まる!」と焦っておられたんじゃないか?って言ったら
「昔のツアーで、甲斐さんが「そうやってライブ中にトイレに行くのは
(ライブを観る)準備が出来てないってことだろ!』って言ってたもん!」と…(苦笑)
次回からは、愚妻の目の前を横切られませんようにお願い致します!(笑)

そのアンコールの1曲目「汽笛の響き」は、山田さんのフィドルから始まりますが
大阪公演初日に「やっちゃった(汗)」ことがあったせいか?
山田さんが「ものすごく緊張してるように見えた」らしく
思わず、奥さんも息を詰めて見つめてしまったみたいだけど
いざ、演奏が始まると、大きな手拍子が起こり
山田さんも楽し気な表情をなさってましたよね?

ただ、奥さんは、配信映像を観て「甲斐さんのダンス?が映ってない!」とブツブツ(苦笑)
今ツアー中、この曲の間奏の時に数回だけ、甲斐さんが腰を屈められ
両膝を開いたり閉じたりしつつ、両腕をクロスさせたり戻したりして、両膝にタッチする…
といったパフォーマンスを披露なさったそうで
このラストステージでも登場したらしいんですが

配信映像では、甲斐さんが腰を屈められたトコで
立ち上がっていらっしゃる観客の皆さんの背中で見えなくなっていて
「カメラ切り替えてよ~!」と奥さん(笑)
まあ、今回の配信では、前々回(…前回はビルボ横浜…)のビルボ東京の配信の時とは違い
ステージ上手側のサイドテーブルの後方にいらした撮影クルーの方々がおられず

…って、その時にサイドテーブル席にいた甲斐友さんは
ひっきりなしに人が出入りしたり、何か打合せをする話し声がしたり…で
ライブに集中できなかったみたいなので(汗)そういう意味では良かったのかも?…
「痒いところに手が届かなかったのかなあ?」と言いつつ
甲斐さん監修の円盤リリースに期待しております(笑)

甲斐さんの「サンキュー!サンキュー!サンキュー!
感謝してる!いつも…OK!ありがとう!」という言葉に続き始まった「八日目の朝」では
鈴木さんのバンジョーに煽られ「骨も砕けよ」とばかりに大暴れ(笑)
これに関しては、鈴木さんの足のリズムとシンクロした
「ピョコピョコ」する頭部が確認されております(笑)

そして、ついに今ツアーのラスト曲「目線を上げて」
大サビの前に「ご開帳」となり、場内からは大きな拍手が起こってましたけど
映像では「あの綺麗さがイマイチ伝わりにくい」みたいで
…って、これは、奥さんが初めてビルボード東京で、ご開帳を体験したあと
リリースされた円盤を観た時以来、ずーっと口にしているセリフで(笑)
「やっぱり、ライブは現場で観るに限る!」との思いを、より強くするようです(笑)

すべての演奏を終えられ、演者の皆さん全員で、客席に一礼なさったあと
甲斐さんが、メンバーの皆さんそれぞれと肘タッチ
この最終ステージでだけ、鈴木さんの肩をポンポンと叩いて労われるのを拝見して
「もうすっかりラブリーパートナーだよね」と奥さん(笑)
秋からのソロツアーで「また、無理難題をふっかけられるかも知れないけどよろしく!(笑)」
…と、心の中でお願いしながら、拍手を贈ったんだとか…(笑)

あっ!もちろん、そのあとに、本編終了時と同じく、甲斐さんが目の前にやって来られ
「お辞儀をする時に、私の顔を見て行った」と主張するのは忘れませんでした(笑)
まあ、それらしきカットはありましたが
もうそれも残り十数分で観れなくなりますし、言わせてやって下さいませ…(笑)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビルボードツアー2022(東京6/18・6/19)5

2022-06-24 20:58:00 | ライブ
「4人(という少人数)で、あのー、こう…緊迫したライブをやってると
時々、ナンかね、発狂したくなる瞬間があるんですよ」と甲斐さん
「えー、あるんですけど、ナンか、だんだん、こう…ライブやってると、だんだん覚えて来て
もう、そういう気持ちを逃がすっていうのが出来るようになるんですけど

ビルボードのライブはね、ナンか違うんですよね、ナンか…あのー、ホントに!
途中、緊迫すると、ナンか『ヤバイな!これ』っていう時があるんですよ
ただ、あのー、この距離感ね…この距離感っていうのはナカナカのもので
これ、ホント、ビルボードしかないから…

えー、このビルボードのぬくもりっていうかね
だから、やっぱりこう…ここに戻って来ると
『ああ、恋しや、またビルボードの香り』みたいになっちゃうんですけど…
えー、褒めてますよ~!褒めてますよ~!(笑)」と話されてましたが(笑)

甲斐さんが、その距離の近さゆえに「客席の熱の伝わり方が独特」だとおっしゃったのと
「客席の空気が固い」とお感じになったことは、コインの裏表というか
実際に、演者の皆さんの緊迫感が客席に伝わったステージもあれば
甲斐さんのメンタルの状態で、そうお感じになったステージもあったんじゃないかと…?

それはともかく…「ナンか、あの…初日に結構…
『みんな、ちゃんと声上げないでやって下さいね』とか、色んなナンか…ことの…
えー、アナウンスメントがあったりしたんですけど、知るか!そんなのね(笑)」
…と話されたのを聴いて「観客に注意しても言うこときかないから
甲斐さんに言ったのかなあ?(笑)」と奥さん(笑)

それくらい、今回はビルボード側からの「お願い」が少なかったらしく
また、先月の東京公演の際には、それまでのライブMCで必ずと言っていいほど登場していた
「去年、東京でブチ切れた」話に全く触れられず、ホッとしたことを思い出したみたいです
まあ、ついにビルボード側も諦めの境地に達したってことかも知れませんけど…?(笑)

更に…「イヤ!イヤイヤ!もう夏以降…もう色んな働きかけ…かけが今、行われてて
ちゃんともう、マスクしてれば、ある程度、声出していいと…」と話されたトコで
客席から「イエーッ!」という声が上がり「出し過ぎだろ!」と甲斐さん(苦笑)

それでも「イエーイ!」という声が再び上がり
「『イエーイ!』じゃない!『イエーッ!』…
『イエーッ!』の問題を今、俺が言ってんのに
『イエーイ!』じゃない!」と注意なさってる最中に
小さな「イエイ!」が聞こえて、思わずクスッと笑われ(笑)

「えー…っていう…っていう働きかけを(なさってるので)…
まあ、たぶんもう夏以降…ってか秋以降ね、秋ですかねぇ?えー、なるんじゃないかと…
イヤ、そうじゃないと、ねぇ?面白くないもんね、ライブ…」と
ツアー開幕当初から、ずっとMCで続けて来られた話をなさったあと

「えー、ナンか、考えたらですよ(観客は)みんなマスクしてて
ナンで、俺だけしてないんだ?っていうことですよね?俺だってしたいわ!(笑)
よくよく考えてみたら…」と、ちょっぴりグチをポロリとなさってましたが
奥さんは「客が全員マスクを外せるようになった頃に、自分だけマスクしそう(笑)」とクスクス(笑)
でも、今年のツアーは、フェイスシールドが免除になっただけで有難いと喜んでおりました(笑)

ともあれ…「えー、まあね、もう一瞬一瞬が、ライブってのは大事ですから、ハイ
えー、ということで『かけがえのないもの』というナンバーをやりましょう」とライブ中盤へ突入…
奥さんは、この配信を観始めた直後から、上手側、下手側それぞれからのローアングル
特に、上手側…鈴木健太さん越しの甲斐さんを捉えた映像が
当日、自分の座っていた席から観た画に近いらしくキャイキャイ♪(笑)

続く「嵐の明日」では、木村将之さんのボウイングから高まり
山田拓斗さんのフィドルと甲斐さんの「Shalala…」が絡み合う頃には
椅子の上で身悶えしていたらしいんだけど(笑)
…って、確かに、激しく動いている頭部を確認致しました(笑)

ただ、この配信ステージの時、涙腺が緩んだ拍子にコンタクトレンズがズレたらしく
「ええーっ!?今っすか!?」と焦りまくり(汗)
利き目じゃない方だったので「よっぽど外そうかと思った」くらい痛かったみたいだけど
ステージから洩れる照明しかない中で、鏡も見ずに手探りで行うにはリスクが高過ぎると
目尻を引っ張ったり、まばたきしたりしながら
ズレが直るか、痛みが取れるかを待つことに…(苦笑)

まあ、普段から、開演前にスモークが焚かれたり、近くでタオルを振り回されたりすると
目がシバシバ、チクチク痛むことがあるみたいで
今ツアーでは、お隣の席の方が、扇子を使っておられた時に
その風が、ダイレクトに目に入って来たそうで
さりげなく片手を顔にかざして、しのいだってことがあったらしい(苦笑)

もっとも、以前のツアーでは、開演前に耐えられないくらいの痛みを感じていたのに
甲斐さんが登場された途端に「あっ、治った!(笑)」ことが…って
それ、治ったんじゃなくて、痛みを感じなくなるくらい
脳内麻薬が噴出しただけなんじゃないかと…?(笑)
でも、今回も「イエロー・キャブ」が始まり、鈴木さんのギターに合わせて
椅子の上でピョコピョコしている内に、痛みが治まったんだとか…(笑)

そういえば、ツアー開幕当初は、鈴木さんが足で刻んでいらっしゃるのと
同じリズムで身体を揺らしていると、甲斐さんが、タメて歌われる部分で
「ナンか調子が狂うんだよねぇ」と言ってたんですが
いつの間にか、身体の揺れに歌のリズムが違和感なく受け止められるようになり
…って、それだけ何度も聴いていればねぇ(笑)

そうそう!リピーターでお見えになっていたというKainatsuさんが…
「4歳くらいの時にアルバム『ストレート・ライフ』を初めて聴いた時
言い知れぬ寂しさと青い深淵に漂うような不思議な安心感を覚え魅了された
子供ながらに感じ取った1人の人間としての父の孤独に共鳴し誰にも拭えないと悟った
今でもずっと大好きな『イエロー・キャブ』をLIVEで聴くたび思い出す」…と呟かれていたんだけど

ご自身の「お父さん」が「1人の人間」だということに「4歳」で気づいていらした…!?
やはり、ミュージシャンの方のご家庭って
「父」「母」「娘」といった「家族」としての役割だけじゃなく
1歩外に出れば、また違う役割があるということが、自然に理解できる環境なんでしょうか?
…っていうか、お家の中でも「父親役」以外のお顔が垣間見えるのかなあ?

ただ「イエロー・キャブ」は、いわゆる「クズ」な男性が主人公で(汗)
それこそ、もし、こんな男性とKainatsuさんがおつきあいされてたら
甲斐さんが猛反対なさることは必至でしょうし(苦笑)
だって、賭けに負けた借金のカタに、彼女の身体を差し出すんですよ?(汗)
「父の日」に、このツイートは、なかなかフクザツなものがおありなんじゃないかと…?(苦笑)

それはさておき…ついに、お待ちかねの8曲目(笑)「ブルー・シティ」
そのイントロ…どころか(笑)鈴木さんが「ジャン!」と鳴らされただけで
照明が点いたら、皆さん一斉にスタンディング!?(笑)

東京公演通算3日目の1stステージでは、横浜公演の時と同様
甲斐友さんのお招きにあずかり「ごっつぁんです!」の最前列(笑)
「持つべきものは、強運の友達だね(笑)」と奥さん(笑)
でも、ステージのサイドに設けられているテーブル席にいた甲斐友さんによれば
最前列テーブルの2列目の席の方は全員、最前列に立っていらしたそうです(笑)

その次のステージでは、下手側自由席最前列をゲットしたものの、奥さんの隣は空席で
右隣の指定席テーブル最前列の方はお見えにならなかったらしく(汗)
こんなに人が少なかったら、甲斐さんが下手側に歩いて来られても
ステージ端まで行かれてすぐ、そのまま上手側に向かわれるだろうと思っていたみたいで
甲斐さんが、すぐ目の前に立ち止まられ、ニヤリとなさった(…と主張(笑))途端、魂をぶっ飛ばし(笑)

翌日の1stステージは、上手側自由席最前列で暴れまくっていたトコへ
上手側端まで歩いて行かれた甲斐さんが、ステージ中央へお戻りになる際に
目の前に立ち止まられ、一瞬、身体が固まりそうになったものの
しばしのご滞在のあと、ステージ中央に向かわれたので、金縛りを免れ(笑)ホッとした途端

再び、甲斐さんが目の前に戻って来られ…って
この件に関しては「目撃者多数」につき、どうやらホントみたいで(笑)
「サービス過剰だよ~!」と嬉しい悲鳴(笑)…もちろん心の中で…(笑)
ただ、この甲斐さんのフェイントに、固まりかけていた身体が堪え切れなかったのか?
左足のふくらはぎがツリそうになったんだとか…(笑)
ビルボードならではの「距離感」を存分に堪能したようです(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする