ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ボルグ/マッケンロー(ネタバレあり)

2018-09-30 18:06:00 | 日記
前回のセイヤングで、大坂なおみ選手の話題になった時
甲斐さんが触れられた映画「ボルグ/マッケンロー」を観ました♪

甲斐さんが、大坂選手の戦いぶりをご覧になって
「ナンか久方ぶりに、ちょっと熱くなりましたね
ああ、やっぱ格闘技だなっていう感じがですね
僕ら、それ一番、生で熱く観てた時のね
しかも、その時の一番スゴイ試合が映画になったっていうことなんで…」

…と話されていた通り、1980年のウィンブルドン決勝戦
3時間55分にも及んだ、まさに「死闘」とも言うべき名勝負を軸に
「氷の男」と「悪童」が、そこに至るまでの道のりを描いた作品なんですが

甲斐さんが「マジ、そっくり!」と驚かれていた
ボルグ役のスベリル・グドナソンはもちろん
その幼少期を演じたのが、ボルグの実子レオ・ボルグということで
ボルグ本人のホームビデオか?(笑)と思うほどリアルだし

ハンディカメラやステディカムを駆使したという試合シーンも
本物の試合の映像を使ってない?(笑)ってくらい臨場感たっぷりで
「やっぱ格闘技だな」という甲斐さんの言葉にナットクです

特に「炎のタイブレーク」と呼ばれた第4セットの22分間で
7回もマッチポイントを迎えたボルグと
それを阻止して最終セットに持ち込んだマッケンロー
どちらもフルラウンドを戦ったボクサーにしか見えません(汗)

でも、この映画で一番驚いたのは
「マシン」のように正確無比、常に冷静沈着なボルグと

セリーナ・ウィリアムズ選手の主審への抗議についてコメントしたことに
松藤さんから「お前が言うな!(笑)」とツッコまれたマッケンロー(笑)
アメリカのメディアにさえ
「アル・カポネ以来最悪のアメリカ人」と非難された「悪童」が
実は「似た者同士」だったという事実!

一番初めにボルグの幼少期のシーンが映し出された時
一瞬「ん?マッケンロー少年?」と思ったくらい(笑)
…って、もし2人の髪の色が同じだったら、気づかなかったかも!?(笑)

ボルグ少年は、負けず嫌いで喜怒哀楽が激しく
すぐにキレて、手がつけられなくなる性格で
他の選手の父兄から、我が子と試合をさせたくない相手No.1…(苦笑)
6ヶ月の出場停止処分を受けたこともあったらしい(汗)

ウィンブルドンの1回戦に勝利したボルグが
テレビでマッケンローの試合を観ていた時
審判に「うるさいハトを何とかしろ!」(笑)と文句を言う姿に
かつての自分を重ねるシーンと

ラケットを叩きつけ、審判に噛みつき、コートに唾を吐くなど
「紳士のスポーツ」にあるまじき行為の限りを尽くすマッケンローを見て
あんなに頭に血が昇ってちゃ、まともなプレーは出来ないだろうとの意見に
「いや、違う」と、ボルグだけが、マッケンロー独自の集中の仕方を見抜き
実際、その直後にマッケンローがサービスエースを決めたシーンが印象的でした♪

そうやって、ストレスやプレッシャーを発散するマッケンローとは違い
ボルグは、その才能を見抜いたレナートコーチによって
沸き上がる怒りや不安を1打1打に込めろと叩き込まれ
感情をコントロールすることを覚える訳ですが
ボクがもし、どちらかの人生を選べと言われたら、断然マッケンローだな(笑)

…というのも、ボルグにとって
この1980年のウィンブルドンは、5連覇がかかった年で
ただでさえ、最も権威あるグランドスラムに出場するというプレッシャーに加え
ファンの期待やメディアの取材攻勢によるストレスも半端なく

何よりもボルグ自身が、この大会に敗れたら、みんなに忘れ去られてしまう
自分が何者でもなくなってしまうといった存在証明をかけてしまったこと…
自分で自分の首を絞めるというか、王者ならではの葛藤というか…(汗)

そういったもののために、ちょっと散歩に出かけたつもりが
婚約者のマリアナから「遅かったのね」と言われるまで
時間の感覚がなくなっていることに気づかなかったり
モナコの自宅のベランダに立っている内に
遥か下にあるプールへ今にも飛び込みそうになったり(汗)

試合が近づくに連れ、極端にナーバスで不安定な精神状態が高じ
いつもと同じホテル、いつもと同じ車、いつもと同じ道順といった
安心感をもたらすはずのこだわりに狂いが生じると更に不安や恐怖を募らせ
マリアナを部屋から追い出したり、コーチをクビにしたり…(汗)

眠る前には、50本のラケットを1本ずつ丹念にチェックし
心拍数を下げるために、室内をキンキンにして身体を冷やすという
ルーティンもままならないくらい追い込まれる…って

「ウィンブルドンがなんぼのもんや」という気持ちと
そうやって命をすり減らすような思いをしてまで打ち込める
まさに「人生そのもの」というものを手にしたことへの羨望が入り交じり
決勝戦が行われるセンターコートへ出て行く後ろ姿に胸が痛むやら
結果も、その過程も知っているはずの試合シーンに手に汗握るやら…(苦笑)

でも、この映画で描かれたエピソードなんて何も知らずに
リアルタイムで試合を観た時よりも
映画の中の試合を観た後の方が、より一層感動すること間違いなしです♪
甲斐さんが「ボルグ好き」になられたきっかけとおっしゃっていた
「サーブを打つ前の息づかい」も堪能できますし…(笑)

おまけに、ラストで「似た者同士」の2人が言葉を交わすシーンが添えられ
壮絶で息詰まるドラマの連続の後に、一服の清涼剤って感じで、観賞後感は爽快♪
世界の渡部さんのように上手くは書けませんでしたけど
よろしければ「劇場へどうぞ!」(笑)

余談ですが…この翌年のウィンブルドンでは
マッケンローがリベンジし、ボルグの6連覇はならず…
ボルグは自身の存在証明とどう向き合ったのか?と気になってしまって…(汗)

ただ、1983年にツアーの過密スケジュールに抗議したボルグが
26歳の若さで引退したことに関して
マッケンローが「ボルグほどの選手がラケットを置くのだから
今のツアーシステムは間違っている」と
コメントを発表したことに改めて拍手を贈りたくなったのも
この映画のおかげだけど…♪
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ユー・メイ・ドリーム3

2018-09-29 18:49:00 | 日記
エッコちゃんの突然の妊娠発表を受け
エッコちゃんの両親とマコちゃんのお母さんが緊急会談
「こうなったら、すぐにでも結婚させましょ」ってことで意見が一致し
当の2人が「そんな形式みたいなことは…」
「一緒におられるんなら、それだけで…」と言うのも聞かず…(苦笑)

本来なら、マコちゃんの実家がある久留米で式を挙げるべきところと言いつつ
「商店街の仲間や親戚たちも悦子の結婚を祝いたいっち沸き上がっとります
若松でやらして貰えんでしょうか?」と松重父ちゃん
マコちゃん母さんが「よろしくお願いします」と即答し
当の2人は「式やら挙げるん?」「みたいやね…」と…(笑)

若松恵比須神社で、父ちゃん達が五平太囃子を奉納するといった盛大な結婚式の後
出産まではマコちゃんの実家で暮らしていたものの
双子を育てるのは大変だろうというエッコちゃんの両親の提案で
マコちゃんがエッコちゃんの実家でマスオさん生活を送ることに…

が、サンハウスの活動休止が決定し
親子4人で出かけた高塔山野外音楽堂で
「おい、音楽ば続けられっとかいな…」と落ち込むマコちゃん
エッコちゃんは「いつかここでロックのライブを観たいんよ
その時ね、ステージに立っとるんがマコちゃんやったら嬉しい」と励ますものの
東京からの「レコードを作りたい」というオファーの電話に
「また連絡する」と、二の足を踏むマコちゃん

このやり取りをたまたま耳にした父ちゃんが
「マコちゃん、ちょっといいね?」と声をかけ
「あんた、ウチの娘と子供たちを幸せにするとね?せんとね?
サンハウスはイイよ、わしゃ大好きや!
せやけど、博多でチヤホヤされたって、仕事にならんやったろうが
東京で勝負かけて来ない
今のままじゃ、ぬるま湯に浸かっとるだけやろ
風呂の外に出て、火をくべるもんがおらんと、みんないっぺんに風邪ひくけ」

…ってセリフに、アマチュア時代の甲斐さんが
デモテープを持って、東京の某レコード会社をお訪ねになった時
福岡での観客動員が千人だと話されたのを全く信じて貰えず
いくら福岡から弾を撃っても「東京に届くのはせいぜい1発か2発」と
その距離の遠さを実感なさったという話を思い出しました

「腹いっぱい東京でやって、それでダメやったら諦めもつくやろ
どうしてもダメやったら、そん時は、いつでん帰って来たらええ」と背中を押すと
居住まいを正して「はい!」と頷くマコちゃん
それに「うん…」と答えながら、何事もなかったように
新聞を広げる松重父ちゃん、超かっけー!(笑)
それへ黙って頭を下げるマコちゃん、グッと来ました♪

マコちゃんは「おいの音楽ば続けられるかどうか、瀬戸際たい」と単身上京
愛する家族を残し、プロとして音楽の世界に飛び込むのは
きっと甲斐さん達と同じように「生半可なことでは帰れない」という
不退転の覚悟だったんじゃないかと…

そのマコちゃんからの近況報告の電話に
「みんな応援しよるけ、頑張って!私も頑張る」と言った後
電話が切れてからも「私も頑張る…」と呟くエッコちゃん
その様子を見つめる松重父ちゃん…!?

ただ、場面はレコーディング・スタジオで作業中のマコちゃんに移り…
マコちゃんが自分の作った曲について女性シンガーに指示を出すシーン
この曲のテンポがかなり速く「テンポ落とせない?」
「この曲、私には歌えないわ」と訴える女性シンガーに
「疾走感」が大事だから、テンポはこのままで…とマコちゃん

時は「昭和53年」とクレジットされていたけど、西暦で言えば、1978年…
そう!甲斐バンドの【HERO】が発売された年です(笑)
この「疾走感」という言葉に奥さんが食いついたことは言うまでもアリマセン(笑)

ともあれ…そのスタジオに「来たよ!」といきなりエッコちゃん登場!
驚くマコちゃんに、エッコちゃんは
「『マコちゃんがおらんと、そわそわして上の空やけん
行ってこい』っち、お父さんが…」と、父ちゃんの粋なハカライを説明

レコーディング作業を眺める内に、足でリズムを刻み出し
ついには立ち上がって体を揺らすエッコちゃんを見て
「ちょっと、歌ってみてくんない?」と藤代プロデューサー
驚きながらも、エッコちゃんは「私、歌いたい
自分の歌ったレコード、自分で聴いてみたい」…って

ある意味「自分の聴きたい曲を誰も作ってくれないから」
曲作りを始められた某ミュージシャンの方を彷彿させる言葉(笑)と共に
「簡単なことやないと思うけど、この夢は離したくない」という決意を語り
マコちゃんも「それ、最高やね、よし!おい達のレコードば作ろう!」と…

レコーディング当日、疾走感あふれる曲が始まるや
「1,2,3,GO!」とかけ声を発するエッコちゃん(笑)
藤代プロデューサーはもちろん
おそらく?エッコちゃんのハナ歌程度しか聴いたことのなかったマコちゃんも
呆気にとられるほどの才能を見せ…

ちなみに、石橋静河さんの歌声は、シーナさんそっくり
…とまでは行かないものの、かなり研究なさったのであろうことが窺え
凌さんパパ譲りでしょうか?文句なしにむちゃくちゃウマイ!
ご本人は「自分の中にロックのルーツがあると思っていたので
それを探っていく良い機会になりました」と話されてたけど…

それはともかく…これには流石の松重父ちゃんも「お前…歌いたい?
歌手になるやら、気でもふれたんか!?」とビックリ(笑)
エッコちゃんは「大変なことはわかっとう
けど、歌いたいんよ、マコちゃんの隣で…」と訴え
「子供たちはどうするんか?」と現実問題を突きつけられるも
「とにかく、陽子と純子を連れて東京へ行くけ」と、あくまでも決意は固く…

エッコ母さんが「これ、覚えとうね?」と父ちゃんに見せた
エッコちゃんの卒業アルバムの寄せ書きには
「歌手になって、世界中をまわりたい」と記されていて
「マコちゃんとエッコが出会ったんは運命やったんかも知れんね」と母さん

ひとり海辺に立っているエッコちゃんに
父ちゃんが「俺も音楽は大好きやった」と話しかけると
「ダンスの先生になりたかったんやろ」と返すエッコちゃん
父ちゃんは「結局は、家業を継ぐ道を選んだけどな
…行って来い、マコちゃんの隣で夢みて来たらいい」と
自分には選べなかった道を選んだ娘の背中を押すも
「けど、子供は置いていけ」と…

「これ以上、迷惑はかけられん」と言うエッコちゃんに
「迷惑やら思うもんか
お父さんもお母さんもおんなじ夢みるんやけん
その代わり、絶対、負けんな
でっかい夢、土産に子供たち迎えに来るんやぞ」と、またまた父ちゃん、かっけー!(笑)

更に…「あん時…お前たちのアパート行った時
お前…『やっと私だけの場所見つけた』っち言うた
好きな歌聴いて、騒いで、楽しい場所を見つけたちゅうことや思うとったが
あれは、マコちゃんの隣ちゅうことやったんやな」
…って、もう松重豊さんにヤられっぱなしの我が家(笑)

そうそう!「シーナ&ロケッツ」の「ロケッツ」は
「ロックな悦子」から来てるそうだけど
「シーナ&ロックな悦子」って、エッコちゃんの超ワンマンバンドってこと?(笑)

それはさておき…エンディングは、プロローグでもチラッと流れた
シナロケの福岡凱旋ライブのシーン…
嬉しそうな父ちゃんや、複雑な表情の「サンハウス」のメンバーらが見つめる中
「久しぶりに福岡に帰って…シナロケファミリーのもとに帰って来ることが出来て
ホントにステキな夢をみているみたいよ
みんなも夢を持ってね」とシーナさん

石橋さんの【ユー・メイ・ドリーム】が、シーナさんの歌声に変わり
「『高塔山でロックがしたい』…シーナのひと言によって
平成18年からロックフェスが実現
ロックの聖地・高塔山野外音楽堂には
シーナが残したロックが今も響いている」というクレジットや
幼い頃のエッコちゃんと副田家の家族写真などが映し出された後

「平成27年、61歳でロックの生涯を終えた」
「平成29年、シーナ&ロケッツ40周年
これからもシーナとともに夢を追い続ける」と結ばれていて
この福岡発のドラマが、シナロケの歩みそのままに
全国で流されたことに不思議な感慨を覚えた訳ですが
やっぱり「九州少年・甲斐よしひろ」のドラマ化
是非とも実現して頂きたいなあと…♪(笑)
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ユー・メイ・ドリーム2

2018-09-28 18:20:00 | 日記
という訳で、いきなり共同生活が始まり
「エッコはどこをほっつき歩いとるんや
夏休みも終わるっちゅうに…」と心配する松重父ちゃんと
「一人っ子やけねぇ、一人に慣れとるんよ
昔からダイナマイトみたいな子やったけど
どっかで火が点いたかね」と我が子の性格を
どこか冷静に把握しているお母さんのもとに

「心配しないで。毎日楽しく、自信満々で生きてますから」という
エッコちゃんからのハガキが届き
傍らで眺めていたシゲちゃんが「男かいな?」と言ったことで
いてもたってもいられなくなった父ちゃんは、春吉のアパートを訪れ…

ちょうどその時、部屋の中では
マコちゃんのギター演奏をカセットテープに録音しようとしているところで
奥さんは、エッコちゃんが録音ボタンを押す際に口にした
「さんのーがハイ」という合図に食いつき(笑)
「甲斐さん達もデモテープを録る時に
『さんのーがハイ』って言ってたのかなあ?」と…(笑)

ともあれ…ドアを叩く音に、エッコちゃんが玄関へ向かおうとするのを押し留め
マコちゃんがドアを開けると、鬼の形相の松重父ちゃんが…(汗)
「どちらさんですか?」と訊ねるマコちゃんの後ろから
「お父さん!?」とエッコちゃんが飛び出して来て
父ちゃんを部屋の外へ押し出し、自分もドアを背に立ち
マコちゃんだけが玄関に取り残され…

「なんしようか!家でも好きにやりよったろうが?帰るぞ!」
…と有無を言わさぬ感じの父ちゃんに
エッコちゃんは「ここにおったら、生きとるっち感じるんよ!
やっと私だけの場所見つけたんよ!」と一歩も引かず…
父ちゃんは「勝手にせえ!」と言い捨てて帰って来たものの
「ものすごい目でワシを睨んだ…
あげなエッコ、初めて見た…」とショックを受けた様子…(苦笑)

話を聞いたお母さんも、アパートを訪ね
「お父さん、寂しそうやったよ」と伝えながらも
マコちゃんには「昔から言い出したらきかない子で…誰に似たんかねぇ」
…などと話しかけたり、料理を振る舞ったり
エッコちゃんには「良さそうな人やないの」と囁いたり…(笑)

一応、黙認?という形で2人の生活は続き
エッコちゃんは、サンハウスのメンバーの溜まり場兼練習場である
「ぱわぁはうす」に出入りするようになり
…って、これまた「地下にあるライブハウスだ!」と騒ぐ我が家の住人…(笑)
そこでマコちゃん達が「福岡のブルース・ロックを発信して行きたい」と
企画した「ブルース講座」を手伝うことに…

冊子の準備やレコード集め、音源の選曲・制作など
全て自分たちで行って開かれた講座には
当時はレコード店自体が少なかったことも手伝って
ブルース・ロックのレコードが聴けるならと多くの若者たちが集まったらしい

マコちゃんが「ストーンズ、キンクス
デイヴ・クラーク・ファイブを聴いていく内に、アニマルズに出会った」ことや
「ロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズが本物のブルースで
ストーンズやジョン・メイオールが偽物だっちことはない」と語るシーンでは
「甲斐さんがファンクラブに入ってたバンドだ♪」やら
「ブルーアイズド・ソウルってことね」やら、イチイチ反応する奥さん(苦笑)

店の入口で、冊子を配るエッコちゃんを見た男性客達が
「女がロックげな」「女に判るとかいな」と聞こえよがしに話すシーンでは
甲斐さんが「LEGENDS」の「マイムービー」で触れられた
ランナウェイズを思い出したのか?

「アメリカでさえ、最初はそう言われてたんだもんねぇ…」と
当時の女性ロッカーの扱われ方にしみじみしていると
その冊子の原稿を書いたのがエッコちゃんだと気づいた男性客達が
思わず、エッコちゃんを二度見する様子にニンマリ(笑)
ある意味、ドラマを観るより面白かったけど…(笑)

それはともかく…福岡が「日本のリバプール」と呼ばれるようになり
当時、人気も実力も群を抜いていたサンハウスのライブにも
東京の音楽関係者が姿を見せ、昭和50年にレコードデビュー
アルバム「有頂天」を発売し、ゴダイゴやChar氏とツアーを行うも

「ゆくゆくは東京を拠点にってこと考えて欲しい」との言葉に
「俺たちは、東京やら行く気はない」と柴山俊之さん
「もったいないと思わない?
音楽やってる連中は、みんな東京を目指すのに…」と言われると

今度はマコちゃんが「リバプールにはビートルズやら
みんなそれぞれの街に拠点があろうもん
おい達もおい達の街でやってく」と返し
「東京で一攫千金っていう…」と食い下がられても
「おい達は、音楽さえ出来れば、それでいいっちゃけん」とキッパリ

噂を聞きつけたファンから「東京行くってホントか?」
「福岡のロックやなかとか?」と訊ねられた時にも
「俺たちは福岡から離れん!」
「おい達は福岡のサンハウスたい!」と宣言

この辺りは、照和の出演者の皆さんが
「いずれデビューするものと思って」ステージに立たれたり
ラジオに出られたり、ライブを行っていらしたのと対照的ですね?
まあ、某T田さんも、チューリップが上京した後
「俺たちは東京へは行かん」とおっしゃっていたそうですが…(笑)

そんなある日、エッコ母さんから
「お父さんも若い時、博多のダンスホールで人気者やったよねぇ
お父さんとマコちゃんて、気が合うんやないかね?
一度ちゃんと話してみたらどうやろ」と言われ

…って、父ちゃんがダンスホール!?(笑)
あ、イヤ、本物の副田さんがどうのという訳じゃなくて
松重さんがダンスされてる場面を想像してしまって(失礼!)
でも、エッコちゃんの血が騒いでたのは、このDNAのためかとナットク(笑)…

サンハウスのライブを見に行った父ちゃんが
終演後、マコちゃんに「飯は食いよるんか?食うて行けるんか?
音楽で、バンドで食わして行けるんか?大変やぞ?」と詰め寄ると
「はい」と頷くマコちゃん
更に父ちゃんが「口で言うのは簡単や」と言い募ろうとしたら

「マコちゃんは口だけの男やないよ」とエッコちゃん登場
「真剣に音楽に生きとるんよ
それに、パパになるんやけ」と衝撃告白(笑)
父ちゃんはもちろん、マコちゃんも「えっ!?」と絶句するバックで
ギャイーン!と鳴ったギターが印象的でした(笑)
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ユー・メイ・ドリーム1

2018-09-27 15:33:00 | 日記
先日、シーナ&ロケッツの結成40周年に因んだドラマ
「ユー・メイ・ドリーム」を観ました♪
元々は、NHK福岡放送局制作の地域ドラマらしく
3月に九州沖縄地方で、5月にBSプレミアムで放送されたものだそうですが
そこは、地方局とはいえ、天下のNHK!(笑)
鮎川誠さんとシーナさんの半生を軸に
グッと来るセリフ満載のよかドラマでした♪

ただ…「1970~80年代、きら星のごとくミュージシャンが生まれ
『日本のリバプール』とも呼ばれた福岡」…って謳うなら
「甲斐バンドでもよかろうもん!(笑)」と奥さん(笑)
…って、それは、シーナさんが61歳という若さでお亡くなりになり
鮎川さんの「シーナの夢」にインスパイアされて出来たドラマ…とのことだし
もしかしたら「半分、青い。」に
このタイトル曲が使われたことも影響してるかも知れないし…?(笑)

でも、そう言いながら、実はボクも…
後のシーナさん・副田悦子役の石橋静河さんは、石橋凌さんのお嬢さんで
その父親役の松重豊さんを始め、主な出演者やスタッフの方々も
「福岡関係者で固めた」みたいで、福岡弁はバッチリ♪
それに当時の博多の空気感や、アマチュア音楽シーンが
映画「照和」とシンクロしたりして

映画「ラストソング」は「わがままでワンマンなバンドリーダー(笑)」が
某バンドのリーダーの方を彷彿させる…といった説もあったけど(笑)
家族や友人に囲まれていた「九州少年・甲斐よしひろ」って感じで
ドラマ化された甲斐さんの半生を観てみたいなあと…(笑)
もっとも、ご本人は「絶対イヤだ!」とおっしゃるでしょうね?(笑)

ともあれ…ドラマの冒頭は、高校生のエッコちゃんが
スパイダースのコンサート会場の入口で
学校の先生から「こげな不良の集まる所に、お前たちを行かせる訳にいかん
こげな歌、聞きよったら、良い大学、良い会社に入れんぞ!」と叱られるシーン

ボクが「GSが不良って懐かしい!(笑)」と言うと
「私たちの年代でも、ロックコンサートに行くなんて
不良と思われてたくらいだからね(笑)」と奥さん(笑)
こーゆー先生に限って、シーナさんが有名になられた時に
「俺の教え子だ!」と自慢なさったんじゃないか?と意見が一致(笑)

そういえば…甲斐さんも、博多での「九州少年」出版記念サイン会に
「『母校の教師だ』って言って、無理やり割り込んで来た先生がいた」
…と、おっしゃってましたが、あまり友好的な関係じゃなかったような…?(苦笑)

…で、エッコちゃんは「私たちには音楽を楽しむ自由もないんね」と
北九州市若松という「窮屈すぎる街」を飛び出し
「全てを解き放ってくれる、何も束縛するもののない」東京へ家出するも
「東京も同じやね…」とガッカリして帰宅

無言で睨み合う松重父ちゃんとエッコちゃん…
イヤ、父ちゃんは怒りと安堵のあまり声も出ないのか?(汗)
代わりに、父ちゃんが経営する婦人洋品店のある商店街の仲間である
魚屋のシゲちゃんが「何しとったんね?
東京げな危ないトコに、女の子1人で行くやら…」とたしなめようとした途端

「しゃあしいっちゃ!(うるさいな!)」とエッコちゃん(汗)
父ちゃんがキレて掴みかかろうとするのを慌ててみんなで止める…という
松重さんの口より先に手が出るような頑固オヤジぶりが
古き良き昭和のホームドラマみたいだなあと…(笑)

が、シゲちゃんが「エッコちゃん、この前もレコード屋で
訳わからん英語の歌聞きながら、踊りよったばい
アレ、やっぱり師匠(松重父ちゃんのこと)の血やね」と口にするシーンがあり
この頑固オヤジにも別の顔が?と…

奥さんは奥さんで、この「明治町銀天街」という商店街を見て
天神の「新天町」のアーケードを思い出すわ(笑)
商店街の仲間が松重父ちゃん家に集まり、エッコ母さんが料理でもてなすシーンに
甲斐家の宴会風景を重ねるわ(笑)妙なトコに食いついておりました(笑)

ちなみに、このエッコ母さん役は
甲斐さんも出演なさった九州朝日放送「アサデス。」のMC
徳永玲子さんが務めておられますが
藤田弓子さんと宮崎美子さんを足したような「ザ・九州のお母さん」で
表立っては男性を立てながらも、実は手のひらの上で…って感じ(笑)

ま、それはさておき、エッコちゃんのモヤモヤは治まらず
「私の心を震わせる何か」を求め、各地のフェスやコンサートに出かける日々…
京都のライブハウスへ行った帰り
「ナンか物足りなくて」博多の街を歩いていた時
「ヤングキラー」という店から流れて来た演奏に
「うそ!ヤードバーズ…」と足を止め、吸い込まれるように店内へ…

客席から「サンハウスっち、知らん曲ばかりやりよる」やら
「踊れる曲やらんか!」やらと野次が飛ぶ中
一心不乱にギターを弾いていたのが、マコちゃんこと鮎川誠氏で
出待ちしていたエッコちゃんと喫茶店で話す内に
お互いに「ロックンロールば凝縮した」ブルース好きであることが判明

「まさか、女の子とこげな話ば出来るやら、思うとらんやった」と言うマコちゃんに
「あなた達サイコーよ、日本一っち言うてもいい
あなたはキース・リチャーズよりカッコいい」とエッコちゃん

夜遅くに女の子1人で若松まで帰るのは危険だからと
マコちゃんが下宿している伯母さんの家に泊めて貰うことになり…
といっても、マコちゃんの部屋に入るや
エッコちゃんは、マコちゃんのLPコレクションに食いつき(笑)

ビートルズの「レット・イット・ビー」を眺めながら
「フィル・スペクターって、やるよね」などと言ったもんだから
「プロデューサーまで知っとうと?」と、オールで音楽談義(笑)

九大時代のマコちゃんは、当時の「長髪」というほど髪も長くなく
メガネをかけた生真面目な学生といった感じで
たぶん?普段は女の子と話すのが苦手なタイプみたいに見え…
って、これは鮎川さん役の福山翔太さんのイメージもあるかも知れませんけど…?

その翌朝、下宿を出て歩く道すがら
エッコちゃんが、塀に貼られた賃貸アパートのチラシを見て足を止め
「私も博多に住もうかな…」と呟き
マコちゃんが「それやったら…」と応えたトコで
場面は引っ越し作業に変わり…(笑)

ボクは、無鉄砲とも思えるエッコちゃんの行動力に驚き
奥さんは、お2人の新居の住所が「春吉5丁目だ!」と萌え~(笑)
その住所のトコで、深夜に甲斐さんとバッタリ♪
出会い頭に握手して頂いた「思い出の地」だそうです(笑)
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バイキング(9/18)8

2018-09-26 14:15:00 | メディア
いつもは、メインのニュースだけをご紹介してますが
今回は、甲斐さんのコメントが興味深かったので
「滝沢秀明 電撃引退!語った覚悟
ジャニーさん仰天プラン!初の養成所設立 タッキー校長」もお伝えします(笑)

まずは、スポーツ紙の記事の抜粋から…
「ジャニー氏が事務所の公式サイトにメッセージを公開
滝沢が所属する新グループ会社を
スターの卵を英才教育する養成所にする構想を明かした」
「今回、ジャニー氏の『イズム』を知り尽くした滝沢という
最適任の『校長』が現れたことで
夢のプランが動き出した形だ」…と紹介され

「うーん…甲斐さん、タッキー引退ということですけど…」と坂上さん
甲斐さんが「ハイ!」と元気なお返事をなさると(笑)
「ビックリしましたね?」と重ねてお訊ねになったものの
甲斐さんは「その件は、全部ヒロミさんに訊いて頂いて…(笑)」と返され
坂上さんは「いえいえ、もう、甲斐さんにも先輩として、ハイ(笑)」と促され…(笑)

この坂上さんの粘りに笑いながら「イヤ、あの、僕…
そのナンとかイズムっていうのって、大事だと思うんですよ
で、それは基本的に、その事務所がどうかということもあるんですけど
そのちゃんとしたスタイルと流儀を持ってる会社がある
で、ちゃんと、そのイズムを引き継ぐと…そこはすごく大事ですよね
どんな時代もそういうことがあるべきだと思う」とコメントなさってましたが

甲斐さんとジャニーズの接点といえば…
カラオケ大会で【ブルージーンズ・メモリー】を歌われたり
その近藤真彦さん主演の映画やご本人にも曲を提供なさったり
シブがき隊のフッくんが「甲斐バンドのファン」とおっしゃった時に
「元気があってイイよね」とか「【サムライ・ニッポン】が大好き」と話されたり

スマスマご出演や中居正広さんとの対談もあったし
「男闘呼組はバンドだ」と断言なさって
その高橋和也さんのお父様のお店に行かれ、木村拓哉さんに睨まれたり(笑)
長瀬智也さんを「愛してる」発言(笑)やTOKIOに楽曲提供
【青春アミーゴ】がお好きで、山Pと同じスタイリストさんだとか
昨日、一緒に飲んだと自慢されたり(笑)

…と、個人的なおつきあいはおありでも
「ジャニーズ事務所」について話されたのは
甲斐さんが設計なさった超軽量のマイクスタンドを
すぐにジャニーズ事務所が採り入れたとかで
そういう「魅せること」に対するアンテナの張り方がスゴイ!
…といった意味のことを口になさったくらいで

まあ、水と油とは言わないけど
お互いに畑違いとの思いがおありだろうと思っていたから
「イズム」に触れられたのは、ちょっと意外でした

ともあれ…YOUさんが「ナンか、ジャニーズって
やっぱ日本の女の子たちの夢みたいなことで
絶対、ずっと受け継がれて行って欲しいなっていうのがあって…
例えば、ジャニーさんにしろ、会社の偉い人たちが、どんどん年を取ってって
ちょっと、どうすんだ?って思ってて…だけど、それをまさか…」と話されると

坂上さんも「僕もこの引き継ぎはスゴイなと思いましたね
だから、段階じゃなくて、ドーン!って行った感じじゃないですか?一気に…
しかも、現役のアイドルに、っていう…
だから皆さん、驚いたかと思うんですけれども
ま、当然、ご本人も相当の覚悟であったと思います」とおっしゃってました

奥さんは「甲斐さんが引退したら、事務所は閉めるでしょ?
弟子取ってる訳じゃないし…(笑)」と冗談っぽくではありつつ
甲斐さんの「イズム」の後継者的な存在がいないことは
当然とはいえ、やはり寂しいものらしい(苦笑)

続いて、滝沢さんが、ご自身のラジオ番組で語られた言葉の抜粋…
「タレント活動を続けながら、人の人生を触って行くっていうのは
正直、出来ないなと思った
人生を背負うとなると、自分も覚悟を決めないとやって行けないと思ったし
一方で、ファンの方がどういう思いをするかも、すごく考えました

1人の男として考えた上で、今の自分があるのは、ジャニー社長のおかげだと感じ
恩師に恩返しをしたいという思いが強く出て来て
僕なりに引退ということを選びました

ファンの方へも恩返しのつもりで『滝沢秀明を応援して良かった』
『この男はデカイな』と思って貰えるような男になるしかない
それ以外の言葉は、正直、今は見つからないんですけれども
エンターテイメント、そしてジャニーズ・エンターテイメントというものを
滝沢なりの表現で、皆さんにこれからお届けして行きたいなと思っています」

…が、紹介され、ヒロミさんが「僕も聞いた時は、ちょっとビックリしましたけど
ナンか、でも、滝沢らしいなと思ったし
滝沢のジャニーさんに対する尊敬とかリスペクトって
ちょっと半端じゃない感じもしたし
だから、ナンか、ビックリもしたんだけど
『おおっ、そう来たか!』っていうのと…

やっぱり、男っぽいんですよ、だから、ホントに自分の道を断って尽くす…
ジャニーさんの意志なり、色んな今までやって来たエンターテイメントのことを
あいつ、そばで一番ジャニーさん見てるだろうから、それを伝えると…
俺、ナンか滝沢らしいし、向いてるかも知んないなって…

俺の作業みたいなのを一生懸命、ホント手伝ってくれるし
スターがあんなことやんなくても…俺、毎回言ってたの
『お前はこんなことやんなくていい』『もうスターなんだから』って…
『ナンで、こんなことをね、平気で出来んの?』って
休憩時間とかによく話してたのね」と共演現場でのエピソードを話されると

甲斐さんも「だけど、ああいうのを見てて…何回か見て行く内に
『あっ、この男、他の男と違うな』っていうのが、もう伝わる」とコメント
ヒロミさんが「伝わるでしょ?」と反応なさって
「伝わる、伝わる!」とお2人で盛り上がられ(笑)

更にヒロミさんが「あいつはね、もうスゴイんですよ
汗のかき方も尋常じゃない汗かくから
俺、全く汗かかないから、俺、全くやってない感じ(笑)」と話されると
手を叩いて大笑い(笑)

滝沢さんは、甲斐さんと同じ牡羊座でいらっしゃるし
甲斐さんもデビュー当時、メンバーの皆さんとの共同生活の頃
慣れないドラムの練習に疲れて、うたた寝なさっている松藤さんをご覧になり
東京まで引っ張って来てしまった松藤さんの人生も背負う覚悟を
新たになさったことを思い出されたんじゃないかと…?

坂上さんが「まあ、でも、あの人のことだから
また面白いことやって…」と言いかけられたトコで
ヒロミさんが「俺はね、ホントに滝沢が演出してるとか
滝沢が作ったアイドルとか、スゲェ楽しみだし
ホントに滝沢が学校作んだったら、そこに入って
ジュニアから…一から勉強したい!(笑)」と宣言(笑)
最後まで笑いっぱなしの甲斐さんでした(笑)
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