ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

THE NEW YORK BOX その1

2016-06-30 08:55:38 | メディア
昨日、届いたようです♪…って
じゃあ、甲斐バンド解散から30周年を迎えたってことですねぇ(笑)

このブログも今日で「開設から1430日」らしく
あと1ヶ月で丸4年になります!びっくりポンやわ〜!(笑)
読んで下さった皆さま、「シェア」や「いいね」をポチッとして頂いた皆さま
どうもありがとうございました!!
まだしばらくは(笑)ウダウダ書かせて頂くつもりですので
よろしければ、また覗いてやって下さいm(__)m

ともあれ、そのNYボックスを出勤する間際に受け取った奥さん
誘惑に勝てず、列車を1本遅らせることにして(笑)早速開封したらしい

kainatsuさんのツイッターにアップされていた写真…
お嬢さんが手を差しのべていらした「だれ。これ。」(笑)
…と同じ「ストレート・ライフ」の甲斐さんの中から(笑)
ボックスセットとブックレットを取り出すと
あろうことか、CDが2枚ハダカで滑り落ちて来たそうだ(汗)

「ええ〜っ!?」と慌ててケースを開いてみたら
あとの6枚はキチンと収まっていたんだけど
落ちて来た2枚をしまおうとして「ん?」

空いてるホルダーの位置と手にしたCDが合わない?というか
ディスク1〜8の順番がビミョーにズレて並んでいて
「誰かが開封して聴いた?(笑)」と思ったんだとか…(笑)
ちなみに、予約特典のクリアファイルは無事でした(笑)

甲斐さんがセイヤングで「デザイナーが泣いてました(笑)」と
おっしゃっていたピクチャー・レーベルは
オリジナル・アルバムのジャケ写を元にしてあるみたいですが

「リピート&フェイド」に関しては、デザイナーさんもやり易かったんじゃないかと…(笑)
もっとも、奥さんはインナーの「火風水土」の写真にして欲しかったらしい(笑)
でも、このホルダーのバックにもNYの風景写真が使われていて
豪華な作りになってますね

余談ですが…ピクチャー・レーベルといえば、甲斐さんの「お宝レコード」
ビートルズが毎年クリスマスにファンクラブ会員へ
プレゼントしていたというレコードもピクチャー・レコードみたいですが

「LOVE LOVE あいしてる」に出演された際に
「これ[なんでも鑑定団]に誰か持って行って
いくらか鑑定して貰えないかな?(笑)」と甲斐さん

「でも[鑑定団]に出たくないもんね(笑)
これが8千円だったら、余計イヤだしね(笑)」とおっしゃってましたが
「針を落としてない」ということは「新古品」扱いになるんじゃないかなあ?(笑)

以前に「徹子の部屋」からオファーがあって
「コワイもの見たさ」で(笑)出てもイイかな?と思われたら
「向こうから静かに断られた(笑)」ことがおありだったのにも関わらず

先日のサンスポで、記者の方から黒柳さんとの対談を勧められて(笑)
「黒柳さんは今も現役バリバリ感が凄い
僕もこの年齢だから余裕が出てきた。面白いかもですね」と話されてたし

当時、あれだけイヤがっておられた(笑)「徹子の部屋」に出られるのなら
「なんでも鑑定団」も大丈夫でしょう?(笑)
まあ、奥さんによると「とっとテレビ」の満島ひかりさんが
黒柳さんのイメージアップに貢献なさってるからだと…(笑)

それはさておき…
CDとDVDは、またゆっくりと楽しませて頂くとして
まずは「未発表写真や直筆歌詞の画像を多数含む
全100Pブックレット」についてなんだけど

ずっと現役バリバリのファン(笑)の悲哀と申しましょうか?
奥さんが楽しみにしていたほど目新しい写真がなかったらしく(苦笑)
当時の音楽雑誌や機関紙BEATNIKに掲載されたものや
おそらく?それと同じ時に撮影されたとおぼしき写真が多いそうだ

確かに、パワーステーションの屋上で食事をなさってる写真は
「GOLD」のインナーにも使われてるし
日経新聞の「こころの玉手箱」でも紹介されてました

ボブの担当美容師の方に「髪をカットしてもらう甲斐さん」も
機関紙や「ギターブック」の付録に別ショットが載ってます(笑)

ボクが「奥様とのツーショットは珍しいんじゃない?」と言うと
ライブ・ボックス・セットのブックレットを出して来て

「ハンチングを被られた奥様と並んでおられる甲斐さん」と
たぶん?その後に乗られた車の中で
「ハンチングを被られた甲斐さん」の写真を見せてくれました(笑)

「Highway25」のインナージャケットにも奥様との写真があるし
他のインナーの写真も、今回「まんま」使われてます(笑)

セイヤングで話されていた「ピーター・ガブリエルに
【冷血】のコーラスを教えてる(笑)」写真も
我が家の資料で見たことがあるし…

そうそう!「ストレート・ライフ」のジャケ写のページの隣に
「腕組み」や「ジャケット着用」など
大勢の甲斐さん(笑)がいらっしゃいますが
我が家にはナゼか?この衣装の「カラーの甲斐さん」写真があって

深いグリーンのシャツを「イントゥ(笑)」なさって
ベルトを締めておられるんだけど
このブックレットの写真をよくよく見ると
シャツの裾の方に「イントゥ」していたらしい「シワ」が…(笑)

もちろん、撮影場所や日時が同じでも
奥さんが初見の写真もいっぱいあって
「雪の上でジャンプする甲斐さん」は
かなりゴキゲンでいらしたのか?(笑)
笑顔がこぼれておられ
「当時の甲斐さんが、ボツにしたんだよ!絶対(笑)」と奥さん(笑)

裏表紙の「膝をついてギターを弾いてる甲斐さん」に
キャイキャイ騒いでおりました(笑)

ただひとつ、我が家で物議を醸し出したのが
やはりセイヤングで話題になっていた「虜」の写真…

余貴美子さんの「おマタ」のトコに(笑)
PVのラストカットの甲斐さんが映ったモニターがある…というのは
甲斐さんがおっしゃってた通りなんですが

モンダイは、余さんの手足を縛っている「モノ」
…この写真を見ると、カラフルなビニールのロープの束みたいでしょ?
でも、我が家では、手の方はハッキリしないながら
足は「鉄球」が付いた鎖に繋がれていた…という記憶があり

「えっ⁉」と驚いて、例の「パズル」のシートを探したり
「虜」の公告の切り抜きを見たり…(苦笑)
が、どれもみんな「ロープ」になっていて、2度ビックリ⁉(笑)

でも、夫婦揃ってそんな勘違いするかなあ?(笑)
それに奥さんは「ぴったんこカンカン」で
「虜」のジャケ写が映ったことを投稿した際に

「鎖に繋がれた」と書いたのを
甲斐さんが「鎖には繋がれてないけどね」とおっしゃったので
その時にも「えっ⁉」となって確認してみたら
確かに「鉄球」に繋がれてたと言ってたし

まさか、右端に写っているスタッフの方の?手を
鉄球と見間違えた訳じゃないだろうし(笑)
一体、何を見て確認したのかが思い出せず、モヤモヤ中です(笑)

ちなみに「虜のジャケ写が賞を取った」というのは
「第4回 読者が選ぶ講談社公告賞・女性誌部門」の第3位・銀賞(180得点)で

対象9誌の読者…男性誌・16,436人、女性誌・113,790人…の投票による
第1次審査で、各部門別に選出した200点の作品から
最終審査員400人が3点を厳選
1位5点、2位3点、3位1点の採点により集計されたものらしく

1位は、政府広報による「総理府」
2位は、電気事業連合会の「企業PR」
4位は、キリンビール(株)の「キリンレモン」だったんだとか…

「プロのデザイナーでも、なかなか取れない」というのは
「清く正しく美しく」的な(笑)
万人に好感を持たれないといけないって感じの賞だったからなんですね(笑)

そんな風潮というか、賞のテイストを弾き飛ばすくらい
この「緊縛写真(笑)」のインパクトが強かったんでしょうか?(笑)
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機関紙BEATNIK(Vol.24)その3

2016-06-29 07:04:11 | 日記
続いて、吉田昌佐美さんの「甲斐バンド・この1曲」

「甲斐バンドのベストカセットを作るとしたら
この曲は絶対A面のラストに入れたい
B面までなんて待てないし(笑)
[最後の曲になりました]なんて重さもない【男と女のいる舗道】」

「なんかフワーッと気持ちよくなっちゃう曲なんだよね
他にもたくさん好きな曲はあるけれど、この曲はいつでも私の特別な曲
なんたって私が甲斐バンド狂いになるキッカケとなった曲だもの」

「1976年11月4日相模女子大学、後夜祭コンサート
[あの大ヒット曲【裏切りの街角】の甲斐バンドがやって来る!
314番教室、チケット400円]
この[大ヒット曲]と[400円]という値段にフラッと来て
思わずチケットを手にしてしまった
これが私のコンサート初体験
後々までこんなにこだわるコンサートになるとは思いもしなかった」

「黒板を背にしたメンバーと机を前にした私たち
なんか異様なムードで、ステージがとても暗かった
照明設備がキチンとしていなかったから
ギターを抱えた甲斐さんは、シルエットだったし
誰かがウッドベースを弾いていたけど、それが誰なのかも判らない
そんな中で甲斐さんの声だけが、ビンビン客席に投げつけられていた」

「そして、大ヒット曲が始まると…
周りの人が立つんです、踊りだすんです、遂には全員総立ち
拍手と歓声でめまいがしそうでホント驚いた
汗びっしょりで息を弾ませていた時に始まった【男と女のいる舗道】」

「ギターのイントロが、ホッと息がつけそうな優しいメロディライン
胸がピクンとするくらい良い曲だと思った
[優しすぎて、悲しすぎて]と甲斐さんは、フーッと息を吐くように歌う
優しく語りかけるように…」

「次の日[ガラスの動物園]を買ってしまって
それから数ヶ月間、1日1度は針を落とさずにはいられない特別な曲になった
歌詞もいいし、あの歌い方が断然いい!
レコードだと途中で、スーッと息を吸うところがあるんだけど
思わずクスッとしてしまう
疲れた時には、是非この曲を聴いてみて下さい
ほんとに空気みたいに気持ちがいい曲なんだから」と記されますが

この甲斐さんの「ブレス」については、奥さんもウルサイです(笑)
初期の頃、時々マイクが拾う甲斐さんの息つぎの音は
大きく口を開けて、一生懸命に歌っている「がんぜない」子供みたいで(笑)
当時の女子たちを企まずして「キュンキュン」させたんだとか…(笑)

もっとも、その後、ご自身の声を「武器」どころか
「凶器」にされるかのような「息づかい」をなさってる曲も増えて来て
文字通り、ヤられちゃったらしいんだけど…(笑)

ちなみに、奥さんのライブデビューは中1の時で
写真やテレビでしか見たことがない「生」の甲斐バンドが
目の前にいるという事実が信じられず(笑)
ライブの内容など全く覚えてなくて(苦笑)
音の大きさや照明の華やかさや「お姉さま」方の熱狂ぶりが
ただただ「スゴイ!」との印象だったそうです(笑)

工藤晋さんは「甲斐よしひろの熱狂的ファンである
少女Aに誘われるままに、ノコノコと武道館に足を運び
全く興味のなかった甲斐バンドのステージを観戦することになった」らしく

「[あなたに抱かれるのは今夜かぎりね]という甲斐の声と同時に
周りの客、遥か彼方の客までが申し合わせたように立ち上がる」ことに
「ブッ飛んでしまった。のほほんと座っているのは俺一人だけなんだもん」

「疎外感に苛まれながらも、あくまでツッパリを気どろうと思っていたけど
次々に耳に飛び込んで来るストレートで、シンプルで
それでいてフツフツと沸き上がる闘志がいっぱい詰まったフレーズに圧倒され
知らず知らずの内にのめり込んでしまっていた」

「翌朝、レコード屋に駆け込み、甲斐バンドのレコードをゴッソリと買い込み
家に閉じこもって聴きまくったね
1週間が過ぎる頃には、全部の曲をすっかり覚えるまで進歩してたよ」

「そうなると次のコンサートが待ち遠しくて
81年9月18日、新宿厚生年金の前日は
まるで子供のようにウキウキして、はしゃぎっぱなし
当日、恋人にでも会いに行くような気分で甲斐の登場を待った
狙いは、武道館で一人だけ立ち遅れた【きんぽうげ】に
なんとしてでも周りの客と一緒に立ち上がること(笑)」

「時が近づき[さあ、今だ!]と立ち上がりかけた瞬間
流れ出した曲は、ナント【100万$ナイト】ではないか
あれ以来【きんぽうげ】は、オープニング曲から遠ざかっている
流れからいくと当然かも知れないが
あの時の悔しさは今でも忘れられない。チクショ〜!(笑)
俺の中に新しい血を注ぎ込んだこの曲こそ
マイ・フェバリット・ソングであり
想い出というには、余りにも悲惨な曲であるのは言うまでもない」

…甦った「BEATNIKツアー」の最終日
それまでアンコール曲だった【きんぽうげ】が
武道館ではオープニングを飾りましたけど
工藤さんはご覧になったんでしょうか?(笑)

工藤さんが「それはそれで衝撃的だった」とおっしゃる
【100万$ナイト】を選ばれたのは、井出情児さんと津島秀明さん
映像チームのお二人が共に同じ曲というのもさりながら
こうした企画は、トリビュート・アルバムと同様に
同じ曲にならないようにするものと思われるし、なかなか興味深いなあと…

でも、内容を読んでみると…
情児さんは、初めて甲斐バンドを担当された箱根ライブで
【100万$ナイト】を聴かれて「なんなんだ、これ?と思ったのね
だって何言ってるのか、ほとんど意味が判らない
判ったのは[ウォーッ]って叫び声だけ(笑)」

「僕の場合、どうしても絵ヅラからいくでしょう?
だから、マイク・スタンドを折らんばかりに握りしめ
ムチ打ちになるんじゃないかと思うくらい、のけぞらせた身体で
最後の[ウォーッ]って絞り出すような叫び方が、たまらなくイイんだよね」

「BIGGIGの時、お客さんも一緒に[ウォーッ]ってやったでしょう
もう最高だったね!僕の後ろから[ウォーッ]って来て
鳥肌が立って、背筋がゾクゾクとした
だから、ビデオ編集の時[絶対に100万$入れたい!]って言い張ったんだ
90分という制限からすれば長い曲だし、絵も暗いし
今さらって感じもあったけど、意地張ってガンバったもんね
あの[ゾクッ]っていうのをまた感じたいなんて思ったから…」と話され

一方の津島さんは「はじめのレコードでは聴いてないんです
ただ、タイトルを耳にした時、かるぅ〜い感じを受けたんですよ(笑)
めちゃんこR&Rしてて、ギンギンにミラーボールが回っている
…って思っちゃったんです(笑)
初めて聴いた時は、ギョッとしましたねぇ」

「かるぅ〜い、ルンルンした感じだとばかり思ってたから
ホント、ショックでしたよ
切々と訴えて来るバラードなんですもんね」

「サビの部分はそうでもないけど
男が女々しくなってしまった時には、こうなってしまう
…っていう典型だと思いません?
自分自身でさえ、もう信じられなくなってしまう姿というか
心の揺れ動きを歌うのは大変なことですよね
日本の音楽界史上、稀なこの鋭さは
名曲という言葉でしか、他に表現の仕様がないんじゃないかな」
…と絶賛なさってますが、正に「ギャップ萌え」の極みじゃないかと…(笑)

前島さんが「ミラーボールしかない!」と思われた曲としても有名だし
これほどツアー・スタッフの方に愛される曲ってスゴイですね
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機関紙BEATNIK(Vol.24)その2

2016-06-28 06:19:18 | 日記
「甲斐バンド・この1曲」コラム特集の続きですが
「この1曲」という「お題」にも関わらず
「しいて挙げれば、次の3曲」とおっしゃる秋本治さん(笑)

「結構過激な曲が多い中で、ライブ中盤に
甲斐くんが、ハンドマイクでしみじみと語りかけるように唄っていた
しっとりと情感あふれる【昨日のように】が非常に印象的であった」

「CMソングとして、テレビやラジオで流れ始め
ついには、ベストテン番組の上位にランク付けされるようになった【HERO】
甲斐バンドの名が一躍、日本中に広まった
甲斐バンドのひとつの節目になった曲だと思う」

「僕が漫画家としてデビューして間もない頃
深夜放送を聞きながら、徹夜で原稿をあげることが多かった
そんな時、甲斐くんのセイヤングでよくかかっていたのが【東京の一夜】」

「ある意味、東京は、自分の持っている可能性を最大限に発揮できる所
すなわち、サクセスストーリーのある都市だと思う
ある者は成功し、ある者は敗れ去り…
それでもこの大都会・東京はおかまいなく呼吸し続ける冷たい場所だ
仕事をしながら、そんなことを感じていた」と記されてます

当時、甲斐さんご自身もそういう思いでいらしたようで
「3枚目のアルバムの[ガラスの動物園]辺りまでは
地方から東京に出て来た少年が、どうやって成長していくかとか
そういったことが支配していて…
【東京の冷たい壁にもたれて】とかさ」と話されてるんだけど

「でも[虜]辺りからは、そういう風景じゃなくなってきたよね
ナンかこう、東京という都会がすんなり身体の中に入ってて
更に今度はニューヨーク、みたいな…
東へ東へ、どんどん行ってる感じ
そして、そこで生きるんだっていうことを物凄く強く打ち出してますよね」
…と、その後の「少年」の成長ぶりを語っておられました(笑)

続いては、その【東京の冷たい壁にもたれて】を選ばれた下森真澄さん
「私、自分の身長がえらくキライなんだ
ナゼって、少女マンガの読み過ぎが大きく影響してんだな
特に[チッチとサリー]なんてのを読みふけってたのがマズかった」

「あの世界には、男のコの肩に女のコが頭をもたげて歩く
キスする時、女のコは少しつま先立つ…ってな場面がいっぱいあるじゃない?
私もあーゆー絵になる恋愛をするんだと心に決めて
少女期思春期を送ってしまったんだ」

「それゆえにトーゼン、理想のタイプは松田優作路線ね
しかし、現実にぞっこんホレるのは
みーんな背が低めの男なんだよね(笑)
高くて170センチ弱、大体が私とどっこいどっこいの背丈
この理想と現実のギャップは、えらくツライ」

「二人並んで歩く時は、絶対にハイヒールを履かない
間違って立ってキスすることになろうものなら、膝を折ってるって感じなのね
この苦労を知らない愛すべきトンマ男いわく…大柄だねえ
ここで怒れないのがホレた弱味で
[もうちょい低い方が可愛いのにね]と卑屈で気弱な笑いを浮かべてしまう」

「私の背がちょうど160センチに達した頃
[1メートル、君は60センチ、とてもステキさ]を耳にした
このフレーズは、背のつりあいの取れた男のセリフじゃない
ほとんど女と背丈の違わない男が、デートかナンかに遅れて
立ってる彼女を遠目に見つけた時
ふと、その背の高さがとてもステキだと感じた
…そんな情景が、全く自分勝手に思い浮かんじゃったんだ」

「もう、私はこの歌を聞いてえらく喜んだね
そーか、私ってステキな背丈の女なんだ!って…
まさか、その後、成長期過ぎて
もう1センチ伸びるなんて思いもしなかったもんな」

奥さんのように背が低いのも何かと苦労が多いみたいだけど
背が高い女性にもお悩みがあるんですね

甲斐さんは、この「トンマ男」の方とは違って(笑)
彼女がいつもヒールの低い靴を履いていらしたことに気づいておられ
「いい女だなあと思ってた」とおっしゃってたらしいし
下森さんの「思い込み」は、的を射てるんじゃないかなあと…?

田口陽子さんが選ばれたのは【観覧車】で
「痛い!というのが第一印象。それもかなり強力にグサリと来る痛さだった
甲斐バンドの曲って、自分の一部分と思えるくらいの曲ばっかりだけど
これは全く違っていた。これだけは、彼の曲
彼の痛みを私が感じているという痛みなんだ」

「この曲はずいぶん繰り返して聴いた。ショッキングだったからね
かなり経つまで、バックの音を全く感じなかった
甲斐よしひろの声と詞、つまり彼の言葉しか耳に入らなかったんだもん」

「全部が全部、体験をもとに曲を作っているとは思わない
でも、彼は当然、どう受け取られるかっていうのも考えていたと思う
歌を作るって、スゴイことなんだ。ここまで腹をくくって…
いや、歌にしなきゃいられなかったということなのかなあ」

「[観覧車'82]の方がラクだった
[うーん、スケールが大きくなったなあ]なんて思いながら聴いたから…
でもそれは、ボブ・クリアマウンテンの力だけじゃなく
月日という濾過装置が、最高のアレンジャーだったんじゃない?」

「以前、甲斐よしひろが[男と女のことって
世の中で一番スゴイことだと思うよ]って言ってたのを思い出した
もっとも、みんな私の考え過ぎなのかも知れない
いつでも傷つく時は、それが一番痛い傷だと思うしね」

「ただ、彼が、大人の男の傷つき方になって来たことだけは確かだね
あの頃は若かったなあ、甲斐よしひろも私も、と
自分の思い出を重ねながら、一人で苦笑してしまった」と記されてます

川又千秋さんも「[82]じゃなくて
【観覧車】の方が好きだ」とおっしゃってましたが
その川又さんと田家秀樹さん、亀和田武さんがゲスト出演なさったサンストで
「観覧車の男女のその後」について話し合われたことは

「どう受け取るかは聴き手の自由」という甲斐さんには
かなり珍しいことだったんじゃないかと…?

この放送については、以前にご紹介しましたけど
「あの男女は別れたと思ってる人が多い」との噂が
そもそものきっかけだったみたいだし
「アップからダウンに行く時に作った曲だ」ということ
でも、別れるんじゃなくて「ずっと一緒にやっていくんだ」ということを
きちんと判って欲しいと思っておられたんでしょうね?

その【観覧車】と同じニオイがすると奥さんが主張してる(笑)
【MIDNIGHT】について「好きになるのに理由などない」と水岡隆子さん

「ある時の気分にその歌が滲みた。それだけのことだ
普遍的に滲みる歌などあるハズがない
哀しい気持ちになる歌を、目茶苦茶に楽しい時に聴いてみればいい
それでも涙がこぼれ落ちるだろうか?
そもそも楽しい時に涙のこぼれそうな歌をターンテーブルに乗せるだろうか?」

「たかが歌なのである。所詮、歌なのである
が、やるせない気持ちや言いようのないワダカマリを
いったい誰が的確に自分の心に伝えてくれるのか?
取りあえず、私はボブ・マーレーにおすがりし、中島みゆきにおすがりし
ハンク・ジョーンズにおすがりし、甲斐バンドにおすがりするしかない」

「その時の気持ちに一番合いそうな歌をターンテーブルに乗せる
期待に応えてくれる歌もあれば
まやかしの歌だと見えて来ることもある
こんなに深い歌だったのかと再発見する時もある」

「創り手がどのようなレベルで書いたのか?は、一切ムシする
あくまでも主観的なモンダイなのです
この再発見の醍醐味が甲斐バンドなのである
[ポップコーンを…]に至っては3度再発見した
これは私の理解力のなさだろうか?」

「で、ここ4〜5ヶ月のヒットソングが[MIDNIGHT]である
この歌は[まるで何々][何々のような]といった現在の詞のパターンを
ものの見事に打ち破って、なおかつ新しい」

「甲斐バンドは[まるで何々]のパターンで[氷のくちびる]をブチ上げ
そして今[MIDNIGHT]で捨て去った
凄いね。これっきゃないよ
かくして夜は更け、私は再び[MIDNIGHT]に針を落とす」と結ばれてます

この曲は、BIGGIGの中で
甲斐さんが【東京の一夜】と同じくらい「良かったね」とおっしゃってた曲らしいんだけど
水岡さんといい、奥さんといい
「声も出さず泣く」男の声にシビレる女性って
母性が溢れているのか?それとも「男前」なのか?…(笑)
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甲斐さんスポ

2016-06-27 07:55:17 | メディア
「甲斐バンド・この1曲」の途中ですが
昨日、東京の甲斐友さんから「サンスポ」が届けられましたので
急遽、内容を変更させて頂きます(笑)

甲斐さんの記事が掲載されるとのKメールが届いた時
「一部発売されていない地域が…」の一文に
「ヤな予感がした(苦笑)」と奥さん(笑)

発売されてはいたけど、甲斐さんの「か」の字もなく(汗)
取りあえず、ネットで内容をチェックしたものの
甲斐友さん達が「なかなか大きな扱いでビックリ♪」と騒いでたらしく(笑)
お願いして、関東版を送って貰うことにしたんだとか…

奥さんいわく…野音の告知は、まあ、関東圏に力を入れるのは判るけど
NYボックスは全国的に発売されるんじゃないの?(笑)

ただの紙切れとなった(笑)我が家のサンスポと
関東版サンスポと見比べてみると
裏1面が「中日vsヤクルト」なのに対し、関西版では「阪神vs広島」
まあ、これは想定内として(笑)

かなりの紙面を占めている甲斐さんの記事の部分は
「高知東生容疑者」と「美脚刑事・波瑠」のニュースになっていて
その余白部分には「発毛促進剤」の広告が…(苦笑)

ちなみに、関東版で「高知東生容疑者」の記事が掲載されている部分は
「EU離脱・プレミア崩壊危機」との見出しで
かなり大きな記事が載ってました
発毛剤より、こちらの記事に追いやられたと思いたいですね(笑)

そうそう!第1面の「宝塚記念」の予想も東西で違っていて
こちらは東の予想馬が2着、西は3着でした(笑)

ともあれ、記事自体は皆さまがよくご存知の内容だった訳ですが
小見出しごとに違う甲斐さんの顔写真が使われていて
奥さん的には「もっと他にイイのなかったの?(苦笑)」というものも
何枚かあったみたいです(笑)

ただ「ワイドナショー」での「SMAP解散」についての甲斐さんの発言が
「話題を呼んだ」ことに関して訊かれたくだりで

「僕だって当時、今のような音楽事情だったら
ソロとバンドの両方をやりたかった
ブレークするまで苦楽を共にした
本音をぶつけ合える仲間がいると安心できる
帰って来られる場所があることは大事ですよ」

…とおっしゃったことに、ただならぬ反応を示す奥さん(笑)
毎度のことながら「オリジナルメンバーの甲斐バンド」ファンなもので…(笑)
と、ここでボクが思い出したのが、BIGGIGのライブCD

奥さんが野音用の曲をiPodに編集するために
【ダイナマイトが…】以外は、当日のセトリ通りに収録されてるからと
このCDを取り出した際、ふとライナーを眺めてみたら

萩原健太さんが、甲斐さん、松藤さん、イチローさんへのインタビューを
まとめておられ…

「甲斐さんが一人でギターの弾き語りをやっていた頃の話を伺うと
背景にバンドが見えたというか、ギター1本でやっているんだけど
そこにドラムが鳴ってるんだろうなっていうカッティングがあったり
ベースがいるんだろうなっていうラインの取り方をしてたり…」と萩原さん

甲斐さんが「うん、そう、サビに行く時は
ドラムのフィルみたいなカッティングをしてたんですよ
あと、やっぱり、ベース・スケールを弾いてたよね
だから、鳴ってるんですよね、頭の中で」と話されると

萩原さんいわく…そんな風に頭の中で鳴っていたバンドサウンドを
現実のものにするためには、やり方が2つ
ひとつは、めちゃくちゃギターが上手くなるという道(笑)

…って、押尾コータローさんみたいに
「ひとり甲斐バンド」が出来るくらいってことでしょうか?(笑)

甲斐さんのお答えは「そうそう(笑)それも確かにあるけど
僕、4人兄弟の末っ子で育ってるから
ナンか、やっぱりバンドグルーヴの方がいいよなって気持ちがあって…
これが長男だったら、ひとりで頑張ったかも知れないけどさ(笑)」

萩原さんが「甲斐バンドは、4人編成でスタートして
その後、サポートでキーボードが入るようになって
更に、長岡さんが脱けたことをきっかけにベースもサポートになって
その頃から他のサポート・ミュージシャンの数も増え始めて
やがて、一郎さんも正式メンバーとして加入する…」と
甲斐バンドの変遷を紹介なさると

松藤さんいわく…確かに昔は、サポートでキーボードが入るだけで
イケナイみたいなこと言われたもんね
だから、オリジナルの4人編成の頃は、バンドで何でもやろうと
最初は甲斐よしひろでさえ【裏切りの街角】で
ツインギターの片方を弾いてましたからね
長岡が片手でソリーナ弾いたり
居るメンバーで何でもやってしまおうと…

それが、アルバムでの音像を再現するための専用の人員が
ステージにも全員揃っていて…みたいなことをやり始めた
最初のライブがBIGGIGだったんじゃないかな

すると、イチローさんも「考えてみると、ベースが居ない状態で
ちゃんとバンドをやったのって
たぶん日本では甲斐バンドが初めてですよ」とおっしゃって
松藤さんいわく…B'zのはしりだ(笑)

甲斐さんいわく…うるさいな(笑)だから、異常なことなんですよね
でも、ジェネシスが同じような道をたどった時
「やっぱ、そうじゃん」って…
絆っていうのはそういうことじゃん、大事にするんだったらね
間違いじゃなかったって、僕、思ったんですけど…

このCD-BOXが発売された当時
奥さんは甲斐さんのこの言葉を読んで
少しうるうるしてました(笑)

更に、萩原さんが「例えば、花園でのプリミティブなグルーヴに比べると
(BIGGIGは)音の質感も変わってますよね」とおっしゃると

「その前の年、82年の武道館で
花園以降のあのグルーヴは完結したんです
あそこで、バンド形態の甲斐バンドは完成形を見ました」と松藤さん

甲斐さんも「松藤の言うように、ある種の整理整頓をして
もう1回グレードを上げるための場として
僕らはあのイベントをやったんです
確実にバンドが自分たちのプレイに実感を伴い始めた時だと思うんですよね

だけど、振り返ってみれば、それはたぶん花園で芽生えたんだと思う
あれだけ客が大騒ぎになって、死ぬとか言ってる時に…にも関わらず
その分、バンドは自分のプレイに対して、どんどん冷静になって行く
これスゴいじゃないですか、ミュージシャンズ・マインドじゃないですか
目の前の光景に舞い上がって、バラバラになって行かなかったんだから」と…

そして、萩原さんから「GOLD」のミックスの時に
甲斐さんが「何もかも放り出したくなった」と思っておられたことと
その直後のこのイベントで「躍動的な、しかも新しい方向性」を
打ち出されたことについて質問されると

「確かにやめたいと思った、本当にやめようと思ってたんだけど
でも、そう思ったとしても、自分の中で
いや、やっぱりそうじゃないんだって思える瞬間もあるでしょ
そんな中で、もっと良い音に向かおうって思いもするわけ

それで実際に良い音が出て来たら、これはもうゴキゲンな訳ですよ
スタジオの中であろうと、ライブだろうと
やっぱり踊らせてくれるものがあれば踊る訳じゃないですか
それでその時は、やめたいって思いは自分の中で封印した
やっぱり僕だけじゃないし、メンバーもいるし、家族もいるなって…」

長らくライブから遠ざかっておられた上に
こんな経緯がおありだったことが
BIGGIGでの鮮やかなパフォーマンスに繋がっていらしたんでしょうね?
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機関紙BEATNIK(Vol.24)その1

2016-06-26 10:04:00 | 日記
1983年12月号の表紙の言葉は
「この刑務所から出してくれれば
真人間になります」って言ったら看守が言った
「ここには真人間なんていくらでもいるんだぜ」〜カルヴィン・リーヴィ〜

【カミンズ・プリズン・ファーム】の歌詞の一部です
この言葉だけをを読むと「なかなかイキな看守だな」という感じで
ニヤッとしそうなんだけど

実際は、アーカンソーのカミンズ刑務所で
白人によって行われていた囚人(黒人)殺しに対する怒りを歌ったもので
アメリカ南部でヒットした曲

鉄格子をアルミカップで叩くような音から始まる「どブルース」
甲斐さんが物凄くお好きそうな曲ですね(笑)

この号の特集は「マイ・フェバリット・ソングス」
「甲斐バンド・この1曲」コラム特集♪

「同じ甲斐バンドの曲でも、聴く人によって
思い入れの仕方が全く違っていたりする
甲斐バンドは、ヒット曲、代表曲を問わず、それぞれの曲に対して
思い入れをしている人達が多いバンドだ
誰がどんな曲に、どんな思い入れをしているのかをまとめてみよう」

…ということで、17名の方々の「この1曲」が掲載されてるんだけど
その中から幾つかをサクッと(笑)ご紹介します

まずは、鈴木力さんの【ダイナマイトが150屯】から…
かつての大ヒット曲をリメイクした作品というのは
オリジナルの持つ衝撃力を失って
「売れセン」を狙ったイヤらしさが鼻につくし
ほとんどが聴くに耐えないものになってしまう

ことに、小林旭という凄まじいクサミを持つ大スターの歌となれば
まあ、やめといた方が無難なのだ
しかし、甲斐よしひろは、このクササを自分のクサミとして引き受け
なんとも見事に表現してくれた

「ダイナマイトが…」はテロリストの歌だと思う
カラスもトンビも何もかも邪魔するヤツは
ダイナマイトでぶっ飛ばしてしまうのだ
かつての、やたらにカッコをつけたアキラの
その実、とてもブカッコウだった精神のテロリズムを
甲斐よしひろにダブらせてしまう僕の感性は、ナカナカに正解だと思うのだ

ロックンロールは、本来、精神をテロってしまう音楽だったはずなのに
何やらやたらに気持ちいいだけのサウンドに縛りつけられ
歌い手だってちっとも苛立っちゃいない

甲斐は、そのテロリストぶりを本当は解っちゃくれてないかも知れない
聴衆の前に投げ出した
ダイナマイトを派手に炸裂させてくれた
時折、おとなしくなっちまったな、と自分がセコく感じられた時に
この甲斐の歌を聴く…そうです

続いては、西一雄さんの【マドモアゼル・ブルース】
僕とHは、同じ大学の同学年同学部だが、知り合ったのは4年の5月だ
就職シーズンで、大手出版社の面接会場で隣に座ったのがHだった

1ヶ月後、ある出版社の筆記試験会場で
「おい、ここに2千人いて、その内20人も受からない訳だろ
俺たちが2人とも受かるケースって、ほとんどないな」と顔を見合せて笑った

1ヶ月後、僕たちは2人とも最終面接に残っていた
「こいつが落ちれば、俺は受かるんだろうか?」
僕はそんな考えがよぎったことに少しだけ慌てた
「こいつが落ちたら…俺も落ちるな」
そう思って、ニタリと笑ってしまった

半年後、僕たちは違う編集部に配属になった
1年後、Hは結婚した

原宿に「シネマ・クラブ」というカフェ・バーの走りみたいな店があって
ある晩、1人で飲んでいたら、偶然Hが入って来た
痩せた「とんがった感じ」の男と一緒だった
「僕の友達の甲斐くん」と紹介された

スナックを何軒かハシゴした
「俺は、来年きっと有名になるぜ」
甲斐よしひろは言った「ふーん」
「HERO」は翌年、空前のヒットとなり、僕とHは何回か祝杯をあげた

その年の暮れ、僕とHは、新宿の女の子のいるクラブにいた
Hには子供が生まれていた
子供と妻のいる家庭を守り、幸福のためには
決して自分を投げ出すようなことをせず、暖かな笑顔
「俺はいつになったら、Hみたいに大人になれるんだろう」
そう思いつつ飲んだ

「何かお歌いになります?」女の子に訊かれ、Hが上機嫌で言った
「俺、甲斐くんの曲で好きな歌あるんだ」
Hは、コースターの裏に堅実そうで、しっかりした字で
「マドモアゼル・ブルース」と書いた

僕は笑った。そしてまた「こいつみたいには、俺はやれっこない」と思った
ひどく悲しくて、おかしな気分だった
そして僕はまだ家庭を持てないでいる
Hには2人目の子供が生まれた

…って、何気に甲斐さんが「シネマクラブの君(笑)」と
甘酸っぱいスイーツを召し上がったお店が登場してますが
西さんのこの曲にまつわるエピソードは、ちょっとホロ苦いですねぇ

さて、次は「コンサートで聴いたことはないが好きな曲のひとつ」
と「熱狂」を選ばれた堀内丸恵さん

出来立てのテープを聴き、こんなことを思った
「気に入った映画に出会って、上映後、場内が明るくなった時に
かかって来たら決まるな」

結婚式の花嫁のお色直しの時にかかる「花嫁人形」
両親への花束贈呈で「かあさんの唄」など(例がよくなくて申し訳ないが)
あるシーンにピタッとハマる曲というのがある

「熱狂」は、たった今の感動がおさまらず、気持ちが高ぶったいる時
優しく、鎮めてくれるように流れて来るとピタッと来る

1979年の武道館、「きんぽうげ」から「100万$ナイト」まで
音楽とは、それほど深いつきあいのない僕だけど
その夜、集った少年少女と変わらぬような時間を
共に過ごしたという錯覚にとらわれたくらいだった

全てが終わって、場内をなかなか去らぬ客を
武道館の灯りが照らした時「熱狂」が流れて来た
この曲はこの時のために作られた曲かなと思うほど
その時の我々の気持ちに溶け合って来た

気負いもなく、自分たちの今までと、今と、これからを
一人一人の客に語りかけていた
音楽を生業とする甲斐よしひろとメンバーの息づかいと生活が感じられた
「熱狂」は、幕が降りた後
化粧を落とした役者に会ったような気分にさせる曲だ

今はもう、ライヴ後にこの曲が流れることはないみたいですが
堀内さんだけではなく、小橋健太さんや船越英一郎さんも
この曲のファンでいらっしゃるし
当時のライブに参戦された方の間で
根強い人気を誇っているんでしょうね?

余談ですが…BIGGIGが終わった後には
【Power to the people】が流されるはずだったのが
ラストで電源が飛んでしまって、幻となったそうだ
今度の野音では、SEも同じセトリでやって下さいませんかね?(笑)
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