ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

あと1週間

2016-07-31 08:07:03 | 日記
甲斐バンド「THE BIGGIG AGAIN 2016」まで
あと1週間になりましたね〜♪

ついでに、このブログも丸4年を迎え
感無量…というか、月日の経つ早さにビックリしております(笑)

現役バリバリ、アクティブに活動を続けておられる甲斐さんと
誰に頼まれた訳でもなく、その活動を律儀に(笑)追い続ける奥さんに引っ張られ
「歩く3日坊主」と呼ばれたボクが、自己新記録を甚だしく更新中…(笑)

もっとも、文章力は開設当初から大して進歩しておりませんが…(汗)
にも関わらず、広いお心で読んで下さった皆さま
本当に有難うございました!m(__)m

いつまで続くのか、自分でも判りませんけど(笑)
以前、奥さんに「ブログを止める時は本にまとめようかな?」と言ったら
甲斐友さんから「予約」が入ったと知らされ恐縮した次第です(汗)
なるべく「出版日」が遠い未来になるようにガンバリます(笑)

さて、5年目に突入する第1弾に相応しく
今回はお馴染みの小ネタ救済シリーズです(笑)

まずは、甲斐さんがインタビューで話されていた
「(野音のチケットを)手に入れられなかった人はどうするのかなあ」の件

「個人的には(日比谷)公園の中のレストランでカレーを食べながら
音だけを聴くというのをオススメします」と甲斐さん(笑)

でも、以前にセイヤングで、ご自身もその方法で聴こうとなさったけど
聴こえなかったとおっしゃってたような気が…(笑)

まあ、インストア・ライブを会場の外で「立ち聞き」した奥さんによれば
「ファンの心理として正しい(笑)」らしく
かつての黒澤フィルムスタジオでのライブを
壁に耳を押し当てて「聴いた」甲斐友さんもいるんだとか…(笑)

続いて、前回のBIGGIGの「マグネシウム爆破」の件
この瞬間にPAの電源までショートしてしまって(汗)
本来なら、終演後すぐに【パワー・トゥ・ザ・ピープル】が流れるはずが
「ブレイカーを上げるまで、音が出ないまま妙な空白が出来ちゃった」ようで

ライブ映像では【観覧車'82】が終わった途端に
角度を変えて「爆破シーン」が4回?くらい映し出されてますよね
奥さんは、その爆発シーンの後に
車のクラクションが聴こえるのが好きらしい(笑)

前島さんと諌山さんにとっては「後悔が残る」ことだったそうですが
イチローさんによると「最後に爆発したり、色んなことがあって
音が止まったりもしたじゃん
あんなことが全てドラマになっていて
嫉妬しちゃうくらいカッコいいライブだった」みたいだし

甲斐さんは「ライブにハプニングはつきものだし
何が起こるか判らないから
フラットな気持ちで、柔軟にのぞんだ方が美しいライブが出来るんです」と
今回の野音ライブに関して「イメージ」なさってることを
「全部忘れます(笑)」とおっしゃってます(笑)

その【パワー・トゥ・ザ・ピープル】について
田家秀樹さんが、機関紙BEATNIKのVol.23(1983年11月発行)で…

「ジョン・レノンが1969年に歌ったこの曲が
フィナーレでいきなり流れた時には、思わず息を呑んでしまった

詞の内容はもうそのもので[人々に力を]
(全ての権力を人民へ…と訳す人もいる)
という60年代後半のあの騒然とした世の中の象徴とも言える曲だったのだから

60年代へのこだわり、などと言うとオジン臭いのだけれど
[軽薄短小]の時代に【パワー・トゥ…】の確たる意志とメッセージ性は
はっきりとした何かを持っている

甲斐よしひろがこの時代をどう思っているかは別にして
あの頃の音楽が持っていたハートを大切にしていることは確かだ

BIGGIGでも流れる予定だったと聞いて、残念な気持ちで一杯だったが
ツアーのたびに、前後に何がかかるかを楽しみにする
そんな面白がり方が、僕のステージ体験に加わった」と書かれてます

でも、いつかのツアーで、甲斐さんは「この曲を流そうと思ったけど
ナンか内田裕也のライブみたいで…(笑)」とお止めになったと話されてました(笑)

ともあれ、田家さんの記事によると…
「コンサートのBGM(ステージの前後に流れている曲)が
グレン・ミラーの曲で、思いがけぬ選曲に意表を突かれた思いがした

ノスタルジックで、それでいて、どこか崩れ落ちそうなモロさが
大人の色気のようなものを感じさせていた

まあ【かりそめのスウィング】という曲があるくらいだから
40〜50年代のビッグバンドのダンス・ミュージック
スウィング・ジャズについてのセンスは
甲斐よしひろの体に流れているのだろう

今年のツアーのキング・コールにしても
僕らのような元ポップス少年にとっては
懐かしさと同時に今でも古びていない艶を持った人なのだ

BIGGIGの時に会場に流れていた曲を調べてみたら
キング・コールだけで16曲かかっていた」と
それぞれに簡単な説明を添えて紹介されてますので、かいつまんでみます

名画モナリザを歌った【モナ・リザ】
【ランブリン・ローズ】の出だしの「ラァ〜」というのが
コールの口の大きさを想像させる(笑)

日本ではエノケンが歌っていた【月光価千金】は
サウンド・ストリートでも流れていた
【キサス・キサス・キサス】はラテン・ナンバーの大ヒット曲

1948年のコール初のミリオン【ネイチャー・ボーイ】
ナタリー・コールが唯一歌っていたというお父さんの曲
【アンフォーゲッタブル】

映画の主題歌にもなった【ペイパームーン】
名曲中の名曲【トゥ・ヤング】
3大人気ナンバー【プリテンド】

ヘプバーンの映画「昼下がりの情事」のテーマに使われた【魅惑のワルツ】
ラテン・ナンバー【カチート】
二度と恋に傷つき涙を流すのは嫌だという【悲恋のワルツ】

ペギー・リー、エルヴィスも歌う大スタンダード【ラブ・レター】
【フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン】は
ボサノバにアレンジされているヒット曲もある

懐かしのテレビ映画の主題曲だった【ルート66】
そして、1963年、コール晩年の大ヒット曲【暑い夏をぶっとばせ】

この曲の後、大森さんを先頭にメンバーの皆さんが登場されたんですよね♪
その後も甲斐さんはよくこの曲をSEに使われているそうで

奥さんは、ドラマのバックや有線でこの曲を聴くと
ライブが始まるみたいな気がして高まるんだとか…(笑)

今、WOWOWでは、生中継と特番の番宣が流れてるようで
我が家では、数十秒のスポットCMしか見れませんが
甲斐友さんは、3分くらいの映像を見て「カッコいい♪」と萌え中らしい(笑)

以前のBIGGIGのCMでは【マッスル】が流れてたけど
【マッスル】自体は演奏されなかったんですよね(笑)
でも「鋼鉄の魂」という歌詞と「雨天決行」の文字がマッチして
やたらカッコ良かったなあと…♪

そうそう!ボクはBIGGIGの映像ばかり見てて忘れていたんですが
先日、CDを改めて聴き直してみたら
【安奈】の前のMC…「ちょっと客席を明るくしてくれる?」

…のくだりの最後「そのまま点けっぱなしにしとくからさ
みんなで一緒にやるよ」という部分の「やるよ」が
奥さんのツボだったことを思い出しました(笑)

文字にすると、いつもの甲斐さんの「OK、やるよ!」って感じだけど
このCDの「やるよ」は「やるよ?」
「一緒にやってくれるよね?」的で(笑)
「ちょっと母性本能をくすぐられる」と奥さん(笑)

その時の甲斐さんの表情は見えなかったはずなのに
「絶対、可愛かったと思う♪」と主張しております(笑)

余談ですが…BIGGIGの映像は「当時の新宿の光景が判るという意味で
記録映画、ドキュメンタリーとしても…」との記述を読んで

じゃあ、泉谷しげるさんのライブ映像の最後にあった
「ZONE」に向けてショットガンをぶっぱなす映像も
歴史的価値があるのかなあと…(笑)

ともあれ、甲斐さんは、明日の都知事選が
「良いタイミング(笑)」だとおっしゃってたし
どんなMCになるのかも楽しみです(笑)
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甲斐報Vol.131その3

2016-07-30 08:30:43 | 日記
「虜」と、BIGGIG直前にリリースされた「GOLD」という
NYで仕上げられた2枚のアルバムを聴いて
甲斐バンドが都市的なサウンドへの指向を強めていると感じた…と海津亮さん

甲斐さんも「DI:GA」のインタビューで
「NYでやってた当時、バンド自体が
どんどん都市型へと移行している時期だったので
都心で大きなライブがやりたかったんだよね

でも、野球場だと普通でつまらないから
折角やるなら街のど真ん中でやりたいよねって話していて
都有5号地で行うことに決めたんです」と話されてますが

当時の他の記事でも「僕が生まれて初めて外を歩いた1歩目は
アスファルトの上だったという意識があるんです
生まれは福岡のど真ん中の街だったんだけどね

だから、同じラブソングといっても
澄みきった空と海と風とか、山の中から生まれるものと
ビル街の雑踏の中に育まれるものがあるんじゃないかと思うわけ

街の中で恋をして別れてなんてやってる人間の[生]ってものに
とても関心があるんですよ、自分の[生]も含めてね」とおっしゃっていて

「ハードボイルドというキーワード」が、ある日突然降って来たものではなく
【裏切りの街角】を書かれた時から、ベースに据えておられたのと同じように
「都市の野性」も「都会との遭遇戦」をなさっていた頃から
ずっと感じていらしたのかなあと…

「ライブをやろうと決める前から気になってた場所でした
高層ビルが建ち並ぶ新宿副都心の中に
広大な土地がぽっかりと空いてる訳ですから
車であの辺りを通ると自然と目に入るんですけど、異様な光景でしたね」

という甲斐さんの「思いつき(笑)」を実現させるために
「許可を得るにも色んな部署をたらい回しされて
根気よくやってくれた人間」がいらっしゃったおかげですよね

海津さんが「下見のつもりで行ったらやってた」前日のサウンドチェックに
「本番と同じくらい人が集まって来ちゃって
目隠し代わりにポスターを貼るのに駆り出された」石綿智巳さん

当時、甲斐バンドのローディでいらしたのに
「前日リハには、ほとんど関われなかったんですよね
あのステージでは、甲斐さんがワイヤレス・マイクを使ったんです

ワイヤレス自体は初めてじゃなかったかも知れないけど、状況が状況ですからね
サウンドチェックもそのことに時間を割いたはずなんです」

…と、振り返っておられるんですが
これは奥さんにとっても「大事件」だったらしく(笑)
かつて「マイクスタンドになりたい(笑)と思った女子たちは
みんなビックリしたと思うよ」と…(笑)

今でこそ、もう見慣れたようだけど
「1フレーズ歌うごとに、マイクを右手から左手に
左手から右手へと持ち変える甲斐さん」を見て
その「所在なさげ(笑)」な片手が気になったみたいです(笑)

そういえば、カラオケのマイクがワイヤレスになった時に
マイクを持ってない方の手が、コードをつまめなくて
落ち着かないとおっしゃる方がいらっしゃったなあと…(笑)

それはさておき…「印象に残ってるのは照明ですね」と石綿さん
「それまでにも野外のライブで、色んな照明を見てましたけど
でも、あんな[ビルに映し、空に映し]っていうのは見たことなかったですから
[こんなに感動しちゃっていいのかな]と思うくらいでした」と話されてます

石田伸也さんの「嵐の季節」に
「照明の前島良彦は、このビル群を使ってのあるアイデアを持っていた
箱根・芦ノ湖畔では湖の向こうからサーチライトを照らしたが
今度は全てのビルの屋上から照らしてやろうという壮大なプランだ

[ところが、自衛隊にもあたってみたけど
もうサーチライト自体が残っていないんだよ
じゃあ、しょうがねえやって諦めたけど]
いかにも前島らしいサービス精神である」と記されているんですが

その光景を想像してみると
実際のBIGGIGよりも「ヤバイ」雰囲気になったんじゃないかと…(笑)
まあ、それはボクが【25時の追跡】とか
「脱走モノ」の映画をイメージしたからかも知れません(笑)

ちなみに、同著によると…
「現在のようにペットボトルを持ち歩くという風潮がなかった」当時
「楽屋に用意した麦茶でお腹を壊したと
甲斐さんに怒られたんです」と中西健夫さん(汗)

「それくらいピリピリしていたんでしょうね
だけど、水まわりが全くない場所なんですよ」とおっしゃる通り

「会場から200m離れた所から、ホースを何本も繋いで
蛇口をひねって何分も経って
ようやく楽屋まで水を届けられたという逸話が残っている」んだとか…

当の中西さんは「トイレ行かない病」にかかられたそうで(笑)
「1日10リットルくらいの麦茶を飲んでも
朝に行ったきりトイレに行ってない
みんな汗で出ちゃったんですね」と…

確かに、夏場にゴルフなんかすると
かなり水分を取っていてもトイレに行かないけど
奥さんも会場内のトイレを使った記憶がないみたいだし…(汗)

「今の僕はトイレなどのインフラ、ドリンクやフードの提供など
フェスのホスピタリティを充実させることを一番に考えてます」

…とおっしゃる海津さんが「33年前には水もないのに
ただただ甲斐バンドを見たくて
あの暑い中でもずっと開演を待っていられたということを思い出すと
ちょっと不思議な気持ちになりますね」…っていうか

「熱中症」という知識はおろか、言葉さえなかった頃だから
帽子をかぶるくらいで、特に何も対策を施さないまま
炎天下でひたすら待ち続けるなんてことが出来たんでしょうね?(汗)

あっ、そうそう!WOWOWでの生中継の前から
「当日のセットリスト(放送楽曲)」がアップされているのは
やはりナンとも不思議な感じなんだけど(笑)
このセトリを見る限り、奥さんが信じている曲順で間違いないようです(笑)

もっとも「実際の現場を知らない人の間で、30年以上も語り継がれていく中で
ある種の幻想のようなものを纏ってしまっている所もあるのでは?」と訊かれて

甲斐さんは「それはあるでしょうね
だからこそ[セットリストを再現]しつつも
それぞれの楽曲へのアプローチも料理の仕方も違いますよね
もっと言えば、仮に同じことをやってても自ずと違って来ますよ
今の時代を生きている、今の感性でやる訳だから

時代も違う、オーディエンスも変化してる
[AGAIN]というのは、1983年のBIGGIGを再現するんじゃなく
今の甲斐バンドが同じセトリで
[どういうライブをやるのか]を見て貰うって意味だから

バンドは試されてるというか
非常に恐ろしいことをやろうとしてるんですよ
まあ、面白いことでもあるんだけどね

加えて、当然のことながら、機材も当時よりはるかに良くなって
最新テクノロジーを駆使してやることになる訳ですから
それはやっぱり相当エッジの利いた演奏になると思いますよ」と話されてますが

当日、生中継の音響エンジニアリングを担当される森元浩二さんは
「33年前のBIGGIGを見ていない」そうで
そのライブ・アルバムを今回改めて聴き直され

音が詰まってよく練られたアレンジが「濃いなあ、と思いましたね
だから、個人的には今回のステージも
あのライブのままのアレンジでやってくれると嬉しいなと思ってるんですけど

今回は、自分らしさとかそういうことよりも
あの頃の甲斐バンドのニュアンスをどうやったら出せるかなあと思ってて
それで[サーカス&サーカス]も聴き直してるんです」とおっしゃっていて
奥さんはちょっと混乱中です(笑)

当時のBIGGIGは「甲斐バンドとして最新のものを見せたかったから
[虜]と[GOLD]の曲が中心になってます
あと【東京の一夜】はタイトルも含めて
その日のエポックメイキングな曲になったと思います」
…という甲斐さんの言葉がピッタリなものだったみたいだし

松藤さんは「ちょうどツアーメンバーを一新したのが
BIGGIGに繋がるツアーからで
そのせいか、とても新鮮で楽しくやれたって印象」がおありだったそうだし

一方、今回は甲斐さんが考えておられるような
「今の甲斐バンド」の演奏だろうと思っていたらしいんだけど
森元さんが「当時の甲斐バンドのニュアンス」を求めて
1983年以前にまで遡っていらっしゃるって?…と(笑)

ともあれ、甲斐報にも書かれているように
「33年前のその日、そこにいた人といなかった人
そして33年後のその日、そこにいる人といられない人

いろいろな人たちの思いが、2016年の甲斐バンドのステージで交錯する
そして、新たな伝説が更新される
2016年8月7日。その日もきっと暑い1日になるだろう」
…ことだけは、間違いないでしょうね♪
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甲斐報Vol.131その2

2016-07-29 16:27:05 | 日記
ディスクガレージの上島さんと甲斐さんのライブ担当の広瀬さんから
「BIGGIG AGAIN」の企画を提案されたことについて
甲斐さんは、DI:GAのインタビューで…

「BIGGIGの単なる観客の一人だった男が、その後イベンターになり
この日(の使用権)を引き当てたんですよ
Kという男なんですけど、イニシャルKの男は
今年に入ってから運の悪い人が多いんですよね(笑)」と話されてますが

8月7日にやりたいと思っても
ただ早くから押さえればいいということではなく
「なかなか厳しい抽選」を経られた結果だと知って
以前に中西健夫さんが「甲斐さんの引きの強さに驚いた」と
話されていたことを思い出しました

別に甲斐さんご自身がクジを引かれる訳じゃないんでしょうけど(笑)
「これだけは絶対に譲れない」ような場面で
神がかった幸運を引き寄せられる方なのかなあと…♪

上島さんは「BIGGIGで一番最初に思い出すことは?」と訊かれて
「チケットが当たったことかな
だって、行けたことがありがたいんですから」とお答えになってますし…(笑)

その上島さんに「BIGGIGと同じセトリを野音で」と持ちかけられた時
「中継の話やプロモーションの計画まで、全部プランが出来上がっていて
僕はただ[そうだね]って(笑)」と甲斐さん

「それは僕が了解するためだけに
わざわざその場が用意されたようなものでね
でも僕にとっても決してイヤなことではなくて
むしろ僕ら甲斐バンドのメンバーを喜ばせるための
儀式という感じだったんです

実際、僕らはすごく嬉しかったし
そういう風に用意されたら乗らない訳がないですよね
普通はプランニングから何から全て僕が中心になってやっていくんだけど
今回は嬉しい誤算というか、予想外の展開でした

そういう意味では、僕が事前に聞かなくて良かったかも知れないですね
先に話を聞いてたら止めてたかも知れないから
[そんなに上手くいく訳ないんだから]って(笑)」とおっしゃってます

奥さんによれば、甲斐さんが話されているように
「イベンターや制作スタッフ全員の思いが強かった」ことはもちろん
元々、甲斐バンドフリークでいらしたり
お仕事を通して甲斐さんと長いお付きあいのあるスタッフの方々は

甲斐さんの「ツボ」というか「やる気スイッチ」みたいなもの
「こんなアイデアだったら喜んで貰える」とか
「こういう切り口ならノッてくれる」ということを
よくご存知なんじゃないかと…(笑)

そういえば、サンデーフォークの担当の方から
「三重県進出計画」を勧められた際も楽しげに話されていたらしいし…(笑)

その名古屋ブルーノートでのビルボード・ツアー初日に
MCで「BIGGIG AGAIN」に触れられたことからも
「良いライブになりそうだなとすぐに思いましたよ」という言葉が
心からのものなんだと判りますよね?

まあ「僕らメンバーの中では、CDや映像作品の形にしたところで
一応のピリオドは打ってる訳ですよね」という言葉からは
「セットリストがちゃんとあるのか?問題(笑)」が浮上するのも
むべなるかなって気がしますけど…(笑)

ともあれ、ファンの間では「ZONE」は「聖地」であり
都庁が建ってからも「BIGGIG参り」が
「脈々と受け継がれて今に至ってるという
みんなの中で変わらず生き続けているライブなんだという認識は
僕の中にもありましたし、だからこそ、こういう形でやれば
みんなが喜んでくれるだろうと思ったんです」と甲斐さん

1996年の期間限定の甲斐バンド再結成は
「解散から10年ですね」との言葉がスイッチになったそうだし
35周年の照和でのライブは「みんな喜んでくれるかなあ」
という思いがおありだったみたいだし

そういう意味では、長い年月を挟んだ
バンドとファンとの「コール&レスポンス」なのかも知れませんね(笑)

BIGGIGは、仮説トイレの導入だけでなく
飲み物やゴミの量などのデータを提供したことでも
「パイオニア」となった野外ライブですが

当時のブロック指定を簡単に表示した「ブロック表」なる資料には
「自由な楽しいコンサートにする為に
下記の事項をお守り下さい」という「注意事項」が記されていて

「前日以前から、会場付近に並ぶことは絶対におやめ下さい
今回のコンサートは、都庁・新宿区・新宿警察・消防署などの
了承のもとに成り立っています
コンサート以前にトラブルを起こすと…」とか

あるいは「ブロックを乱し、前方に駆けたりすると…」と
「コンサートが中止になる恐れ」を
通常のホールでのライブ以上に強く訴えてあったり

「会場内の地面は土です(笑)下に敷くような物をご持参下さい
また、荷物を預かる場所はありませんので、最小限の荷物にして下さい」とか

「当日、いろんな天候が予想されますので
それぞれ(雨具・帽子等)の用意を必ず持参して下さい
(傘をさしてコンサートは見られません)」

「会場内には、飲物、軽食等の売店
トイレの設備は有ります」…といった
当時「野外」慣れしていなかったであろう若いファン層に
至れり尽くせりの文字が並び(笑)

また「雨天決行ですが、台風等の天災の場合、コンサート開催の有無は
ディスクガレージで、7日8:00amよりお答えします」と
携帯電話がなかった頃ならではの記述もありました(笑)

ちなみに、注意事項の下には
「現金書留受付初日にて、14,000枚到着の為
消印が同じでも、席の格差が生じました(抽選で決めました)
御了承下さい」との「お詫び」が書かれていて
「先着順」というのが通常の時代だったんだなあと…(笑)

そうそう!奥さんが期待していた当時のチケットの「復刻版」が
「デザインカード」という形でグッズ販売されることにかなり高まりつつ(笑)

ブロック名のアルファベットから
「K」「A」「I」が選ばれているのは当然(笑)なんだけど
3枚セットじゃ「RED&YELLOW、BLUE&GREEN」の
一色が足りない…と奥さん(笑)
だって「B」「A」「N」「D」に出来ないでしょ?(笑)

まあ、奥さんが持っているチケットと同じ色のカードはあるので
取りあえず一安心なんですが
足りない一色をお持ちの方は、ちょっと残念じゃないのかなあと…(汗)
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甲斐報 Vol.131その1

2016-07-28 07:48:34 | 日記
私事で恐縮ですが、つい先日いきなり、このスマホのメーカーから
「危険!」との警告と「ウィルス対策アプリ」が送られて来てビックリ!

訳が判らないなりに実行ボタンを押すと
かなり時間をかけて「バスターズ」が戦ってくれたらしく
「安全」の文字が表示され、ホッとして調べものをしようと思ったら
「ブックマーク」していたサイトが、1件を残して全部消えてました(汗)

その1件のセキュリティの高さに感心する一方
改めて「しおり」を挟み直したところ
岡沢茂さんのツイッターで
甲斐バンド野音ライブの「リハーサルが始まりました」と…♪
もう10日ほどに迫って来ましたもんね

甲斐さんもラジオで「もうすぐリハーサル」とおっしゃってたし
イチローさんもご自身のブログに
メンバーの皆さん「全員でミーティング」とか

「人生初の曲目が公然となっているライブ
新たな歴史を刻めるようガンバリます!」と書かれてたし
ディスクガレージやWOWOWのバックアップも万全って感じだし

チケットも届いたみたいで「いよいよ感」が高まって来た今日この頃
奥さんは、もっぱら「8月7日」のためだけに激務に耐えてる状態です(笑)

毎年、ただでさえ忙しい7月が
今年は「有り得ないくらい忙しい!」らしく
世間は夏休みに入るわ、甲子園の予選やら夏祭りやらで人が多くて
「通勤だけでグッタリ」なんだとか…(汗)

例によって、取引先の方にWOWOWの録画をお願いしたものの
新しいデッキを買いに行くヒマがなくて(汗)
でも、早く観たいし…で、Amazonに走ってました(笑)
ただ、届いた品を受け取るのも一苦労だったようだけど…(苦笑)

チケットは「復刻版」じゃないピクチャー・チケットだったみたいですが
前回の野音ライブよりも後ろの席で、ちょっと残念…と思いきや
「以前のBIGGIGに比べたら、ステージが近いよ♪」と…(笑)

先日届いた甲斐報は、表紙がその「BIGGIG」の俯瞰写真になっていて
ブロック分けされた観客の皆さんがビッシリ!
「外野席」の方々の姿も見受けられます(笑)

内容の方も「記憶の中の伝説、伝説の中の真実」というタイトルの下
「1983年8月7日と2016年8月7日をKAIフリークの証言でつなぐ
ノンフィクション・ストーリー」となっていて…

1964年の「東京オリンピック」という一大イベントと
自分の人生が一瞬ではあっても交錯したという経験が
確実にその人の人生に影響を及ぼしている
あるいは少なくとも本人はそう感じている

「東京オリンピックAGAIN」ということにならなければ
その影響を自覚することはなかったかも知れない

…のと同様に「BIGGIG AGAIN」を前にして
「BIGGIG」という、今では「歴史」や「伝説」として語られる場面に
実際に立ち合ったからこその高鳴る思いがあるだろう…とのことですが

どちらかと言えば、当時BIGGIGに参加できなかった人の方が
盛り上がってる気がする(笑)…と奥さん
まあ、奥さんみたいに高まりつつも
一抹の不安を抱えた方はいらっしゃらないかも知れないけど(苦笑)

少なくとも、ディスクガレージの上島さんは
「野音の8月7日の使用権を引き当てた時
[伝説は伝説のままにしとくのがいいんじゃないか?]
という思いも巡った」そうで

奥さんの気分は、おそらくコレに近いんじゃないかと…?
美しい思い出、懐かしい記憶というものは
年月を重ねれば重ねるほど、より美しく輝くものなんでしょう(笑)

…と、言っても、やはり上島さんと同じく
「見てるんですけど、実はほとんど覚えてないんです(笑)
暑い日だったことは覚えている
しかし、どうやって水分補給をしたのか判らないし
友達とどうやって帰ったかも全く覚えていない」状態(笑)

「凄く良い試合をして勝ったボクサーが、でも良いパンチ貰って
試合の内容を全然覚えていないっていうことがあるじゃないですか
そういう感じなんですよ」と上島さん

奥さんも「甲斐バンドから一撃」を食らって(笑)
記憶が吹っ飛んだのかなあ?(笑)

記憶といえば、少し前に石田伸也さんが「ファンクラブの会報用に
BIGGIGの記憶をたどるインタビューを受けた」とツイートなさった際

「あの時、客席にいて、後に舞台裏なんかもそれなりに聞いてて
ライブの内容をしっかり覚えている人って、意外に少ないらしい」と
甲斐さん側の実情を教えて下さってましたね(笑)

まあ、当時は一般客で、今は業界にいらっしゃる方は
そんなに多くはないでしょうし
当時のスタッフの方々は、それこそ「お仕事中」で
ライブはご覧になれなかったと思われますし…

そういう意味では、当時「いち観客」でいらした
イチローさんのご感想は貴重ですね(笑)

「ちょうど客席の真ん中辺だったんだけど
会場の風景を眺めたりしながら、だんだん高まって来るじゃない?
たぶんメンバーの人にはわかんないと思うけど、昼間なのよ
夏の午後6時だもん、普通に暑いし(笑)」とイチローさん

甲斐さんが「いや、だから少し日が暮れるまで
僕がスタートを伸ばしたんですよ
でも、よく考えてみたら、みんな死んでたんです、逆にね(笑)」と話されると

「でも、7時過ぎに甲斐バンドが出て来てもまだ全然明るい
日が暮れてないの。大森さんが【ブライトン・ロック】を弾き始めても…
それがまた衝撃なんですよ
客がみんな、えっ、もう始まるの?って…
この明るさの中で待ちに待ったライブが始まったという現実

京王プラザとか全部見えるんですよ
ビルの中から見てる人もいるんです
これがまたニュースなんですよ
それで甲斐さんが出て来るでしょ[イエーイッ!]って言って(笑)
とんでもない二段盛り上がりなの
客、絶対錯乱します、あれは(笑)」と答えておられます

イチローさんと同じように話されているのは
デザイナーの西川ハジメさん
「地方に住む17歳の高校生」が「満を持してという感じで」

「会場に着くと、全く想定外の風景
ブロック指定という聞いたこともない形の客席にも戸惑った
しかも、ライブはなかなか始まらない。暑かった」

「だから、始まったらもう、いきなり最高潮でしたよ
[よく来てくれた。BIGGIGへようこそ]と話した甲斐さんの声は
今でもはっきりと覚えています」と…

でも、甲斐さんは「日没時間を調べて
逆算して曲順を決めた」んですよね?
今回のBIGGIG AGAINは、午後5時半スタート…ってことは
「日没に合わせた曲」が変わるんだなあと…

まあ、野音は騒音を始め、周辺環境に対する規制が厳しい所みたいだし
リハーサルの時間もキッチリ決められてるくらいだから
仕方がないのかも知れませんね

ロケーションが似ているとはいえ
ビルに照明を当てる訳にはいかないでしょうし
石田さんがおっしゃる通り
「熱狂の現場が、今ではもう無いということ
都庁が建ってしまって同じ場所でのコンサートは実現不可能であることが
BIGGIGの伝説性を一層高めている」んですね

その石田さんが最も強く記憶されているのは
奥さんと同じ(笑)【東京の一夜】だそうで

「当時のツアーは、最新アルバムからの曲と
ライブの定番曲で構成されるようになっていて
いわゆる意外な選曲というのは少なかった印象があるんですが

高層ビルに囲まれたあの風景の中で、いきなり演奏された時には
[この曲をこの場所で!?]と凄く衝撃を受けました」と話されてます

以前にご紹介した「GOLD」のレコーディング中のインタビューで
甲斐さんは「懐かしい曲もやります」とおっしゃって
【テレフォン・ノイローゼ】と【シネマクラブ】の名前を挙げられてたけど
後者が候補から外れた理由が、この曲だったのかなあと…?

それにしても、ちょっと驚いたのは
「スタッフの間では[1983年のセットリストが
ちゃんとあるのか?]という課題が浮上し(笑)

ライブCDとDVD、それにTVで放送された内容も全部まとめて整理し
全体の整合性を確認した上で
さらに熱烈なマニアがネット上に公開しているデータとも照合して
確定させたという、嘘のような本当の話が伝わって来ている」との記述

…まじっすか!?(笑)
ひょっとして、奥さんが信じているセトリじゃないかも知れません(笑)
それはそれで楽しそうだけど…(笑)

「それはそれ、あの時に終わったこと」
「同じことはやらない」という甲斐バンドらしいエピソードですよね?

余談ですが、この記述の後に
「同様に、遺跡発掘のような(笑)地道な作業によって
今回、Tシャツやタオルの復刻グッズが用意されることになった」と続いていて

「Tシャツも欲しかったけど、持ち合わせがなくて
タオルだけで我慢した」西川さんと同じく
「33年前を思い出しながら、復刻版を手にすることになるだろう」奥さん(笑)

「ライブ当日は、1曲目のイントロが流れた瞬間に、ノスタルジーではなく
単純にその頃の気持ちに戻れそうな予感がしています」という西川さんと
同じ気持ちになれるでしょうか?
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機関紙BEATNIK(Vol.3)おまけ

2016-07-27 08:15:04 | 日記
前回、大森さんと放駒親方の対談をご紹介していて思い出したのが
相撲雑誌?に掲載されていたとおぼしき甲斐さんのインタビュー♪

「大相撲にエールを!」という特集の第7弾に登場されてます
前置きには「幼稚園の頃、横綱の胸に手を触れるという
貴重な経験をしていながら、それが誰だったのか
名前も判らないという甲斐さんだが

その後はすっかり相撲の魅力に取りつかれ
以来40年近く、大相撲にエールを送り続けている
甲斐さん流[勝負の世界の楽しみ方]を教えて頂いた」と記されてます

「昔は、大抵の小学校に土俵があったと思うんです」と甲斐さん
「九州場所の時にお相撲さんが学校に来て相撲を見せてくれたんですよ

小学校高学年くらいから、力士の名前とか人格とかを意識し始めて
ちょうど栃若時代でしたね
後は若秩父がいて、みんなで、ああいう相撲取りにだけはなるのよそうねって…(笑)

だけど、高校生くらいになると
若秩父の相撲の型は凄かったと判って来たんです
10代の終わりって理論的になって来るんで
映画スターでもミュージシャンでも、分析に入って行く年頃じゃないですか

そうすると、イヤだなって思っていた相撲取りに
理論的な型のあることが判ったりする
当時、僕が一番好きだったのは(初代)若乃花です
でも、全力で好きになったのは北の湖ですね
強くて、みんなに嫌われていた時代でした

押し出す寸前にもう1回押すのが険悪と取られてましたよね
でもそれは、ちゃんとした相撲を取っているということなんですよ
横綱だし、土俵際、最後で息を抜くような相撲はよくないでしょ
そのプロ意識が好きでしたね

引退してからもずっと好きです
報知新聞を取ってるのも、彼が相撲評を書いてるからなんです(笑)

以前、北海道の空港でお見かけして
いつの間にか2mくらいまで近づいて、話しかけようとしてた
でも、考えてみれば、知らない人なんですよね
これはイケナイと、グッと自分を抑えました(笑)」とおっしゃっていて
先日の「ムロツヨシと話したかった」件を思い出しました(笑)

「北の湖は[花のニッパチ]と言われた人の中から、頭ひとつ抜け出した
自分のスタイルを持っていたからですよね
僕はそういう人が好きなんです。それがプロだと思うから…
たとえ負けても、ファンを喜ばせることが出来るのは
スタイルを持っていて、それを貫ける人だからだと思うんです

ああいうスタイルになったのは、素質の問題だけじゃなくて
時代背景も微妙に影響してたんじゃないかって
僕、同い年なんで、同世代で経験した喜びも苦しみも似てると思うんですよ

それと、彼のスタイルは独特だと言われてましたけど
その実、非常にオーソドックスなんですよ」と北の湖愛を語っておられます(笑)

「相撲界で親しい方は?」との質問に
「一番最初に話したり、飲んだりするようになったのは
起利錦関と北勝鬨関ですね」と甲斐さん

「起利錦は、かなりのロック少年で
欧米のロック・ミュージシャンとかに物凄く詳しいし
僕の昔のアルバムなんかを今でも綺麗に取ってくれてる

知り合って1年くらいの時に、サインくれって差し出されたのが
デビュー2枚目のアルバムだったんですけど、保存状態がすごく良かった

これは、あの人の相撲にも通じるところがあったと思うんです
その人の背景にあるものが見えて来ないと面白くないですよね」

…と、お答えになってますが
その起利錦関を紹介して下さった方がいらっしゃいましたよね?
「酔っ払い製造工場(笑)」みたいな飲み屋さんで
「完成品(笑)」の甲斐さんが「お相撲さんですよね?」と
話しかけられた方が…と思っていたら

「あまり言いたくないんですけど、敷島というのがいまして(笑)
チャゲ&飛鳥のチャゲと僕と敷島で、よく飲みに行きました(笑)
彼の結婚披露宴に呼ばれたんですけど、それには行けなくて
二次会のパーティーにだけ出席しました

まあ、敷島だけは、あまり知り合いになりたくなかったと思ってるんですけど(笑)
むやみやたらと携帯電話にかけて来るんですよ」と…(笑)

だって、敷島関は甲斐さんのことを
「ただの明るいヨッパライ」と思っておられるんですもんね(笑)

「本場所を観に行かれることはあるんですか?」と訊かれて
「本当は、東京場所は全部観に行きたいんですけど、実際は1年に1回
家族みんな相撲好きなので、一緒に観に行きます

国技館へは小学校の低学年から連れて行ってました
歌舞伎と相撲観戦は、一番の贅沢ですよね、食べ物も美味しいし
館内に入ると紫色が目につくでしょ
それがまた日本情緒を醸し出す訳ですよ、ワクワクしますね」と甲斐さん

新国技館の「こけら落とし」の話が出なかった代わりに?
「お嬢さんのご贔屓の力士は?」との質問が…(笑)
「北の湖のようなタイプが好きみたいですよ
人の意見じゃなくて(笑)自分の目で見て、確かめてるようです」とお答えになると
「かなり[通]の見方をお父さんから叩き込まれたようですね」(笑)

それはさておき、現在の角界について…
「昔は気迫とか練習量で、のし上がって行くタイプが多かったけど
今は科学的になって来てる
トレーニングだけじゃなくて、頭で相撲を取るような…

だから、顔つきも変わって来てると思いますよ、相撲界だけでなく…
イチローなんて従来のプロ野球選手の顔じゃない、正に今の顔ですよ

昔を懐かしいと思う時もあります
でも、今は個性があって魅力的なお相撲さんが沢山いる
僕が現状をそのまま受け入れるタイプだから、そう思うのかも知れませんね

(新横綱や新大関がなかなか誕生しないことは)
仕方がないことなんです、ケガも運なんだから
そこから抜け出た人は強くなると思いますよ

ミュージシャンも一緒です
ある一線があって、みんななかなか越えられなくて苦労するのに
すごく楽に上がって行く人がいる
叩かれることはあっても、本人は全然苦にしてなくて
すんなりとワンチャンスを生かして上がって来るんです」
…って、どなたのことなんでしょう?(笑)

「ロスに2週間近くいたんですけど
持って行ったのは[Number]とかのスポーツ・ジャーナリズムがほとんど
その方が元気になれるし、音楽関係のものは全くないですよ

普段の人間関係もそうなんですが
僕、ミュージシャンとの付き合いより
他の分野の人との方が多いんですよ
その方が自分が客観的に見えて来たり
その向こうに世の中が透けて見えたりするんじゃないでしょうか」

「最近、野球にはあまり興味がなくなったそうだが
相撲への情熱は衰えていない」とのキャプションが添えられた
甲斐さんの写真やプロフィール欄を見ると
[GUTS]をリリースされる前くらいのインタビューじゃないかと…?

この後にドジャーズ戦をご覧になったり
イチロー選手がメジャーで活躍なさったり…と
甲斐さんの「野球熱」が甦って来られるんですよね♪

ともあれ…「思い出に残る一番は?」と訊かれて
「貴ノ花--千代の富士」とのお答えに
「千代の富士が引退を決意した?」と重ねて訊かれ
「いえ、お父さんの方です(笑)
千代の富士に負けて、貴ノ花が引退を決意した一番

あれを見た時は[体験した][目撃した]という感じでしたね
物凄いものを見たなという気がしました
後でビデオで見たり、人から話を聞いたんではダメなんです

あとは、曙--小錦。小錦が大関から落ちた時の一番です
大変、人間くさいドラマというか
ああ、この人達も人間なんだという当たり前のことを
まざまざと見せつけられた一番ですね

貴ノ花が千代の富士に負けた時は、絶対引退すると思いました
力尽きたという感じがあったし、バトンを渡したという印象もあった
あれは本当に凄い勝負でした

[勝ち負けじゃない]とかって、訳わかんないこと言う奴がいるけど
[勝負]って書けば勝ち負けなんですよ

社会って何だろう、社会人って何だろう、社会性って何だろうって
10代の後半にそういうことを考える時期に
一番わかりやすいのが勝負の世界なんですよ、だから惹かれるんです

貴ノ花の側にも、千代の富士の側にも、どっちにも人生がある
だから面白いんです

人生はいつも勝ち続けるなんて無理なんだから
どうせ負けるなら、負けっぷりの良い方がいい

負けっぷりには、その人の人生が出る
勝負がついた瞬間、そこからほころんで来るのが
その人の人生そのものなんです

勝負は一瞬だから、その一瞬の手前を
どれだけ謳歌して生きているかということの方が重要になって来る
僕はそのポイントに興味があるんです

一生懸命とか努力とかって、あんまり好きじゃないんですよ
どれだけ楽しんでいるか、どれだけ謳歌しているか
それが大事だと思うんです」と話されてますが

確かに、たとえ負けても「よくやった!」と声をかけたくなるような
清々しい負けっぷりがありますよね

このインタビューもそうですけど
麻雀では「三九の人生がいい」とか(笑)
「人生は9勝6敗がいい」とおっしゃったり
サッカーでは「あの不条理さこそが人生」と語られたりと
甲斐さんの人生哲学が垣間見えるようですね♪

余談ですが…「最後に相撲界にエールを…」と言われて
甲斐さんいわく…勝ちっぷりの良い、負けっぷりの良い
スペクタクルな相撲を展開して欲しい
あとは、敷島関にあまり電話しないようにと伝えて下さい(笑)

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