ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ゆく年くる年

2017-12-31 13:48:00 | 日記
今年もあっという間に大晦日を迎え
…といっても、仕事に追われ、年末年始はあってなきが如くの我が家…(苦笑)
新聞やテレビで「2017年の総決算」を眺め
「あ、それ今年のことだったっけ?」などと振り返っております(苦笑)

奥さんは、ビルボード・ツアーと「かりそめのスウィング」ツアーで
「甲斐よしひろ」と「甲斐バンド」のステージを堪能した1年だったみたいだけど
ボクは、その又聞きレポと
甲斐さんの出演されたテレビやラジオの文字起こしに明け暮れた感が…(笑)

その甲斐さんは、ベストアルバム発売やツアーはもちろん
海外旅行にキャンペーンに声優デビュー(笑)に充実の1年と思われますが

声優といえば、例えばクリント・イーストウッドなら山田康雄さん…とか
アラン・ドロンなら野沢那智さん
刑事コロンボは小池朝雄さん…という風に
「この俳優には、この声」ってハマリ役の声優さんのことを
「フィックス」と呼ぶそうで

「スコップさん」は、まず「甲斐さんありき」で始まっているとはいえ
あのちょっとワイルドな(笑)Eテレ初のアウトサイダー役は
まさに「これしかない!」って感じです(笑)

ちなみに…「吹き替え」の台本には、セリフ以外に
「ガヤ」→セリフの背後に聞こえる不特定多数の声
「息」→タバコ息、ため息、飲み息、感激息などを吸気・呼気で使い分ける
「AD」→アドリブ(息AD、苦しい息ADなど)
「鼻」→鼻で吸う音、鼻をすする音など
「うめき」→うめく演技…といった用語が記されているみたいだけど
スコップさんは、全部「オーイェー」で表現なさってましたよね(笑)

今、声優界では「うたの☆プリンスさまっ♪」や
「ラブライブ」のアニメ化をきっかけに
演じられた声優の皆さんが、そのままグループアイドルになられ
ライブでは1万人規模の動員数を誇るという
一大ブームが巻き起こっているらしく

声優には、声だけでなく、確かな演技力、歌って踊れるエンタメ力
ライブでの「しゃべり」の上手さ、更にルックスも求められるんだとか…
甲斐さんは、声も歌も「しゃべり」もバッチリでいらっしゃるし
あとは「確かな演技力」さえ身につけられれば(失礼!)
声優業も夢じゃないかも知れません(笑)

あっ!そうそう!「やすらぎの郷」の謎のナレーターは
やっぱり鶴瓶師匠だったみたいです(笑)

それはさておき…我が家は奥さんがヒップを負傷したことを除けば
大過なく息災に過ごせましたし
ドラマ「カルテット」や映画「身毒丸」で、心の栄養補給も出来ましたし
まずまずの1年だったんじゃないかと…

ただ、新聞の文化欄に「既視感に暮れゆく2017年」という記事があり
「秋の総選挙で、自民党は公示前と全く同じ284議席を得た」ことや

「テレビドラマでも『ドクターX』『相棒』といったシリーズものが高視聴率だった
NHK連続テレビ小説『わろてんか』も
明るく生きた女性の一代記、男前2人など
近年の朝ドラの成功例と重なる」ことに「既視感を覚える」

「既視感がある」という言い方には
「また同じような光景だ」といった否定的な響きがある一方で
「同じような光景の方が良い」
「物事が動かない方が安心できる」という
「既視感愛のような心性が潜んでいると思える」

また「流行語大賞」のトップ10に選ばれた
ブルゾンちえみさんの「35億」に並ぶ、もう1つの決めゼリフ
「探さない、待つの」も「動かないことの効用が説かれた」とか

大賞の「インスタ映え」は「誰もが瞬時に様々な情報を発信し
その情報が広がり共有される状況が加速している」といった風潮から

「人間みんなが同じ世界に生き、同じような体験をして
夜見る夢も同じようになっていく現代
人間はそもそも、既視感に通じる安定や定型を好む存在なのではないか

ある知覚心理学者は『人の脳は予定調和的な定型を好みがちだ』と言っている
見慣れた風景、見慣れた人々…郷土愛や仲間意識とも連なりそうだ」

…と記されてましたが、確かに「ドクターX」や「相棒」シリーズ
それに「何匹目のドジョウだ(笑)」と言いながら楽しんだ「陸王」などは
マイナーチェンジはありつつも「定型」は崩してないですし…(苦笑)

甲斐さんが「ソロはチャレンジ
甲斐バンドは予定調和」とおっしゃっているのは
キャリアを重ねられる内に、ファン層…というか
甲斐バンドとの関わり方が、それぞれ異なったファンの方が増えて
「最大公約数」的な選曲や「決め事」が定まって来ることを
指しておられるのかなあと…?

ともあれ、記事の続きには…
「文化やスポーツの分野では、29連勝を成し遂げた藤井四段や
日本人初の100m9秒台を出した桐生選手
メジャーリーグでも二刀流が期待される大谷選手などが大きな注目を集めた

人間は安定を求める一方で、同じ状態が続き過ぎると
『飽き』や『閉塞感』を感じるのだろう
天才やスターへの憧れは、その表れと言えるが
進化し、変化するのは天才たちの方だ」と結ばれてます

まあ、ボクみたいな凡才は「スゴイ!」「素晴らしい!」と
口をあんぐりと開けて見入るばかりだけど(苦笑)
中には、そんな天才たちに憧れて
将棋教室に入ったり、スポーツを始めたりする若者たちもいるはずだし
将来、スターとして登場するかも知れません

我が家は、仕事納めを終えたら
「笑ってはいけない」を録画し、紅白の「ひよっこ特別編」を狙いつつ
「孤独のグルメSP」を楽しみたいと思います(笑)

来年のビルボード・ツアーは、W杯に重ならない日程になってるみたいだし
甲斐さんはロシアに行かれるんでしょうか?
ただ、奥さんは、再来年のラグビーW杯のチケットを取りたい
でも、甲斐バンド45周年ツアーと重なるんじゃないか?と思案中…(笑)

ま、とりあえず、松が取れて正月休みになったら
念願の吉田鋼太郎さんのシェイクスピア劇を観に行くみたいです(笑)

ということで、これが本年最後の記事になります
読んで下さった皆さま、本当にありがとうございました!
どうぞ、良いお年をお迎え下さいm(__)m
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉の力

2017-12-30 19:52:00 | 日記
「シビレる言葉」シリーズに続き「言葉遣い」について少々…
甲斐さんもご覧になっていたらしい「過保護のカホコ」の中で
80年代に流行った「バイビー!」という別れ際の言葉が復活してたんですが

NTTドコモは、事前に設定された「終話ワード」を言って
スマホを耳から離すだけで自動的に電話が切れる
「スグ電」サービスを開始する上で

「じゃあね」や「バイバイ」など標準語の終話ワード8種の他に
北海道の「したっけ」や関西の「ほな」
九州の「ならね」といった方言の終話ワード22種を採用
その標準語終話ワードの中に「バイビー」が入っているそうです

これは、終話ワードを選ぶ際に
「高齢者の方にもこのサービスを使って貰えれば」と
「バイビー」も項目に入れて、利用者にアンケート調査を行ったところ
「使う」と答えた世代が、年配者より10〜20代の方が多かったためみたいなんだけど
バブル全盛期に流行した言葉が「高齢者」向けって、ナンだかなあ…(苦笑)

この「若者ことば」と呼ばれる言葉は、4種類に分類されていて…
「ちかれたびー」や「アジャパー」のように
後の若者はもちろん、当時の若者も老いたら使わない「一時的な流行語」

「アッシーくん」や「ネグる」など
後の若者は使わないが、当時の若者は使い続ける「生き残った流行語」

「早弁」や「カテキョ」などの「キャンパス用語」は
当時の若者は老いると使わなくなるけど、後の若者は使うらしいし

「ウザい」「ダサい」は、当時の若者も後の若者も
更に老いても使われる「確立した新語」なんだとか…

ちなみに…「ダサい」が「だって埼玉だもん」の略語だとは知ってましたが
「バイビー」が「バイバイ・ベイビー」の短縮形だとは知りませんでした(笑)

若者は使い慣れていても、親世代には通じない
世代間ギャップの大きな言葉として…

「りょ」「とりま」「イミフ」「セルカ」「ディスる」「きょどる」
「秒で」「ポチる」「リムる」「わず」「じわる」「ワンチャン」「斜め上」
「ワーママ」「なるはや」…などが挙げられてますが

「ワンチャン」や「やるはや」は
ボクらの世代でも結構前から使われてるし
テレビや小説にたびたび登場する「ディスる」や「ワーママ」は
親世代の認知度が上がっているみたいだし

また「違くて」や「キモイ」などは、元々、方言として存在していたらしく
前者は、100年ほど前に東北で使われ始め、北関東、東京に伝わった言葉で
後者は、愛知県や岐阜県で「きつい」「窮屈だ」という意味で使われているようです

ここ数年で「褒め言葉」になった「〇〇すぎる△△」という表現も
前述の「若者ことば」と同様に
ネット上などで使用される頻度が高いらしいんだけど

本来は「遅すぎる」とか「やりすぎる」といった
「適当な度合いを越える」好ましくない状況に使われていた表現を
感情が動いたことや、衝撃を受けたことを
強調して伝えたい時に使うようになったんだとか…

もっとも、三省堂国語辞典第7版には
俗用として「(ほめて)ひじょうに…だ」と掲載されているみたいです

余談ですが…元々は「(女性の)媚びを表す目つき」や「色目」を指す
「秋波を送る」という表現が男性から男性に対しても使われているそうで
特に、政治家や政党が、立候補の打診や選挙協力を求める場合
また、国の代表者が他国に「お願い事」をする場合に多く

新聞各紙では、女性政治家が男性に対して「秋波」を送った際に
「女を武器にした」という誤解を招かないために
「接近を図った」と書き直したりするらしい(苦笑)

また、スポーツ界では「力を100%以上出し切る究極の集中状態」を
「ゾーンに入る」と言い表したり
「ぐんぐん加速する」というスピード面だけでなく
「精神力やパワーのレベルアップ」にも「ギアを上げる」を使ったり
意味が拡大された表現が多く見られますよね?

それはさておき…
10年ぶりに改訂された広辞苑が、年明け早々に発売されますが
「高倉健」さんや「赤塚不二夫」さんや
「スピルバーグ」監督に「立川談志」師匠など人名はともかく
「惚れ直す」や「小悪魔」「分刻み」などが未収録だったことにビックリ!

「ノリノリ」「ごち」「チャラい」「がっつり」「イラっと」「ムチャぶり」など
バラエティ番組中心に広まった言葉や
「IPS細胞」「ビッグマウス」「ブラック企業」「ハニートラップ」など
10年の間に登場、または浸透した言葉なら判るんだけど…?

「盛る」の説明に「大げさにする」
「ヤバイ」の説明に「のめり込みそうになる」など
時代と共に広がった語義が追加される一方で
「きしょい」「ググる」「ほぼほぼ」「ツンデレ」などは
まだ定着していないとして見送られたようですが
「盛る」より「ググる」の方が浸透している気が…?(笑)

芸能人が広めた言葉として挙げられている
「逆ギレ」「寒い」「噛む」「イタイ」「ぐずぐず」などは
ボクもしょっちゅう使ってるんだけど(笑)
これが全部、松本人志さん発の言葉だとは知りませんでした(苦笑)

ダウンタウンとしての漫才からは遠ざかっておられても
やはり「しゃべり」は、一流なんだなあと…

ともあれ、斎藤孝教授によれば…
20年前に比べると、メールやSNSが広まったことで
文章を「書く」機会が圧倒的に増えたため
ツイッターなら、文章が短い分、言葉のセンスが磨かれ
フェイスブックだと、読んだ本や観た映画について
自分なりに表現する力が必要になり
その結果、語彙が定着しやすく、また使いこなせる語彙も増えるらしい

ただ、SNSだけだと、同じような語彙力の人たちとのやりとりになりがちで
語彙の増加に限界があるんだとか…
若者の間では、LINEでスタンプを使わず
「了解」を「り」、「ゴメン」を「ご」で表すのがフツーになってるみたいですしねぇ…

でも、語彙力の高い方は、幸福感も高いという調査結果も出ているそうなので
ボクもまだまだ、これからもっと語彙を増やさなければと…(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シビレる言葉 AGAIN おまけ

2017-12-28 13:26:00 | 日記
甲斐さんが「ワイドナショー」に出演された際に
「あの番組は、ニュース番組じゃなくて
『ニュース・バラエティ』だからね」とおっしゃってましたが

そのはるか以前にサンストで…
「これから先、生き残ってくジャーナリズムは
『報道という名のバラエティ』だと思うんだよね
今、もう、ドラマがどんどん減って来ちゃってるじゃない
まず金がかかって元が取れないのがひとつ…その割にリアリティがない

で、何が面白いかって言うと
『金がかからなくてリアリティがある』報道
金の問題と、色んな分野のバラエティも押さえられる
そういう意味からすると、久米さん、頑張って欲しいなっていう気がする」
…と話されていて、最近のテレビ事情とのカブリ具合にビックリ!

その久米さんが「久米宏です〜ニュースステーションはザ・ベストテンだった」
…というご自身の著書についてのインタビューで…

「ニュースステーションもザ・ベストテンもそうですが
僕が関わらせて貰った番組に一貫しているのは
『誰もやっていないことをする』ということ」と
甲斐バンドの姿勢と同じことを口になさっていて、またビックリ!(笑)

もっとも「『ザ・ベストテン』では『リアル』を伝えるべく
普段、テレビに出演しない方の曲もランキングに反映させた」おかげで
某バンドが「魔女狩り」に遇われた訳ですけど…(苦笑)

今回の出版の動機を訊ねられて
「学生時代にひやかしで受けたアナウンサー試験に合格してしまって(笑)
たまたま就いた仕事でも、一生懸命やれば
多少の答えは出るんじゃないかという趣旨で
幅広い人の仕事の参考になれば…」と説明なさってましたが

甲斐さんのお好きな金子光晴さんが…
「詩人のつもりで世の中を渡って来た
それでも一生涯、ゆき丈の合わない着物を着て来たようで
安心して詩人でいられた時はない
私は詩人もどきなのだ」と記されているのを読んで
「自分の正体を知りたくて音楽を続けている」という
甲斐さんの言葉を思い出しました

「普段出来ないことは、災害のような非常時には、なおのこと出来ない」
…といったことがよく言われますけど
甲斐さんは「基本的に平穏な状態が何者かの侵入によって崩れそうになり
リアクションを起こさなきゃいけない
…その瞬間を切り取る、それが僕の作品になる

人間って、そういう不意に揺り動かされた時、本当に自分が明快に出る
その時、本当に自分自身と向かい合う
書いてるのは結局自分のことだよね
弱さ、脆さ、儚さ、切なさ、厳しさ、悲しさ
反応の瞬間、一番人間らしいところが出る」と話されてますが

見たくなかった、あるいは認めたくなかった自分の弱さや狡さを
真正面から見つめること、それを曲にして披露することって
やっぱり「ロックミュージシャン」にしか出来ないんじゃないかと…?

「ロックって、ニュースペーパーみたいな要素がないとまずいよね
ジャーナリスティックじゃないとロックじゃないと思う
僕は、問題意識を持ってない音楽ってのは絶対NOだからね」と甲斐さん

文化人類学者・川田順造さんによれば…「目にも『なれ』がある
見えているのに気づかないことがある
問題意識がなければ、目は節穴だ」そうで

詩人の石垣りんさんが…「私にとっては、詩を書くことも待つことの一つ
いつも何かの訪れがあって、こちらに待つ用意があって出来たものばかり」と記されているのと同様に

「開店したばかりのバーのカウンターで
リラックスしてる時に降って来る」とおっしゃる方が
「基本的に、ずっとスイッチを入れてるんで…
降りて来た瞬間にパッと書けるようになっとかないといけないんで
だから、コースターは何十枚もあります(笑)」と話されていたのは

「つい見逃しがちな、ちょっとしたことに気づけば問題関心が生まれ
それまで見えなかったものが子細に見えて来る」
それらの蓄積が表出する瞬間を逃さないようにするためなのかなあと…?

多様な職種の方の「人生の分岐点」を取材された
石井ゆかりさんの「選んだ理由」の中で、ある写真家の方が…

「かつて勤め人だった時、妻に『今の仕事をずっと続けるつもりか?』と訊かれて
『もちろん』と答えると『は?つまらん』と言われた
自分の中の『NO』を知っていることが、羅針盤になることもあるのだ
『やりたくない』ことを一つ一つ外して、今の道を選んだ」と話されてます

消去法でミュージシャンを選ばれた方もいらっしゃるし(笑)
「やりたくない」ことを続けていると身体に変調を来しかねないし…
とはいえ、この写真家の方の奥様の一言に拍手ですね

それはさておき…
甲斐さんが右用のギターを左手で弾き始められたきっかけについて
「子供に『ごはん粒がついてるよ』って
自分の口元を指差しながら注意すると
鏡に映したみたいに『こっち?』って反応するじゃない?
アレとは違うからね(笑)」と笑って話されてましたが

舞の井上流では…「先に形を整えることにならないように
…ということで、稽古の時に鏡は使わず
師匠が差し向かいになって、左右反対の手をしてくれる『左稽古』で習います
これが『何も考えず身体で覚える一番良い方法』」なんだとか…

そういえば、イチローさんも松藤さんも
甲斐さんがギターを弾かれるのをご覧になっている内に
左手でも弾けるようになられたんですよね?(笑)

ちなみに…「能の稽古では、師匠が弟子に
『よし』と言うこともしなければ、褒めることもしない」らしく
それは「教える側も常に途上にあり、変化しているから」で
「なのに『よし』と言うのは、その進化を止めて
今、自分が立っている地点を基準に
良し悪しを判定することになる」と安田登さん

「学びにおいては『ただまねる』
ひたすら師匠の緊張感と気迫をまねるばかりだ」とおっしゃってます

三谷幸喜さんは、物まね芸について…
「彼らは本物がいないと成立しない
そして絶対に本物を越えることはない
それを判っていながら、ひたすら己の芸を磨く、そこに憧れる

私もそう。あそこまで考えつめた人がいる
その地点まで何とか行ってみたいとの思いが
私をこれまで駆って来た」と記されてます

古くは、テレビのプロレス中継をご覧になって
その技を真似されることに始まり(笑)
ギターは、ひたすらコピーなさることから、独自のスタイルを築かれ

「カバーはオリジナルを超えられないけど
違う切り口でアプローチすることに意味がある」とおっしゃる甲斐さん
「まねび」によって基本を知ってこその個性ですもんね

甲斐さんは、PV撮影の際に「初めて演技らしい演技をした」と話され
その後のインタビューで「演技するということには
あまり興味を惹かれなくなったね
音楽は自分で気に入らなければ、NOが出せるし、自分で良い悪いが判る
でも、映像って、カメラの前を人が通ったとか
自分に関係ないトコで、NOが出るんだから」とおっしゃってますけど

「物まね芸人の人の物まねを真似すると
その物まねが出来るようになる(笑)」との甲斐説に従えば
役者さんの真似をなさったら、演技が上達するってことになるんじゃ…?(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シビレる言葉 AGAIN 10

2017-12-27 21:24:00 | 日記
甲斐さんはよく「音楽には聴いた途端一気に
その曲を聴いた時代に引き戻す力がある」とおっしゃってますが
今朝の天声人語にも「イーグルスが1990年代に再結成し
来日した時の観客の言葉」として

「【ホテル・カリフォルニア】のイントロが始まった途端、私は19の時に戻っていた
そして当時訪れたロサンゼルスの風景が、目の前に浮かんで来た」が引用され

「あの物悲しいギターの旋律がよみがえる方もおられよう
耳にした途端、昔に引き戻される
そんなイントロが誰にも一つや二つ、あるのではないか」と続き

「うん!うん!」と頷きながら読み進めていたら
1986年には、過去30年のヒット曲のイントロは「平均して20秒以上あったが
2005年には、5秒にまで縮まっていた」

「興味を早めに引こうとして、すぐに歌い始める傾向」は
レコードやCDを1曲目から聴くのとは違い
「数秒で気に入らなければ簡単に別の曲に変えられ」たり
「イントロを飛ばして聞く人」がいたりする
ネット上での「耳の争奪戦に勝つための工夫なのだろう」と記され

「久しぶりに聴いた【ホテル・カリフォルニア】のイントロは50秒ほどだった
その時間を惜しむのは、文化的に進化しているのか
それとも退化しているのか」と結ばれてました

確かに「好き嫌い」で選ぶなら、数秒で事足りるかも知れないけど
「物語」が始まる前のプロローグとして
イントロは曲の大事な一部なんだし…って思うのは
「ストーリーが見える曲」を聴く機会が多いからでしょうか?(笑)

画家の小林孝亘さんが…枕や食器など日常のありふれた物から
「『意味』が消え、別の何かが見えて来るまで待つ
その時間が絵には欠かせない
無駄な時間は決して無駄ではない」とおっしゃってたり

「石神井書林」店主・内堀弘さんは「最初の芥川全集の内容見本」や
「農業経済学者が古希記念に出した歌集」といった本を探す際に
古書の転売を生業とする「セドリ」の方にお訊ねになるそうだけど

「ああ、あれならあの店にあるよ」と教えられると
その「めったに報われもしない、緻密で膨大な知識」について
「度を超した無駄は神聖に見える」と書かれていたり…

ドラマ「陸王」でも、履いて貰えない陸王を茂木選手に届けるのは
「無駄なことかも知れないけど、無意味じゃない」ってセリフがあったし

何より甲斐さんが「無駄なことをいっぱいやった方が良い
その無駄が後で絶対に活きて来る」と話されてますもんね(笑)

また、フランスの知識人ロジェ・カイヨワは…「遊びは生産的でない
その点で労働や芸術とは異なる
遊びは目標を定めて何かを作るのではなく
時間とエネルギーと器用さの『純粋な消費』であり
いかなる富も、いかなる作品も生み出さないが

『あそび』が無ければ歯車が回らないように
人生も社会も、気晴らしや喜びで一時弾ける
そんな隙間や緩みがないと息をつけなくなる」と記しているんだけど

「遊び」自体に生産性はなくても
「真剣に遊ぶ」ことで生まれる何かはあるんじゃないかと…

「今は『ためになる』とか『役に立つ』以外のものは
存在しちゃいけないような風潮があるけれど
私はそれがどうにも不快なんです」とコラムニストの中野翠さん

また、山崎ナオコーラさんは…
「誰も、誰かから必要とされていない
必要性がないのに、その人がそこにいるだけで
嬉しくなってしまうのが愛なのではないか」とおっしゃっていて

損得抜きで愛する「もの」や「人」が存在する人間は
そうでない人より豊かで幸せな人のように思えます

それはさておき…音楽学者の渡辺裕さんは
「音楽は社会を映す」という著書の中で

「ベートーベンの『第九』は、ドイツの労働者運動でも、ナチスの宣伝活動でも
東京帝大の出陣学徒壮行大音楽会でも、戦後民主化の『うたごえ運動』でも
論理を超えて、人々の感情をさらう媒体として絶大な効果を発揮した

音楽は、色々な方向に人を引っ張り込む力を持つ危険な存在である
昨今のような『感動』や『怒り』の『大安売り』の時代には
その効果を制御しうる醒めた知を鍛えねばならない」と訴えておられますが

その「大安売り」の風潮って、少なくとも日本では
ステレオタイプなイメージや季節ごとの定番曲がある
…といった側面が後押ししているんじゃないかと…?

例えば、クリスマスには、家族でケーキを食べるとか
恋人同士ならイルミネーションを楽しむとか
ひとりぼっちで過ごすのは寂しい…といったイメージがあったり

【ジングルベル】や【きよしこの夜】はもちろん
【クリスマス・イブ】や【恋人はサンタクロース】など
「エバーグリーン」な曲が流れないと「クリスマスらしくない」気がしたり…

でも、甲斐さんにとってのクリスマスは
【かりそめのスウィング】の元となる【師走】という曲の歌詞を見ても
大勢の人で賑わう商店街で、お米をぶちまけ
お兄様を残して家へ逃げ帰ってしまわれたことを話される口調からも
心弾むイベントではなかったみたいですし

我が家がクリスマス・イブに婚姻届を提出したのは
「ロマンチック」な理由では全くなくて
年内に2人共に休みが取れたのが、たまたまその日だっただけで(笑)
一緒に【安奈】を歌ったりはしません(笑)

また、立教大学文学部の有本真紀教授は…「現代の卒業ソングの多くは
過去は輝き、今は別れの時で、はばたく未来は限りない青空
という時制の3要素に、教室など場所の要素を組み込んだつくりで
涙を誘う卒業式の観念を支える

涙が『良し』とされる場だと多くの人が認めるからこそ心を揺さぶられるのだ
『卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう』の歌詞には
泣くのが自然だとする不文律がよく表れている

しかし、卒業式といえば、底冷えのする体育館で
繰り返し入場や礼の仕方を練習させられた人も少なくない
今も、感動を半ば強制されながら抗えない卒業生がいるのではないか
最近は、学校が感動的な卒業式をしたがる傾向が強まっていると感じる」
…と、おっしゃってますが

早大国際言語文化研究所の原良枝さんは…
「声は、身体の中を巡って来た呼気が発するもので、生々しい身体の一部
そこには、霊的なものも含まれている
同じ歌を歌う安心感や、声を揃えて歌い上げる達成感が広がり
感動となって行くのではないか
感動が共振するのが卒業ソングなのだろう」と分析され

「日本記念日協会」代表理事の加瀬清志さんは…
「みんなで共に涙し、歌うというのは日本独特のセレモニーかも知れない
日本人は、日々の暮らしや人生に一つ一つ意味づけをして
目標をクリア(達成)して行くのが好きな『クリア人』

1970〜80年代の卒業ソングは
恋も別れも人生も、学校を舞台にした
青春ど真ん中の歌という感じだったが
最近は、歌詞が抽象的というか形容詞が多い
励まし合うフレーズだけが独り歩きしているものが目立つ
学校の影が薄くなっているのではないか」と指摘なさってます

日本コロムビアのディレクターの方によれば…「昔の卒業ソングは
『つらくても苦しくても一緒に歩いて行こう』みたいな連帯感があったが
今の若者は引いてしまうのでは?
ネットや携帯電話の普及で、別れの意識も変わっている」らしく

かつて卒業式で【贈る言葉】を歌われた世代の先生方が
今の卒業生の皆さんとは違った価値観で
卒業式を「演出」なさっているのかなあと…(苦笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シビレる言葉 AGAIN 9

2017-12-26 14:50:00 | 日記
以前に甲斐さんが「恋をしたら100曲書ける
失恋したらその倍は書ける」とおっしゃったそうですが

瀬戸内寂聴さんも「100冊の本を読むより、1回の恋愛
たくさん恋をして、たくさん傷つけば、人への思いやりが生まれる」と話されてます

また、ある音楽教師の方は「100回のレッスンより1回のステージ」
…というのが口癖だそうで
恋愛も音楽も、真剣に思いをぶつける相手がいないと
深みを増さないということでしょうか?

一方で、横尾忠則さんは…
「時間よりも、むしろ何を何回やったかという『回数』の方が大事なんです
恋人たちの逢瀬でも客商売でも、1回の時間より
何度会えるか、来てくれたかが大事」とおっしゃっていて
まあ、確かに、お百度参りも千羽鶴も、その「数」が肝心だしなあと…

童話作家・原正和さんも「お父さんとお話のなかへ」の中で…
娘につける名前に悩む父親が、人から言われた言葉として
「大切なのは、名前じゃないよ
つけた名前をどれだけたくさん呼ぶかさ」…と書いておられたり

定年後に畑仕事を始められた男性が
先輩方から「『作物が大丈夫かと思いやって足繁く通っていれば
その足音が肥料になる』と褒められた」…と話されていたり

サン・テグジュペリは「星の王子さま」がキツネに
「『なつく』って、どういうこと?」と訊ねた時…
「バラをかけがえのないものにしたのは
君がバラのために費やした時間だったんだ
他の誰とも違う君の足音が(バラにも)判るようになる」と答えた…と記していて

回数を重ねれば重ねるほど
その相手に「自分は気遣われている」「忘れ去られていない」
という思いを実感させるようですが
「続けるという行為は、得てして新しいことに取り組むよりも
エネルギーのいることかも知れない」とおっしゃる方も…

もっとも、思いつきで始めたこのブログに関しては
そこまでエネルギーを消費してる感じはないんだけど(笑)
「釣った魚に餌…」という言葉もありますしねぇ…(苦笑)

フランスの文筆家ミシェル・シュネデールによれば…
「バッハの『ゴールドベルク変奏曲』は
最初のアリアが、最後にもう一度奏でられる
同じ旋律だが、ピアニストが紡ぐ響きは同じではない

ただ音楽のみが、反復してもただの反復で終わらないのだ
そこに音楽の力と狂気がある」そうだけど
それは、ただその1曲の中のことだけではなく
時と場所を変えるごとに違う響きになるということでしょうね?

「音楽の力」といえば…
寺山修司さんが「新・書を捨てよ、町へ出よう」の中で
「音楽で人を殺せるか?音楽が人の感情を揺さぶりながら
生活の中では、ついに無害なのは何故か?」と記されてますが

ご自身も歌人・演劇家として「人の感情を揺さぶる」側でいらした訳だから
おそらく、命を削るような思いで創られた作品でも
ほんの一時、人の心に波風を立てただけで忘れ去られて行くことを
自嘲的、自虐的に綴られたんじゃないかと…?

ストーンズも「It's Only Rock'n'Roll(But I Like It)」
「たかがロックンロール」と突き放したようなタイトルを付けてるし…
ただ、すぐに「でも好きなんだ」と添えられているトコに
当時の社会や「眉をひそめた大人たち」に対する反発がチラリ…(笑)

かつて、甲斐さんも「歌はさあ、歌よ、しょせん」とか
「『たかが歌だ』という言い方は嫌いじゃないんだ
歌ってるヤツの生き方ひとつで『たかが歌』に過ぎないものが
歌以上のものになるんだから」とおっしゃってましたよね?

我が家には、その「たかが歌」に
日常生活に支障を来すくらい、ヤられてる人間がおりますが(笑)
カズオ・イシグロさんは、ノーベル賞記念講演で
「ロックスターを夢見る長髪の若者だった」と明かされ

「私はこれまで、幾つもの場面で
歌手の歌声から重要な教訓を学んで来ました
歌う時の人間の声は、底知れないほど複雑に絡み合った感情でも表現できるものです

歌詞から何かを感じた時、私は自分に『そう、これだ』と言います
『あの場面にこれを…これに近い何かを取り込まねば』と…
それは、言葉では表現しきれない感情ですが
歌手の歌声にはちゃんとあって
私は目指すべき何かを貰ったと感じます」と話されてました

甲斐さん絶賛の「日の名残り」は
いったん書き終えられたものの「何かが欠けていると思っていた時」に
トム・ウェイツの【ルビーズ・アームズ】…
「タフガイを貫いて来た男の『心が張り裂けそうだ』という叫び」
…をお聴きになって

主人公の「執事」…感情に壁を作り、自分自身を見せず
他人にも見せない…という人物像を
「物語の終わりに近いどこかで、一度だけ覆そう
まとった鎧に一筋のひび割れを起こさせよう」と考えられたらしい

ちなみに、イシグロさんは、このエピソードを披露された時
その【ルビーズ・アームズ】を「この場で歌ってみることも考えた」
と、おっしゃったんだとか…(笑)

余談ですが…「たかが服、されど服」という言葉について
鷲田清一さんは…「服はしょせんうわべだと人は言う
その人の現実を繕い、時に偽るものだと…
服ごときに人生の全てを注ぐのは愚かだとも…

が、服は人を支えもする
受け入れがたい現実を押し返すため
はねつけるためにも服はある
そうした抵抗、もしくは矜持を人はしばしばその装いに託す
服は、折れそうな心をまるでギプスのように支えてくれる
重要な装備でもあるのだ」…と説明されてます

人にこう見られたいという自己アピールの手段でもあれば
「勝負服」の如く、自分を鼓舞するために身に着けるものでもある訳で
「たかが」とおっしゃる方も、暗に「人は見た目じゃない」と
アピールなさっていることになるのかと思うと
「されど」と添えたくなりますね(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする