ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

MEETS RETURNS 森ノ宮(10/30)ネタバレあり

2016-10-31 17:20:00 | ライブ
今ツアーの中で唯一の2DAYS、森ノ宮ライブ終了♪
という訳で、今回も「町田〜かぞ方式」で書かせて頂きますm(__)m

森ノ宮2日目は「家からゆっくり出陣できる」と
まったりのんびりしていた奥さん

家事や雑用を片づけ、ふと時計を見たら「もう、こんな時間!?(汗)」
「学校に家が近い生徒ほど遅刻が多い」…の典型です(笑)

それでも開演30分前、甲斐時間なら45分前に会場到着(笑)
「ツインズ」観賞の際に電車が遅れた時ほど焦らずに済んだらしく
「甲斐時間ってイイね(笑)」と…(笑)

その「ツインズ」の時に吉田鋼太郎さん宛てにお花を贈られていた
コンちゃんからのお花が二つ届いていたそうです

でも今回、甲斐さんはコンちゃんのラジオ番組に出ておられませんよね?
新聞にライブの広告は掲載されてましたが
特にプロモーションはなかったんじゃないかと…

それはさておき…昨日の奥さんの席は
甲斐さんのマイクスタンドを軸に
ちょうど一昨日の席を反転させたような位置で
斜め後ろには新潟組の甲斐友さん達が…(笑)

このお二人は、別々にチケットを申し込んだはずなのに
新潟から3公演連続のお隣さんだったそうで

奥さんもかつて、サーカス・レビュー・ツアーの3DAYS
両隣に同じ方がいらっしゃったことを
甲斐さんのラジオに投稿したのを思い出したらしい(笑)

「上綱さんがヤサグレてるんじゃない?(笑)」やら
「目が真っ赤だったりして…」やら
「甲斐さんが傷口をエグりそう(笑)」など
甲斐友さん達と日本シリーズの話をしていたみたいだけど

奥さんの「後がないのに、ナンで広島は
黒田投手を出さなかったんだろう?」説は

甲斐さんもMCで「黒田出せよ!」とおっしゃっていたそうです
日ハムが大谷投手を温存するのとは訳が違いますもんね(苦笑)

ともあれ、2日目は「照明チェック」もなく
「甲斐さん!甲斐さん!」の連呼もなく(笑)
リピーターの方が多かったのか?
皆さん、スタンディングで【ブルーシティ】からスタート♪

前日に続き、奥さんの視界は至って良好(笑)
…って、今までのところ「甲斐さんが見えない」ことは1度もないようで
この日も早々にまとめて出席確認終了(笑)

2曲目の【かりそめのスウィング】は
「オカズ」が減って?手拍子の乱れもなく…(笑)

【ナイトウェイヴ】は「これぞ大阪!(笑)」と言わんばかりの大合唱で
甲斐さんのゴキゲンもすこぶる麗しかったんだとか…(笑)

今ツアーのレア曲【ダイヤル4を廻せ】と
【シスコナイト】の辺りから始まるMCは

毎回マイナーチェンジというか、甲斐さんも押尾さんも
ホールごとに話がカブらないようになさっていたらしいんだけど

この日は、その集大成ばりに(笑)
今まで喋って来られた話を次々に披露されたみたいです

【ダイヤル4を廻せ】は「前回のMEETSの時に
押尾君が[イイですねぇ]って言ってた」とか

野音での「BIG GIG AGAIN」が「再放送なのに1時間番組になってる」
…か〜ら〜の「松藤さんTシャツIN事件(笑)」も…(笑)

ドラムを叩いておられたり、アコギを弾いていらしたりで
甲斐さんからは「見えなかった」
でも「俺が気づくべきだった(笑)」と
この先、お身内から「裏切り」がないようにします宣言(笑)

余談ですが…その発端になってる「つま恋」の日
甲斐さんは、岸和田?でアコギライブだったそうで
カケモチ参戦の男性ファンの方が遅れて来場なさったんだとか…(苦笑)

奥さんは「つま恋」に全く興味がなかったため
その男性の遅刻にムッとしたようですが(苦笑)

ライブグッズの「カタカタ鳴る石鹸箱」のストラップは
「ちょっとイイな(笑)」と思ったという(笑)

「(MEETSは)3回目です」話では
「最初、俺が一人で出て半分くらいやって、途中から押尾君が出て来て…」と
今ツアーについての「コメント」と同じ内容を話されていたそうだけど

「最初っからカミちゃんを誘おうと思ってた」は初耳
押尾さんとの競演が「絶対イイと思ったから」らしい

前回のMEETS最終日に「涙ぐんでた」話から、押尾さんが
甲斐さんがお一人でステージに出ておられるのを袖でご覧になりながら

「お客さんと一緒に拳をあげてました(笑)」とおっしゃると
甲斐さんいわく…引くわ〜(笑)押尾君、引くわ〜(笑)

甲斐さんが「残念なお知らせがあります」と切り出され
何事か?と思ったら「押尾君の方がお酒が強くなりました(笑)」と…(笑)

「ビール1杯半くらいでヘロヘロになってたのに(笑)
博多の屋台で升酒飲んでる(笑)オヤジか!?(笑)」やら

「昔、イベンターから[甲斐さん、もう帰りましょう]って
よく言われた(笑)午前3時半くらいに…(笑)

(今は)俺が[押尾さん、もう帰りましょう]って言ってる(笑)」やら
「開眼したらスゴイ」酒豪ぶりですね(笑)

元々「昼間から酒が飲めるから」とミュージシャンになられ(笑)
「終わった後に美味しくお酒を飲むために
一生懸命ステージをやる(笑)」方とご一緒で
いつの間にか鍛えられてしまわれたのかなあ?(笑)

まあ、奥さんは、押尾さんが「ファン過ぎ(笑)」て
甲斐さんと飲まれても緊張のあまり酔えないんじゃないかと…?(笑)

他にも「1曲目の【ブルーシティ】は
マッチに書いた曲…マッチでぇす!(笑)」と甲斐さん(笑)

「リアル過ぎて、中森ナントカとつき合ってたから(笑)
[12インチでお願いします]って言われて
普通のシングル(としての発売)じゃなくなった(笑)」話もお目見え(笑)

奥さんは「昔、テレビでマッチを見てて
【感触】を歌いたくなった(笑)とか言ってたなあ」とクスクス(笑)

そうそう!「ビルボードライブ(のDVD&CD)が凄く良くて…」と
ご自身でもかなり会心の作品と思っておられるらしく

「自分のこと好きじゃないんで(笑)」と
通常なら、発売後にあまり音源を聴き直されることがない甲斐さんが

「毎日、CD聴いてるという…(笑)
【冷血】なんて、ホント素晴らしい」と話されたものの
会場内で買えることには触れられず…(苦笑)

奥さんも毎日CDを聴きながら通勤し
夜中にDVDを観て爆笑しております(笑)
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MEETS RETURNS 森ノ宮(10/29)ネタバレあり

2016-10-30 09:45:00 | ライブ
ついに「RETURNS」関西上陸です(笑)
例によって、甲斐さんのお出迎えに参上した奥さん

昨日は18時開演とのことで、ゆっくりめのご到着かな?と思いつつ
いつも通りにスタンバイしたようです(笑)

でも、いつもより余分に待っている間に
宮迫博之さんと、某男性俳優の方をお見かけしたらしい(笑)

ようやく、甲斐さんが到着され
イベンターの方に何かおっしゃいながら
目の前を通り過ぎて行かれるのを待って
迎車の乗り場までついて行こうとしたら

甲斐さんとイベンターの方が、急に振り返って笑っておられ
つられるようにマネージャーの男性も笑顔で振り返られ
「えっ?」と固まる奥さん達…(笑)

「アノ微笑みはナンだったんだろう?」とボクに訊かれても…(苦笑)
まあ、ゴキゲンは麗しかったみたいで何より…(笑)

ただ、我が家で心配していたように
広島2連勝の後に、まさかの3タテ…(汗)
上綱さんは、さぞかし気を揉んでいらっしゃるんじゃないかと…?

甲斐さんもライブ中に「日本シリーズのことには触れません」宣言(笑)
「こっちに集中させないと…(笑)」との言葉に上綱さん苦笑い(笑)

奥さん達は、打ち上げのお店で第6戦を観戦し
「明日の【ステラ】は、ヘビメタ調になっちゃうかも…(汗)」と
心配していたんだとか…(苦笑)

ともあれ、席に着いて開演を待っていると
まだビートルズが流れている内から、客電が落ち

ライブが始まるのを待ち切れない感じの女性の声で
「甲斐さん!甲斐さん!」と連呼が響き「るせー!」と奥さん心の声(苦笑)

ステージのライトを順にチェックなさっているのか?
点いたり消えたりしたかと思うと、再び客電が灯ったり…?

ビートルズが、いつもより余分に流れた後(笑)
やっと「荒野の用心棒」が始まり
勢いよく立ち上がったのは、ホンの数人…(苦笑)

今ツアー前半は「東へ北へ」って感じだったから
森ノ宮がツアー・デビュー、もしくは初日以来という方が
結構、大勢いらしたのかなあと…?

もっとも【ブルー・シティ】のイントロが奏でられ
甲斐さんが登場される頃には
「いつもの大阪(笑)」だったみたいです(笑)

若干「輪唱」気味な手拍子(苦笑)の中【かりそめのスウィング】
まあ、昨夜は全体的に押尾さんも上綱さんも
「オカズ」が多めではあったらしい(笑)

「今夜も目一杯やるから」と【ナイトウェイヴ】
奥さんの席は、ちょうど甲斐さんの目の高さと同じくらいで
幸い障害物(失礼!)もなく、視界は良好♪
「わかってるよね光線」もしっかり届き、サクラ業務も滞りなく…(笑)

【ダイヤル4を廻せ】に萌える(笑)甲斐バンド世代が多数いらした模様
この曲の後のMCで、いつものように
「廻すダイヤルもなくなり、かける公衆電話もなくなり…」と甲斐さん

「携帯電話が出て来た時に、この2曲は歌えないと思った」と話され
奥さんは、自分が「LEGENDS」へ送ったメールに
目を通されたのかな?と思ったんだとか…

ツアー中なので、曲名は書かなかったものの
「ダイヤル」という単語にピンと来る方もおられるでしょうし
採用されないかも知れないと思いつつ

このブログでもご紹介した【恋におちて】の中の
「ダイヤル廻して手を止めた」との歌詞について投稿したようです

最初の携帯電話はでっかくて「軍隊のカーピィみたい(笑)」と話され
「あれを買った芸能人を知ってる」と
某お笑いコンビのお名前を挙げられていたらしいんだけど

【スウィート・スムース・ステイトメント】をバックに流れていた
NTTのCMに登場した携帯電話も
「トランシーバー並みの大きさだった」と奥さん(笑)

まあ、電話機を手にされる藤谷美紀さんのお顔が小さいことも
原因だったんじゃないかと…(笑)

【シスコナイト】では、思いっきり口パクで歌い踊り(笑)
甲斐さんに笑われたみたいですが(笑)
「好きなもんはしょーがないでしょ(笑)」と開き直り(笑)

そうそう!昨夜は今ツアーで初めて
甲斐さんが「俺は(ギターを)弾いてない(笑)
2人の音じゃないよね?7人くらいいる感じだよね」と
押尾さん、上綱さんの凄さをアピールなさっていたそうです

「押尾君は忘れてるかも知れないけど…」と
前回のMEETS最終日に「涙ぐんでた」話も…(笑)
ちなみに、押尾さんは「忘れてませんよ(笑)」とおっしゃってたらしい

【最後の夜汽車】のイントロで歓声が上がったからか?(笑)
序盤から、奥さん「萌え〜(笑)」の
「マイクスタンドを抱える甲斐さん」が登場(笑)

しかも間奏では、かつてこの曲のお約束だった
「後ろ向きにしゃがみ込み」をなさるのかと
奥さんがドキッとしたアクションもあったんだとか…(笑)
ツアーファイナルまでに観られると良いね(笑)

【安奈】の前に甲斐さんの椅子が用意されると
「着席勧告」を待たずして着席される方多数(笑)
やはり、今ツアーは「バンドライブ」のノリなんだなあと…

奥さんは「勧告」があってから座ったみたいだけど
MCで「抵抗しないように(笑)」と言われたらしく
心の中で「かぞの立ちっぱが良かったんだもん」と口答え(笑)

当然(笑)背もたれに寄りかかるはずもなく
周りの皆さんより半歩?前で(笑)【安奈】を口パク熱唱(笑)
甲斐さんから見つめられたと妄想全開(笑)

「紹介しましょう、押尾コータロー!」とステージを下りられ
上綱さんと日本シリーズ速報チェック?(笑)

昨夜は、押尾さんがご自身のラジオ番組で【安奈】を弾かれたのを
甲斐さんのファンの方が、甲斐さんに伝えられたのがきっかけで
「MEETS」が始まったことを語られ

「[甲斐〜っ!]って叫んでた方ですから(笑)
今でも言いそうになる(笑)」と甲斐さんのマイクの方をご覧になって
口元に手を添え、叫ぶ仕草をなさっていたそうです(笑)

奥さんが思っていたより押尾さんファンの方が少なかったのか?
それともアウェイ感を持たれていらしたのか?

【together】で立ち上がる方がおられず
奥さんもジリジリしつつ、座ったまま…(汗)
でも、せめて手拍子だけは…とガンバったみたいです(苦笑)

上綱さんが再びステージに登場され
心なしか?口元がほころんで見えたと奥さん(笑)
「2-1」で広島がリードしていた頃だったのかも知れませんね…

昨夜は【青い瞳のステラ】で涙があふれたと奥さん
平尾誠二さんと平幹二朗さんの訃報が相次ぎ
ちょっとセンチな気分だったのかなあ?

でも、石田伸也さんが上綱さんに
亡くなられたお父様を偲んで、この曲をお歌いになったことを話されたら
「本来の歌詞の意味と違うが、鎮魂歌として共感して頂いた」そうですし
この曲にはそんな思いを抱かせる何かがあるんでしょうね?
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歌え若者〜ラジオから生まれた音楽たち〜3

2016-10-29 09:22:00 | メディア
甲斐さんが照和のオーディション係でいらした頃
石橋凌さんのバンドを合格になさったそうですが

「当時の石橋君はポップバンドで、それも超軽い、音も心も軽い(笑)
もう博多に歌いに来るだけで嬉しいって高校生でしたよ」と甲斐さん(笑)

「[ひと月は歌っていいけど
オリジナルをチャンと書かなかったら終わりだからな]
って脅してましたから(笑)」と話されてます

その石橋さんもこの番組の中で
「博多のミュージシャンは上手いなあと思ってた
期待半分、緊張してた」とおっしゃって

久留米で、チューリップやさだまさしさんのコンサートがある時は
前座を務めておられたことや

イタリアン・レストランでコックをなさっていた時に
岸川さんから「ARBのオーディションを受けてみないか?」と声をかけられたこと

でも、1年半で事務所をクビになり(汗)
キャンピングカーで全国を廻っておられたこと

ライブハウスから、小ホール、中ホールでライブが出来るようになられた頃
岸川さんとの待ち合わせに10分遅れて行かれ
「サウナ(に行ってたん)ですよ」と説明なさったら

「お前な、全国的に名前が出て来たんだから
ヘンなトコに行くんじゃないよ」と
誤解されてしまわれたこと等々、懐かしそうに語られ

岸川さんの母校で開催されている「風音」を続けられることで
「60〜70年代の活気のある博多の音楽シーン復活の一助になれば」と話されてます

ただ、石橋さんがARBに加入されたのは
イチローさんから相談を受けた甲斐さんが
石橋さんを推薦なさったからなんですよね?

もっとも、その後、石橋さんが女性を連れて上京されたことに
「大事な時期だから、ひとつに絞りなよ」と忠告なさったら

「それっきりナシのつぶてになった
奴の周りでもこの話はタブーらしい
内気なオモシロイ奴だ(笑)」と甲斐さん

その昔、甲斐バンドのメンバーを探しておられた頃
石橋さんのお名前も挙がっていたそうで
だからこそ「ARBのボーカルに誰かいないか」と考えられた際に
石橋さんのことを思い浮かべられたんじゃないかと…?

ともあれ、岸川さんの還暦のお祝いには
お祭り好きな福岡県民(笑)だけでなく
九州ツアーで福岡を訪れた際に交流がおありだったという
ミュージシャンの方々も参加された「伝説ライブ」は
実に4日間に渡って開催されたらしい

初日は、スターダスト・レビュー、浜田省吾さん
山下達郎さんによる「ミラクル・ナイト」

山下さんが23歳の時、シュガー・ベイブを解散なさって
「ソロもまだやってなかった」頃、学園祭が行われたホールに

「パンチパーマのおっさん(笑)がやって来て
[サーカスタウンが気に入ったから、ライブに来た]と言った(笑)」そうで

以来、プロモーションの際には番組のブッキングや
イベンターについてのアドバイス、助言の他
ビジネスライクではなく、地元のロック・フォークとの交流や
新しい流れを支援して頂いたんだとか…

浜田さんは、ソロになられた2年目くらいに
ラジオのプロモーションで福岡に来られた時に

「背筋がピンと伸びた、独特なヘアスタイル(笑)
笑顔で、エネルギーがほとばしるイメージ」の民放ラジオのディレクターが
その熱意でもって「音楽の活性化をサポートしていた」と語られ

根本要さんは「音楽的素養を感じさせない風貌で(笑)
ご自身が音楽をやられてたのが想像できない(笑)

でも、音楽が好きという気持ち
音楽が好きな人が周りに集まって来ることは良いことなんだって
感じさせてくれる方でした」とおっしゃってます

このお三方で、演奏され歌われたという
【BE MY BABY】と【STAND BY ME】聴いてみたいですねぇ♪

そして、2日目が甲斐バンドによる「オンリー・ワン・ナイト」
甲斐さんいわく…その日は僕らだけ(笑)甲斐バンドだけ(笑)
再結成の時だったんで、因縁を感じましたね

でも、確かこの頃は、TKさんとのコラボの関係で
海外を飛び回っておられ
ライブの数日前に帰国なさったんですよね?

当日は「かさぶた」用の写真撮影を終えられてから、16時に会場入り
16時半から1時間のリハーサルで
18時開場、18時50分開演(笑)となってます

以前にもご紹介しましたけど
奥さんは急に参戦できることになり
Kインフォメーションで知った余剰チケットの情報に飛びついたものの
すでに引き取り手が決まっていたらしく、残念…

が、Kオフィスから連絡があって
「もし、まだ福岡に行かれる気持ちがおありなら…」と
チケットを手配して頂き、無事に参戦♪

ただ、その席は、どうやら関係者枠内だったみたいで
最初からスタンディングしていたのは奥さんだけ(笑)

しかも、主賓の岸川さんの斜め後ろの席だったため
甲斐さんがステージから岸川さんを紹介なさって
メンバーの皆さん全員で頭を下げられた時には
首をすくめながら拍手したそうだ(笑)

この番組の中で甲斐さんは、打ち上げの席で岸川さんが
「申し訳ない、申し訳ない
俺みたいな男は最初から最後まで
立って聴かなきゃいけないんじゃないかと思っていた」とおっしゃったことに

「相変わらずの男だなって感じでしたね(笑)」と話されてましたが
多くのミュージシャン達を支え、後押しなさった功績というものを
全く自覚されてなかったことがよく判りますね(笑)

後の甲斐報にも「甲斐君と初めて会って、早27年
甲斐君が東京に進出し、成長して、ビッグスターとなって行く
その過程をずーっと見つめられて来た、こんな幸せな経験が出来たことは
ディレクター冥利に尽きます」と記されてます

その同じ文章で触れられていた甲斐さんからの年賀状が
お嬢様から甲斐さんへのご連絡に使われることになったのも
何かの巡り合わせなのかなあと…
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歌え若者〜ラジオから生まれた音楽たち〜2

2016-10-28 10:14:00 | メディア
甲斐さんは、岸川さんから
「プロになるのか?ならないのか?」と訊ねられ
「[プロになる気があるのなら、もうすぐフォーク・コンテストがあるから
そのために俺の番組を利用しろ]と明快に口説かれた」そうで

そのハッピー・フォーク・コンテストの前夜に泊まられた四谷の旅館で
「楽しませようとしたんでしょうね
冷蔵庫の中の物、全部さらえていいって言われて…
いいんですか?って訊いたら[文化放送持ちだからいいんだ]って…(笑)」

でも、普通なら緊張して何もロクに喉を通らないんじゃないかと…?(笑)
ただ、甲斐さん達は博多でライブをなされば
かなりの動員数を誇っておられたこともあって「セミプロみたいな感じ(笑)
純真なフォークのアマチュアって感じじゃなかった」らしく(笑)

「ビール、日本酒、チーズ、ソーセージ、缶詰…全てさらったら(笑)
次の日の朝、岸川さんがフロントと言い合ってる
[今年から地方局持ちになりました]って言われて
[俺は聞いとらん!]とか言ってるんですよ(笑)」と甲斐さん

「[俺たちが優勝すればいいんでしょ]って言って
本っ気で襟首つかまれました(笑)」と話され
さらに「優勝する気マンマンだったんで
賞金30万の分け方まで決まってて(笑)スレたアマチュアだった(笑)

運よく優勝することが出来て
中野サンプラザの一番上の広い楽屋に置いてあるグランドピアノの上で
話し合ってた通りに分配してるのが見つかって思いっきり怒られました(笑)
[プロになるならチャンとしような]ってことだったんでしょう(笑)」

…と振り返っておられたけど、この他にも
「決勝本番前のリハーサルで、モニターの音の回りがひどく
[これじゃあ本番が出来ない]とPAに怒鳴っていたら
ステージ袖に待ち受けていた岸川さんが
[お前って奴は…]と首を振りながら絶句した」とか(笑)

副賞の「カップヌードル」を全部サンプラザホテルのバスタブに入れて
まとめて作ろうとなさって(笑)
「お前たち、なんばしよっと!」と怒鳴られたとか(笑)
武勇伝には事欠きませんね(笑)

かつての甲斐報に「生意気でワイルドだったこの俺を
イヤな顔もせず盛り上げてくれたこの名ディレクターは熱血だけではなく
[アーティストが売れると何らかの権利を主張する]ということさえしない
清廉潔白の人でもあった」と記されてました

この番組の中でも、財津和夫さんが
「【魔法の黄色い靴】が出た時に喜んでくれて…
でも[手柄を立てた私]って感じは全くなかった」と話されてますが

岸川さんご本人も「私はたまたま連中の役に立つ場にいたんです
彼らの熱気を受けて、福岡にフォークが根づけばいいと思っただけで…
彼らは自分で躍り出たんですよ」とおっしゃってます

「ビッグ4の中でも、陽水は特にですね」というのは
この番組の中で紹介されていた野見山実さんのラジオ番組
「スマッシュ・イレブン」に陽水さんが
直接、持ち込まれたデモテープがきっかけで
デビューが決まったからでしょうし

海援隊は、TNCの藤井伊九蔵さんが手がけていらした
フォークの集い「レッツ・ゴー・フォーク」で
プロの前座を務められ「他流試合をさせて貰った」りする内に

野外イベントに出演なさっていた泉谷しげるさんが
「東京へ出て来い」と声をかけられ
強制的に(笑)デビューさせられたみたいだし…(笑)

その武田鉄矢さんが、番組の中で、福岡の恩人お三方について
「先輩風を吹かさない」「真面目に遊んでくれる大人たち」とおっしゃって

「野見山さんは、正面に回り込んで見る人
メモを取りながら聴いてくれる」

「藤井さんは、横に来て[出来がどうだった]と短くひとこと言う人」

「岸川さんは、後ろから見る、後ろに回り込んで考える人
[あそこで、あの歌を歌うあなたの背景は何なのだ]って文学的なんですね」

…と、皆さんそれぞれのアマチュア・ミュージシャンとの接し方の違いを
分析なさっていたのが面白かったです(笑)

そのビッグ4を支えたビッグなお三方の内のお一人
野見山さんがRKBを卒業されることになり
「鍋でも囲みながら…」という話が
いつの間にか「福岡ドームの柿落としライブ」に…(笑)

「呼びかけ人は井上陽水、本気出すと凄いイベントになった(笑)」と武田さん
「3人の先輩たちにライトを当てて、ステージから頭を下げる
いい時代、いい先輩に恵まれた
みんな思いは同じだったと思います」

…と、話されてるんだけど、当時の記事にも出ていたように
皆さん福岡から上京なさって20年前後という月日が流れていたからこそ
変なライバル意識もなくなり
共同でひとつの曲を作ることがお出来になったんじゃないかと…?

甲斐さんもインタビューで
「年齢的な部分で、今がちょうど良いタイミングなんだよ
それと、こういうことって、一生に一回しかないようなことだと思うね

誰かがポーンと肩を押したみたいな
そんなきっかけがないと、きっと集まる機会はなかったね
これが20代前半でギラギラしてる時だったら
なかなかそうもいかないだろうけど…

オフィスも自分で持って、レコードメーカーとの関係も良い感じになってて
酸いも甘いも判って来た、そういう時期にあるからじゃないでしょうか」
…と、おっしゃってます

ただ「イジメにあうんじゃないかなって思っててね(笑)
最初4人で集まった時、自分が一番年下だから(笑)」と甲斐さん(笑)

でも「集まってみたら、4人の事務所が近かったんだよね、これが
みんな半径2km以内にあるみたいな
だから、ナンで会わないのかな?歩いてて(笑)ってね、思いましたよ
フットワークというか、身のこなしがみんな似ている気がしてね」と話され

「平和台球場、西鉄ライオンズに対する思い入れが強いんですよ
だって、少年の頃に輝いたような目で見つめていた
そんな気分が甦るんだから
その平和台球場だったのが、今や福岡ドームに移って
感情移入しない訳がないでしょう!」と福岡愛を語られてますが

岸川さんも「福岡を出て行った人たちが
みんな博多を懐かしみ、大切にしている
福岡ドームのオープンフェスティバルも、ビッグ4の市民への感謝だったし

あまり喋らない陽水も[山笠があるけん博多ばい]と言ったりして
会場を沸かしている
武田は照和での旅立ちコンサートで
[海援隊は九州文化を作るために上京するのです]と宣言した

財津もよく帰って来ます
長谷川法世さん原作の[走らんか]のテーマソングも作ってる
甲斐よしひろも博多想いは一番で
本当に彼らは、博多っ子の心情がある嬉しい人たちですね」と話されてます

この福岡ドームでのドリーム・ライブについては
以前にご紹介した通りだけど
この番組の中で、そもそものきっかけになられた主賓の野見山さんいわく…
「みんな舞い上がっていた(笑)
フツーにやってたのはタモリだけだった(笑)」

ちなみに、このイベントが終わってから
武田さんがお倒れになってビックリされたそうです(汗)
ある意味、他の福岡出身の方々の誰よりも
一番「博多」を背負っておられる方だから(笑)
力が入っていらっしゃったのかも知れませんね(笑)
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歌え若者〜ラジオから生まれた音楽たち〜1

2016-10-27 10:09:00 | メディア
熱烈な甲斐さんファンの家族ブログとして(笑)
今までにも岸川さんについては度々ご紹介して参りましたが

岸川さんがお亡くなりになって10年…
岸川さんの母校である西南学院提供のこの番組
やはり触れない訳にはいきません(笑)

1962年にKBC九州朝日放送に入社された岸川さんが
「ラジオ制作にまわされたので
アマチュア登場の企画書を書いては出し、書いては出して
ずっとボツばかりでしたが、5年目にやっとスタート出来た

最初は30分番組の[みんなで一緒に]でしたが
これを踏み台にして、昭和44年に[歌え若者]が1時間番組で登場したのです

[歌え若者]は、上手下手関係なく受付順で、どしどし登場させました
自分たちの歌の演奏が電波に流れるので若い連中に大変ウケました」

…と、西日本シティ銀行発行の「博多に強くなろうシリーズ」No.62
「フォークの旗手と[照和]物語」で話されていた通り

この番組でも、60年代のフォーク・ムーブメントの中
グループでなくてもギターの弾き語りで、気軽に音楽がやれるようになり
自分で作った歌を歌いたい、誰かに聴いて欲しいという若者たちが

オーディションなしで誰もが参加できる
「九州の民放のどこも作ってなかった」番組に
「応募ハガキが殺到」したと紹介されてました

もっとも、岸川さんによると…
「当時、長髪の若い連中がジャンジャンうるさくギターを弾いて歌う番組に
酔狂なスポンサーはつかなかった(笑)

だから、どうしても番組の廃止論が出る
4月と10月の番組編成の時期は、いつも孤軍奮闘でした」と…(汗)

奥さんが、セイヤングにCMが入らなくなった際に
番組継続を心配し、投稿数を気にするのは
この話が頭にあるからじゃないかと…(苦笑)

ともあれ、奥さんが新潟駅のホームで、この番組を聴き始めた時
いきなり「唯一無比…他の誰とも比べようがないという存在ですから」

…と話される甲斐さんの声が聴こえて来て
「この声が唯一無比だよねぇ♪」と思ったんだとか…(笑)

もちろん、奥さんにとっては
小学生の頃から慣れ親しんだ声なんだけど(笑)
そういうことを差し引いても

普段、甲斐さんの歌を聴いておられない方がお聴きになっても
他の出演者の方の声とは間違えようがない独特な声だと再認識したらしい

まあ、ラジオから流れて来た【バス通り】にハマったのも
ひとえにその声のせいなんですが…(笑)

それはさておき…「歌え若者」のことは
甲斐さんも今までよくお話しになっていますけど
「歌いながら来た人は一緒に手拍子連れて来た
ギターを弾いて来た人は一緒に微笑み連れて来た…」という
この番組のテーマソングは初耳でした(笑)

財津和夫さん、姫野達也さん、上田雅利さんや
さだまさしさん、根本要さんも皆さん、初対面の時の岸川さんについて
「怖そう」とか「厳しい人に見えた」とおっしゃってるんだけど

甲斐さんは、岸川さんから照和に電話があった際に
「西南大学グリークラブの出身だからか、やわらかくてメリハリのある
それでいて丁寧な口調で[会わないか]と切り出された」ことを
「面白いなあ、この人って思った」そうで(笑)

「数日後、時間通りに行くと、1階の喫茶店にすでにその姿があり
座るや否や[なぜ私の番組に出ないんだ]とたたみ込まれた」と甲斐さん

この番組では「お化け番組になっていた」とおっしゃいつつも
「その頃は[イッパシ]な感じだった(笑)から出る必然性がないかな」とか

「チューリップが東京に出て行った後
その亜流みたいなバンドばっかり出てたから」とか…(笑)

でも、その「マンネリっぽいヤワな空気に満ち満ちていて
聴く度にウンザリしていた」番組の「伝説のディレクター」に
「[じゃあ、お前がそれを変えろ]と言われた」ことと

「電話で…とか、他の人から言われて…だったら出なかった
直接、会いに来た」岸川さんの言葉だから納得なさったんでしょうね(笑)

甲斐さんご自身も照和のオーディション係として
妙安寺ファミリーバンドに出演依頼をされる際に
「[チーフ自ら口説かないと無理だ]と
シャイな店長を説き伏せた」みたいですし…(笑)

「岸川さんと根底では分かり合ってると思ってる」というのは
そういう波長の合い方のことをおっしゃってるんじゃないかと…?

甲斐さんに「僕の歌、いつ聴いたんですか?」と訊ねられた岸川さんが
「バカ野郎!俺は(照和に)聴きに来たことがあるんだ」とお答えになったことも

「何でも自分の目で見て聴いて
触って確かめないと信用しない」という甲斐さんと
よく似ていらっしゃるような気が…(笑)

その「歌え若者」に出演なさった時に甲斐さんが歌われたのが
【スウィート・キャンディ】【あの頃】【さよなら】だったと
ノートに記されていたという岸川さん

「成功すると直感した若者には
コンテストに出るように勧め、積極的に支援した」そうですが

一方で「お前、無理だな、諦めろ
人生考えた方がいい」とか(汗)
「一番好きなことは取っといた方がいいよ」とか

特に「ビッグ4」の出現で、博多が「日本のリバプール」と呼ばれた頃には
「のぼせ頭に水をかけることばかりしていましたね(笑)」と話されてます

「東京で成功するのは何百人にひとりでしょう
地方の民放局の1ディレクターが
[お前、東京へ行け、成功する]なんてとても言えない。そりゃ悩みましたよ

それに東京は遠かったんですよ
距離的にも、メンタルでも遠かった
そして、レコードを売り込むのにどうしたらいいのか
プロダクションのことやら、なんやら
そのノウハウを私達も知らなかった(笑)」ともおっしゃってます

でも、ご自身も高校、大学とグリークラブで鍛えられた歌声で
プロとして世に出られるチャンスがおありだったのにも関わらず
その道を断念なさっただけに

「プロとして通用するか?趣味の範囲の才能か?」を見極める
確かな目をお持ちだったのかなあと…?
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