ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

弾丸ツアーおまけ

2019-03-31 14:19:00 | 日記
この企画展の公式サイトに、コメントを寄せられている皆さんの中には
先日ご紹介した大森南朋さん以外にも、甲斐さんとご縁のある方々がおられ
それぞれに熱い思いを語っていらっしゃいます♪

まずは、奥さん萌え~♪の福岡弁(笑)でコメントなさっている
アンバサダーの鮎川誠さんから…
「ストーンズが一番好いとるからね
ストーンズがおったから、今日も俺、ロックできよる

ロックは古いとか新しいとか世代がどうとか…とか
そういう世間のレベルと違うところで
ロックジェネレーションちゅうのは本当にひとつなんです
同じ時代を生きたとかいう共有意識を超えたものなんです

自分が着た衣装とか大切なもんを置いとんやけん、心はきっとここにある
これでまたロックで話が出来る仲間がいっぱい増えると思うから
ありがとうローリング・ストーンズという感じです」

…って、まあ実際は、もっと長い文章なんですが
「さすがアンバサダー」といったところでしょうか?(笑)


ちなみに、同じくアンバサダーのCharさんは…
「『ローリング・ストーンズ』コロガル石
そして今もコロガリ続ける
砂になるまでコロガレ」…と、こちらはこれで全文(笑)
カッコよくまとめておられました


続いても福岡繋がり(笑)
石橋凌さんは…「敬愛するバンドは山ほど居るが
ロック史上で一番、イカシタ、カッコイイ、バンドと言えば
やはりR・ストーンズだ」…と、Charさん同様
「カタカナ」まじりで記されてますけど
これって、ロックミュージシャン特有の「照れ」なのかなあと…?(笑)


ただ、宇崎竜童さんは…「ズーッと同じ音、出してるのが凄い!!
ズーッと同じメンツでいるのが凄い!!
ズーッと転がってるのが凄い!!」…と
特にカタカナにこだわられている感じはないし(笑)
先日お亡くなりになった内田裕也さんは…「GREAT!Keep on Rolling!」
…と、いかにも「らしい」コメントでした(笑)


世良公則さんは…「深夜のラジオから流れて来た
【Paint It,Black】に打ちのめされた中一の俺
あれから50年オーバーで追い続けて来た彼らの背中
今や世界で最大・唯一の『ロック企業体』となった
でも、やっぱりカッコいいから観続けてしまうんだなぁ」

…と、主にミックのビジネス手腕によって、商業ベースに乗ったことが
「永遠の不良」というイメージにそぐわない感じを受けておられるみたいですが

甲斐さんは、日本語ロックのパイオニアであるジャックスやはっぴいえんど
サディスティック・ミカバンドなどを「第一世代」とお呼びになり
甲斐バンドは「第二世代」として、ヒットチャートにランクインし
商業的にも確立するバンドを目指されていたし

甲斐さんがゲスト出演なさったラジオ番組MCのダイアモンド☆ユカイさんは
その番組の中で、甲斐さんもミックと同じように
ロックをビジネスとして成功させた方だと評されてましたよね?

そのユカイさんは…「ストーンズの暴露本『悪魔を憐れむ歌』を読んだ俺達が
背徳のヒーローとして憧れた、あのキース・リチャーズが
酒を卒業したっていうニュースはロックの大事件だ

SEX、DRUG、ROCK'N ROLLの生き字引
生きながらのロックの伝説ローリング・ストーンズ
彼らのロックは、70歳をとうに過ぎたって炸裂してるんだ
IT'S ONLY ROCK'N ROLL、BUT I LIKE IT
ロックンロールはセックスよりドラッグよりサイコーだってことだぜ!」

…と、過去のやんちゃぶりとは関係なく
今のストーンズを変わらずリスペクトなさっているご様子(笑)


音楽ジャーナリストの柴那典さんは…
「彼らは、誰よりも先に最先端のテクノロジーと蜜月関係を結んだ
ロックンロール・バンドである
まだネット回線も貧弱だった1994年
彼らは、世界最初のインターネット・コンサート中継を行った

ウィンドウズ95のCMキャンペーンソングは
【スタート・ミー・アップ】だった
音楽とアートとテクノロジーが一体になって時代を変えて来た
その興奮を体験させ続けてくれているからこそ
彼らの存在は、ポップカルチャーの北極星のような指針になっているのだと思います」

…と、おっしゃっているんだけど
常に新しいものを求め、時代の先端を切り開くには
裏付けとなる資金力が必要な場合が多いでしょうし

甲斐さんも「音楽は文化じゃない、経済力だ(笑)」という名言?を残されてます(笑)
そういえば、甲斐バンドをパワーステーションに招くきっかけになったのは
この「スタート・ミー・アップ」でしたよね?


ともあれ…愛ろくツアーでお馴染みのTOKIEさんは…
「ベースを始めたばかりで、ROCKなんて判らなかった頃
カッコいい大人達のサウンドをただだ憧れだけで聴いていたのが出逢いでした
今も色褪せないままストーンズを感じていられるなんて夢のよう!」
…と、少女に戻られたみたいなコメント♪(笑)


また、土屋公平さんは…
「まずは、ザ・ローリング・ストーンズ展開催おめでとう!!
アジア初の開催国が日本という事で、大変喜ばしく思っています
数々の興味深い展示物とストーンズ一色の会場の雰囲気を楽しみにしているよ

最初のストーンズ体験は、45年ほど前だろうか
当時、大学生だった従兄弟の部屋にあったステレオが目当てで
幼少の僕はよく出入りしていた
たまたまかけた1枚のLP盤
これが20世紀フォックス制作の映画『ギミー・シェルター』公開に合わせて
キングレコードからリリースされた『Gimme Shelter』という
デッカ時代のベスト盤的なアルバムだった

針を落とせば【ジャンピン・ジャック・フラッシュ】!!
この素晴らしい高揚感は、不思議な体験だったな
気持ちが良くて何十回も聴いた
初めての『ハイ体験』だった
幼少の僕を捕らえたのは、ストーンズの『類を見ない見事なかっこよさ』
この印象は後に深く聴き込むようになっても、ずっと変わらないでいる

そして【ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト】を聴き
ロックンロール・バンドの『生活』に触れてしまった
サーカスのように旅して回り興行し金を稼いでは
次の街を目指す生活に憧れてバンドに入り、The Street Slidersが始まった

『類を見ない見事なかっこよさ』
この幼少の頃の決定的な第一印象を解き明かすための
僕とストーンズの旅は楽しい
長く寄り道ばかりののんびりした最高の旅路だ
ストーンズ展、きっと驚きの情報やヒントでいっぱいなんだろうな
今から楽しみにしてるよ」

…と、こちらも「いちロック少年」としての(笑)ワクワク感に溢れたコメント♪
文字数を数えた訳じゃないけど
おそらく、一番長いコメントだと思われます(笑)

以前に甲斐さんが「公平はあまり喋らないように見えるけど
あるスイッチを押すとむちゃくちゃ喋るから(笑)」とおっしゃってましたが
「ジャイアンツ」や「昆虫」だけじゃなかったみたいですね?(笑)


森山達也さんも…「そのバンドに歴史がある
その全貌を体験しよう
俺はストーンズに出会って、歩き方、喋り方が変わったよ
ストーンズは俺をバッド・ボーイにしてくれた」

…と、短めながら、ストーンズに人生観を揺さぶられたことが
まざまざと伝わって来るコメントを寄せられていて
出来ることなら、甲斐さんのコメントも伺ってみたいなあと…(笑)
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弾丸ツアー5

2019-03-30 17:53:00 | 日記
甲斐さんが、ストーンズのライブレビューの中で…
「ミックは、そのパフォーマンスを含め、極端な嗜好を多々散らばらせ
それらを重層的に描きながら本質を暴いていく

それは、ブルースがソウルミュージックになって
エンターテイメント性を身につけて、モータウンに育っていく中で

常にダブルミーニングで、卑猥なものや反体制
痛烈な皮肉を描いていたやり方に重なり
更にそこへボブ・ディラン的な痛切な歌詞衝動を盛り込みながら
ストーンズの形が出来上がったんです

(【吟遊詩人の唄】に日本語の歌詞を付けられたアマチュア時代には)
モータウンとストーンズをひたすら思い浮かべ
行き先も見えないまま、ビート詩人のようになりたいと思ってた
文学性と衝動感が強い歌を書こう
ストーリーが見える歌を書こうとしてました」…と話され


また、サンストでは…「俺は、ストーンズとCCRが完璧に底辺にあるんで
やっぱり、カッティングギターにしても
単音のギターリフにしても、影響が強いんだよね

てめえの好きな音楽、海の向こうのロック
このギャップをどうやって埋めてくか?
テーマとしてあったんで、最初から…
【ポップコーンをほおばって】【東京の冷たい壁にもたれて】
延々繰り返しのリフがあるもんね」…とおっしゃったり


アルバム「ラブ・マイナス・ゼロ」についてのインタビューでは…
「ストーンズの【ミス・ユー】が出た時ね
『ファッションとしてディスコビートを採り入れるのが上手い』とか言われたでしょ

でも、そうじゃないよね
いつも試してるの、LPの目立たないところで…
そういうやり口って必要だからね、絶対」と
ご自身もシングルをリリースされる前に
アルバムの中の1曲で「テスト」なさっていることを明かされたり…と
音楽的な影響を受けられたことはもちろん


「甲斐バンドは、変化して行くことが前提だったんです
変化して行くことについて
『良い意味で音楽を裏切って行くんだ』っていう言い方をしてました
当時は、そんなこと言うヤツいなかったんだよね
みんながよく判んなかったの

でも、ストーンズもそうだし、ロックスピリットを持ってるバンドってのはさ
全部音楽で裏切って行くじゃない?
マインドはちゃんと同じポイントのところにあって、音楽で裏切って行く
すごく重要だと思って、そういう発言をしてたんだよ」…とか

「ストーンズがずっと続けていて
ビートルズが途中でヤメちゃったというのは、すごく大きな部分だよね
ストーンズが解散しないのは、やり続けているからだよね
ライブで、次の創造とか、自分の意識とかを確認してるんだよ
そういうところで帰結させると、次に行けるのね」
…と、バンドの在り方の話にも、たびたびストーンズが登場していて

この企画展の何を見ても、どれを聴いても
奥さんの頭の中で「検索エンジン」がヒットしっぱなしだったみたいです(笑)


そして、最後のお楽しみ3Dでライブ映像を流すブースへ…
が、そのブースは「入れ替え制」になっていたため
前の回の上映が終わるまで、5分ほど待ち時間があったようだけど

その待機場所が、ストーンズの標準的な楽屋を
忠実に再現したものだったらしく
キャスター付きのハンガーラックには、数点のステージ衣装が掛けられ
テーブルには、ケータリングの食器やカップが置かれ
3Dブースへの扉が開くと、ステージへ続く通路があるような感覚(笑)

何より奥さんを高まらせたのは
ジェラルミンケースにぴったり収まったテレビモニターで
かつて、甲斐バンドが「プロレスの巡業」みたいに全国を回っていた頃

ツアー先の楽屋でも、お気に入りのLPを流されていた甲斐さんのために
当時の舞台監督のI氏が、運搬用のジェラルミンケースを改良され
レコードプレーヤーやデッキ、アルバム収納スペースまで付いた
携帯(笑)オーディオセットになさったことを思い出したんだとか…(笑)


やがて、入れ替え時間が来て、3Dブースへ案内されると
あまり広くはない部屋の割に、巨大なスクリーンがデーン!とあり
後ろの方で観た方がいいのかな?と思っていたら
他のお客さん達は、スクリーンのすぐ前に一列に並んでおられたそうで
じゃあ、私も…と仲間入りさせて頂き
3Dメガネをメガネの上に装置して準備万端(笑)

「メガネ オン メガネ」は3Dシアターでも体験済みだったものの
いかんせん、映画館で立ったまま映像を観たのは
「ボヘミアン・ラプソディ」の胸アツ応援上映が初めてで
…って、まあ「HERE WE COME THE 4SOUNDS」は
映画館じゃなく、普通のホールで上映されましたし…(笑)

意外に周りが見えなくなる上に
この企画展の会場に足を踏み入れてから
ずっとストーンズの音楽を耳にしていたところへ
ステージセットのブースやMTVのブースで、立ち止まって映像を観る内に
自然と体で軽くリズムを取るようになり

イイ感じの「ウォーミングアップ」が出来た状態で(笑)
【サティスファクション】を聴きながら
大盛り上がりの観客や「飛び出すミック」を観たもんだから
長年、甲斐さんのライブで培って来たライブモードのスイッチが入ってしまい…(笑)

ステージの端から端へと動きながら
大きく腕を振って観客を煽るミックと甲斐さんが重なり(笑)
映像の中の観客と一緒に踊り、拳を突き上げ、目いっぱい楽しんだ奥さん(笑)

室内が明るくなって、3Dメガネを外すと、他のお客さん達の視線が…(笑)
案内係の女性から「お楽しみ頂けましたか?(笑)」と言われて
ヤラカシちゃった感に赤面…(笑)
まあ、ホントに楽しかったみたいだし…(笑)
ただ、次回はどうするのかなあと…?(笑)


出口に向かうスペースには、ストーンズのCDやDVDを始め
過去のツアーTシャツの復刻版や企画展限定グッズなどがズラリと並び
世代的にも大人買いなさる皆さん(笑)
奥さんもご多分に漏れず、72年ツアーと企画展のTシャツを買って来ました(笑)
こちらも、次回はどうするのかなあと…?(笑)
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弾丸ツアー4

2019-03-29 19:23:00 | 日記
ブースとブースの間のスペースに、ドア1枚分くらいの大きさのモニターがあり
ストーンズの移動式スタジオ「モービルスタジオ」…

当時、テレビ中継車こそあったものの
「録音場所を自由に選べ、新鮮な気持ちでレコーディングが出来る」
「録音車」というのは史上初のアイデアであり
ツェッペリンやディープパープルなどに貸し出されたことでも有名ですよね…に関する写真が
スライドショーのように流れていたそうだけど

雑然と物が散らばる一室に明るく陽が射し込み
夜通し作業したらしいミックがソファに掛けた写真をよくよく見ると
床には、メンバーかスタッフのものと思われる足が写っていたり(笑)
他の写真にも死んだように横たわる男性たちが捉えられていたり…と
レコーディング作業の苛酷さを物語っていたらしい(汗)


その後も様々なレコード会社と契約し
数多のスタジオで作業して来たストーンズが
ある時、パワーステーションにマスターテープを持ち込み
ボブ・クリアマウンと完成させた曲を甲斐さんがタクシーの中でお聴きになり

ずっと悩まれていた【破れたハートを売り物に】のミックスのためと
甲斐バンドに「喝を入れる」意味も込めて、NYに渡られた訳ですが
その前日にはライブがあり、終演後に帰京なさってスタジオで作業
一睡もされないまま空港へ向かわれ、機内でも睡眠は取られなかった…
という話とスライドショーが重なったんだとか…(苦笑)


そのパワーステーションでは、ストーンズの予定が2日間ほど延びたため
待機を余儀なくされた甲斐バンドに
ミックから「サンキュー、ジャパニーズ」というメッセージと紅茶のセットが贈られたり
また、翌々年?甲斐さんが、エレベーターから降りられた時
目の前にミックが立っていて「Hi!」と挨拶を交わされたり…

って、まあこの時は、お互いお仕事中でいらしたでしょうし
「好きな人には、なるべく近寄らない」主義(笑)の甲斐さんには
画期的な瞬間だったかも知れませんね?(笑)

「若干、シワも出て来たりしてるものの、40いくつで、あの顔…スゴイ顔してるよね
もし、10年前に会えてたとしたら
ホント、ほとんど少年そのものみたいな顔してたんじゃないか?
…って思える感じだもんね」と話されていたそうです


そういえば、甲斐さんって、何かエポックメイキングなことが起こった時
よくストーンズやミックや、その曲にからめて話されているみたいで

「ダラスの熱い日」と名付けられた
ケネディ暗殺の号外をご覧になって衝撃を受けられた後に
【悪魔を憐れむ歌】の歌詞に出会われ「価値観を揺さぶられた」り
「ポップな裏付けに、ジャーナリスティックな視点で
問題意識を捉えた曲を書きたい」と思われたり

デビュー当時に「電話も手紙も寄越すな」とおっしゃったにも関わらず
初めてのツアーから帰宅なさった時に、お母様から手紙が届いていて
「さすがの俺もちょっと参ったよね
やっぱりこみ上げて来るもんがある訳よ」とおっしゃったのは

【イッツ・オンリー・ロックンロール】の歌詞のような気分…
「『ステージで本当に血を流そうか』ってね、ロックが好きなあまりにさ
永遠の少年でありつつも、永遠の老人な訳でね
ロックにのめり込めば、のめり込むほど孤独になっちゃってくんだよね」
…で、いらしたからみたいですし

結婚を意識し始められた頃には…
【Miss You】の「山ほどの女と酒、歌って騒いで、クレイジーな世界」で
「すれ違ったヤツに『シケた顔して、どうしたんだ』って声をかける
でも、それは、てめえ自身に呟いてる言葉なんだよね」…と話されたそうだし

イチローさんが、正式に甲斐バンドに加入されるきっかけになったのは
甲斐さんが「甲斐バンドの『タイム・イズ・オン・マイ・サイド』は何か?」
と、お訊ねになった時、イチローさんが
「東京の一夜」と即答なさったことだと明かされていたし

甲斐バンドの解散を発表された時には
「12年間でやるべきことは全てやった
このまま続けて行くとしたら、ストーンズになるしかない」とおっしゃってましたよね?


それはともかく…懐かしの「MTV」を集めて流すブースでは
スクリーンの前にかなりの人だかりがあり…
といっても、皆さん、ご自分が見始めた箇所まで流れたら
譲り合いの精神で次へ移動されたので
ほどなくスクリーン前に立てたみたいだけど
ナンか昔の、入れ替え制じゃない映画館みたいだなあと…(笑)


続いても、スクリーンが設置されているブースで
こちらでは、ストーンズを扱った映画について
マーティン・スコセッシ監督らが語っている映像が
「ギミー・シェルター・シャイン・ア・ライト」らしきフィルムと共に流れていて

甲斐さんが、花園ライブでの中断に関して
「オルタモントにはしたくなかったからね」とおっしゃったことが甦ったんだとか…(汗)


そして、いよいよ、ミック本人が「『今見て、たじろがないか?』と言われたら、たじろぐよ、そりゃ」
…とコメントしたという(笑)数々のステージ衣装のブースへ…
ステージの照明ではなく、素の明かりの下に並べられたことで

その色合いといい、素材といい、デザインといい、全てが奇抜だったらしく
「もし、こんな服装の人を街で見かけたら、絶対目を合わせないようにする(笑)」と奥さん(笑)
でも、その昔、甲斐さんもお召しになっていた「フリフリ」ブラウスや
ピッチピチのレザーパンツなどには萌え~♪(笑)

そうそう!それで思い出したらしいんだけど
「中高生の頃、洋服は『VAN』か『JUN』
メンズはその2つしかなかった時代だからね
髪伸ばして、綿パン穿いて、ちょっとトンがったブーツでも履けば
もう、ブライアン・ジョーンズだよね」と甲斐さん(笑)

やはりミュージシャンたるもの、音楽だけでなく
ファッションやライフスタイルなども
常に新しいものを発信していかないといけないという感覚は
この頃からお持ちだったのかなあと…?

ちなみに、ストーンズへのアンケートに「好きなもの」という質問があり
メンバーそれぞれに「食べること」とか「女の子(笑)」とか答えてるんですが
ミックとキースが「洋服」を挙げているのが印象的ですねぇ(笑)
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弾丸ツアー3

2019-03-28 17:25:21 | 日記
続いて、お馴染みの「ベロ」マークやツアーポスター、アルバムジャケットなど
「アート」面の変遷を紹介するブースへ…
奥さんのお目当てはもちろん、甲斐バンドが「野獣(12インチ)」でコピーした
肩や耳を噛み合うメンバーの痛そうなジャケ写(笑)でしたが
アンディ・ウォーホルのアイデアは、この「ラブ・ユー・ライブ」だけでなく

ジーンズのウエスト部分を捉えた「スティッキー・フィンガーズ」のジャケットに
本物のファスナーを付けたり、その下にブリーフが隠されていたりと
当時はさぞ画期的で、物議を醸しただろうなあと改めて実感したんだとか…(笑)


そうそう、甲斐さんは、この「野獣」のジャケ写について…
「あれ、ホントはアンディ・ウォーホルがやったエッセンスをマネしてるわけ
他人はマネと言うかも知んないってことが実際頭にあったよね

昔から『伝承』ってことがあってね
ある作品とか、ある文化が、ある形態のもとに出て来た時
それに感化され、影響されて、自分なりに消化しながら
何かが受け継がれて行くってことがある訳でしょ

逆にそれを怖れないで、しかも自分の中で操り、練って出したものってのはさ
結局、何も言われないんだよね
俺たちのジャケットにしても、言うかなあと思ったんだけど、誰も何も言わない(笑)
知らなかったりしてね(笑)」…と明かされてました(笑)


レコードジャケットといえば「英雄と悪漢」の裏ジャケも
ストーンズの「ディッセンバー・チルドレン」と同じ構図で撮られたものですが
このアイデアを東芝EMIの広瀬将俊さんにサジェストなさった五業昌晶(佐藤剛)さんが
ブライアンと同じ位置に甲斐さんが立たれていることについて

「甲斐よしひろは、ミックとブライアンの両方の面を併せ持っている」とおっしゃっていたのが
当時の奥さんにはピンと来てなかったみたいだけど(苦笑)
最後は「クビ」同然でストーンズを去ったとはいえ
ブライアンが、結成時にバンドの方向性を決め、舵を取ったことには違いなく
遅まきながら「そうかも知れないな」と納得したらしい


ただ、甲斐さんは、かつてのインタビューで…
「ギター・アイドルは、やっぱりキース・リチャードだったかな
でも、俺、ストーンズで一番好きだったのは、チャーリー・ワッツなんですよ
それだけで『変わってる』って言われたけど
チャーリー・ワッツが一番センス良いと思ったんだな」…と話されてましたが…(笑)


そもそも、広瀬さんがストーンズを持ち出されたのは
ご自身がフリークでいらしたことはもちろん(笑)
当時の甲斐バンドが、チューリップと同じ照和出身で
事務所でもレコード会社でも後輩にあたるということで

チューリップの「弟バンド」といった認識が広まりつつあったのを
ナンとか払拭して、独自のカラーを出したいと思われたからみたいですし


甲斐さんも【バス通り】や「らいむらいと」が
「フォーク」として受け取られたことによって、その路線を修正するというか
「僕らがイメージしていたのは、ビートルズとかじゃなくて
ストーンズとかキンクスのようなブラックでアーシーなサウンド

誰でもメロディが口ずさめて歌えるようなポップさに裏付けられているんだけど
表面上は黒っぽいサウンドで、不良性があるというコンセプト」を前面に押し出された訳ですが


そのストーンズも、ビートルズとは違うカラーを打ち出すため
あえて不良性や淫靡さを纏ったという側面があり
キースは「周りが勝手に不良扱いしたんだ
俺はそういうのが得意でね、役にハメて貰えりゃ成りきるぜ」
というコメントが掲示されていたんだとか…(笑)


まあ、甲斐さんも昔から「ビートルズは労働者階級の出身だけど
マネージャーが、襟なしのスーツにネクタイ姿をバンドのユニフォームに決めていたのが
当時の僕には何となくイヤだった

ストーンズは、ブライアン・ジョーンズ以外は、全員ミドル階級の出身なのに
そのちょっと崩してる感じの方が、ブルースマンっぽくて好きだった」と話されたり
「どっちが育ちが良いか?問題」を振られたりなさってましたよね?(笑)

実際、この企画展の最初の方に、ストーンズ全員が
千鳥格子のスーツを身に着けたパネルが飾ってあったそうですが
ものすご~く浮かない顔で写っていたらしい(笑)


ともあれ…その次のブースでは、ストーンズのライブ映像が流れる中
数々の巨大ステージセットのミニチュアが展示されていたみたいで
その「金かかってんぞー!(笑)」感もさりながら
いかに観客を喜ばせるか?という気持ちが、かつて誰も見たことのない
イヤ、想像したことさえないようなアイデアを生み出すんだなあと…

そんなとてつもないセットを隅から隅まで駆け回って
観客を煽り、自由自在にコントロールするミックの姿に
かつての「BIG GIG」の甲斐さんが重なった奥さん(笑)
最後には「もはや、甲斐さんにしか見えなかった(笑)」と申しておりました(笑)

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弾丸ツアー2

2019-03-27 16:15:57 | 日記
さて、ストーンズ展の会場に到着し、チケットを入場パスと交換して中に入ると
夕方という時間帯もあってか、思ったほど混雑しておらず
世代的には、やはり甲斐さんと同年代くらいの男性が一番多かったみたいで
若者は大学生らしきカップルがチラホラ…

まあ、小さなお子さん連れのご夫婦向きって訳じゃないかなあと…(笑)
それでも、それなりのスペースのベビーカー置き場があったそうですが…


まずは、沢山のモニターが壁に埋め込まれたエントランスで
それぞれのモニターに映し出されるストーンズの歴史…
若きミックやキースの姿、当時の新聞記事、ブライアンの死、オルタモントなどの映像…が
コラージュのように披露されていて、一度に全てのモニターを見るのはムリだったらしく
3回ほど繰り返し見入って、続きはまた次回に…と奥さん(笑)


これは、幼なじみだったミックとキースが、駅で偶然再会し
お互いに「こんな音楽を聴いてるヤツはいない」と思っていたレコードを
相手が持っていることに驚いた…とのコメントが記されたボードの先に
メンバーが暮らしていたチェルシーのアパートを再現したブースがあったからみたいです(笑)


前評判に違わず(笑)衣類やタオルが散乱し、キッチンには汚れた食器が山積み
飲み残しのグラスや吸殻の溢れた灰皿…
ホントにミックの願い通り、本数を減らしたのか?と思うくらいだったらしい(苦笑)
…と散乱するレコードを見て、初期の甲斐バンドのマンションもこんな感じ?とニンマリ(笑)

ステレオの横に積まれたレコードの山の一番上に置かれていた
マディ・ウォーターズのアルバムが、ターンテーブルに乗せられ
近づくと実際に曲が流れていたんだとか…

ちなみに、キースが「本当に汚い部屋だった」と言うと
ミックは「良い部屋だったよ、俺たちがダメなんだ」と返したらしい(笑)


レコード会社などとの契約書やキースのツアー日記などが展示されたブースへ移ると
R&Bとストーンズの関係についてのインタビュー映像が流れていたり
カーペットを敷いた床に座ってギターを弾いていたという
レコーディングスタジオが再現されていたり

当時のエピソードをメンバーやディレクターが語る映像が
ベッドホン付きの数台のモニターで再生出来たそうで
この企画展が、バンドの解散後やメンバーの死後ではなく
現役で活動を続けている今現在に開催されていることを改めて実感し
クラプトンが「12小節の人生」を作りたいと思った理由が重なったみたいです


その先には、主にキースが使用したギターの数々が、コメントと共に展示されていて
大勢の男性が写真を撮られたり、ガラスケースに貼り付くように見とれていらしたそうだけど
楽器オンチの奥さんには、そのコメントの方が興味深かったらしい(笑)


そのガラスケースに囲まれた中央のスペースには
小型のミキサー的な装置?が設置されていて
ストーンズの代表曲数曲のミキシングが楽しめるそうで
「ヘッドホンを着ければ、気分はボブ・クリアマウン(笑)」と奥さん(笑)
ここでも「次回のお楽しみ」を残したようです(笑)


そうそう!この企画展の公式サイトには、日本開催のアンバサダーでいらっしゃる
Charさんや鮎川誠さん、シシド・カフカさんを始め
ストーンズフリークの皆さんのコメントが寄せられているんですが

大森南朋さんは…「このコメント依頼を受ける数日前に
トートバッグ付きチケット、ピンバッジ付きチケット
VIPチケット、全て購入済みでした
毎日は難しいですが、行ける時は全て行って
まさかの偶然メンバーお忍び来展に遭遇することを狙っております」…とおっしゃっていて(笑)

奥さんは、大森さんがストーンズにお会いになるより
「私が大森さんに会う確率の方が高い気がする(笑)」と大喜び(笑)
でも、佐藤剛さんも「あと2回か3回は足を運ぶつもりでいます」と呟かれていたし

写真家の有賀幹夫さんなんて「会場出たところにテントでも設置して
毎日入り浸りたい気持ちになりますよ!」とコメントなさっているし(笑)

たっぷり3時間ほど楽しんだ奥さんでさえ
まだ全部は味わい尽くせていなくて
本来の動機からはズレてしまったけど(笑)
2回入場可のチケットをゲットしたのは正解だったみたいです(笑)

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