ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

2018年12月31日

2018-12-31 20:22:09 | 日記
我が家もようやく御用納め致しました♪
甲斐さん、甲斐さんで明け暮れた…と言いたいところですが
最後の最後にまさかのクイーンで年またぎ…(笑)

ともあれ、今年も「ガキ使」を観ながら、チラチラ「紅白」
「孤独のグルメ・生放送」を楽しんで新年を迎えたいと思います♪

本年もこんなウダウダなブログを読んで頂きありがとうございました!
来年もよろしくお願い致します!m(__)m
皆さま、良いお年をお迎えくださいね♪
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ボヘミアン・ラプソディ殺人事件4

2018-12-31 12:19:00 | 日記
甲斐さんは「『ロッカーは青白い顔とキュートなヒップがあればいい』(笑)
…と思われていた時代があった」とよく口にされてますが
それは、1973年の英国でも同様で
「ロッカーは青白く細い美少年」との風潮の中
ペルシャ系インド人のフレディは異質な存在だったようです

映画の中で「パキ(スタン人)!」と呼ばれたり
「出っ歯」を揶揄されるシーンがあったけど
この番組でも、デーモン小暮閣下が
「イヤ、ゲイに行く前にもう2つくらいあると思うけどね、我輩は…

あの人、純粋な白人じゃないですよね
英国においての何らかの移民であったり
どっかインド系だったり、そういった血が入ってる
そういうことでの差別やイジメもね
やっぱり、小さい頃、絶対あったはずなのよ」と指摘

「生前は、移民であることや自らの宗教を明かさなかった」とのナレーションは
映画の「メンバーを実家に招いたシーン」で
フレディの家族が話すことに、いちいち驚くメンバーと
その話題に触れたがらないフレディの様子からも事実だと思われますが

イラン・イラク文化研究家のファルーク・ヴァジブダー氏は…
「ゾロアスター教は、選択の自由を認めた宗教です
ゾロアスターは『自分の教えの中から良いものを選べ』と言っている

だから、この曲もとても個人的なものです
彼の内面や人間関係、心の葛藤を表している」…として
「フレディの個人的な問題を歌った歌」
【ボヘミアン・ラプソディ】のオペラパートの歌詞を解説

「小人のシルエットが浮かんで見える
スカラムーシュ スカラムーシュ ファンダンゴをしてくれるかい?
稲妻に雷鳴 とてもとても怖いよ
ガリレオ ガリレオ ガリレオ ガリレオ ガリレオ・フィガロは貴族」…について
「『スカラムーシュ』はイタリア喜劇の登場人物で、人間の葛藤を
『ファンダンゴ』はスペインの踊りで
抑圧された感情の解放」を表し

「僕はただの貧しい少年で 誰にも愛されない
彼は貧しい家庭に生まれた 貧しい少年
その怪物性から 彼の命を救いたまえ」…について
「『貧しい家庭』というのは、物理的貧しさではなく
現実の家族から、ファンタジーの家族の世界に行きたがっている」と分析

「ふらっと来ては去る 僕を行かせてくれるのか?
ビスミラ!いや行かせはしない 行かせてあげて
ビスミラ!行かせはしない 僕を離して
決して 決して 決して 決して離さない」…について
「『行かせて』に対する答えは『ビスミラ』
イスラム教の神です!」と断言するヴァジブダー氏

でも、その直後に、助監督さんがカメラマン・ドット氏に
「『ビスミラ』って誰だ?」と訊ね
ドット氏が「あれは、フレディの学校の先生で
すごく厳しかったらしいよ(笑)」と答えるシーンが…(笑)

オペラパートに続くハードロックパートへと話は移り
再び、デーモン小暮閣下が登場
「この曲で『一番言いたいこと』は一番最後で…
『お前ら、俺に石を投げて、唾を吐きかけられると思ってるだろ?
そんなことが出来ると思ってるだろ?
お前らにそんなことは出来ないぜ
ただ出てくだけだ 俺の前からいなくなるだけだ』って突っぱねる訳よ

自分は、みんなからちょっと疎外された存在…
あるいは仲間はずれ、あるいは変わり者
何らかの、ちょっと冷たい目で見られてるかも知れないけれども
でも『今に見てろよ』と…『何とかなってみせるぜ』っていう強いメッセージを
この曲から受け取れる訳ね」と自説を披露

ティム・スタッフェル氏も「『僕はこういう人間だ
気に入らなきゃ勝手にしろ
これ以上、自分を偽ることはしない』と言ったのだと思う」と話してました

そして…【ボヘミアン・ラプソディ】というタイトルにも関わらず
「ボヘミアン」という言葉が一言も出て来ないことについての考察へ…
「チェコの西、ドイツとの国境に接するボヘミア地方には
古くから漂泊の民族であるジプシーが住んでいた

社会から疎外され、放浪する一方で
習慣や規則にとらわれない自由な生き方
それに憧れる芸術家たちは自らを『ボヘミアン』と名乗った」…との説明から
「イギリスを代表する『ボヘミアン』オスカー・ワイルド」の小説
「ドリアン・グレイの肖像」に話が転がり、奥さん萌え~♪(笑)

幼い頃から、勧善懲悪モノの正義の味方「絶対的ヒーロー」よりも
「ダークヒーロー」にミョーに惹きつけられた子供(笑)にとっては
「ドリアン・グレイ」は避けて通れない名作だったらしく(笑)
小説はもちろん、映画も繰り返し観たようで
甲斐さんが「ドリアン・グレイ」の話をなさった時には…以下省略(笑)

「主人公は絶世の美少年ドリアン・グレイ
彼自身は、美しさや若さを失わない代わり
彼の肖像画が醜く老けていくという奇妙で幻想的な物語」を
「フレディは読んでいたでしょう」と
ヴァジブダー氏は、再び断言(笑)

「【ボヘミアン・ラプソディ】というタイトルは偶然ではありません
『ボヘミアン』は、習慣にとらわれない人々
『ラプソディ』は、感情的で自由な音楽の形式
2つ併せることで、フレディ自身の正に自伝的作品になった」と語り

助監督さんは「1975年に歌の意味を訊いたんです
彼はピアノに座り『小人の影が見える』としか言わなかった」と明かし
フレディのママは「初めてラジオで聴いた時、ショックで言葉を失った
哀しい詞だから、彼に意味を訊いたの
『ただのお話…僕にも説明できない』と彼は答えたのよ」と話してましたが

奥さんは、クイーンの伝記を著したジム・ジェンキンス氏が言った
「モナリザのように、様々な解釈が自由に出来る作品こそ素晴らしい
笑っていると思えば笑うし、怒っているか困っているか、解釈は人それぞれ
【ボヘミアン・ラプソディー】も同じだよ」という言葉に

甲斐さんがおっしゃった「書き手にはもちろんその曲を書いた動機があるけど
聴き手はそれぞれの動機で聴く訳だから
いったん世に出したら、あとは好きなように聴いて貰えばいい」という言葉が重なり

また、ギタリストのジョン・ライドロウ氏が
「僕は、彼が何を書いたか?深読みするのは止めておく
ただ、一生に一度、こんな詞を書ける時がある
空から言葉が頭の中に降りて来るように…」とコメントしたのを聴いて

「ひとりのシンガーがさ、10年、15年…歌ってたとしたら
当人が『来た来た』っていう
『歌を歌う自分』を感じられる時は、たぶん1回か2回だね
ものすごくてめえ自身がシビアにならざるを得ない時っていうか
てめえ自身が最高のボルテージなんだっていう感じで作った歌なんかでさ」

…という甲斐さんの言葉を思い出し
しかも、その曲が【漂泊者】だったことも
フレディが、自分自身を「漂泊の民族ジプシー」になぞらえたかのような
【ボヘミアン・ラプソディ】とダブったみたいで
またしても、この曲の関連動画を漁り始めました(笑)
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ボヘミアン・ラプソディ殺人事件3

2018-12-30 13:29:00 | 日記
さて、なぜ【ボヘミアン・ラプソディ】が、9週連続1位になったのか?というと
当時のイギリスは「イギリス病」と言われる長い不況のドン底にあり
失業率は増大、急激なインフレによって経済は破綻
各地でストライキやデモが頻発し、更には暴動や爆弾テロも起こる暗い時代

舞台演出家のデビッド・クリリィ氏によれば…
「当時の音楽は、明るいだけのつまらないものが多かった
退屈でつまらなかった一番の問題は、無気力無関心
様々な価値が崩壊した中で【ボヘミアン・ラプソディ】は
そうした状況を撃ち破る革命的音楽だった」ようで

前述の助監督氏も、オイルショックや電力会社のストライキにより
「週3日は停電で、仕事も休みになった
人々の気分も暗く落ち込んでいて、気晴らしが欲しかった時
クイーンのビデオが出ました
この曲が流行ったのは、現実を忘れるファンタジーが必要だったからです」と説明

甲斐さんが、東日本大震災後の「愛ろく」ツアー仙台ライブの際に
「少しでも日頃のウサを晴らして欲しい」とおっしゃったことや
「歌は世に連れ…」じゃないけど
奥さんが言うように、その曲が生まれた時代背景を
知っているのと知らないのとでは、聴き手の印象は違うんじゃないか?
…といったことを考えさせられました

まあ、この番組はNHKプレゼンツなので
1975年頃のイギリスと現在(2002年)の日本の状況がよく似ている…
と警鐘を鳴らす感じになってたけど…(苦笑)

そういえば、バブルがハジケて、そのツケが回って来た90年代前半
味噌とカレー粉と土鍋が売れた時代
甲斐さんは、KAIFIVEのアルバム「嵐の明日」で、家族や家庭について歌われ
「頑張っている人に『頑張れ!』って言うのは失礼だ」と
安易な「応援ソング」を避けておられましたよね?

それはさておき…クイーンの勢いは止まらず
「【伝説のチャンピオン】は『イギリスの国民的愛唱歌』となり
【愛という名の欲望】や【RADIO GA GA】などのヒットで『黄金時代』へ…」

甲斐さんも「LEGENDS」で【RADIO GA GA】を流されてましたが
「人生で大事なことは全てラジオから教わった」という歌詞は
まるで「サンスト」を聴いて育った我が家の住人の言葉みたいです(笑)

1999年のスペシャル音楽番組「ミュージック・オブ・ザ・ミレニアム」では
60万人の投票による過去1000年のベストソング第1位に
ジョン・レノンの【イマジン】を抑えて
【ボヘミアン・ラプソディ】が選ばれたことが紹介され
「20世紀の終わりに、ナンでこの曲が1位なの?」を検証することに…

まず、リバプール大学院の卒論に
「クイーン」を取り上げたルース・ドックレイさん(23)は…
「【ボヘミアン・ラプソディ】は、複雑そうに見えて
音域やコード進行は、意外と歌いやすく出来ている」と指摘

ルースさんは、3歳で【ボヘミアン・ラプソディ】を聴いて感激し
6歳からレコードを買い始め、クイーンのシングル・LPはもちろん
日本やフランスなどの海外盤も所有する若い世代のファンで

「クイーンを好きな友達は少ないです
もしかしたら、私ひとりかもね(笑)
でも、みんなクイーンの歌は知ってて、一緒に歌えるんです」と
卒論のタイトルに「アンセム」という言葉…
「みんなで歌い、その国の一部であることを誇りに思う特別な歌で
国歌と同じような意味がある」…を加えたようです

また、舞台演出家のクリリィ氏は…「ダークでエキセントリック
多様なイギリス文化を象徴するのがシェイクスピア
【ボヘミアン・ラプソディ】には
シェイクスピアやイギリス演劇のエッセンスが詰まっている

この歌では、悲劇の主人公が自問する…『これは現実か?幻か?』
存在への哲学的な問いかけは(ハムレットの)
『生きるべきか?死ぬべきか?』と関連づけられるし

最後に辿り着く『大したことじゃない』という結論は
マクベスの『人生は動き回る影にすぎない哀れな役者だ(中略)
とどのつまりは消えてなくなる』と共に『無』について語っている
(英国の)聴き手は、この曲の絶望や無力感を理解しやすい」…と分析

ただ、この曲にイギリス文学だけでなく
モーツァルトのオペラやイタリア喜劇など色んなものが混ざっているのは
フレディが「イギリス生まれじゃない」ことが関係している…
ということで、フレディの生い立ち紹介へ…

1946年に当時のイギリス植民地・ザンジバル…
(人類発祥の地と言われる)現在のタンザニア連合共和国…の
ペルシャ系ゾロアスター教徒の家に生まれ、本名はファルーク・バルサラ
8歳でインドのボンベイにあるヤント・ピーターズ寄宿学校に入学

甲斐さんが「LEGENDS」で、映画「ボヘミアン・ラプソディ」に触れられた時に
「フレディ・マーキュリーにそっくりな人っていうのはさ
世界で探すの難しいじゃないですか
太古の昔まで戻らない限りはさ、あの骨格とアレはムリじゃないですか

やっぱ東インド会社の寄宿舎で育ったとか
そういう特別な事情の人でない限りは、アノ顔はムリだと思うんですよね」
…とおっしゃったのは、この辺りのことを指しておられたんでしょうね

フレディのお母さん、ジャー・バルサラさんが登場し
映画の「ママ」役の女優さんが
ブライアン・メイ役の俳優さんに負けず劣らず「クリソツ」でビックリ!(笑)

ジャーさんによれば…「音楽や絵や文章を書くのが好きな男の子でした
家系に医者や弁護士が多かったので
そうなることを勧めたけど、全然、興味がないらしくて…
将来のことを訊いたら『山にこもって曲を作る』って言ったの
やっぱり、ミュージシャンになりたかったのね」

…で、寄宿学校の仲間たちとバンドを結成し、オリジナル曲を作り始め
16歳で故郷に戻ると、植民地からの独立運動が起こり
危険を感じた一家はロンドンに移住

ティム・スタッフェル氏は、当時のフレディについて
「最初は大人しくて、普通の格好だった
たぶん、彼の家庭は真面目で厳しくて
それに対する反抗から、だんだん派手になったんじゃないかな」と語ってますが

映画の冒頭では、父親との関係こそ
ギクシャクしたものに描かれているものの
ママは、そんな親子の関係に心を痛めながらも
フレディを自由にさせているように見えたし

この番組でも「【ボヘミアン・ラプソディ】は
フレディの個人的な問題を歌った歌
彼は、この歌で母親に告白したのかも知れない
自分がゲイであることへの宗教的偏見を…」との言葉がありました

奥さんは、映画の中で【ボヘミアン・ラプソディ】の
「いっそ生まれて来なきゃ良かったと思うことがあるんだ」 という歌詞を
目を潤ませて書きながら「いいぞ…」と呟く…フレディに
「個人的なことを全て書くことで、本当のプロになった気がした」
…とおっしゃったミュージシャンの方が重なり

ジムを家族に紹介する際に、フレディがジムの手を握るのを見て
「友達」の意味を察したはずのママの顔や
そのママに、フレディが「(ライブ・エイドの)ステージからキスを贈るよ」 …と言ったシーンが浮かんだらしく
「もう1回、観たいなあ…」と申しておりました(笑)
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ボヘミアン・ラプソディ殺人事件2

2018-12-29 13:56:00 | 日記
この番組でも、クイーンの魅力にいち早く気づいたのは
日本の女性たちだったことが取り上げられていて
1975年4月の初来日の時の「ビートルズ以来という熱烈な歓迎」ぶりが映像で流れ

「サンプラザ中野くん」さんは…「(当時)ペンフレンドの女の子が
『クイーンってステキよね』っていうお手紙をくれて
知らなかったんだけど『ステキだね』って返事を書いた(笑)
その時から、フレディは僕のロックアイドル…
2人しかいないんですけど、堂々の第1位!」とおっしゃってました(笑)

奥さんが買って来た「AERA」のクイーンの特集に…
「少女時代に、レコードやテープを繰り返し聞き、歌詞を書き写し
切り抜きを透明下敷きに挟み、うっとりしていた」
…と、当時のクイーンファンについての描写があるんだけど
これは、我が家にいる甲斐バンドファンが
「少女時代」にやっていたことと全く同じみたいです(笑)

更に…「クイーンのファンには4つの層がある」と赤尾美香さん
「初来日の頃に熱狂したのが第1世代
次が、80年代の洋楽全盛期
3つ目は、名前は知らなくてもドラマなどで曲を耳にした世代
最年少が、幼少期から親に聞かされて来た子供たち」だそうで

これもまた、デビュー以来の「第1世代」
「【HERO】もしくは、NY三部作がきっかけとなった世代」
「甲斐よしひろソロ・KAIFIVE期」と「最年少」に置き換え可能かと…?(笑)

それはともかく…奥さんの年齢を考えれば
「クイーン第1世代」辺りになるんですが
1975年には「もう甲斐さんしか見えない」状態だったため(笑)
来日の模様もよく把握してないものの(苦笑)
もちろん、同級生の中にクイーンファンの女子もいたようですし

当時の日本のラジオ番組は、ベストテン式にランキングを付けるか
リクエスト葉書の多さによって、流される曲が決まることが多く
洋楽専門の番組には縁のなかった奥さんでも
演歌・歌謡曲や日本のフォーク・ロックに混じって流される
クイーンの曲を聞く機会に恵まれたみたいです

そういえば…以前に甲斐さんが
小橋健太さんの「泣け歌【熱狂】」を歌われた際に
やはりゲストとして出演なさっていた女優の高木美保さん…
(奥さんと同年代でいらっしゃいます)…が
「フレディの大ファン」だと話されてましたよね?
ただ、高木さんの「泣け歌」は「そっくりさん」が歌われていたような…?(苦笑)

「AERA」の記事の続きに…今回、この映画のヒットには
「『クイーンなんてロックじゃない』だの
『ヒラヒラの衣装で化粧して気持ち悪い』だの
ロック通を自認する周囲から散々ディスられて来た
『初代』ファンの怨念も加担しているのではないか」とか(笑)

「今のもてはやされぶりに、ほくそ笑む半面
かつて男子に大好きなクイーンを揶揄された経験から
『本当に魅力を判ってるの?』という疑り深い気持ちもある」と記されていて
クイーンを甲斐バンドに置き換え
「そう!そう!あった!あった!」と遠い目をする奥さん(笑)

ただ、クイーンファンの「恩人」東郷かおる子さんが…
「なんと言っても曲が良かった。それに全員がインテリで優しい
少女漫画から抜け出して来たようで、女の子に受ける要素が揃っていた

特に私がピンと来たのは淫靡さ…彼らに自覚はなかったけれど
日本の少女たちが大人になる過程で通過しなければならない
セクシュアリティへの扉を開け、軟着陸させる役目を担ってくれたんですよ
中でもフレディには、この世のものならざる雰囲気とインモラルさも漂う
その繊細な魅力を嗅ぎ分けられる人と
全く気づかない人がいる

アイドル扱いして片付けた男性は多かったけど、そうじゃないの
クイーンの存在と曲には、性を超越した
普遍的な人間の本質に迫る魅力があったのよ」…と話されているのを読んで
「甲斐さんには気づいたけど
クイーンには気づかなくてゴメンなさい(笑)」と謝っておりました(笑)

…という訳で、番組の話に戻りますと
この熱烈歓迎ぶりが印象的だったらしく
「クイーンのメンバーは全員、日本びいき
特にフレディは毎年、日本で着物や美術品を買っていた」そうで
映画の中でも、着物をガウン代わりに羽織ったフレディが見られますし

ライブ・エイドの後、お忍びで来日したフレディが
「ミュージックライフなら良いよ」と
かつて、クイーンを日本に紹介してくれた雑誌にだけ取材をOKしたようで
「受けた恩は忘れない」という某ミュージシャンの方(笑)の言葉を思い出しました

その甲斐さんも「初めて満席になったのは大阪で、次が名古屋」とおっしゃってたけど
そういう良いイメージを、今も持っておられるのかも知れませんね?

さて、クイーンの恩人といえば…
「シングルに6分は長すぎるし、曲も複雑すぎて…
今は、85のラジオ局があり、1局に断られても、まだ84局ある
当時のイギリスには、ラジオ局が2つしかなかった
この曲がラジオでかかるとは、とても思えなかったね」

…と「モンスター」と呼ばれる名物プロモーターも匙を投げた
【ボヘミアン・ラプソディ】を2日間で14回も繰り返しかけた(笑)
キャピタルラジオの人気DJケニー・エベレット氏でしょうね
それも、シングル発売前だったために
ファンの問い合わせが殺到したらしい(笑)

その後、11月第4週に全英第1位になり
史上初の9週連続No.1に輝いた訳ですが
それには「音楽ビデオの先駆け」と言われる、この曲の映像が
BBSの人気音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」で流され
「顔が幾つも重なるのが衝撃的だった」と人々にインパクトを与えたことと
「複雑な曲が、映像によって判りやすくなった」ことが大きく影響しているそうです

もっとも、元来「スタジオでの生演奏が中心の番組」で
クイーンが映像を流したのは「全てを演奏できない複雑な曲」だったからみたいだけど…(笑)

ライブ・エイドで演奏されたのも
フレディの弾き語りのパートだけだったし
なんせ、オペラパートは膨大にトラックを重ねてコーラス部分を作っていたし
当時の機材で、生演奏は難しかったんじゃないかと…?

甲斐さんが、ライブでアレンジを変えられるのも
限られた人数・楽器で演奏しなければならなかったからでしょうし
昔の曲を取り上げられるのは、当時の機材や技術では実現できなかったことが
今は可能になったからでしょうね?

…で、その映像がどのように撮影されたか
当時の撮影スタッフ…カメラマンのバリー・ドット氏と
助監督のジム・マッカチェオン氏…が
ロンドンのモリネアTVスタジオで再現する場面になり…
「スタッフが準備を始めたのが夕方5時
顔が並ぶシーンとライブシーンを4時間で撮影した」とドット氏

マッカチェオン氏が「当時のスタジオの問題は、労働組合の制約が厳しかったこと
30分延長するためには、組合との交渉が必要なので急いでやりました
食事もろくに取れないハードな1日でしたが
みんな満足して、夜10時には終わった」と説明

「撮影時間が短かったのは、予算が限られていたから」みたいで
「モンスター」プロモーター氏は…
「ビデオの予算を800ポンドくらいに見積もっていた
(2002年より)20年以上前だから、十分すぎるくらいさ
フレディに『いくらかかる?』と訊いたら『35,000ポンド』と言われた

『いくらだって!?ゴッドファーザーでも作るのかい?(笑)
そんなに出せる訳がない!予算は700ポンド
金を使わず、自分たちで努力しろ』と言った」んだとか…
って、ナニ気に100ポンド減ってるし…(笑)

時間がかけられないことに加えて
「今の機材を使えば簡単なことも当時は大変だった」ようで
撮影方法にも、お金をかけない工夫が必要だったらしい
甲斐さんも、アメリカン・ニューシネマの「金がないなら知恵を出せ」
…といったスタイルに触れておられましたが

「様々なアイデアを集めた」のは、やはりオペラパートで
「音に合わせて顔が重なる」万華鏡のようなシーンは
合成ではなく、5面マルチプリズムレンズをつけて撮影され
「エコーに合わせて顔が幾つも連なる」シーンは
撮影したフレディの顔をモニターに映し
その画面を回転するカメラヘッド(モイ・ヘッド)で撮ったそうです

ただ、ドット氏は「撮影した時は、あんなに話題になるとは思わなかった」(笑)
と、おっしゃってましたけど、その理由については、また次回に…
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ボヘミアン・ラプソディ殺人事件1

2018-12-28 12:47:00 | 日記
甲斐さん今年最後の「バイキング」も気にはなっているんですが(苦笑)
クドカンさん演出の「ロミオとジュリエット」を観てから
観劇熱に取り憑かれた奥さん(笑)

「ぴあ」や「ローチケ」を漁って「ヘンリー五世」のチケットをゲット♪
甲斐さんのライブ以外では「持っている」のか?(笑)
かぶり付きで、吉田鋼太郎さんと松坂桃李さんを拝める席らしい(笑)

でも、大阪公演は来年3月…「まだまだ先過ぎる~!」ということで
「SONGS」や「クロ現+」の録画はもちろん
YouTubeで、映画「ボヘミアン・ラプソディ」関連の動画や
【ボヘミアン・ラプソディ】のPV

「ライブ・エイド」や、1975年の来日公演などの映像を
例によって(笑)激しくリピートしていたかと思ったら
上映期間終了間際、立て続けに映画館へ足を運び
…って、結局、何回観たんだ?(笑)

通勤のお供の音楽は、甲斐バンドからクイーンに代わり…
というくらい「ボヘミアン・ラプソディ」ざんまいだったトコに
「ボヘミアン・ラプソディ殺人事件」なる番組を観てしまい(笑)
どうやら我が家の平成最後の年末は「クイーン」「クイーン」で暮れそうです(笑)

…で、この「ボヘミアン・ラプソディ殺人事件」は
NHKハイビジョンSP「世紀を刻んだ歌」の第2回に
「日英同盟から100周年」ということで取り上げられたもので
2002年3月27日に放送されたらしく

西田尚美さんとキリ・パラモアさんを「捜査官」役として
「♪ママ 人を殺してしまった♪」という歌詞が登場する
【ボヘミアン・ラプソディ】の謎に迫る…といった内容

2001年11月24日…フレディの没後10年の命日…に
生前のフレディの自宅前に集まったファンへのインタビューに始まり
20年間、不動だったクイーンのメンバー紹介へ…

映画の中で、フレディが「もし、俺がいなかったら、お前は…」と
大学卒業後のメンバー達それぞれの将来をまくし立てるシーンがあったけど
クイーンのメンバーは全員、かなりのインテリで

ブライアン・メイは、インペリアル大学理学部大学院で、赤外線天文学を研究
中学教師をやりながら音楽活動をしていたし
ジョン・ディーコンは、ロンドン大学電子工学部を首席で卒業、名誉学位を取得しているし

ロジャー・テイラーは、ロンドン医科大学で歯学を専攻後
インペリアル大学で生物学を学んだみたいだし
フレディは、イーリング美術大学でデザインやイラストを習得し
メイクや衣装など、クイーンのビジュアルコンセプトに活かしたらしい

そのイーリング美大でのロケに登場したのが
当時、フレディと同級生だったというティム・スタッフェル!?
ブライアン、ロジャーと一緒に「スマイル」として活動していたものの
ティムが他のバンドに移って、フレディが加入する件は
映画の冒頭で描かれてましたが

甲斐さんが「基本的には、導入部はもう、ホントよく出来てる
これ『X‐MEN』のブライアン・シンガーが監督なんですけど
まあ、あの人、ものすごい編集も上手いし
こう…ホントに良いテンポで行く人なんで、もうサクサクと…

生い立ちとか、そういうのはもうパーッと行って、導入部…
そいでもう、すぐクイーンのメンバーと知り合うという…」
…と話されていた映画のストーリーとは少し違い

ティムによれば「フレディは、時々スマイルで歌っていた」らしく(笑)
ティムの脱退後にフレディが加入したのは、自然な成り行きだったみたいです

ティムが、イーリング美大のトイレを指し示し
「ここで、ハーモニーの練習をしていた」など当時のエピソードを紹介した後に
「僕が辞めて良かった。そうじゃないと、クイーンの歴史はなかったのですから」
…と語ったことに、思わずゾクゾクっとしてしまいました

ともあれ…「クイーン」が誕生した1971年頃
ギタリストのジョン・ライドロウ氏によれば…
「当時のバンドは、音楽が良いと見た目は粗末
カッコいいバンドは演奏がダメ」だったらしく

「両方の良さが揃っていた」クイーンは最強…かと思いきや
当時の二大流行…プログレとグラムロック…の特徴を併せ持っていたことで
「オリジナリティの欠如」やら
「悪魔的な、神経を逆なでする音楽」やらと酷評されたようです(汗)

ただ、プログレと言っても「ノー・シンセサイザー」との断り書きがあり
ギターでシンセサイザーのような音を出したり
「多重録音」を駆使したりしていたらしい

ここで「サンプラザ中野くん」さんが「多重録音」について解説
当時の主流だった8トラックは「陸上競技のトラックと同じ」で
「1~8コースそれぞれに異なった音を録音」して
それをステレオ用(2トラック)テープに移すことを「トラックダウン」と言う

…といった説明の後【ボヘミアン・ラプソディ】のマスターテープ
(ステレオにミックスされる前のバラバラの音が録音されたもの)を
当時レコーディングに立ち会ったエンジニアの方が検証する場面があり
24トラックでの録音が始まったばかりの頃
24トラックの7倍分…180トラック以上あったことが判明

8トラの音を2トラに移しミックスするという作業を幾度となく繰り返し
…って、文字にすると簡単なんですが
実際にやるとなると、ものすごく煩雑で、膨大な時間がかかるんじゃないかと…?(汗)

前述のエンジニア、ガリー・ランガン氏が
「70年代には、今あるような設備は何もなかったんです
【ボヘミアン…】は教えてくれます
本当に望むことは必ず出来ると…
『しない』という言葉はあるけど
『出来ない』という言葉はないと…」と話された時

奥さんが改めて「【破れたハートを売り物に】にこだわった甲斐さん」を
思い浮かべたことは間違いないでしょう(笑)

中でも、一番複雑に音が重なっているのが「オペラパート」みたいで
映画では、テープが擦り切れそうになるくらい
フレディが、何度も歌い直しを指示するシーンがあったけど
「ジョンが曲を切ろうとしたらしい
オペラ部分は要らないと思ったんだ」とライドロウ氏

「新しいアイデアを思いつき、どんどん長くしようとするフレディ」と
「奇妙な歌詞や曲の構成に戸惑うメンバー」
「作者のフレディとメンバー達の間に確執が生まれた」ようです

でも、クイーンの担当プロモーターだったエリック・ホール氏によれば
「最初は16分もあったんだ!(笑)
突然『スカラムシュ、スカラムシュ、スカラムシュ…』
なぜヒットしたのか?いまだに判らない(笑)

とにかく、フレディは、このパートに最後までこだわった
周囲の困惑と反対にもメゲず、フレディは納得するまでヤメなかった」んだとか…
ここで、またまた甲斐さんとダブらせる奥さん(笑)

更に、映画の中で…完成した【ボヘミアン・ラプソディ】をEMI社長に聴かせた際
「【キラー・クイーン】みたいな曲が欲しいんだ!」と言われて

フレディより先に、メンバーが「同じことを2度はやらない」とか
「これがクイーンなんだ」と発言したシーンを観て
「某バンド」を重ね合わせたことは言うまでもアリマセン(笑)
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