この番組でも、クイーンの魅力にいち早く気づいたのは
日本の女性たちだったことが取り上げられていて
1975年4月の初来日の時の「ビートルズ以来という熱烈な歓迎」ぶりが映像で流れ
「サンプラザ中野くん」さんは…「(当時)ペンフレンドの女の子が
『クイーンってステキよね』っていうお手紙をくれて
知らなかったんだけど『ステキだね』って返事を書いた(笑)
その時から、フレディは僕のロックアイドル…
2人しかいないんですけど、堂々の第1位!」とおっしゃってました(笑)
奥さんが買って来た「AERA」のクイーンの特集に…
「少女時代に、レコードやテープを繰り返し聞き、歌詞を書き写し
切り抜きを透明下敷きに挟み、うっとりしていた」
…と、当時のクイーンファンについての描写があるんだけど
これは、我が家にいる甲斐バンドファンが
「少女時代」にやっていたことと全く同じみたいです(笑)
更に…「クイーンのファンには4つの層がある」と赤尾美香さん
「初来日の頃に熱狂したのが第1世代
次が、80年代の洋楽全盛期
3つ目は、名前は知らなくてもドラマなどで曲を耳にした世代
最年少が、幼少期から親に聞かされて来た子供たち」だそうで
これもまた、デビュー以来の「第1世代」
「【HERO】もしくは、NY三部作がきっかけとなった世代」
「甲斐よしひろソロ・KAIFIVE期」と「最年少」に置き換え可能かと…?(笑)
それはともかく…奥さんの年齢を考えれば
「クイーン第1世代」辺りになるんですが
1975年には「もう甲斐さんしか見えない」状態だったため(笑)
来日の模様もよく把握してないものの(苦笑)
もちろん、同級生の中にクイーンファンの女子もいたようですし
当時の日本のラジオ番組は、ベストテン式にランキングを付けるか
リクエスト葉書の多さによって、流される曲が決まることが多く
洋楽専門の番組には縁のなかった奥さんでも
演歌・歌謡曲や日本のフォーク・ロックに混じって流される
クイーンの曲を聞く機会に恵まれたみたいです
そういえば…以前に甲斐さんが
小橋健太さんの「泣け歌【熱狂】」を歌われた際に
やはりゲストとして出演なさっていた女優の高木美保さん…
(奥さんと同年代でいらっしゃいます)…が
「フレディの大ファン」だと話されてましたよね?
ただ、高木さんの「泣け歌」は「そっくりさん」が歌われていたような…?(苦笑)
「AERA」の記事の続きに…今回、この映画のヒットには
「『クイーンなんてロックじゃない』だの
『ヒラヒラの衣装で化粧して気持ち悪い』だの
ロック通を自認する周囲から散々ディスられて来た
『初代』ファンの怨念も加担しているのではないか」とか(笑)
「今のもてはやされぶりに、ほくそ笑む半面
かつて男子に大好きなクイーンを揶揄された経験から
『本当に魅力を判ってるの?』という疑り深い気持ちもある」と記されていて
クイーンを甲斐バンドに置き換え
「そう!そう!あった!あった!」と遠い目をする奥さん(笑)
ただ、クイーンファンの「恩人」東郷かおる子さんが…
「なんと言っても曲が良かった。それに全員がインテリで優しい
少女漫画から抜け出して来たようで、女の子に受ける要素が揃っていた
特に私がピンと来たのは淫靡さ…彼らに自覚はなかったけれど
日本の少女たちが大人になる過程で通過しなければならない
セクシュアリティへの扉を開け、軟着陸させる役目を担ってくれたんですよ
中でもフレディには、この世のものならざる雰囲気とインモラルさも漂う
その繊細な魅力を嗅ぎ分けられる人と
全く気づかない人がいる
アイドル扱いして片付けた男性は多かったけど、そうじゃないの
クイーンの存在と曲には、性を超越した
普遍的な人間の本質に迫る魅力があったのよ」…と話されているのを読んで
「甲斐さんには気づいたけど
クイーンには気づかなくてゴメンなさい(笑)」と謝っておりました(笑)
…という訳で、番組の話に戻りますと
この熱烈歓迎ぶりが印象的だったらしく
「クイーンのメンバーは全員、日本びいき
特にフレディは毎年、日本で着物や美術品を買っていた」そうで
映画の中でも、着物をガウン代わりに羽織ったフレディが見られますし
ライブ・エイドの後、お忍びで来日したフレディが
「ミュージックライフなら良いよ」と
かつて、クイーンを日本に紹介してくれた雑誌にだけ取材をOKしたようで
「受けた恩は忘れない」という某ミュージシャンの方(笑)の言葉を思い出しました
その甲斐さんも「初めて満席になったのは大阪で、次が名古屋」とおっしゃってたけど
そういう良いイメージを、今も持っておられるのかも知れませんね?
さて、クイーンの恩人といえば…
「シングルに6分は長すぎるし、曲も複雑すぎて…
今は、85のラジオ局があり、1局に断られても、まだ84局ある
当時のイギリスには、ラジオ局が2つしかなかった
この曲がラジオでかかるとは、とても思えなかったね」
…と「モンスター」と呼ばれる名物プロモーターも匙を投げた
【ボヘミアン・ラプソディ】を2日間で14回も繰り返しかけた(笑)
キャピタルラジオの人気DJケニー・エベレット氏でしょうね
それも、シングル発売前だったために
ファンの問い合わせが殺到したらしい(笑)
その後、11月第4週に全英第1位になり
史上初の9週連続No.1に輝いた訳ですが
それには「音楽ビデオの先駆け」と言われる、この曲の映像が
BBSの人気音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」で流され
「顔が幾つも重なるのが衝撃的だった」と人々にインパクトを与えたことと
「複雑な曲が、映像によって判りやすくなった」ことが大きく影響しているそうです
もっとも、元来「スタジオでの生演奏が中心の番組」で
クイーンが映像を流したのは「全てを演奏できない複雑な曲」だったからみたいだけど…(笑)
ライブ・エイドで演奏されたのも
フレディの弾き語りのパートだけだったし
なんせ、オペラパートは膨大にトラックを重ねてコーラス部分を作っていたし
当時の機材で、生演奏は難しかったんじゃないかと…?
甲斐さんが、ライブでアレンジを変えられるのも
限られた人数・楽器で演奏しなければならなかったからでしょうし
昔の曲を取り上げられるのは、当時の機材や技術では実現できなかったことが
今は可能になったからでしょうね?
…で、その映像がどのように撮影されたか
当時の撮影スタッフ…カメラマンのバリー・ドット氏と
助監督のジム・マッカチェオン氏…が
ロンドンのモリネアTVスタジオで再現する場面になり…
「スタッフが準備を始めたのが夕方5時
顔が並ぶシーンとライブシーンを4時間で撮影した」とドット氏
マッカチェオン氏が「当時のスタジオの問題は、労働組合の制約が厳しかったこと
30分延長するためには、組合との交渉が必要なので急いでやりました
食事もろくに取れないハードな1日でしたが
みんな満足して、夜10時には終わった」と説明
「撮影時間が短かったのは、予算が限られていたから」みたいで
「モンスター」プロモーター氏は…
「ビデオの予算を800ポンドくらいに見積もっていた
(2002年より)20年以上前だから、十分すぎるくらいさ
フレディに『いくらかかる?』と訊いたら『35,000ポンド』と言われた
『いくらだって!?ゴッドファーザーでも作るのかい?(笑)
そんなに出せる訳がない!予算は700ポンド
金を使わず、自分たちで努力しろ』と言った」んだとか…
って、ナニ気に100ポンド減ってるし…(笑)
時間がかけられないことに加えて
「今の機材を使えば簡単なことも当時は大変だった」ようで
撮影方法にも、お金をかけない工夫が必要だったらしい
甲斐さんも、アメリカン・ニューシネマの「金がないなら知恵を出せ」
…といったスタイルに触れておられましたが
「様々なアイデアを集めた」のは、やはりオペラパートで
「音に合わせて顔が重なる」万華鏡のようなシーンは
合成ではなく、5面マルチプリズムレンズをつけて撮影され
「エコーに合わせて顔が幾つも連なる」シーンは
撮影したフレディの顔をモニターに映し
その画面を回転するカメラヘッド(モイ・ヘッド)で撮ったそうです
ただ、ドット氏は「撮影した時は、あんなに話題になるとは思わなかった」(笑)
と、おっしゃってましたけど、その理由については、また次回に…