ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

気になる言葉4

2019-08-31 17:57:43 | 日記
甲斐さんがお書きになる歌詞には
ご自身の実体験が、かなりの割合で含まれているそうですが
それは、その時の心情を曲にされることで
昇華なさっている部分がおありだからでしょうね?

夏目漱石も「草枕」の中で、語り手の画家に…
「涙を十七字にまとめた時には、苦しみの涙は自分から遊離して
俺は泣くことの出来る男だという嬉しさだけの自分になる
どんな苦境も、その景色を『一幅の画』として見たり
『一巻の詩』として詠めれば抜け出せる
不幸を描き出し、それに悶える己を嘆くのではなく
『自分の屍骸を、自分で解剖する』かのように
まずは、情感を定型にかたどるべし」…と語らせてます

ただ、哲学者の野家啓一さんは…「経験は物語られることによって初めて経験へと転成を遂げる
心の内を赤裸々に吐露する『告白』も
社会の姿を粉飾なしに描写する『写実』も、叙述の形式こそ違え
『真実をありのままに描く』ことを素朴に信じている
が、文学も科学も歴史も、それぞれに『物語られる』ものであり
『素顔』もまた仮面の一つでない保証はない」…と記され

漫画家の川勝徳重さんも「エモーショナルなことは、書けば書くほど嘘になってゆきます
感情について書くことは、それ自体が一つの解釈だし
解釈は、見えない感情の磁場の中で、辻褄を合わせる内に歪んで来る」…と話されていて

もちろん、甲斐さんが書かれたのは、あくまでも歌詞である以上
全てが事実ではないのは当然だと思うし
私的なことを「どこまでさらけ出せばいいのか?」という葛藤を
抱えておられた時期もおありだったみたいで

かつてのインタビューでは…「他人に聴いて貰う楽曲にする訳ですから
事実をそのままというのではなくて
ちゃんとイマジネーションを駆使して、作品として成立させて行く訳ですけど
根底にあるのは非常に個人的な思いであって
本質的な意味で、それをさらけ出さなくてはいけない
適当なところで止めておくことは出来ないんです

ただ、さらけ出すと言っても、生のままの感情をそのままぶつけているんじゃないんです
表現者は、自分の感情の料理の仕方みたいなものを、ちゃんと判っていないといけない
ものすごく私的なことを書いたとしたら
それが、きちんと普遍性を帯びているかを
どこかで客観的に見ることが出来ないといけない」…と語られてますが

とはいえ、聴き手にとって、作り手自らが歌うということは
歌詞の中に登場する人物に歌い手の姿を重ねやすいものだと思うし
だからこそ、我が家の住人が、曲が出来た当時の甲斐さんを取り巻く環境や背景を知って
勝手に胸を痛めていたんじゃないかと…?(苦笑)

もっとも、甲斐さんがご自身の内面を掻き回すかの如く苦しまれながら
お書きになった曲が、いくら素晴らしい曲だったとしても
松藤さんみたいに「一生、不幸だったらいいのに…(笑)」とは
とても思えなかったみたいだけど…(苦笑)

それはさておき、作家の高橋源一郎さんは…
「作家の仕事は、複雑なものを複雑なままに表現することだと思っています」と話され
同じく作家の井上ひさしさんは…「作文の秘訣を一言で言えば
自分にしか書けないことを、誰にでも判る文章で書くということだけなんですね」
…と、おっしゃっていて、真っ向から食い違っておられるんだけど(笑)

これは、お二人それぞれの視線の先が違うためらしく
井上さんが、今目の前にいる人、あるいは同じ時代を生きている人に
「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」伝えようとなさるのに対し

高橋さんは「現在の人間だけでなく、死んだ人
これから生まれて来る人のことも併せて考えること
生死を超えて感知する『繊細なアンテナ』は
短期の利害にしか関心のない資本主義の思考とは異質だ」といった立ち位置でいらっしゃるようで
我が家の見解としては「井上さんはロックだな(笑)」に落ち着きました(笑)

そうそう!彫刻家の飯田善嗣さんが「ピカソ」という著書に…
「10歳で、どんな大人より上手に描けた
子供のように描けるまで、一生かかった
ピカソが生涯を通じて追い求めたのは、文明の『外』に出ること
すなわち『名を与えられる以前の事物の記憶』であり
文明人が憧れながら、もう二度と手に入れることの出来ない荒々しい野性的な生命力だった

ピカソは『同じ所にじっとしていられない』と、安住と眠りと怠惰を嫌った
思えば、これが子供の真骨頂だ」…と記されているんですが
こういう「永遠の子供」と呼ぶべき人は、たとえ絵画に目覚めなくても
いずれ、何らかの形で「表現」しなくてはいられなかったんじゃないかと…?

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気になる言葉3

2019-08-30 18:35:51 | 日記
甲斐バンドのアルバム「破れたハートを売り物に」は
「全編暴力賛美」と評されたそうですが(苦笑)
難産の末に生まれたアルバムを、上っ面だけでそう判断された当時はともかく
そのタイトルチューン【破れたハート…】をきっかけに海を渡られ、得心の行く作品が完成した後は
この評価を「スゴイだろ!(笑)」とネタになさってましたよね?(笑)

元々「評価は他人が決めるもの」という覚悟を持って作品を発表されているんでしょうし
「『褒める』のって難しいんだよ」とよく口になさっているように
ご自身も手放しで誉めそやされることが苦手でいらっしゃるみたいだし…(笑)

ただ、日本画家の堀文子さんが
「群れたり、慣れたり、頼ったりすると、迎合しなくてはなりません
力を抜いて心を空っぽにすることが出来なくなります
だから、褒められそうになると逃げるんです」
…とおっしゃっているのは「誰かと一緒にいて感じる寂しさ」や
「感性の違う人と過ごす辛さ」は「独りよりもキツイ」からだそうだけど
この言葉を聴いて、奥さんは「1人じゃ寂し過ぎ、2人じゃ辛過ぎた」と口ずさんだらしい(苦笑)

そういえば…「類は友を呼ぶ」という諺は
「気の合う者は、自然と集まり、仲間となる
異質なところがあまりなくて、思いや好みの通じる人たちが寄り集まる
…といった意味で使われますが、友人であるというのは
本来「もう1人の自分」を持つことではなく
「自分のことを自分とは違う目で見てくれる人」がいることを指すみたいで
つきあいが長くなると、逆に相手との違いがより微細に見えて来るものなんだとか…

それはさておき、作詞家の松本隆さんは自著「微熱少年」の中で…
あるバンドのオーディションを受ける仲間に付き添った高校生に
「誰だって人間に点数をつけようとすると、あんなつまらない顔になる」…と呟かせ

「人は人生で何度も『品定め』される
一見、選ぶ側が優位にありそうだが、その彼もいつ落ちこぼれるやも知れない
人を選ぶという行為は、ある条件を満たさないと受け容れられない
そんな寂しい社会を肯定することだから」とおっしゃっていて
ある条件だけで人を判断する愚かさへの憤りを感じますし

また、喜劇役者の古川緑波さんが、戦後の浅草で、お盆興行「お化け道中」を打たれた際に
批評家から「客に媚びた手抜きの芝居」と酷評され
「夏の最中にやる芝居を、まともに評されても困っちまう
暑さというものを、勘定に入れて下さい」と返されたのは(笑)
戦時中に愛国者ぶって「お笑い」を貶し続けていた批評家などと
同じレベルで話したくないね…という矜持でしょう

ただ、選ばれる側、評される側の方々の言葉は
わりと我が身に置き換えやすいんだけど
「あんなつまらない顔になる」機会はあまりないので(笑)
…って、まあ、サッカーや野球など親しみのあるスポーツを観戦する時には
気分だけは監督だったり(笑)ベテラン解説者だったりして(笑)
「今のプレーは如何なものか?」と言ってみたり(笑)
ドラマや映画を鑑賞して、辛口のコメントを吐いたりすることがありますが(笑)

それは、あくまでも個人の見解、個人の感想で
例えば、外食したお店の感想をグルメサイトなどに投稿すれば
もしかしたら、どなたかが参考になさるやも知れませんけど
家庭内で話しているだけのたわごとなので…(笑)

ともあれ…半分、批評家の立場(かな?)の方々の言葉もご紹介しましょう
画家の赤瀬川原平さんは…「やろうとした訳でもないけどやってしまった
…ということの方が、表現としての価値を大きく占める
そのやってしまった『表現』の価値は
それを見る人…つまりは、生身の受容体の中を横断して初めて現れる
だから『失敗や挫折が体に染み込んでいない』
『体とか人生がある程度発酵していない』内は
日本美術の世界はまだ『無理』だ」…と記され

また、法政思想史家の山室信一さんは…
「一つの見方に固執していると、それが否定された時、立ち戻る場所がなくなる
己の失敗や過ちを思い知ることが、自分の認識を相対化し、自分の思考の幅を広げる
私自身、成功した人よりも失敗した人や誤っ政策選択の方に強く興味を惹かれます」…と話されていて

「表現」なさる側でありつつ、その表現が提示された後に
失敗なり過ちなりを客観的に捉えようとなさっている部分では
「批評家」でいらっしゃるんじゃないかと…?
甲斐さんが「観客の前で演奏してみて初めて曲が完成する」とか
「良いライブは忘れて、悪かったライブは覚えておくようにしている」
…と、おっしゃっているのと同じ感覚なんでしょうね?

一方「選者」の立場からは…美学者の山崎正和さんが、ある選考会の終了後に
「公正であれば、公平でなくて良い
フェアであることと不偏であることとは同じではない
賞の選考にあたって、私は、平坦でない作業にこもる熱い思いに心を動かされた作品に
つい、肩入れし、強く推す
受けた衝撃が深ければ、その仕事の意味もきっと重いはず
選考会では、委員がそれぞれに受けた衝撃の意味をフェアに聴き合い、探り合う」
…と話されていて、選考基準の幅が広い感じがするし

また、文学賞を射止めて作家デビューを果たしたにも関わらず
長引く出版不況のために、出版社が作家を育成する体力を失い
「新人を一から育てるより、人気作家への発注の順番を待つ方が効率が良い」といった状態にあり

更に、デビュー作品の初版部数は減少しているかたわらで
ライトノベルなどの出版点数は急増し
年間の書籍の推定販売額は約3割減った代わりに、新刊点数は約1割増え
結果、書店の本を入れ替えるサイクルが早くなって
出版から2~3年で入手できなくなり、そのまま埋もれてしまい
筆を折る作家が後を絶たないことを問題視した講談社は
一度デビューした作家に再出発を促す「リデビュー小説賞」を設置し
「何度でもデビューして下さい!」と呼びかけているそうです

「売れるものばかりに目が行きがちで
本来、これまでに誰かが見出だしていなければおかしい実力の持ち主が
面白いものを書いているのに、読者に届けられていない現状を変えたい」
…という某編集者の方の言葉には、切り捨てる選び方ではなく
すくい上げようとする心意気が感じられますよね?
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気になる言葉2

2019-08-28 20:06:50 | 日記
先日、甲斐バンドが出演した、BS-TBSの「LIVE ON!うた好き⭐ショータイム」の
すぐ後に放送されている「SONG TO SOUL~永遠の一曲~」に関するコラムに…
「『一過性でなく、幾度もの鑑賞に堪えうる音楽番組』
そんなコンセプトを12年間貫く番組がある

ポップ史に輝く名曲が生み出された背景をとことん掘り下げる
1曲を1時間かけて紐解いていくというコンセプトも異色だが
やはり見事なのはレジェンド本人に接触するところ
ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンや
レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジなど
歴史を築いてきた超大物たちが、特段の煽りや演出もないまま
あっさりと画面に登場し、その1曲を語っていく

(中略)番組冒頭でレコードに針が落とされ、曲が流れ出す
その後、バンドの歴史を掘り下げ
曲の誕生に至った社会情勢まであぶり出す
最後に、その曲が再び訳詞付きで流れる時には、聞こえ方が変わっている…という仕掛けに
気がつけば心よくはまっている」

…と記されていたんですが、奥さんがこれまで、甲斐バンドや甲斐さんの曲を
リアルタイムで聴いて来られたことを幸運に思っているのは
まさにその「曲が生み出された背景」を垣間見ることが出来たからなんじゃないかと…?

もっとも、甲斐さんご自身は「どういう風に受け取るかは、聴き手の自由」とおっしゃっているし
もちろん、奥さんも自分なりの曲の解釈が
甲斐さんの意図されるところと合致しているなどとは思っていないだろうけど

例えば、かつてサンストでも取り上げられた
「【観覧車】に登場する男女は、その後どうなったのか?」という話題では
当時「甲斐夫妻に何か…?」と心配する声も上がったほど(苦笑)
「別れ」を予感なさった方が多かったらしく
奥さんも初めて【観覧車】を聴いた時は「えっ!?」と驚いた
…って、それ以前に【漂泊者】という前科(汗)があったから…みたいですが(苦笑)

その後【観覧車82】が発表された際に
甲斐さんが、当時のバンドの状況を明かされ 「ダウンの時期に作った曲」とおっしゃったことで
「恋人だったら、ケンカして別れてしまうことがあるかも知れないけど
俺とお前は、何があっても一生やってくんだ!っていうことを言ってる」という言葉は
甲斐バンドのメンバーに向けられたものじゃないか?と思ったようです

ただ、リアルタイムで聴いておられなかったり
この曲に関する甲斐さんの言葉をご存知ない方がお聴きになると
やはり「別れの曲」として受け取られることが多いのかも知れないなあと…?

…が、一方で、今回の甲斐報の「サーカス&サーカス2019」最速レポートに
「タイトな装いの楽曲を引き締まった演奏で差し出すバンドに
肉厚な拍手と歌声で応えるオーディエンス
そこで往年の名曲たちは新たに『発見』される

音源では十分に聴き知っていたはずの曲たちの『最初』を知るのだ
ただし、そこにノスタルジーは無い
有るのは、45年目の今を駆け抜けていくバンドの熱
そしてあくまで硬質なロマンティシズムだ」という一節があり

確かに「45年目の今」の音であっただろうことは間違いないと思われますが
「サーカス&サーカス」というツアータイトルや、3ピース+キーボードという編成に
かつて、その曲が奏でられた時の記憶が鮮明に甦っていた奥さんには
「発見」よりも「ノスタルジー」の方が勝っていたらしく(苦笑)
ある意味「先入観」のカタマリと化し(苦笑)
「硬質なロマンティシズム」を味わい切れなかったかも…?(苦笑)

でも「一過性でなく、幾度もの鑑賞に堪えうる音楽」というのは
その曲にまつわる過去の体験や忘れられない記憶といったフィルターを通すことも含め
普遍性を保って行くものなんじゃないかと…?

来月に来日公演を控えたフランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズ唯一のオリジナルメンバー
御年85歳のヴァリ氏は、そのキャリアの長さの秘訣を
「メロディがしっかりしていて、みんなが歌うことが出来る
今の歌はそうではない
みんな、自分たちの身近にあることを歌っていた
今は政治性が強くなってしまった
偉大なラブソングはどこに行ったんだろう
私にとっては、それこそが音楽なんだ」と語ったそうで

なるほど【シェリー】や【君の瞳に恋してる】など、どストレートなラブソングは
今昔を問わず、人類永遠のテーマ(笑)として歌い継がれてますし
以前にご紹介した亀田誠治さんのおっしゃる
「エバーグリーンな曲」と呼べるものでしょうね?

まあ「男と女の話の向こうに、時代や社会がチラッと見える」
ラブソングを好んで聴いていた我が家の住人(笑)は
「さくら」や「卒業式」「クリスマス」といった
いわゆる毎年「定番」となっているエバーグリーンな曲にあまり関心がないみたいだけど(苦笑)

それでも、桜の頃には【荒馬】を、5月に【黒い夏】を、7月に【あの日からの便り】を
10月と11月は、タイトルに月名が入った曲を
クリスマスには【安奈】ではなく(笑)【かりそめのスウィング】と【聖夜】を…
という風に季節を感じているようです(笑)

余談ですが…企画CD「大人のJ-POPカレンダー」で
卒業にちなむ曲を選ばれた田家秀樹さんは…
「昭和20年代に卒業の歌は見当たらない
中学卒業とともに就職した時代、学園生活は歌謡曲になりにくかった
人気曲の典型は、美空ひばりさんの歌ったような都会で弾む若い女性
あるいは、三橋美智也さんのような望郷の歌でした

学校を舞台にした曲が共感を呼ぶのは、高校進学率の高まる昭和40年代以降
人気歌手がこぞって卒業ソングを歌ったのは、昭和50~60年代
多かったのは、都会へ出て行く恋人との別れの歌
憧れの人から制服のボタンを貰う話もよく登場します
僕らの世代(舟木一夫さんの【高校三年生】やペギー葉山さんの【学生時代】など)にはなかった風習ですね

最近の曲から選んだのは、教室や校庭の思い出を歌う川嶋あいさんの【旅立ちの日に…】
震災で失われた風景を歌にした高橋優さんの【卒業】などで
歌詞には今という時代がくっきり浮かぶ
卒業ソングとは、世代ごとに磨き込まれた映し鏡なのかも知れない」…と話されていて
やはり、エバーグリーンな曲No.1は、どストレートなラブソングなのかも知れないなあと…(笑)

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気になる言葉1

2019-08-27 23:43:20 | 日記
10月から始まる甲斐バンドツアーと連動するというベストアルバムについて
奥さんが色々モノ申している(苦笑)トコへ
音楽評論家の吉田秀和さんが自著に書かれた言葉が目に留まり
ナンかちょっと気になるなあ…ってことで、緊急シリーズ化です(笑)

その言葉というのは…「人間は繰り返しを離れるのに勇気がいる」…というもので
「音楽批評でも社会評論でも
『この問題はこの人』ということになると、いつも同じ名が登場する

ジャーナリズムは、その変奏を求め
書き手は、注文に『最善の出来映え』の『職人芸』で応えようとする
が、問題をとことん突きつめていたら、それ以上のものは書きようがないはずだ
自己の模倣というこの誘惑は、創造の根を損なう」

…って、まあ「評論」と「ベストアルバム」を
同じ括りで語るのは無理があるとは思いつつ
「繰り返し」「自己の模倣」というワードに
かつて「ベストテン」の再放送をお断りになったり
「同じことを2度はやらない」とおっしゃった甲斐さんが重なってしまいまして…(汗)

CDが売れないという現在の音楽業界の事情もあるかも知れないし
45周年にベストアルバムをリリースなさること自体は当然でしょうけど
奥さんが引っ掛かっているのは
そのベストアルバムの、いわゆる「ウリ」が
また(失礼!)セットリスト予告というのはどーよ?…ってことなんですよねぇ(苦笑)

「THE BIG GIG AGAIN」の場合は「THE BIG GIG」のセットリストが
そのまんま再現されることに意味があった訳ですが
実際にライブを行われて、おそらく?甲斐さんは、この史上初の「ネタバレ」により
「『予習が出来て良かった!』と受け入れられた」と思われたんじゃないかと…?

「かりそめのスウィング2017」のプロモーションでも
アルバムリリースからツアー開幕までの間に
「予習が出来る」と話されていたし
先のビルボードツアーで「サーカス&サーカス2019」の告知をなさった時に
「セットリストが判ってるって、ハッピーじゃない?」とおっしゃったみたいだし…?

ただ、奥さんは「ネタバレ」云々ではなく
「セットリストありき」で、ベストアルバムの収録曲が選ばれること
それによって外される曲があることに疑問を感じているらしく
ツアー自体はとても楽しみにしてるんだけど…(笑)

もっとも「かりそめの…」ツアーでは
「曲の繋がりの悪いところは、MCを入れればいい(笑)」と
予めお考えになったセトリと、実際にリハーサル等で演奏なさってみた感覚のギャップが
さほど大きなものではなかったような印象だったのが

「サーカス&サーカス…」ツアーに関しては、開幕前の「セイヤング」で
「もう変更は利きません(笑)このまんまやります」と
「出来ることなら変更したい」部分がおありなんだろうなという
自縄自縛(失礼!)感が滲み出ていらしたし
そうした意味でも「セトリありき」の先行アルバムは
「もういいんじゃね?」って気分なんだとか…(苦笑)

それはともかく、冒頭の吉田さんの言葉に戻りますと…
確かに「評論」では「それ以上のものは書きようがない」かも知れませんが
「音楽」には、アレンジやリミックスという手段があるし
「ライブ」ともなれば、同じ曲を同じメンバーで同じように演奏しても
決して「全く同じ」にはならないと思うし
「それ以上」を目指すことが可能なだけでなく

歌詞に関しては、それが書かれた当時と、時を経てそれが歌われる今との間に
時代背景が変わり、また、演者も聴き手も環境や心境に変化がある訳で
それこそ「THE BIG GIG AGAIN」で【MIDNIGHT】の歌詞が「沁みた」ように(笑)
単なる「自己の模倣」とはならないんじゃないかと…?

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チケット

2019-08-26 19:34:05 | 日記
甲斐さんは、東京オリンピックの観戦チケットを入手なさるのに
業界人特典はないと嘆いておられましたが(笑)
一般人の奥さん(笑)には、東京オリンピックより
甲斐バンドのホールツアーの方がずっと重要な訳で(笑)
ファンクラブの先行予約が始まるや早速エントリー

ただ、今回設けられたVIP席に関しては、当初あまり興味がなく
…って、まあ以前の武道館ライブで、ファンクラブ先行予約が終わった後
急にプレミアムシート(だったっけ?)として
今回のVIP席と同様にオリジナルグッズ付のチケットが発売されることになった際には
しっかりエントリーして、きっちり落選したんだけど(笑)

その時の「ステージが見やすい席」がどの辺りだったのか?はさておき
今回の「センター前方の席」という案内にも
主催者やホール側が考える「前方」と、奥さんが希望する「前方」が
食い違っている可能性が大いにある…
もちろん、奥さんは前方なら前方であるほど有難い(笑)のに対し

主催者やホール側としては、ステージ全体が見渡せて音のバランスもいい席…
例えば、10列目辺りとか、ホールのキャパによっては、少し段差がつく5列目辺りからとか
…を「VIP席」と捉えているかも知れないと思ったからで

一般席より8千円高い価格設定になっているのも「神席」に対する価格ではなく
チケットに付随しているCDやグッズの値段だろうと
エントリーの際には、東京公演のみ…それも第2希望で(笑)
VIP席を申し込んだみたいですが

ファンクラブを退会した後も大阪公演には参戦している甲斐友さんに声をかけたところ
「VIP席で1枚」と頼まれたらしく
それならと、大阪公演は第1希望VIP席、第2希望一般席に変更

…が、その後、VIP席について、KAISURFに問合せた甲斐友さんから
1公演につき、50~100席を見込んでいるようだと聴き
単純に、センターブロック1列を10人とすると
「10列分がVIP席になるホールもあるってこと!?」とビックリ!

左右のブロックであれ、一般席で前方の席が獲れればいいけれど
そうでなかった場合、VIP席の後方になるやも知れず
我が家のクジ運の悪さには絶対の自信を持つ者(笑)は
少しでもリスクを軽減するため、全公演VIP席にエントリー変更(笑)

…で、当落結果発表の日、いつもより遅い時間にメールが届き
順に開いてみると、東京と神戸以外は全てVIP席(笑)
「こんなに当たるものなの!?…ってか、そんなに沢山グッズ貰ってもなあ」と苦笑い(笑)

しかも、当初、奥さんが東京公演のみ
第2希望でVIP席をエントリーしていたことを知った甲斐友さんが
冗談半分で第2希望にした公演で、VIP席が当たったらしく(笑)
「どういう抽選の仕方なのか?全然わからない(笑)」と大笑い(笑)

まあ、実際にチケットが届いてみないことには
喜んでいいのかどうか判断がつきかねるようだけど(笑)
オリンピックのチケットみたいに、望んでも手に入らない方がいらっしゃるんだし
入場できるだけで有難いんじゃないかと…?(笑)

余談ですが…テニスのウィンブルドンの観戦チケットを入手するのは
かなりの体力と忍耐力を要するそうで
「並ぶことがフツー」とされる英国でも、ウィンブルドンは格別らしく
多くの人々は、目当ての試合の前日から
会場前の公園にテントを張って待つのが常識となっていて(汗)

試合当日の午前4時半に行列に加わった方によれば、その時点で3600番(苦笑)
チケットが買えたのが、午前10時半
更に、急いでコートへ向かうも再び行列に並ばなくてはならず
スタンド席に座れたのは、第1セットが終わった正午前だったんだとか…(汗)

ただ、このネット社会のご時世に、そうした事態を回避することが不可能な訳がない
…と思ったら、やはり「みんな並ぶのを楽しんでいるんだから」という
大会の最高責任者の方の判断で、アナログ方式が続いているそうです(笑)

まあ、とりあえず早めに並べばチケットを入手できるんだし
待っている間に見知らぬ者同士で会話が弾んだり、ビールで乾杯したりと
ナカナカ楽しそうに時間を過ごしているらしい英国人に比べ

例えば、例の広島カープの公式戦チケットの件みたいに
並んだ挙げ句に抽選券すら入手できなかったとか(汗)
某大統領の大相撲観戦のために、発売中止になった一角があるとか(汗)
プラチナチケットは高額で転売されたり、詐欺の温床となったり…(汗)
チケットを買い求めるという、本来なら心が浮き立つはずの行為に
負のイメージばかりが重なりますよねぇ(苦笑)

我が家はあまり熱くなっておりませんが(苦笑)
せめて、自国開催のオリンピックを生で観たいと思っておられる方々には
ナンとか、チケットが行き渡るようにして頂きたいなあと…

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