読書な日々

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『ジイド、進化論、複雑系』

2017年01月30日 | 人文科学系
津川廣行『ジイド、進化論、複雑系』(駿河台出版社、2016年)

正直言ってジイドの作品は、名前こそほとんど知っているとはいえ、読んだことがない。キリスト教の聖書の一節をタイトルにした作品が多いいが、キリスト教にはあまり詳しくないので、学生時代からそれほど関心をもったことがない。

しかしこの研究書は、そうした面の、つまりモラル的な面から見るのではなくて、複雑系という面からジイドの日記と作品を読み直すという、まったく新しい読解を提示している点で、非常に興味深いものである。

複雑系というのは、カオス理論とかバタフライ効果という言葉で言ったほうが分かりやすいと思うが、Aという要素は必然的にBという結果を生じるという古典的な物理学を前提にしながらも、Aという要素を段階的に変化させたときにB’という結果になる地点があるということや、また現実の現象においては、最終的に生じたCという結果はAだけでなく、n個の要素が複雑に複合して生じさせているものだという自然界の現実の認識の仕方と言えば分かるだろうか。

たぶん最先端の複雑系の学問は、海水温度が1度上昇したら地球の様相がどう変わるかをシミュレーションする学問だと思う。

もちろんこれは現在の最先端の研究であるが、ジイドが生きていた19世紀後半から20世紀の初めに複雑系(もちろんこんな用語はないが)の学問と言えば、進化論であったという。ジイドは進化論に並々ならぬ関心をもっていたし、ダーウィンの進化論が、起源を等閑視して、途中からの進化論であったことに不満をもっていて、起源がどうなっていたのか、つまり創世記と進化論の関係を自らが作り出そうともしていたらしい。

複雑系ということを素人考えすれば、複雑系はこの世界は無数の可能性があったと結論することになると思われるが、実際の複雑系学問が到達したのと同じように、最終的にジイドは、この世界は、多様な姿をもつ可能性があったことを否定して、現在の姿にしかなりえなかったという境地に達したという。

この著者の面白いところは、序文やあとがきに書いているように、もともと出身が理学部で物理学を勉強していたが、大学を卒業したあと、フランス文学を勉強し直した人のようで、それゆえに、複雑系などを理解する素地があったことが幸いしたようだ。

だから、複雑系からジイドを読み直すというようなことは、フランスの研究者もふくめて、誰もやってこなかったし、物理学の素養をもっていたこの人をして初めて可能になった研究であると言える。つまり余人をもってしては不可能な研究を見つけたという意味で、じつに幸運な人だと思う。

文章も読みやすく、また章が数多くあるが、一つの章が比較的短いので、これもまた読みやすくてよかった。


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