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『われらが<無意識>なる韓国』

2021年01月18日 | 評論
四方田犬彦『われらが<無意識>なる韓国』(作品社、2020年)

1979年と2000年代に韓国に長期滞在し、韓国のことや韓国映画のことに詳しい四方田犬彦による評論集である。

最初の半分くらいに収められた評論はごく最近のもので、後半になると古いものも含まれている。

日本人の韓国(人)への心情と韓国人の日本(人)への心情のすれ違いをはじめとして、四方田犬彦が体験したものを拠り所にしながら書いてあるので、説得力のあるものが多い。そして映画論も参考になる。

私が初めて韓国映画を見たのは1999年のキム・ジオンの『反則王』だった。韓国が通貨危機に陥り、国際通貨基金による大なたによって失業者が大量に生み出され、賃金切り下げによって銀行員など闇金の職員と変わらないような生活のなか、ソン・ガンホ演じる気弱な銀行員がプロレスに参加して、反則レスラーになるというもの。

コメディー受けを狙う映画でもこのようにリアルな社会を描きこんでいることに驚きをもったものだ。

朴正熙政権や全斗煥政権との戦い(光州事件など)を経て、自らの力で民主化を勝ち取ってきた韓国国民であればこそ、韓国映画には、日本と違って、タブーがないと思っているのだが、四方田犬彦のこの本を読むと、それでもナショナリズムには搦め捕られているようだ。

例えば「韓国映画の安易なナショナリズム」という記事で、『尹東柱の生涯』(2015年)とか『金子文子と朴烈』に見られるように、朝鮮統治時代の人間を描く場合に、朝鮮人は善玉で日本人は悪玉に描くというパターンから抜け出せていないという指摘をしている。具体的には、尹東柱が同時代の日本詩歌に深く影響を受けていたことなどは完全に無視されていることが挙げられている。

韓国の時代劇ドラマを見ていると、秀吉の朝鮮出兵を描く日本人武士の姿がとてもじゃないけど変という場合が多い。これだけ日韓の行き来があって、日本人で韓国ドラマに出ている人もいる(『朝鮮ガンマン』にでていた大谷亮平さん)くらいなのだから、考証を頼めばいいのにと思うのだけど、決まったパターンから抜け出ていない。

かと思うと、現代もののドラマでは、権力者が会食をするのはきまって高級な日本料理店だ。彼らが口にするのは刺し身や寿司などだ。フレンチやイタリアンというのは、財閥の御曹司が彼女と食事する場合で、権力者は日本料理だ。これなどは、意図的にしているのだろうか?それとも無意識にやっているのだろうか?

『われらが〈無意識〉なる韓国』へはこちらをクリック

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