茂木健一郎『意識とはなにか』(ちくま新書、2003年)
あるものの質感を意味するクオリアという意識がどうして成り立ち得るのかという問題意識から、人間の意識というものがじつに複雑怪奇な存在であることをいろいろな角度から捉えようとしている論考なのだが、この著者自信があとがきで書いているように「書いている途中で、一体自分が何を書いているのかわからなくなって」いるのではないかと思わせるくらい、わけが分からない論考でもある。
この著者が第1章で問題提起しているように、脳の仕組みがかなりのレベルで分かってきたけれでも、それでもあいかわらず謎のままであるのは、「世界の森羅万象がまさにこのように存在すること、すなわち、<あるもの>が<あるもの>であることの不思議さ」であり、「一体、世界の中にあるさまざまな物質のふるまいのうち、どのようなものに意識が宿るのか?」ということだという部分を読んで、私はさすがに世界的な脳科学者の考えることは進んでいるなと感心して、これなら読んでみても面白そうだぞと期待して読んだのだが、期待はずれだった。
私が期待していたのは、なぜ人間には意識が生じるのか、物質活動に過ぎない脳の働きがなぜ物質的ではない意識というものになるのかということを解き明かしてくれるということだった。しかしこの著者は人間の意識がもつ数量化不可能な質感や、言葉のもつ根源的無意味性(言葉そのものにはなんら固有の意味はない、コンテクストの中で意味が生まれてくるものだから、言葉の意味を突き詰めて考えても、答えは出てこない)ということについての問題提起ばかりであった。
あるものの質感を意味するクオリアという意識がどうして成り立ち得るのかという問題意識から、人間の意識というものがじつに複雑怪奇な存在であることをいろいろな角度から捉えようとしている論考なのだが、この著者自信があとがきで書いているように「書いている途中で、一体自分が何を書いているのかわからなくなって」いるのではないかと思わせるくらい、わけが分からない論考でもある。
この著者が第1章で問題提起しているように、脳の仕組みがかなりのレベルで分かってきたけれでも、それでもあいかわらず謎のままであるのは、「世界の森羅万象がまさにこのように存在すること、すなわち、<あるもの>が<あるもの>であることの不思議さ」であり、「一体、世界の中にあるさまざまな物質のふるまいのうち、どのようなものに意識が宿るのか?」ということだという部分を読んで、私はさすがに世界的な脳科学者の考えることは進んでいるなと感心して、これなら読んでみても面白そうだぞと期待して読んだのだが、期待はずれだった。
私が期待していたのは、なぜ人間には意識が生じるのか、物質活動に過ぎない脳の働きがなぜ物質的ではない意識というものになるのかということを解き明かしてくれるということだった。しかしこの著者は人間の意識がもつ数量化不可能な質感や、言葉のもつ根源的無意味性(言葉そのものにはなんら固有の意味はない、コンテクストの中で意味が生まれてくるものだから、言葉の意味を突き詰めて考えても、答えは出てこない)ということについての問題提起ばかりであった。