松田美智子『評伝三船敏郎』(文藝春秋、2014年)
三船敏郎って、私が子供の頃から大学生になるまで、そうあの時までは、なんかむさ苦しいおっさんという感じで、あまり好きではなかった。有名な俳優らしいけど、昔の遺産で生きているような、怠惰な感じがしていた。テレビドラマでみる、あの用心棒的な雰囲気そのままの俳優だと思っていたのだろう。
それを一変させたのが、大学2年だか3年のときに見た『七人の侍』だった。とくに映画に関心があったわけでもない。それまでに見た映画なんて、寅さんとか大学1年のときに流行ったブルース・リーくらいだったのだが、なぜかしら、黒澤明監督の作品として超有名くらいのことは知っていたみたい。
吹田の豊津にあった映画館の前を通りかかった時、たまたま『七人の侍』をやっていることを知った。なんせ4時間位ある大作である。2本分を1本分の料金で見れるというので見に行ったのだが、菊千代の三船にぶったまげた。若々しく、馬車馬のようで、活気みなぎる三船敏郎が、私の知っている、体が重たくてたまらん、みたいな中年の三船とあまりに違っていて、度肝を抜かれるとはこのことを言うのだろう。もちろん映画そのものの面白さもあって、本当に充実した一日だった。
『七人の侍』の三船が、私にはまるで何も知らない新人役者のように見えたのだが、実際には、すでに羅生門にもでて、世界的な名声を得た後のことで、黒澤明監督作品でも「酔いどれ天使」や「白痴」や「羅生門」にも出ていたわけだ。そう考えると、この役作りは、本当にすごいということが分かる。『羅生門』の盗賊にはすでにその片鱗があるとはいえ、農民のいいところも偽善的なところも、裏も表も知って、農民を憎悪しながら、武士にも反発し、それでも農民を助けるために命を賭ける菊千代の無様さをあますところなく体現している。
もちろんそれから私の三船を見る目は変わった。「羅生門」を見た時、三船に捕まえられた京マチ子を巡って、盗賊の三船と京マチ子の夫の森雅之が戦う場面での三船のあの独特の歩き方を見た時、一発でぴーんと来た。スピルバーグは『ジュラシック・パーク』でティラノサウルスに、この三船の歩き方を使っているな、と。とくに獲物を狙うときの歩き方がそうだ。ちょうど三船が森雅之を獲物みたいに狙うときの歩き方。
この本でもスピルバーグが『1941』を撮影するときに、日本軍の潜水艦館長として三船を起用したが、彼が館内に書かれた落書きをみて、日本の軍人はこんなことはしないとスピルバーグに言って作りなおさせたという話が書かれているが、きっとスピルバーグは三船を敬愛していたに違いない。
それと、アラン・ドロンが『レッド・サン』の撮影で三船と出会ってから、一発で三船を敬愛するようになって、後に『サムライ』という映画や同じく「サムライ」という香水を作ったというような話も書いてあるが、本当に、外国の有名な映画監督や映画俳優を前にして、まったく物おじしないで、堂々と渡り歩ける日本人俳優なんて、三船敏郎くらいだろうなと思う。
三船プロダクションの話や女関係の話や晩年の認知症の話なども書かれているが、存分に生きたのだから、本望だろう。ただファンとしては、黒澤明監督の息子が言っているように、東映の保管庫に眠っている三船出演作品をリマスターして、綺麗な状態で見れるようにすることが急務であり、また文化遺産としてもやるべきことではないかという話は、まったくそのとおりだと思う。
三船敏郎って、私が子供の頃から大学生になるまで、そうあの時までは、なんかむさ苦しいおっさんという感じで、あまり好きではなかった。有名な俳優らしいけど、昔の遺産で生きているような、怠惰な感じがしていた。テレビドラマでみる、あの用心棒的な雰囲気そのままの俳優だと思っていたのだろう。
それを一変させたのが、大学2年だか3年のときに見た『七人の侍』だった。とくに映画に関心があったわけでもない。それまでに見た映画なんて、寅さんとか大学1年のときに流行ったブルース・リーくらいだったのだが、なぜかしら、黒澤明監督の作品として超有名くらいのことは知っていたみたい。
吹田の豊津にあった映画館の前を通りかかった時、たまたま『七人の侍』をやっていることを知った。なんせ4時間位ある大作である。2本分を1本分の料金で見れるというので見に行ったのだが、菊千代の三船にぶったまげた。若々しく、馬車馬のようで、活気みなぎる三船敏郎が、私の知っている、体が重たくてたまらん、みたいな中年の三船とあまりに違っていて、度肝を抜かれるとはこのことを言うのだろう。もちろん映画そのものの面白さもあって、本当に充実した一日だった。
『七人の侍』の三船が、私にはまるで何も知らない新人役者のように見えたのだが、実際には、すでに羅生門にもでて、世界的な名声を得た後のことで、黒澤明監督作品でも「酔いどれ天使」や「白痴」や「羅生門」にも出ていたわけだ。そう考えると、この役作りは、本当にすごいということが分かる。『羅生門』の盗賊にはすでにその片鱗があるとはいえ、農民のいいところも偽善的なところも、裏も表も知って、農民を憎悪しながら、武士にも反発し、それでも農民を助けるために命を賭ける菊千代の無様さをあますところなく体現している。
もちろんそれから私の三船を見る目は変わった。「羅生門」を見た時、三船に捕まえられた京マチ子を巡って、盗賊の三船と京マチ子の夫の森雅之が戦う場面での三船のあの独特の歩き方を見た時、一発でぴーんと来た。スピルバーグは『ジュラシック・パーク』でティラノサウルスに、この三船の歩き方を使っているな、と。とくに獲物を狙うときの歩き方がそうだ。ちょうど三船が森雅之を獲物みたいに狙うときの歩き方。
この本でもスピルバーグが『1941』を撮影するときに、日本軍の潜水艦館長として三船を起用したが、彼が館内に書かれた落書きをみて、日本の軍人はこんなことはしないとスピルバーグに言って作りなおさせたという話が書かれているが、きっとスピルバーグは三船を敬愛していたに違いない。
それと、アラン・ドロンが『レッド・サン』の撮影で三船と出会ってから、一発で三船を敬愛するようになって、後に『サムライ』という映画や同じく「サムライ」という香水を作ったというような話も書いてあるが、本当に、外国の有名な映画監督や映画俳優を前にして、まったく物おじしないで、堂々と渡り歩ける日本人俳優なんて、三船敏郎くらいだろうなと思う。
三船プロダクションの話や女関係の話や晩年の認知症の話なども書かれているが、存分に生きたのだから、本望だろう。ただファンとしては、黒澤明監督の息子が言っているように、東映の保管庫に眠っている三船出演作品をリマスターして、綺麗な状態で見れるようにすることが急務であり、また文化遺産としてもやるべきことではないかという話は、まったくそのとおりだと思う。