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『教育現場は困ってる』

2020年09月05日 | 評論
榎本博明『教育現場は困ってる』(平凡社新書、2020年)

文部科学省が舵取りをして始まっている実学志向の最近の教育が薄っぺらな大人を作ることにしかなっておらず、決して学力向上につながっていないことを指摘した、たいへん興味深い本だ。

受験勉強でも大学の授業でも、とにかく詰め込み教育の弊害が主張されて久しい。それへの反動からか、最近はアクティブ・ラーニングだとかキャリアデザインだとかといった、学生や生徒に主体的に授業に参加させようという試みが提唱され、実際に教育現場で行われている。

そういえば、大学の外国語の授業でも、ここ数年のあいだにアクティブ・ラーニングという言葉を聞くようになった。昨年の年度初めの説明会でも、英語の教員が、これから大学に入ってくる学生のほとんどが高校までにアクティブ・ラーニングの授業で育っているので、と言って、アクティブ・ラーニングを前提にした授業を行うように、と指示していたのを、これを読みながら思い出した。

フランス語の場合はすでにだいぶ前から「アクティブ・ラーニング」という言葉こそ使われなかったが、例えば日本語をまったく使用しない授業の組み立て方や、シチュエーションを明確にした上での表現の練習など、それっぽい授業が主流になっているように思われる。だから大学によって、古典的な、文法と読本という二本立ての授業の組み立て方の大学と、アクティブ・ラーニング的な表現を主体にした授業の組み立て方の大学に分かれているように思う。

だが、フランス語などはあれこれ言っても教養の外国語で、人生に必須なものではないからいいが、小中高の教育は人間形成にかかせない教育である。そこでどんな教育が行われるかどうかは、非常に大事な問題であり、もしこの本が指摘しているような人間が形成されるのなら、教育行政がまったく間違った方向に進んでいると言わざるを得ない。

私がとくに驚いたのはキャリアデザインとかいうもので、自分が今後どんなキャリアを進んでいくのか(いきたいのか)を5年先、10年先まで作らせるというものだ。そこに基準となるのは自分が好きなことを第一にして組みてていくということらしいが、多くの学生の場合自分の好きなことが見つからなくて、キャリアデザインを描くことができなくて、就職を止めてしまうとか、先に進めなくなってしまうということが起きているらしい。

それだけではなくて、彼らにはそもそも未来なんか自分で思い描いたとおりにはならないという意識はないから、自分が予定していたものと違う結果になったらまったくお手上げ状態になるらしい。彼らには与えられた場所やとりあえず決まった場所で努力をしてみるという発想にならない。

よく成功したアスリートや起業家などが「夢は叶う」というようなことを言ったり書いたりするのをよく見るが、これはこうしたキャリアデザインの流行に乗った発言なんだなと、これを読んでよくわかった。

現実には大多数の人は、どんな人生になるのかわからない。思い通りになったとしてもそれは意思の問題でも能力の問題でもない。そういうことを個人が勝手に思い描くならいざしらず、教育として教える、強制するというのは、本当に重要な問題だというのが著者の意見だ。

この本を読んでいると、今の教育行政の歪んだ方向性をいくら現場が指摘してもまったく変わらないという現状のようにあり、私にはそれはいくらPCR検査を増やせ、医療機関や医療関係者に厚い財政補償をと言っても、のれんに腕押しで、まったく何も変化しない今の厚生労働省の方針と同じだなと思えて、やりきれなくなる。

『教育現場は困ってる:薄っぺらな大人をつくる実学志向 』(平凡社新書)へはこちら



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