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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

乙武さんの差別用語ネタ

2011年08月28日 | 日記
週刊新潮(23.9.1号)に乙武洋匡さん(32)が“なぜ僕は自分を「カタワ」と呼ぶのかー障害を笑えてこそ「真のバリアフリー」”が掲載されていました。

乙武さんの意見を、記事の中から拾ってみます。

「障害者」の「障」は差し障りがあるという意味だからと、「しようがい者」と書くようにる、みんなが障害ある人に対して差別意識を持っている以上、どんな言葉を使っても。差別語”と言われます。字面を変えても本質を変えなければ意味がない。そう訴えたくて、あえてカタワのような強い言葉を使うのです。カタワを「使っていこう」とい、うのでも「使うのをやめよう」というのでもなく、「障害者にこういう言葉を使うのをやめよう」と規制することの是非を考えていただきたくて。

…カタワから「障害者」「障がい者」「しようがい者」と改められていく中で、障害のある人が一律に、腫れ物のような存在になってしまうのが怖い。不自然にひらがなを並べないと傷つけてしまうんじやないか、と思われるのが怖いのです。

目の前にいる相手がどんな言葉を嫌がり、どんな言葉なら平気か考えてほしい。こういう人たちはこうだとひとくくりに決めるのではなく、一人ひとりが能動的に考えるべきです。

 …臭いものにはフタではないが、きれいな言葉を被せれば、もう考えないで済むことになるのが、僕は一番怖いと思っています。(以上)

人種差別や差別など、被差別者側からの意見が多い中にあって、障害者差別は、被差別者の側からの意見が以外と少ない。その意味でも乙武さんの意見は貴重です。

また私自身、一人一人の障害者に向き合うことなく、言葉の問題で済ましている感があります。

ネットに「http://geinoentamekyo.seesaa.net/article/203520898.html」に“ツイッターで「手足のないゴミ」呼ばわりされ大論争、生まれつき手足がない身体に生まれ、その障がいをネタにして笑いをとる乙武さんに噛み付いた一般ユーザーの言い分とは”というやり取りが掲載されていました。

乙武さんもご自身では「カタワ」という言葉を使っておられますが、意図して使っているということであり、自分以外の人を差別的な表現で呼んで欲しくないというのは当然の思いでしょう。

乙武さんの差別用語ネタを聴いた読者は、ご自身で差別用語を使っておりながら、自分はまだしも自分以外の障害者には使って欲しくないという思いを忖度してしまい、なにかしっくりとしない落ち着かなさを感じてしまうのだと思います。

どちらにしても自分の思いを披歴して、語りあうことは重要であり、勇気のいることです。
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