最近、「南無阿弥陀仏」と書くときに「南无」と表記することが多い。親鸞聖人は、「南无」と表記していたからです。まず文字の校異について、
「无」と「無」ですが、『蓮如上人御一代記聞書』第24条にて触れられています。
一、のたまはく、「南无」の字は聖人(親鸞)の御流義にかぎりてあそばしけり。「南无阿弥陀仏」を泥にて写させられて、御座敷に掛けさせられて仰せられけるは、不可思議光仏、無碍光仏もこの南無阿弥陀仏をほめたまふ徳号なり、しかれば南無阿弥陀仏を本とすべしと仰せられ候ふなり。
しかし蓮如上人は、楷書以外は「南無」で認められています。本願寺派は、聖典すべてが南無阿弥陀仏で「南无」で検索しても出てきません。本願寺派も、お代替わりで「南无」に統一してくれればと思います。
「无」と「無」ですが、『蓮如上人御一代記聞書』第24条にて触れられています。
一、のたまはく、「南无」の字は聖人(親鸞)の御流義にかぎりてあそばしけり。「南无阿弥陀仏」を泥にて写させられて、御座敷に掛けさせられて仰せられけるは、不可思議光仏、無碍光仏もこの南無阿弥陀仏をほめたまふ徳号なり、しかれば南無阿弥陀仏を本とすべしと仰せられ候ふなり。
しかし蓮如上人は、楷書以外は「南無」で認められています。本願寺派は、聖典すべてが南無阿弥陀仏で「南无」で検索しても出てきません。本願寺派も、お代替わりで「南无」に統一してくれればと思います。
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