『日本人無宗教説 ――その歴史から見えるもの』(2023/5/18・藤原聖子編集)、
この本は、「日本人=無宗教」という言説、あるいはその否定言説、が時代ごとにどのように語られてきたのか、を掘り起こそうとする本で、いままでの無宗教研究をまとめ、
また明治-現代まで無宗教がどう語られてきたのかがしるされています。
話のタネになる、下記の点だけ転載します。
おかしくもわびしい無宗教川柳
新聞には一般読者からの短歌や俳句の投稿コーナーが常設されている。なかでも、無宗教。あるあるネタ”が「無宗教」「無神論」の語とともに現れているのは川柳の欄である。
本堂のツリーまばゆい保育園(短評「無宗教」)(朝日 2005.12.13)
無宗教ならばこの世は平和かも(毎日 2006.1.17)
無神論なんと倥しい声ですね(朝日 2006.9.20)
病気して少し揺れてる無神論(毎回 2008.12.2)
無宗教宝くじには手を合わせ(毎日 2010.3.8)
経の中 無神論者の棺が行く(毎日 2010.3.29)
海外で無宗教とは言えなくて(毎日 2012.4.13)
孫病んで無神論者が手を合わせ(毎日 2012.6.16)
祖は祭るけれど宗教心はない(毎日 2012.11.19)
無神論されど他人を傷つけぬ(読売 2013.2.9)
宗教と思っていない初詣(毎日 2018.1.1)
ペンネームを見る限り、投稿者はすべて違う人物だが一定の傾向がある。日本人が外国と比べて無宗教であること、しかし宗教的な慰霊や年中行事には参加すること、困ったときには神頼みをすることを自嘲気味におもしろおかしく描き、読者の共感を誘っている。これらの無宗教川柳からは、本書で見てきた日本人無宗教説の諸相が一般に浸透していること、それも五七五の中で意味や情感を喚起できるほどのパワーワードになっていることが窺われる。このような投稿欄が主に高齢者のコミュニケーション.ツールになっているという限定かあるかもしれないが。
(以上)
「無宗教宝くじには手を合わせ」が愉快です。
この本は、「日本人=無宗教」という言説、あるいはその否定言説、が時代ごとにどのように語られてきたのか、を掘り起こそうとする本で、いままでの無宗教研究をまとめ、
また明治-現代まで無宗教がどう語られてきたのかがしるされています。
話のタネになる、下記の点だけ転載します。
おかしくもわびしい無宗教川柳
新聞には一般読者からの短歌や俳句の投稿コーナーが常設されている。なかでも、無宗教。あるあるネタ”が「無宗教」「無神論」の語とともに現れているのは川柳の欄である。
本堂のツリーまばゆい保育園(短評「無宗教」)(朝日 2005.12.13)
無宗教ならばこの世は平和かも(毎日 2006.1.17)
無神論なんと倥しい声ですね(朝日 2006.9.20)
病気して少し揺れてる無神論(毎回 2008.12.2)
無宗教宝くじには手を合わせ(毎日 2010.3.8)
経の中 無神論者の棺が行く(毎日 2010.3.29)
海外で無宗教とは言えなくて(毎日 2012.4.13)
孫病んで無神論者が手を合わせ(毎日 2012.6.16)
祖は祭るけれど宗教心はない(毎日 2012.11.19)
無神論されど他人を傷つけぬ(読売 2013.2.9)
宗教と思っていない初詣(毎日 2018.1.1)
ペンネームを見る限り、投稿者はすべて違う人物だが一定の傾向がある。日本人が外国と比べて無宗教であること、しかし宗教的な慰霊や年中行事には参加すること、困ったときには神頼みをすることを自嘲気味におもしろおかしく描き、読者の共感を誘っている。これらの無宗教川柳からは、本書で見てきた日本人無宗教説の諸相が一般に浸透していること、それも五七五の中で意味や情感を喚起できるほどのパワーワードになっていることが窺われる。このような投稿欄が主に高齢者のコミュニケーション.ツールになっているという限定かあるかもしれないが。
(以上)
「無宗教宝くじには手を合わせ」が愉快です。