仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

なぜ日本人は世間と寝たがるのか③

2022年04月17日 | 現代の病理

『なぜ日本人は世間と寝たがるのか: 空気を読む家族』(2020/11/10・佐藤直樹著)の続きです。

 

妻をなぜ「ママ」とよぶのか

私の印象だと、大恋愛の末に結ばれた夫婦でも、男と女の関係は二、三年しか続かないことが多い。

じっさいに[図2]の人口動態調査をみると、二〇一一年で、五年未満で離婚しているものの割合が三四・八パーセントで他の年数に比べるともっとも多い。離婚までいたらなくとも、なぜか日本の〈夫-妻〉の関係は、あっという間に男と女の関係が終わっても、その後、別なものに変質するとしか思えないのである。

 

 

これは、日本の家族の中心に、〈人-妻〉という水平的な平等の関係が存在するのではなく、〈夫―妻〉の間でさえも、〈親―子〉という垂直的な上下関係が貫かれていることを意味している。桜井のいうように、夫婦がお互いに名前で呼ぶことは、「互いを上下というタテの関係よりも対等なヨコの関係であらわすことであると同時に、集団の言貝というより個と個の関係を表現するという色合いが強い」わけだから、「お父さん」「お母さん」とよび合うことは、〈夫-妻〉が個人と個人の関係でもないことを示していることになる。

 つまり日本の家族には、近代家族の前提である、個人と個人の関係としての〈夫―妻〉が存在しないことになる。なぜそうなるかといえば、「愛情原理」で結ばれているとすれば、愛情がなくなれば関係は簡単に終了する。つまり関係はきわめて不安定である。しかし、〈親―子〉関係となれば、愛情がなくなったからといって、簡単に終了するわけではない。この点できわめて安定的であるといえるからだ。

 桜井はここで「家族の集団幻想」といっているが、これは、すでにのべたように、家族という[公]にたいして、「私」である家族の構成員が奉仕するという構造で、家族が共同幻想〉として機能していることを示している。

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