仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

私の毋

2022年03月23日 | 日記

第43回少年の主張全国大会 ~わたしの主張2021~」(独立行政法人 国立青少年教育振興機構)

 

国立青少年教育振興機構努力賞受賞

 

私の毋

栃木県 鹿沼市立東中学校 3年

石田 真愛

 

「まいちゃんのママって日本人じゃないんだ」一言でした。小学5年生のとき、友達に言われたその一言で、私かずっと母に感じていた違和感が確かなものになりました。その言葉は今でもはっきりと覚えています。

 私の母は中国人です。だから日本での常識を知りません。例えば、赤信号なのに車が来ないからと言って信号を無視して渡ってしまったり、電車の中で他の乗客がいるのにも関わらず、大きい声で電話をしたり。「日本人ならば絶対にそんなことはしない。」と気が付いたのは小学3年生でした。母が「非常識な中国人」だと思われたくなくて、学校での行事や集まりがあるたびに、父に「学校に来てほしい。」と頼んでいました。しかし、「バレたくない。」という私の思いは届かず、その友達から情報が広かっていき、いつの間にか、私の母が中国人であることはみんなに知られていました。毎日「中国語喋ってよ」と面白半分で言われました。「なんで? なんで、なんで、なんで!? 親が外国人っでそんなに面白い?」知らない人に話しかけられることが苦手たった私は、興味本位で話しかけてくる人も苦手でした。そんな日常が嫌になりました。「こうなったのは母が中国人のせいだ。」と決めつけ、母がどんどん嫌いになりました。「母が日本人だったら。」と考えるようになり、「嫌い」という負の感情と比例して、母との会話が少なくなりました。そして中学1年生になる頃には「ただいま」も「おかえり」も言わなくなっていました。

 しかし、中学生になって最初の部活動のときでした。「私のお母さんは中国人だけど、私は中国語を話せないので、もっと勉強して、母と中国語で話せるようになりたいです。」中国、母、勉強した。自分と同じ学年で同じ部活動に所属していて、背格好も同じくらいの目の前の女の子の自己紹介の内容に驚きを隠せませんでした。「同じだ。」と思いました。しかし、一つ、決定的に違うことがありました。彼女は自分の母をとても尊敬していたのです。それに比べて私は、中国語を話せるのに、そのことを「恥ずかしい」と思い、自分の個性を否定し、自分の心を閉ざしていました。中国語を勉強したいという人もたくさんいるのに、中国語を話せる私はどんなに恵まれているかということに気が付きました。その瞬間、自分に対して猛烈な怒りを感じました。「母が外国人だっていいじゃないか。」何人であろうと私の母であることに違いはありません。だけど私は母を認めようとしませんでした。あの友達の一言で、私は何も受け入れない、理解しようとしない人間になっていたのです。

 少しずつ母との会話が増え、以前のような明るい家族に戻り始めたとき、新型コロナウイルスが世界中に広かっていました。コロナウイルスについてのテレビの報道を目にするたびに「日本って緩いんじゃないの。中国なんて14億人も人がいるのに最近、感染者は更新してないよ。」と言います。確かに、中国の完璧な感染対策はとても尊敬します。だからと言って日本のやり方が間違っているとは思いません。もし、小学5年生の私か母のこの言葉を聞いていたら、きっと強く反発したと思います。ところが今は、母の言葉を冷静に受けとめ、両方の立ち場に立って考えるようになったのです。そのことに気が付き、自分の将来について考えるようになりました。

 グローバル化か進む今、「通訳とかがいいと思うな。」と、よく母に言われます。しかし、グローバル化と同じくらい情報化も進んでいます。通訳もAIが行う時代です。そこで私は「AIを造る側になればいいのではないか。」と、思いました。自分のようにそれぞれの国の人々の思いを理解し、伝えることができる、温かみのあるAIの開発に携わり、私は日本と世界をつなぐかけ橋になります。AIをローマ字読みすると「アイ」となるように、私は「アイ」のあるAIを造ります。

 母を恥ずかしいと思っていた私はもういません。今、ここにいるのは、母を心から尊敬し、過去の出来事を未来につなぐ石田真愛です。(以上)

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