仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

違う軸を持っている宗教者

2017年08月14日 | 都市開教
本14.15日(29.8月)は、当寺のお盆法要、今年は11日が休みで12日が土曜日だったので、お盆の外勤、11.12日にばらけで、ほとんど昨日で終わりました。

『全仏』(NO631・17.8月)に、全葬連の専務理事である松本勇輝氏が、消費者からの電話相談で見えてくることを語っていました。気になるところだけを抜粋して転載します。


電話相談は平成28年4月から平成29年3月では、1960件の相談がありました。相談日数(相談を受けた日数)で割ると、一日の平均相談日数は八件になります。この件数が多いかどうかはわかりませんが、一般の方が葬祭に関する様々な事柄を聞きたいことの表れではあると思います。相談内容は葬儀・お墓・仏事作法を中心に、寺院や僧侶に対する相談もあります。


…寺院や僧侶に関する相談もありますが、件数が突出して多いわけではありません。「お布施の金額が不明瞭でわかりにくいから目安がほしい」「戒名等について金額を指定されるが、定めるものではないはずでは」というお布施にまつわるものと『僧侶が葬式にきて、故人について遺族とは話さず、お経だけを読んですぐに帰ってしまった」などの、僧侶の対応についての相談があります。

一般の方の意識が多様化したため、地域や家の葬儀から、故人や家族を中心とした、いわゆる家族葬に大きく変容してきたことはご承知のことかと思います。直葬や散骨や樹木葬など、慣習にとらわれない形態も、意識の変化から出てきたものでしょう。
 しかしながら、ほとんどの葬儀は宗教的儀礼を中心として執行されており、地域の慣習やしきたりが根強く残っていることも事実です。新しい形態がクローズアップされますが、変化する部分とは別に、丁寧に弔いたいという思いは一般の方に変わらず残っているのが実感です。それは僧侶が丁寧に故人を弔ってきた歴史があるからだと思います。

私が思うよい葬儀とは、亡くなった方の思いを、遺族を通して表現できるものだと思います。感勵する葬儀が必ずしもよい葬儀ではなく、集った方が故人の人生を看取りながら、それぞれの人生を歩んでいくきっかけになる場が大切です。
 そのためには、経済的な理論だけでなく、人のありようを伝える宗教者が葬儀にいることは大変意義があると思います。社会に生きながら違う軸を持っている宗教者のしぐさや言葉は、宗教者の皆様が思っているよりも重要なことかと感じます。(以上)

感想としては、お布施の金額一つをとっても価値観が多様化しているので、これが正しいと言えない時代です。「社会に生きながら違う軸を持っている宗教者」、この指摘は重要でしょう。
コメント
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