仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

慈悲とは共感力

2013年08月22日 | 浄土真宗とは?
如来の慈悲とは、すべてのいのちに共感していける心のことです。この共感力について昨日紹介した『まねが育むヒトの心』に興味ある記述があります。以下転載です。

 他者に共感する動物は、ヒトだけではありません。サルやチンパンジー、イルカやラットなども他個体の感情を敏感に察し、反応します。しかし、見落とされがちな大事な点があります。ヒト以外の動物がみせる共感の大半は、他個体の不快な感情、たとえば、恐れ、怒り、成嚇ごとに限定されていることです。他個体の不快さをすばやく感じ取ることがでされば、これからわが身に起こる危険を事前に回避することができます。多くの動物が他の個体の不快な感情に敏感なのは、自分白身の生存をかけた重要な意義があったからだと考えられます。
 それに対し、ヒトが共感するのは他人の不快な感情しとどまりません。快の感情、心地よい感情、他人の喜びやうれしさまでをも共有する、特別な共感力をもっています。(以上)

本を読みながら「へー、そうなんだ」と感心しました。またこの共感する力には、安心を共感するという状況があるようです。アメリカの心理学者、J・キャンポスたちによる研究成果だそうです。

赤ちゃんがハイハイしている先に、下が崖になっている上に透明なガラスを引いておきます。赤ちゃんにとっては、落ちてしまわないかと恐怖を感じる場所です。もちろん、ガラスは丈夫なので赤ちゃんが床に転がり落ちることはありません。
次に母親には透明なガラスの向こう側に立ちます。赤ちゃんが母親のもとへ行くには、透明なガラス部分を渡りきらなければなりません。視覚的断岸を感じる赤ちゃんはガラス部分を渡ることをためらい、母親の顔色をうかがいます。その時、もし母親がにっこり微笑んで優しい声をかければ、渡っても大丈夫だよというメッセージとして受けとめられ、母親の顔や声が恐怖と緊張でこわばっていたら、渡ことをためらうのだそうです。

本から抜粋してみましょう。


生後12力月の赤ちゃんの74%は、母親が岸の向こうで安心のシグナルを示した時に崖を渡りました。しかし、母親が恐怖心のシグナルを示した時には、誰一人崖を渡らなかったのです。この時期のヒトの赤ちゃんは、他者の感情をモニターし、それを利用して自分の行動を調整し始めているといえます。(以上)

人は安心にも共感することができるという点が、真宗の阿弥陀如来にすべてをゆだねて人生の苦界を渡たりきることができるということ点と重なり、阿弥陀さまの「大丈夫だから」との教えが有り難く思われました。
コメント
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