仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

拙著の書評①

2013年08月18日 | 日記
時間がないこともあって、古い記事になりますが、拙著の書評を幾編か紹介します。

「世界日報ウエブサービス」
http://www.worldtimes.co.jp/sis/total.html

苦しみは成長のとびら

西原 祐治著

成長できるから試練を与えた
 著者は千葉県柏市にある浄土真宗の寺の住職で、本職のかたわら「がん患者・家族語らいの会」や仏教系のホスピス「東京ビハーラ」などの活動を精力的に行っている。本書は、そこから生まれたエッセーをまとめたもの。
 2年余りの看病の末、夫を見送った50代の女性が、遺品の整理で夫の不倫を知り、しかも相手が彼女の友人の女性だったことから、全てがむなしくなり、著者に相談してきた。
 著者は「あなたが人を信じる心を取り戻す道があるとしたら、愚かなご主人を許すことにおいてしかない」と諭す。そのためには、信頼できる人に胸の内を打ち明け、自分の心を直視するよう勧める。すると、夫と同じような自分の愚かさ、醜さが見えてくる、と。
 母の死後に父が再婚。生母の思い出が詰まっている家に他人が住み、父と夫婦生活を楽しんでいるのが悔しいという40代の主婦には、「そんなことはあってはならないとの思いで他人と対立したことがあるのでは」と語りかける。「正しさは、ときには人を傷つける」として、思いの内側にある「自分を絶対とする意識」に気持ちを向けさせる。
 新しい母は彼女の心を映す鏡かもしれず、すぐには解決できないが、和解する方向に「質の高い成長があるように思われます」と言う。普通の言葉で答え、「せっかくご縁を頂いた方ですから、お互いに尊敬し合える関係を築いてください」というくだりが、少しだけ仏教的だ。それは、熱心な布教使の話に、時折「念仏者の傲慢を感じる」ことがあるからだろう。
 近代ホスピスを提唱したシシリー・ソンダースは、「人は苦悩のなかでも、その現実を受け入れ、成長する心のしなやかさを持っている」と言う。その姿勢は、阿弥陀仏の救いに一切を委ねる、真宗の他力に似ている。キリスト教的に言えば、神の試練だろう。私が成長できることをご存じだから、この試練に遭わせられたのだ、と。

高嶋 久
(本紙掲載:2012.6月10日)
コメント
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