仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

幸せと感じたことがない

2010年01月13日 | 人生案内
一昨日(22.1.11)の産経新聞「人生案内」(相談コーナー)「幸せと感じたことがない」という見出しでした。以下、ネット記事からの転載です。

 20代の会社員女性。今まで幸せと感じたことがありません。ずっと不幸です。名前の画数さえ大凶です。
 小さい頃は闘病のため好きな食べ物は禁止でした。いじめにも遭いました。大人になってからも父が借金を残して出て行き、家族を扶養しなければならなくなりました。最初に就職した会社では体調を崩すほど嫌な部署に配属され、人間関係も最悪でした。限界を感じ1年でやめました。今の会社も将来性はありません。しかしこの不景気、ほかに仕事もありません。
 友人たちは病気もせず職場にも恵まれています。どうして私ばかりこんな目に遭うのか。「すごい不幸だね」と言われます。毎日将来の不安を感じています。いつかは幸せにと願い続けてきましたが、選択するたびに悪い方向に行くのです。どう生きていけばよいのでしょう。(大阪・A子)

 確かに大変なご苦労を重ねておられる。それでも健気(けなげ)に頑張ってきたあなたに心から応援のエールを送りたいです。ご質問は「不幸な運命の中でどう生きるべきか?」というものですが、これは大げさに言えば、人類の一大テーマ。古今東西の哲学者が考え続け、文学の主題にもなっています。
 もちろん、「正解はこうです!」と発表できるようなものでもありませんが、「幸福か不幸かが問題ではない。とにかく生きることに人間の価値あり」という意見が多いようです。もっと積極的に「苦労するほど人格が磨かれて、人間として完成される」という見解もあります。これはどちらかと言うと西欧的価値観ですかね。東洋的には「災難は災難として受けるべし。それもまた良きかな」という諦観(ていかん)ですか……。
 ここまで読んで、私は答えを出せず、他人の意見を紹介して逃げようとしていると思われたかもしれません。ただ、「自分は不幸だな」と思った時に、へ理屈でも良い、気休めでも良い、私は右に述べたような先人の結論を思い出すようにしています。すると不思議に勇気が出ます。この方法があなたにとっても、前向きに生きるきっかけになると良いのですが。
 (野村 総一郎・精神科医)
(2010年1月11日 読売新聞)

朝のウオーキング中に思ったことですが、こうした質問のおもしろいと思うのは、答える側が「あなたはどういう考えを持っていますか」と問われているということです。問いに答えという形式で、自分の価値観や考え方が明らかになります。こう考えると、答える側の考え方に興味が出てきます。

上記の精神科医の方は、なんとかこの方の役に立ちたいという思い、それとこうした問いには答えがなく、自らが生き方としてそれを見出していかなければならないという考え方を持っておられるようです。

私ならばどのような思いを返せるのか。また試みてみます。

お小さいときから「どうして私ばかりこんな目に遭うのか」という苦労の連続、よくめげないで現在まで来られましたね。大変だったでしょう。それに親の失敗まで背負って。あなたの質問に昨日ぼんやりと接して、さっきしっかりと活字を追いました。読み返して「あれっ」と思ったことは「20代の会社員女性」とあったことです。無意識に読んだときの印象は30代、40代の方という勝手な思い違いがあったからです。そう思わせたのは、きっとあなたの背負っている重荷の重さが伝わってきたのかもしれません。

いまあなたは「どう生きていけばよいのでしょう」という問いを持たれた。それは大きな意味のあることだと思います。恵まれない境遇の中で小手先の自由裁量ではどうにもならないという苦悩が、「どう生きればよいか」というより深く大きな考え方を求める方向へ向かわせたようです。

「どう生きればよいか」という問い。これはあなたの中に新しい方向への願いが生まれてきた問いであることにお気づきでしょうか。恐らく今までは「思い通りにならない」現実の中で、どうしたら思い通りになるかと過してこられたのではないでしょうか。ところが「どう生きればいいのか」という問いは、「思い通りにしたい」という社会へ向かった問いではなく、自分自身へ眼差しが向いています。

私の思いはそれくらいにして、あなたのことです。まず対処療法的に「思い通りにならない」現実の中で、生き方の基準を思い通りになるか、ならないかというプラスマイナス指向ではなく、今現実に起きていることは自分にとってどんな意味があるのかと、嫌なこととあっても積極的に意味を見出すようにすることをお勧めします。嫌な現実を敬遠せず積極的に関わることです。

それと少し長い目で見て。嫌な現実のなかで、何を嫌だと思っているのかと自分の思いの中にある、自分自身に触れていってください。「自分はこんなことを感じていたんだ」と自分自身が好きになるか、あるいは自分の身勝手さが明らかになって、その私に注がれている愛情が見えてくるか、わかりませんが、きっとかけがえのない自分に出会うはずです。

そしてもっと長い目で見ると、「どう生きていけばよいか」という問いを深めていって、この世に生まれたことの意味や、生きる意味ってなんだろうという問い、すなわち人としての質的な深まりに関心を持ってください。もしその問いへの回答が見いだせたら、その答えはあなたお一人の幸福にとどまらず、大勢の人に幸せを与えることのできる、素晴らしいものであることでしょう。
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