第1巻「貧しき人々の群れ」「日本残酷物語1~貧しき人々のむれ」 - アンティマキのいいかげん田舎暮らし (goo.ne.jp)につづく2巻めは、離島、へき地、北海道など、開発の遅れた土地や開拓の始まった頃の土地に住む人々の、想像を絶する苦労の記録になっています。
「離島、マタギ・木地屋などの住みなす山間の地、「新天地」北海道など、かつて粗かった交通・通信の網の目をこぼれ落ちた地域が、列島中に散在していた。そこには、過酷な自然を相手に黙々と闘う人々の暮らしがあった」
島だからといって漁業が盛んなわけではない。港湾の整備がなされていない島では、船の離発着ができないから島の発展は望めない。故郷で食い詰めて島に移住したある男性は、整備に力を尽くし、小学校の設立にも寄与した。でも、島ではよそ者に土地は譲ってもらえず、朝鮮で田畑を買うことができてやっと食うための道が見つけられたと思ったら、結局敗戦で無一物に。島に戻りあばら家で妻と二人で暮らしている。
「みんなよう働き、苦労をして、しかも妻子にも手を取られずに死んだ者が多うござりました。わしゃァ、そいつらの冷とうなってゆく手を何百というほどにぎりました。こんどはわしが手を握られる番でありますが、わしにしてもじぶんらのことを聞いてくれるお人があるとは夢にも思いませなんだ。けれど、話しておるうちに、やっぱり聞いてもらいたかったんだなァということに気付いたのでござります。それでのうて、どうしてこんな書きつけやら証文やらしもうておきましたかのう」
「やっぱり聞いてもらいたかったんだなァ」のくだりに、胸を打たれました。
ある山村では、村の若者の楽しみは、みんなで山に薪取りに行って、そこで肌脱ぎになってお互いのからだに住み着いている虱を取り合うことだった、といいます。男女入り乱れて、虱取りという名目でのいちゃつきが、つかのまの慰安のひとときだったのです。「どぶろく飲んでみんなとしゃべる、楽しみといえばそれだけだったな」といった古老も登場。
山のへき地では、交通が途絶えて塩の供給がなくなると、囲炉裏端に敷いてあるござを刻んで干して、干し柿と混ぜて塩分補給していたという壮絶な話も。「若い嫁の座っていたござはとりわけうまい」(!)という冗談のような話も載っています。
1巻目同様、つい70~80年前ころ前までの日本の、片隅に追いやられた人々の暮らしがいかに過酷なものだったか、ひしひしと伝わる記録集です。さて、3巻目は「鎖国の悲劇」。続いて読もうかどうしようか、思案中です。