いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

教訓としての交通事故。 precepts of a traffic accident

2012-04-23 19:39:04 | 日記
 (1)重機車両が朝の通学中の子どもの列に突っ込む痛ましい事故、猛速度で古都の側道を突っ走り車に衝突を繰り返しながら繁華街の交差点に突っ込み次々と人をはねる無謀事故。ともに因果関係は不明だが、運転者には持病があって薬を服用し、または治療をしていた。

 交差点でそのまま反対車線に進入して対向車と衝突したり、反対車線を気付かずに走行して対向車と衝突するなど、今朝は無免許運転の未成年者が一晩中ドライブをして朝の通学中の子どもの列にノンブレーキで突っ込む事故などは論外の出来事だが、論外では済まされない人命にかかわる近年の目に余る理不尽で(unreasonable)凄惨な自動車運転事故(traffic accident)が続く。

 無免許運転者の事故の場合、盗難車を勝手に運転しない限り周囲の関係者(親族を含む)の配慮、注意、関心、教育、相談不足が原因なのはあきらかで、また事故、事件に直結する盗難車対策も所有者の自己責任、社会的責任の度合いも大きい。

 (2)自動車運転は18才以上の高校教育程度を終えて分別も常識もわきまえた(はずの)年令に達したと判断して、所定の課程修了者に試験の結果「免許」を与える許認可制度だ。過失を犯せば通常よりも重い刑事罰の「業務上」過失責任が問われて重い責任だ。

 理不尽で凄惨な交通事故の撲滅には、まず①運転免許の「業務上」の責任性、意味の周知方法に工夫が必要だ。一時期は、運転免許の「ひとつ」ぐらいは持っていて当たり前のファッション感覚の風潮があって、その時流に乗って安易な免許者生産の教習所でも高度の運転技術力修得よりは、まずは合格基準点のクリア目的が前面に出たコースだ。

 ほとんどが実技試験免除の法規(筆記)試験結果による合格判定に問題がある。実技(試験)は個人個別指導が行き届いて、人格判断、指導も可能でもっと重要視すべきだ。

 ②運転に支障のある持病対策はやはり必要だ。申告制ではまず安全対応できないのは、「自分だけは」の自意識過剰が人間の性(さが)で致し方ないが、制度で安全対応すべきだ。
 免許取得に「健康診断(書)」を義務付ける。因果関係は別にしても、持病発生による人身損傷の可能性が医学的にある以上、別に適当な判断方法がない以上は「健康診断(書)」と「医師の判断」は必要だ。実効性と合わせて、それ以上にその「意味」に意義がある。

 残念ながら、持病者差別という良識論以上に、自己制御の効かない時もある凶器としての車の運転には自ら積極的に安全を立証する責任もある。

 ③事故の分析、検証、究明、教訓による安全情報開示だ。警察は事故の現場検証には熱心だが、肝心の事故が起きた原因究明、統計、分析、検証、情報開示、対策強化はほとんどお目にかかったことがない。

 交通標識の表示方法に問題、改善、見直しはないのか(わかりにくい、理解に苦しむものもけっこうある)、交通ルール、約束事の安全精度は高いのか、道路環境が安全走行に適しているのか、事故ごとに分析、検証、究明し、情報を「傾向」ごとに集積して開示することが必要だ。

 たとえば無免許運転のケースの家庭環境、社会環境、人間関係・環境ごとに統計上の傾向はあるはずだ。社会が家庭が安全責任から逃れることのない共同責任を自覚する情報開示だ。
 交通事故撲滅の教訓化(precepts style)だ。

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