いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

私的な財津和夫論。(3) private essay about k. zaitsu

2010-12-06 19:32:08 | 日記
 「私的な財津和夫論」の第3回目は、ルーツ(roots)です。
 3 ルーツ(roots)
 (1)財津和夫さんの両親は熊本の出身です。熊本は城下町で、関東の幕府政権に対抗する
地方の一大勢力基盤となった薩摩藩の鹿児島に近く武士道文化が根付いていて、市内には
護国神社も目につきその先入観もあって質実剛健の肝っ玉のすわった、厳(おごそ)かな武士
道気風、思想が街の空気に感じられる。
 また、鎖国江戸時代の唯一の外国貿易窓口の長崎にも近く、キリシタン文化も一部勢力に
定着して宗教思想文化も混在していたところだ。

 財津さんは5人兄弟の5男として福岡で生まれた。九州の玄関口としての福岡は港湾、工業
地域と炭鉱地域に挟まれて玄界灘の海を表現した荒々しい豪快な気っ風のいい性格、性質の
ところだ。ひとり頑固で意地っ張りで、だからリーダーシップは旺盛でなかなか集団意思を共有
してみんなに従ってすることが嫌いな性分が多いように思う。

 財津和夫さんは、容姿、声、話し方、物腰からソフトなイメージが持たれるが、福岡のこうした
頑固もんの土地柄の性分を受け継いで、本来は気性の激しい豪快なところが性格にはあるの
ではないのかと思う。
 色んな背景はあったと思うが、財津さんは大学時代にすでに当時としてはまったく将来性の
ない未知数でベンチャーな音楽で将来身をたてることを決意して、福岡の数多くの音楽グルー
プの中から「これは」と目を付けた意中の人物を引き抜いて、自分が目指すビートルズサウンド
を表現できる「チューリップ」を結成した。こうと思ったら突き進む強い意思と眼力、洞察、グル
ープをまとめるリーダーシップ、行動力は、時には「バンド潰しの財津」(メンバー引き抜き)とし
て恐れられて、福岡の土地柄そのものの強烈な個性を放っていた。

 (2)責任力も旺盛で、こうして集めたグループのチューリップとしての自ら詞曲の自主制作曲
の「魔法の黄色い靴」のデモテープを、ひとり上京して東芝レコードに売り込む商業性、ベンチ
ャー志向は、福岡の土地柄の頑固なまでのリーダーシップ力を示すものだ。
 正式にプロミュージシャンとしてメジャデビューするために、当時のチューリップ全員が上京
することになってまだ未成年の姫野達也の同行を父親に直談判して、納得させたのも財津さ
んの強い責任力、リーダーシップ力を示すものだ。
 家計が苦しくて大学進学を思案していた時も、同級生の女性からの進言もあり自ら授業料
を工面して進学を果たしたと言われており、当時の世相からは随分と思いっきりのいい、こう
と決めたらトコトン突き進むやはり福岡生まれのネイティブ(native)な強い意思の持ち主だっ
た。

 (3)こうした福岡地方の性格、性分は、地方からの若者の音楽グループ立ちあげには随分と
効果的に発揮された。プロミュージシャンとしては、自ら作詞(words)、作曲(music)する楽曲
はその流れの中で多種、多様で、38年間で800曲余りにも達して現在はスタンダード曲に
なったものも目立つ。
 日本のポピュラー音楽でも屈指のミュージシャンでありコンポーザーである。こうした音楽に
対する財津さんの姿勢は、音楽の完成度、精度、スキル、アンサンブルに妥協を許さない強
いこだわりがあったと思う。

 (4)当時のチューリップはコンサートが終了すると、その日のステージの評価について反省
会(reflectional meeting)が行われて、時にはシャワーを浴びたあとバスローブを巻いたまま
の素足で靴を履いた財津さんがメンバーの前にあらわれて、評価と改善すべきスキルの問題
点について指摘することがあったと聞いたことがある。
 音楽に対する完成度の高さは当然の目標ではあるが、若さからのメンバーには相当に厳し
い対応があったようだ。

 それが原因なのかはわからないが、結成当時のメンバーのうち上田(Dr)、吉田(B)は80
年1月に脱退し、85年8月には安部(G)、姫野(G Pf)も脱退してチューリップオリジナルメン
バーでは財津さんひとりとなっていた。
 結局、チューリップはメンバー変更で89年まで18年間音楽活動を続けることになるが、そ
の後財津さんがソロミュージシャンとなってからほぼオリジナルメンバーで5度の再結成コン
サートを行っている。

 その再結成チューリップでの新曲レコーディング・オペレーションを訪れた当時東海ラジオの
塩瀬さんの話の中に、レコーディングスタジオでメンバーと和気あいあいにリハーサルをして
いる財津さんを見て、「こんなにやさしい財津くんを見たのは、はじめてだ。」というのがありま
す。それに応えて、安部さんが「ぼくも、はじめてです。」       〔転載禁止です〕

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