いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

8月11日。箱根芦ノ湖。 ashi-no lake side in pagoda

2010-08-11 19:46:31 | 日記
 14年前の96年8月に財津和夫さんの記念イベントで、箱根芦ノ湖のホテルにいた。
26年前の84年8月11日に箱根芦ノ湖畔の開かれた芝の緑地帯(green zone)でチュ
ーリップが野外コンサートを開催したところだ。
 この日のコンサートのために「パゴダ(pagoda)」を建てて、チューリップランド芦ノ湖
パゴダコンサートとして、25000人(主催者データ)を集めて湖畔の野外コンサートが
開催された。当時としては破格の規模の野外コンサートだった。

 このコンサートは、テレビの全国ネットで中継されて、その年の11月に当時のビデオと
して発売されている。
 この当時の私は、未だビートルズ一辺倒の音楽環境の中で、チューリップの音楽活動
には及ばなかったので、このテレビ中継もビデオの存在もわからずにいた。
 89年チューリップ解散後、本格的なソロ活動を開始した財津和夫さんを91年に初めて
知って、財津和夫さん、チューリップの音楽観、楽曲を猛勉強した中で箱根芦ノ湖畔のパ
ゴダコンサートを知った。

 すでにチューリップとして、時代に先駆けて鈴蘭高原(78,80年)、名古屋城(81年)、
よみうりランド(82年)の野外イベントコンサートを開催していた。
 チューリップはライブバンドであったけれど、財津さんの目指す音楽性の高さからは必ず
しも音楽環境のよくない規模の大きな野外イベントコンサートは本意ではなかったのでは
ないのか。
 ただ商業的には、当時の全国的にひろがりをみせるファン対策と、スタッフを含めて時代
に先駆けた音響設計も含めたステージングの取り組みへの先駆性の意志の高さが背景
にあったと思う。いっちょう、やってやろうか、というものだ。

 パゴダコンサートの模様は、その後テレビの音楽番組で一部映像がよく使われて見る
ことになる。8月の夏の夜空に花火も打ち上げて、パゴダをイメージした中央に三角錐の
階段状のステージセットで、ステージ向かって左から財津さんがキーボードで、宮城さんの
ベース、安部さんのギター、少し上段に姫野さんのツインキーボード、ドラムは伊藤さんと
いうステージポジショニングだった。
 姫野さんが口ひげをたくわえて、途中の映像では全員ラメ入りの派手なスーツスタイルが
夏の野外コンサートの遊びごころをストレートに伝えてきていた。

 後年になってこの野外コンサートの会場となった箱根芦ノ湖の芝の緑地帯を訪れる機会
がやってきて、96年8月に財津さんの記念イベントに参加した訳です。当時の映像からス
テージセットのグリーンゾーンはこの丘陵地帯かとあれこれ湖畔の周辺を散策した記憶が
よみがえってくる。
 14年前の箱根芦ノ湖はすばらしい快晴で、湖畔周辺のグリーンゾーンも鮮やかで湖面
もいっそう静かで、それがかえって26年前の当時の喧騒を引き立ててくれていた。
 
 この記念イベントでは、財津さんは26年前のパゴダコンサートのセットリストから10曲、
ギターとキーボードを加えた3名のアコースティックバージョン(acoustic version)でミニラ
イブを開催しています。

 黒のシャーツスタイルの財津さんは、おろしたてのアコースティックギター(財津談)を
手に「(記念イベントにちなんで)僕の心のなかでは、特別のコンサート」とオープニング
の「悪魔の子守唄」からラストは参加者全員での「夢中さ君に」まで10曲のミニコンサー
ト(本ブログ記録)です。
 ミュージシャン 財津和夫(G V Pf) 杉原尋(G) 北村仁志(Pf)

 翌日、ホテルの前で財津さんとお会いしました。ホテルの前には前日のミニコンサートで
歌った「恋人への手紙」にも登場するツユクサが咲いていましたが、財津さんもそれに気づ
いていました。
 26年前の8月11日の空気がこんなに静寂だったのか、知るよしもないが96年の財津
和夫さんはいつものようにここで何があったのかも感じさせない自然の中に悠然とたたず
んでいたのが印象的でした。

 チューリップを再び、三だび結集する前の年のことでした。

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