まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

ひったくり・・・

2008-10-14 | 日常
 レコレッタの高台で皆それぞれ散策や写真を楽しんでいた時

アアァー!、ワァー!・・・の声 その声の方を向いた時

下り坂を添乗員が凄い勢いで走って行くのが見えた。

何事か・・・?? と思ったらお仲間の方がカメラをひったくられた・・・とのこと
(そのカメラは立派な一眼レフ)

その犯人を 彼は追いかけたのである。

下り坂とは言え標高が高い所 彼は大丈夫か・・・と心配であった。

なかなか戻らず 倒れているのでは・・・と思っていたら

しばらくして戻ってきた彼はひどい状態である。

それは 犯人を捕まえカメラを取り戻そうとした所へ

犯人の仲間が4人出てきて 殴られ、蹴られ

添乗員は 額、ほほは擦り傷だらけ血が滲んでいる上 額、頭はこぶだらけである。

カメラは戻らず 痛い思いをしただけである。

(後になり こう言う時は追いかけてはいけない・・・が鉄則とか、彼はとっさの判断の間違いを悔いていた)

身体の芯が震える思いであった。

我々の命は添乗員に掛かっている様なものであるし 

彼がいなければスペイン語を日本語に・・・の通訳が出来ないのである。

一時は 彼のこの状態ではどうなるのか・・・と

誰もが しゅ~ん・・・としてしまった。

(レコレッタの丘の教会とジャカランタの花)

古都・スクレ

2008-10-12 | 日常
 サンタクルスからスクレへは約1時間のフライトである。

着いた小さなスクレの空港はすごい人だかりであった。

我々の出迎え? そんなはずはない・・・。

旗、花束を手に手に大騒ぎしている?? 

何だろう?? 

それは我々と同じ飛行機で女性活動家でもあるスクレ市長が降り立ったのである。

今回の内戦の件でサンタクルスに出向いたのであろう。

その市長は大変小柄でさりげない風貌の女性であったが・・・出張? から帰ってきただけで

この出迎え、この人だかりは驚きであったが この状態からも内戦のひどさ、厳しさが想像できる。


古都スクレは 憲法上の首都である。(事実上の首都はラパス)

コロニアル様式の古い街並みは世界遺産に指定されており 別名「白い街」とも言われている。

街中の建物の壁面は白くてとても美しい。

また 有名な大学がありボリビア中の優秀な生徒が集まっているとの事であった。

我々はスクレの街が一望に見渡せる高台レコレッタの丘にバスで登った。

そこにはジャカランタの花、真っ赤な花の咲いた木がとても綺麗であった。

結婚式を終えたばかりのウエディングスタイルのカップルをカメラマンが盛んに写真を撮っていた。

2人はインディヘナであり赤いほっぺが印象的で私も写真を撮らせてもらった。

スクレは標高2790M 高地順応のためここに2日間の滞在である。

しかし高地に慣れない私達には この標高でも坂道や階段は息苦しく ゆっくりゆっくりの行動である。





地球の うら・おもて

2008-10-10 | 日常

 翌朝 ロビーには昨日の女性(すみれさん)が来ていた。

話を聞けば 日系2世で日本とボリビアの国籍を持っている(2世までは20歳までに申請すれば

日本の国籍がもらえる)そして 今 彼女の両親は日本へ出稼ぎに行っている・・・とか

祖父母は日本の国に騙されてこの地に来たと言っていた・・・とか 短い時間であったが話してくれた。

彼女の言葉から 彼女の祖父母、両親がどれほどの苦労をしてきたか 

また 今もしているかが容易に想像でき 日本人としてとても胸が痛んだ。

国はそんな人達に何故保障しないのか・・・等と空港のベンチで夫と話をしていると

隣に座っている中年紳士が分かりやすい日本語で話しかけてきた。

彼は17年前家族で群馬と静岡の大学で6年間を過ごした・・・と話してくれた。

よほど日本が懐かしかったらしくあれこれ話に花が咲いた。

手持ちの日本のせんべい、あめ、お菓子を差し出すと 彼は 息子に懐かしい日本の味を

食べさせたい・・・と大切にカバンにしまった。

国内線スクレへの出発時間になり 名刺を交換して写真はインターネットで送るから・・・と別れたが

日本から地球の裏側へ、裏側からも日本へ来ている・・・その意味合いの違いに複雑な気持ちであった。

(写真はすみれさん)


サンタクルスのホテル

2008-10-08 | 日常

 ホテルは超立派である。

広大な敷地に建てられたコテージスタイルのホテルは 1階はホテルの部屋、2階 3階は高級住宅になっている。

そうか~・・・ボリビアのお金持ちはこういう所に住んでいるのか~・・・(セキュリティーは万全である)

相変わらず夫婦でそれぞれ一人部屋である。自分の部屋へ入ったらその広さには驚き~!

まず キッチン、ダイニングルーム、応接間、大きな寝室と少し小さめの部屋(1つはメイド用らしい)

が2つにバスルーム、シャワールーム、洗濯室等々 部屋の中を歩くだけで疲れる位の広さである。

日本の家族用マンションの1世帯分より遥かに広~い。

大きい寝室のベットの脇にトランクをひろげて全ての用は足りる。 あとの部屋は用無しである。

ホテルの敷地の中は道が入り組んでおり何棟もの建物 何ヵ所かにプーもあり複雑な構造になっている。 

夕食のレストランの場所に行くのに道に迷って大変であった。 

食事を終え暗い中部屋へ帰るのもこれまた迷ってしまい苦労した。

いくら立派な5っ星ホテルとは言っても こう言うホテルは困りものである。

サンタクルスに着いたが・・・

2008-10-06 | 日常
 ボリビアは南米では最貧国・・・と言われているが お金持ちはどこの国にもいる。

サンタクルスはボリビアの中で唯一 標高が低く住み良いため ボリビアのお金持ちが生活している土地である。

空港を降り立ったら 若い日本人? らしき女性(ガイド)が迎えに出ていた。

しかし 内戦(政府派と反政府派の争い)で空港への道が閉鎖されており 空港迄迎えのバスが入れない・・・との事。

空港の1キロ先まで タクシーでピストン輸送してもらい やっとバスに乗り込んだのはいいが

目的の観光は危険でダメ、 戒厳令がでている様子である。

予定では 日本からの移民の人々 またその2世、3世が暮らしている 日本人村や沖縄村、

日本人移住記念博物館に行くはずであったが全てカットである。

また 中央公園には自然の なまけものがいるのに・・・何とも残念なことである。

出鼻をくじかれると 何処までもつまずくものである。

この内戦では多くの死者も出ており 我々のバスも運転手のなり手がなく 見つけるのが大変だった様である。

空港からは危険に会わないような道を選びホテルへ向かった。

人々は殆んど見かけなく 道路を走っている車も少ない。

長~い 長~い 飛行機の旅

2008-10-04 | 日常

 いざ 飛行機に乗り込んだのはいいが空席をやっと確保してのフライト

ツアーの誰もが5席の真ん中、3席の真ん中の席である。

この席で4回のフライトと2回の機中泊 いやー・・ 参った! 参った! である。

そこえきて アメリカの飛行機の機内食のまずさ これにも 参った! 参った! である。

例えば お寿司が2つ 蒸しエビとおいなりさん ご飯はボロボロ 油あげはごわごわ ビニール?

と思うくらいである。 とても食べられたものではない。

アメリカ人の味覚を疑ってしまう。 いや? 乗客の90%余が日本人であるからワザとかな? 

な~んて不心得なことを思ってしまう。

その上 アルコール有料、缶ビール350CC1缶6ドル(高過ぎ)アメリカ国内線は機内食も有料である。

さすがの夫も 飲まなかった、飲んでいる人も見かけなかった。(と言う事はタダだから飲む?)

何れの飛行機も真ん中の席で身動きとれないまま 成田~シカゴ~マイアミ~ブエノスアイレス~サンタクルスと

3回乗り換え まずは 目的地であるボリビア・サンタクルスのビルビル国際空港に着いた。

何と 集合から目的地までの所要時間42時間 とんでもない長~い、長~い時間をかけたのである。

添乗員も入社以来始めて・・また300回も旅行に出ているお仲間の1人もこんなことは初めてだ・・・と言っていた。

いやはや 長~い道のりであった。お疲れ様でした~(自分に)

(左下が例の寿司)

いざ ボリビアへ出発

2008-10-02 | 日常
 相変わらず 添乗員は携帯電話で話しっぱなしである。

3時間、4時間と時間は過ぎてから 旅行会社が出した結果とは

成田~シカゴ、シカゴ~マイアミ、マイアミ~アルゼンチン・ブエノスアイレス、

ブエノスアイレス~ボリビア・サンタクルス というコースで行く・・・・との事

40通りのコースの中から発着時間、空席の確認から出た結果である・・・との事

旅行会社は目的地までの飛行機、座席が確保できなければスタンバイしないのである。

そこで 問題が発生したのである。

ブエノスアイレス~サンタクルス間のアルゼンチンの飛行機代金45000円負担して下さい・・・との事である。

この旅行 ただでさえ旅行代金が高いのである。その上また45000円??

誰も憮然とする。 

誰かが ここでキャンセルすればどうなります?・・・の質問に

添乗員は 当日のキャンセルとなり旅行代金の半額いただきます・・・との返事

また 誰かが 約款に 旅行代金が上がった場合はキャンセルしても全額返金の条項があるが・・・

の言葉(詳しく読んでいる人がいるものである)

これには 添乗員もタジタジ大慌てである。

おっおっ・・・お金には変えられない素晴らしいものが得られますから・・・と懸命な説得である。

こうなれば 行くか? 行かないか? 2つに1つであるが

誰も 行きたいからここまできたのである。

すったもんだの末 出た答えが 旅行会社と我々と痛み分けで 半分づつ負担・・・の結論に何とか落ち着いた。

添乗員はすかさず 何やら印刷して来た。

後々 問題が起きない様に・・・と思われる同意書に 納得して(させられて)署名をさせられた。

気持ちはスッキリしないものの これからの長い旅を楽しく過ごすために その事は忘れる事にした。

結局 7時間遅れの薄暗くなる頃のフライトでダラスではなく シカゴへ向けて出発である。


(空港職員食堂の お好きなもの・・・) 



ボリビアへの旅立ち?

2008-10-01 | 日常
 今回の旅は「アンデス高原の国ボリビア大横断」である。

9月10日 成田前泊

11日 9時30分 第2ターミナルの指定の集合場所へ

ツアーメンバー10名 男性2名 女性8名である。(夫婦は我々1組)添乗員は32歳既婚男性

チェックインカウンターで 成田~ダラス、ダラス~マイアミ、マイアミ~ボリビア・サンタクルス迄の

3枚のチケットを手にして(全部通路側をゲット)トランクは機内へとベルトコンベアーに乗って行った。

その頃から 添乗員が慌ただしく盛んに携帯電話でやりとりしている???

さぁ~ 我々も出国・・・と思いきや

添乗員が「待って下さい。実は・・・」???

アメリカとボリビアの関係が昨晩からおかしくなり 急に米国マイアミからボリビアへの

飛行機の乗り入れが出来なくなった・・・とのこと

そう言われても 我々にはチンプンカンプン??? じゃぁ どうするの?? である。

添乗員 「今少し待って下さい 会社が別ルートで問い合わせていますから・・・」との事

なんだかんだしているうちに11時30分フライトの時間はとうに過ぎてしまった。

「まず 腹ごしらえをしましょう・・・」と空港の職員用レストランへ案内され

お好きなものを注文して下さい・・・と言われても 誰も旅への気持ちの高揚からか

正午を過ぎたと言うのにお腹は空いていない様子。

何が何だか 狐につままれた様なへ~んな気持ちである。

(道の駅ならぬ空の駅)