うろ覚えライフ。

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成人の日

2012年01月09日 | Weblog

 

○門出の日誓い新た

 

  成人の日」(9日)を前に、県内各地で8日、成人式が催された。振り袖やスーツに身を包んだ新成人たちは、降り積もった雪に足元を気にしながら続々と会場入り。旧友との再会を懐かしむとともに誓いを新たにした。東日本大震災の被災地では、それぞれの立場で復興に寄与したいという声が相次いだ。

 八戸市の式典は、市体育館で行われ、2360人の新成人のうち2043人が出席した。まず東日本大震災の犠牲者に全員で黙とうをささげた。被災地の同市も復興の途上にあるとして、小林真市長は「古里を愛する心を持ち続け、街づくりに積極的に参加して、発展の一翼を担ってほしい」と激励した。

 新成人を代表し、日本大学2年の釜石拓真さんと岩手大学2年の今野結実さんが壇上に上がり、「古里を守り、次世代に受け継ぐため、私たちも、どんな苦難も乗り越えなければならない」と誓いの言葉を述べた。

 会場からも、震災からの復興に思いを寄せる新成人の声が聞かれた。

 千葉県浦安市の建設会社員大久保良亮さんは「もっと仕事を覚えて、生まれ育った八戸の復興に携わりたい」と意欲を示した。震災の津波で、八戸市市川町の実家が床下浸水の被害を受けた新渡戸文化短大2年の石田夏実さんは「被災した人たちに元気になってもらいたい。自分にできることがあるなら積極的に取り組みたい」と、大人への新たな一歩、自覚に気を引き締めた。

 会場では、高校生ボランティアが受け付けを手伝い、晴れ着姿の先輩たちを出迎えた。式典終了後は、新成人が卒業した市内27中学校別に、恩師や仲間と再会する「ふれあいタイム」があり、笑顔と歓声が広がった。

7日に積雪が100センチを超えた青森市では、8日も雪が降る中、新成人対象の2841人のうち、2会場で計2187人が出席した。市文化会館では、新成人たちが、久しぶりに会った友人と写真を撮り合ったり、恩師と思い出話に花を咲かせたりしていた。

 新成人を代表し、あいさつをした青森市の消防署員、新山公平さんは「この場にいることの感謝を忘れず、この時代を生きる若人としての責任を果たしたい」と述べた。

 青森市浪打、弘前大学2年の肴倉由実さんは、「これまで育ててくれた家族に恩返しをしていきたい」と笑顔を見せたものの経済情勢に不安を募らせる。「地元、青森で働く場所があるのか。若い人の人材流出を止めるために何ができるのか、自分たちも考えていきたい」と話していた。

 

○被災3県アンケート 一番大切なのは「家族」

 

  9日の「成人の日」を前に全国各地で成人式が行われ、岩手、宮城、福島の被災3県でも8日、多くの自治体で式典が開かれた。東日本大震災後に初めて迎えた成人式で、大人の仲間入りをした被災地の若者は何を思うのか。産経新聞はこの3県の新成人を対象にアンケートを実施し、その意識を探った。震災をきっかけに家族や地元(地域社会)に思いを寄せる切実な心情が浮かび上がった。 …

 集計の結果、(1)は「家族」との回答がもっとも多く、83人に上った。当たり前のように感じていた家族の大切さに気づいたという若者が多く、自由記入欄にも「最初に心配したのは家族だった」といった回答が目立った。次は「友人・恋人」と「地元(地域社会)」が多く、それぞれ20人と16人だった。

 (2)は、地元に残って暮らしたいとする回答が54人と、ほぼ半数を占めた。しかし内訳を見ると、岩手、宮城両県ではそれぞれ52%、57%と半数を超えていたが、原発事故による放射能の影響の残る福島県では40%にとどまった。

 一方、(3)の設問で震災からの復興に役に立ちたいと考える若者は85%に上り、仕事やボランティアを通じた地域貢献に高い関心があることがうかがえた。



 2012年1月9日は平成24年の成人の日ですが、今年の成人の日の、成人式に出席される、というのか今年成人を迎える、というのか、成人の日の成人式出席者ってどうなんだっけか? まだ実年齢19歳でも成人式に出席しますよね。誕生日が1月9日までで現在20歳の人もいるだろうし、済みません、詳しくはよく知りませんが、何でも今年の新成人は平成4年頃誕生の若者たちだとか。成人式って、地域に寄ってはカレンダーの祝日成人の日ではない地域も、確か、あるんですよね。昔は若者は東京へ東京へと行ってたから、地方では若者が帰省する盆正月に式典を行ったりしてたけど、高度経済成長時代ではない現代は、地方に残る若者も多いのかな。いや、地方では仕事がないからやっぱり都会へと出て行くのか。済みません、これも私は不勉強で社会の現況を把握しておりませんが、まあ、今回の新成人たちというか、成人式出席者たちは、平成4年頃生まれなんですね。1992年頃誕生者。

 平成4年、1992年というと、僕は、それまで3年半勤めた印刷会社を辞めて、この年の10月後半から社会福祉施設で働き始めた年です。いやあ~、後悔しましたねえ。辞めたい、俺には向いてない、辞めたい、と毎日嘆きながら、何と14年間も勤めました。よく続いたと思います。その前の印刷会社での企画部での仕事が、そこを辞めた後で自分の天職だったように思えて、辞めたこと、つくづく後悔しました。ここでは、僕自身の、印刷会社企画部での仕事内容は詳しくは書きませんが、少なくとも今では、好きでやっていた仕事だったように思います。そこから、全く違う職種の社会福祉施設の仕事に就いて、随分苦労しましたが、そこを辞めた後振り返って、14年間もよく続いたものだと我ながら感心したものです。はっきり、僕には向いてない職場でしたねえ。ただ、勿論、14年の間には勉強させてもらったこともいっぱいありました。この職場で経験して、自身のためになったことは計り知れないようにも思えます。けど、いつもいつも、あ~辞めたい、辞めたい、ばかり思っていた職場ではありました。ホントに向いてなくて嫌な職場だったなあ。無論、そこで働いている人たちはみんな良い人たちで、良き職場仲間の方々ばかりでしたが。勿論、当時の職場の皆さんには、本当にお世話になりました。

 当時、僕はそこの職場の同僚の、ある女子職員の方に、「人間嫌いの人に見える」と言われたことがありましたが、僕は、TVでもニュースでも物語でも人に聞く話でも何でも、悲しい事件や悲しい話、感動する事件や感動する話には涙を流すし、しょせんは人間社会で生きて行ってる訳ですから、これまでの僕の人生でも、他人に助けてもらったことも、もういっぱいありますし、助けてもらったときはいつでも感謝してましたし、人とはありがたいものだ、と思っています。当然、人間嫌いではありません。多分、僕はコミュニュケーション下手で、それをよく自分で知っているから、人の集まりを避けようとするのです。つまり、ヒトヅキアイが苦手で、それをよく解っているのです。僕はもう幼少時からヒトミシリが強く、子供の頃は、なかなか他人になつかない子供でした。大人になってからもヒトミシリは強いままですし、人嫌いというよりもむしろ人が好きだとも思うんだけど、ヒトヅキアイ苦手意識で、集団から離れて居たがる傾向もあるんですね。でも、僕は出来の悪い人間でしたから、これまでの人生のいろいろな場面で助けていただいた人たちには、本当にひたすら感謝の念も持っています。

 子供の頃から僕はひょうきんな一面を持っていて、とにかく友達にウケて笑われたいと、ギャグを言ったりしたりおどけてみたり、時には教室の教壇に立って一人漫談や友達と組んで漫才をしてみたりして、とにかくクラスの友達にウケようウケようとしていたのも、自身のコミュニュケーション下手を、道化を演じて笑いを取ることで補っていたのかも知れません。あれもヒトヅキアイの苦手な人間が、子供ながらに身に着けた処世術なのかも知れないな、とも思います。

 そういえば、社会福祉施設勤務時代に、事務員をしているある女子職員の方が、ワザワザ僕を呼んで頼みごとをして、いっぱい職員が居る中でどうして僕に頼むかと言うと、一番断りそうにないからだ、と言っていたのを印象深く憶えています。僕はもう昔々から人にものを頼まれると嫌と言えない性格で、最初嫌と言っても押し切られて「はい」と返事してしまう、そういう性格なんですね。だから、そこを事務員の人からも見抜かれていて、ワザワザ呼ばれたのかと思うと、その時は何だかがっかりして、ちょっと情けなく寂しく思ったものでした。またしてもそういえばですが、いわゆる、かあらあのお~、になりますけど、昔々の若い時分、ある日ある時、当時の上司、K係長に「僕はいつも使われてばかりいる、利用されている」と、職場での不満をぶつけたんですけど、その時K係長が回答してくれた言葉が、「人に使われる人間になれ、人に利用される人間になれ」でした。仕事で、職場で、人に使われる、人に利用される、というのは、人に必要とされている、ということなのだ。必要とされない人間は人から使われも利用されもしない、というような意味でした。そういう話を聞いても、当時の僕の不満は解消はしませんでしたけど、後々考えると、ああ、逆説だったんだなあ、と思ったものです。

 平成4年のヒット曲は「愛は勝つ」なんですね。懐かしい。92年の10月後半から社会福祉施設に勤め始めた僕は、とにかく、経験したことのない、初めての職種だったので、すぐに同業他社の他の施設に研修に行かされました。そこで受けた研修期間中に施設の中の業務用音楽機器でよく流れていたのが、大事マンブラザースバンドの「それが大事」という歌で、あの歌が流行っていたのも調度あの時分だったんですねえ。懐かしい。あの頃は、ニュー応援歌みたいな曲が流行していた。

 今の新成人たちとは、平成3年、1991年も入るのか。平成3年平成4年、1991年・92年生まれの若者たちになるのか。僕が成人したのはもう大昔でしたし、その成人式のとき僕は早生まれだからまだ19歳だったし、無論、当時の僕の住所にも成人式の案内が届きましたけど、僕は成人式には出たことありません。やっぱり、僕は人の集まるのが嫌いで、というか人がいっぱい集まってるのが苦手で、とうとう行かなかった。一生一度の成人式でしたけど、人の集まりに出ることの苦手意識の方が勝っちゃって。独り、街を徘徊して回ってました。一人、映画見にでも行ってたのかも知れない。まあ、僕のような人間から新成人に言うことなんて何もありませんが、僭越ながら一言だけ言わせてもらえるならば、人生は思ったより短いぞ、ということですね。というか、人はあっという間に歳を取る。歳取ると、若い時分からは信じられないくらいに身体がいうことを利かなくなる。若い頃に比べると、格段に身体が動かなくなる。スタミナとか持久力もなくなる。若い頃のような無理は絶対に出来なくなる。熱意やモチベーションの持続がかなり難しくなる。だから、今の若い人たちは、20代30代の元気の良い期間を大切にして生き抜いて!、ということですね。男も女も、あっと言う間に歳を取ります。バンバン身体が動く内に無理が利く内に、後々悔いがないように人生、頑張って生き抜いちゃってください。あなたの人生はあなただけ、あなたのもの一回きり。誰も40歳を越えると思うようには身体が動いてはくれなくなりますよ。それはさらに50代で、もっとずっとひどくなる。思ったって、熱意持ったって、身体が着いて行かなくなる。今から将来をよく考えて、出来るだけ後悔しないように送るために、今からバリバリ自分自身の人生を頑張っちゃってください。

※記事巻頭画像は今年新成人のAKB48の高橋みなみさんです。あっちゃんもトモちんも大島優子さんも可愛いけど、タカミナはあの大所帯のリーダーとして、元気よく、頑張り屋で感情豊かでカッコ良くて、イイですね!応援したくなります。この先、道のりは、決して平板ではないでしょうけど頑張ってください。長い人生、若い時代を頑張り抜いてください。はい。

 

 

○AKB48前田敦子ら19人 “本拠地”近くで成人式

 

  アイドルグループAKB48の前田敦子、柏木由紀ら、SKE48の松井玲奈ら今年度成人を迎えたメンバー19人が9日、AKB48劇場に程近い東京・神田明神で成人式を行った。

 昨年成人式に出席したのは宮澤佐江(21)ら7人だったが、今回は欠席したSKE48の桑原みずきも含め20人が新成人に。高橋みなみが「20歳が“はたち”いたのですごいびっくりしています」と興奮気味にまくしたてると即座に「はたちじゃなくて20人でしょ」とツッコミを受けていた。

 午前7時半からの成人式に合わせ、メンバーはこの日3時半から着付けや髪のセットをして臨んだという。オリコンの年間ランキングで、シングルCD売り上げ枚数の上位5作品独占、日本レコード大賞受賞など、2011年はAKB48にとって過去最高の1年となったが「それを上回るような年にしたい」(板野友美)「どこまでもレベルを上げていかないと」(前田)とさらに上を目指すことを誓った。

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