うろ覚えライフ。

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秋葉原無差別殺傷公判

2010年12月17日 | 時事社会ログ

 

【秋葉原17人殺傷】「死を重大と思えない性格」 精神科医証言

 

  東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた元派遣社員、加藤智大被告(28)の第27回公判が15日、東京地裁(村山浩昭裁判長)で開かれた。事件発生までの加藤被告の心理状態を分析した精神科医が弁護側証人として出廷し、事件の遠因として「『死』を重大なことと思えない死生観があった」と証言した。

 精神科医は、加藤被告が幼少期から母親から虐待に近い仕打ちを受けていたとし、「未来に展望が持てず絶望感を抱く性格や、低い自己評価を抱くにいたった」と述べた。殺人を決意した理由については「被告自身、死があまり重大と感じられないことが大きい」と指摘した。

 加藤被告は被告人質問で「申し訳ないという気持ちをしっかり持って行きたい」と述べ、あらためて被害者や遺族に謝罪した。来年1月25日に検察側の論告求刑が行われる。

 

○秋葉原殺傷公判:「胸えぐられる思い」加藤被告

 

  東京・秋葉原で17人が死傷した無差別殺傷事件で、殺人罪などに問われた元派遣社員、加藤智大(ともひろ)被告の第27回公判が15日、東京地裁(村山浩昭裁判長)であり、証拠調べが終了した。加藤被告は最後の被告人質問で、遺族やけがをした被害者の意見陳述を聞いた感想について「胸をえぐられる思い。何度申し上げても仕方ないが、大変申し訳なく思っている」と述べ、改めて謝罪した。来年1月25日の次回公判で検察側が論告求刑を行う。

 加藤被告は「社会全体に向け、事件が再び起こらないように(公判で動機などを)お話ししたが、(被害者らの陳述を聞いて)遺族の方や被害者と向き合うことが一番大切だと気付いた」と話した。

 そのうえで「事件当時は被害者のことに頭が回っていなかった。私が殺した方、傷つけた方、ご遺族の方一人一人がどういった方か、どんな思いなのか、最後まで自分の中に取り込み、申し訳ないという気持ちを持ち続けたい」と述べた。

 また、弁護側の請求で精神鑑定した医師が「被告は死ぬことを重大と考えない特異な死生観を持つ」と証言した点について聞かれると「死ぬことに恐怖はありません」と即答した。

 

 

 太田光と姜 尚中 が話していたとき、秋葉原の事件について、姜 尚中 が「あれは形を変えた自殺だよ」と言ったけど、あのとき僕も「ああ、そうだな」と思った。絶望から自殺するか、絶望した原因はこの世の中全部にある、と自分も死ぬが世の中の代表として不特定多数(誰でもいい数人)を巻き添えに、道連れにするか、という違いなんだろう。しかし勿論、後者は大変身勝手ではた迷惑もいいところな、他者全部から見ればとんでもないエゴだ。考え違いも甚だしい。しかし生まれついて運の悪い人も、生まれ育った環境が悪い人、一般的な人よりも能力的に劣る人(事実劣る人も、自分で劣っていると思い込んでる人も含んで)、やることなすこと何でもうまく行かなくてクサっている人(これも本当に事実連続して失敗ばかりが続いている人も、そう思い込んでいる人も含む)、神様からも世の中・社会からも、ともすれば親・肉親・身内・親戚・周囲からも見離されている人(そう思い込んでいる人も含む)、というような人たちが、自分がこんなに不幸なのは世の中(全体)が悪いんだ、と自分自身で決め込んでしまう。世の中そのものを敵対視する。自分の敵は全ての、幸せそうに暮らしている人たち全部だ、ということになる。というような負の方程式みたいな流れというか何というか、世の中全般的にものすごく迷惑な、随分身勝手と映る、とても悲しいこと(=事実)があるのだろう。

 人はそれぞれというか個人差というものは大きいから何でも一概には言えないのだけれど。

 子供の頃から自分は自分の周囲全体に比べて極めて不幸だ、と思いながら育った人が成長して世の中そのものに敵意やそれに似た意識を心に根付かせて持っていて、少年後期から例えば暴走族や不良、犯罪グループの一員になる者も居るだろうし、その後闇社会の組織の構成員やそれに准ずる立場になってしまう人も、いつの時代でもけっこう居るだろう。育った環境から、あるいは生まれながらの性格もあるのかも知れないが、自分自身が生きて行くため、食べて行くため、もっと楽して贅沢して暮らして行くため、他の人間を傷つけても不幸に落とし入れても、そんなのは関係無いそれは弱肉強食だ、やられる方が悪い騙される方が悪い、とそういう方針で生き抜く人間もけっこう多いのだろう。勿論、違法行為を重ねて生きている訳だが、例え反社会的立場でも生命力的にはたくましいのかも知れない。

 また自殺してしまう人たちも多い。この日本国では20世紀末からこっちもう10年以上にも渡って、年間の自殺者は数えれるだけで毎年毎年3万人越えている。

 加藤被告のやったことは重大な犯罪で無論、反社会的行為の最たるものだ。けれど、動機的には、形を変えた自殺と見れる。反社会的行為に走っても犯罪組織や犯罪グループに属して加担して違法行為を行い、世の中に迷惑を掛けたもの、というものではない。犯罪グループには悪いことをやってでも生き延びて行こう、という変な言い回しだけど生命としてのプラス思考がある。加藤被告は反社会行為でも破滅行為だ。自分自身の絶滅行為だ。犯罪者集団は絶望はしてないだろう。だが加藤被告は絶望の果ての行為だ。

 加藤は県下でも有数の高偏差値の優秀な進学高校を卒業しながらも、生産工場の機械オートメーションに着く作業員という肉体労働者だった。それも根無し草的な派遣労働者であり、勘違いだったんだろうがリストラされると思い込んだ。まるで人間のゴミクズみたくポイ捨てされると思い込んだ。根無し草の唯一の世の中とのつながりのネットで無視されたのが引き金となった。絶望した。加藤は自殺に向かわず、世の中を呪った。肉親との信頼関係なんて無い(と思い込んでる)し、世の中全てに対して、またこの世の中を作ったに違いない神様に対しても呪うような気持ち、敵対心しかない。

 加藤は、グレて反社会的グループに入って行く、そして犯罪者集団の仲間内になり違法行為を繰り返す、という道には行かなかった人間ではあるんだよね。

 加藤被告の弟さんはちゃんと育っているんだよね。普通に真面目に会社勤めしていて、常識的な社会人だ。長男と弟、という立場の違いはあるが、同じ環境で育っている。弟さんも大変な不幸を被ってしまった訳なんだけど。泣き崩れてそのまま病院に入った母親。家族は地獄だ。勿論、被害者遺族の人たちもたまったものではない、大変なことになってしまった訳だが。社会は世の中はたった一人の絶望のためにいい迷惑も最たるものだ。

 加藤はこの極端な暴走行為に走った理由の一つに母親との確執を上げているが、これもまた性格的な相性みたいなものはあるだろうからなあ。親子の相性。母親の性格が息子の性格が少しでも違っていたら、関係性は変わっていたんだろうし。父母兄弟、家族の関係性もあるだろうしなあ。

 加藤のような立場になって、自分独りで自殺する者も居れば、また黙々と働く者も居るだろう。例え希望も何も見出せなくとも貧乏でも、こんな世の中とクサっていても一つも面白くなくとも、また何か底辺の仕事を捜して、ただ毎日黙々と働いて生きて行く人たちも居るだろう。それは多分、けっこう多いだろう。世捨て人になっても生き延びる人も居るだろう。人はそれぞれだろうからなあ。

 育った環境、生まれながらの性格、病気などなど、運の良し悪しも含んでの、個人差。

 ここまで長々書いて来て何が言いたいのか自分でさっぱり解らなくなっちまった。加藤現象は世の中が悪いのか?家庭環境が悪いのか?全体的な教育が悪いのか?時代が悪いのか?加藤自身が悪い種子か?

 ここまで書いて来て答えらしいものは一つも見出せなかったなあ。この先もまだまだ出て来るのか?時代時代で無差別大量殺人犯というのは居るしね。社会の病理といっても社会の仕組みは、それはじょじょには変えようという気持ちはあるのかも知れないけど、そうは簡単には変わらないし、結局は時代の流れというのはある‥。

 

 

 


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