■朝青龍が最高位を極めようとした主な動機は、相撲界で最高の収入を得たかったからでしょう。取り組みでの気迫や勝負に対する執念が、最初は新鮮に見えて拍手を送っていた相撲ファンは、日本人にも同じ根性を求めたはずです。しかし、金銭感覚がまったく違う両者が、同じ気迫で勝負をするはずはありません。懸賞金や報奨金だけを考えても、一方の力士にとっては莫大な投資資金なのに、片方の力士にとっては「お小遣」ならば、勝利に対する執着心はまったく違って来るのは当然です。極端な言い方をすれば、一方は現役ばりばりの事業家として投資資金を土俵で稼いでいて、片方は現役引退後の親方株入手をぼんやりと考えていると想定すると、まったく違う二つの「人生設計」が激突しているようなものです。
64年に一人入門したハワイ出身の東関親方(元関脇・高見山)が、涙を流しながら異国の厳しいけいこや伝統を体に染み込ませたのとは、全く異なっているのが現在の相撲界だ。朝青龍が賞金を受け取る際に左手で手刀を切って注意されたり、先代高砂親方の葬儀を無断欠席するなど「日本流」とそぐわない行為が目立ったのも、教育不足が原因だ。
■マナー上の右と左の区別も、恩人の葬儀も、決して「日本流」ではないでしょう。外国人だから、モンゴル人だから、と変なところに線を引いてしまうのは間違いの元でしょうなあ。力士生活がもっと大きな事業の一部でしかないなら、時間の使い方が周囲と違うのは当然でしょうし、稽古や冠婚葬祭よりも大切な「商談」や交渉事が有れば、事業家としてはそちらを優先する場合が有るでしょう。最初のモンゴル力士だった旭鷲山が、下位・中位をうろうろしていた時期に、祖国では地平線の向こうまで広がる土地を購入していたり、家族名義で事業を興していた事を、あまり日本のマスコミは報道しませんでした。その後も旭鷲山はこつこつと相撲で得た収入を祖国に投資して事業をどんどん拡大して行ったのでした。政治家や富裕層との関係も深くなり、投資家や金融機関も寄り集まって、とうとう、新聞社・テレビ局まで傘下に収める巨大な企業を育て上げてしまいます。
■日本人力士の中で、そんな大事業を興している者は居ないでしょうし、似たような計画を心に持っている者も居ないでしょう。両者の人生において相撲が占める割合がどんどん広がって行くのを、相撲協会が看過していた事が問題だったのかも知れません。乱暴な比喩を使えば、嫁不足を解消しようと貧困に苦しむ国から女性を招いた或る農村で、妻となり母となる内に田畑を売り払って祖国に送金してしまったり、最悪の場合は保険金殺人まで起こしてしまう悲劇に似ているような気もします。安易に外国人力士を呼び込む前に、「国技」が衰退して行く真の原因を究明して対応策を考えるべきだったのでしょうなあ。
……処分直後、高砂親方は「本当は首根っこを捕まえてでも(朝青龍を)引っ張り出したいが、オレが自宅に行けばまた騒ぎになる」となかなか腰を上げなかった。弟子に遠慮して面会の了解を取り付けるのに時間がかかり、処分を納得させたり、励ましたり、という師匠の役割を果たせていない。
8月10日 毎日新聞
■もう御仕舞いです。高砂親方は一度も朝青龍の「首根っこを捕まえ」た事もないし、既に大実業家に成長してしまった横綱に指一本触れることも出来ませんし、小言の一つさえ聞かせる力も無いはずです。朝青龍にとって相撲部屋は横綱になるための道具か通過点でしかなかったでしょうし、日本も相撲も大金を祖国に持ち帰るための手段でしかなったようです。今回のサッカー不祥事が、中田ヒデ君との交際が発端になっている事を想起しますと、サッカーや野球の有名選手達が手にしている莫大な収入に比べて、横綱の稼ぎはあまりにも少ないのは事実です。裏金疑惑が時々噂にはなっても、皮肉な名前の「長者番付」という高額納税者の上位者が公表されていた頃でさえ、スポーツ選手のリストに関取衆の名前は出た事はなかったはずです。リストに載る可能性が有ったのは、現役力士ではなくて親方株の取り引きをした年寄りだけだったでしょう。
■バブル時代を経験してしまった日本では、20代の若者が100億円だの500億円だのという天文学的な収入を得ても驚かれなくなりました。スポーツ界でも、松井・松坂・イチローなどの有名選手の周りで動く莫大な金額が報道されても、「国技」を支えている力士達の収入と比較する事は有りません。金銭に関する生臭い話を避けて、「伝統」「国技」「武士道」などの精神論とすり替えるのも、もう限界なのではないでしょうか?朝青龍は自分を最も優秀なアスリートの一人だと思っているはずです。彼の本音は「名誉」に見合う「収入」が欲しい!という事ではないでしょうか?それを武士道で説き伏せるのは容易なことではありますまい。それは、少なくなった日本の子供達が、野球やサッカーの選手に憧れても、相撲取りになりたいとは思わないという現実に直結する問題でしょうなあ。
■「人間にはカネよりも大切なものが有る!」と胸を張って断言できない空気が満ち満ちているのが今の日本ならば、あれこれと窮屈な規制が設けられている「国技」には、それ相応の経済的な裏付けが必要だという頃になりそうですなあ。相撲文化が完成を見た江戸時代には、相撲興行は巨大な男達が繰り広げる最も面白い見世物だったようです。その頃、「一年を20日で暮らす良い男」という川柳が出来たのでしょう。春場所10日間と秋場所10日間だけで、ゴッツァン生活が可能だった時代が長く続き、69連勝という大記録を作った双葉山の時代も同じでした。場所の数が増え、今回の大騒動の元となった地方巡業も増え(勧進元の激減で今は減っているそうです)たのに、子供達が憧れるような「良い男」の暮らしが増えているのか?という現実的な問題が有ります。
■本当に「国技」の発展を考えるのなら、朝青龍が身を以って抉(えぐ)り出した相撲界の短所や欠陥を早急に点検して「改革」を決断すべきでしょうなあ。日本の米作りと相撲は、零細企業の職人に続いて「後継者不足」で滅んで行く事は明らかなのですから、次の理事長には親方株など持たない身軽で斬新なアイデアを持っている人を選んで欲しいものであります。朝青龍の時代が終わるのは避けられそうもありませんが、今回の大騒動から何も教訓を得られないのなら、相撲自体が終わる時代がやって来るような気がします。
オシマイ
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64年に一人入門したハワイ出身の東関親方(元関脇・高見山)が、涙を流しながら異国の厳しいけいこや伝統を体に染み込ませたのとは、全く異なっているのが現在の相撲界だ。朝青龍が賞金を受け取る際に左手で手刀を切って注意されたり、先代高砂親方の葬儀を無断欠席するなど「日本流」とそぐわない行為が目立ったのも、教育不足が原因だ。
■マナー上の右と左の区別も、恩人の葬儀も、決して「日本流」ではないでしょう。外国人だから、モンゴル人だから、と変なところに線を引いてしまうのは間違いの元でしょうなあ。力士生活がもっと大きな事業の一部でしかないなら、時間の使い方が周囲と違うのは当然でしょうし、稽古や冠婚葬祭よりも大切な「商談」や交渉事が有れば、事業家としてはそちらを優先する場合が有るでしょう。最初のモンゴル力士だった旭鷲山が、下位・中位をうろうろしていた時期に、祖国では地平線の向こうまで広がる土地を購入していたり、家族名義で事業を興していた事を、あまり日本のマスコミは報道しませんでした。その後も旭鷲山はこつこつと相撲で得た収入を祖国に投資して事業をどんどん拡大して行ったのでした。政治家や富裕層との関係も深くなり、投資家や金融機関も寄り集まって、とうとう、新聞社・テレビ局まで傘下に収める巨大な企業を育て上げてしまいます。
■日本人力士の中で、そんな大事業を興している者は居ないでしょうし、似たような計画を心に持っている者も居ないでしょう。両者の人生において相撲が占める割合がどんどん広がって行くのを、相撲協会が看過していた事が問題だったのかも知れません。乱暴な比喩を使えば、嫁不足を解消しようと貧困に苦しむ国から女性を招いた或る農村で、妻となり母となる内に田畑を売り払って祖国に送金してしまったり、最悪の場合は保険金殺人まで起こしてしまう悲劇に似ているような気もします。安易に外国人力士を呼び込む前に、「国技」が衰退して行く真の原因を究明して対応策を考えるべきだったのでしょうなあ。
……処分直後、高砂親方は「本当は首根っこを捕まえてでも(朝青龍を)引っ張り出したいが、オレが自宅に行けばまた騒ぎになる」となかなか腰を上げなかった。弟子に遠慮して面会の了解を取り付けるのに時間がかかり、処分を納得させたり、励ましたり、という師匠の役割を果たせていない。
8月10日 毎日新聞
■もう御仕舞いです。高砂親方は一度も朝青龍の「首根っこを捕まえ」た事もないし、既に大実業家に成長してしまった横綱に指一本触れることも出来ませんし、小言の一つさえ聞かせる力も無いはずです。朝青龍にとって相撲部屋は横綱になるための道具か通過点でしかなかったでしょうし、日本も相撲も大金を祖国に持ち帰るための手段でしかなったようです。今回のサッカー不祥事が、中田ヒデ君との交際が発端になっている事を想起しますと、サッカーや野球の有名選手達が手にしている莫大な収入に比べて、横綱の稼ぎはあまりにも少ないのは事実です。裏金疑惑が時々噂にはなっても、皮肉な名前の「長者番付」という高額納税者の上位者が公表されていた頃でさえ、スポーツ選手のリストに関取衆の名前は出た事はなかったはずです。リストに載る可能性が有ったのは、現役力士ではなくて親方株の取り引きをした年寄りだけだったでしょう。
■バブル時代を経験してしまった日本では、20代の若者が100億円だの500億円だのという天文学的な収入を得ても驚かれなくなりました。スポーツ界でも、松井・松坂・イチローなどの有名選手の周りで動く莫大な金額が報道されても、「国技」を支えている力士達の収入と比較する事は有りません。金銭に関する生臭い話を避けて、「伝統」「国技」「武士道」などの精神論とすり替えるのも、もう限界なのではないでしょうか?朝青龍は自分を最も優秀なアスリートの一人だと思っているはずです。彼の本音は「名誉」に見合う「収入」が欲しい!という事ではないでしょうか?それを武士道で説き伏せるのは容易なことではありますまい。それは、少なくなった日本の子供達が、野球やサッカーの選手に憧れても、相撲取りになりたいとは思わないという現実に直結する問題でしょうなあ。
■「人間にはカネよりも大切なものが有る!」と胸を張って断言できない空気が満ち満ちているのが今の日本ならば、あれこれと窮屈な規制が設けられている「国技」には、それ相応の経済的な裏付けが必要だという頃になりそうですなあ。相撲文化が完成を見た江戸時代には、相撲興行は巨大な男達が繰り広げる最も面白い見世物だったようです。その頃、「一年を20日で暮らす良い男」という川柳が出来たのでしょう。春場所10日間と秋場所10日間だけで、ゴッツァン生活が可能だった時代が長く続き、69連勝という大記録を作った双葉山の時代も同じでした。場所の数が増え、今回の大騒動の元となった地方巡業も増え(勧進元の激減で今は減っているそうです)たのに、子供達が憧れるような「良い男」の暮らしが増えているのか?という現実的な問題が有ります。
■本当に「国技」の発展を考えるのなら、朝青龍が身を以って抉(えぐ)り出した相撲界の短所や欠陥を早急に点検して「改革」を決断すべきでしょうなあ。日本の米作りと相撲は、零細企業の職人に続いて「後継者不足」で滅んで行く事は明らかなのですから、次の理事長には親方株など持たない身軽で斬新なアイデアを持っている人を選んで欲しいものであります。朝青龍の時代が終わるのは避けられそうもありませんが、今回の大騒動から何も教訓を得られないのなら、相撲自体が終わる時代がやって来るような気がします。
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